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縄文時代の遺跡から出土する人骨は、外傷によって亡くなったと思われる人骨が、わずか1・3パーセントしか発見されません。これは世界の常識からしても、圧倒的に少ない割合です。 その少ない外傷も、明らかに矢が刺さったような傷を負った人骨は存在しません。 頭蓋骨に穴の空いた骨は発見されていますが、それさえも、もしかしたら、事故で転んで頭を打っただけかもしれません。 つまり、縄文時代において、戦いで死んだ人は、ほとんどいなかったと考えられるのです。
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画像出所=http://web1.kcn.jp/west_fields/kodai/2_jomon.htm
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
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『縄文文明』から、武器を持たない縄文人と、子どもの足型のついた土版から見えてくる愛の2節をご紹介したいと思います。
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『縄文文明』より▼武器を持たない縄文人欧州などでは、だいたい1万年前くらいを旧石器時代、1万年~3000年くらい前の時代を新石器時代などと呼びます。
ちなみに、旧石器時代というのは、人類が自然石をそのままの状態で使っていた時代であり、新石器時代は人類が自然石を加工して用いた時代のことをいいます。
日本の縄文時代というは、欧州や中国における旧石器時代後期から新石器時代にかけて栄えた、まったく日本独自の文化の時代です。
ひとくちに縄文時代といっても、年代的にはものすごく長い期間です。
・縄文時代草創期が今から2万年~9000年くらいの前。
・縄文時代早期が9000年~6000年くらい前。
・縄文前期から晩期が6000年~2000年くらい前の時代です。
縄文時代は、総年数1万8000年という、とてつもなく長い時代なのです。
では、縄文時代について現状の歴史の教科書で語られる通説を見ていきます。
まず、約1万年前に地球の氷河期が終わりを迎え、海面が上昇すると同時に大陸の一部が切り離され、それが現在の日本列島となった、と解説されています。さらに、温暖化になった日本列島で集団生活が始まり、それが縄文時代のはじまりである、という書き方をしているのです。
ですが、これまで語られてこなかった事実がすでに解明されていて、かつての通説では説明がつかないことも多く存在しています。
本書では、そうした事実にフォーカスしながら、本当の縄文の姿を追っていこうと思います。
縄文時代の遺跡は、全国で9万531カ所も発見されています。9万といえば、すごい数です。遺跡では「何が発掘されるのか」が注目されますが、「何が発掘されないか」も当時の文明を解明する手がかりになります。
世界の古代遺跡では必ず発見されるのに、わが国の縄文時代の遺跡からは発見されないものがあります。
そのひとつが「対人用の武器」です。人が人を殺すための武器が、縄文時代の遺跡からはまったく出土していません。
もちろん、矢尻や石オノ、石包丁のようなものは数多く発見されています。
ですが、オノの部分は小さく、長い柄がついており、こんなもので人をひっぱたいたら柄のほうが折れてしまって、戦闘ではまったく役に立ちません。
矢じりにしても、サイズはとても小さなものばかりで、ウサギやタヌキなど小動物を仕留めるための道具であったとしか推測できません。
もうひとつ、注目すべきことがあります。遺跡からは、縄文時代の人骨がたくさん発見されていますが、調査の結果、外傷によって亡くなったと思われる人骨は、わずか1・3パーセントだったということです。
これは世界の常識からしても、圧倒的に少ない割合です。
しかも、少ない外傷についても、明らかに矢が刺さったような外傷を負った人骨は存在しません。もしかしたら、事故で転んで頭を打っただけかもしれません。
縄文時代において、戦いで死んだ人は、ほとんどいなかったと考えられるのです。
もうひとつ申し上げると、今から1万6500年前の土器が、青森県の大平山元I遺跡で見つかっています。
これは、まぎれもなく「世界最古」の土器です。
1万年前といえば、ヨーロッパではまだ旧石器時代です。それよりも6500年も前に、日本では非常に高度に発達した文化が熟成されていたわけです。
その時代、すでに土器を作り、集落を営み、武器を持たずに人が人を助け合う文化を熟成させていたのです。
これはすごいことです。
少し話がそれますが、縄文土器は細工が細かく、表面に秀麗な装飾が施してあることは、みなさんご存知のとおりです。
このような丁寧な細工というのは、戦乱の世の中ではなかなか用いられません。
せっかく作っても、ひとたび戦いがはじまれば、あっという間に割られて壊されてしまうからです。
つまり、土器の特徴から見ても、縄文時代に戦いがあったとは考えにくいのです。
こうした事実から、1万4000年間という途方もない長い期間にわたって、我々の祖先は、「人が人を殺める」という文化を持っていなかったということがわかりました。
日本人が平和を愛するのは、この1万4000年間という途方もなく長い期間にわたって蓄積された、DNAのなせる業なのです。
この章では、こうした教科書では語られてこなかった、「縄文人はどんな文明を発展させ、どんな生き方をしていのか?」という点に迫っていこうと思います。
▼子どもの足型のついた土版から見えてくる愛日本人は縄文時代から平和を愛する温かい心を持っていた......。
私がそう確信しているのは、縄文時代の遺跡から対人用の武器が発見されなかったからだけではありません。
「発見されたもの」からも、縄文時代の日本人がどんな国民性だったのかをうかがい知ることができます。
縄文式土器というと、多くの人が壺や皿、土偶などを想像することでしょう。
しかし、それだけではありません。
少し変わったものとして北海道の函館市の垣ノ島A遺跡から、「子どもの足形のついた土版」も発見されています。
『足形付土版』といいますが、一体何のために作られたのかはよくわかっていません。
ただ、発見されたことは事実なので「そこから何を読み取るのか」が重要です。
当時の寿命に着目してみると足形付土版の目的がうっすら見えてきます。
縄文時代における平均寿命は大体、24〜25歳と非常に短いものでした。
子どもが無事に生まれて、無事に育っていくのがむずかしい時代だったことは、間違いないでしょう。
今では医療が発達し、子どもが死亡するケースはごくまれです。
けれどほんの100年くらい前まで、日本に限らず世界中どこでも、子どもというのは、よく亡くなるものだったのです。
厚生労働省の人口動態調査資料によると、100年前の新生児(生後4ヵ月以内)死亡率は7・8パーセントで、今の約40倍。
乳児(生後1年以内)のほうは15.6パーセントで、今の42倍です。
つまり100年前は、生まれてきた子どもの4人にひとりが、1年以内に死亡していたわけです。
子どもの死亡率が下がってくるのは、昭和に入ってからです。
私の亡くなった父は、男4人兄弟の長男でした。
けれど、大人になるまで育つことができたのは、父と末っ子の叔父だけです。
次男と三男は、やはり病気で子どもの頃に亡くなっています。
祖母(父の母)から、亡くなった2人の自慢話をよく聞かされたものです。
おそらく縄文時代も死産や早世が多かったことでしょう。
医療も発達していなかったので、なんとか生まれて来ても、幼いうちに亡くなってしまうことも、今とは比べようのないくらい多かったと思われます。
これだけは言えますが、時代が違っても産んだ子どもを失った悲しみや、亡くした我が子への思いは同じです。
だからこそ親たちは、亡くなった子どもの足形を粘土板に残し、大切な思い出としたのです。
それが私たちの祖先です。
悲しい別れに際し、
「ずっとおまえのことを忘れないよ」
「ずっとおまえは、お父さんお母さんと一緒にいるんだよ」
そんな思いを込めて、子どもの足形を粘土で採って、小さな家の中にずっと飾っておいたのかもしれません。
写真もない時代ですから、足型を残すくらいしか方法がなかったのでしょう。
そうして、子どもへの愛をずっと大切に保とうとしていた......。
足形付土版は、その証ではないかといわれています。
やはり日本人の祖先は、とても温かい心を持っていたのではないでしょうか。
私は縄文時代の文明に触れれば触れるほど、そんな確信を深めています。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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