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日本の天皇を、西欧など大陸の王や皇帝と同じものであるかのようにいう人がいます。 全然違います。 西欧など大陸の王や皇帝は、絶対的権威であり、絶対的権力者です。 ところが日本の天皇は、神代の昔から続く万世一系のお血筋であり国家の最高権威ですが、権力者ではありません。 権力者よりも上位の存在です。 天皇という存在があることによって、民衆と権力者は人として対等な存在となり、民衆は権力者からの自由を得ているのです。 そしてそのありがたさは、「なぜそうなのか」を誰もが知ることによって共有されなければならないことです。
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 中世の西洋には、各国に王様がいました。
その王のもとには貴族がいました。
その貴族の妻は、夫の私物です。
けれどその夫は王の私物です。
ですからどんなに美しい妻であっても、王が「よこせ」と言ったら献上しなければなりません。
これを美しく描けばシンデレラの物語になります。
シンデレラは、若くてかっこいい独身の王子様と、王子様を好きになった独身の美しい女性の物語ですから絵になります。
けれど現実には多くの場合、腹が出た中高年の妻子ある王であり、女性は愛する夫を持つ人妻だったりしたわけです。
夢と現実にはだいぶ差があります。
当事者たちにとって悲しく辛いケースもたくさんあったであろうことは想像に難くありません。
そして王による絶対的支配は、その下の貴族層にとっても、民間においても、社会構造としては同じ支配と被支配の関係をもたらします。
そして社会は、上から下まで、その社会の隅々までが、上下と支配の構造に染まります。
そしてその最下層には、人権さえも否定された奴隷がいます。
ちなみにこの奴隷について、日本には上古の昔から、奴婢、生口はいましたが、奴隷はいません。
大陸的な意味における奴隷というのは、単に人間が売買の対象となるというだけではありません。
奴隷はモノであって、人でとして認識されない存在です。
だいぶ以前になりますが、口蹄疫事件のときに、口蹄疫に罹患した牛が約30万頭、殺処分となりました。
30万頭です。
とんでもない数ですが、この殺処分を命じた官吏も、実施した官吏も殺牛罪には問われません。
殺人罪も傷害罪も強姦罪も、人に対して適用されるものであって、動物やモノに対しては適用されません。
つまり奴隷は、ただの動物やモノと同じ扱いだったということです。
これに対し、日本の奴婢や生口は、どこまでも人です。
まず奴婢から申しますと、奴婢は、
「奴(やっこ)」=男性、
「婢(ひ)」=はしため
です。つまり、下男、下女のことを言います。
下男、下女というのは、お屋敷等で住み込みで働く人達で、いまでいうなら会社の「社宅に住んでいる社員たち」です。
いまでも日本では、上級公務員はたいてい官舎に住みますが、これは見方を変えれば住み込みで働いているわけです。
その上級公務員たちが、奴隷だなどと思う人は、おそらく誰もいないと思います。
ちゃんと給料をもらって働いているのです。
奴婢も同じで、住み込みで働いていて、結婚もありました。
子が優秀なら、家主が費用を負担して高い教育を得させたりもしていましたし、子を養子に迎えるケースもありました。
屋敷の主が世襲なら、下男下女たちも、その多くは世襲でした。
なぜなら世襲であることで、信頼、信用が増すからです。
つまり、どうみても人としての処遇です。
ということは、奴隷と奴婢は、まるで異なるものです。
生口(せいこう)は『後漢書』に「107年(後漢永初元年)、倭国王・帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じた」という記録があります。
日本(当時は倭国)が、後漢の皇帝に160人の人を献上したのです。
これまた少し考えたらわかることですが、最高の存在を自称する一大権力者である後漢の皇帝に、日本が国家の威信を示すために人材を献上しているのです。
そのときに、果たしてホームレスのような穢い奴隷たちを献上したりするでしょうか。
日本語だけでなく、ちゃんと中国の言葉の読み書きができ、それぞれに技術を持った優秀な若者たちが160人献上されることで、はじめて国家としての威信が示されるし、そうでなければ当時の世界にあって最高権力者である中国皇帝への献上にはなりません。
生口は、生きる口と書きますが、要するにこれは生きた人ということです。
しかも口があります。
ということは後漢の皇帝は160人もの人を、これから生涯、食わせて行かなければならないのです。
それなら、食わせる以上に値打ちのある人達、つまり技術や教育のある人達でなければ、後漢の皇帝にしても、もらって迷惑です。
つまり生口は、生きている優秀な技術や知能を持った人たちであって、これを大陸的な意味での奴隷と同じと考えるほうが、常識としてどうかしています。
さて、その中国皇帝にせよ、西洋の王様にせよ、戴冠式を経て王や皇帝になります。
これは宗教的権威者が間に立って、神の名のもとに新しい王に、王権を授けます。授かった王や皇帝は、その瞬間から神の代理人となります。
神は直接口を利きませんが、王や皇帝は口を利くことができます。
つまり神の代理人となった王や皇帝は、その瞬間から、神そのものと同じ権力を行使できることになります。
神は人間よりもはるかに上位の存在です。
ですから人を支配し、人を殺しても罪になることはありません。
つまり王も皇帝も人々の生殺与奪の権を持ちます。
そしてその権力によって、領土領民を支配します。
ところが支配される側にとっては、これは王や皇帝の横暴を許す結果になります。
ですからこれに我慢できなくなった人たちが、王政を倒して市民革命を行いました。
これが十八世紀のフランス革命です。
この革命は、民衆の「王による私的支配からの自由を得るため」に行われたとされ、以後に生まれたのが民主主義です。
その民主主義は、いまや世界の中心的統治思想となっています。
その民主主義では、市民の代表を選挙によって選びます。
人望のある者が民衆の代表になるわけです。
しかし、たとえ選挙で選ばれたとしても、ひとたび民衆のリーダーとなり、神の承認を得れば、その瞬間から任期中のリーダーは、民衆の支配者となります。
中国も同じです。
中国には太古の昔から天帝思想があります。
天帝というのは天の神様です。
皇帝はその神様から地上世界の支配を命ぜられた人です。
この命令を天命といいます。
天命を得た中国皇帝は、天の神様と同じ権力を持って人々を支配するのですが、これが不都合になると、天命が革(あらた)まります。
これが「革命」です。
そして天命が違う姓の人物に易(か)わります。
これが「易姓」です。
この両方を合わせた言葉が「易姓革命」です。
易姓革命によって新たな地上の支配者となった皇帝は、天命によって地上世界を治めます。
ですから皇帝のいるところが地上の中心です。
だから中国といいます。
そこに華やかな文明があるから、別名が「中華」です。
日本の神々は、それがいけないというのです。
日本のことを古い言葉で「中つ国」と言いますが、この場合の「中つ国」は、世界の中心という意味ではありません。上に神々のおわす天上界としての高天原があり、地下に死者の国である黄泉の国があります。
その垂直方向に見た上中下の真ん中にある人間界が「中つ国」です。
そして中つ国における統治は、神々のおわす高天原と同じ統治であれ、というのが、天孫降臨の意味です。
高天原は神々の国です。
神々には、すべての神々に、木の神、森の神というように、それぞれの役割があります。
そしてその神々は、すべて創世の神々の宝であり、その創世の神々との窓口となっている天照大御神の宝です。
ですからそこに役割の分担はあっても、私有はありません。
当然、奴隷もいません。
全部神様だから当然です。
そして天照大御神は、中つ国への天孫降臨に際し、
「高木神の命をもって派遣を決めた」
と古事記に書かれています。
高木神というのは、二代目の天地の創生神である高御産巣日神(たかみむすひのかみ)のことです。
つまり天照大御神は、創生神である高御産巣日神と繋がり、創世の神とともに、創世の神の知恵を得て、天孫降臨を決めておいでになります。
まさに「知(シラス)」をそのままに実行されているわけです。
シラス統治と、ウシハク統治では、何がどのように違うのでしょうか。
このことを手の中のコップでご説明してみたいと思います。
コップを手にしている人は、そのコップは自分の手の中にありますから、それを水を飲むことに使おうが、捨てようが、投げて割ってしまおうが自由できる状態にあります。
そのコップが自分のものであれば、どうしようがそれこそ「勝手」です。
コップを割る(殺す)、売る(人身売買)、捨てる(棄民)、思いのままです。
これが上下の関係しかない社会の権力者と民衆の関係です。
権力者が民衆によって選ばれた者であっても、ひとたび権力を手にすれば(コップが手の中に入れば)、それこそ恣意のままに好き放題ができてしまう。
なにせ権力を持てば、神の名のもとに広島や長崎に原爆を落として何十万という命が失わせることも、決断ひとつなのです。
いかようにも処分できてしまいます。
これがウシハク、主人が佩く、私物化する統治です。
けれどそのコップが、いまいるレストランや喫茶店のコップであったらどうでしょう。
コップは自分のものではありません。
他人のものです。
そうであれば、たとえ手の中のコップであっても、勝手に持ち帰ったり、売ったり割ったり人にあげたりすることはできません。
最後はちゃんとお店に返さなければなりません。
同じ「手の中のコップ」であっても、それが「自分のコップ」であるのか、「他人のコップ」であるかによって、コップの置かれた処遇は百八十度違ったものになります。
これを制度として採り入れたのが、シラス統治です。
つまり制度としてシラス統治は、実は民衆が権力者のものではなく、お店のもの、つまり神々のものとして尊重され、大切にされる社会制度ということができます。
ここまでご説明すると、たいていの方が、
「そうは言っても西洋社会でも民衆は神の子、
神の宝とされているではないか」という声を頂戴します。
もちろんその通りです。
けれど一点、大きな違いがあります。
統治者である王は、その神の代理人なのです。
ですから地上においては神そのものと同じ権力の行使が可能となります。
つまり神の名において、ウシハク統治者となるのです。
現代の世界は、民主主義を標榜していますが、その実態はウシハク世界です。
民衆のリーダーに選ばれた者が、神の名において、民衆を私的に支配します。
民衆は、支配する側の人たちに、私的に使役され、収奪されます。
この結果、富が支配者側に偏ります。
西洋社会の資源は、主にアフリカから得られていますが、そのアフリカは、いまも貧困にあえいでいます。
一部の人たちの贅沢な暮らしのために、他の多くの民衆が収奪され、貧困のどん底に追いやられます。
そしてその一部の人たちも、究極的にはひとりのトップのために、収奪され、あらゆる富が、ひとりの人に集まるようになっています。
そしてそのひとりのために、多くの民衆は支配されています。
実は、ウシハクという統治システムは、今も昔も変わらず人類社会で行われ続けているといえます。
これに対して日本の統治は「シラス」です。
シラス統治では、天皇のもとに臣(大臣や閣僚などの政治権力者)も民も、等しく「おおみたから」です。
そして臣は、その天皇の「おおみたから」を預かる立場です。
自分の領土領民を私的に支配するのではなくて、天皇の「おおみたから」が安心して安全に豊かに暮らすことができるように、天皇に任命されて民へのサポートを行います。
このことは江戸時代も同じです。
江戸時代は徳川将軍の時代ですが、将軍は天皇から任命された役職です。
全国のお大名も同じです。
天皇から直接の場合と、将軍からの任命の場合がありますが、いずれも領土領民は、大名個人の私物ではありません。
どこまでも我が国最高権威である天皇からの預かり物です。
つまり天皇の大御宝を預かっているのです。
ですから天皇の大御宝である領土領民が、少しでも豊かに安心して安全に暮らせるように面倒をみていくことが大名の勤めです。
藩主のことを大名といいました。
大名とは「大名主」の略です。名主というのは、天皇の大御宝として登記された土地と、戸籍に記載された人の名代であり、天皇から、天皇の大切な大御宝を預かる人です。
このように申しましたら、以前、「そんなことはない。江戸時代、天皇などという言葉を知っている人など、世の中にいなかった」と言う人がいました。
そのような学説もあるようです。
ではお訊(たず)ねしたいのです。
「ひな祭りの内裏様って誰のことですか?」と。
「なぜ百人一首のカルタ遊びが江戸時代に普及していたのですか」と。
日本人は、大抵の人の苗字が、佐藤、高橋、田中というように、漢字二文字で構成されています。
また土地の名前も、讃岐(さぬき)、播磨(はりま)、相模(さがみ)のように、漢字二文字で構成されています。
これは大化の改新の際に、中大兄皇子(後の天智天皇)が、公地公民制を敷き、このとき土地台帳や戸籍簿に、土地の名前や名字を漢字二文字で表すようにとの御触れを出したことに由来します。
公地公民制は、まさに全国津々浦々の土地と民衆を天皇の大御宝として登記登録したという一大事業だったわけですが、その結果、全国の各家庭には、それぞれに苗字ができました。
これがのちに姓と呼ばれるようになり、だから苗字と名前のことを姓名といいます。
そして文武百官という言葉にあるように、百というのは「簡単に数えきれないほどたくさんの」という意味の言葉です。
ですから全国の庶民のことを百姓(ひゃくせい)といいます。
数えきれないくらいたくさんの姓という意味です。
その百姓たちが、幕府や大名から任命されたお代官に対して、
「木っ端役人ごとき何するものぞ。俺たちは天子様から姓をいただいた、栄えある百姓だ」といって、一揆を起こしたのが百姓一揆です。
一揆というのは、「全員一致」を意味する言葉で、たくさんの姓を持つ人たち(つまり奴隷ではありません。主体性をもった大御宝としての人々です)が、全員一致で、お代官に物申す、とやったのが百姓一揆です。
いまでも国会議事堂前に行きますと、毎日、なにがしかの団体がデモを行っていますが、あれが百姓一揆の現代版です。
胸に誇りがあったのです。
その意味で、百姓という言葉を、あたかも差別用語のようにいう人がいますが、そういう人たちはおそらく日本の歴史を知らず、王侯貴族に収奪されるばかりだった日本の周辺国で育ち、その国の歴史が、日本でも同じなのだろうと、妄想をたくましくしている人たちなのではないかと思います。
天皇のシラス国である日本と、天皇という存在のない周辺国では、その歴史の成り立ちが違うのです。
ちなみに、江戸時代初期、大軍の動員力を持てるほどの大金持ちだったはずの大名たちは、江戸時代の中期以降になると、どの藩もみんな借金まみれになっていました。
このことは有名な話なのでほとんど常識となっていることです。
各藩は年貢の取り立てをしていたし、つまり税収があったのに、どうして借金まみれになったのでしょうか。この答えも実は明快です。
日本は地震、台風、大水、干ばつ、津波などの自然災害の多い国です。
都市部ではこれに火災が加わります。
こうした災害が発生すると、諸藩の大名たちは、被災者の救援をし、また被災地の復興のために大金を遣いました。
なにせ民は、天子様(天皇)の大御宝であり、大切な預かりものなのです。
そして民が豊かに安心して安全に暮らせるようにすることが大名主である大名の使命です。
ですからお蔵米を放出して民の窮状を救い、被災地の復興のために大金を投じました。
そんな天然の災害が、何十年単位で日本全国で繰り返し起こるのです。
その都度、大金を遣っていれば、しまいにお金が失くなり借金まみれになるのも当然です。
けれど民たちは、自国のお殿様を信頼しました。
いざというときに頼りになるのは、自国のお殿様だったからです。
そのお殿様は、自分のことを「よ」と言いました。
「よは満足じゃ」の「よ」です。
漢字で書いたら余とか世、あるいは予などです。
これも近年では、一人称だといわれるようになりましたが、もともと殿様というのは、天子様の大切な大御宝をお預かりする立場です。
ですからどこまでも大御宝のための存在でありますから、幼い頃から「自分(私)というものを持ってはならない」と教えられました。
自分が贅沢をしたいとか、いい目をみたいとかという私心を持ってはならないのです。
それは欲心と言われ、もっとも蔑むべきこととされました。
ですから、たとえば美味しいものをたまたま食べることができたとき、それは自分が満足したという意味ではなくて、これほど美味しいものを食べれるなら、世の中の人々はきっと満足であろうという意味で、「世は満足じゃ」と言ったのです。
だからお殿様は、自分のことを三人称で「よ」と言いました。
武士の刀も同じです。
武士はお家のために忠義を尽くすのではなく、民につくすことによって、民が豊かに安心して安全に暮らせるようにすることが忠義でした。
それにより結果としてお殿様の徳を高めることになるとしても、一義的には民の幸せのために尽くすことが忠義の道です。
ですから腰に大小二本の刀を差しました。
大刀は、不条理があったときに、相手を斬るためです。
けれど人を斬ったら、その責任をとって小刀で自分の腹を斬ります。
武士は民に対して権限を持ちますが、権限を持つということは責任を持つということなのです。
その心構えが、大小二本の刀であったわけです。
武士の時代を例にあげましたが、こうした考え方は、日本の歴史に一貫している考え方です。民を神に通じる天子様(天皇)の大御宝とし、どこまでも民が豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことが官としての勤めであるという姿勢は、それ自体が「シラス」という用語で表現されていましたし、それはいわば「究極の民主主義」というべきものです。
19世紀以降の西洋生まれの民主主義が、選挙で代表を選びながら、選び終えた瞬間にリーダーをウシハク統治者にしてしまうのに対し、日本の統治は、どこまでも民を大御宝とする体制なのです。
このことが、日本の統治の根幹です。
国家は人の集合体ですから、そこにはおのずと得手不得手がありますし、社会的分業が生まれます。
そして大勢の人を統治していくためには、どうしても行政や司法や立法に際して、これを専門に行う権力者、つまり人の上に立つ者の存在が必要です。
ところがその「人の上に立つ者」が、領土領民を私的に私物として支配したら、民衆は私物のコップさながらに、命を奪われたり、財産を収奪されたり、たったひとりの権力者のために、何もかも犠牲にさせられてしまいます。コップの置かれた立場、それが民衆の立場です。
では民衆が、神と通じる天子様(天皇)の民であったのならどうでしょうか。
どこまでも大切に扱わなければない。自分勝手に処分してはならない。
それが当然のこととなります。日本が古い時代から築いたシラス統治が、まさにこの考え方によります。
日本は、はるか上古の昔に国家の最高権威と政治権力を立て分け、政治権力者は、国家の最高権威によって親任されるという形を生み出しました。
国家の最高権威は天皇です。
そして日本国家の領土領民のすべては、天皇の「たから」です。
だから「おおみたから」です。
そして権力者は、その天皇の「おおみたから」たちが、安全に安心して豊かに暮らしていけるようにするための存在とされたのです。
このことを民衆の側から見ると、むしろ積極的に天皇の権威のもとにあることによって、権力者からの自由を得ることになります。
天皇という存在があるから、民衆は権力者の私物にならずに済んでいるのです。
権力者が権威と権力の両方を持ち合わせていれば、それは選挙で選ばれようが世襲であろうが、権威と権力の両方を併せ持った時点で「ウシハク」統治者です。民衆を騙そうが、奪おうが思うがままです。
ところが民衆が最高権威のたからものであって、権力者は最高権威者から民衆を預かっているという立場となると、権力者は常に公正でなければならず、私心を持たずに民衆の安寧のために奉仕する役割となります。
これこそまさに「究極の民主主義」です。それがシラス統治です。
日本の天皇を、西欧など大陸の王や皇帝と同じものであるかのようにいう人がいます。
全然違います。
西欧など大陸の王や皇帝は、絶対的権威であり、絶対的権力者です。
ところが日本の天皇は、神代の昔から続く万世一系のお血筋であり国家の最高権威ですが、権力者ではありません。
権力者よりも上位の存在です。
そして天皇という存在があることによって、民衆と権力者は人として対等な存在となり、民衆は権力者からの自由を得ているのです。
そしてそのありがたさは、「なぜそうなのか」を誰もが知ることによって共有されなければならないことです。
だから「シラス」統治は、「知らす統治」でもあります。
それが上古の昔からの日本の原点です。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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