• 第一回遣隋使についての解釈の間違いを考える


    日本の統治の根幹となるシステムを理解せず、欧米やチャイナの価値観や政治システム論の範囲でのみ、日本の歴史を見ようとすると、歴史認識を間違えることになります。
    日本には、日本の歴史伝統文化があるのです。

    20230530 遣隋使
    画像出所=https://history.kaisetsuvoice.com/kenzuishi.html
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    第一回遣隋使についての学会の間違いを指摘しておきたいと思います。

    西暦588年に、チャイナに超軍事大国としての隋が楊堅帝によって建国されると、倭国(当時の日本)は、その二年後の西暦600年に第一回遣隋使を送っています。
    送ったのが倭王アメノタラシヒコで、このとき倭王が送った国書が『隋書』に記載があり、そこには次のように記されています。
    「高祖が所司(役人)を通じて
     倭国の風俗を尋ねさせたところ、
     使者は、
     倭王は天を兄とし日を弟とし、
     夜明け前に政治を聴き、
     日が出ると
     仕事を止めて弟に委ねる、と述べた。
     高祖は倭国の政治のあり方が
     道理に外れたものだと納得できず、
     改めるよう訓令した」
    つまり当時の倭国は、たいへんオクレた国であったのだ・・・というように解釈されて学校で教わったりすることが多いですし、また学会の通説もそのような解釈になっています。

    ちなみにこの後の歴史は、
    604年 隋の第二代皇帝・煬帝即位
    607年 第二回遣隋使 隋の煬帝、小野妹子 
    「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
     蛮夷が天子を名乗ったことで煬帝が激怒
    608年 第三回遣隋使 隋の煬帝、小野妹子
    「東天皇敬白西皇帝」
    610年 民衆酷使による京杭大運河完成
    612年 隋による高句麗出兵の大敗
    614年 隋国内で反乱発生
    618年 隋滅亡
    というように歴史が進みます。
    なんとなく学校で習った記憶をお持ちの方も多いと思います。

    さて、今回の本題に入る前に、倭国という呼称について、先に一言述べておきたいと思います。
    倭国の倭という漢字は、「背の低い人」という意味があり、チャイナは周辺の蛮族に対して、その族の音はそのままに、できるだけ良くない意味の漢字を当てたという慣習があります。
    従って、倭国とは日本に対する蔑称である、といったことが通説になっているようですが、それは少し違います。

    なぜなら「倭」という漢字に「背の低い小さい人」という意味は、その成り立ちから言うと存在しないからです。
    「倭」という漢字は、「禾」と「女」と「人」によって成り立ちます。
    「禾」は、稔った稲穂を表す漢字。
    「女」は、その稲穂を植えたり刈り取ったりする女たちの象形。
    「人」は、人々を表します。
    つまり「倭」という漢字は、もともとは、稲作をして暮らしている人々がいる日本をあらわす漢字です。
    なぜ稲作が女性かというと、縄文以来、日本では男たちは危険な海に出て魚を獲るのが仕事。
    女たちは、陸にいて、山菜を集めたり、畑仕事をしたり、稲を育てて収穫し、それらをあつめて旦那が運んでくる魚とともに料理をするのが仕事、というように、男女の仕事が別れていたことに由来します。
    このことは、いまでも田植えの田楽の際に、田植えをするのが女たち、その周囲でお囃子をするのが男たちといった伝統からもうかがい知ることができます。
    つまり「倭」は、そんな日本人の暮らしを、そのまま漢字に仕立てた文字であるのです。

    その日本人は、東亜諸国のなかでも、やや背が低い民族で、
    先の大戦の頃までは、日本人の成人の平均身長は、男が155センチ、女が145センチくらいでした。
    つまり現代の感覚でいくと、中学1年生くらいの体格であったわけです。

    日本は、自国のことを「やまと」と言い、その「やまと」を表す文字として、「倭」という文字を用いました。
    ですからヤマトタケルノミコトも、漢字で書けば「倭健命」です。
    そして、国名に稲作をする女性たちを意味する倭国という文字(こう書いて『やまとのくに』と読みます)を、実は誇りを持って用いていたのです。
    男らしさや強さや立派さを誇張する国名ではない。
    普通の人である女たちが田で稲を育て、男たちが外で働いて、みんなでお腹いっぱい安心してご飯を食べることができる、一部の大金持ちたちのための国ではなく、庶民が主役の国。
    そのような意味が「倭国」という文字に込められていたのです。

    そして倭は、輪であり、和であり、話であり、環です。
    言論戦は、環のごとくして端がないのだから、なによりもまず環を大切にし、皆で輪になって、まずは安心して人々が食べていく国を築いていこう。
    そうした意味が、倭国という文字になっています。

    さらに、今回の第一回の遣隋使の倭王の国書の文です。
    そこに、
    「倭王は天を兄とし日を弟とし、
     夜明け前に政治を聴き、
     日が出ると仕事を止めて弟に委ねる」
    という言葉があります。
    政治をわかっていないと見た隋の皇帝は、これを嘲笑って改めるように諭したと書いているのが隋書ですが、そうではないのです。

    この言葉は、倭国の大王(天皇のこと)は、祭祀を司り、夜明け前に起きて神々とまずお繋がりになられる。
    そしてその後、日が昇ると、政務を朝廷の諸官が摂り始めるという意味の言葉なのです。

    これは、祭祀王と、政務王が我が国において別れていたこと、そして政務王よりも、祭祀王のほうが格が上とされていたことを意味します。
    祭祀王は、天の神々と繋がり、国家の平穏と民衆の幸せな暮らしを祈ります。
    そしてこのことが神々の御意思となります。
    その神々の御意思のもとに、我が国の政治があるのです。
    ということは、政務王の仕事は、民衆が豊かに安全に安心して暮らせるようにあらゆる手立てを講じることになります。
    このことは、もっといえば、民衆に奉仕することが政務王の仕事になるということであり、現代風に言い換えるならば、これは民衆を最も大切にする「究極の民主主義」であり、究極の政治システムです。
    そして、このような政治システムを実現できた国は、歴史上、日本だけであったのです。

    そういうことを倭国は国書にしたためたけれど、隋の皇帝は、これが理解できない。
    皇帝は、あらゆる権力の頂点に立つ者という意識しかないからです。

    現代の学会もまた同じです。
    日本の統治の根幹となるシステムを理解せず、欧米やチャイナの価値観や政治システム論の範囲でのみ、日本の歴史を見ようとします。
    だから間違えます。

    日本には、日本の歴史伝統文化があるのです。

    最後に一点、補足です。
    遣隋使も遣唐使も、その往復の成功確率は25%。
    つまり4分の3は海の藻屑となりました。
    なので遣隋使、遣唐使の船は、毎回4隻の船で往来し、1隻だけがかろうじて帰還できるというものでした。

    けれど、その航海のルートを見れば、それほど波の荒くない、沿岸ルートです。
    本来なら、気楽な船旅であるはずの航路です。
    加えて、成功確率が25%しかないのなら、朝鮮半島を陸路で北上すれば良いだけのことです。

    それでも船を用いたのは、陸路はもっと危険であったからに他なりません。
    そして本来安全なはずの航路が、きわめて危険な航路となったのは、半島の海賊による襲撃が深刻であったからです。

    「そんなことはない。この時代、百済や高句麗といった、ちゃんとした国があったではないか」と思うのは、現代の国家と昔の国家を取り違えた議論です。
    現代の国家は、領域国家といって、国境があり、その国境の内側の出来事にはその国が全責任を持つという形になっています。
    けれど、ほんの何百年か前までの世界は、領域国家ではありません。
    王がいて、その王の周辺だけが王の支配の行き届く範囲であって、すこし離れたら、そもそもどこの国の所属かさえもわからない。
    そして盗賊たちが跋扈していた、というのが、実は世界の諸国の形です。
    この形が、当時の半島の形であったのです。

    歴史は、現代の価値観で見るものではないのです。


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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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