時間が平面を持つとするなら、平面には「高さ」の軸が存在します。 すると高さを持った時間軸は、時間の平面全体を見下ろすことができます。 これが5次元世界で、おそらくこれが神々の世界です。 ですから位の高い神々は、時間軸を過去から未来まで、そのすべてを見通すことができるし、千年前にも存在したし、現在も存在しているし、千年後の未来にも存在されています。 別な言い方をするならば、神々は全てを知っているのです。
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日本をかっこよく!すこし不思議な話をします。
わからない方も多いかもしれません。
わかる方だけお読みいただければ良いという、そんなお話です。
マルチバース(multiverse)というのは多元宇宙のことで、理論物理学において実はこの宇宙は無数にあるという仮説です。
別な言い方でパラレルワールド(parallel world)という言い方もあります。
我々が住む世界には、無数の平行世界がある、という説です。
平行世界というのは、たとえば先の大戦において、日本は敗戦国となったけれど、マルチバース(ないしパラレルワールト)の中には、日本が勝利した宇宙もある。
あるいはもっと古い時代なら、織田信長が天下人となって織田幕府を開いた・・などという世界もあった、あるいは米国のワシントンが英国との独立戦争に敗れて、米国が誕生しなかったという世界など、いわば歴史の異なる様々な世界が、実は無限にあって、その中では、自分自身も無限のパターンで存在しているのではないか、といった考え方です。
ところが神々の世界というのは、光の世界です。
光の世界の時間軸は、我々が過ごす時間とはかなり様子が違います。
なぜなら時間は光速に近づくほど、進み方がゆっくりになるというのが、特殊相対性理論だからです。
そして光速に至ると時間は静止します。
つまり、光の世界では、時間が静止しているのです。
ということは、神々の世界の時間軸は、我々が住む世界とは、かなり様子が異なるということになります。
天照大御神をはじめとした様々な神々が、いつ生まれたのかわからないほど大昔の神様でありながら、記紀が書かれた時代にもご存在され、現在もご存在されていて、遠い未来にもご存在されておいでになられます。
ということは、神々には時間軸が存在しない、あるいは時間軸を超越されているということになります。
つまり時間軸の定義が、我々の世界とは異なります。
図で考えてみます。
図1

図1は時間軸が一直線に進んでいる図です。
これが我々が知覚できる時間軸です。
時間は図のように過去から未来に向けて一直線に進んでいるようにしか見えません。
ちなみに西洋では、時間軸は過去から未来に向けて一直線に進むとされますが、我が国古来の考え方は、時間軸は未来からやってきて、現在を通り、過去へと向かいます。
ですから未来は「未だ来たらず」と書き、過去は「過ぎ去る」と書きます。
そうすると、時間軸というのは、直線上にあっても、その向きはわからないということになります。
右からも左からも、どちらともある、と考えられるわけです。
どういうことかというと、直線というのは、一次元です。
一次元があるなら、二次元もあります。
二次元はx軸とy軸からなる平面です。
その平面を仮に「時間の平野」と名付けます。
我々には直線にしか見えない時間軸は、実際には時間の平野の中を、行きつ戻りつ蛇行しているとも考えられるのです。
図2のオレンジ色の部分が、時間の平野です。
その平野の中では、時間(つまり線)は、自由に平面上を移動することができます。
これはちょうど、A4の用紙の上に、人が自在に線を引くことができるのと同じです。
図2

ある女性は、車を運転中に、トラックと衝突し、車のボンネットが潰れ、フロントガラスが割れてエアバックが広がり、自分が死ぬ瞬間を経験したのだそうです。
ところがその直後、「戻りなさい!」という声が聞こえたかと思ったら、前からトラックが来るのが見えた。
それで車を左に寄せて衝突を免れて、いまでもちゃんと生きておいでです。
けれど、その事故で死ぬときの記憶を、なぜか鮮明にとどめておいでなのだそうです。
またある男性は、峠道でバイクを飛ばしている最中に、カーブを曲がりきれずにガードレールに衝突し、そのまま谷底に転落して記憶を失いました。
ところが、気がつくと、その事故現場でバイクを停めて、立っている自分がいた。
自分でも、ある日のこと、友人と武蔵野線の外回りに乗って帰宅しようとしたところ、気がついたらなぜか内回りに乗っていて、まったく別な方向に向かっていたことがありました。
間違いなく外回りに乗ったことは友人も同じ意見でした。
要するに、たとえば日本には1億2千万人の人がいますけれど、実はその1億2千万人の人は、時間の平面上で、実はそれぞれに時間軸を行ったり来たりしている・・・のかもしれないのです。
我々は縦横高さの三次元の世界に住んでいて、「いま」しか見えません。
5分前のことは、記憶の中だけにあることですし、5分後にどうなっているかもわかりません。
つまり我々が住んでいる世界は、あくまで三次元であって、その三次元世界が時間軸をx軸方向に進んでいるわけです。
このため誰が見ても、時間はひとつの方向に直線的にしか流れていないようにしか知覚されません。
けれど、実はそれぞれの人の時間は、時間の平野上で1億2線万本の時間軸が、それぞれ行きつ戻りつしているわけです。
このことを、図1の直線だけで語ろうとすれば、パラレルワールドや、マルチバースのような仮説を持ち込まなければ説明できなくなります。
けれど時間を平面で捉えれば、この問題は解決します。
このことは、三次元をy軸に置き、x軸を時間軸と見立てたほうがわかりやすいかもしれません。
三次元というのは、縦横高さ、つまりx,y,z軸を持つ世界ですが、このxyzをまとめてy軸にしてしまうのです。
するとy軸が、x軸状を動くことになります。
そして我々は、xyで描かれる平面上に、自由に線を描くことができます。
つまりパラレルワールドや、マルチバースなどは存在せず、時間軸は曲線を描きながら進んでいるというわけです。
昔の映画に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画がありました。
この映画では、過去を変えると、未来が変わってしまう、という設定でしたが、実は現在では、最早、その説は間違っているとされています。
誰かが過去に戻り、過去を変えても未来は変わらないのです。
どういうことかというと、時間軸が
A)1→2→3→4→5・・・
と流れています。
ところが4のところで、2に戻る(つまり過去に戻る)ということは、時間が
B)1→2→3→4→②→③→④→⑤・・・
と進んだことになります。
つまりAの5はまだ来ていない、つまり存在しないのです。
このことは、古事記にあるヒルコの神話と同じです。
イザナギとイザナミは、最初にヒルコを生みますが、これは間違っていたからと、もういちどやりなおして、国生み、神生みをされるのです。
つまり、時間がBの流れになったことになります。
これは、未来が変わったのではなく、34も、③④も、どちらも連続した時間軸上に存在している、ということです。
未来が5から⑤に変わったわけではないのです。
古事記や日本書紀に書かれている神語を、合理的あるいは論理的に解釈しようとすると、どうしてもこのような解釈をせざるを得ないという事態に行き当たります。
つまり記紀は、特殊相対性理論を先取りしていたともいえるわけです。
そういえば、超ひも理論も、高御産巣日(たかみむすび)神、神産巣日(かみむすび)神を、物理学的に説明したものであるかのようです。
さて、以上のように時間が平面を持つとするなら、平面には「高さ」の軸が存在します。
すると高さを持った時間軸は、時間の平面全体を見下ろすことができます。
これが5次元世界で、おそらくこれが神々の世界です。
ですから位の高い神々は、時間軸を過去から未来まで、そのすべてを見通すことができるし、千年前にも存在したし、現在も存在しているし、千年後の未来にも存在されています。
別な言い方をするならば、神々は全てを知っているのです。
そういう見方ができるのです。
神功皇后は、神々の指示によって、有名な三韓征伐を行いました。
そのとき神は、「新羅国がとても豊かだから攻めなさい」と述べたとあります。
けれど実際には、誰がどうみても新羅は倭国よりもはるかに貧しく、国力さえも及ばない国です。
では、どうして神々は新羅国が豊かだと述べたのか。
そこだけみると、理由が見当たらないのです。
ところが、神功皇后が三韓征伐を行って、半島を倭国の属国にすることによって、後々新羅が造反し、その結果高句麗が倭国から離れて独立自存の道を歩み始めます。
そして高句麗は、独立自存のために、徹底的に軍事力を強化していきました。
その結果、チャイナに隋という超軍事大国ができたとき、攻めかかる隋を、高句麗は幾度も撃退しています。
この結果、隋は滅び、後に生まれた唐は、高句麗対策のために遠交近攻、つまり新羅と結んで高句麗を滅ぼします。
けれど新羅は、唐を騙して、半島の独立を維持します。
そして現代に至る。
おかげで半島は、現在に至るまで、チャイナの隣国です。
そしてチャイナの戦略は、いつの時代も遠交近攻です。
隣国対策のために、常にその向こう側の国と結ぼうとする。
この結果、倭国は日本と名前を変えた後でも、以来千年以上にわたって、現在においてもなお、一度もチャイナの王朝の支配下に入らずに現在に至っています。
つまり神功皇后の三韓征伐というご事績が、現代日本のチャイナからの独立にまで影響を与えているわけです。
そうしてみると、神功皇后の三韓征伐は、まさに未来を見通した神々のご配慮としか言いようがありません。
他にも以前ご紹介しましたが、先の大戦直後に、インドで大規模な飢饉が発生し、1億人以上もの餓死者が出たとき、日本で開発された小麦が米国を経由してインドにもたらされることによって、インドが飢饉から脱したという歴史があります。
もし日本が戦勝国となっていたら、果たして、インドの飢饉を救えたかどうか。
そう考えると、なるほど日本は300万人をこえる戦争による死者を出しましたが、その結果、10億人のインドの人々の命を救っていることになるのです。
以上は、古事記から感じた時間と神々に関する仮説です。
実際にそのようになっているかどうかはわかりません。
ただ、ひとつはっきりといえることは、私達の人生は、生まれたときから現在に至るまで、振り返ってみれば「全部つながっている」。
成功も失敗も、嬉しかったことも悲しかったことも悔しかったことも、考えてみるとそれらが全部つながっていて、現在に至っています。
ということは、現在もまた、そのまま未来に直結しているということになります。
個人がそうなら、集団も同じです。
日本という国もまた、現在がそのまま未来に直結しています。
ならば、少しでも良い未来にやってきてもらうためには、そうなるように私達自身が学び、考え、行動していかなければならない、ということになります。
我々の「いま」によって、やってくる未来が変わるからです。
※この記事は2020年4月の記事のリニューアルです。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
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