• 秋のひつじ雲と文化のお話


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    文化に上下など、あろうはずありません。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものだからです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その文化環境に違いがあって当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。あたりまえのことです。
    要するに文化は、必然なのであって、そこに上下はありません。

    20200929 ひつじ雲
    画像出所=https://hiroshimatimes.com/2018/05/23/hitujikumo-urokokumo/
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    風がめっぽう秋めいてきました。
    「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったもので、あの暑かった夏はどこへやら。
    だいぶ涼しくなってきて食欲も旺盛になるし、空を見上げればなんといっても雲の位置が高いです。

    ちなみに、夏の雲といえば、積雲に入道雲(積乱雲)ですが、積雲というのは、だいたい高度が2千メートルくらい。積乱雲(入道雲)は、その積雲がもくもくと上空に立ち上がった雲で、てっぺんのあたりは高度が1万メートルくらいに達します。
    夏は、湿度が高いので低い位置に雲ができやすく、これが夕方には雨雲になって夕立を降らせたりします。
    このときの雨雲は乱層雲で、やはり高度は2千メートルくらいです。

    ところが秋になりますと、空気が乾燥してきて、雲の位置がぐっと高くなります。
    秋の雲といえば、巻雲、巻積雲などですが、こちらは高度が1万3千メートルくらい。
    たいへん高いところにある雲です。

    巻雲というのは、雲の仲間の中で一番高いところにできる雲で、「すじ雲」とも呼ばれます。
    ハケで掃いたみたいなスジになっている雲です。

    夕焼け雲になるのが、巻積雲です。
    巻層雲は、見え方によって、「ひつじ雲」、「うろこ雲」、「いわし雲」、「さば雲」などと呼ばれます。

    「ひつじ雲」や「うろこ雲」は、空一面に巻積雲がひろがって、まるで空全体が魚のウロコみたいになったもの。
    「いわし雲」は、よく水族館などの水槽内で、イワシの大群がまるで巨大なモニュメントみたいにみえたりしますが、あのような感じで空に見える雲。
    「さば雲」は、まるでサバの背中のように、巻積雲が波打っている雲です。

    巻層雲は、位置が高いので、それだけ日没後も長く夕陽を浴び続けます。
    これが秋の美しい夕焼け雲になります。

    この巻層雲を、天皇の大喪の礼のときの弔問客に見立てた歌が万葉集にあります。
    第41代持統天皇の御製です。

     北山につらなる雲の青雲の
     星(ほし)離(さか)り行き
     月も離(さか)りて
    (原文:向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而)

    この歌は、夫の天武天皇が崩御されたときの葬儀のときに、皇后陛下であられた持統天皇が挽歌として詠まれた和歌です。
    この歌にある「つらなる雲(陳雲)」というのが、まさに「うろこ雲」のことで、大喪の礼に参列したたくさんの弔問客を、空いっぱいにひろがったうろこ雲に例えています。
    意訳すると次のようになります。

    北枕でご安置された天武天皇の涙のご遺体   向南山
    空に浮かぶ羊雲のように連なった参列の人々  陳雲之
    高い徳をお持ちだった天武天皇は       青雲之
    世を照らす光となって離れ去られました    星離去
    歳月もまた過ぎ去りました          月矣離而

    偉大な夫を失なわれた持統天皇の深いお悲しみと、夫の偉業を受け継いで、これからは自分が天皇としてすべてを背負っていかなければならないという決意を込めた、悲しく、美しく、それでいてとっても力強い響きの歌です。

    うろこ雲ができる秋は、雲が空高く、だから「天高く馬肥ゆる」ともいいます。
    この言葉が杜審言(としんげん)の『贈蘇味道(そみどうにおくる)』という漢詩から生まれた言葉だという説がありますが、これはとんでも説です。
    なぜなら、杜審言の漢詩が持つ意味と、日本語の「天高く〜」では、意味がまったくことなるからです。
    杜審言という人は、7世紀の軍事大国「唐」の官僚で、「国破れて山河あり」の詩を書いた杜甫の祖父です。

    杜審言の書いたこの漢詩は、原文に「雲淨妖星落 秋深塞馬肥」とあり、
    「秋になって雲が高くなって空気が澄んで来る季節になると、北方の遊牧民である匈奴たちの馬は、夏草をいっぱい食べて、今頃は太ってきているであろう。そうなると、匈奴がまた南に下って攻めて来るので、気をつけてくれよ」と友人に伝えた詩です。
    杜審言が所属した唐の国は、最終的に匈奴の襲来で国力を落として滅んでいますから、彼らにとって、北の匈奴の動向は死活問題であり、そのことが歌に読み込まれているわけです。

    この歌の中に「馬肥」の二字が入っているから、昔の日本人が杜審言の詩の意味を取り違えて、「天高く馬肥ゆる秋」という慣用句を造語したのだというのが、いまの主流となっている説ですが、たまたまチャイナの古典漢詩に「馬肥」の二字があったからといって、そこまでこじつけるのは、かなり無理があると言わざるを得ません。

    むしろ、稔りの秋を寿ぐ習慣が、日本には古代からあり、秋の空は高いし、馬たちも食欲旺盛になるし、人間もそれと同じように、みんな食欲がモリモリとわいてくる。
    そのことについて、たまたま「馬肥」の二字が杜審言の漢詩にあったから、それも含めて日本流に楽しんだ、というのが実際のところであったろうと思います。

    こうしたこが起こるのは、我が国がチャイナ以上に深い文化を持っていたからで、ただ外国のものをありがたがったということではない、という点に注意が必要です。
    半島系の人は、すぐに「どちらが上か、どちらが下か」というように思考回路が働きますから、「天高く馬肥ゆる」も「父にあたるチャイナ様が発祥であり、それを我々半島人が兄として、オクレた日本に教えてやったのだ」といいたいのでしょが、まったくの間違いです。

    チャイナで生まれた老麺(ろうめん)が、日本で「ラーメン」として発展し、さらに美味しくなって世界に広がり、現代チャイナでも、日本式ラーメンが、とても美味しいと喜ばれる。
    あるいは、中国生まれの餃子が、日本でさらに美味しい食品となり、チャイナでも、その美味しさの秘宝をさらに工夫して、また新たな餃子が誕生する。

    カレーは、もともとインドの食品だけれど、いまや世界中で食され、英国風カレーもあれば、フランス風のカレーもあるし、我が日本のカレーライスもある。
    大切なことは、民衆のよろこびにあり、よろこびや、楽しさ、あるいはおいしさ、といったものが、様々な国のさまざまな人達によって、切磋琢磨し、工夫されることで、よりよいものへと発展していくことが大事なのです。

    自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作した蒸気自動車がその原型であったとされていますが、だからフランスが上だとか言い出したら、それこそ世界の物笑いです。
    フランスで生まれ、米国でこれがガソリンエンジン車へと発展し、フォードが量産型の自動車を出し、さらに世界中で工夫や改善が施されることで、いまや自動車は世界各国の主要産業です。
    もちろんいまでは、チャイナ産の自動車もあれば、コリア産の自動車もあります。
    それをフランスが、大本はフランスの蒸気自動車(当時は時速3キロでしか走行できなかった)なのだから、フランスが上だと米国が言い出したら、それこそ世界の物笑いです。
    「天高く馬肥ゆる」が「父にあたるチャイナ様が発祥云々」を言うのは、これと同じです。
    アホのたわごとにすぎない。

    似て異なるのが、チャイナやコリアの文化と日本文化です。
    両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉えようとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。

    そもそも文化に上下など、あろうはずがないのです。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。

    文化に上下など、あろうはずありません。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものだからです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その文化環境に違いがあって当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。あたりまえのことです。
    要するに文化は、必然なのであって、そこに上下はありません。

    ただし、環境が異なれば、そこで育まれる文化が異なるものになるのもまた当然です。
    それを無理やり一緒くたにしようとすれば、無理が生じます。
    そして無理は、必ず民衆を苦しめることになります。

    大陸では、国境は陸続きです。
    そうであれば、常に国は他国からの侵略に苦しめられることになります。
    国同士が仲良くしても、どこのどんな世界にも、どうしようもない悪者はいるものなのです。
    その悪者が国境を越えてくれば、そこで必ず悪さをする。
    人が殺されたり、大切なひとが奪われる。
    だから、国をあげて、国の守りをします。
    そうでなければ、人々が安全に安心して暮らすことができないからです。

    その国の守りには、費用がかかります。
    大勢を動員できる力も必要になります。
    だから国王をはじめとした、一部のリーダーが、富を独占します。
    そうでなければ、国も個人も守れないからです。

    けれど海に囲まれた国の海洋族は異なります。
    他国からの侵略からは、海が護ってくれます。
    時折悪者がやってきても、圧倒的多数の民衆によって、それら悪者は退治されます。
    それに、富は(富というのは貨幣が生まれる前は食べ物のことですが)海が提供してくれます。
    だから民衆は、いちいち国王の言うことなど聞く必要がないのです。
    自分たちで生活できるからです。
    それに、富を得るのには、人を殺して厄介事を起こすより、海でいくらでも得ることができます。
    だから、人を殺したり、奪ったりという文化が育たないし、奪われることから身を守るという文化も育ちません。
    その代わり、互いに助け合い、協力しあうという文化が育まれます。

    日本は、そうした海洋性文化の上に、稲作文化が発達しました。
    冷蔵庫がなかった時代に、米は唯一、長期保存が可能な食物です。
    だから稲作もまた、できた作物を奪うのではなく、みんなで協力して保存するという文化が育まれています。

    要するに文化の成り立ちが違うのです。
    そんな日本人だから、他国に行っても、奪うよりも、その国の人々の助けになるように動きます。
    大昔も、今もです。

    そんな日本が、いま、大陸的な「奪う文化」に侵されています。
    けれど、奪う文化は、日本の風土気候には馴染みません。
    なぜなら日本は、天然の災害が多発する国だからです。
    人からいくら奪っても、ひとたび災害がやってくれば、全部失うのです。
    結局は、日本人は、互いに協力しあって、日頃から災害に備える生活しかできないのです。
    そういう風土だからです。

    過去の歴史を振り返ると、外国からやってきた様々な文化は、長い歳月をかけて、ことごとく日本化していきました。
    排他的な宗教さえも、日本では民衆のためのものへと変化しています。
    資本家が、経営力のある者を使って金儲けをさせて、その上がりをいただくという西洋的企業概念は、日本にはもともとなかったものです。
    日本では、企業は働く人達のものであり、お客様に最高の便宜をお届けするものです。
    明治以降の法は、西洋の猿真似であるがゆえに、国は、企業を資本家のものとしました。
    いまの商法もそういう構造になっています。

    けれど、そのことが多くの日本人にとって幸せといえるかは、まったく別物です。
    そのことに現在、多くの日本人が気付き始めています。
    日本は必ず変わります。
    そしてそれは、必ず良い方向に変わります。
    変えるのは、私たち国民です。


    ※この記事は2014年9月の記事のリニューアルです。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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