• 元寇とネクロマンサー


    元寇の戦いには、一点、不思議なことがあります。
    それは、
    「なぜ元軍は、大軍を博多湾だけに集結させたのか」
    という疑問です。
    彼らは、遠路はるばる船を連ねて日本にやってきたのです。
    もし目指す上陸地点が博多湾ではなく、京都府のすぐ北にある若狭湾であったとしたら。
    あるいは博多湾に襲来すると見せかけて、そのまま下関海峡を抜けて瀬戸内に入り、大阪湾に上陸することもできたのです。
    それこそこれは、日本にとって「恐怖のシナリオ」です。

    20210304 死者の軍勢
    画像出所=https://peroperoblog.blog.fc2.com/blog-entry-641.html
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    小説も映画も大ヒットした『指輪物語』シリーズのペレンノール野の合戦で、「死者の軍」という大軍が登場し、主人公たちを助けるという物語がありました。
    また映画『ハムナプトラ』の第三作『呪われた皇帝の秘宝』では、ジェット・リーこと李連杰(り・れんぼく)演じるハン皇帝が、死者の軍を率いてこの世界を乗っ取ろうと大戦を仕掛けるという設定がありました。
    どちらも大ヒットした映画なので、ご覧になられた方も多いかと思います。

    どちらもただの空想の物語です。
    けれど意外とそういうことは「あり」なのかもしれません。

    時は1185年のことです。
    本州の山口県と、九州の福岡県を隔てる関門海峡で行われたのが、有名な「壇ノ浦の戦い」です。
    平家物語によれば、この戦いに動員した平家一門の船舶数はおよそ3千艘で、1船あたり、平均20名の乗船とすると、その兵力はおよそ6千名です(諸説あります)。
    その6千の軍勢が、一般には壇ノ浦で海の藻屑と消えたとされているわけですが、どっこい、人は魂の乗り物です。
    魂が本体、肉体はただの乗り物にすぎない、というのが縄文以来の我が国の知恵です。

    この戦いの後に行われたのが元寇です。
    一度目が文永の役(ぶんえいのえき・1274年)で89年後。
    二度目が弘安の役(こうあんのえき・1281年)で96年後です。

    特に二度目の弘安の役においては、日本の博多湾めがけて押し寄せた14万の元の大軍を、鎌倉御家人たち6万の軍勢が、見事打ち破っているのですが、この元寇の戦いには、一点、不思議なことがあります。
    それは、
    「なぜ元軍は、大軍を博多湾だけに集結させたのか」
    という疑問です。

    彼らは、遠路はるばる船を連ねて日本にやってきたのです。
    もし目指す上陸地点が博多湾ではなく、京都府のすぐ北にある若狭湾であったとしたら。
    あるいは博多湾に襲来すると見せかけて、そのまま下関海峡を抜けて瀬戸内に入り、大阪湾に上陸することもできたのです。

    なにしろ彼らは船に乗ってやってきているのです。
    そして船には機動力があります。
    14万の大軍を乗せた船団が、そのまま若狭湾や大阪湾に襲来していたら、その後の歴史はどのように変化したでしょうか。
    それこそ恐怖のシナリオです。

    しかし彼らはご丁寧にわざわざ大軍で、都から遠い博多湾に殺到してきています。
    どうしてなのでしょうか。
    一説によれば、当時の船は長期間の外洋航海に耐えなかったからといいます。
    しかし彼らの一部は、チャイナの今の福建省あたりからはるばる東シナ海を横断して日本までやってきています。
    つまり、十分な航海能力があったということです。

    さらに若狭湾までは、日本海の海流に乗っているだけで、潮流の関係で航海が可能です。
    そもそも元寇の時代よりもずっと前から、日本海の海流を利用して、平安時代には渤海国との交易が盛んに行われていたのです。
    仮にもし、彼らが船で東北地方にまでやってきていたら、東北地方で算出する莫大な黄金を手に入れていたかもしれません。
    あるいは大阪湾にやってくるには、下関海峡の壇ノ浦を越えさえすれば、あとは波の静かな瀬戸内の航海です。
    これまた大阪湾まで安全な航海が可能です。
    それがどうして、博多湾だったのでしょうか。

    実は、この疑問への答えとなりそうなことが、多分にカルト的になるけれども、元寇の100年前に沈んだ平家軍の将兵たちなのです。
    平家の将兵たちが海の守り神となって元軍が関門海峡以東に押し寄せることを断固阻んだ、とでも考える以外に、他に解釈のしようがないのです。

    平家というのは、たいへんに信仰心の厚い家で、広島の宮島にある厳島神社は、平清盛が造営し、有名な平家納経を行っています。
    この平家納経というのは、実にたいへんなことで、美しく大和絵が描かれた絵巻物に、平家の公達全員が、お経を手書きするというものでした。
    当時は、ぜんぶ筆字の自筆です。
    そして一文字でも間違えれば、一巻の絵巻物が全部ボツです。
    ですからこの絵巻物は、一字たりとも間違えないよう、毎回沐浴して体を清め、一文字ずつ丁寧に書写されたものです。

    それだけの貢献をした厳島神社の御祭神が、宗像三神です。
    宗像三神は、海の守り神で、その本営は福岡県宗像市にあり、日本神話に登場する日本最古の神社のひとつです。
    そしてその宗像神社は、博多湾から下関海峡に至る海上ルートの、ちょうど中間あたりにあります。

    実は元寇のとき、この宗像大社の辺りを越えて、下関海峡に入ろうとした元の船団がいたことが記録されています。
    ところがなぜかその船団は、そのままわざわざ潮の流れに逆らってまでして、博多湾に引き返しているのです。
    これは不思議な行動です。

    そして結果として、元の船は、まったく不思議なことに、宗像神社(御旅所)から沖合に浮かぶ宗像大社沖津宮を結ぶラインの外側、つまり博多湾だけに集結して、結果破れているのです。

    こうなると、もしかするとですけれど、実は下関海峡の壇ノ浦を通過して、瀬戸内から大阪湾に攻め込もうとした元の船の一部が、斥候として壇ノ浦に向かったとき、海中からネクロマンサー(死者の軍団)となった平家の軍団が、宗像三神とともに、海中から次々と立ち上がり、元の船に対して
    「ここは通さん!!」
    と刃向かってくれたからなのかもしれません。

    そうとでも考えなければ、元の軍勢が瀬戸内に入ろうとしなかった理由の説明がつかないのです。

    肉体はなるほど今生限りのものですが、魂は永遠の存在であり、むしろ肉体はその魂の乗り物にすぎない、というのが、日本の縄文以来の知恵です。
    そして縄文時代の集落跡を調べると、だいたい集落の真ん中にご先祖たちの墓地がある。
    このことはつまり、縄文人たちは、死者と共存していた、と考えられているわけです。

    実はこうした「集落の真ん中に墓地を持つ」という村落の構成は、いまでも南米や南太平洋の島々などに古くからの習慣として残っています。
    そして彼らは、共通のご祖先が倭人たちであるという。
    つまり、日本における古くからの万年の単位で行われ続けてきた習慣が、いまでも存続しているわけですが、このことが示す意味は、現代においても日本は、生者と死者が共存している国である、ということです。

    このように申し上げると、現代日本人には少しわかりにくいかもしれませんが、もともと仏教では、死んだ人の魂は濁悪の娑婆世界、つまりこの世を離れて、理想の国である極楽浄土へと旅立つとされています。
    その極楽浄土のひとつが、須弥山であり、東の果てにある扶桑国であり、ユートピアの蓬莱山、あるいは崑崙(こんろん)であるとされているわけです。
    だから、人が亡くなると、その魂は浄土へと旅立ちますから、お別れを告げる「告別式」が行われます。

    ところが日本古来の神道では、亡くなった人の魂は、家や村の守り神となって、子々孫々の幸せをずっと守り続けてくれると考えられています。
    つまり、日本は縄文以来、ずっと死者と共存する国であったし、それはおそらく今もなお、続いていると考えられるわけです。

    そうであれば、厳島神社で平家納経まで行った平家が、ただ闇雲に壇ノ浦で滅んだとばかりは、考えられない。
    なるほど彼らは、壇ノ浦の戦いで海に沈んだけれど、そこは海の守り神の宗像三女神のすぐお膝元でもあるわけです。
    なにしろ、元寇のときの元軍は、まったく不思議なことに、宗像神社(御旅所)から沖合に浮かぶ宗像大社沖津宮を結ぶラインを越えていないのです。

    海に沈んだ平家の武士たちは、宗像三女神の指揮のもとで、こんどは海の守り神となって死者の軍を起こし、元寇においては、元の大軍が関門海峡以東に移動するのを阻止し、また大東亜戦争においては、北九州に原爆を落とそうとしたB29を、南へと追い払うという、重要な働きをいまもなお、されている・・・のかもしれません。

    このように考えると、先の大戦で命を失った我が日本の英霊諸氏もまた、いまや護国の守り神として、この日本を守り続けてくれているということも、ごく自然な流れとして理解できます。

    終戦直後の日本は、どこもかしこも焼け野原でした。
    それに食料も不足していました。
    英霊の多くも、餓死しています。
    それだけに、彼らの子や孫たち(つまり戦後を生きた人たち)が、まずは国土を復興させ、産業を起こし、食べるに困らない国造りをする。
    そのことだけを、亡くなった英霊たちもまた、しっかりと応援してくれていたのであろうと思います。

    その間日本国内には、偏差値偏重教育とか、あるいは西洋かぶれの個人主義などといった怪しげな思想や、労使の対立と闘争といった事柄が、が生きている日本人の間に蔓延しました。
    しかしそのようなものは、英霊の子女たちが平和に豊かに安全に安心して暮らすことという大きなテーマの前には、およそ微細な波風にすぎません。
    平和ボケといいますが、戦乱の世と比べたら、平和ボケするくらい平和な社会であるということは、実はとっても幸せなことであるといえると思います。

    けれど世界がごく一部の利権を持つ者たちに支配され、世界中の人々がそんな大金持ちたちの植民地奴隷になろうとしている昨今、日本が平和ボケのままでいることは、日本人の生活まで困窮させ、国土を腐敗させる大きな要因となります。

    だからいま、英霊たち、そして我が国を築いてきた歴史上の日本人たちのすべてが、日本の建て直しのために動き出した。
    そして生きている日本人を目覚めさせるためには、30年という長く続く不況さえも経験させる必要があった。
    このように考えることもできるのです。

    我々、生きている人間は、生きている人間の世界だけが世界に存在していると思いがちです。
    けれど、もしかすると縄文時代に万年の単位で習得した知恵にあるように、我々の生者の世界というものは、実は死者と共存している世界なのかもしれません。

    生きている人は、必ず睡眠を取りますが、深い睡眠状態のときには、実はその人の魂が肉体から抜け出て、あちらの世界に行っているのだ、という話があります。
    それが本当のことかどうかまではわかりませんが、我が国の死者たちというのは、亡くなった祖父母であり、曾祖父母や、もっと古い時代の、要するにすべてが今を生きている我々の血縁者です。
    我々の住む国土は、森の木の一本一本にいたるまで、我々の祖父や祖先が大切に育んできてくれた国土です。

    戦後の日本は、一時的に「はしか」のような流行病に侵されてきました。
    そんな日本をあたたかく見守りながら、戦後の復興をお手伝いしてくださっていた英霊たち、そして我々の歴代の祖先たちは、いま、日本が正気を取り戻すときを迎えていることを、しっかりと教えようとしてくださっているのではないか。
    そのように思います。

    日本精神が復活する時は、いまです。
    日本をかっこよく!!


    ※この記事は2021年3月の記事のリニューアルです。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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