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『家康の築いた江戸社会』■□■━━━━━━━━━━━━━■□■ちょっと見方を変えて、常識を働かせて考えてみる。 これが帰納法や演繹法と異なる、論理学の手法「アブダクション(abduction)」です。
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画像出所=https://logmi.jp/business/articles/320246
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日本をかっこよく!!!最新刊!! アブダクションというと、すぐに思い浮かぶのは「UFOによってアブダクション(拉致)された」という用語の使い方ですが、実はアブダクション(abduction)には、もう少し違う使い方があります。
アブダクションの語源はラテン語の「abducere」で、もともと「別な側に転じる」という意味を持つ言葉です。
そこから「拉致」の意味にも用いられるのですが、哲学用語としてのアブダクションは、哲学的思考のための「仮設形成」という意味の言葉になります。
哲学的な思考として昔からよく言われるのは、
演繹法(deduction)
帰納法(induction)
の2つです。
どちらも論理的推論のための方法です。
例を用いて説明すると、まず演繹法(deduction)は、
(前提) すべての人は死ぬ
(事実) 織田信長は人間だ
(結果) 織田信長は死ぬ
という思考展開になります。
演繹法では、前提の中に先に結果が含まれていますから、演繹的思考に思考の発展性はありません。
あくまで結論の中に思考を押し止めることになります。
このため宗教的な教えによく用いられます。
これに対して帰納法(induction)は、
(前提) 信長は死んだ
(前提) 光秀も死んだ
(前提) 秀吉も死んだ
(前提) 家康も、歴代将軍も皆死んだ
(結論) だからすべての人は死んでいる
まるで北斗の拳のケンシロウの「お前はもう死んでいる」みたいですが、実はこれが帰納法です。
アタタタ・・と拳を打ちこんだのだから、統計的に、また論理的に「もう死んでいる」という結論が導き出されているわけです。
けれど、ときどき、例外が生まれます。
上の例では、結論は「すべての人は死んでいる」ですが、どっこい、いま生きている人は世界中にいます。
けれども人類史上、なくなった方の数をすべて調べ、一方でいま生きている人の数を調べてこの両者を比較すれば、人類史上で死んだ人の数の方が圧倒的に多いです。
ということは、帰納法的な思考のもとでは、生きている人間は、例外的に発生するものであり、死んでいることが常態ということになってしまいます。
ここに帰納法の限界があります。
パソコンなどを用いたシミュレーションは、よく行われるものですが、実際に作った方はおわかりになるかと思いますが、基本的なパラメーターは、すべて「エイヤッ!」で決めているものです。
そしてパラメーターが変われば、答えは真逆になってしまったりします。
事実や理論の積み上げて物事を理解する帰納法は、一見科学的に見えますが、実は最初の部分は、鉛筆を舐めて決めているだけのことでしかないのです。
たとえば有名なランチェスターの法則は、10人と100人が戦えば「√(100−10)=9.49)となり、10人が全滅したとき、100人の側は95人が生き残ると計算されます。
けれど、10人の側がプロの格闘家、100人の側が小学生の子供達であったなら、10人の側が勝利したとき、100人の側が全滅しているかもしれません。
つまり、帰納法は、パラメーター次第で、実はまったく異なる回答になるわけです。
もうすこしわかりやすく、別な例でみてみます。
《演繹法》
(結論)日本人はK-POPが好きである。
(理由)なぜなら日本人のA子もB子もC子もK-POPが好きだと言っている。
まあ、ありがちな論理展開ですよね。
いわゆる「決めつけ」というやつです。
これが演繹法です。
《帰納法》
(理由)日本人のA子もB子もC子もK-POPが好きだと言っている
(結論)日本人はK-POPが好きである。
先に理由が述べられているところが演繹法との違いですが、でもこの結論、おかしいですよね?
いわゆる「誘導」になっている。
これが帰納法です。
演繹法とか帰納法とか、何やら難しい用語で誤魔化されていますが、簡単に言えば、この両者はそれぞれ、
演繹法=結論の決めつけ
帰納法=結論への誘導
でしかないわけです。
これに対し、もうすこしマシな第三の思考方法があるのではないかと言い出したのが、アメリカの哲学者のチャールズ・パース(1839年〜1914年)で、存命中はまったく評価されなかったけれど、いまでは「アメリカが生んだもっとも偉大な論理学者」とされている人です。
まあ、だいたい、世の中を良い方向にひっくり返すような偉大な人物というのは、存命中はあまり世間から評価されないものです。
だいたい死んだ後に、高く評価される。
ゴッホしかり、セザンヌしかり、モーツアルトしかりです。
このパースの唱えた思考方法が「アブダクション(abduction)」です。
「アブダクション(仮定的推論法)」は、演繹、帰納と異なり、次のような論理展開になります。
(現象1)コリアは、反日である。
(現象2)A子、B子、C子はK-POP好きである。
(仮説)文化は政治の対立を乗り越えることができるのではないか?
つまり「アブダクション(仮定的推論法)」というのは、演繹法のように「はじめに結論ありき」でもなければ、帰納法のように結論を求める(解を求める)ものでもなく、あくまで「仮説を立てる」ためのものである、という点が大きな違いです。
そして仮説が立てられることによって、「ではそのために何ができるのか」といった次のステップが生まれてきます。
まさに語源となっているラテン語の「abducere」の意味である「別な側に転じる」ことができるわけです。
神話を読んだり、古典を読んだりするときに、あらかじめ与えられた読解に基づいて、あくまでその範囲で読むのは演繹的な読み方です。
たとえば、アメノウズメが、天の岩屋の前で、裸になってカンカン踊りをして八百万の神々が大喜びしたという、従来どおりの解釈に基づいて、その範囲でなければ古事記を読むことが許されないというのは、演繹的な、学問の自由を損ねる異常な出来事です。
そこで古事記の解説書を、たくさん集めてきて、それぞれの解説書が、この場面をどのように解釈しているのかを取りまとめるのが、帰納法的なアプローチです。
けれど、そこで集めてきた資料のことごとくがカンカン踊り説ならば、結論は素カンカン踊りにしかなりません。
とりわけ我が国の場合、まともな書籍はGHQの焚書で、みな燃やされてしまっているわけですから、まともな研究文献を引用したくても、現実には引用自体が不可能であったりもするわけです。
そこで原点に戻って、つまり本当にそうなのか、古事記の原文立ち返って、そこに書かれている文を読んでみます。
すると次のように書かれています。
「為神県而、掛出胸乳、
裳緖忍垂於番登也。
尓高天原動而、八百万神共咲。」
なるほど「掛」という字は手偏で、手で胸を出したということです。
けれど、続く「裳緖忍垂於番登也」というのは、ハカマの腰紐を前に垂らしたという意味です。
つまり別に裸になったわけではなくて、前に垂らしたハカマの腰紐を揺らしながら踊ったと書いているのです。
別に裸になったわけではない。
つまりカンカン踊り説は、この瞬間に全部否定されます。
帰納法的に結論を得ようとして、関連書籍を集めて、ひとつひとつを精査してきたすべての努力が水の泡です。
しかも現実には、すべての書籍を集めて、そこにどのように書かれているのかを調べることは、不可能です。
だからその不可能なことのために、延々と時間だけを費やす。
結果、何の意味もないまま、ただ学問のためにするためだけの学問、もっというなら、教授の趣味に付き合うだけのゼミになってしまうわけです。
そして、そこから何も得ることはできない。
これはもったいないことです。
ではどうしたら良いのかといえば、たったひとつのことをするだけです。
それは、
「別な解釈があるのではないかと考えて
原典に帰って一から読み直してみる」
たったそれだけのことです。
もっというなら、
「自分の頭で考える」ということです。
そもそもそこでカンカン踊りとすることに、何か意味があるのか。
子供にも読ませるような神話に、カンカン踊りを登場させることに、そもそも意味があるのか。
ちょっと常識を働かせてみるだけのことです。
この「常識を働かせる」ということが、別な仮説を導きます。
そしてあらためて、いちから自分の手で読み直してみる。
これは古典に限ったことではありません。
営業成績をどうしたら向上させることができるのか。
人間関係のつまづきを、どのように解決したら良いのか。
恋愛の悩みから、どうしたら抜け出せるのか。
そうした悩みや疑問をかかえていながら、これまでと同じ行動をしているだけなら、あたりまえのことですが、
「同じ行動からは同じ結果しか生まれない」のです。
だから、
「ちょっと見方を変えて、常識を働かせて考えてみる。」
たったそれだけのことです。
そして新たな仮説を立ててみる。
これがアブダクション(abduction)です。
つまり「別な側に転じる」のです。
アブダクションによって得た結論は、必ずしも正しいものとは限りません。
しかし、そこで得ることができる新しい見解の創造は、新たな可能性と、未来に向かう建設性を招くのです。
※この記事は2021年2月の記事のリニューアルです。
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