• 昆虫を食べさせる前にやることがあるだろう


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    普通に考えれば、コオロギ食政策の前に、日本は農業活性化政策を取るべきであることは明らかです。
    農地面積と農業従事者の数が、単純にいまの3倍になれば、日本は食糧自給が可能になるからです。
    そのために何が必要かと言えば、学校給食の国産米、国産野菜等の使用振興、宅地開発政策の農地開発政策への以降、農業保護のための税制の見直し等が、本来、いま日本の政府が検討すべき課題であって、日本人にゴキの親戚のコオロギを食べさせることにあるわけではないし、種子を外国企業から買うことでもない。
    そういったちゃんとした議論さえも、まったくされないということは、これは日本の政府が日本人のための政治になっていないことを意味します。
    日本はもともと農業国です。
    日本を取り戻す。
    そのために必要なことは、日本の農業を取り戻すことにあります。

    20230228 農村風景
    画像出所=https://go-to-ashibetsu.com/media/2019/08/16/24
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    最近、コオロギ食が盛んに宣伝されるようになってきました。
    世界的な食糧危機の前に、昆虫食をすることで、食糧危機に備える、そんな側面もあるようです。
    日本国内にも、すでにそうした世界政府(仮称)の意向を受けて、すでに昆虫食品を製品化している企業があったりもします。

    世界の人口が80億人となり、このままいけば遠からず100億人を突破する勢いであること。
    そうなると、世界の食糧生産高を超えることになり、世界は大規模な食糧危機に至る。
    そうなる前に、
    一方で世界の人口減少を行い、
    一方で昆虫食も開始し製品化していくのだ、
    などと言われています。

    ちょっと待て!と言いたいのです。
    本当に世界の食糧不足を心配するなら、逆に人口が100億を超えても人類が食べていくことができるように農業生産を保護することが大事なはずです。

    ところが世界で実際に行われていることは、
    1 ヨーロッパの食料庫と言われていたウクライナを戦火にして
    2 EU諸国の中の農業国の農業を停止させ
    3 世界の農業に欠かせない種子を、一世代限りの短命な種子しか使えないようにし
    4 医療分野で人口減少を図る措置が行われ、
    5 病気になってからではなく、病気にならない体づくりのための栄養学は完全無視され
    6 人類の生活に欠かせない資源エネルギーは、製造のためにより多くの石油資源を必要とする燃料電池を用いことが正義のように宣伝されています。

    以上の他にも怪しげな流れが次々と起こっていますが、冷静に考えていただきたいのです。
    本気で食糧危機を心配するなら、どこの国においても、農業振興は欠かせないことです。

    先の大戦の海鮮の頃、つまり昭和14年頃、世界の人口は20億人でした。
    そして地球上で生産される食料もまた20億食しかない。
    だから先の大戦は、ある意味食料の奪い合いのための戦争であったという人類史解釈もあります。

    ところがいま世界の人口は4倍の80億人。
    どうしてそれだけの人が食べて行かれるのかと言うと、種子の改良によって単位面積あたりの収量が5倍に増えているからです。
    5倍ということは100億食です。
    けれど人口は80億人です。
    だから食料余りの状況が生まれ、大量に食料が廃棄されることが、世界の海洋汚染にも繋がっています。

    日本単独でみてもそうです。
    明治の初め頃の日本の人口は3千万人です。
    そして農業人口は、人口の90%です。
    つまり2700万人が農業に従事していました。
    そしてそれだけの人口で生産される食料が3000万食であったわけです。

    ところが先の大戦の頃、我が国の人口は8000万。
    このうち4000万食が国内で生産され、残りの4000万食が満州などの外地での生産になっていました。
    戦争が終わったとき、我が国は外地の農業地をすべて失いました。
    このため国内で生産できる食料が4000万人分しかない状況で、8000万人のお腹を満たさなければならなくなりました。
    終戦直後の食糧難は、こうしてもたらされたものです。

    この食糧難を乗り越えるため、当時の政府は当初、稲作農地の大幅拡大を図るのですが、この途上で米国から大量の小麦を輸入することになり、日本の政府は一転して稲作農地の大幅減反政策に転じました。
    いま、日本の農業従事者は140万人と、明治初期の5%以下になっています。
    ところが、農業の効率化によって、国内農業従事者の農業生産高は年間およそ4000万食を保っています。

    ということは、普通に考えれば、コオロギ食政策の前に、日本は農業活性化政策を取るべきであることは明らかです。
    農地面積と農業従事者の数が、単純にいまの3倍になれば、日本は食糧自給が可能になるからです。
    そのために何が必要かと言えば、学校給食の国産米、国産野菜等の使用振興、宅地開発政策の農地開発政策への以降、農業保護のための税制の見直し等が、本来、いま日本の政府が検討すべき課題であって、日本人にゴキの親戚のコオロギを食べさせることにあるわけではないし、種子を外国企業から買うことでもない。

    そういったちゃんとした議論さえも、まったくされないということは、これは日本の政府が日本人のための政治になっていないことを意味します。

    日本はもともと農業国です。
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  • 仮説を立てる《アブダクション》のおもしろさ


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    ちょっと見方を変えて、常識を働かせて考えてみる。
    これが帰納法や演繹法と異なる、論理学の手法「アブダクション(abduction)」です。

    20210228 アブダクション
    画像出所=https://logmi.jp/business/articles/320246
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    アブダクションというと、すぐに思い浮かぶのは「UFOによってアブダクション(拉致)された」という用語の使い方ですが、実はアブダクション(abduction)には、もう少し違う使い方があります。
    アブダクションの語源はラテン語の「abducere」で、もともと「別な側に転じる」という意味を持つ言葉です。
    そこから「拉致」の意味にも用いられるのですが、哲学用語としてのアブダクションは、哲学的思考のための「仮設形成」という意味の言葉になります。

    哲学的な思考として昔からよく言われるのは、
     演繹法(deduction)
     帰納法(induction)
    の2つです。

    どちらも論理的推論のための方法です。
    例を用いて説明すると、まず演繹法(deduction)は、
     (前提) すべての人は死ぬ
     (事実) 織田信長は人間だ
     (結果) 織田信長は死ぬ
    という思考展開になります。
    演繹法では、前提の中に先に結果が含まれていますから、演繹的思考に思考の発展性はありません。
    あくまで結論の中に思考を押し止めることになります。
    このため宗教的な教えによく用いられます。

    これに対して帰納法(induction)は、
     (前提) 信長は死んだ
     (前提) 光秀も死んだ
     (前提) 秀吉も死んだ
     (前提) 家康も、歴代将軍も皆死んだ
     (結論) だからすべての人は死んでいる
    まるで北斗の拳のケンシロウの「お前はもう死んでいる」みたいですが、実はこれが帰納法です。
    アタタタ・・と拳を打ちこんだのだから、統計的に、また論理的に「もう死んでいる」という結論が導き出されているわけです。
    けれど、ときどき、例外が生まれます。
    上の例では、結論は「すべての人は死んでいる」ですが、どっこい、いま生きている人は世界中にいます。
    けれども人類史上、なくなった方の数をすべて調べ、一方でいま生きている人の数を調べてこの両者を比較すれば、人類史上で死んだ人の数の方が圧倒的に多いです。
    ということは、帰納法的な思考のもとでは、生きている人間は、例外的に発生するものであり、死んでいることが常態ということになってしまいます。
    ここに帰納法の限界があります。

    パソコンなどを用いたシミュレーションは、よく行われるものですが、実際に作った方はおわかりになるかと思いますが、基本的なパラメーターは、すべて「エイヤッ!」で決めているものです。
    そしてパラメーターが変われば、答えは真逆になってしまったりします。
    事実や理論の積み上げて物事を理解する帰納法は、一見科学的に見えますが、実は最初の部分は、鉛筆を舐めて決めているだけのことでしかないのです。

    たとえば有名なランチェスターの法則は、10人と100人が戦えば「√(100−10)=9.49)となり、10人が全滅したとき、100人の側は95人が生き残ると計算されます。
    けれど、10人の側がプロの格闘家、100人の側が小学生の子供達であったなら、10人の側が勝利したとき、100人の側が全滅しているかもしれません。
    つまり、帰納法は、パラメーター次第で、実はまったく異なる回答になるわけです。

    もうすこしわかりやすく、別な例でみてみます。

    《演繹法》
    (結論)日本人はK-POPが好きである。
    (理由)なぜなら日本人のA子もB子もC子もK-POPが好きだと言っている。

    まあ、ありがちな論理展開ですよね。
    いわゆる「決めつけ」というやつです。
    これが演繹法です。

    《帰納法》
    (理由)日本人のA子もB子もC子もK-POPが好きだと言っている
    (結論)日本人はK-POPが好きである。

    先に理由が述べられているところが演繹法との違いですが、でもこの結論、おかしいですよね?
    いわゆる「誘導」になっている。
    これが帰納法です。

    演繹法とか帰納法とか、何やら難しい用語で誤魔化されていますが、簡単に言えば、この両者はそれぞれ、
    演繹法=結論の決めつけ
    帰納法=結論への誘導
    でしかないわけです。

    これに対し、もうすこしマシな第三の思考方法があるのではないかと言い出したのが、アメリカの哲学者のチャールズ・パース(1839年〜1914年)で、存命中はまったく評価されなかったけれど、いまでは「アメリカが生んだもっとも偉大な論理学者」とされている人です。
    まあ、だいたい、世の中を良い方向にひっくり返すような偉大な人物というのは、存命中はあまり世間から評価されないものです。
    だいたい死んだ後に、高く評価される。
    ゴッホしかり、セザンヌしかり、モーツアルトしかりです。

    このパースの唱えた思考方法が「アブダクション(abduction)」です。
    「アブダクション(仮定的推論法)」は、演繹、帰納と異なり、次のような論理展開になります。

    (現象1)コリアは、反日である。
    (現象2)A子、B子、C子はK-POP好きである。
    (仮説)文化は政治の対立を乗り越えることができるのではないか?

    つまり「アブダクション(仮定的推論法)」というのは、演繹法のように「はじめに結論ありき」でもなければ、帰納法のように結論を求める(解を求める)ものでもなく、あくまで「仮説を立てる」ためのものである、という点が大きな違いです。

    そして仮説が立てられることによって、「ではそのために何ができるのか」といった次のステップが生まれてきます。
    まさに語源となっているラテン語の「abducere」の意味である「別な側に転じる」ことができるわけです。

    神話を読んだり、古典を読んだりするときに、あらかじめ与えられた読解に基づいて、あくまでその範囲で読むのは演繹的な読み方です。
    たとえば、アメノウズメが、天の岩屋の前で、裸になってカンカン踊りをして八百万の神々が大喜びしたという、従来どおりの解釈に基づいて、その範囲でなければ古事記を読むことが許されないというのは、演繹的な、学問の自由を損ねる異常な出来事です。

    そこで古事記の解説書を、たくさん集めてきて、それぞれの解説書が、この場面をどのように解釈しているのかを取りまとめるのが、帰納法的なアプローチです。
    けれど、そこで集めてきた資料のことごとくがカンカン踊り説ならば、結論は素カンカン踊りにしかなりません。
    とりわけ我が国の場合、まともな書籍はGHQの焚書で、みな燃やされてしまっているわけですから、まともな研究文献を引用したくても、現実には引用自体が不可能であったりもするわけです。

    そこで原点に戻って、つまり本当にそうなのか、古事記の原文立ち返って、そこに書かれている文を読んでみます。
    すると次のように書かれています。
    「為神県而、掛出胸乳、
     裳緖忍垂於番登也。
     尓高天原動而、八百万神共咲。」

    なるほど「掛」という字は手偏で、手で胸を出したということです。
    けれど、続く「裳緖忍垂於番登也」というのは、ハカマの腰紐を前に垂らしたという意味です。
    つまり別に裸になったわけではなくて、前に垂らしたハカマの腰紐を揺らしながら踊ったと書いているのです。
    別に裸になったわけではない。
    つまりカンカン踊り説は、この瞬間に全部否定されます。
    帰納法的に結論を得ようとして、関連書籍を集めて、ひとつひとつを精査してきたすべての努力が水の泡です。

    しかも現実には、すべての書籍を集めて、そこにどのように書かれているのかを調べることは、不可能です。
    だからその不可能なことのために、延々と時間だけを費やす。
    結果、何の意味もないまま、ただ学問のためにするためだけの学問、もっというなら、教授の趣味に付き合うだけのゼミになってしまうわけです。
    そして、そこから何も得ることはできない。

    これはもったいないことです。
    ではどうしたら良いのかといえば、たったひとつのことをするだけです。
    それは、
    「別な解釈があるのではないかと考えて
     原典に帰って一から読み直してみる」
    たったそれだけのことです。

    もっというなら、
    「自分の頭で考える」ということです。

    そもそもそこでカンカン踊りとすることに、何か意味があるのか。
    子供にも読ませるような神話に、カンカン踊りを登場させることに、そもそも意味があるのか。
    ちょっと常識を働かせてみるだけのことです。

    この「常識を働かせる」ということが、別な仮説を導きます。
    そしてあらためて、いちから自分の手で読み直してみる。

    これは古典に限ったことではありません。
    営業成績をどうしたら向上させることができるのか。
    人間関係のつまづきを、どのように解決したら良いのか。
    恋愛の悩みから、どうしたら抜け出せるのか。

    そうした悩みや疑問をかかえていながら、これまでと同じ行動をしているだけなら、あたりまえのことですが、
    「同じ行動からは同じ結果しか生まれない」のです。
    だから、
    「ちょっと見方を変えて、常識を働かせて考えてみる。」
    たったそれだけのことです。
    そして新たな仮説を立ててみる。
    これがアブダクション(abduction)です。
    つまり「別な側に転じる」のです。

    アブダクションによって得た結論は、必ずしも正しいものとは限りません。
    しかし、そこで得ることができる新しい見解の創造は、新たな可能性と、未来に向かう建設性を招くのです。


    ※この記事は2021年2月の記事のリニューアルです。
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    脳には、もっと本質的かつ本能的な脳幹があるのと同様、人には魂が備わっています。
    そしてこれからの時代、その魂を「みがく」ことが、ますます大切になってきます。

    高砂神社
    20210227 高砂の松
    画像出所=http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/takasago.html
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    播磨国(いまの兵庫県)の高砂の浦に、熊手(くまで)を手にしたお爺さんと、箒(ほうき)を持ったお婆さんが、松林で木陰を掃いていました。
    そこに友成(ともなり)という名の神主が現れます。

    神主「そこなご老人、有名な高砂の松とは、
       どの木のことを言うのですか?」
    爺 「いま清めているこの木こそ、高砂の松です」
    神主「高砂の松と、大阪の住之江の松は、
       遠く離れているのに、
       どうして相生(あいおい)の松と言うのでしょうか?」
    爺 「私が住吉の者で、
       婆が高砂の者です。
       私達は夫婦(めおと)でござってな、
       山海万里(さんかいばんり)を隔(へだ)てても
       たがいに通う心づかい。
       妹背の道は遠くないのです」

    お互いに心が通い合っていれば「妹背の道」遠くないとあります。
    「妹背(いもせ)」とは、妹(いもうと)が、いまでは、血のつながった実の妹のことだけを言うようになりましたが、昔は、妻のことを妹と言いました。
    妻には血縁はなくとも、夫婦になったら血縁関係を持ったのと同じ、と考えられてきたのです。
    夫婦になるための婚礼の儀は、神様の前で魂を結ぶ行事なのです。

    「背(せ)」は「背子(せこ)」のことで、おんぶした(背負った)相手、という意味です。
    妻から見た旦那は、背中におんぶした子と同じだ、というわけです。
    そしてそうやって愛し合う夫婦は、高齢になっても、なお、心と心が通い合うと、そういうことを述べています。

    そして、ここで住吉明神様が現れて、謡曲が歌われます。

     高砂や
     この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
     この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
     月もろともに出(い)で汐(しほ)の
     波の淡路(あはぢ)の島影(しまかげ)や
     遠く鳴尾(なるを)の沖(おき)すぎて
     はや住の江に着(つ)きにけり
     はや住の江に着(つ)きにけり

    この歌が、昔、結婚式で定番として謡われた「高砂(たかさご)」です。
    そしてこのお話は、能楽の定番の演目、『高砂』となっています。

    お話に出てくる住吉明神というのは、いま大阪市にある住吉大社のことです。
    その住吉大社の御祭神は、黄泉の国から戻られた伊弉諾(いざなぎ)大神が、禊祓(みそぎはらい)をされたときに生まれた
     底筒男命(そこつつのをのみこと)
     中筒男命(なかつつのをのみこと)
     表筒男命(うわつつをのみこと)
    です。《日本書紀》

    この三柱の神様は、古事記ではそれぞれ「底筒之男命、筒之男命、上筒之男命であり、墨江(すみのゑ)の三前大神(みまへのおほかみ)である」と書かれています。
    墨江(すみのゑ)が、住之江(すみのえ)となり、その後に住吉(すみよし)となったわけです。

    いまではすっかり内陸部になってしまっている住吉大社ですが、いまの住吉さんの場所は、もともとは白い砂浜に松林が続く海に面した場所でした。
    神功皇后の三韓征伐は、この住吉大神の御神託に基づくもので、この征伐のおかげで、半島がチャイナの歴代王朝からの脅威からの緩衝地帯となることで、我が国は以後およそ1800年、チャイナ王朝からの直接侵略から護られています。

    そして御祭神である 底筒男命、中筒男命、表筒男命は、それぞれ深層意識、中層意識、表層意識を表すとされます。
    イザナギの大神は、身につけた物を捨て、素裸になって身を清められただけでなく、意識の奥深いところにまで潜って、その禊ぎ祓いをされたのです。
    つまり、いわば心を完全浄化した先にある爽やかさが住吉様のお姿となります。

    また、高砂の松は、いまも兵庫県高砂市の高砂神社にありますが、この松はひとつの根から、黒松と赤松の両方が生えている、変種の松です。
    高砂神社は、神功皇后の三韓征伐の成功が、大国主神の加護によってもたらされたものであり、その凱旋の際に、大国主神が、この地にとどまると御神託されたために創建された神社とされています。
    そして10世紀の終わり頃、国内に疫病が流行した際に、この神社にスサノヲをお祀りしたところ、見事に疫病が沈静化したという言い伝えがあります。

    住吉さんが、心身を完全浄化した清浄さであり、海の守り神。
    高砂神社が、夫婦和合の象徴であり、大いなる国の守り神。
    つまり、和合は浄化と表裏一体だというわけで、『高砂』が、天下の平和を祝う祝賀の謡曲となるのです。

    ちなみに、全国に数ある神社のなかで、なぜか住吉大社だけが「住吉さん」と「さん」付けで呼ばれています。
    また境内(けいだい)の雰囲気というか空気も、他の神社と異なり、格式の高い古い神社でありながら、たいへんに朗らかで陽気でやさしげな、独特の空気感を持ちます。
    それはいってみれば、孫の遊んでいる姿を、目を細めてニコニコと笑ってみているおじいちゃんのような空気感で、それでいて実はそのおじいちゃんは剣術の達人・・・みたいな感じ?、要するにとても信頼感のある感じ、といった空気感です。

    神社には、神明神社(神明社、皇大神社、天祖神社などとも呼ばれる)には神明社独特の、八幡様なら八幡様の独特の、香取様には香取様の、それぞれに独特の空気感があります。
    それぞれ口語では、お伊勢さん、八幡さんなどと呼ばれることもありますが、文に書くときには、やはりお伊勢様、八幡様、香取様で、さん付けで書かれることはめったにありません。

    例外が、いくつあるかわからないとまで言われる(もしかしたら数万社?)お稲荷さんで、なにせ稲の荷物というくらいで、商売繁盛の神様とされていますが、稲荷神の神社もまた、きわめて独特な香りというか、空気感があります。

    神社ごとの空気感の違いについては、また別な機会にあらためますが、住吉大社の持つ庶民性は、非常に独特なもので、これは行った方でなければわからない。
    やはり、肌で感じるが大切です。

    ネット化が進むと、大脳新皮質ばかりが発達します。
    大脳新皮質は、個人の生き残りや個人の勝手のための選択をするところです。
    けれど人は、大脳新皮質でばかり生きているのではありません。
    脳には、もっと本質的かつ本能的な脳幹があるのと同様、人には魂が備わっています。
    そしてこれからの時代、その魂を「みがく」ことが、ますます大切になってきます。

    ちなみにみなさんは、
    「日本人は情動的であって論理性を欠く」
    という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
    これは戦後、たいへんよく言われたことです。
    だから日本的なものはダメだ、西洋的なものが良いのだ、古いものより新しいものが良いのだ、と言われ続けてきました。
    けれど、最近思うのは、日本文化は決して情動的なだけではない。
    むしろ、論理性を突き詰めて行った先にある情動性であって、言い換えれば日本人はきわめて論理的思考を大切にしてきた民族の歴史を持つ、ということです。
    これについては、また機会をあらためて詳述します。


    ※この記事は2021年2月の記事のリニューアルです。
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    文化の違いは、どちらが正しいとか、どっちが上だとか、そういうことではありません。
    それぞれの民族が、それぞれの歴史伝統文化の中で培い、そして何千年の単位で生き残った思想です。ですから一切の否定なしで、それぞれの彼我の違いをしっかりと認識し、すくなくとも日本について、しっかりと説明できるようにしていく。
    できれば小学生のうちに。遅くとも、高校生くらいまでには。
    これは国際社会において、当然のことです。

    20210227 八百万の神々
    画像出所=https://japaneseclass.jp/trends/about/%E5%85%AB%E7%99%BE%E4%B8%87%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%80%85
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    もう10年ほど昔になりますが、長く海外で暮らし、日本に帰ってきたOさんから、次のようなお話を伺ったことがあります。

    「向こうにいると、君はチーヌか?と良く聞かれるんですよ。
     チーヌって『China』のことなんですね。
     あんまり年中聞かれるものだから、
     面倒くさくなって『Yes』なんて
     答えようものなら、たいへんなことになる。
     二度と相手にしてもらえなくなるんです。

     だからちゃんと『No. I`m Japanese.』って
     答えるんですが、そうすると相手は
     途端にとってもうれしそうな顔になって、
     いろいろ話しかけてきます。
     私だけじゃない。みんなそうです。

     ところがね、そこからが問題なんです。
     しばらくいろいろ話をしていると、
     『No. You are not a Japanese. 』と言われて、
     とても不愉快そうな顔つきになり、
     そうなったらもう二度と
     相手にしてもらえなくなる日本人が多いんです。
     連中はっきりしたものですよ。

     なぜ相手にしてもらえなくなるかって?
     そりゃそうですよ。
     日本人の男は、高い文化意識と誇りを持った
     『SAMURAI』だって思ってるんです。
     先入観とでも言うんでしょうかね。

     ところが最近の日本人と話すと、
     その文化意識がまるでない。
     空っぽなんです。
     空っぽっていうのは、バカだってことで、
     バカと付き合っても学ぶものなど何もないから、
     もうつきあわない。
     意地の悪いチーヌ以下だということになっちゃう。

     こっちに来る連中ってのは、
     日本では優秀とされる若者が多いんですけどね。
     いくら勉強ができて、いい大学を出ていても、
     民族としての誇りや価値観がない者は、
     彼らは人間とさえみなさないんですね。
     おもしろいです。

     それにしてもね、彼らは言うのですよ。
     不思議の国ニッポンだって。

     会う日本人は、みんなひ弱で、
     誇りも価値観もないチキンなのに、
     なんで俺たちの植民地を全部放棄させるような
     すごいことができたのだろう、って。

     昔の日本人といまの日本人は、
     違うってことですかね。」

    10年前の話ですが、いまも大差はありません。
    いくらテストの成績が良くて、英語やフランス語がしゃべれても、日本人として、日本をちゃんと話すことができなければ、世界の人たちは、馬鹿だと認識するということです。
    それだけ我々日本人は、日本に生まれたというだけで、ものすごい幸せを享受しているということでもあるのですが、ネットの普及で世界がこれからもっと身近になっていく時代に、このままではなんとも情けない。

    だいたい英語やフランス語が話せるとはいっても、日本の天皇のことを「エンペラー(Emperor)」と訳したり、八百万の神々のことを「Gods of eight million」なんて訳している時点で、もうダメです。
    Emperorというのは、王(KING)の上の大王(KING)のことで、ひらたくいえば政治権力者です。
    日本の天皇のことをEmperorだなどと言えば、世界の人々は、「日本は世界を征服しようとしているのか!?」と恐怖心を抱きます。
    全然違います。
    日本の天皇は、政治権力を持たない、国家の最高権威です。
    つまり、Emperorという用語自体が、誤訳です。

    八百万の神々もそうです。
    そもそも「GOD」というのは、唯一絶対神のことを言います。
    唯一無二の絶対の存在が「GOD」なのですから、その神が日本には800万もいると言ったら、そりゃあ、相手はびっくりして、「それって、どういう意味ですか?」と聞いてくる。
    答えられなければ、バカだと思われるだけです。

    西洋の場合、「GOD」も、「妖精(Fairy)」も、人間とは異なる存在であり、客体です。
    そこから、西洋的な対象を客体化して観るという思考も生まれます。
    つまり、神と人とは別な存在です。

    けれども日本では、神々というのは、ひらたくいえば私達の共通のご祖先のことをいいます。
    祖先なのですから、それは数え始めたら、いったいどれだけいるかわからない。
    しかも、我々が人間となってからの祖先のみならず、人間に進化する前、あるいは生物が誕生する前まで時間を遡れば、地球そのものも我々にとっての「生きた祖先」ということになるし、太陽も地球の生みの親と考えれば、これまた祖先であり、ビックバンまでさかのぼれば、宇宙そのものも、我々の祖先です。
    そこから、すべてはひとつである、みんな一緒なのだという日本的思想も始まっています。

    我々日本人の祖先が暮らした縄文時代の集落では、集落の真ん中に共同墓地がありました。
    つまり我々の祖先は、常に死者と共存して暮らしていたわけです。
    だいたい、西洋の、たとえば指輪物語などでは、死霊使いのネクロマンサーが、死者の魂を兵士に利用しますが、これはつまり、死者は、あの世に行ってしまった、いまを生きている我々とは、まったく異なる存在であり、おそろしい敵であるといった思想です。

    けれど、考えてみてください。
    自分が死んだあと、自分の子や孫や、ひ孫たちにとって、我々は恐ろしい死霊であり、敵になるのでしょうか。
    あるいは、死んだ爺ちゃんや婆ちゃんは、我々にとっての敵なのでしょうか。
    そうではないと思います。
    逆に、いついかなるときでも愛情を注ぎ、見守ってくれている、ありがたい存在なのだと思います。
    死んだ爺ちゃんや婆ちゃんは、絶対そうであると信じることができるし、自分もまた、あっちの世界に行ったあとも、生きている我が子や孫たちにとっての、幸せの守り神になりたいと思うし、絶対にこの子達をいついかなるときでも守り通したいと、誰もが普通に思うことではないでしょうか。

    だから縄文時代の我々の祖先は、常に死者と共存したのです。
    そしていまでも、インドやチャイナ仏教にはない、お位牌に御魂を容れて仏壇にお供えするという習慣が日本にはあります。

    では、日本は多神教(Polytheistic)の国なのでしょうか。
    これまた間違いです。
    西洋における多神教は、ギリシャのアポロンの神々や、ティンカーベルのような妖精信仰のことを言いますが、そのいずれもが、神と人とは、別な存在です。
    ここでいう「別な存在」というのは、たとえば、「人と猿」、「動物と植物」、「魚と陸上動物」、「宇宙人と人類」といったほどの違いになります。
    つまり、種が異なるのです。

    ところが日本人にとっての神々は、ご祖先の御魂のことを言います。
    同じ人間なのです。
    だから神様だって、泣いたり笑ったり、ときに失敗したりもしますし、いたずらもします。
    神々の延長線上に人がいるし、人の延長線上に神々がおわします。
    だから日本では、究極的には、神々と人は一体になります。

    こうした文化の違いは、どちらが正しいとか、どっちが上だとか、そういうことではありません。
    それぞれの民族が、それぞれの歴史伝統文化の中で培い、そして何千年の単位で生き残った思想です。
    ですから一切の否定なしで、それぞれの彼我の違いをしっかりと認識し、すくなくとも日本について、最低限の説明ができるようにしていく。
    できれば小学生のうちに。
    遅くとも、高校生くらいで、そうしたことをしっかりと教育のカリキュラムに入れていくべきではないかと思います。

    そして現状で、教育プログラムに入っていないなら、社会人教育として、これは本来なら官民挙げて行って行かなければならないことであると思います。

    最近はときどき、「おほみたから」とか、「シラス」といった言葉が、若い方々の間からも、たまに聞かれるようになりました。
    そういう意味では、すこしずつ改善されつつあるように思うのですが、でも、まだまだです。

    これは米国在住の日本人の方から伺った話ですが、米国には様々な国から優秀な技術者たちが集まってきます。
    そして必ず集会のみんなの前で最初に挨拶が行われます。

    アフリカの新興国からやってきた若い女性。
    自分たちの国は長く続いた植民地支配と同じ民族同士で殺し合う内乱が続いていました。
    そしてようやく私達は自分たちの政府を持つことができました。
    でも私達の国は、まだまだ貧しい。
    だから自分はここで一生懸命皆様とともに学び、仕事をして、故国の人々が少しでも豊かになれるように貢献したくて、米国にやってきました。
    みなさま、よろしくお願いします。
    と、挨拶する。
    会場は万雷の拍手に包まれるそうです。

    ところが日本人。
    挨拶に立つと、自分は日本が嫌いで、ようやく念願かなって憧れの米国にやってくることができました。
    皆様よろしくお願いします。
    とまあ、このような挨拶をする。
    すると会場は、大ブーイングになるそうです。

    そりゃそうです。
    自国を愛することができない、つまり愛を知らない、愛することができない人物であると皆の前で述べているようなものです。
    しかも自国が嫌いだということは、これはテロリストに違いない、と思われてしまうのです。
    そのような危険なテロリストに、大事な最先端の技術を教えるわけにはいきません。
    だから、その挨拶の後、その日本人君には、大事な仕事はまったく与えられなくなる。

    世界では、どこの国でも、自国を愛するのはあたりまえの精神とされるのです。
    日本だけが、日本が嫌いという教育をしているから、日本が世界から取り残されるのです。

    そういえば先日、ある中学生の子が、学校で昼休みの放送で神武天皇のお話をしようとしたら、校長から「神武天皇の存在は疑わしいとされる。自分の考えを皆に押し付けるのはよくない」と、放送を禁止されたそうです。
    神武天皇のご存在が疑わしいというのなら、信長も家康も、存在は疑わしいし、西郷隆盛も実在したかどうか疑わしい。なにしろいま、直接それらの人々に会ったことがある人はいないからです。

    大事なことは、神武天皇がなぜ初代天皇のされているのか。
    日本の建国の理念がどのようなものであったのか。
    すくなくとも、ここに日本という国があるのですから、建国の時は必ずあったのです。
    では建国の精神とはどのようなものであったのか。
    そういうことをしっかりと教えるのが、本来の教育というものです。

    おそらくこの校長は、日本は先の大戦後に誕生したとする8月革命説に立っているのだと思いますが、ところが日本が占領された後も、日本の天皇のご存在は、日本国憲法に明記されているのです。
    そして天皇の存在が日本の中心にあるという形は、神武天皇の時代に遡るのです。
    ということは、8月革命説自体が、インチキだ、ということです。

    日本をかっこよくする。
    それは、すくなくとも戦後の日本で主流をなした左系の思考では、まったく叶わないことです。
    日本人が日本人として覚醒し、意識を変えていくためには、あらためて国史を学ぶことが重要になっているのです。


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  • 民族の価値観と神話


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     もしその事件が江戸時代であれば、犯人の少年たちは間違いなく極刑に処せられたでしょうし、その少年らを父が斬ったなら、その父は、不幸だけれど立派な父として世間の称賛を浴びることになったでしょうし、また奉行所も、むしろその父の行動を歓迎したことでしょう。
     なぜなら大事な娘を奪われたなら、「たとえ相手がヤマタノオロチであっても、果敢に戦いを挑む」ことが、我が国では神話の時代から続く伝統的価値観だからです。
     古いものほど価値を持ちます。ですから最も古いものが、最も価値のあるものです。
     各民族が持つ、最も古い価値観を形成しているものが、神話です。だから神話が価値観を形成します。そして民族の神話を失うことは、民族としての価値観を失うことですから、民族そのものが崩壊するのです。

    20210206 アルテミス
    画像出所=https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B9
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    神話といえば、英国の歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士が、「民族が滅びる3つの原則」として、次の3点をあげています。

    第1の原則 理想を失った民族は滅びる。
    第2の原則 すべてを金の価値に置き換えて判断する民族は滅びる。
    第3の原則 12・3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく百年以内に滅びる。

    なかでも第3の原則は衝撃的ですが、現実に我が国が神話を失ってから76年目です。
    このままでは、あと24年以内に日本民族は消滅することになってしまうわけです。

    では、なぜ神話がそこまで大切なものとされるのでしょうか。
    この疑問に対する答えが、「正義」です。

    何が正しくて、何が間違っているのかということを決めるためには、その判断の基準となる物差しが必要になります。
    その物差しが、価値観です。
    そして価値観は、新たに作られる法に基づくのではありません。
    その国の、その民族が育んだ長い歴史によって形成されます。
    何が正しくて何が間違っているのかの問いに対する答えは、伝統的価値観によって形成される社会通念なのです。

    たとえば世界には、泥棒は宗教的戒律でわざわざ規制しなければならないほど、当然の行為とされている国や民族があります。
    「ひらけ〜ゴマ!」で有名な『アリババと40人の盗賊』のアリババは、盗賊から財宝を盗んだ泥棒の物語です。
    泥棒から泥棒するのは、その世界観では、正しいこととされているわけです。

    有名な「アラジン」は、言ってみれば泥棒の青年が王妃を奪う物語です。
    コソドロが、空飛ぶ絨毯を使って、ついには王妃を泥棒しているわけです。

    日本でも、漫画のワンピースや、三人娘の泥棒のキャッツアイ、ルパン三世などは泥棒の物語です。
    それら漫画は、多くの日本人に楽しみを提供しています。
    かっこいい!といった意識も提供しています。
    アリババと40人の盗賊の物語も、子どもたちの絵本になっています。

    けれど、だからといって泥棒をすることが良いことだとか、大泥棒になることをかっこいいこと、良いことと思う日本人はいません。
    ちなみに「いない」というのは、分布で圧倒的多数がそう思わないということで、世の中は分布ですから、もちろん中にはそのように思う日本人がいたとしても不思議はありません。
    ただし、それはごく少数でしかありません。

    要するに漫画や、外国の物語によって提供される物語は、人々に楽しみを提供することがあっても、その国や民族の伝統的価値観にはなりえないのです。

    あるいはシンデレラの物語は、継母との決別の物語です。
    そこには、東洋的な「忠孝の道」なるものは存在していません。
    けれど西欧では、継母と決別してでも、個人の幸せを得ることが大事とされています。

    モンゴルには、食うに困って家畜を泥棒するときは、泥棒に入った家の人達を皆殺しにしなければならないという寓話があります。
    あるいは、お隣の半島では、金持ちの家を陥れてその財産を奪って自分が金持ちになるという、映画の『パラサイト』のような寓話があります.
    すなわち騙される方が悪い、騙しても儲けた者、生き残った者が勝ちということが、伝統的価値観です。

    要するに何が正しくて何が間違っているかは、その国の伝統的価値観によるのです。
    法の矛盾がときに議論されますが、これは伝統的価値観に法理論が追いついていないことによります。

    東野圭吾の小説に『さまよう刃』という小説があります。
    寺尾聰主演で映画化もされましたので、ご存じの方の多いかと思います。
    この物語は、一人娘を強姦殺人された父親が、犯人らの少年を殺害しようとし、これを刑事らが阻止しようとその父を追うという物語です。
    我が国の刑法は、西欧のマネによって作られた刑法ですが、その刑法は第199条で「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」としているだけです。
    そして刑法第44条で未遂も処罰されます。
    第201条では、殺人予備をした者は二年以下の懲役に処し、情状により、その刑を免除することができるとしています。
    そこに遺族の怒りという概念はないのです。

    これが江戸時代であれば、犯人の少年たちは間違いなく極刑に処せられたでしょうし、その少年らを父が斬ったなら、その父は、不幸だけれど立派な父として世間の称賛を浴びることになったでしょうし、また奉行所も、むしろその父の行動を歓迎したことでしょう。

    なぜなら、大事な娘を奪われたなら、
    「たとえ相手がヤマタノオロチであっても、果敢に戦いを挑む」
    ことが、我が国では神話の時代から続く伝統的価値観だからです。

    旧約聖書において、エデンの園で禁断のリンゴを食べてしまったアダムとイブは、神に問い詰められたときに、次のように答えて責任を転嫁しました。
    アダム「神に創られた女が勧めた」と神と女に責任転嫁
    イブ「蛇に騙された」と責任転嫁した。
    このため怒った神が、イブに対して「産みの苦しみと夫からの支配」を、アダムに対しては「地から苦しんで食物を取ることと土にかえれ」と命じています。
    これが人類の原罪です。
    聞いたことがある方も多いと思います。

    そしてこのことが原因となって、男性にとって労働は、ただの苦痛となり、働かず、汗を流さずに所得を得ることが、社会の上層部に立つ者の基本姿勢となり、また女性は男性からの支配からの脱却が女性運動の目標となって、ジェンダーレス等の提案が起きています。

    働くことを喜びとし、男性の仕事を内君として支えることが女性の役割としてきた日本の文化からすると、びっくりするような行動ですが、それは神話によって形成された価値観に基づいて、何が正しくて、何が間違っているのかの判断が行われた結果となっているわけです。

    このように、何が正しくて、何が間違っているのかの判断をするための価値観というものは、古くからの伝統的価値観によって形成されます。
    そしてここでは、より古いことが、より正しいものとされます。

    これをざっくりと簡単にまとめるなら、
    「古いということに価値がある」
    ということになります。

    そしておもしろいことに、二つの異なる価値観がぶつかったとき、最終的な判断は、より古い価値観の方が、必ず「正しい」とされます。
    つまり、古いことが「正しい」ことなのです。

    これが伝統的価値観と呼ばれるものの正体です。

    ここでは古いものほど価値を持ちますから、最も古いものが、最も価値のあるものであるということになります。
    そして各民族が持つ、最も古い価値観を形成しているものが、神話です。

    だから、神話が価値観を形成するのです。
    そして民族の神話を失うことは、民族としての価値観を失うことですから、民族そのものが崩壊するのです。


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  • 縄文の女神と日本的価値観


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    これからの日本は、単に「外国でこう言っているから」という、外来文化をただ無批判に受け入れることに、もう終止符を打っていいと思います。
    日本的文化や価値観を踏まえながら、逆に世界に向けて堂々と日本の文化を「正しく」発信していく。
    そういうことが、これからより一層、求められる時代になるのではないかと思います。

    国宝・縄文の女神(山形県立博物館所蔵)
    20170215 縄文の女神



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    上の画像は、平成4(1992)年に山形県舟形町の西ノ前遺跡から発掘された土偶です。
    4700年前に作られたもので、「縄文の女神」と名付けられています。
    ミロのビーナスが約2千年前のものですから、それよりも倍以上も古いものです。

    高さは45センチです。
    なんともいえない美しい形をしています。
    顔はありませんが、乳房があり、お尻が張っていて、あきらかに女性の像と分かります。
    その造形から「八頭身美人土偶」とも呼ばれています。
    そしてすこしお腹が大きいです。
    つまり、妊娠した若い女性の造形です。

    縄文時代の土偶というと、多くの方がすぐに思い浮かべるのが、次の写真ではないかと思います。

    遮光器土偶(亀ヶ岡遺跡から出土)
    20170215 遮光器土偶


    これは遮光器土偶といって、目玉が横線になっていたり、着衣が妙に膨らんでいたり、細かな絵柄が描かれていたりすることから、飛来した宇宙人を象ったものではないかとか、ガンダムのような古代ロボットに違いないとか、いろいろなことが言われています。
    想像力がかり立てられるのは、とても楽しいことだと思います。

    この遮光器土偶は発見は、とても早いもので、江戸時代の初期(1622年)にまでさかのぼります。
    たまたま津軽藩の二代目藩主が城をそこに築こうとしたら、丘から大量の土偶や土器、甕(かめ)などが出土しました。
    この土偶もそのときに発見されたもので、発見されたときは五体がバラバラでしたが、それを組み合わせて復元したのが、写真の遮光器土偶です。

    ちなみに、丘(岡)から甕(亀)が発見されたので、発見場所は「亀ヶ岡遺跡」と名付けられています。
    場所は青森県つがる市です。

    残念なのは、昔は遺物の保存や保管が大切なものとは、あまり認識されていなかったため、遺跡から発掘された多くの遺物が持ち出されてしまいました。
    遠くオランダにまで売られて行ったものも少なくないそうです。
    散逸した遺物は、一万点以上ともいわれています。

    縄文時代の土偶というのは、日本国内でものすごくたくさん出土しています。
    すでに発見されているものだけで約1万5千体。
    実際に作られた土偶は、おそらく3千万体以上あったであろうといわれています。

    その中でもっとも古いとされている土偶が、平成22(2010)年に滋賀県東部にある相谷熊原遺跡で発見された、約1万3千年前の縄文時代草創期の土偶です。
    下の写真がそれです。

    最古の土偶(粥見井尻遺跡)
    20170215 最古の土偶


    高さ3.1センチ、幅2.7センチ、重さ14.6グラムのこの土偶は、女性の胴体部分のみを表した見事な造形です。
    1万年前といえば、ヨーロッパでは、まだ旧石器時代です。
    それより三千年も古い時代に、日本ではなんと土偶が作られていたわけです。

    下の写真は、長野県茅野市の棚畑遺跡から出土した、いまから約四千年前の土偶です。高さは二七センチあります。
    この土偶も冒頭の西ノ前遺跡の土偶と同じく、美しい容姿から「縄文のビーナス」と呼ばれています。

    縄文のビーナス(茅野市尖石縄文考古館所蔵)
    20170215 縄文のビーナス


    胸があり、お尻が豊かに張り出しています。
    そして、ちょっとお腹も張り出しています。

    そういえば遮光器土偶も、乳があり、お腹が張り出しているように見えないこともありません。
    実はこのことが、そもそも
    「土偶が何のために作られたのか」
    ということと、密接に関係しているといわれています。

    土偶の特徴は、体つきがリアルなわりに、顔がなかったり、かなりデフォルメされていることです。
    そして不思議なことに、完全体で発掘される土偶はありません。
    土偶は明らかに意図的に割られ、バラバラな状態で、しかも同じ遺跡の中で各所に分散して埋められているのです。
    しかもそれが縄文期を通じて3千万体も作られたであろうことが分かっている。
    けれど、用途は不明といわれています。

    土偶が何に使われていたかについては、さまざまな説があります。
    中にはそもそも土偶は男なのか女なのかという議論もあり、それぞれの学者さんたちの論説はたいへん面白いものです。

    土偶の用途について、私がなるほどと納得させられたのが、
    「妊婦身代わり説」
    です。

    土偶は、どれもがすぐにそれと分かる女性像です。
    乳房があり、お尻が張り、中には女性器が刻まれていたりするものもあり、そして何より、ほとんどの土偶のお腹が大きいのです。
    つまり土偶は、妊婦なのではないかというのです。

    女性の出産は、とてもたいへんなことです。
    現代では、かなり安心して子供を産めるようになりましたが、いまから何千年も前の縄文時代では、なかなかそうはいきません。
    母体も子供もどちらも無事なまま、見事、元気に生まれてきてもらいたい。

    その思いは、昔も今も変わるものではありませんし、昔は子が死ぬことが多かったですし、出産時に母体が死んでしまうこともよくありました。
    そうした時代環境下で、妊婦姿の土偶が、意図的に破壊され、埋められたということは、妊婦の身代わりとして、土偶にあちらの世界に行っていただいたのではなかろうか、というわけです。

    つまり土偶は妊婦の「身代わり人形」だったというわけです。
    女性が妊娠したら、その女性を型取った土偶(人形)を一体用意します。
    あまりリアルに作ったら、神様が間違えてホンモノの母体のほうを連れて行ってしまうかもしれません。
    ですから、人形はデフォルメされた形にします。

    そして、神様の捧げものとして、土偶を破壊して埋め、身代わりにあちらの世界に行っていただく。
    そうすることで、母体や胎児の安全が図れると縄文時代の人々は考えていたのではないでしょうか。

    土偶が装飾されていたりすることも、神様への捧げものであると考えればうなずけます。
    実際いまでも、「お守り札」などは、中に板が仕込まれていて、何かのときに身代わりに割れることで、それを所持する人の命を守るとされているものがあります。

    日常の安全祈願でさえそうなのです。
    まして生涯の一大事である出産です。
    そして女性の出産のために、これだけたくさんの土偶が作られていたということは、子を産むという神秘の力を持つ女性が、大昔の日本でとても大切にされていたことを物語っています。

    中世以前の世界では、人身御供や、人柱などという習慣もありました。
    誰かを守るために、誰かが犠牲になる。そのために誰かが殺される。
    人類の歴史には、そのようなことも多数ありました。
    けれど縄文の日本人たちは、誰も殺さず、むしろ土偶という身代わりを立てて、神様に捧げました。

    そういえば古墳時代の埴輪も、古墳の人柱を人形で代用したものといわれています。
    人の命をなにより大切にしてきたのが、日本の古来からの変わらぬ文化です。

    縄文時代の遺跡は全国に数万カ所あります。
    お近くに「なんとか貝塚」というのがあれば、それが縄文時代の遺跡です。
    さまざまな遺跡から、さまざまな遺物が発掘されています。
    けれど、世界中の古代遺跡からは必ず発見されるのに、我が国の縄文遺跡からは、ただのひとつも発見されていないものがあります。
    それは「対人用の武器」です。

    矢じりや石斧はたくさん発掘されているのですが、どれも形が小さく、小動物を射たり、加工用の道具には使えても、大型動物である人を殺すには、どうみても適さないのです。
    対人用の武器が全く出土しない一方で、馬に食わせるほどたくさん見つかっているのが、ブレスレットとかアームリング、ネックレスなどの女性用の装身具です。

    古来、女性は布や花冠などのやわらかなものを加工するのが得意ですが、貝殻や石などの硬いものを加工するのは、世界中どこでも男性の役目です。
    そして宝石などで身を美しく飾るのは、女性です。

    実際に、縄文時代の女性の人骨には、装身具をまとったままで発掘されているものが多数あります。
    装身具をまとっているのは、ことごとく女性の人骨です。

    縄文時代の平均寿命が二十四歳くらいだったということなどを考え合わせると、おそらくは、こういうことだと思います。
    男性が好きな女性を射止めるために、一生懸命貝殻などを加工してブレスレットやネックレスなどを作り、それを彼女に
    「私の妻になってください」
    とプレゼントしたのでしょう。

    女性はそれを受け取って男性の妻になり、そして子を授かるのだけれど、若くして永遠のお別れが訪れます。
    身につけた装身具は、つまり
    「私、永遠にあなたのものよ」
    というわけです。
    なんだかとても温かいお話です。

    結婚したカップルのことを「夫婦」といいますが、実はこれは戦後の言葉です。
    戦前までは「めおと」といいました。
    「めおと」は漢字で書いたら「妻夫」です。
    妻が先、夫が後です。

    男性は、妻のことを「かみさん」と呼びますが、それは女性が家の神様だからです。
    なぜ神様なのかは、縄文時代の土偶を見れば分かります。
    子を産む力は、女性にしか備わっていません。
    命を産み出す力は、まさに神様の力です。

    そして極めつけは日本の最高神です。
    天照大神は女性神といわれています。
    面白いもので、いまから1400年ほど前に渡来した仏教では、「女人五障」などといって、女性は穢れていて悟りを開くことができないと説かれていました。
    もっとも宗派によっては女人成仏を説いたり、女性が悟りを得たときには、男性より高みに上れるという宗派もあるそうですから一概にはいえません。

    キリスト教では、女性のイブは、アダムの肋骨の一本から生まれ、神の戒めを破ってリンゴの実をかじり、エデン追放の原罪をつくった悪者とされています。
    「女児は男児より成長が早いが、
     それは有益な植物より雑草のほうが
     生長が早いのと同じである・・・」
    とんでもない論説ですが、これを誰が説いているのかというと、16世紀のドイツの有名な神学者のマルチン・ルターです。
    ちょっとひどい言い方です。
    西欧はレディー・ファーストの国で、女性がとても大切にされているといいますが、西欧文化の根源になっている宗教観は、どうやら違っていそうです。

    イスラムでは、『コーラン』に
    「女は男の所有物である」
    と書かれています。
    これまたひどいはなしです。

    では日本ではどうかというと、最初の男女神はイザナギとイザナミですが、二神は天の浮橋(おそらく空に浮かぶ銀河)の上に立ち、
    「なあ、俺たちや俺達の子孫が暮らす
     よろこびあふれる楽しい国はないだろうか」
    「何言っているのよ、あなた。
     そんなところあるわけないじゃないの」
    「そっか。じゃあさ、俺たちでつくろうよ」
    そう語り合った二神は、下の方にある混沌としたところを、天の沼矛でコオロコオロとかき回して、引き上げた矛の先から滴った雫が固まってオノゴロ嶋をつくりました。
    そして、その嶋に降り立った二神は、神の前で結ばれ、国を生み、神々を生み、私達の祖先となりましたと、このように書いているわけです。

    最初から、男女は対等なのです。
    ただし、男と女で役割が違う。
    なにしろ、子を産めるのは女性だけです。
    そしてその子は、人の子ですから、当然、魂を持ちます。
    つまり女性のみが神々から魂を授かることができる。
    つまり女性だけが神々と直接繋がることができたとされてきたのが、万年の単位で続く、縄文以来の日本人の思考です。

    だからそんな大切な女性を、出産のリスクから護るために、妊婦を象った土偶をつくり、その土偶を神々に(妊婦の身代わりとして)捧げることで、安全な出産を願った・・・・その証が土偶である、というわけです。

    そうそう。
    ここでひとつどうしてもお話しておかなければならないことがあります。
    よく「日本は多神教の国である」といわれます。
    なるほど、八百万の神々の国ですから、多神教には違いないのですが、欧米における多神教と、日本の多神教では、決定的に違う点がひとつあります。
    そしてこのことを理解しないまま、安易に
    「日本は多神教の国です。
    (Japan is a polytheistic country.)」
    などというと、ものすごく大きな誤解を受けることになるので注意が必要です。

    一般に「ポリティシズム(polytheism)」というのは多神教のことですが、ここでいう神々というのは、日本語的な語感でいえば、ギリシャ神話に登場するアポロンの神々や、イギリスのケルト信仰にある「妖精」に近いもののことです。
    つまり「神々と人間」、もっというなら「神と人間」であって、両者は、いわば「猿と人間」というのと同じで、まったく異なる生命体(?)です。
    もっというなら、オーナー(支配者)と、スレイブ(奴隷)との関係といえるかもしれない。
    そのオーナーの一族が多神教としての神々であったり、あるいは人とはまったく異なる世界の住人である妖精たちであったりします。

    けれども日本の場合、神々というのは、ひとことでいうなら私達の共通の祖先の霊ことを言います。
    いま生きているひとりの人が生まれてくるために、700年前の1億3千万人の祖先が必要です。
    これか万年の単位になったら、それこそ数え切れないほどの祖先が必要であり、いたことになります。
    それらを総称して、私達日本人は、これを「神々」と呼んできました。
    ですから私達も死ねば(基本的には)神になる。
    そういう意味では、日本的神々は、人の延長線上にある、人と同じように泣いたり笑ったりする感情を持った存在です。
    人にとって神が客体ではなく、主体である人の一部なのです。
    このことを間違えて、八百万の神々を「Gods of eight million」なんて訳したら、西洋の人たちは目を丸くします(笑)。

    話が脱線しましたが、「縄文の女神」に象徴されるように、日本人は一万年以上もの昔から女性に神秘を感じ、女性を大切にしてきました。
    男女は互いに対等であり、互いの違いや役割をきちんと踏まえて、お互いにできることを相手のために精一杯やろうとしてきました。
    日本の知恵は、この何十年かの間に外来でけたたましく起きてきた女性差別云々の議論より、はるかに古い歴史を持つ、温かで寛容なものなのです。

    ちなみに女神像といえば、女性の肉体美を讃える存在というのが、世界の定番です。
    けれど日本の縄文の女神は、お腹の大きな妊婦であり、生きた女性を守るための身代わりでした。

    女神様が率先して身を捧げて、私たちを守ってくださる。
    そこに感謝する。
    神様に身代わりになっていただいて永らえたありがたい命だから、お互いに大切にする。
    互いに慈しみ、支え合って生きる。
    それが縄文以来一万年以上もの長きにわたって培われた、私たち日本の文化の底流をなすものなのだろうと思います。

    これからの日本は、単に「外国でこう言っているから」という、外来文化をただ無批判に受け入れることに、もう終止符を打っていいと思います。
    日本的文化や価値観を踏まえながら、逆に世界に向けて堂々と日本の文化を「正しく」発信していく。
    そういうことが、これからより一層、求められる時代になるのではないかと思います。


    ※この記事は2017年2月の記事のリニューアルです。
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     これにより陰陽相和し、神々のみわざも順調に行われた。
     今わが世においても、
     神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。
     群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」

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    第30代敏達天皇の即位14年春2月24日のことです。
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    そのような情況の中で、天皇が仏を祀れと詔されたと聞いた物部守屋大連(おほむらじ)は、3月1日、中臣勝海とともに禁裏にまかり、主上に
    「なにゆえ我らの言葉を用いないのでしょうか。
     父天皇であられる欽明天皇から、
     陛下(敏達天皇)の時代に至るも病が流行して、
     国の民の命が絶たれています。
     それは蘇我臣が仏法を興しているからでございます」と奏上します。

    天皇は
    「それが明らかならば、仏法を止めよ」と詔されました。

    こうして3月30日には、物部守屋は自ら寺に詣出て、床几(しょうぎ)に座ると、寺の塔を切り倒し、これに火をつけ、仏像と一緒に焼き払いました。
    さらに焼け残った仏像を取って、難波の堀江に捨ててしまいます。

    この日は雲が無いのに風が吹き、雨が降っていました。
    物部守屋は雨衣を被りながら、蘇我馬子に従う仏僧らを詰問しました。
    さらに蘇我馬子が供えた尼たちを呼び寄せると、彼女たちを牢屋に預けました。
    牢番たちは、尼たちの三衣(さむえ)を奪い、縛り上げて市販の馬を叩く棒で、楚撻(そうち=鞭打)ちました。
    (便奪尼等三衣、禁錮、楚撻海石榴市亭)

    ところがそうまでしたのに、一向に疫病がおさまる気配がない。
    蘇我馬子は、
    「これは物部氏が仏像や仏僧らにひどい仕打ちをしたから、仏罰が下ったのではないか」と言い出します。

    こうして、6世紀の日本は、蘇我氏と物部氏の相克の時代となっていきました。。。。。

    と、以上は日本書紀にある物語です。

    結局、587年の丁未の乱で物部氏は滅ぼされ、この対立に決着が付きますが、それでも仏教と古来の神道との間には、その後も軋轢がきしみ続けます。

    そうした時代下にあって、593年、推古天皇が御即位され、聖徳太子を摂政に起きました。
    聖徳太子は、翌年2月1日に、三寶興隆の詔(仏教興隆の詔)を推古天皇の御名で発します。
    「三寶」とは仏法僧のことです。

    そして聖徳太子は、飛鳥寺、法隆寺(斑鳩寺)、中宮寺(中宮尼寺)、橘寺、蜂岡寺(広隆寺)、池後寺(法起寺)、葛木寺(葛城尼寺)、叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺などを次々に建立していきます。
    こうして仏教界に完全に安心を与えた後に、聖徳太子は、

    607年2月、「敬神の詔」を推古天皇の御名で詔するのです。
    それは、
    「古来わが皇祖の天皇たちが、世を治めたもうのに、
     つつしんで厚く神祇を敬われ、山川の神々を祀り、
     神々の心を天地に通わせられた。
     これにより陰陽相和し、神々のみわざも順調に行われた。
     今わが世においても、
     神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。
     群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」
    (朕聞之、曩者、我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祗、周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎。故、群臣共為竭心、宜拝神祗。)
    とするものでした。

    こうして我が国は、ご皇室は神道と仏教を見事に大調和させていくのです。
    この大調和の精神は、それから1400年以上経過した我が国において、いまなお生きている精神です。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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