• 外国かぶれ


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    たいせつなのは「古くて新しいもの」です。
    古いものから学び、そこから大切な事柄を導き出し、その上で現代にある各種問題とのギャップを埋めていく。
    あるいは、古きを学び、新しい(それが西洋風の学問ならその学問)を学び、両者を融合させて、より良い「いま」を築いていく。
    実は、そこからしか、新しい時代は生まれません。

    20230118 バンカラ
    画像出所=https://grapee.jp/248010
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    「かぶれ」というのは、接触皮膚炎のことです。
    接触した部分の皮膚に、激しいかゆみ、赤み、水ぶくれ、腫れなどの症状が現れます。
    悪化すると症状の範囲が広がり、周りの肌にまで影響を及ぼします。
    治療はとても時間がかかり、だいたい「接触してから治療を開始するまでの期間」と、「治療を開始してから完治するまでの期間」が同じだと言われています。
    そのうえ治療後に色素沈着などの痕(あと)が残ります。

    そんな皮膚疾患の「かぶれ」と似たものに、「外国かぶれ」があります。
    外国の文化などに接触することで、なんでもかんでも外国のものが素晴らしいと思い込み、悪化すると、それにのめりこみ、周囲にまで影響を及ぼします。
    これまた治療にたいへんな時間がかかります。
    完治後も影響が残ったりします。

    疾病の「かぶれ」も、「外国かぶれ」も、人に害をなすものです。
    明治以降西洋かぶれが流行し、戦後はアメリカかぶれ、近年では中凶かぶれが流行っています。

    明治の西洋かぶれの一例に「バンカラ」というものがあります。
    かなり強い疾病となったものです。
    これは「南蛮カラー」の略で、南蛮とは、この場合西洋のこと。
    なにごとも西洋風が素晴らしく、日本式のものは「古い」の一語で片付けられました。
    帝大や早稲田大学などを中心に、猛威をふるった「かぶれ」ですが、もとをたどると、どうやら江戸時代の蘭学塾にその原型を見出すことができるようです。

    江戸の昔は、師匠の家に住み込んで教えを請うたのですが、あまりに勉強熱心なあまり、風呂も入らず着替えもせず、全身シラミだらけで、体をポリポリ掻きながら勉強をする。
    これは、他の儒学塾や国学塾にはあまり見られなかった傾向で、それでも江戸時代にはどこまでも師匠には従うという気風がありました。

    それが明治以降になりますと、師匠が教師となり、教師に対する尊敬など不要だとばかり、教師に暴力を振るうような若者まで現れ、それが「南蛮カラーだ」、「バンカラ」だということになっていきました。
    江戸時代までの古くからの日本の文化を全否定し、まったく新たな西洋風の流儀に自ら染まっていこうとする気風であったのです。

    その何が問題なのかというと、物事というのは、実は「新しくて新しいものは破壊しか生まない」のです。

    物事には3つの展開があります。
    1 新しくて新しいもの
    2 古くて古いもの
    3 古くて新しいもの
    この3つです。

    これまでの一切合財を否定して、新しいものに飛びついて新しい時代を啓こうとしても、実は、そこにあるのは破壊だけです。これが1です。

    一方、古いものばかりをありがたがり、古い時代にただ戻そうとしても、古い時代と現代とでは社会環境等がまったく異なるのですから、それがうまくいくことはありません。
    早い話、いくら平安中期の政治体制が良いものであったとしても、その時代の統治手法をそのまま現代に再現しようとしても無理があります。
    同様に、戦前戦中にいくら素晴らしいものがあったとしても、現代の一切合財を否定して戦前戦中の体制に戻そうとしても、それがうまくいくことはないし、むしろ大多数の世間を敵に回して、少数の参道者の中である種の宗教団体のような形になる程度しか影響力を及ぼすことができません。

    要するに、実はたいせつなのは3の「古くて新しいもの」です。
    古いものから学び、そこから大切な事柄を導き出し、その上で現代にある各種問題とのギャップを埋めていく。
    あるいは、古きを学び、新しい(それが西洋風の学問ならその学問)を学び、両者を融合させて、より良い「いま」を築いていく。
    実は、そこからしか、新しい時代は生まれないのです。

    このように申し上げると、古いものを否定して、新しい思想のもとに革命が起きた事実があるではないか、といった指摘を受けそうです。
    フランス革命がまさにそれで、古い王権政治の一切合財を否定して、自由・博愛・平等の言葉のもとに、偉大な革命がなされたのだと学校では教えます。
    けれど、フランス革命の実態は、マリー・アントワネットの贅沢でも、パリ市民の怒りでもなく、実は、英国領であった米国の独立戦争をフランスが支援し、このためにたいへんな財力と兵力をフランス王室が消耗し、結果、米国は独立はしたけれど、このことが悔しくて仕方のなかった英国が、パリ市民に資金と武器を渡してフランス王室を倒したという、これは工作活動によるものです。

    その結果何が起こったのかといえば、当時のパリ市民の人口が55万人。
    そして断頭台に消えた命が65万人です。
    つまり、パリの市民がそっくり入れ替わるほどの血が流されることになったのです。

    現代日本の状況が理想的な状況にあると思う人は、おそらく誰もいないものと思います。
    国民の誰もが、現状に対して、このままではダメだという気持ちを持っています。
    けれど、だからといって外圧や、美人局に屈して、日本を中凶の一部や属国にするのなら、そこには猛烈な流血が起こるであろうことは、誰しも容易にわかることであろうと思います。
    そういうことでは、良い国を築くことはできないのです。

    いまどこぞの政党の街宣活動に、非常識極まりない邪魔をしている政党がありますが、そこに流血騒動が起きないのは、邪魔されている側が、しっかりとした自己自制を行っているからです。

    なぜ「古くて新しいもの」からしか新しい時代を築くことができないのかといえば、古いものは、すでに確定しているからです。
    良きも悪きも、過去は確定しています。
    その過去に学び、そこから新しいものを築いていく。
    そうすることで、はじめて、現状がより良い方向に改善されていくのです。

    そもそもどんなに素晴らしい兵法であったとしても、自分の国の国情や民意に沿ったものでなければ、実際には使えないものです。
    経営も同じです。
    単に外国かぶれしただけの猿真似理論では、実際の経営には何の役にも立ちません。
    このことは、戦後に導入された様々な経営学が、これを証明しています。

    優秀な大学を出たエリートが、外国の経営学を学び、それが素晴らしいと履き違えて、そのまま日本や自社に導入しようとして失敗したケースは、枚挙にいとまがないほどです。

    たとえば某大手有名企業は、完全日本型経営によって、親父さんひとりで、町の小さな家具屋さんから、一部上場の大企業に発展させた会社でした。
    お金持ちになった親父さんは、かわいい我が子を米国に留学させ、米国式の経営哲学をガッチリと学ばせました。
    そしてその子を、会社のトップに据えました。
    ところがその結果がどうなったかは、皆様御存知の通りです。

    その子の資質の問題ではないのです。
    根本のところで、「外国かぶれ」という病に感染してしまっていたのです。
    米国式経営は、米国の歴史伝統文化の中で、米国人的思考回路に基づく米国民にとって都合が良いように発展してきたものです。
    我が国とは、国の成り立ちも、民衆の思考回路も異なるのです。

    これはアメリカンフットボールのルールと選手強化法で、柔道を学ばせるようなものです。
    柔道の試合で、もしかするとタックルは有効かもしれませんが、柔道の原則に反します。
    なぜなら柔道は、相手を投げたり倒したりする際に、相手に怪我をさせないように、相手の頭部を保護するように投げるし、身体も怪我がないように、ちゃんと受け身を身につけるのです。
    アメリカンフットボールは好きなスポーツですが、アメリカンフットボールのルールや練習に、そんな頭部保護や受け身はありません。
    その頭部保護や受け身の代わりに、防具を付けて行うのがアメリカンフットボールです。

    要するに、アメリカンフットボールが素晴らしいからといって、日本の柔道や剣道に、そのルールを適用しようとしても、うまく行かなくて当然なのです。
    強引に適用したとしても、それは付け焼き刃にしかなりません。

    近年、夫婦別姓などといった議論が盛んですが、単にアメリカやフランスやドイツ、イギリスがそうだから、日本も、という、きわめてくだらない議論です。
    我が国の歴史伝統文化、そしてこれからの未来の日本の庶民を、どのような人々にしていこうとするのか、そういった根本概念がなくて、ただ、表面的な猿真似をしようとする。
    それはただの「かぶれ」であって、良い結果を生むことはないし、必ず後に禍根を残すことになります。

    昌平黌(しょうへいこう)といえば、江戸時代の東大の前身校ですが、その昌平黌で幕末頃に塾長を勤めたのが佐藤一斎(さとういっさい)です。
    この佐藤一斎が、後半生の四十余年にわたり記した随想録に「言志四録(げんししろく)」という書があります。
    幕末頃に指導者のための指針書とされた本で、西郷隆盛の終生の愛読書にもなった本であり、また2001年(平成13年)5月に時の総理であった小泉純一郎氏が、衆議院「教育関連法案」審議中に、言志四録からの言葉を引用したことでも有名になりました。

    このとき引用された言葉が次のものです。

     少くして學べば、則ち壮にして為すことあり
     壮にして學べば、則ち老いて衰えず
     老いて學べば、則ち死して朽ちず

    そのまま現代語に訳すと、
     青少年が學べば、壮年になって為すことが見えてくる
     壮年が學べば、老年になって気力が衰えなくなる
     老年が學べば、死んでもその魂が生きる。

    このようになるのですが、ここに「學ぶ」という字が出てきます。
    このブログで再三述べているように、「學」という字の現代人の語感と、当時の語感は異なります。
    「學」という字は、当用漢字では「学」と書きますが、実は「學」と「学」では、まなぶ主体が逆転してしまうのです。

    過去記事の繰り返しになりますが、旧字の「學」は、複数の大人たちがひとりの子供を一人前にするために引き上げることの象形文字です。
    つまり教える側の大人たちが主体であって、教わる子供達は客体になります。
    別な言い方をするなら、大人たちが能動的に働きかける側で、子供はそれを受ける受動体です。

    ところが戦後教育では「学」と教えます。
    「學」が「学」になると、子供がまなぶところ、という意味になります。
    あくまで子供が主体ですから、教える側は、これを受けるだけです。
    従って、教わる子供が主体、教える大人が客体です。
    別な言い方なら、子供が能動的に学ぶのであって、大人たちはその子供達の意向を受け入れる受動体になります。

    つまり「學」と「学」では主客転倒してしまうのです。
    ですから「学」なら、いくら大人たちが子供に勉強させたくても、子供にその気がなければ、その時点で学校教育は成り立ちません。
    このことは、そのまま現代敎育が抱える問題点となっています。

    こうしたことを、しっかりと踏まえて歴史を見ないと、履き違えが起こります。
    これは、「現代かぶれ」とでも言えるものかもしれません。
    すべてを現代の価値観で捉えようとすると、必ず解釈を間違えます。

    ここに述べられているのは、本当は、次のような意味なのです。
    あくまで教える側が主体です。

     青少年時代を大人たちがしっかりと鍛え上げれば、
     その青少年たちは、
     壮年に達したときに
     為すべきことをしっかりと為すことができるようになる。

     壮年を老壮たちがしっかりと鍛え上げれば、
     その壮年は老いても尚衰えることはない。

    そして、老境に至った者を學ばせるのは、すなわち神々ですから、
     老境に至った者を神々がしっかり鍛え上げれば、
     その老人の魂は、死んでも朽ちることがない。

    と、このような意味になるわけです。
    もっといえば、老境に至れば、神々の御威光御意志をしっかりと受け止めていく努力をすることが大切だというのです。

    ここでいう神々というのは、偉大なご先祖たちといった語感もあるのですが、要するに、年をとってまだ俗世にまみれて銭勘定ばかりしているようでは、駄目だというのです。
    自分の人生を振り返り、世のため人のために人生最後のお勤めをいかに果たしていくか。
    それは、先祖代々の仏様や、それよりもずっと昔の神々の築いた哲学をしっかりと魂に刻んでいく。
    そうすることではじめて、人の魂は朽ちることなく永遠の存在になるのだと、説いているのです。

    これは、年をとっても勉強したら(学んだら)、死んでも朽ちない財が残るという意味とは、まったく異なるものなのです。

    その佐藤一斎は、一般には儒者であると言われています。
    ところが昌平黌で教える儒学は、単なるChina産の儒教とは、実はまったく異なるものです。

    なぜそのように言えるかといえば、昌平黌の創業者が林羅山(はやしらざん)だからです。
    林羅山は、儒者は儒者でも、国学と儒学の合一を図った人物です。
    もっというなら、国学を語るに際して儒学を用いた人物です。
    林羅山が生きた当時、国内にいわゆる儒者は数え切れないほどいましたが、わずか23歳の林羅山が、これから國造りをしようとする家康に気に入られて、幕府御用達の学者として5000坪の土地を与えられて塾をひらくだけの援助を受けることができたのは、まさに、羅山の説く學問が、日本そのものを儒教を借りて説くものであったからです。
    繰り返しますが、ただの儒者なら、他にいくらでもいたのです。

    林羅山同様、国学と儒学を結びつけた学者に山崎闇斎(やまざきあんさい)がいます。
    山崎闇斎も、儒教と神道を重ねた学者ですが、この闇斎がある日、弟子達を前に問いを投げかけています。
    「方々、今、Chinaが孔子をもって大将とし、
     孟子を副将となして数万騎を率いて
     我が国に攻め込んできたら、
     我が党の孔孟の教えを学ぶ者は、
     これをいかにするか」

    日頃から孔子や孟子を聖人としてその教えを學ぶ弟子たちは答えられません。
    ついに、「願わくば、その答えを教えてください」と言いました。

    すると闇斎は、
    「不幸にして、
     もしかくのごとき厄災に遭ったなら、
     すなわち我が党は、
     身に鎧をまとい、
     手に槍刀を持って
     彼らと一戦し、
     孔孟を捕らえて
     国恩に報ぜん。
     これこそがすなわり孔孟の道である」

    要するに、學ぶということは、ただ教えをそのまま受け止めるだけでは、ならないというのです。
    何のために學ぶのか。
    それは国を護る人を育てるためなのです。
    表面だけを見ていたら、そこがわからなくなる。

    ですから羅山や闇斎が、国学を儒学の基盤に置いたのは、ある意味、当然のことであったといえます。
    言葉の意味を取り違えると、往々にしてそれがわからない。
    ただ単に外国のものにかぶれてしまう。
    それは決して良い結果を生みません。

    そうそう。最後に。
    先日「昌平黌が正式名称」と書いたときに、「江戸時代の生徒たちの書簡を見ると、昌平坂学問所と書いてある。だから昌平黌というのは間違っているのではないか」という人がいました。
    あのね、どんなに偉い人でも、自分のことを拙者というでしょう?
    自分で書いた原稿なら拙稿です。
    拙(つたない、まずい)者、拙(つたない、まずい)原稿って意味です。
    自分に自信があったとしても、自己を誇らないというのが、日本人の普通の意識です。

    前にも書きましたが、昌平黌というのは、「光り輝く太陽の光を公平に注がせるために金の卵といえる優秀な人材を育てる學校」という意味です。
    「黌」は、金の卵といえる優秀な若者という意味です。
    自分の通う學校を、「昌平黌」だなんて、普通の神経をしていたら言えるものではないです。
    だから遠慮して「学問所」って書いているです。
    日本人として、日本人らしい常識を持っていただきたいと思います。


    ※この記事は2018年1月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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