• 京杭大運河の失敗と遣隋使・遣唐使についての考察


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    隋や唐の周辺国にあたる国は数ありますが、隋や唐の失敗から、自国の統治スタイルを「民をこそおほみたからとする」というシラス統治にまで発展させることができた国は、日本だけです。
    そしてこの統治システムが素晴らしかったことは、日本がそのまま千年以上にわたって、ひとつの国家で有り続けているという事実が見事に証明しています。

    京杭大運河(けいこうだいうんが)
    20211117 京杭大運河
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%9D%AD%E5%A4%A7%E9%81%8B%E6%B2%B3
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    「京杭大運河(けいこうだいうんが)」は、北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河で、築いたのは隋の二代目皇帝の煬帝(ようだい)です。

    煬帝は、西暦604年に皇帝に即位し、大運河の建設は605年から着手しました。
    完成は610年です。
    つまり、7世紀のはじめです。

    煬帝は、この運河建設のために、女子供まで含む100万人の民衆を強制的に動員し、使役しました。
    短期間で、巨大な2500キロの大運河を掘ったのです。
    どれだけたいへんな労働を暴力で課したのか、想像できようというものです。

    こうした強制徴用と強制労働は、世界中に例がありますが、基本的な内容は変わりません。
    作業員には飯もろく与えず、昼夜を問わず、死ぬまで、ただ働かせました。
    労働者は、骨と皮ばかりになっても、尻に肉がついていれば、まだ強制的に働かされました。

    普通、こうした工事に必ず付随する、作業員たちのための飯場の手配や、炊事や洗濯、宿場の手配に食料の調達、トイレの整備といった、いわゆる人を使うにあたっての基本的な手当はまったく行われませんでした。
    作業員は、ただ働かされたし、ムチで打たれたし、それで死んだら、その屍体が生き残った作業員の食料になりました。

    隋の煬帝は、そもそもはこの運河を、産業振興と、迅速な軍の移動のために築くと言っていたのだそうです。
    ところが百万の民衆を強制労働させて、やっと運河が完成すると、煬帝は運河に遊覧船を浮かべて、派手な行楽を行いました。

    結果、煬帝は物見遊山のために民を動員して強制労働させたのだと誹(そし)られ、これが隋王朝打倒の大義名分となって、唐王朝が建国されることになりました。
    隋の煬帝は「運河」を造って、「運」を失くしたわけです。

    さらに、京杭大運河(けいこうだいうんが)は、なるほど7世紀における土木の巨大工事ですが、工事そのものに技術要素が、ほとんどありません。
    単に地面に大きな溝を掘って、そこに水を流したというだけのものでした。
    要するに、技術が必要な土手や堤防、あるいは健康的な労務管理などが、まったく行われていないのです。

    よく「日本は遣隋使を派遣して、隋の高い文明文化を学ぼうとした」と仰られる方がおいでになります。
    そうした論は、一部正解、一分不正解です。

    まず、何事も100%ということは、なかなかあるものではありません。
    遣隋使や遣唐使は、もちろん学びのための派遣であったのですが、それは「隋や唐が高度な文明を持ち、日本が遅れた国であったから」ではありません。

    隋も唐も、中華を統一した強大な軍事国家です。
    そしてその魔の手は、周辺国に及んでいました。
    つまり、周辺国は隋や唐のターゲットとされていました。
    そしてチャイナ外交は、いつの時代も遠交近攻です。
    隣国を攻め滅ぼすために、その向こうにある国と手を結ぶ。

    その意味で、日本は「ひとつ向こうの国」ですから、隋や唐にとっては味方に付けたい国であったわけで、そういう状況のうちに、隋や唐の様子や仕組み、軍事力の規模、社会体制など、様々な点を、日本はしっかりと調査しておく必要があった・・・・と、これが遣唐使、遣隋使派遣の第一の目的です。

    他に、仏教や儒教、六韜【りくとう】などの様々な教えや、舞踊などを学ぶという目的もありましたが、それらは国家が行う遣隋使や遣唐使に付随的に行われたもので、もちろん乗組員はそれ自体を目的にする人もありましたが、遣隋使や遣唐使の派遣の目的自体がそこにあったわけではありません。

    そもそもこの時代、我が国は全国の国(出雲の国や伯耆国、山科の国等々)ごとに、それぞれ地域の豪族たちがいました。
    その意味で、当時の我が国は、全国の豪族たちのゆるやかな集合体であり、それらが中央の大和朝廷と縁戚となったり、災害支援といった事柄によって結ばれていたというのが実態です。

    この全国の地域ごとにある豪族の呼び方を、豪族ではなく「王」と呼ぶと、それぞれ出雲王朝、関東王朝、伯耆王朝、越後王朝、関東王朝、奥羽王朝、熊襲王朝などといった呼び方になります。
    つまり言ってみれば、当時の我が国は、全国の国ごとに存在した王国のゆるやかな集合体であったわけです。

    現在では、王国という呼び方をせず、豪族という呼び方をしていますが、これは後に中央の大和朝廷によって日本が統一国家になったことによって、そのようになったということであって、日本が始めから統一国家であったというわけではありません。
    このことは西洋においても、当初の国はギリシャのポリスと呼ばれる都市国家からはじまった歴史を持つのと同じことです。

    ただ、ギリシャと我が国の違いは、我が国は万年の単位の古く長い歴史を持ち、このため全国の豪族たちが、すべて一様に親戚関係にあったこと。
    このことは、現在のヨーロッパ各国の王朝が、すべて親戚関係にあるのと、実は同じ仕組みといえます。

    ところがチャイナに強大な軍事帝国ができあがると、我が国も国防上、全国を統一した統一国家にしていかなければ、国を護ることができません。
    そのためには、中華統一を実現した隋や唐に、その国の制度や仕組みを学ぶことが一番、手っ取り早いと考えられたのは、これはきわめて自然な流れであったということができます。

    その意味で日本が、学びのために遣隋使、遣唐使を派遣したという言い方は、あながち間違いではないのですが、ただし日本は、チャイナのシステムをただ模倣したわけではないところに、日本の独自性があります。

    とりわけおおきなきっかけになったのが、この京杭大運河と隋の滅亡で、皇帝と呼ばれる国家最高権力者を国の頂点にした場合、その皇帝の権力を抑えることが誰にもできなくなってしまうこと。
    権力が暴走したとき、誰もその暴走を押さえられず、このことが結果として国を滅ぼす原因となってしまうことを、我が国は、目の当たりに学んでいるわけです。

    そこで隋や唐の制度を日本に取り入れて、日本を統一国家にするにあたって考案されたのが、国家最高の存在である天皇から、政治権力を取り上げる、という方法でした。
    天皇は、国家最高権威であり、国家権力の行使は、その下にある大臣がこれを担う。
    そうすることで、大臣の所業に間違いがあったときには、その責任を大臣自身にちゃんと追求できるようにすることができる。
    また、国家最高権威である天皇によって、国民を「おほみたから」とすることで、国家権力は自然と国民に奉仕するという役割になる。

    こうしたことが、隋の滅亡と、唐の皇帝の横暴などを横目に見ながら、日本はしっかりと学び、日本独自のシラス統治を完成させていくわけです。

    隋や唐の周辺国にあたる国は数ありますが、隋や唐の失敗から、自国の統治スタイルを「民をこそおほみたからとする」というシラス統治にまで発展させることができた国は、日本だけです。
    そしてこの統治システムが素晴らしかったことは、日本がそのまま千年以上にわたって、ひとつの国家で有り続けているという事実が見事に証明しています。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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