■□■━━━━━━━━━━━━━■□■5月の
倭塾は、5月14日(日)13時半から、場所は
富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「徳川家康と未来の日本」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
詳細 →
https://www.facebook.com/events/1063170144348232■□■━━━━━━━━━━━━━■□■昔も今も変わらぬ日本の心。 そして今の日本が政治上も教育上も取り戻さなければならない心。 それが「民衆が、国家権力よりも上位におわす天皇によって『おほみたから』とされている」という、日本古来の伝統的思想です。
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日本をかっこよく!一日ずれてしまいましたが、5月5日といえば端午(たんご)の節句(せっく)。
毎月のはじめ(端)の日が「午(うま)の日」で、「午(うま)」は「ご」とも読まれることから、「5(ご)」と「5(ご)」が重なる5月5日が端午の節句となりました。
その「5」は、ひふみの数詞で「いつ」と読み、これは一説によれば「齋(いつき)」という意味なのだそうです。
男子は不浄を清め、神聖な事柄に命を賭ける。
それが日本男子の生きる道。
というわけで、端午の節句が男子の日とされました。
端午の節句というと、すぐにチャイナにその起源を求めるひとがいますが、節句というのは、暦の上で毎月あるもので、このことは日本もチャイナも同じです。
ただし、「5」を「齋(いつき)」としたのは、日本語の原型となる大和言葉によります。
ちなみにチャイナでは、およそ2300年前の戦国時代の屈原(くつげん)の逸話が、端午の祝のはじまりとされています。
日本で端午の節句を祝うようになったのは、8世紀の奈良時代からですから、古さという点においては、チャイナに軍配かもしれません。
屈原というのは、始皇帝で有名な秦や、斉や燕、楚などといった国があった戦国時代の楚の政治家です。
楚は外交面で迷走し、ついに秦によって滅ぼされてしまいます。
これを苦にした屈原は、川に身を投げて死んでしまう。
その日が5月5日だったことから、人々は屈原の死を悲しみ、川に餅米を蒸した「ちまき」を投げ入れたという伝説があります。
気の毒な末路ですが、屈原がそれだけ民衆に慕われたということについて、江戸時代の日本で国学が盛んになった頃に、チャイナの故事として注目を集めるようになりました。
国学は、民衆こそが「おほみたから」という認識に立ちます。
そうであれば、武家の男子の本懐は「民衆のために生き、民衆のために役立つこと」にあります。
そのような、民衆に慕われる立派な武士に育ってほしい。
そんな願いが、端午の節句が、男児の祝日とされた由来になります。
昔も今も変わらぬ日本の心。
そして今の日本が政治上も教育上も取り戻さなければならない心。
それが「民衆が、国家権力よりも上位におわす天皇によって『おほみたから』とされている」という、日本古来の伝統的思想です。
なにしろ、このことを実現できたのは、歴史上、世界のなかでただ一国、日本だけなのですから。
そうそう。端午の節句を書いたら、鯉のぼりのことも触れておかなければなりません。
男児のお祝いに鯉のぼりが立てられるようになったのは、明治に入って四民平等になってからのことです。
それまでは、農民はその土地で生きる他なかったのですが、四民平等によって、農民でも、大出世して、世のため人のために役立つことができる世の中になったというわけで、昔から縁起物と言われる「鯉の滝のぼり」を模して、鯉のぼりを高らかに空に上げるようになりました。
そうすることによって、より高い地位に子が昇るようにと願ったのがはじまりです。
「鯉の滝登り」というのは、鯉が滝を登ることを転じて、人の栄達、立身出世をたとえたものとされます。
これもチャイナの故事によるもので、黄河の急流にある竜門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかな魚だけが登ることに成功して竜になった・・・という伝説から、その魚を鯉と想定したものです。
ちなみに鯉のぼりに、鯉と「ふきながし」が飾られますが、「ふきながし」は、戦国時代に、戦に際して本陣に吹き流しの幟(のぼり)を立てたことに由来します。
おそらくそれは、ひとつには風力と風向きを知るためであり、もうひとつには、ここに本陣があるぞ、本陣は無事であるぞ、といった意味があったものといわれています。
明治時代には、四民平等になったわけですが、それでも人々の心には、武家を表す「幟」を模した「ふきながし」を、鯉のぼりのいちばん高い位置に飾ったわけです。
理由はもちろん、「鯉のぼり」によって息子の出世を願うだけでなく、その一番上に「ふきながし」を配置することによって、「正しい道において出世する」という親や祖父母の願いを表したのです。
最後にもうひとつ。
近年、日本人のような顔をして日本語を話すけれど日本人ではない怪しい人々(笑)が、日本固有の文化を模倣して、本家とか元祖を名乗るケースが増えています。
まあ、それだけ日本の文化が魅力的だということなのですが、文化というものは、蓄積と模倣から生まれます。
そして文化的蓄積のない模倣には、必ずどこかチグハグなものが生まれます。
「何事にも歴史伝統文化によって成されてきた理由がある」
このことを踏まえて見れば、それが単に模倣しただけの偽物(にせもの)か、あるいはちゃんとした伝統文化にのっとったものなのかの識別が可能です。
ある意味残念なことですが、そうした目を、我々自身が養っていかないと、おかしなものに騙されてしまう。
そういう意味でも、日々、勉強が必要です。
※この記事は2022年5月の記事のリニューアルです。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
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