• 我を捨てる日本的思考


    神々の御心は、果てしなく広く、深いものです。このことは、いまから2683年前の神武天皇のお振る舞いが、以後の日本の発展と、私たちの命にそのまま繋がっていることに思いをいたすとき、たしかなものとして、私たちの前に、その凄みを見せてくれます。

    20230531 神武創業
    画像出所=https://tanken.com/kokutaikigen.html
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    今回はちょっとむつかしい話を書きます。
    根幹にあたることです。
    ここを理解すると物事の見方が変わります。

    孟子に有名な言葉があります。
    次の言葉です。
    「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、
     必ずまずその心志(しんし)を苦しめ、
     その筋骨を労し、
     その体膚(たいふ)を餓えしめ、
     その身を空乏(くうぼう)し、
     行い為すところを仏乱(ふつらん)す」

    要するに天が大事を人に任せようとするときには、必ずその人を奈落の底に突き落として厳しい試練を与えるのだ、というのです。
    ここから、「試練は乗り越えられる人にしか訪れない」といった言葉も生まれています。
    この言葉から勇気をいただいたという人も多いのではないかと思います。

    ただし!
    この言葉はチャイナの言葉という点に注意が必要です。
    どういうことかというと、主役が「自分」なのです。

    自分に対して天が大きな任務を与えているから、試練があるのだ、というわけです。
    そこに「オレが、オレが」の精神があります。
    自己中なのです。

    日本の古くからの考え方は違います。
    自分が主役ではなく、あくまで神々の御心が中心になります。
    どういうことなのか、日本書紀の神武天皇の物語から拾ってみます。

    神武天皇は、九州の宮崎を出発され、大分、福岡、広島、岡崎でたいへんに歓迎され、人々によろこばれながら、東へと向かいました。
    そして畿内に入ろうとしたとき、突然長髄彦(ながすねひこ)から、「お前たちはワシの国を奪いに来た!」と言われて襲撃され、このため兄の五瀬命が矢傷を受けてお亡くなりになってしまいます。

    このとき、神武天皇は撤退を決意されます。
    そのときの御言葉です。

     いまやつかれは ひのかみの  今我是日神
     うみのこにして ひにむかひ  子孫而向日
     あだをうつのは あめのみち  征虜此
     これさからふに しからずば  逆天道也
     しりぞきかへり よわきこと  不若退還示弱
     しめしてかみを ゐやいわひ  礼祭神祇
     そびらにかみの いをせおひ  背負日神之威、
     みかげのままに おそひふむ  隨影壓躡
     かくのごとくに するならば   如此
     やひばにちをば ぬらさずに  則曽不血刃
     あだはかならず やぶれなむ  虜必自敗矣

    現代語にすると、
    「我らが日の神(天照大御神のこと)のご神意を得て
     日に向かって進軍して悪い奴らを討つことは、
     まさに天の道なのだ。
     これに逆らうことはできないことだ。
     しかしここでいったんは退【しりぞ】いて兵を引き、
     我らが弱いと見せかけ、
     あらためて、
     神々を敬い、礼を尽くしてお祀りし、
     神々の御威光を背負おうではないか。
     さすれば、
     日に陰が挿【さ】すように、
     敵を襲い倒すことができよう。
     そしてこのようにするならば、
     刃を血で濡らすことなく、
     必ずや敵を破ることができるであろう」

    この御言葉を「神武天皇が負け惜しみを言ったのだ」と解釈する方もおいでになるようですが、違います。
    そうではないのです。
    「神々の御心は、人間の頭の大脳新皮質程度では計り知れないほど深いものだ」ということが述べられているのです。

    畿内に入るまで、どこに行っても歓迎され、喜ばれ、稲作の指導をしてこられたのです。
    それが畿内に入った途端、襲撃を受けたのです。
    ここで「おかしい」と気付かないほうがどうかしているのです。

    神々に時間軸は存在しません。
    千年前も、現在も、千年後も、ずっと存在されておいでになるのが神々です。
    つまり、神々の御意思は、我々人間が思いつくよりもずっと先の先まで見通しておいでになられるのです。
    ということは、ここで襲撃されたことにも、何らかの神の御意思がある。
    そう気付かなければならないのです。

    神武天皇は、ここで撤退し、畿内を南下されて行かれます。
    すると岩間から、生尾人(なまおびと)がゾロゾロと出てきます。
    生尾人というのは、尻尾の生えた猿人ではありません。
    食べ物を収奪され、骸骨のようにやせ細った人たちのことを言う、古い言葉です。
    人間、ガリガリにやせ細ると、お尻の肉がゲッソリと落ちて、尾骨が飛び出したようになり、まるで尻尾が生えているかのように見えるようになるのです。
    だから生きていながら、尾が生えたように見える人という意味で生尾人といいます。

    神武天皇はそうした人々に食べ物を与え、味方に付け、さらに神々から神剣を授かります。
    剣を授かったということは、「戦え」という神々の御意思です。

    こうして神武天皇は、新たに味方になった人々と、あらためて長髄彦の軍と対峙して戦います。
    この戦いの最中に「お腹が空いた」ので、「瀬戸内の人々よ、早く食べ物を持ってきておくれ」と神武天皇が歌った歌が遺されています。

    こうして神武天皇は、米による兵站の調達に成功し、この成功体験から橿原の地に「みやこ」を造ったとあります。
    「みやこ」というのは、いまでは「都」で首都のことを言いますが、もともとの大和言葉は一字一音一義です。
    「み」は、御。
    「や」は、屋根のある建物。
    「こ」は、米蔵を意味します。

    神武天皇は、橿原の地に、大きな米蔵をつくり、そこに全国で造ったお米を蓄えるようにしたのです。
    そして、被災地の人々に、お米を支給できるようにされました。

    考えてみてください。
    日本列島は、天然の災害の宝庫の国です。
    台風が毎年やってきて、土砂災害を起こします。(ちなみに台風があり、大水が出るから平地が生まれ、稲作ができます)。
    何年かに一度は、巨大地震がやってきます。
    火山の噴火もあります。

    こうした大規模災害が起きると、その後の飢えと疫病から、いっきに多くの人が死に絶えて、人口の6〜8割が失われてきたのが、世界の歴史です。
    ところが日本では、どんな災害があっても、災害の瞬間さえ生き残れば、食料は安定して被災地に送られるのです。
    食べて体力を付ければ、疫病の流行も防ぐことができます。
    そうして命が繋がれてきた果てに、いま生きている私たちの命があります。
    つまり、神武天皇の畿内に入られたときの撤退は、現代の私たちの命につながっているのです。

    もし、神武天皇が、長髄彦の襲撃と兄の死に逆上して、「コノヤロー」とばかり長髄彦に挑み、全滅する、もしくは長髄彦に勝利して征圧によって国を建てていれば、その後の日本の歴史は大きく代わっていたであろうし、現代を生きる私たちの命も、存在しません。

    私たちの命は、神武天皇が、このときのいきなりの襲撃を「神々の御意思」と謙虚にとらえ、悔しいけれど撤退し、あらためて天神地祇をお祀りし、神々の御意向のまにまに行動しようとされた、このことによって我が国に米の備蓄の文化が生まれ、その文化によって、私たちの命が繋がれているのです。

    そこにあることは、「オレがオレが」ではありません。
    「天の大任ガー」でもありません。
    ひたすら天神地祇に感謝し、神々の御心のまにまに生きようとする素直で謙虚な心です。

    生きていれば、楽しこともあるけれど、嫌なこと、つらいこと、悲しいこと、悔しいこと、どうにもならない忸怩(じくじ)な思いも、たくさんあります。
    いやむしろ、つらいことの方が、はるかに多いかもしれない。

    けれど、人生を振り返ってみれば、そんなつらいことや悲しいこと、悔しいことがきっかけになって、新たな気付きをいただき、成長し、現在の自分がある。
    神々のなせる御業(みわざ)に、不要なものなどひとつもない。
    すべてが関連し、つながり、そのなかを誠実に生きることだけが、自分の未来を開き、日本の未来を築く。
    ここに日本的精神の根幹があるのだと、そういうことを、神武天皇の撤退の物語は伝えているのです。

    このことは、結果からみれば「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんと」したものなのかもしれません。
    けれど、だからといって、そこで「オレに天が大任を与えようとしているのだ」と、「オレがオレが」になってしまってはいけないのです。

    なぜなら神々の御心は、果てしなく広く、深いものであるからです。
    そしてこのことは、いまから2683年前の神武天皇のお振る舞いが、以後の日本の発展と、私たちの命にそのまま繋がっていることに思いをいたすとき、たしかなものとして、私たちの前に、その凄みを見せてくれるのです。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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