• 縄文時代と漆の木


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    漆器は、なぜかChinaのものが古く、日本はそれを輸入したという説ばかりが、妙に垂れ流されています。稲作と同じです。現実に遺跡の年代測定をしてみれば、明らかに日本の水稲栽培の方が古いのに、なぜかいまだにそのことはあまり公にされません。

    20181104 鳥浜貝塚の漆の木
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    上にあるのは、福井県若狭町の鳥浜貝塚から昭和59(1984)年に出土していた漆の木の枝です。
    2011年10月13日、この枝が約1万2600年前のものであることが、東北大の鈴木三男教授(植物学)ら研究グループの調査で分かりました。
    1万2600年前といえば、縄文時代草創期です。

    縄文時代というのは、いまからおよそ1万7千年前から3前年前までの1万4千年という、途方もなく長い歳月の時代です。
    あまりにも長いので、縄文時代内に時代区分があって、それは次の6つの時代に分けられています。
    1 草創期  約1万5,000 - 1万2,000年前
    2 早期 約1万2,000 - 7,000年前
    3 前期 約7,000 - 5,500年前
    4 中期 約5,500 - 4,500年前
    5 後期 約4,500 - 3,300年前
    6 晩期 約3,300 - 2,800年前

    もうすこし詳しく述べると、人が道具として自然石を使っていたのが旧石器時代。
    石を割ったり削ったりして加工して道具に使っていたのが新石器時代。
    日本ではこの新石器時代は、およそ三万年前からスタートしています。
    世界史的には新石器時代の次が青銅器時代、鉄器時代と続き、ここまでをまとめて先史時代といいます。

    要するに世界的には先史時代に縄文時代という分類はないのですが、ところが日本では、その先史時代にきわめて造形的な土器が出土するわけです。
    そこで世界史の中にある新石器時代の中に、もうひとつの時代区分として縄文時代を置いています。

    縄文時代とか弥生時代といった時代区分を提唱したのは、明治に来日した米国の動物学者のエドワード・S・モース(Edward S. Morse 1838年 - 1925年)で、1877年(明治10年)に大森貝塚から発掘した土器に「Cord Marked Pottery」 と命名して報告したことが由来です。
    「Cord Marked Pottery」は、直訳したら「何らかのコードがマークされた陶器」ですが、同時代の植物学者であった矢田部良吉博士がこれを「索紋土器」(さくもんどき)と訳し、後に同じく植物学者の白井光太郎博士が「縄紋土器」と名を改め、これがまわりまわって「縄文土器」と表記されるようになったものです。

    けれども縄文時代という時代区分は、戦前には使われていませんでした。
    明治時代から終戦にかけての旧学制は皇国史観で、先史時代の日本は神々の時代ですから、縄文式土器とか弥生式土器という言葉はありましたが、それが時代区分として用いられることはなかったのです。

    ところが終戦を迎え、GHQによる占領統治が終わって日本が主権を回復したとき、日本はそれまでGHQによって禁止されていた歴史教育を復活させるのですが、プレスコードがあって学校教育の中で公然と国史の教育ができない。
    国史も、ですから社会科という社会科学(政治学、毛英英学、法学、経済学、社会思想学、歴史学、地理学、言語学等々)を扱う分野のなかのひとつとして、世界史を学び、そのなかで日本史をも学ぶという形のものに置き換えられました。
    ですから日本史は、あくまで世界史の中のひとつであり、それは英国史、米国史、中国史、韓国史などと同等の扱いとしてのみ、教育することが許されたわけです。

    本来、国史というのは、それぞれの国の子供達が、自国に愛情を持ち、国民としてのアイデンディディを育成するとともに、過去の歴史の一当事者となって思考し考えることによって、現代を生き抜き、未来を拓くための知性を磨くための教育分野です。
    けれど、その国史教育が否定されているわけですから、復活するに際しては、あくまでも世界の諸国の歴史を学ぶのと同等の、いつ誰によって何があったかといった事実だけを単に詰め込む教育という形で、ようやく歴史教育が復活したわけです。
    そしてそのために名称も、社会科の中のひとつの分野の日本史と変更されました。

    ここで困ったのが、教科書に我が国の先史時代をどのように記述するかです。
    そこで神話の時代、神々の時代を、あらためて考古学的な見地に立った時代区分が求められるようになりました。
    こうして、明治時代の初頭に名付けられた縄文式土器、弥生式土器の名称が復活し、それぞれ縄文時代、弥生時代と命名されるに至ったわけです。

    要するに優秀な日本人を育てないための方法として、この縄文、弥生の用語が新たに時代区分として復活したわけです。
    ここでおもしろいことが起こりました。
    もともと皇国史観では、紀元前660年の神武天皇による建国以前の時代は、神々の時代としての認識です。
    従って祖代(古代よりも前の時代)は神々の時代ですから、その時代を人々の営みという形で捉えることはタブー視されていたのです。
    ところが戦後にそのタブーが取り払われて、祖代に土器の時代があったとされたことで、古い時代の遺跡からの考古学上の発見に俄然、熱が入るようになったのです。

    このため戦後には、次々と新しい発見が相次ぐようになりました。
    そして戦前まではせいぜいさかのぼっても4〜5千年くらいだろうとされていた日本列島での人々の営みが、なんと12万年前までさかのぼることが証明され、また縄文式土器の時代も、青森県の大平山元1遺跡の発見によって1万6500年前にさかのぼることが確認され、さらに漆もトップの鳥浜貝塚の発見によって1万2600年前にさかのぼることがわかるようになったのです。

    なんでもかんでも戦前が良くて、戦後は悪いという思想に共鳴できないのは、こうしたこともひとつの理由です。
    ひとつの思想に凝り固まると、とかく「ゆがみ(歪み)」が生じやすいものです。
    だから「学問は常に自由であるべき」と思うのです。
    そして学問というものは、その根幹に常に合理性、必然性、論理性を持つものです。
    どこぞの国の歴史観のようなファンタジーにはその3つがありません。
    ないということは、その史観は学問ではないということです。
    学問ではないからファンタジーなのです。

    戦後の日本は、東京裁判史観と共産主義史観によって思想的政治的に歴史認識に歪が生じ、戦後に近隣諸国条項によって、China史観やKorea史観によってあらためて大きな学問のゆがみを生じさせました。
    しかし、では明治から終戦までの日本の史観がすべて正しいのかというと、正しい正しくないよりも、冷静な学問的追求に政治的思想的に制限が生じていたという問題をはらんでいたといえます。
    では、江戸時代の学問はすべて自由であったのかというと、これまた幕藩体制の縛りがあり、たとえば蘭方医(いまの西洋医学)は、外科にしか活用してはいけないなどといった制限があったわけです。

    秩序維持に制限や制約は必要なことです。
    ですからそうした政治的思想的な制限や制約は、いつの時代にもあることです。
    天動説地動説の争いなどもその一例です。

    そういう意味で、過去がすべて良くて、いまがすべて良くないという思考にも問題があるし、逆にいまが一番良くて、過去はすべてよくないというのも、単に政治的思想的見解にすぎません。
    現在というのは、私達にとって現実です。
    その現実を少しでも良い方向に向かわせるために、過去の良いところから学び、現代の問題点を見つめ、現代の良いところと過去の良いところを組み合わせて、一歩でも二歩でも、良い未来を築いていく。
    そのためにあるのが学問なのだと思います。
    秩序のために、学問に思想的政治的制約を課すことは必要なことですが、過度にそれを行うことは人々の営む社会の未来を奪うことになりかねないのです。

    冒頭の漆の木片も、そうした経緯から発見され、研究されるようになったものです。
    長さ約20cmくらいの木の枝ですが、森林総合研究所(茨城県つくば市)での顕微鏡検査で2005年に漆と突き止められました。
    2011年には、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(通称:暦博)で放射性炭素による分析が行われ、それが1万2600年前のものであることが判明しています。

    実はこれはたいへんなことです。
    単に日本に漆の木が自生していたことがわかったというだけの話ではないからです。
    漆は、木を植えただけでは育ってくれないのです。
    下草を刈って、毎年毎年手入れをして、樹液の採取ができるようになるには、まる10年かかる木なのです。
    ですから漆の木が出土したということは、いまから1万2600年前に、そこに人々が定住し、集落を営んでいたというだけでなく、目的をもって長い歳月をかけて漆を栽培していたということになるのです。

    考古学者の中には、そのころの日本人(縄文人)は、まだ定住性がないから、漆は「栽培」したのではなく、「自生」していたにすぎない、と反対する人もいます。
    こういう学者は、あくまで漆はChinaから渡来したものと言いたいらしいのですが、検査の結果わかったことは、この漆の木片は、日本固有種であって渡来ものではない、ということです。

    さらにいうと、いまから9000年前の漆塗りの製品として、北海道函館市の垣ノ島B遺跡から、漆塗りの副葬品が発見されています。

    漆は長いことChinaから日本に渡来してきたものだと言われてきました。
    Chinaの浙江省、河姆渡(かぼと)遺跡で発見された漆の椀は、いまから約7000年前のものと判明してます。
    同省の跨湖橋(ここきょう)遺跡で発見された漆塗りの木弓は、約8000年前のものとされています。
    けれど、なにせ白髭三千丈の国です。

    そもそも河姆渡(かぼと)遺跡というのは、いまから7000年から6500年前の遺跡で、漆椀の7000年前は納得できるとしても、漆塗りの木弓だけが8000年前のものだというのは、どうにも時点があいません。
    しかも年代測定の詳細が公表されていない。
    さらにいうと、Chinaの漆は、黒漆です。
    日本の漆は赤漆です。
    色がぜんぜん違う。

    その黒漆が、いつ頃日本にもたらされたのかには諸説あるようです。
    具体的な証拠としては、北海道の函館市の垣ノ島A遺跡で出土した注口土器があります。
    これは、いまから3200年ほど前のものですが、なんと黒漆を下塗りして、上から赤漆を塗って味わいを出しています。
    たいへんに美しい。

    注口土器
    注口土器


    ちなみいこの遺跡からは、「足形付き土器」というものも出土しています。
    これは亡くなった子供の足形を粘度版に型どったもので、多数のものが見つかっています。

    足形付き土器
    足形付き土器


    いまでは医療が発達し、子供が死ぬケースはごくまれになりました。
    けれどほんの100年くらい前まで、日本に限らず世界中どこでも、子供というのは、よく死ぬものだったのです。

    幕末に有名な大老、井伊直弼は、井伊家の14男です。
    14男が井伊家の跡継ぎとなったということは、長男から13番目の兄貴までが、みんな亡くなってしまったということです。
    昔は、それだけ子供が生き延びてオトナになるのは、たいへんなことだったのです。

    けれど産んだ親にしてみれば、亡くなった子も我が子です。
    年老いても、幾つになっても、絶対に忘れることはありません。
    ウチの死んだオヤジは、長男ですが、男4人兄弟です。
    けれど、オトナになるまで育つことができたのは、長男坊のオヤジと、末っ子の叔父貴だけでした。
    次男と三男は、やはり病気で子供の頃に亡くなりました。
    死んだ婆さん(オヤジの母)に、まだ子供だった頃のボクは、亡くなった二人の自慢話をよく聞かされたものです。

    昭和の時代でさえそうだったのです。
    ましていまから何千年も前の時代であればなおさらです。
    だからこそ親たちは、亡くなった子供の足形を粘度板にとって、大事に大事にしたのです。
    それが私たちの祖先の姿です。

    人は、おおむね25年で一世代が交代します。
    これは今も昔も変りがない。
    爺さんから、オヤジ、自分、そして子が大きくなって現役のオトナとなるまでが4代100年です。

    古事記が書かれてから、来年で1300年になります。
    ということは、古事記が書かれてから、まだたったの50世代です。
    今上陛下は125代。
    そして1万4000年続いた縄文時代は、560世代です。

    だいたい国民の特徴は、400年で外観や気質が固定すると言われています。
    日本文化は、世界の良心の「最後の砦」だと言った人がいました。
    日本がアメリカや、特アの国々に翻弄され続けているのは、戦後の日本人が、日本人としての価値観や国家観、誇りを失っているからだといわれています。

    いまこそ、私たち日本人は、世界最古の和の文明を開花させた誇りある民族であることの誇りと自覚を取り戻すべきときです。
    そして日本が、再び太陽を登らせるとき、世界は本当に目覚めることができるのではないか。
    そんな気がします。

    もうひとつ。
    垣ノ島B遺跡から出土した漆器は、なんといまから9000年前のものでした。
    ところが非常に偶然、この遺跡は2002年12月28日の深夜に火災にあっています。
    そして8万点にも及ぶ出土文化財や、写真や図面がまる焼になりました。

    幸い、関係者の必死の努力で、漆塗りの製品の形の認識や繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れたのですが、Chinaよりも古い漆器が出土したことが確認された途端、その遺跡が不審火によって火事に遭っているというのは、なんとも不思議な話です。

    そして漆器は、なぜかChinaのものが古く、日本はそれを輸入したという説ばかりが、妙に垂れ流されています。
    稲作と同じです。
    現実に遺跡の年代測定をしてみれば、明らかに日本の水稲栽培の方が古いのに、なぜかいまだにそのことはあまり公にされません。

    それどころが世界最古といって良い、日本の縄文時代の遺跡群は、学会において決して「縄文文明」とは呼ばれることはありません。
    ところがChinaの長江流域の河姆渡遺跡などは、「長江文明」と、なぜか「文明」として発表されています。
    そういう点もまた、なにやらキナ臭いところです。
    逆に言えば、日本人が日本文明の文化意識、国家意識に目覚め、日本人としての普遍的な歴史認識を取り戻すことが、いかに彼ら特アの工作員さんたちにとって、脅威であるかということです。

    いくらガリレオを否定しても、天動説が正しかったように、日本をいくら否定し、日本人からいくら歴史観を奪っても、ひとたび東日本大震災のような大事が起これば、実に整然とした日本人の美質が、自然と発揮されてしまう。
    これはもう、縄文時代から培われた、日本人のDNAのなせる業としか言いようがありません。
    あとは、日本が、しっかりとした歴史認識を取り戻すこと。

    日本人が、日本人としての誇りを取り戻すことは、世界の良心を目覚めさせることだと思います。


    ※この記事は2011年11月の記事のリニューアルです。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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