• 万寿姫物語


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    3月の倭塾は、本日3月26日(日)13時半から開催です。
    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
    テーマは「日本精神を築いた十七条憲法」です。
    参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。
    皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
    https://www.facebook.com/events/458686826358362
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    「じゃあ君たちに聞くけど、感動があったら、法を破っても良いのかな?この場合、お母さんは殺人未遂犯だよ?」
    「だって先生、頼朝が感動したんだろ?」
    「将軍が感動したら、将軍の勝手気ままで、罪を赦しても良いのかな?」
    「じゃあ、御家人たちが感動したんだ。」
    「でも、決めたのは頼朝でしょう?」
    「みんな感動したんだよ」
    「でもさ、へそ曲がりっていない?」

    20180321 舞を奉納する万寿姫_th2
    画像出所=https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b242342117
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    戦時中の国民学校4年生【いまの小学4年生】の国語の国定教科書に書かれていた「万寿姫」という物語をご紹介します。
    使っている漢字は原文のままで、読みやすいように現代語に直してご紹介します。
    (てか、小学校4年生で、これだけの漢字がちゃんと読めたのがスゴイ!!)

     ***

    ある日源頼朝は、鶴岡八幡宮に舞の奉納をするために、舞姫を集めました。
    舞う少女は12名いました。
    推薦もあって11人まではすぐに決まったのですが、あとひとりが決まりません。

    困っているところへ、御殿に仕える万寿姫【まんじゅひめ】がよかろうと申し出た者がありました。
    頼朝は一目見た上でと、万寿姫を呼び出しました。
    見目麗しく実に上品な娘です。
    さっそく舞姫に決めましたが、万寿は当年13歳、舞姫の中で、いちばん年若でした。

    奉納当日、頼朝を始め舞見物の人々が、何千人も集まりました。
    一番、二番、三番と、十二番の舞がめでたく済みました。

    なかでも特に人がほめたのが五番目の舞でした。
    この時は、頼朝もおもしろくなって一緒に舞いました。
    その五番目の舞が万寿姫でした。

    明くる日、頼朝は万寿を呼び出しました。
    「さてさて、このたびの舞は日本一のできであった。
     お前の国はどこだ。
     また親の名は何と申す。
     褒美は望みにまかせて取せよう。」

    万寿は恐る恐る答えました。
    「望みはございませんが、
     唐糸【からいと】の身代りに
     立ちとうございます。」

    これを聞いた頼朝は、顔色がさっと変わりました。
    深い事情があったからです。

    一年ばかり前のこと、木曾義仲【きそよしなか】の家来の手塚太郎光盛【てづかのたろうみつもり】の娘が、頼朝に仕えていたのですが、頼朝が義仲を攻めようとするのを知って、義仲にその情報を知らせたのです。

    義仲の動きは早く、
    「すきをねらって頼朝の命を取れ!」
    と、木曽義仲の家に代々伝わっていた大切な刀を送ってよこしたのです。

    光盛の娘は、それから毎晩頼朝を狙いました。
    けれど、少しもすきがありません。
    かえってはだ身はなさず持っていた刀を見つけられてしまいました。

    刀に見おぼえがあった頼朝は、この女は油断できないと思い、女を石の牢屋に入れました。
    その女が唐糸【からいと】でした。
    唐糸には、その時12歳になる娘がいました。
    それが万寿姫だったのです。

    姫は木曾に住んでいました。
    風のたよりに事件を聞き、乳母【うば】を連れて鎌倉を目指したのです。

    二人は、野を過ぎ山を越え、馴れない道を一月余りも歩き続けて、ようやく鎌倉に着きました。
    そしてまず、鶴岡の八幡宮へ参って、母の命をお助けくださいと祈り、それから頼朝の御殿へあがって、乳母と二人でお仕えしたいと願い出ていたのです。

    かげひなたなく働く上に、人の仕事まで引き受けるようにしていたので、万寿、万寿と人々に可愛がられていました。

    さて万寿は、だれか母の噂をする者はないかと、気をつけていたのですが、10日経っても、20日経っても母の名を言う者はありません。
    ああ、母はもうこの世の人ではないのかと、力を落していたところだったのです。

    ところがある日、万寿が御殿の裏へ出て、何の気もなくあたりを眺めていますと、小さな門がありました。
    そこへ召使の女が来て、
    「あの門の中へ入ってはなりません」
    と言いました。

    わけを尋ねると、
    「あの中には石の牢屋があって、
     唐糸様が押し込められています」
    といいました。
    これを聞いた万寿のおどろきと喜びは、どんなであったことでしょう。

    それからまもなくのある日のこと、今日はお花見というので、御殿には多勢の御家人たちが集まりました。
    万寿は、その夜ひそかに、乳母を連れて、石の牢屋をたずねました。
    八幡樣のお引合わせか、門の戸は細めに開いていました。
    万寿は、乳母を門のわきに立たせておいて中へはいりました。

    月の光に透かして、あちらこちら探しますと、松林の中に石の牢屋がありました。
    万寿が駆け寄って牢屋の扉に手を掛けますと、
    「たれか?」
    と牢の中から声がしました。

    万寿は、格子【こうし】の間から手を入れ、
    「おなつかしや、母上樣、
     木曾の万寿でございます。」

    「なに、万寿。
     木曾の万寿か!」

    親子は手を取りあつて泣きました。
    やがて乳母も呼んで、三人はその夜を涙のうちに明かしました。

    これからのち、万寿は乳母と心を合わせ、折々に石の牢屋を尋ねては、母をなぐさめていたのです。
    そうして、そのあくる年の春、舞姫に出ることになったのでした。

    親を思う孝行の心に頼朝も感心し、唐糸を石の牢から出してやりました。
    二人が互いに取りすがって、うれし泣きに泣いた時には、頼朝を始め居あわせた者たちに、だれ一人、もらい泣きをしない者はありませんでした。

    頼朝は、唐糸を赦【ゆる】した上に、万寿に、たくさんの褒美を与えました。
    親子は、乳母といつしよに、喜び勇んで木曾へ帰りました。

     ***

    戦前戦中の教育といえば、すなわち軍国主義教育であったと一刀両断する論調があります。
    しかし上にある物語は、むしろ情愛を述べている物語であって、そこに軍国主義の欠片もありません。
    一方、戦前の教育を否定する現代の教育学会は、「戦前の心の教育は、子らに価値観を強要するものだからいらない」と言いますが、果たしてそうでしょうか。

    また、戦後教育なら、この本文から「文中にある『それ』は何を指していますか。○字以内で答えなさい」といった設問しか行われません。
    けれど、上の文章で大切なことは、「その」や「それ」が何を指しているかではなく、もっと別なところにあるのではないでしょうか。

    要するに、戦後の国語教育は、テストとして出題のしやすい文法にやや偏重しているといえます。
    けれど戦前戦中までの教育は、文全体を通じて、作者が伝えようとしている真意はなにかに置かれていました。
    この万寿姫の物語でいえば、親子の情愛が第一の主題です。

    そして第二の主題は、将軍の命を狙うという重罪と、親子の情愛と、いずれが尊重されるべきものであるのかという設問です。
    社会的規則や規定と、人としての情愛と、そのどちらが尊重されるべきものであるのか。
    ここで述べられていることは、我々は社会人であるけれど、同時に心を持った人間である、ということを大事にしなければならないという精神が語られているのではないでしょうか。

    通州事件は、チャイナ国民党所属の学生たちが日本人居留民およそ250名を、人類史上稀ともいえるほど残虐な方法で虐殺した事件です。
    通州城に日本軍が駆けつけると、その学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。
    そしてその学生たちの多くが、北京市内に逃げ込みました。

    その北京には、多くの日本人が住んでいました。
    その日本人たちは、通州事件も模様が報道されていたにも関わらず、危険を顧みずにそんな非道を犯した学生たちを匿い、食事与え、旅費まで与えて、親元に変えるようにと説諭して、送り出しています。
    戦後教育を受けた我々には、あまりにもお人好しにさえ見える当時の日本人の行動ですが、その学生たちも動員されて非道を行わされたものであり、ひとりひとりは、ただ貧しいだけの人の子であることを、当時の日本人はちゃんとわかっていたのです。

    甘いと思われるかもしれませんが、そこまで当時の日本人が人道や人の情愛を大切にしたのは、やはり教育の成果であったのであろうと思います。

    また同様に、ガダルカナル島やインパールで亡くなった日本の若い兵隊さんたちは、現地が熱帯地方で、周囲にヤシやバナナの木が茂り、またインパールでは街道の周囲がたわわに作物の稔る農地であったにも関わらず、それらはすべて現地の人たちのものだからと、一切その食料に手を付けないまま、飢えて死んでいます。
    これまた人の道をどこまでも大切にするという心があったからといえるのではないでしょうか。

    近年では、やたらと「愛が大切」と言われます。
    教育と異なり、世間でしきりに言われることというのは、基本「ないものねだり」です。
    愛のない世界になっているから、愛が叫ばれるのです。
    そして愛が権力や経済によって平気で蹂躙される社会だから、愛が喧伝されるとみることができるのです。

    実際、「愛の意味はなんぞや」と問われて、即答できる人は少ない。
    男女の愛、恋愛、愛情、なんとなくわかるけれど、では「愛とは何ですか」と聞かれても答えられる人はほとんどいません。

    ところが戦前の教育を受けたお年寄りは、
    「愛というのは、いとしくおもうことだよ」
    と即答します。

    理由は簡単です。
    日本書紀を国史として学んだ戦前の日本人は、持統天皇の章において、「愛国」と書いて「国をおもふ」と読み下すと、誰もが学校で教わっていたからです。

    国語教育の目的は、平成29年の小学校学習指導要領には次のように書かれています。
    ****
    言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
    ⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
    ⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
    ⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。
    ****

    つまり国語教育の目的は、ひとことで言うなら「日本語を用いたコミュニケーション力の強化」にあるとしているわけです。
    そして上にある3項目は、いずれも「外国人が日本語を学ぶ」ときと同じ趣向であるとわかります。
    もっというなら、国語の表面的なレトリックを学ぶのであって、国語を通じて人としての高い人格形成を図るといった人間教育の視点には、まったく触れられていないことがわかります。

    もちろんコミュニケーション力は大事です。
    けれどその根幹に、人に対する深い愛情が育っていなければ、コミュニケーションは冷えた関係になってしまいます。
    近年ではコミュニケーション障害となる若者が増えているといいますが、そもそもコミュニケーション云々の前に、もっと大切な、お互いの思いやりの心といった人として大切な事柄が、そもそもまったく欠如した教育が行われているのです。

    このため、国語教育が「なんのためにあるのかわからない」といった現象があたりまえのように起こりました。
    そしてもともと国語教育は算術と修身と並んで三大科目のひとつであったものが、近年では、国語よりもむしろ英語が大事だといった論調が主流になりました。
    結果、現代の国語教育のための授業時間は、かつての半分程度に縮小されるに至っています。

    だからと言って、文科省を責めるのはお門違いというものです。
    文科省は行政機構であり、行政機構は法に基づいて与えられた行政を行うことが仕事です。
    その法をつくるのは国会です。
    つまり国会が、子どもたちがちゃんとした教育を受けることができるように、法案を整備し、行政に改善を求める。

    そんな大切な国会が、8年前に言ったとか言わなかったとかいう、くだらない議論にもならない、ただの揶揄合戦に終始し、メディアまでもが一緒になって、高市大臣が言ったとか言わなかったとか騒ぎ立てる。
    そんなものは、政治ごっこ、政治遊びであって、国政とはいえません。

    もはや日本の政治は、行き着くところまで行き着いた。
    いまや、その根幹から、民意によって立て直すべきときにきています。
    そしてそれを行うのは、間違いなく目覚めた、普通の、日本人です。

    昔の国語の授業です。
    頼朝は、万寿姫と唐糸を赦しました。
    赦しただけでなく、褒美までとらせました。
    ここで先生から次のような質問がなされたものです。

    「さて、みんなはどう思うかな。」

    太郎君が手を上げ、先生が指名します。
    「母子が泣いたからです。
     女の涙って怖えから!」
    教室に笑い声がひびきました。
    花子さんが手をあげました。
    「万寿姫の孝行の気持ちや行動が感動させたから」

    先生「うん。そうだね。じゃあ君たちに聞くけど、
     感動があったら、法を破っても良いのかな?
     この場合、お母さんは殺人未遂犯だよ?」

    「だって先生、頼朝が感動したんだろ?」
    「将軍が感動したら、将軍の勝手気ままで、罪を赦しても良いのかな?」
    「じゃあ、御家人たちが感動したんだ。」
    「でも、決めたのは頼朝でしょう?」
    「みんな感動したんだよ」
    「でもさ、へそ曲がりっていない?」
    「いるいる」
    「てことはさ、このとき、赦すべきという人たちと、赦してはいけない、という人たちがいたってことだよね」
    「そそ。その最終決断をしたのが頼朝だったってことなんだろうね」
    「でも、そもそもどうして法を犯した人を赦しても良いんだろう」

    ・・・と、生徒たちの議論が続くわけです。
    そして先生から、ここで舒明天皇の「うまし国」ということが伝えられます。

    万葉集にある舒明天皇の御製です。
    「うまし国だよ。大和の国は」
    ここでいう「うまし国」というのは、万葉集では「怜忄可国」と書かれています。
    「怜」という字は、神々の前で傅【かしず】く心を意味します。
    「忄可」という字は、心にかなう、という意味で、訓読みが「おもしろし」です。
    つまり、神々の前でかしづく心で、こころにかなう。そういう国だよ、大和の国は、と舒明天皇が歌に遺されているわけです。

    もちろん法は大切です。
    けれどその法は、人が作ったものでしかありません。
    実際の世の中には、法が予定していた場合だけでなく、様々な現象があります。
    そしてそれを裁かなければならなくなったとき、法の前に、わたしたちの国では、神々がどのようにご判断されるのか。どうすることが、神々がいちばん喜ばれることなのか。
    そういうことを前提に、多くの人にの心にかなう裁定とはどのようなものであるべきなのかが、問われ続けてきたのです。

    万寿姫母子への判断も、その延長線上に裁定があります。
    ただ、法にあるからとか、将軍の命を狙ったからとか、そういうこと以上に、人としてたいせつなこと、そして人と人との絆といったものが、国法以上に大切なものと考えられてきた。

    だからこうした裁定が行われた・・・・ということが教室の中で先生から教えられたわけです。

    それにしても・・・
    母の唐糸は、単身、木曽から鎌倉へと渡り、また娘の万寿姫も、わずか13歳【当時は数え年ですから、いまなら12歳の小学6年生】の少女が、乳母と二人だけで、やはり木曽から鎌倉まで旅をしています。
    時代は、源平合戦が行われた時代です。
    そこここに敗残兵が隠れ、平家の残党狩りなどが行われていた、日本の歴史の中にあっても、きわめて殺伐とした時代です。
    そんな時代にあってさえ、女子が、少女が、護衛も付けずに長旅ができた・・・。
    これは世界史にあっても、きわめて異例なことです。
    日本の治安の良さは、ただ法によるばかりではなく、ひとりひとりが神々の前で正しく生きることが大事とされてきた中に存在したのです。

    さてみなさんは、この万寿姫の物語から、何をお感じになられましたか?

    ※この記事は2018年3月の記事のリニューアルです。
    日本をまもろう!

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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