武術は、一朝一夕に成立するものではありません。何百年、何千年と伝承されていく中で、何人もの天才的武術家が、師匠に教えられた武術にさらに工夫を重ね、それが絶えることなく伝承され続けなければ、成立しえないものです。建御雷神の武術神話が、どれだけ古い昔のものかは、大国主神ゆかりの出雲大社の創建が、いつなのかわからないほど、古い昔であったということ以外はわかりません。それだけ古くから、伝承され、工夫され続けてきた日本古来の武術もまた、私達が絶対に大切に守り抜いていかなければならない日本文化です。
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神谷宗幣『紙芝居 古事記』

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日本をかっこよく!!!最新刊!! タケミカヅチノカミは、古事記では「建御雷神」、日本書紀では「武甕槌神」と書かれます。
葦原の中つ国、つまり地上の国を大いなる国に育てあげた大国主神に、
「天照大御神【あまてらすおほみかみ】、
高木神【たかぎのかみ】の命【みこと】以【も】ちて
問【と】ひに使之【つか】はせり。
汝【いまし】の宇志波祁流【うしはける】
この葦原中国【あしはらのなかつくに】は、
我【わ】が御子【みこ】の所知【し】らす国【くに】と
言依【ことよ】さし賜【たま】ひき。
故【ゆゑ】に汝【いまし】の心【こころ】は奈何【いかに】」
と国譲りを迫った神様です。
古事記では、このとき建御雷神は、
「十掬剣【とつかのつるぎ】を抜き放ち、
その剣を逆さまに波の上に刺し立てると、
その剣の切っ先の上に大胡座【おおあぐら】をかいて
大国主神に問い迫った」と記述しています。
日本書紀は少し違っていて、
「十握剣【とつかのつるぎ】を抜きはなち、
その剣を地面にさかさまに植えるかのように突き立てて、
その切っ先の上に堂々と座る」と書いています。
古事記は「海の波の上」、日本書紀は「地面」に剣を突き立てたとしているのですが、両者とも、その切っ先の上に大胡座をかいて座ったというところは一致しています。
神々の技【わざ】ですから、本当に剣の切っ先の上に座られたのかもしれません。
ですが普通には、そのようなことは奇術でもなければ、現実的には、まずありえないことですし、そのようなことは記紀が書かれた古代においても、誰でもわかることです。
子供が神話を読むのと、大人が読むのとでは、あたりまえのことですが、そこから得るものが異なります。
まして記紀は、いずれも全文漢字で書かれており、天皇の命令で編纂が始まり、天皇に献上された史書です。
そのような史書に、荒唐無稽で非論理的なことを書くのかといえば、答えはNOです。
ということは、この記述は、別な何かを象徴している、ということになります。
大人が読むときには、そういう見方、そういう読み方をしなければなりません。
大国主神の側は、大軍を率いている大いなる国の主です。
そこへ乗り込んだ建御雷神が連れているのは、天鳥船神【あめのとりふねのかみ】ひとりです。
ところがそんな建御雷神は、いきなり大王である大国主神に直談判をしています。
もちろん高天原からの使いですから、直接国王に面会が可能であった可能性はあります。
それでも「剣の切っ先の上に大胡座【おおあぐら】」というのは、不思議な描写です。
この点について、日本書紀は、経津主神【ふつぬしのかみ】と、武甕槌神【たけみかづちのかみ】の系譜を先に述べています。
▼経津主神【ふつぬしのかみ】の系譜
【祖父】磐裂根裂神【いはさくねさくのかみ】
【父母】磐筒男【いわつつを】、磐筒女【いはつつめ】
【本人】経津主神【ふつぬしのかみ】
▼武甕槌神【たけみかづちのかみ】の系譜
【曾祖父】稜威雄走神【いつのおはしりのかみ】
【祖父】 甕速日神【みかはやひのかみ】、
【父】 熯速日神【ひのはやひのかみ】
【本人】 武甕槌神【たけみかづちのかみ】
ここで祖父や父として書かれている神々は、古事記では、いずれも火の神が生まれることでイザナミが亡くなったときに、夫のイザナギが子の火の神を斬り、このときに飛び散った血から生まれた神として登場している神々です。
「飛び散った血から生まれた」ということは、数々の戦いから工夫を凝らして生まれた剣であるということを象徴的に描いているのかもしれません。
そしてフツヌシと、タケミカヅチは、古事記では兄弟神としての記述ですが、日本書紀は親子としています。
その系譜を見れば、祖父や父の神々の名は、いずれも剣に関係しています。
磐裂根裂神【いはさくねさくのかみ】は、岩さえも根っこから斬り裂く御神刀を意味する御神名です。
子の磐筒男【いわつつを】、磐筒女【いはつつめ】は、それだけ鋭利な剛剣を筒に入れる、すなわち鞘【さや】に収めている状態を示します。
そこから生まれた経津主神【ふつぬしのかみ】は、日本書紀に登場する神【古事記には登場しない】ですが、後に香取【かとり】神宮【千葉県香取市】の御祭神となる神様です。
別名を、香取神、香取大明神、香取さまといいます。
武甕槌神【たけみかづちのかみ】は鹿島神宮の御祭神です。
香取神宮と鹿島神宮は、利根川を挟んで相対するように位置し、両神ともに我が国の古来の武神です。
流派はそれぞれ鹿島神流、香取神道流といいます。
いずれも我が国武術の正統な系譜であり、とりわけ香取神道流は、現存する我が国最古の武術流儀といわれています。
いずれも最低でも二千年、もしかしたら数千年もしくは万年の単位の歴史を持つ武術です。
二千年前なら弥生時代、数千年前なら縄文時代です。
弥生時代の遺跡からは、剣や槍が発掘されていますが、縄文時代にはそのような武器が用いられた痕跡となる遺物がありません。
また武器によって怪我をしたと思しき人骨も出土していません。
しかし武器がないということが、武術を生まなかったことの証拠にはなりません。
というのは、日本古来の武術は、むしろ武器の存在さえも不要としてしまうような技の集大成でもあるからです。
ちなみに、最近の研究では、縄文時代中期には青銅器、弥生時代には、すでに鉄器が使われていたことがわかっていますから、そうした古い時代から、なんらかの刀剣類が用いられていた可能性は否定できません。
戦いというのは、普通なら、体が大きくて力の強い者が有利です。
早い話、どんなに強くても、武術を知らない大人と武術を知る小学生なら、大人が勝ちそうです。
ところが日本古来の武術では、そんな大人が、小さな子どもに手もなく投げ飛ばされてしまうのです。
このような武術の工夫は、一朝一夕に完成するものではありません。
天才的技能を持った人が現れ、その技能が伝承され、さらに世代を重ねるごとに技術が工夫され、それが何百年、何千年と蓄積されることで、信じられないような武術になっていきます。
残念ながら、海外の諸国には、そうした武術の伝承がありません。
もちろんチャイナにもありません。
世界中どこの国でもそうなのですが、歴史において偉大な武術家が何人も現れていても、王朝が交代する都度、そうした武術家は、その都度、皆殺しにされているからです。
とりわけ強い武術流派は、新政権にとっては恐怖そのものです。
皆殺しどころか、一族郎党全員が殺されます。
つまりこの世から消滅してしまうのです。
西欧も同じです。
米国には「マーシャルアーツ【martial arts】」と呼ばれる軍隊格闘技がありますが、マーシャル・アーツという言葉は、実は日本語の「武芸」を英訳した言葉です。
文字通り「武の」【martial】「芸」【arts】です。
新しいのです。
白人社会に武芸が存在しなかったということは、絶対にありえません。
様々な武術が歴史の中で工夫され、伝承してきたものと思います。
けれど、それら全ては、歴史の中で消滅してしまっているのです。
ところが日本では、何千年も前から工夫され、伝承されてきた武術が、途切れることなく伝承されてきています。
そして時代の中で、天才と呼ばれる達人が多数現れ、伝承されてきた武術にさらに工夫をこらし、技を磨いてきた歴史を持ちます。
また武者修行といって、一定の練達者が、遠く離れた他流派の道場に学びの旅をして技術交換をして、さらに技能を高めるといったこともさかんに行われてきました。
こうして数百年、数千年と磨かれ続けてきたのが、実は日本の古来の武術です。
よく中国武術を古いものと勘違いしておいでの方がいますが、中国武術もまた、実は日本の武術が大陸に渡って成立したものだという意見があります。
筆者はむしろそれが正しい歴史であろうと思っています。
それにしても、たった二人で、大軍を要する大国主神に直談判するというのは、これは大変なことです。
もちろん中つ国は敵地ではありませんが、それでも何十、何百という軍勢を前にしての談判ですから、そこで圧倒的な武術が示されたのでしょう。
このことが、「切っ先の上に大胡座をかいて座った」という描写に集約されているのではないかと思います。
さらにその後に行われた建御雷神と、大国主神の子の建御名方神【たけみなかたのかみ】との戦いの描写は、我が国古来の武術の姿を垣間見せるものになっています。
相手となる建御名方神【たけみなかたのかみ】は、千人が引いてやっと動くような大きな岩をひょいと持ちあげてやってたとあります。
これは建御名方神が、相当な力持ちであったことを意味します。
そして、
「ワシの国に来て、こっそり話をするのは誰だ!」と問い、「ワシと力比べをしようではないか」と申し出ると、「まずはワシが先にお主の腕を掴んでみよう」と、建御雷神の手を取ろうとします。
すると建御雷神の手が、一瞬にして氷柱のような剣に変わり、建御名方神が恐れをなして引き下がったとあります。
今度は建御雷神が、
「お前の手を取ろう」と提案して手をとると、その瞬間、建御名方神は、まるで葦の束でも放り投げるかのように、飛ばされてしまいます。
飛ばされた建御名方神が逃げると、それを遠く諏訪まで追って行って降参させています。
古事記のこの描写は、「これが我が国の相撲【すもう】のはじまり」と言われますが、力と技のぶつかりあいである相撲よりも、これもまた日本の古武術をそのまま紹介しているものと読めるのです。
なぜなら、日本の古武術では、相手に触れられれば、触れられた場所がそのまま凶器のようになり、また、相手に触れれば、その触れた部位を、そのまま相手の急所にしてしまいます。
アニメの「北斗の拳」では、「経絡秘孔をピンポイントで突く」といった描写がなされていますが、それはアニメやマンガのなかでの話です。
実践で動く相手を対象に、ピンポイントでツボを突くというのは、現実にはかなり難しいことです。
ですから日本の古武術では、相手に触れたその場所を秘孔にしてしまいます。
また、相手に触れられれば、その瞬間に触れられたところを凶器に変えてしまいます。
そして、気がつけば、遠くに投げ飛ばされてしまいます。
このことが、腕が、手が、鋭利な氷の剣となり、また相手をまるで紙人形でも倒すかのように投げ飛ばしたという描写になっていると考えられるのです。
記紀が書かれたのは、いまから1300年前です。
建御雷神の戦いは、まるで魔法のような武術によって建御雷神が勝利した物語ですが、古事記が書かれた1300年前には、すでにこうした、まるで魔法のような武術が実際に存在していたことを示しています。
そして武術がそこまで進化するには、やはり何千年という武術の技術の蓄積がなければならないといえます。
ひとつ個人的な体験をお話します。
それはある福岡にある古武術の大東流武門館を尋ねて、大隈先生と対談したときのことです。
先生は、木刀を渡して、「これで打ちかかって来なさい」というのです。
これは恐ろしいことです。
下手をすれば先生に大怪我をさせかねない。
だから遠慮したのですが、
「構わないから全力で打ちかかってきなさい」と、こうおっしゃる。
そこまで言われるなら、相手は先生なのだしと腹を決めて、言われた通りに全力で上段から先生に面を打ち込むことになりました。
先生は防具すら付けていません。
手には何も持っていません。
だから真剣白刃取りのようなことをするのかな、と思いながら、面を打ち込みました。
自慢するわけではありませんが、筆者も多少の心得はあります。
面打ちの速さには、多少の自信もあります。
そこで【本当は怖かったけれど】丸腰の先生に向かい、すり足で距離を詰めながら「エイッ」と木刀を振り下ろそうとしました。
ところがその瞬間、筆者は凍りついてしったのです。
先生が腰をすこしかがめて、手刀を突き出したのです。
それは、ただ手刀を、顔の少し前に突き出しただけです。
手刀は確実に私の喉元をうかがっていました。
その結果何が起こったのかというと、振り下ろそうとした私の木刀が停まりました。
そして身動きがつかなくなりました。
どうしてよいかわからず、そのまま固まってしまったのです。
その固まった私から、先生は悠々と木刀を取り上げました。
気がつけば木刀を打ち込もうとした私は、刀を振り下ろそうとした姿勢のまま、ただ木偶の坊のように突っ立っているだけとなっていました。
その姿勢のまま木刀を取り上げられ、その姿勢のまま固まっていました。
この間、ほんの一瞬のことです。
そしてこれが日本古来の武術の凄みだと理解しました。
何が起こったのかは、いまだによくわかりません。
ひとつの理解は、肉体を使って木刀を振り下ろそうとした私は、霊【ひ】を抜かれてしまったのかもしれないということです。
人は霊【ひ】の乗り物です。
霊【ひ】を抜かれると、肉体の動きは停止してしまいます。
そして肉体が停止しているから、先生は悠々と、固まっている私から木刀を奪い取った。
その間、筆者の肉体は、ただ固まっているだけった・・・・と、そういうことかもしれません。
これは筆者が実際に体験したことですが、そこには、スポーツ化した現代武道とはまったく異なる、日本古来の伝統的武術がありました。
そしてその武術は、こうして経津主神【ふつぬしのかみ】と武甕槌神【たけみかづちのかみ】にまで遡る、武道の古流の心技体の技術の上に成り立ちます。
そしてそれは、いわゆる世界の格闘技とは、まったく一線を画する凄みのある世界です。
※この記事は2022年3月の記事のリニューアルです。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
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