• あかねさす紫草野行き標野行き


    茜草の根から採れる染料で布を茜色に染めるように野放図な世をまっすぐな美しいものに染めていこうとされている大君の采配を、これまでバラバラでいて中央の政令を見ようとしなかった地方豪族たちも必ず受け入れていくことでしょう。

    20200416 森田春代
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    日本をかっこよく!

    半年ほど前から鼻うがいをするようになって嗅覚が増したような気がします。
    そんなわけで最近はまっているのがお香(笑)
    お気に入りが京都の香彩堂の「紫野の夕霞」で、フルーツの甘さの中に、すみれの香りがプラスされたちょっと甘くて色気のある香りです。

    もっとも気に入った理由は、その名前で、「紫野」という言葉におもいきり反応してしまいました。
    「紫野」といえば、ご存知、額田王(ぬかたのおほきみ)の次の歌です。

     あかねさす紫野行き標野行き
     野守は見ずや君の袖振る


    この歌は万葉集巻1ー20にある歌で、原文はすべて漢字です。
    次のように書かれています。

    あかねさす   茜草指
    むらさきのいき 武良前野逝
    しめのいき   標野行
    のもりはみずや 野守者不見哉
    きみのそでふる 君之袖布流

    有名な、額田王の歌です。
    5句目のところは、一般には「君が袖振る」と訳されているのですが、原文を見れば「君之袖布流」ですから、ここは明らかに「君の袖振る」です。

    それがどうして「君が」となっているのかというと、この歌は、天智天皇と、弟の大海人皇子(後の天武天皇)、そして額田王との三角関係だからだ、というわけです。
    額田王は、大海人皇子と結婚して一女を産んでいます。
    つまり幸せな結婚をして、娘までもうけているのに、夫の兄(天智天皇)の妻となっている。
    ところが蒲生野での狩猟会のときに、遠くから元彼の大海人皇子がこっち向いて手を振っている。
    だから、「いやん、野守が見てるじゃないの」というシチューションを、夫が天皇なのに公然と歌にして詠んだ、というのが、通説です。

    そしてこの歌(他にもいくつかの歌があります)が元になって、兄弟である天智天皇と天武天皇(大海人皇子)と、美人の額田王が三角関係にあったのだ、という(悪いけど)妄想が、学会の定説のようになっています。
    学校でも先生が、得意げに、この三角関係説を生徒に紹介し、
    「日本の古代は性がおおらかだったのだ」などと、もっともらしく解説をしていたりもされています。

    しかし、5句目のところは、原文を見れば明らかに「君の袖振る」です。
    そしてこの時代、「君」といえば天皇を指します。
    つまり袖を振っているのは、元彼の大海人皇子ではなく、天智天皇であるとも見て取ることができます。
    そして、天皇であれば「君の袖振る」は、天皇としての采配を意味すると考えられます。

    この歌は、668年5月5日に開催された蒲生野での狩猟会の席で詠まれた歌です。
    この年、1月に皇太子であった中大兄皇子が天皇に即位して天智天皇となりました。
    そして2月に弟の大海人皇子を皇太弟としています。

    我が国が百済救援軍を起こしたのが661年。
    この戦いが白村江の大量虐殺によって収束したのが663年です。
    白村江の戦いでは、日本側の4万2千の大軍のうち、なんと兵1万人、馬1千頭、軍船400が破壊されるというたいへんな被害を受け、日本はこの戦いのあと、朝鮮半島から完全撤退しています。

    このときの兵の損害が、大和朝廷の国内の権威にたいへんな影響を及ぼしたことは想像に難くありません。
    それまでの日本は、地方豪族たちのゆるやかな結合体です。
    その頂点にあるのが大和朝廷であったわけですが、その大和朝廷が指揮した朝鮮半島での戦いで、地方豪族たちが供出した兵たちが外地で大量死したわけです。
    当然、地方の豪族たちの中には、大和朝廷から離反する動きさえも出てくる。
    けれど、当時の日本は、朝鮮半島の後ろにある唐という軍事超大国の侵略への備えのために、どうしても国内をひとつの朝廷のもとに統一していかなければならない状況にあります。
    つまり、白村江後の戦後処理が、どれだけたいへんなことであったのか、ということです。

    その白村江の戦いから5年、皇太子であった中大兄皇子が中心となって、その戦後処理と唐への備えなど、猛烈に大変だった期間を経て、ようやく国内が一段落し、ついに中大兄皇子が天皇に即位して、なにもかもが一段落したことで、そのねぎらいの意味も込めて開催されたのが、蒲生野での狩猟会だったわけです。

    狩猟会は、鹿狩りです。
    そしてその鹿狩りが一段落したところで、館か陣幕かわかりませんが、みんなで宴をもよおすことになった。
    その宴会の席で披露されたのが、額田王の、この「あかねさす」の歌であったわけです。

    天皇に即位し、国内も一段落し、弟の大海人皇子も正式に皇太弟として指名されている。
    そんなときに、果たして天智天皇の妻である額田王が、自分の元彼である大海人皇子が、
    「あたしに手を振っているわ、もう、バカね♡」
    なんていう歌を、おおやけの席で披露などするでしょうか。
    しかもそのような歌が、我が国初の勅撰歌集である万葉集に掲載されるでしょうか。

    物事をもっと常識で考えていただきたいのです。

    この歌は、タイトルに【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】と書かれています。
    しかもこの歌は、恋愛歌を意味する「相聞歌」ではなく、それ以外の「雑歌」に分類されています。
    つまり、この歌は、恋愛の歌ではない、ということです。

    そして歌をよく見ると、
    まず歌い出しが「あかねさす(茜草指)」です。
    茜の開花時期は8〜9月で、この遊猟会はいまでいう6月ですから、ここでいう茜(あかね)は、茜の花のことではないとわかります。
    茜草というのは、その名前の通り、根が赤い事から「赤根(あかね)」と名付けられた草です。
    我が国では最も古くから使われた赤系の染料のひとつとされ、日の丸の赤も、この茜の根から作られる染料で染められています。
    つまり「茜草指」は、「茜草で染めるように指し示す」という意味になります。

    続く「むらさきのいき(武良前野逝)、しめのいき(標野行)」は、同じ「いき(いく)」に、「逝」と「行」という漢字が使い分けて用いられています。
    「逝」はバラバラになること、
    「行」は、進むことです。
    つまり、茜色に染めたのは、バラバラになった何かで、それをもとに戻すための道標に向けて何かが進んだわけです。

    バラバラになったことは、「むらさきの(武良前野)」でも示されています。
    「紫の野」と言いたいのなら、ここは原文でも「紫野」と書けば良いところです。
    ところが、意図して「武良前野(むらさきの)」と書いているわけです。

    「武」とは「たける」で歪んだものをまっすぐにすることです。
    「良」は良いことです。
    「野」は、白村江事件で被害を受けた地方豪族と考えれば、息子を失った地方豪族たちと国(朝廷)の絆(きずな)が途切れてしまっていたこととわかります。
    その紐帯(ちゅうたい)を取り戻すための戦いが、この5年間の朝廷の戦いであったわけです。
    天皇は、まさにその紐帯を取り戻された。
    人々に明確な道標を与えられた、ということを述べているということがわかります。

    そうであれば、「のもりはみずや(野守者不見哉)」の「野守」は、地方豪族のこととわかります。
    「みずや(不見哉)」の「哉」は言葉を断ち切るときに用いる字で、見ないことを断ち切ることから、「見るでしょう」という意味になります。

    そして「きみのそでふる(君之袖布流)」は、君が天皇ですから、天智天皇の采配です。

    すると再解釈した歌の意味は次のようになります。

    【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】
     あかねさす紫草野逝き標野行き
     野守は見ずや君袖振る
    茜草の根から採れる染料で布を茜色に染めるように野放図な世をまっすぐな美しいものに染めていこうとされている大君の采配を、これまでバラバラでいて中央の政令を見ようとしなかった地方豪族たちも必ず受け入れていくことでしょう。


    歌は一見すると、実に女性らしい艶のある歌です。
    けれど、その意味は、この時代に、苦労を重ねて国をひとつにまとめようとして来られた朝廷の人々なら、誰もが、「そうだよね」とわかる内容になっています。

    他の者がこのような歌を詠めば、それは天皇へのただのゴマすりになってしまうかもしれません。
    けれど 額田王は、天皇の妻であり、霊力を持つ女性です。
    そして古来我が国では、神々と直接つながることができるのは、女性だけに与えられた特権とされてきた歴史を持ちます。

    ということは、額田王が詠む歌の意味は、神の声であり、神々の御意思です。

    万葉集に限らず、我が国では明治以降、あらゆる日本文化が矮小化され、貶められてきました。
    明治時代は、江戸時地代までのすべてが否定された時代であったし、戦後の日本もまた、あらゆる日本の古代文化はオクレたもの、といった理解でした。

    挙句の果てが、現代では鎌倉時代よりも前の時代、つまり飛鳥、奈良、平安時代が、なんと「古代」という分類です。
    古代というのは、歴史の始まりで、詳しいことはよくわからない時代のことを言います。
    西洋史なら古代は、ギリシャ・ローマの時代です。

    古代以前が先史時代です。
    つまり考古学的な史料しかなかったり、神話の時代が先史時代です。
    ですから、少し前までは、我が国では古代は「古代大和朝廷の時代」のことを言い、縄文時代、弥生時代が先史時代とされていました。
    古代に続くのが中世で、飛鳥、奈良、平安時代は「中世」に分類されていたのです。

    ところが近年の文科省を中心とした歴史学会は、飛鳥、奈良、平安時代が古代だという。
    そして鎌倉時代から戦国時代までが中世なのだそうです。
    これは、歴史認識を近隣諸国に配慮した結果です。
    しかし歴史は、政治ではありません。
    純粋に学問であるべきものです。
    そこに政治をからませるのは、おおいに疑問です。

    さらにいうならば、その近隣諸国のうち、チャイナは今もまだ、少なくとも近代国家とはいえません。
    いまなお、中世封建主義体制にあると言って良い。
    お隣のコリアも同じです。
    国民の自由な意思が国家意思となるという、近代国家とはまったく言い難い。
    すなわち、いまだに北コリアも南コリアも、事実上の中世封建主義体制下にある。

    そういう国に、民衆の自由な意思を国家意思とすることを国是とした先進国である日本が配慮する必要が、果たしてあるのかは、はなはだ疑問です。

    とまあ、話が脱線しましたが、額田王の上の歌に代表されるように、きわめて高い文化を持った日本、そしてその高い文化を、高らかにうたいあげた万葉集です。
    もっとちゃんと、しっかりと読みたいものです。


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  • マルチバース(多元宇宙)と時間軸のお話


    時間が平面を持つとするなら、平面には「高さ」の軸が存在します。
    すると高さを持った時間軸は、時間の平面全体を見下ろすことができます。
    これが5次元世界で、おそらくこれが神々の世界です。
    ですから位の高い神々は、時間軸を過去から未来まで、そのすべてを見通すことができるし、千年前にも存在したし、現在も存在しているし、千年後の未来にも存在されています。
    別な言い方をするならば、神々は全てを知っているのです。

    20200407 マルチバース
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    すこし不思議な話をします。
    わからない方も多いかもしれません。
    わかる方だけお読みいただければ良いという、そんなお話です。

    マルチバース(multiverse)というのは多元宇宙のことで、理論物理学において実はこの宇宙は無数にあるという仮説です。
    別な言い方でパラレルワールド(parallel world)という言い方もあります。
    我々が住む世界には、無数の平行世界がある、という説です。

    平行世界というのは、たとえば先の大戦において、日本は敗戦国となったけれど、マルチバース(ないしパラレルワールト)の中には、日本が勝利した宇宙もある。
    あるいはもっと古い時代なら、織田信長が天下人となって織田幕府を開いた・・などという世界もあった、あるいは米国のワシントンが英国との独立戦争に敗れて、米国が誕生しなかったという世界など、いわば歴史の異なる様々な世界が、実は無限にあって、その中では、自分自身も無限のパターンで存在しているのではないか、といった考え方です。

    ところが神々の世界というのは、光の世界です。
    光の世界の時間軸は、我々が過ごす時間とはかなり様子が違います。
    なぜなら時間は光速に近づくほど、進み方がゆっくりになるというのが、特殊相対性理論だからです。
    そして光速に至ると時間は静止します。
    つまり、光の世界では、時間が静止しているのです。
    ということは、神々の世界の時間軸は、我々が住む世界とは、かなり様子が異なるということになります。

    天照大御神をはじめとした様々な神々が、いつ生まれたのかわからないほど大昔の神様でありながら、記紀が書かれた時代にもご存在され、現在もご存在されていて、遠い未来にもご存在されておいでになられます。
    ということは、神々には時間軸が存在しない、あるいは時間軸を超越されているということになります。
    つまり時間軸の定義が、我々の世界とは異なります。

    図で考えてみます。

    図1
    20191223 次元論


    図1は時間軸が一直線に進んでいる図です。
    これが我々が知覚できる時間軸です。
    時間は図のように過去から未来に向けて一直線に進んでいるようにしか見えません。

    ちなみに西洋では、時間軸は過去から未来に向けて一直線に進むとされますが、我が国古来の考え方は、時間軸は未来からやってきて、現在を通り、過去へと向かいます。
    ですから未来は「未だ来たらず」と書き、過去は「過ぎ去る」と書きます。

    そうすると、時間軸というのは、直線上にあっても、その向きはわからないということになります。
    右からも左からも、どちらともある、と考えられるわけです。

    どういうことかというと、直線というのは、一次元です。
    一次元があるなら、二次元もあります。
    二次元はx軸とy軸からなる平面です。
    その平面を仮に「時間の平野」と名付けます。
    我々には直線にしか見えない時間軸は、実際には時間の平野の中を、行きつ戻りつ蛇行しているとも考えられるのです。

    図2のオレンジ色の部分が、時間の平野です。
    その平野の中では、時間(つまり線)は、自由に平面上を移動することができます。
    これはちょうど、A4の用紙の上に、人が自在に線を引くことができるのと同じです。

    図2
    20191223 次元論2


    ある女性は、車を運転中に、トラックと衝突し、車のボンネットが潰れ、フロントガラスが割れてエアバックが広がり、自分が死ぬ瞬間を経験したのだそうです。
    ところがその直後、「戻りなさい!」という声が聞こえたかと思ったら、前からトラックが来るのが見えた。
    それで車を左に寄せて衝突を免れて、いまでもちゃんと生きておいでです。
    けれど、その事故で死ぬときの記憶を、なぜか鮮明にとどめておいでなのだそうです。

    またある男性は、峠道でバイクを飛ばしている最中に、カーブを曲がりきれずにガードレールに衝突し、そのまま谷底に転落して記憶を失いました。
    ところが、気がつくと、その事故現場でバイクを停めて、立っている自分がいた。

    自分でも、ある日のこと、友人と武蔵野線の外回りに乗って帰宅しようとしたところ、気がついたらなぜか内回りに乗っていて、まったく別な方向に向かっていたことがありました。
    間違いなく外回りに乗ったことは友人も同じ意見でした。

    要するに、たとえば日本には1億2千万人の人がいますけれど、実はその1億2千万人の人は、時間の平面上で、実はそれぞれに時間軸を行ったり来たりしている・・・のかもしれないのです。
    我々は縦横高さの三次元の世界に住んでいて、「いま」しか見えません。
    5分前のことは、記憶の中だけにあることですし、5分後にどうなっているかもわかりません。
    つまり我々が住んでいる世界は、あくまで三次元であって、その三次元世界が時間軸をx軸方向に進んでいるわけです。

    このため誰が見ても、時間はひとつの方向に直線的にしか流れていないようにしか知覚されません。
    けれど、実はそれぞれの人の時間は、時間の平野上で1億2線万本の時間軸が、それぞれ行きつ戻りつしているわけです。
    このことを、図1の直線だけで語ろうとすれば、パラレルワールドや、マルチバースのような仮説を持ち込まなければ説明できなくなります。
    けれど時間を平面で捉えれば、この問題は解決します。

    このことは、三次元をy軸に置き、x軸を時間軸と見立てたほうがわかりやすいかもしれません。
    三次元というのは、縦横高さ、つまりx,y,z軸を持つ世界ですが、このxyzをまとめてy軸にしてしまうのです。
    するとy軸が、x軸状を動くことになります。
    そして我々は、xyで描かれる平面上に、自由に線を描くことができます。

    つまりパラレルワールドや、マルチバースなどは存在せず、時間軸は曲線を描きながら進んでいるというわけです。

    昔の映画に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画がありました。
    この映画では、過去を変えると、未来が変わってしまう、という設定でしたが、実は現在では、最早、その説は間違っているとされています。
    誰かが過去に戻り、過去を変えても未来は変わらないのです。

    どういうことかというと、時間軸が
    A)1→2→3→4→5・・・
    と流れています。
    ところが4のところで、2に戻る(つまり過去に戻る)ということは、時間が
    B)1→2→3→4→②→③→④→⑤・・・
    と進んだことになります。
    つまりAの5はまだ来ていない、つまり存在しないのです。

    このことは、古事記にあるヒルコの神話と同じです。
    イザナギとイザナミは、最初にヒルコを生みますが、これは間違っていたからと、もういちどやりなおして、国生み、神生みをされるのです。
    つまり、時間がBの流れになったことになります。

    これは、未来が変わったのではなく、34も、③④も、どちらも連続した時間軸上に存在している、ということです。
    未来が5から⑤に変わったわけではないのです。

    古事記や日本書紀に書かれている神語を、合理的あるいは論理的に解釈しようとすると、どうしてもこのような解釈をせざるを得ないという事態に行き当たります。
    つまり記紀は、特殊相対性理論を先取りしていたともいえるわけです。
    そういえば、超ひも理論も、高御産巣日(たかみむすび)神、神産巣日(かみむすび)神を、物理学的に説明したものであるかのようです。

    さて、以上のように時間が平面を持つとするなら、平面には「高さ」の軸が存在します。
    すると高さを持った時間軸は、時間の平面全体を見下ろすことができます。
    これが5次元世界で、おそらくこれが神々の世界です。
    ですから位の高い神々は、時間軸を過去から未来まで、そのすべてを見通すことができるし、千年前にも存在したし、現在も存在しているし、千年後の未来にも存在されています。
    別な言い方をするならば、神々は全てを知っているのです。
    そういう見方ができるのです。

    神功皇后は、神々の指示によって、有名な三韓征伐を行いました。
    そのとき神は、「新羅国がとても豊かだから攻めなさい」と述べたとあります。
    けれど実際には、誰がどうみても新羅は倭国よりもはるかに貧しく、国力さえも及ばない国です。
    では、どうして神々は新羅国が豊かだと述べたのか。
    そこだけみると、理由が見当たらないのです。

    ところが、神功皇后が三韓征伐を行って、半島を倭国の属国にすることによって、後々新羅が造反し、その結果高句麗が倭国から離れて独立自存の道を歩み始めます。
    そして高句麗は、独立自存のために、徹底的に軍事力を強化していきました。
    その結果、チャイナに隋という超軍事大国ができたとき、攻めかかる隋を、高句麗は幾度も撃退しています。
    この結果、隋は滅び、後に生まれた唐は、高句麗対策のために遠交近攻、つまり新羅と結んで高句麗を滅ぼします。
    けれど新羅は、唐を騙して、半島の独立を維持します。
    そして現代に至る。

    おかげで半島は、現在に至るまで、チャイナの隣国です。
    そしてチャイナの戦略は、いつの時代も遠交近攻です。
    隣国対策のために、常にその向こう側の国と結ぼうとする。
    この結果、倭国は日本と名前を変えた後でも、以来千年以上にわたって、現在においてもなお、一度もチャイナの王朝の支配下に入らずに現在に至っています。

    つまり神功皇后の三韓征伐というご事績が、現代日本のチャイナからの独立にまで影響を与えているわけです。
    そうしてみると、神功皇后の三韓征伐は、まさに未来を見通した神々のご配慮としか言いようがありません。

    他にも以前ご紹介しましたが、先の大戦直後に、インドで大規模な飢饉が発生し、1億人以上もの餓死者が出たとき、日本で開発された小麦が米国を経由してインドにもたらされることによって、インドが飢饉から脱したという歴史があります。
    もし日本が戦勝国となっていたら、果たして、インドの飢饉を救えたかどうか。
    そう考えると、なるほど日本は300万人をこえる戦争による死者を出しましたが、その結果、10億人のインドの人々の命を救っていることになるのです。

    以上は、古事記から感じた時間と神々に関する仮説です。
    実際にそのようになっているかどうかはわかりません。

    ただ、ひとつはっきりといえることは、私達の人生は、生まれたときから現在に至るまで、振り返ってみれば「全部つながっている」。
    成功も失敗も、嬉しかったことも悲しかったことも悔しかったことも、考えてみるとそれらが全部つながっていて、現在に至っています。
    ということは、現在もまた、そのまま未来に直結しているということになります。

    個人がそうなら、集団も同じです。
    日本という国もまた、現在がそのまま未来に直結しています。

    ならば、少しでも良い未来にやってきてもらうためには、そうなるように私達自身が学び、考え、行動していかなければならない、ということになります。
    我々の「いま」によって、やってくる未来が変わるからです。


    ※この記事は2020年4月の記事のリニューアルです。
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  • 時代は変わる


    「力」とは、「ヒト、モノ、カネ」の三要素によって形成されます。
    「ヒト」とは人材です。
    「カネ」は、資金力です。
    「モノ」とは、一般には武器とされますが、もうひとつの側面が、国民生活に不可欠な資源エネルギーです。現在の日本は(世界も同じですが)、その資源エネルギーの根幹が石油です。その石油を日本は、米国に依存しています。
    戦後の日本が、米国ポチになっていたのは、なにもGHQのせいばかりではありません。産業に必要な石油資源を米国に依存せざるを得なかったことが、依存の理由です。
    つまり「モノ」とは、実は「資源エネルギー」のことを指します。
    ということは、人材と資金と資源エネルギーが手に入ったとき、日本は大きく動くことになります。このとき、日本があらためて天皇の知らす国を実現することにより、日本は、はじめて真の独立国となりえます。
    ここに日本が変わるチャンスがあります。
    時代は変わるのです。

    20190710 シラスとウシハク



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    日本をかっこよく!

    日本とはどのような国であるか。
    その答えは
    「日本は天皇の知らす国である」
    という以外にありません。

    「知らす」の意味がわかりにくければ、「日本は天皇を国家最高権威と仰ぎ、その天皇のもとに臣民が『おほみたから』とされる国である」と置き換えても良いです。
    これこそが日本の古来からの形です。

    世界中どの国においても、あるいは世界の歴史上登場するいずれの国においても、国家最高の存在は、常に国家最高権力者です。
    これは現代においても同じです。
    「そんなことはない。大統領は選挙で選ばれる」と仰られる方がおいでかもしれませんが、選挙によって選ばれた後、つまり任期中は間違いなく国家最高権力者です。

    国家最高権力者であれば、反対派を粛清、殲滅、抹殺することができます。
    なぜなら、そうすることができるのが権力だからです。
    いまの日本を見て、「そんなことはない。総理はいつも野党やマスコミに叩かれているではないか」と思う人がいるかもしれません。
    それは事実誤認というより、意図的に導かれた錯覚です。
    なぜなら日本における総理は、他国の大統領や国王や書記長などと異なり、単に行政府の長にすぎないからです。

    我が国において総理が戒厳令を敷けば、そのときには内閣総理大臣がはじめて国家最高権力者といえる存在になります。
    それを、実際上は最高権力者ではないのに、これをあたかも最高権力者であるかのように偽装するのは、単に野党の党利党略で、あたかも総理が国家最高権力者であるかのように偽装して、その総理を叩くことで自分たちの存在感を示そうとしているにすぎません。
    その意味では、現在の野党による総理追求は、無責任な者が、無責任にパフォーマンスを繰り広げているにすぎません。
    国政における各種審議会が、もりそばが良いかかけうどんが良いかなどと愚にもつかないまるで小学生の児戯になってしまっている理由は、まさに無責任なパフォーマンスが日々展開されているにすぎないのです。

    権力は、責任とセットです。
    けれど、国家最高の存在が、国家最高権力者ならば、その国家最高権力者が責任を取ることはありません。
    なぜなら責任追及してくる者があれば、その者を粛清できるのが、国家最高権力者が持つ権力の実体だからです。
    早い話、よその国に核爆弾を2発も投下して、何十万者人々を殺しても、その決断をした国家最高権力者を裁く人はいません。
    なぜなら国家最高権力者は、責任を負わないからです。

    ということは国家最高権力者は、同時に国家最高無責任者であるということです。
    企業における最高権力者は、代表取締役社長です。
    その社長が、自社について一切の責任を負わないのであれば、その会社は当然つぶれます。
    世界の歴史に強大な国家が度々登場していながら、それらの国家が300年を待たずして崩壊してきたのは、まさにそこに理由があります。
    なぜなら、無責任者が権力を振りかざすことほど、恐ろしいことはないからです。

    では、国家最高権力者に責任を負わせるためには、どのようにしたら良いのでしょうか。
    答えは、国家最高権力者よりも上位に国家最高権威を置くことです。

    国家最高権威は、権威ですから、権力は持ちません。
    代わりに国家最高権威は、国民を「おほみたから」と規定します。
    国家最高権力者は、国家最高権威の部下ですから、その職務は国家最高権威の「おほみたから」が、豊かに安全に安心して暮らすことができるように責任を持つことが使命となります。
    これが7世紀に造られた、我が国の基本となる形です。

    この国家最高権威は「人」でなければなりません。
    「神」や「天帝」など、見えない存在を、国家最高権力よりも上位に置いたケースは、たとえばチャイナにおける皇帝や、欧州における王権神授説などがありますが、見えない存在ならば、その権威は国家最高権力者によって代行されることになります。
    それは単に国家最高権力者の地位を強化するという意味しかもちません。

    ところが我が国では、国家最高権力者よりも上位に、人である天皇が国家最高権威として存在します。
    そして天皇は、神々と直接お繋がりになられる存在と定義されます。
    つまり国家最高権力者が神の力を代行するのではなく、それよりも上位におわす天皇が神の御意思を代言される存在となっています。

    その天皇について、明治以降、天皇を西欧の王や皇帝に見立てて、その御姿やお声(これを玉音といいます)を、国民のまえに晒すということが行われるようになりました。
    これは本来は、してはいけないことです。
    江戸時代まで、天皇は天子様と呼ばれ、天皇のお姿は御簾の向こうに隠れて天皇よりも位の低い人は、誰もその雄姿を見れないようになっていました。
    また、ご皇室の方々のことは、そのお名前さえも口にすることは、はばかれるご存在とされていました。

    権力者の姿は見ることができます。
    けれど国家最高権威のお姿は、実際にそこにご存在されているのに、見ることができないとされていたのです。
    これは非常に大切なことです。

    これを古い日本語で「しらす」と言います。
    「しらす」は、「知らす、治らす、統らす、道らす」など、様々な漢字を用いて表現されますが、いずれも天皇が国家最高権威として、国民を「おほみたから」とすることを意味する語です。

    そして、この仕組こそが人類社会における理想の社会形態です。
    なぜなら、この仕組を権力者の立場から見れば、天皇のたからたちが、豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことに責任を持つことが職務にしかならないからです。
    国民の立場からみれば、天皇という国家最高権威の存在によって、自分たちが権力者の私物にならずに済むというメリットがあります。
    つまりそれは、民衆に「権力からの自由」が与えられていることを意味します。

    我々日本人が、本来の自由を手に入れるためには、いまの野党のように無責任に政府の責任追及を延々と繰り返したところで、何も変わらりません。
    この状態を千年続けても、一向に国は良くなりません。

    ではどうするか。
    「歴史は不正と戦争でのみ動く」という人がいますが、それは不幸なことです。
    国民の常識を変え、国会の意思によって、つまり国民の意志によって、国の形を変えるのです。
    そうでなければ、流血騒動になります。
    そして流血を経ずに国を変えることができるだけの民度を、我々日本人は、本来、持っています。
    その本来の民度を取り戻す。

    革命や戦争や不正は、なるほど短期間に国の形を変えることができます。
    けれど流血を伴います。
    だからこそ我々は、国民の常識を変え、国民の意志によって国の形を変えようとしています。

    変えるのは「力」です。
    そして「力」とは、「ヒト、モノ、カネ」の三要素によって形成されます。
    「ヒト」とは人材です。
    「カネ」は、資金力です。
    そして「モノ」とは、国家を変えようとする場合、一般には武器とされます。
    しかし我々日本人は武力革命を望みません。

    そうであれば、天皇を国家最高権威とし、民衆を「大御宝」とする日本にもともとあった国柄を、あらためて常識化する。このことはそのまま人材の育成を意味します。
    そうした人材が、国政や地方自治体で多数与党を形成するようになり、これに資金力が伴えば、日本は間違いなく変わります。

    そして「モノ」の持つもうひとつの側面が、国民生活に不可欠な資源エネルギーです。
    現在の日本は(世界も同じですが)、その資源エネルギーの根幹が石油です。
    その石油を日本は、米国に依存しています。
    戦後の日本が、米国ポチになっていたのは、なにもGHQのせいばかりではありません。
    産業に必要な石油資源を米国に依存せざるを得なかったことが、依存の理由です。

    つまり「モノ」とは、実は「資源エネルギー」のことを指します。

    ということは、人材と資金と資源エネルギーが手に入ったとき、日本は大きく動くことになります。このとき、日本があらためて天皇の知らす国を実現することにより、日本は、はじめて真の独立国となりえます。

    ここに日本が変わるチャンスがあります。

    時代は変わるのです。


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  • ヨハン・フィヒテの演説に学ぶ


    時勢に翻弄され、怒りに身を任せるのではなく、天壌無窮の神勅を信じ、堂々たる日本人になっていく。
    日本の歴史伝統文化に不動の愛と信念を持つようになると、微動だにしない確信が生まれます。
    そこに、日本の未来をひらく道があります。


    20200327 フィヒテ
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    日本をかっこよく!

    ナポレオンがイギリス・スウェーデンを除くヨーロッパ全土を制圧したのは、19世紀の始め頃のことです。
    そのナポ レオンに支配されたベルリンで、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)という人が1807年12月から1808年3月にかけて行った演説が「ドイツ国民に告ぐ」です。
    この演説でフィヒテはドイツ国民の愛国心と独立を訴え、ドイツ国民をおおいに奮い立たせました。

    このときの「ドイツ国民に告ぐ」という演説は14回にわたって行われた連続演説で、その中で彼は次のように述べています。

    「占領軍の支配を受けはじめると、
     まるでその時を
     待ち兼ねていたかのように、
     誰も彼もがわれ遅れじと
     外国人の機嫌を取ろうとした。

     かつてはドイツの政府や
     政治家たちに媚びへつらい
     ぶざまに這いつくばっていた人たちが、
     今度は国を極めて誹謗し、

     ドイツのものといえば
     何でもかんでも
     悪しざまに
     ののしるようになった」

    要するに敗戦すれば、どこの国でも同じことが起こるのです。

    戦後といえば、ベストセラーの「日本人の誇り」を書いたお茶の水大名誉教授の藤原正彦さんが、文芸春秋の2010年7月号に書いた記事があります。
    引用します。

    =======
    『文藝春秋』六月号の梯久美子氏の記事によると、八十六歳になる建築家の池田武邦氏は、海軍兵学校を出て海軍士官となってからずっと軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」に乗っていたが、昭和二十年四月の沖縄戦で戦艦「大和」とともに海上特攻に出撃し撃沈され九死に一生を得た。
    彼は昭和三十年代に小学生の息子さんに「お父さんはなんで戦争になんか行ったの」と詰問され、それ以降、戦争のことを一切話さなくなったそうだ。

    「どんな思いで戦ったのか。
     戦友はどんなふうに死んでいったのか。
     艦全体が家族のようだった矢矧のこと。
     言ってもわかってもらえるはずがないと
     心を閉ざしてしまった。
     戦争の話をするようになったのは
     八十歳を過ぎてからです」
    と今語る。

    四年ほど前に見たあるテレビ番組は、五十歳前後の俳優が八十九歳の父親とベトナム沖の島を訪れるものであった。
    陸軍大尉だったこの父親がB級戦犯として五年間収監されていた島である。
    ここで俳優が老いた父親を高圧的に非難するのだった。
    「戦争は人殺しだよね。
     悪いことだよね」
    と、父親の反論に耳を貸さず幼稚な言い分をがなり立てる様にいささか驚いた。

    軍人だった父親のいる多くの家庭で見られた風景に違いない。
    「日本がすべて悪かった。
     日本軍人は国民を欺いて
     戦争に導いた極悪人だ。
     自衛戦争も含め
     すべての戦争は悪だ」
    という洗脳教育から大多数の国民がまだ解き放たれていないのだ。
    =======

    何事につけ「行き過ぎ」は「足りない」よりも悪い結果をもたらします。
    戦後の反日主義がもたらしたものは、日本においても、そしてまた韓国においても、中共においても、いずれも行き過ぎた悪い結果しかもたらしていないと断言できると思います。

    とりわけ日本における3年3ヶ月の民主党政権は、東日本大震災という未曾有の厄災に対しても、また景気対策に対しても、そしてまた国民を守るうえにおいても、いわゆる戦後世代的価値観が、ただの絵空事にすぎないことを、ものの見事に証明してくれました。
    そして戦後世代が正義と考えていたものが、実はただの虚構にすぎず、むしろもとから日本にあったものの方が、私達の暮らしにとってはるかに大切なものであることを知らしめてくれました。

    今回の新型コロナウイルスも、いやおうなしに日本人が「日本人とはなにか」をしっかりと考え直すきっかけです。

    フィヒテが面白いことを述べています。

    「我々は即座にドイツ人になればよい。
     本来あるべき姿に戻れば良いのだ。

     我々は精神を
     他人の支配にまかせてはならない。

     そのためにはまず堅確な
     精神を養わなければならない。」

    「自らドイツ国民たるを信じ、
     ドイツ国民が偉大かつ高尚な
     国民たることを疑わず、
     ドイツ国民に望みを託し、
     ドイツ国民のために生命を賭け、
     艱難(かんなん)に耐え、
     苦痛を忍び、
     今日限り動揺を止め、
     信念を強固にしなければならない。」

    この言葉、ドイツを日本におきかえたら、まるっきりそのままいまの日本にあてはまります。
    私達は、日本人として、本来あるべき日本人の姿に戻れば良いのです。

    吉田松陰は、

     身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
     留め置かまし大和魂

    と詠みました。
    そして「日本が滅ぶ、このままでは日本が無くなってしまうのではないか」と心配する水戸藩の郷士、堀江克之助に、次の書を与えました。

    「天照の神勅に、
     『日嗣之隆興 天壞無窮』と有之候所、
     神勅相違なければ日本は未だ亡びず。

     日本未だ亡びざれば、
     正気重て発生の時は必ずある也。

     只今の時勢に頓着するは
     神勅を疑の罪軽からざる也」

    時勢に翻弄され、怒りに身を任せるのではなく、天壌無窮の神勅を信じ、堂々たる日本人になっていく。
    日本の歴史伝統文化に不動の愛と信念を持つようになると、微動だにしない確信が生まれます。
    そこに、日本の未来をひらく道があります。


    ※この記事は2020年4月の記事の再掲です。
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  • 小野道風(おののとうふう)


    どんなに名人と言われる人でも、はじめから名人であったわけではありません。もっというなら、はじめから名人になろうと計画して、その計画に基づいて名人になったわけでもありません。かつて、ソ連がこれを行おうとして、まさに幼児のうちから計画的にスポーツ選手を養成するということを行いましたが、結果、破綻しています。
    そうではないのです。俺はヘタだなあ。どうしてこんなにヘタなんだろうと悩みながらも、毎日少しづつ精進を積み重ねていくうちに、気がついたら、その道の名人になっているのです。


    20200327 小野道風
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    書道の大家といえば、
     小野道風(おののとうふう)
     藤原佐理(ふじわらのすけまさ)
     藤原行成ふじわらのゆきなり)
    この三人が三蹟(さんせき)と呼ばれる、10世紀の能書家(のうしょか)です。

    この三人のうち、たいへんな呑ん兵衛さんだったのが藤原佐理(すけまさ)で、国宝となっている「離洛帖(りらくじょう)」などをみると、書がものすごく崩してあって、ほとんど抽象画のようです。

    これに対して、一字一字がたいへんしっかりしているのが、藤原行成(ゆきなり)で、こちらは人物も沈着冷静で、天皇のおぼえもめでたく、晩年には正二位、権大納言の位にまで出世しています。

    そんな行成(ゆきなり)が、まるで神様のように尊敬していた人物が、小野道風(おののどうふう)です。
    実は少し前までは、この人物は、日本人なら当たり前に知っていた、たいへんな有名人でした。
    理由は下の絵です。
    雨に蛙


    この花札に描かれている人物が、小野道風です。

    札には上の方に黒く柳の枝が描かれ、真ん中に人物。
    その人物は傘をさしていて、後ろに水が流れています。
    で、手前にも川が流れていて、杭(くい)があり、その横でカエルが柳の枝に飛びつこうとしています。
    実は、この絵柄は、小野道風の故事にちなんだものです。
    ご存知の方もおいでかもしれませんが、簡単にご紹介すると、

    小野道風は、子供の頃、勉強ができず、字もへたくそ、和歌も下手。
    悔しいけれど、生まれつき出来がわるいのだから仕方がないと、自他ともにあきらめていたそうです。

    叱られた後だったのかもしれません。
    小野道風、しょんぼりと雨の中を歩いていたのです。

    そのとき、ふとみると、一匹のカエルが地面から、垂れ下がった柳の枝に飛びつこうとして、何度もなんども跳ねているのをみかけました。
    そんな光景を、傘をさしてボーっと眺めていたというのですから、小野道風、このとき、もう死んでしまいたい・・くらいに、よっぽど、へこんでいたのかもしれません。

    カエルは、何度も何度も飛びつこうとしています。
    でも、高さが足りない。
    だから飛び付けない。
    「バカなカエルだなあ・・・
     ハハ、俺と一緒か・・・」
    なんて思ったのかもしれない。

    ところが、そのとき、一陣の強い風が吹いて、柳がグイっとしなり、その瞬間、カエルが見事に柳に飛び移ったのです。

    これを見た道風は、ハタと気がつきました。
    「カエルは一生懸命努力をしていた。
     そうすることで偶然のチャンスを自分のものとした。
     けれど俺は何の努力もしていないではないか・・・」

    目の覚める思いをした道風は、その後、精進を重ね、日本一の書家になりましたとさ・・・というのがこの絵札にまつわる物語です。

    このお話が史実かどうかは不明です。
    なぜなら、広まったのが江戸時代中期の浄瑠璃からだからです。
    けれど戦前まで、このお話は国定教科書にも載っていました。
    つまり日本人の常識となっていたお話でした。

    記紀にある神話の物語などもそうなのですが、日本のこうした故事に関するお話の多くは、「成長」がキーワードになっています。
    つまり、はじめはダメ人間だったけれど、機会を得て人間として大きく成長していく。

    逆にいえば、はじめから全てを兼ね備えたような人などそうそうはいないわけで、みんな自分の至らなさ、足りなさに悩み苦しむのが普通です。
    だからこそ努力するし、努力するから成長できます。

    もちろん、何かに特別な才能を発揮できる子もいます。
    けれどそういう子であっても、別な部分においては、やはり出来の悪い子と同じように悩むのです。
    そういう意味では、みな、同じです。

    戦前は、そういうことを、小学校の低学年のうちにキチンと教えていたし、それをあたりまえの常識にしていました。
    だから庶民の遊戯札である花札に、小野道風が描かれていたのです。
    ちなみにこの花札の絵柄の「雨にカエル」は、最高役の20点札です。

    ここに日本文化の特徴があります。
    例えば日本アニメでは、ほとんどの場合、主人公は10代の若者です。
    「鬼滅の刃」もそうですし、先日公開されて大ヒットした「すずめの戸締り」もそうでした。
    「キングダム」もまた、10代の青年が主人公です。

    これに対し、米国アニメは、バットマン、スーパーマン、アイアンマン、マイティソーなど、数々いるヒーローたちは、全員、ウルトラスーパーな力を持ったおじさんたちです。
    つまり「成長」がテーマになっているわけではなくて、完璧な主人公が敵を破壊し粉砕することがテーマとなっています。
    ここに文化の違いがあります。

    冷静に考えてみれば、どんな名人でも、はじめから名人だった人はいません。
    あるいは、はじめから名人になろうと計画して、その計画に基づいて名人になったわけでもありません。
    かつて、ソ連がこれを行おうとして、まさに幼児のうちから計画的にスポーツ選手を養成するということを行いましたが、結果、破綻しています。

    そうではないのです。
    俺はヘタだなあ。どうしてこんなにヘタなんだろう、と悩みながらも、毎日少しづつ精進を積み重ねていくうちに、気がついたら、その道の名人になっているのです。

    オリンピックに出るようなスポーツ選手も、あるいは全国大会に出るような中高生のスポーツチームも、動機は様々だけれど、なんとなくバレーボールが好き、あるいは入学したとき、先輩からバスケットボールをやったら女の子にモテるぞと言われて、それでまじめに練習していたら、気がつけば強いチームになっている。
    そこに優秀な、これまたどうしてコーチになったかわからないけれど、絶対に生徒たちに勝利の経験をさせてあげたいと思う先生が、毎日、いろいろに工夫しながら、一生懸命に生徒たちに教える。
    それら全部の力が、合わさったときに、おそらく優勝という結果が生まれています。

    天才は、はじめから天才ではないのです。
    おもしろいから、楽しいから、探究心があるから、まじめだから、そのことを一生懸命に毎日やっているうちに、気がついたら周囲から天才と呼ばれるようになっているのです。

    そして、そのことを、かつては誰もが小野道風の花札の絵柄から、学んでいたのです。


    ※この記事は2020年4月の記事のリニューアルです。
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  • 野菊の墓と心の襞(ひだ)


    男と女は頭の構造が違います。
    だから葛藤があり、葛藤があるから小説の題材になり、人々の共感を得る。
    人々は、そんな葛藤の中で、持って生まれた魂を鍛え、訓練し、自分の魂をより高度なものに成長させる。
    それが魂がこの世に生かされている理由としてきたのが、日本の国柄であり国民性です。

    木下恵介監督『野菊の如き君なりき』より
    20151108 政夫と民子



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    伊藤左千夫の小説『野菊の墓』に、主人公の政夫と民子(たみこ)の次の会話があります。
    会話のなかの民子は17歳、政夫が15歳です。
    二人は兄弟同然に育てられたのですが、互いに慕情を抱いています。
    二人は畑仕事に行く途中、道端に咲いている野菊を見つけます。

    **********

    「まア綺麗な野菊、
     政夫さん、私に半分おくれッたら。
     私ほんとうに野菊が好き」

    「僕はもとから野菊がだい好き。
     民さんも野菊が好き?」

    「私なんでも野菊の生れ返りよ。
     野菊の花を見ると
     身振いの出るほど好もしいの。
     どうしてこんなかと、自分でも思う位」

    「民さんはそんなに野菊が好き。
     道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

    民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。
    二人は歩きだす。

    「政夫さん、私野菊の様だってどうしてですか」

    「さアどうしてということはないけど、
     民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」

    「それで政夫さんは野菊が好きだって?」

    「僕大好きさ」


    *********

    と、こういう会話です。
    この小説は、小学校のときに読んで、そのままの会話で映画化もされています。
    下にYoutubeを貼りました。
    映画でも、この通りに描写されました。

    民子にしてみれば、
     政夫さんは野菊が好きだと言った。
     そして自分のことを野菊のような人だと言った。
     ということは、
     政夫さんは自分のことを好きだと言ってくれているんだ・・・。

    と、このように思考が働くわけです。
    だから民子は、頬を赤らめながら、うつむいて黙ってしまっています。
    大好きな政夫さんが、自分のことを好きだと言ってくれたと思ったのです。

    女性の方なら、以上の意味は説明するまでもないことと思います。
    ところが男にはこれがわからない。

    政夫の頭のなかでは、
    「野菊が好き」ということと、
    「民子は野菊のようだ」ということは、それぞれが独立しています。
    つまりこの二つは結びついていません。

    もちろん政夫は民子のことが好きなのだけれど、だからといって「民子さんが好き」と言っているわけではないのです。
    政夫の頭の中では、民子のこと好きと思う気持ちと、野菊が可愛い花で好きだということ、民子のイメージが野菊のようであるということは、それぞれまったく別々なものとして認識されています。

    もちろん民子のことを好きであることは、その通りなのですが、だからと言って民子に「好きだ」と告白しているわけではないのです。
    そんなことは気恥ずかしくて言えないし、自分では、まさかそんな気持ちを民子に「悟られた」と気づいてもいません。

    コンピューターに例えれば、男性脳は分類処理式で、ひとつひとつのことを分類し、整理し、識別し、区別していこうとする特徴があります。
    一方女性の脳は、並列型分散処理式で、同時に複数の事象や言葉をつなげることで、様々なことをいちどきに感じ取ることができます。

    ですから小説のこの場面を読む読者も、
    女性なら、政夫の告白と受け止めますから、ここはドキドキのシーンになります。
    ところが男性なら、ただ野菊が好き、民子は野菊みたいな女性という2点は、別々な情報として頭の中で処理されますから、この段階で意味がわからない。

    かくいう私も、この小説は大好きで、小学校のときに初めて読み、そのあとたしか中学高校のときにも、あるいは社会人になってからのまだ若い頃にもこの小説を読んでいますが、このシーンの持つ意味がわかるようになったのは、やっと五十路を過ぎてからのことでした。

    小説では、このあと、しばらく黙ってしまった民子に、政夫は次のように言います。

    ******

    「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」

    「わたし何も考えていやしません」

    「民さんはそりゃ嘘だよ。
     何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣(わけ)はないさ。
     どんなことを考えていたのか知らないけれど、
     隠さないだってよいじゃないか」

    「政夫さん、済まない。
     私さっきほんとに考事かんがえごとしていました。
     私つくづく考えて情なくなったの。
     わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。
     私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」

    「民さんは何のこと言うんだろう。
     先に生れたから年が多い、
     十七年育ったから十七になったのじゃないか。
     十七だから何で情ないのですか。
     僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
     民さんはほんとに妙なことを云う人だ」


    *******

    民子の頭の中では、
     自分は政夫さんが好き。
     政夫さんも自分のことが好き。
     私も政夫さんが好き。
     だから、二人は結ばれたい。
     けれど私のほうが歳が多い。
     どうしよう・・・・、
    とこのようになっているわけです。

    一方、政夫の方はというと、民子のことが好きではあるけれど、野菊が好きと言っただけで、民子に好きだと告ったわけではない。
    だから政夫は、先回りして思考が進んでしまった民子の思考についていけず、
    ただ額面通りに、
    「十七年育ったから十七になったのじゃないか。
     十七だから何で情ないのですか。
     僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
     民さんはほんとに妙なことを云う人だ」
    となっています。
    多くの男性の読者も、同じ読み方になります。

    映画で民子を演じた有田紀子さん
    20151108 有田紀子


    このような男女の思考の微妙な違いを題材にした日本最古の作品が古事記です。
    イザナキ、イザナミの思いのすれ違い。
    トヨタマヒメとヤマヒコの、お互いの心のすれ違いなどが描かれています。

    世界最古の女流文学である『源氏物語』も、こうした男と女の微妙な意識差が描かれ、それが人々の大きな共感を呼んでいます。
    共感があるから、千年以上にわたって作品が生きているのです。

    こういう心のヒダのすれ違いは、とてもやっかいだし面倒なものです。
    けれど、やっかいだからこそ、千年たっても、そこに共感があるわけです。

    ところがこうした心のヒダのすれ違いのようなものは、西洋の文学には、ほとんど描かれることがありません。
    イプセンの『人形の家』にしても、トルストイの『アンナ・カレーニナ』にしても、ハーベイの『テス』にしても、あるいは『シンデレラ』のような童話であっても、女性の気持ちと、男性の脳の働きからくる微妙な心のヒダのすれ違いが小説のテーマになることはありません。

    シェイクスピアの『ロメオとジュリエット』にしても、二人が愛し合っていたのはわかるけれど、愛し合いながらも、互いの心のスレ違いに葛藤する男女というのは、そこにはありません。
    題材は常に、
    「物理的に結ばれるか否か」
    であり、思慕は描かれても、心のすれ違いは、テーマとして扱われません。

    要するに、女性の気持ちになど関係なく、『人形の家』のように、
    「手に入れたはずの女性がが家を飛び出してしまった。なんでだろう」
    みたいなものが世界最高峰の西洋古典文学作品と讃えられているわけです。

    これが東洋に至ると、女性の気持ちが描かれるということ自体が皆無になります。
    楊貴妃にしても、虞美人にしても、本人の意思や思いにまったく関係なく、ただ美人であって、武将に愛されているだけの存在です。
    チャイナ社会の場合、女性が男性の意に反せば、彼らはその女性を殺して食べてしまっていたのですから、さもありなんといえるかもしれません。

    要するに西洋においても、東洋においても、やや強引な言い方をするならば、女性は男性にとって、単に略奪の対象でしかないわけです。
    それがたまたま女性の側に、その男性を思慕する気持ちがあれば、シンデレラのストーリーになって「ロマンス」と呼ばれます。

    シンデレラは、たまたま男女とも独身で、互いに相手を思う気持ちがあったから、ロマンスなのです。
    けれど王子様は、シンデレラを得るために国中の女あさりをしています。
    もし、探しているのが王子ではなく、妻子あるヒヒジジイの王様であったり、シンデレラが、たまたまお城でダンスパーティーがあるというから美しい衣装を着て踊ってみたかっただけで、他に愛する彼氏か、夫や子があったなら、あのガラスの靴探しは、とんでもない迷惑ストーカー行為です。

    歴史を振り返れば、西洋でもチャイナでも、現実には、そうした迷惑行為となる女漁りが現実だったわけで、このとき、シンデレラが、王子を拒めば、シンデレラは魔女として火炙りになり、チャイナなら本人は食べられ、一族は皆殺しにされるてきた、というのが、世界の現実であったわけです。

    そういう社会構造が根幹にあるわけですから、男女の微妙な心のすれ違いが文学作品のテーマになることなど、これは起こりようもありません。

    逆にいえば、冒頭にご紹介したような、微妙な心のすれ違いが、「ああ、そうだよなあ。たしかにそんなことあるよね」といった人々の共感を生むということは、日本が築いてきた社会が、とても平和であったということと、男女ともに互いの気持ちを「察する」ことが大事とされる社会環境があったからといえます。

    日本は、「察する」ということを、とても大切にしてきた国です。
    それが大切にされなければならないということが、国の上から下まで浸透していたからこそ、冒頭にあるような微妙な会話が人々の共感を生みます。
    先回りして思考が働く女性と、誠実だけど不器用な男性。
    それが互いに相手の心を察しあう。
    ISのテロや暴力とは対局の世界がここにあります。

    日本文学が、妙にねちっこくて嫌だという人もいますが、社会環境を考えた時、この違いは大きいです。
    つまり、気持ちなど関係なく蹂躙されることがむしろあたりまえであった社会と、
    気持ちこそが大事とされた社会。
    そこから生まれる文学は、
    前者は「ロマンスへの共感」となるし、
    後者は「すれ違いへの共感」となります。

    では、なぜ日本では、心こそ大事という文化が育まれたのでしょうか、
    その最大の理由は、日本が天然の災害の宝庫である国土を持つことにあったといえるかもしれません。
    なぜなら日本では、災害は必ずやってくる。
    しかも忘れた頃にやってくる。
    そのときのために、非常事態を先読みして、事前に手を打っていかなければならない。
    いまどきのメディアにひしめく近隣国からの渡来人のように、災害が起きてから「たいへんだ、たいへんだ」とバカ騒ぎ(あえてこう言わせていただきます)するだけでは、日本列島で血をつないでいくことはできないのです。

    そしてそのために、国家最高権威としての天皇によって、すべての民衆が「おほみたから」とされました。
    国や行政は、その「おほみたから」が、いついかなるときにあっても、たとえ天然の災害にあったとしても、必ず安心して生き延びることができるように、日頃から準備をすることが最大の使命となっていったわけです。
    日本人のお役所に対する信頼意識も、そうした背景から育まれたものです。
    もっとも近年では、そうしたお役所の社会的信頼が、インチキ○○○騒動のただのアオリ役となり、むしろ世の中の信頼を損ねる側の存在になってしまっているのは、残念なことです。

    こうして国の形が、ひとりひとりを大切にすることを出発点とする国柄が育まれると、その国に育った民衆もまた、相互に人を大切にするようになっていきます。
    当然です。自分も「おほみたから」なら、周囲の人達も「おほみたから」なのです。
    だから国や郷里や家族や友を大切にし、男であれば女を、女であれば男をたいせつにするという国柄、文化が育くまれます。

    ところが、そもそも男と女は、冒頭の民子と政夫の会話みたいなもので、頭の構造が違います。
    だからそこに葛藤があり、葛藤があるから小説の題材になり、人々の共感が生まれるのです。
    人々は、そんな葛藤の中で、持って生まれた魂を鍛え、訓練し、自分の魂をより高度なものに成長させる。
    それが魂がこの世に生かされている理由としてきたのが、日本の国柄であり国民性です。

    『野菊の如き君なりき』は、いま、youtubeでご覧いただくことができます。

    野菊の如き君なりき (1955年) - 木下惠介


    また小説『野菊の墓』は、青空文庫で無料で読むことができます。
    https://www.aozora.gr.jp/cards/000058/files/647_20406.html

    あとひとつ、付け加えます。
    松田聖子さんの大ヒット曲に『渚のバルコニー』という曲があります。

    ♪渚のバルコニーで待ってて
     夜明けの海が見たいの
     そして秘密

    といった歌詞なのですが、
     
     渚に近いところのバルコニーで待っててね
    (ああ、あの場所ね)
     夜明けの海が見たいの。
    (そうなんだ)
     そして秘密
    (わはは、女子は秘密が好きだなあ)

    くらいにかずっと思っていませんでした。
    ところが、

     渚に近いところのバルコニーで待ってて
     夜明けの海が見たいの。
    (ということは、バルコニーのあるベットで夜明けまで一緒にいたいと言っているのだ)
     そして秘密
    (ということは、***をしたぁい♡と誘っているのだ。しかも)
     バカね、呼んでも無駄よ
     水着持ってない
    (と、裸を想像させている・・!!
     うわぁ!すごい意味深な歌詞だったんだ!!)

    と、気付いたのが60歳を過ぎてから(笑)
    この曲が生まれたのが1982年(昭和57年)ですから、40年近くもの間、何度となくこの曲を聴いていながら、まったく意味がわかっていませんでした。
    と、おそらくいまこれをお読みの男性の読者の皆様の多くも、もしかしたら、言われてはじめて「そうだったんだ!」とお気づきになられた方も多いのではないかと思います。
    ・・・て、そんなことないのかな(笑)


    ※ この記事は2015年11月の記事のリニューアルです。
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  • 着衣は左前か右前か


    どんな些細なことにも、そこには歴史があり、文化の裏付けがあります。
    逆に言えば、「文化の裏付けが成立したときに、それが歴史になる」ということです。
    つまり「文化が歴史をつくる」のです。

    20210425 右前
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    さて、着物の着方で、よく問題にされるのが、右前(みぎまえ)か左前(ひだりまえ)かです。
    俗説に、男は右前、女は左前という人もいますが、実は「男女とも右前」が正解です。
    これは「右を前(さき)に身につける」ことを意味します。
    つまり、着終わったときには、左側が外側になります。

    これが古い言い方ですと、
    「先に右側の身頃、続いて左側の身頃を重ねながら着る」という言い方になります。
    このように着ると、前から見たとき襟元が「y」字のようになります。

    女性の振り袖や小袖などの着物も、よく見れば、柄がそのように着たほうが映えるようにできています。
    男性のアンサンブルでも、柔道着や空手着などでも、男女を問わず、すべて右前です。

    ではどうして右前なのでしょうか。
    実はこのことには、明確な決まりがあります。

    時は養老3年(719年)の元正天皇の御世にさかのぼります。
    元正天皇というのは、奈良時代においでになられた女性の天皇で、歴代御皇室の女性の中でも、最も美しかったと伝えられている女性天皇です。

    そしてこの年に発せられたのが
    右衽着装法(うじんちゃくそうほう)」
    です。
    これによって、すべての衣服は右前で着装することが、要するに「法で定められた」のです。

    「衽」という字は、訓読みが「おくみ」で、和服の前幅を広くする前身頃(まえみごろ)に縫いつける細長い布のことです。
    つまり着物を着るときには、右の「おくみ」を先に身につけなさい、という意味になります。

    このようなお触れが出されたことには理由があります。
    この翌年(720年)の5月に、『日本書紀』が成立(元正天皇に提出)されることになっていたからです。

    日本書紀の編纂は、681年の天武天皇の詔(みことのり)に端を発します。
    以来、39年の歳月をかけて編纂が進められ、いよいよそれが天皇に献上されるという段階になって、これに先立って出されたお触れが「右衽着装法」なのです。

    日本書紀は、その全巻を通じて、
    「なにごとも霊(ひ)が上、身が下」
    という考え方が貫かれています。
    人(ひと)は「霊止(ひと)」
    あるいは「霊留(ひと)」です。
    肉体(身)は霊(ひ)の乗り物だ、ということが日本書紀を通底する考え方です。

    ですから、着物を着るときも右前、つまり着物の右側を先に体に巻きつけ、その上から着物の左側が外側になるように体をおおうことにしました。
    「何事も左が上、右が下」
    このように定義することで、我が国最初の史書の内容が、しっかりと伝わるようにしたのです。

    着物の着方について、俗説では
    ・世の中には右利きの人が多いせいだ
    ・たくさんの柄が書かれている方が外側だ
    ・男は右前、女は左前だ
    などなど、さまざまな俗説がまかり通っていますが、意味がわかれば、それら俗説はすべて吹っ飛ぶのです。

    ちなみに左前の着方というのは、仏式の葬儀において仏様に着せる経帷子(きょうかたびら)の着せ方です。
    これは仏教が、今生きている世界と死後の世界は真逆になるという考え方に基づくものです。
    女性が着物を着るときに、「お前は女だから左前に着ろ」というのは、死ねと言っているのと同じことになります。

    一方、洋装の場合は、女性のブラウスは、最初からボタンが左前に付けられています。
    これは、和服とは、また違った歴史によるものです。
    日本に洋装が入ってきた時代は、いわゆる植民地全盛の時代です。
    当時、はるばる日本までやってくるような西洋人女性は、大金持ちの高官の妻女や娘たちでした。
    そのような西洋の高貴な女性たちは、この時代「自分の手で」ブラウスを着たりはしません。
    そのようなことは、すべて召使いにやらせる・・・つまり着せてもらうのが慣習でした。
    そこで召使がボタンをかけやすいようにブラウスのボタンが左前に作られるようになったのです。
    つまり洋服における女性の左前は、それだけで
    「私は高貴なセレブの女性よ」
    と言っているのと同じ意味になっていたのです。

    ところが西洋式でも、男服は右前です。
    なぜかというと、男は貴族であっても戦場に出ます。
    戦場では、メイドに軍服を着せてもらうわけにはいきません。
    自分で軍服を着なければならないのです。
    ですから洋装でも、男物は自分でボタンを留めやすいように、右前になっています。

    どんな些細なことにも、そこには歴史があり、文化の裏付けがあります。
    逆に言えば、「文化の裏付けが成立したときに、それが歴史になる」ということです。
    つまり「文化が歴史をつくる」のです。


    ※この記事は2021年4月の記事の再掲です。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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