• 日本が変わるとき


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    旧暦の感覚でいえば、今日(9月30日)は、まだ8月16日で、夏の真っ盛りです。
    中秋の名月(旧暦の9月15日)が、いまの暦の10月29日。
    暑さ寒さも彼岸までの彼岸の日(秋分の日)が、新暦の9月23日で、これは(旧暦の8月9日)にあたります。
    旧暦で9月の終わりは、いまの暦では11月12日になるわけで、こうなるとだいぶ涼しくなります。

    20230930 曼珠沙華
    画像出所=https://premium.photo-ac.com/main/search?q=%E6%9B%BC%E7%8F%A0%E6%B2%99%E8%8F%AF&qid=&creator=&ngcreator=&nq=&exclude_ai=on&srt=dlrank&orientation=all&sizesec=all&color=all&model_count=-1&age=all&mdlrlrsec=all&prprlrsec=all
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    日本に希望の火を灯す!

    朝晩だいぶ涼しくなってきました。
    「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、いよいよこれから本格的な秋です・・・と言いたいところですが、実はちょっと違います。
    そこで今日は、よもやま話を少し。。。

    昭和の中頃くらいから、日本人に季節感がやや乏しくなってきたような気がしています。
    これには、日本列島全体の年間平均気温が上がってきているということもあるのですが、もうひとつ、暦(こよみ)が関係しているようにも思えます。

    昔は陰暦(太陰太陽暦)でした。
    これは月の運行によって暦を刻みます。

    いまは「太陽暦」です。
    これは地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)によって暦を刻みます。

    変ったのは明治のはじめです。
    理由は当時の明治政府の財政上の理由です。
    陰暦は、何年かに一度「うるう年」があります。
    太陽暦の「うるう年」は、2月が1日増えるだけですが、陰暦の「うるう年」は、1年が13カ月になります。
    まるまる一ヶ月増えるのです。

    戊辰戦争のあと、できたばかりの明治政府には、本当にお金がなかったのです。
    普通は、戦勝側は、敗者側の財産を没収しますから、それなりに財務がうるおうものです。
    ところが、江戸時代のはじめ、徳川家康は世界最大の大金持ちとされていたのですけれど、幕末の頃の幕府には、全然、お金がありませんでした。

    理由は、金(=Gold)の海外流出でした。
    実は、人類誕生以来、世界中で採掘された金(=Gold)は、オリンピック・プールに換算して約3杯分だと云われているのですが、このうちの3分の1にあたる、まるまる一杯分が、実は日本産です。

    マルコポーロは日本を「黄金の国ジパング」と書きましたが、これは本当にそうだったのです。
    なにしろ世界の3分の1の黄金が日本国内にあったのです。
    日本はまさに「黄金の国」でした。

    鎌倉時代の元寇も、実はモンゴルにまたたくまに征服された高麗王が、元のフビライに
    「私達の国は貧しくて何も取るものなどありません。
     しかし海の向うにある日本には、
     莫大な量の黄金があります。
     それはきっとフビライ皇帝の
     お役に立つものとなりましょう」
    と、余計なことを申し出たことが原因です。

    もっとも高麗は、王様のそんな讒言のために、結果として高麗兵が元寇のために大量に駆りだされた挙句、大敗して大損害を被っているのですから、これは「罰当たり」といえるかもしれません。

    江戸時代には小判が使われていたことはみなさまよくご存知のことですが、小判は、一般の庶民の間にもごく普通に流通していました。
    このように申し上げると、「いやそんなことはない。庶民は超貧乏で小判の顔など一生かけても拝めなかったのだ」と思う方もおいでかもしれませんが、実はそのような貧農史観自体が嘘なのです。

    たとえば、お伊勢参り、金比羅参り、あるいは温泉での湯治など、いまも昔も日本人は旅行が大好きですけれど、江戸の庶民も旅行が大好き。
    なにしろ日本全国の人口が2500万人だった時代に、お伊勢参りをする人は年間500万人もいたのです。

    このような旅行をするとき、当時は旅行者が襟に小判を1枚縫い付けるのが作法でした。
    何日もかけて知らない土地を旅するのです。
    途中で万一行き倒れにでもなったときには、その小判で、あとあとのことをヨロシク頼む、というためのそれが作法だったのです。
    小判1枚が、いまのおカネでだいたい6万円です。
    ですから、簡単な医療費、埋葬費、遺族への遺品送付費と、簿謝金をだいたい賄うことができたのです。

    ちなみに時代劇で、越後屋がお代官に渡す小判の包のひとつ(これを「かまぼこ」とか「餅」と言いました)は、ひとつつみが50両です。
    いまならかまぼこ1つで300万円。
    菓子折りの箱入りなら、1段積で6000万円、二段積みで1億2000万円くらいの賄賂です。すごい賄賂ですね。

    また、虫歯は、今も昔も人類を悩ます痛いものですが、江戸の昔にも、何も漢方医ばかりではなくて、歯医者さんもちゃんとあって(これを口中医と呼びました)、ひどい虫歯は本当に「ヤットコ」でつかんで、グリっとばかり引っこ抜いたりしていたのですが、それほど悪くなっていない場合は、穴のあいたところに、金(=Gold)をかぶせていました。
    いまでは、金歯はすっかりなりをひそめてしまいましたが、セメント歯や銀歯よりも、金歯の方が料理はおいしく食べれるといって好まれたのです。

    そもそも一般の庶民の財布にまで、普通に金貨(小判)が入っていたような国は、世界広しといえども昔の日本くらいなものです。
    それだけ日本は、たくさんの金を産出したのです。

    それが幕末、日本はいっぺんに金(=Gold)を失ってしまいました。
    その理由となったのが日米和親条約の細則で、そのあたりのことは過去記事「明治維新と南北戦争の不都合な関係」に詳しく書いていますので、そちらをご参照ください。

    結局、金の大量流出を招いた幕府は、小判を改鋳して、万延小判を出しました。
    これは金の含有量が、従来の小判の4分の1しかないというもので、金銀の為替相場によって日本国内から金が海外に流出することを防ぐための幕府の苦肉の策でした。

    ところが、これを庶民の側から見ると、1万円札の値打ちが、いきなり4分の1になったわけです。
    代金を1万円もらったら、新一万円札は2500円分の値打ちしかないようなものです。
    これでは世間が大混乱するのもあたりまえで、おかげで幕末に、もうわけがわからなくなって、「ええじゃないか踊り」が大流行したり、都に上洛した将軍に「よっ!ショーグン!」と民間から声がかけられるといった事態が起きています。
    つまりお上の権威が、黄金の流出によって失墜してしまったのです。

    幕末動乱は、尊王攘夷と開国佐幕派の思想的対立によるものだという説が一般的ですが、実は小判の価値がいきなり4分の1日なるという経済的混乱が、幕府が倒れる引き金になっています。
    このことは鎌倉幕府も同じで、鎌倉幕府は相続制度の欠陥(現代の相続法と同じ方式)によって御家人たちが財を失い、幕府が徳政令を発布(現代で言ったら幕府の破産)したことが倒幕のきっかけになりました。
    室町幕府もまた同じで、明国との勘合貿易で大儲けしていた幕府だったのですが、そんなに儲かるならと、全国の大名たちが勝手に交易をするようになり、結果、幕府の財政が悪化しています。

    ちなみにこうした幕府のことを、歴史伝統文化に基づく「ネイション(国家)」と分けて、「ステイト(政体)」と言います。
    日本はもともと天皇のもとにある(つまり天の下)ネイションですが、政治は幕府というステイトで行ったわけです。
    そしてその政体が崩壊した理由の1が、上に述べた財政の失敗。
    二番目には、財政が苦しくなっているところに大地震が起きて、被災地への援助がままならなくなったという、二つの理由が重なったときに、倒幕に至っています。

    その意味で、現代日本は政府(幕府)が増税に次ぐ増税で財政破綻しており、さらに日本にとって黄金に変わる富、つまり日本の技術が海外に流出し、日本の富まで薬品購入のために海外へと流出。
    これにもうひとつ地震でも来たら、日本政府、つまり戦後日本のステイト(政体)が崩壊します。
    ただし、条件があります。

    それが受け皿です。
    要は、現代の日本政府(昔で言ったら幕府)に変わる受け皿に相当するものが、現状ではまだ育っていないのです。
    つまり、鎌倉時代なら後醍醐天皇や楠木正成。
    室町時代なら戦国大名たち。
    江戸時代なら、薩長土肥。
    こういった、新たな政治体制になるものが育った時、戦後政府が倒れ、日本に新たな政体(ステイト)が誕生することになります。

    まあ話が脱線しましたが、結局、お金(=Gold)がないから、江戸幕府は倒れたわけで、ですから勝った薩長政権も、幕府の財布がカラですから、戦費賠償もとれない。
    戊辰戦争でかかった経費は持ち出しだし、新政府にはお金がないところへもってきて、明治5年には、一年が13カ月あるうるう年がやってきたわけです。

    こうなると明治新政府は、その年には給料を13カ月分払わなくてはなりません。
    まるまる1カ月分、余分に給料が必要になったわけです。
    そこで「新暦に変えてしまえば、支払い給与が1カ月分浮く!」というわけで、いささか強引に暦を変えてしまった、というのが、日本における太陽暦のはじまりです。
    明治5年暮れのできごとです。

    ところが農業は、季節と連動しますから、本当は旧暦の方が都合が良いわけです。
    ですから、私達が子供の頃までは、カレンダーといえば新暦と旧暦の両方が表示されているのが普通でした。
    旧暦の感覚でいえば、今日(9月30日)は、まだ8月16日で、夏の真っ盛りです。
    中秋の名月(旧暦の9月15日)が、いまの暦の10月29日。
    暑さ寒さも彼岸までの彼岸の日(秋分の日)が、新暦の9月23日で、これは(旧暦の8月9日)にあたります。
    旧暦で9月の終わりは、いまの暦では11月12日になるわけで、こうなるとだいぶ涼しくなっていますね。

    ですからたとえば、9月下旬の手紙の時候の挨拶は、「秋涼の候」とか「秋霜のみぎり」なんて使われますけれど、これはいまの暦だと11月半ばです。
    だから霜も降る。
    つまりぜんぜん季節感と季語の時候の挨拶が連動していないわけです。

    四季を大切に思い、感謝する気持ちを忘れない。
    このことは日本文化の基本です。
    けれど新暦では、どうしても四季という概念にズレが出ます。

    我々が子供の頃は、爺ちゃんたちがいまでいう10月の半ばくらいになって、
    「もう夏も終わりだねえ」
    などといいだしたものです。
    10月ですよ。
    運動会の季節になって、ようやく「夏も終わりだ」というのです。
    太陽暦で育った子どもたちは、それを聞いて「ウチの爺ちゃん、ボケてきた?!」などと思ったものですが、
    本当は爺ちゃんたちは、一般世間では太陽暦を使っているけれど、心の時間としては旧暦を保持して四季折々の自然への感謝の気持ちを忘れないようにしていたのかもしれません。
    そして孫に、意図して10月の半ばに「夏も終わりだねえ」と言い聞かせることで、孫に大切な四季と四季折々の自然への感謝を教えようとしてくれていたのかもしれない。
    それを孫の方は「老人ボケだ」と思っていたわけで、まさに「親の心(祖父の心?)子知らず」であったのかもしれない。

    伊勢修養団で教わった食事の時の挨拶です。
    ごはんをいただくときに、両手を合わせて次のように声に出して言います。
    「天地一切の恵みと
     これを作られた人々の
     ご苦労を感謝いたします。
     いただきます。」

    食べ終わったときにも両手を合わせて、
    「恵みの食事を終えて
     生命に新しい力をいただきました。
     ごちそうさまでした。」

    と言います。
    そういう日本の心を、大切に取り戻していく。
    その力に、幕末でいうなら薩長が加わったとき、日本は変わります。


    日本をかっこよく!

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  • 山下太郎に日本人の底抜けの明るさと七転び八起きの人生を学ぶ


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    山下太郎の魅力は、お金ではなく、人としての魅力です。
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    山下太郎は男でござる。
    男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。

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    日本に希望の火を灯す!

    神戸市の湊川神社といえば、南北朝時代に宮方の楠木正成(くすのきばさしげ)の遺徳を讃える神社です。
    地元の人々が大切に保存してきた楠木正成の塚(お墓)のある場所に、江戸時代、尼崎藩主青山幸利(あおやまよしとし)公によって松と梅が植えられ、五輪の石塔も建てられています。
    大楠公のお墓は、水戸光圀(水戸黄門)が元禄5(1692)年に建立したものです。
    境内東南隅にある「嗚呼忠臣楠子之墓」がそれです。

    この墓所に、実はもうひとつの、石碑が立っています。
    そこに書かれた言葉です。

     昭和十年楠公六百年祭奉賛
     楠公後裔楠正具正脈
     秋田県大森町 山下太郎

    文意は、大楠公の正当な末裔である秋田県の山下太郎という人物が奉納された石碑という意味です。

    山下太郎は、私たちが薬を飲むときに使うオブラートを発明した人です。
    また日本人としてはじめて中東での石油採掘権を獲得し、日本の石油を守った人でもあります。
    この人の人生が、すさまじいのです。
    まさに七転八起(ななころびやおき)です。

    山下太郎は、明治22(1889)年、秋田県平鹿郡大森町(現横手市)の近藤家の長男として生まれ、その後、祖父となる山下太惣吉の養子になりました。
    札幌農学校(現北海道大学)農芸学科を卒業後すると、就職もしないで、北海道産の飴(あめ)や、バターの改良に熱中し、そこで従兄の山下九助と共同でオブラートを発明しています。

    大正3(1914)年、25歳のときに、オブラートの特許を取得し、山元オブラート株式会社を設立しました。
    同じ年に第一次世界大戦が勃発し、1918年以降は世界中が戦勝景気に沸き立ちました。
    オブラートは好景気の中で、すぐに森永キャラメルに採用され、事業はあっという間に発展しました。

    普通なら、これだけで一生安泰です。
    けれど山下太郎は、海外貿易がしたくなったからと、会社を五千円で売却してしまいます。

    27歳で結婚した山下は、東京・深川に「山下商店」を設立して国際貿易の事業に乗り出しました。
    創業の翌年、山下は、ロシア革命の勃発で、ウラジオストックの水産会社が大量の鮭の缶詰を船積みできなくなっているという情報を入手します。

    山下は、さっそくときの外務大臣後藤新平と、秘書官だった松岡洋右(ようすけ)を動かしてこれを買付け、日本に輸入して巨利を得ました。

    また第一次世界大戦後にドイツからの輸入できなくなっていた硫酸アンモニウムを、アメリカから輸入することに成功します。
    硫酸アンモニウムは農薬の柱です。
    これまた取引は大成功となり、山下は巨万の富を築きました。

    ところが・・・・。
    大正7(1918)年、29歳になった山下は、日本国内で米価が暴騰したため、上海で安い江蘇米を買って日本に輸入しようとしたのですが、この取引を上海の総領事が許可しない。
    密輸の疑いがあるというのです。
    要するに今も昔も同じChina流で、懐に銭を入れろというわけです。

    一度でもそれに応じれば、次々と要求が跳ね上がります。
    結果山下太郎は、取引そのものを破棄しました。
    山下太郎は頑固者なのです。
    買い付けた米は、日本に持ち込めず、大損してしまいます。

    大正9年には、満鉄の消費組合から米五万石の購入契約を結んだのだけれど、満鉄側から一方的に契約を破棄されてしまう。
    さらに、トン当たり1,075円で買い付けた鉄材が暴落して75円になってしまう。

    結局、山下は破産してしまうのです。

    普通なら、これで人生オシマイです。
    ホームレスにでもなるしかない。
    ところが山下太郎は、そんなヤワな男ではありません。

    満鉄に、新しい人事体制が敷かれ、古くから知遇を得ていた松岡洋右、長野護(まもる)らが着任すると、山下はさかんに彼らに接触します。
    松岡や長野にしても、なるほど山下は破産者ではあるけれど、見どころのある男です。
    かならず、なにごとかをなすにちがいないと思っている。
    要するに、経済ではなるほど山下は破産したけれど、コイツは男だと思わせるものが、山下太郎にはあったのです。

    こうして山下は、大正13(1924)年、満鉄から2万戸の社宅建設と管理の包括受注を得ます。
    これによって、山下の事業網は日本国内はもとより満州、China、Koreaまで拡大し、ついに山下は、「満洲太郎」と異名をとる東亜の大実業家に返り咲いて、巨万の富を得るのです。

    ところが・・・昭和20(1945)年、終戦。
    日本は、満洲、China、Koreaを手放し、山下の資産もすべて没収となってしまう。
    山下は、ふたたび無一文になってしまったのです。

    GHQによって占領統治下に置かれた日本は、昭和26(1951)年のサンフランシスコ講和会議を締結します。
    戦後、「占領統治下日本」となった日本は、GHQ解散後も、石油は100%アメリカからの輸入です。
    石油の価格は、1バレル、3ドルに固定です。
    当時は1ドル360円の固定相場です。

    初任給が6千円内外の時代です。
    つまりいまならマクドナルドのハンバーガーが、米国産なら1個2万円したみたいなものです。
    そういう時代にあって、産業復興のための資源エネルギーの中核となる石油が固定相場で、しかも競争もない、完全なアメリカの下僕となっていたわけです。

    なんとかして日本独自の石油を手当てしなければならない。
    山下は、要路の人達をまわり、日本経済発展の元になる石油を、日本が自前で確保するべきだと説いて回ります。

    ところが山下には、問題意識はあっても、石油に関する知識もノウハウもありません。
    あるのはただ、国のために、なんとしても自前の油田での採掘をしていかなければならないという危機意識と情熱だけです。

    しかし対米追従だけに汲々とする財界や官界は、まるで動きません。
    一文無しの山下の話などに耳を貸さない。
    あげく「山下は、山師(やまし)だ」とまで揶揄され、バカにされます。

    そんな折、エジプトと英国が、スエズ運河の国有化問題をめぐって対立を深めました。
    さらにイスラエル問題によって、中東諸国と欧米の関係が険悪なものになりました。
    山下は、これを好機到来、と読みます。

    それまで油田の権益を欧米系のメジャーにしか与えてなかった中東諸国が、欧米以外に油田の権益を与える方向に傾いたのです。

    日本にとって、戦後最大のチャンスです。
    日本が独自に中東からの石油を採掘するのは、いましかない。

    山下は「財界総理」といわれた経団連の石坂泰三会長を訪れました。
    そして石油開発の重要性を切々と訴えました。

    「で、そのために、資金はいくら必要なのかね?」
    と聞く石坂に、山下は、
    「はい、百億円の保証です」と答えます。

    当時のお金で百億といったら、いまの経済感覚にしたら、おおむね十兆円くらいと思っていただいたらよいかもしれない。
    石坂は表情を変えて
    「百億円?そんな金額は俺にはないよ。
     まぁ夢物語には協力するが・・・」
    山下はすかさず、
    「百億円の保証、ありがとうございます!」
    と頭を下げました。

    気合です。
    石坂は笑うしかなかったそうです。

    山下太郎は、石坂泰三の返事をもらうと、当時の内閣総理大臣石橋湛山、 外務大臣の岸信介らを訪ねました。
    そして、サウジアラビア政府宛ての紹介状を書いてくれと頼み込みました。

    うまくいくかどうかなんて、わかりません。
    国がサウジまでの旅費を出すわけでもありません。
    いただいたのは紹介状一枚です。
    けれどその紹介状は、もしうまくいけば、日本は独自の油田採掘の権利を確保できるシロモノです。

    石橋湛山も、岸信介も豪胆な男たちです。
    一文無しの山下を、男と見込んで紹介状を書いてくれたのです。

    総理と外務大臣の紹介状を手にした山下は、昭和32(1957)年2月、サウジアラビア政府を訪問しました。
    そして両者は、「正式な利権交渉を6カ月以内に開始する」との合意書を締結しました。
    交渉は大成功です。

    サウード国王に謁見する山下太郎
    サウード国王に謁見する山下太郎


    帰国した山下は、政財界を説いて回り、全面的な資金援助を取りつけました。
    そして昭和32(1957)年7月、アラビア石油株式会社の発起人総会を開催し、その足で、再びサウジアラビアに飛びました。
    サウジでの交渉相手は、地質学者でもあるアブドラ・タリキ財政経済省石油鉱物資源局長(後の石油大臣)です。

    交渉は難航しました。
    当時、サウジの石油利権を求めていたのは日本だけではなかったからです。
    欧米の、実績ある大手石油会社が、こぞって利権獲得に乗り出していました。
    実績のない日本に勝ち目はありません。
    さりとて露骨な利益誘導やワイロを送ったところで、実績豊富な西欧の資金力に、勝てるわけもない。

    どうするか。。。。

    山下は、細かな交渉の内容や、巨額の利益誘導やワイロではなく、相手との個人的信頼関係にすべてを賭けます。
    それで何をするのかといえば、ひとつひとつはつまらないことです。

    約束を守る。
    時間に遅れない。
    悪口を言わない。

    そして彼は、アブドラ・タリキ局長の誕生日に、デトロイト(米国ミシンガン州)から十数台の特別仕様のキャデラックを購入してプレゼントしました。
    十数台というのは、実は、アブドラ・タリキ局長の彼女の数です。
    山下は、彼の彼女の数を正確に把握していたのです。

    これにはアブドラ・タリキ局長が大笑いしました。
    「ミスター、ヤマシタは、おもしろい奴だ」

    金額からしたら、キャデラック十数台など、他国のワイロに比べたらタカがしれてます。
    しかし、堂々と、かつ、あっけらかんとそういうことをする山下という男に、アブドラ・タリキ局長は、ぞっこん惚れ込んだのです。

    二カ月におよぶ長い交渉の結果、 サウジ政府は山下太郎氏との契約の大綱を10月に承認しました。
    そして12月10日、双方は石油利権協定に正式に調印しました。
    翌年2月、アラビア石油株式会社設立。
    会長に経団連会頭の石坂泰三氏、山下は社長に就任します。

    続いて山下はクエート政府との利権交渉に着手し、紆余曲折の末、同年7月にクエート政府と利権協定を締結します。

    こうして、日本初の海外における石油開発事業が始まりました。
    アラビア石油は昭和35(1960)年1月31日に採油に漕ぎ付け、この後、「日の丸油田」と呼ばれる日本の油田をサウジや、クエートで掘削するようになりました。
    「日の丸油田」の埋蔵量は莫大で、世界でも有数の一級油田でした。

    山下太郎は、昭和42(1967)年、心筋梗塞のため78歳で亡くなりました。
    「日の丸油田」は、山下の死後も、安定した石油を日本に送り続けました。

    しかし契約から40年経った2000年2月にサウジ、2003年1月にクエートで、アラビア石油、つまり日本は、日の丸油田の採掘権を、契約期間満了で失いました。
    石油はまだまだ大量の埋蔵量が残っているのに、です。

    実は、山下亡きあと、アラビア石油には、次々と、官僚や銀行出身の役員が乗り込み、代表に就任しました。
    彼らは、なるほどパートナーの王族の誕生日に、300万円程度の壺を持参するなどはしています。
    しかしそういう「形」だけでは、相手には何の感動も与えないのです。
    あたりまえです。
    アラブの王族は、お金や財産ならあふれるほど持っているのです。
    値段が高ければ、それで満足するというものではないのです。

    話は飛びますが、日本では、スチュワーデスといえば、女性の花形職業です。収入も高い。
    欧米でも、もちろん空の勤務のスチュワーデスは、高級な女性です。
    ところが欧米やサウジの貴族の娘さんの職業として尊敬されるのは、看護婦や介護の女性なのです。
    収入からいったら、看護婦や介護の女性よりスチュワーデスの方が、ぜんぜんいいです。
    そのことは日本も西洋も変わりません。

    しかし、たとえば英国人の貴族(サー)の娘さんなら、家に領地はふんだんにあり、財産もたっぷりあります。
    給料の高低は、生活にはなんの意味もないのです。
    だから、目先の給料がいいとかわるいということよりも、
    「人として尊敬できる仕事である」
    ことに、給料以上の大きな価値を見出します。

    もうひとつ。
    数千円の荒巻鮭(あらまきしゃけ)一本と、グラム100円のシラスと、どっちが価値があるでしょうか。
    一匹で数千円のモノ方が、価値があると考えるのが、いまどきの日本人です。
    しかし、もともとの日本人の感覚は、まったく違っていました。

    何千円、何万円出そうが、一匹の命です。
    しかしグラム100円のシラスは、そのなかに何百匹の命がある。
    自分の栄養のためにと、命をいただくのです。
    それはとてもありがたいことです。
    金額だけが価値を表す本質ではないのです。

    なぜこのような話をするかというと、要するに「日の丸油田」が消滅したのは、山下亡きあとに、アラブの王族と、日本側代表者に、お金ではなく、人としての心の絆を作ることができなかった、ということだからです。
    3百万円の壺であろうが、30億円の壺であろうが、同じことなのです。
    そういうことではなく、人と人との絆。
    裸一貫の男としての魅力。
    世界を動かしているものは、お金ばかりではないのです。

    どんなときでも、どんな苦境にあっても、めげず、くじけず、そして何より明るい。楽しい。おもしろい。
    信念と情熱。
    山下太郎は男でござる。
    男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。


    ※この記事は2018年9月の記事のリニューアルです。
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    戦前の修身教科書から「よい日本人」とはどのようなものであったのかをあらためて学んでみたいと思います。
    一読して、そこに書かれていることは、日本人が日本人として生きるための、ごくあたりまえの常識だとわかります。
    そしてそのことは、日本に住む帰化人や永住権を持つ人達もまた、あたりまえの常識として完全共有し実践すべきものです。

    20180920 よい日本人
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    日本に希望の火を灯す!

    はじめにひとつの短文を紹介します。
    まずお読みになってみてください。
    ある本の抜粋です。

    *****
    よい日本人となるには、
    いつも天皇陛下、皇后陛下の御徳(おんとく)を仰ぎ、
    皇大神宮(こうだいじんぐう)をうやまいたっとんで、
    忠君愛国の心をさかんにしなければなりません。
    また紀元節・天長節・明治節などの祝日のいわれをわきまえ、
    国旗を大切にすることも、
    日本人として大事な心得です。

    父母には孝行をつくし、
    先生をうやまい、
    学校を愛し、
    友達は仲良くして助け合い、
    近所の人には親切にすることが大切です。

    心をいつも正直にもって、
    うちにいても外に出ても行儀を良くし、
    堪忍ということを忘れず、
    人と協同して助け合い、
    また平生(へいぜい)は倹約をまもり、
    慈善の心も深く、
    人の難儀をすくい、
    生き物をあわれむやさしい心がけがなくてはなりません。

    そうして人から受けた恩を忘れないばかりでなく、
    規則をよく守って、
    人の迷惑になるようなことをせず、
    進んで世の人々のために
    公益をはかるようにしなければなりません。

    いつも自分の健康に注意して父母を安心させ、
    健康な体で学問に励み、
    仕事に精出し、
    また物をよく整頓し、
    心を落ち着けて物事に慌てず、
    いざという時にはなんでもできるような
    勇気を普段から養っておくことも大切です。

    このように自分の行いを慎(つつし)んで、
    よく人に交わり、
    世のため人のためをはかって、
    天皇陛下の御ためにつくすように心がけるのは、
    よい日本人となるのに大切なことです。
    そうしてこれらの心得を行いに表すには、
    すべて真心からしなければなりません。


    *******

    仮名遣いや漢字は、いまの人が読みやすいようにすこし直していますが、これは尋常小学校三年生の修身教科書の最終章である第27に書かれている文章です。
    繰り返しますが、これが小学校三年生です。

    尋常小学校の修身は、1年生から3年生までの教科書がありますが、いまの教科書と違って、「一年生用」とか「二年生用」とはなっていません。
    「巻一」「巻二」「巻三」といったように、単純に巻数の順番が表記されているだけです。
    なぜそうなるかというと、昔は「飛び級」があったからです。

    優秀な子は、どんどん先に進むことができました。
    これには理由があって、昔の寺子屋時代もそうですし、特に田舎などではその傾向が顕著なのですが、学校とは言っても、ひとつのクラスしかなく、そのクラスに一年生から六年生までが一緒に学んだ、といったケースが多かったのです。

    そうなると、必然的に上級生は下級生の面倒を見なければなりません。
    自分ひとりだけができれば良いのではなくて、下級生たちができるようにしてあげることも、上級生の勤めなのです。
    薩摩の郷中教育や、会津の什教育などは、まさにこれを実現したシステムとなっていましたが、それは全国どこの藩でも行われていたことです。

    そもそも社会人になれば、年齢ごとに仕事が違うなんてことはないのです。
    年長者から若年者まで、ひとつ職場で人間関係を形成します。
    教育が、立派な社会人となるように育成するためのものであるとするならば・・・誰だって自然と大人になっていくのですから、それは当然のことと思いますが・・・むしろそうした教育環境の方が、上級生となった者に自然と「責任感を育成する」という意味で、現代教育のスタイルよりもはるかに好ましいものということができようかと思います。
    なぜなら社会システムは、いかなる場合においても、責任を伴うシステムだからです。

    またテストの点数が、成績上位者から低位者まで、正規分布となることはよく知られた事実ですが、中央値あたりの生徒たちを対象に授業を行えば、とびきりのトップ集団に属する子供たちにはもの足らず、低位集団に属する子供たちにとっては授業が難しすぎてついて行けないという問題が起こります。
    正規分布
    20180813 正規分布


    そこで、成績上位者には、どんどん高学年の教育を与えていく。
    成績低位の者にも、無理がないように、しっかりと低位の教科書から順番にマスターしてもらう。
    このことは、特に数理系の科目に貴重な働きをします。
    算数も数学も積み上げ科目です。
    足し算引き算がわからなければ、掛け算割り算は理解できないし、代数になったらもっとわけがわからなくなります。

    飛び級も、学年横断的な複合教育も、実は日本以外の諸国では、あたりまえに行われていることです。
    生徒の人数の関係で、どうしても学年ごとに教室分けする場合でも、必ず学年横断的な授業が教育システムの中に取り入れられています。

    日本は教育の歴史の古い国だけに、教育システムは戦前戦中までは世界の最先端を走っていたと思いますが、戦後はGHQによってこれが破壊され、おそらくいまの日本の教育システムは、アフリカの新興国にさえ及ばない、低次元のものになってる・・と言った人がいました。
    なにせ、どうみても生徒に舐められて指導力など発揮できそうにないオカマのオネエが、一人前の教育者顔をしてメディアに出ているくらいです。

    オカマでもオネエでも、それは本人の自由だし勝手ですが、それでもどこかに人間的な魅力や、強さがなければ、子供たちはついて来ません。昔のピーターさんや美輪明宏、近年の楽しんごさんのような人なら、まだ生徒たちは付いてくるかもしれませんが・・・。

    さて、上にある文章です。
    ご一読いただいて、いかがでしょう。

    実は、今回ご紹介したものは小学三年生向けの修身教科書の末尾の「よい日本人」というタイトルの小文ですが、同じ内容は、小学一年生から六年生まで、すべての修身教科書の末尾に(もちろん内容の濃薄や文章の長短はありますが)掲載されているものです。
    内容は、どれも同じです。

    もっとも簡にして要を得ているのが小三かなあと思ったので、三年生のものをご紹介しました。

    「修身教育は価値観の押しつけであって、
     子供たちに施すべきではない」
    という意見があります。
    そのように公言してはばからない政治家(主に野党)もいます。

    いかがでしょう。
    ここに書かれていることは、日本人として、あるいはもっというなら「人として」大切なことばかりなのではないでしょうか。

    一方、日本の大切なものを破壊したり、外国に売り渡すことに一役買って利益を得ているような人たち、あるいはそこにぶら下がっているような人たちにとっては、まさに修身教育は邪魔な存在でしかありません。

    そもそも修身教育が目指しているものは、価値観の押し付けではなく、「価値観の元になるもの」を育成するものです。
    人には、それぞれに違いがあり、個性があります。
    その個性に応じて、その人の持っている良いところを、より一層伸ばしていく。
    そのためには、個性のもとになる価値観の源泉となるものを育成していかなければならないのは当然すぎるほど当然のことです。

    ある中学校で、集団縄跳びがありました。
    ひたすら飛ぶことに一生懸命になる子、
    ひときわ大きな声で、みんなに掛け声をかける子、
    持久力のない子に、一緒になってマラソンをしようと持ちかける子、
    ひとりひとりの子供によって、その行動はみんな違います。

    その中に、ひとり、どうしても上手に飛べない子がいました。
    みんなで飛ぶのですが、何度もその子の足が縄にひっかかってしまう。
    集団縄跳びは、みんなひとつ方向を向いて飛びます。
    けれどその子の前にいた子が、後ろ向きになって、うまく飛べない子の手を握り、一緒になって掛け声をかけながら、飛んであげていました。
    それでも足がひっかかってしまう、その飛べない子が、ついに座り込んで泣き出してしまうと、その後ろ向きになった子は、泣いている飛べなかった子を抱きしめて励ましていました。

    ひとりひとり、個性があるのです。
    その個性の発揮が、より良い方向に向かうことを、成長といいます。
    悪い方向に向かうなら、それは不良です。
    不良に走る者は、社会人として失格です。

    そんな不良からみれば、修身教育は「価値観の押しつけだ」と思えるかもしれない。
    しかしそのような不良を放置すれば、社会道徳は失われ、社会の秩序が崩壊してしまうのです。
    現にいまの日本がそうなっています。

    そうであれば、その「良い方向」とは、一体どのようなものなのかを、子供たちに示していかなければなりません。
    それがつまり「価値観の元になるもの」であり、修身教育です。

    その修身教科書の末尾には、上に示した「よい日本人」があります。
    この文が「よくない」というのであるならば、具体的にどこがどのように良くないのか、説明していただきたいものです。

    冒頭に「天皇皇后両陛下を敬え」と書かれています。
    それが良くないのでしょうか。
    日本は、海外から見たら、誰がどう見ても、れっきとした君主国です。
    しかもその君主国は、2千年以上の歴史を持つ世界最古の君主国です。

    そしてその頂点にある天皇は政治権力を持たず、民衆を「おほみたから」とする国です。
    これによって政治権力者が民衆を支配するのではなく、権力者が民衆を天皇から預かるという社会システムができあがります。
    そうなることによって、我々日本人は、世界中のどの国も実現できなかった、「民衆の権力からの自由」を得てきたのです。
    そのどこがいけないのでしょうか。

    また「紀元節・天長節・明治節などの祝日のいわれをわきまえよ」とあります。
    紀元節は2月11日の神武天皇即位の日
    天長節は12月23日の今上陛下の御誕生日
    明治節は11月3日の明治天皇の御誕生日です。
    君主の誕生日を祝わない国など、あるのでしょうか。
    あるのなら教えていただきたい。
    現代日本以外に、そのような国は世界に皆無です。

    しかも我が国の天皇は、我が国国民全員の共通のご先祖のなかの本家です。
    つまり天皇は日本全国の各世帯の、本家の中の総本家です。
    本家のお爺ちゃんのお誕生日を祝って、何が悪いのでしょうか。

    「国旗を大切にせよ」とあります。
    日本の国旗は、世界最古の日輪の国旗です。
    軍国主義の象徴?
    冗談じゃないです。
    日本は世界で最も古くから平和と繁栄を実現してきた歴史を持つ国です。

    不快感を持つ人もいる?
    とんでもない!そういう人もいるから、世界には国境というものがあるのです。
    日本の周辺にあるいくつかの国が大嫌いで、その国の国旗を見るだけで反吐がでる人もいます。
    そんな国には絶対に行きたくないし、そばに寄ってほしくもないし、日本に来てもらいたくない。
    寄るな!来るな!近寄るな!と言いたい。
    でも、その国の人にとっては、その国旗は栄えある国家の象徴です。
    世界にはいろいろな価値観を持つ国があるのです。
    それで良いのだと思います。

    「父母には孝行をつくし、先生をうやまい、学校を愛し、友達は仲良くして助け合い、近所の人には親切にすることが大切」以下の文は、社会道徳そのものです。
    そのどこがどのようにいけないのか、説明していただきたいものです。
    逆が良いのですか?
    父母を嫌い、先生を嫌い、学校を嫌い、友達との交流を避け、近所の人とは付き合わないことが、社会を良くするのでしょうか。
    そのような実例で成功した事例が、人類史上のどこにあるのか、教えてもらいたいものです。

    思うに、冒頭にある文面は、外国人が日本国籍を取得しようとする際には、必ず暗唱させ、これを守ると必ず誓約させるべきものと思います。
    すでに日本人になっている者でも同じです。
    もし違背すれば、即時日本国籍を剥奪し、国外に追放すべきものです。
    それくらい、日本人として、人としてあたりまえのことが書かれているのだと思います。

    あたりまえのこと実践して生きるということは、実はたいへんに難しいことです。
    しかし、すくなくとも、その心がけは、日本に住む日本人が常識として共有すべきものです。


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  • 豈國(あにくに)のもつ意味と凄み


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    学校では「あに〜や」は「下に打消の表現を伴なう反語」と教えます。
    この場合「豈無國歟(あにくになけむや)」は「国はあるだろうか。あるわけねーよ」といった意味となります。
    なるほどそれは「正しい」解釈です。が、大切な点を見落としています。
    日本書紀が書かれた時代というのは、大和言葉を漢字で表現することが様々に工夫された時代です。
    もともと大和言葉は「一字一音一義」ですから、同様に漢字も一字ごとの意味が大切にされたと考えるのが論理的であり妥当です。すると「豈無國歟」も、また全然違った意味になってきます。

    20180508 豈国無歟



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    日本に希望の火を灯す!

    日本書紀のイザナキ(伊弉諾)、イザナミ(伊奘冉)の抄に、次の文があります。

     伊弉諾尊 伊弉冉尊
     立於天浮橋之上共計曰
     「底下豈無國歟
     廼以天之瓊
     (瓊玉也、此云努)
     矛指下而探之是獲滄溟


    (現代語訳)
    イザナキとイザナミは、ともに次のようにはかられました。
    「底の下に、豈国(あにくに)なけむや」
    そしてアメノヌボコを、下にさしおろして、
    混沌としたところを探(さぐ)りました。

    こうして誕生したのがオノゴロジマであり、ニ神は、そのオノゴロジマに降臨されて国や神々をお生みになられます。
    そして、ここに出てくるのが「豈無国歟(あにくになけむや)」という言葉です。
    「あに〜や」という表現は、現代の古語教育では「下に打消の表現を伴なう反語」であるとされています。
    たとえば「あによからんや」といえば「良いだろうか、いや決して良くはない」という意味になるし、「あにまさめやも」といえば「どうしてまさろうか、いや、まさりはしない」です。

    その説に従えば、「あにくになけむや(豈無国歟)」は、「国があるだろうか、いやありはしない」となり、そういいながら、二神は底下に矛を差し入れて、オノゴロ島を作ったことになります。
    ところがこれは神様の言葉です。
    「ありはしない」と断定してから、「オノゴロ島を築いた」のです。
    つまり、ここで作られたオノゴロ島は、他にないのですから、唯一無二の存在だということになります。

    では、どのような点が唯一無二なのでしょうか。
    日本書紀が書かれた時代というのは、大和言葉を漢字で表現することが様々に工夫された時代です。
    もともと大和言葉は「一字一音一義」ですから、同様に漢字も一字ごとの意味が大切にされたと考えるのが論理的であり妥当です。

    日本には、もともと万年の昔から伝わる大和言葉があるのです。
    その大和言葉は、カナによって表記されます。
    カナというのは、「神名」であって、一字ごとにそれぞれが神様を表します。
    「あ」なら「あの神様」、「い」なら「いの神様」なのです。

    もう少し具体的に云うと、
    「あ」は偉大なる生命の神、「い」は伝わる力の神です。
    この2つを組み合わせると「あい」となり、二つの神がひとつになって、命を生み出す力となります。

    このように、大和言葉は、神の名である「神名(かな)」を組み合わせることで、多くの情報を伝えようとします。
    50文字を二文字づつ組み合わせれば1200通り、三文字ずつくみあわせればさらに2万通りの言葉が生まれます。
    日本語はそれらを「撞着語」といって、さらに「の」などの接続詞でつなぐことで、あらゆることを言葉にしていきます。

    ところが、その場合、何々の何々で何々だから何々となり・・・と、社会が複雑になるに連れて、言葉がどんどんと長くなる事態を招きます。
    そこで輸入されたのが漢字です。
    漢字を用いれば、複雑なことを伝えようとすればするほど長くなる日本語を、短縮化できることに加え、大和言葉のカナに漢字を乗せることで、さらに複雑な意味を持たせることが可能になります。

    これは現代人でもやっていることで、近年の顔文字や()文字などがこれにあたります。
    「とても悲しいわ(笑)」
    「めっちゃうれしい(●`ε´●)」
    などなど、複雑な人間感情を表すのに、顔文字や()文字は意外と重宝します。
    これと同様に、漢字もまた、大和言葉の語彙をふくらませる意味でとても重宝なのです。

    大和言葉なら、「あに〜や」は、
    「あ」偉大なる生命の神
    「に」圧力の神
    「や」飽和し満たす神
    です。「くに」は
    「く」引き寄せる神
    「に」圧力の神
    ですから、「あに、くに」は、「偉大な生命の神の力を圧縮し引き寄せて神々の力を満たすところ」といった意味になります。
    そこで「偉大な生命の神の力を圧縮し引き寄せて神々の力を満たす」意味に近い漢字を探すわけです。

    「豈」という漢字は、もともとが楽太鼓といって、神社などで祝の儀のときにだけ打ち鳴らすおめでたい太鼓の象形文字です。
    「偉大な生命の神の力を圧縮し引き寄せて神々の力を満たす」のは、何のために行うのかと言えば、それはひとことでいえば「よろこびあふれる楽しい国」を築くためです。

    そこで大和言葉の「あに、くに(偉大な生命の神の力を圧縮し引き寄せて神々の力を満たす)」に合致した文字として
    「豈、国」が当てられることになるわけです。

    「偉大な生命の神の力を圧縮し引き寄せて神々の力を満たす国」と言われても、多くの人にはピンとこないと思いますが、「豈」という字が、よろこびのときに鳴らす楽太鼓と知っていれば、簡単に言葉の意味として、
    「よろこびあふれる楽しい国」
    という意味を知ることができるわけです。

    このことは、現代風に言うなら、言葉の「リノベーション(renovation)」です。
    リノベーションは、たとえば建築物について、既存の建物を大規模に改装して用途変更や機能の高度化を図り、建築物に新しい価値を加えることに使われる用語です。

    ちなみに日本書紀は、
    「外国向けに漢文で書いた史書」といわれています。
    間違っていると思います。

    たとえば日本書紀に有名な「和をもって貴しとなす」という言葉があります。
    日本書紀では「以和為貴」と記述されています。

    ところが中国語で「和」というのは、足し算の記号である「+」と同じ意味です。
    また「貴」は、お金があって身分の高い人のことです。
    すると「以和為貴」は、「金持ちのために足し算を以て」という意味になります。
    まあ、わからないではありませんが、日本語の意味と全然違ったものになります。
    果たしてそのようなものを、外国向けの史書にするでしょうか。

    つまり日本書紀は中国語で書いたのではなく、
    「漢字を用いて日本語を表現したもの」なのです。

    「そのようなことは誰も言っていない」と思われる人もおいでかと思います。
    けれど、このように考える以外に「以和為貴」の合理的説明ができないなら、それが真実というものです。
    過去に誰も言っていないなら、それは過去に誰も到達することができなかった真理だということです。

    古代の日本人は、漢字が複数の象形文字を組み合わせて一定の意味を持たせた表意文字であることに注目し、その意味と大和言葉の意味を重ね合わせながら漢字を大和言葉の記述のために導入したのです。
    つまり、漢字一文字一文字の持つ意味を大切にあつかいながら、日本書紀を記述しのです。

    万葉集や古事記、日本書紀が編纂された7世紀の日本は、隋や唐という強大な軍事大国の脅威の前に、是が非でも日本を中央集権的な統一国家にしていかなければならない時代です。

    ところがそこに、実に日本的な困難がありました。
    チャイナやコリアであれば、外来王朝ですから、気に入らない反対勢力は、ただコロスだけです。
    皆殺しにして、その親族まで殺害して、その一族の血を完全に絶やしてしまう。
    ですからチャイナでは、王朝が替わるたびに、人口が3分の1に減少しています。

    しかしこの方法が、日本では使えないのです。
    なぜなら、地方豪族たちは、もとをたどせば、全部、親戚です。
    同じ日本列島の中で、何千年も暮らしてきたのです。

    日本全国津々浦々、全部の人が血の繋がりのある、共通のご祖先を持つ、同じ日本人です。
    親族の恨みほど、恐ろしいものはありません。
    これは昔から、世の中で怖いものは二つ。
    「女の恨みと男の嫉妬」
    と言われるくらいで、恨みというのは、何十年経っても何百年経っても消えません。
    男の嫉妬もしつこいですが、女の恨みほど、世の中に恐ろしいものはないのです。

    これと同じで、親族の恨みもまた、何十年も何百年もあとをひきます。
    つまり「気に入らない相手はコロス」という、外来王朝や植民地支配に見られる方式は、わが国を統一国家にしていくうえでは、用いることができないのです。

    そこで統一国家を形成するための方法のひとつとして進められたことが、中央に高い文化を形成するというものでした。
    もともと大和言葉は、一字一音一義です。
    五十音の組み合わせで、様々なことを表現します。
    ところが漢字は、わが国の一字一音一義の神代文字を組み合わせて一字とする会意文字です。
    会意文字というのは、意味を会わせた文字という意味です。
    たとえば、心を亡くした状態が「忙しい」です。
    さらに、用字がたくさんありすぎて忙しいなら、多忙です。
    つまり一字一音一義の大和言葉に、さらに漢字を加えることで、もっと複雑な事柄を表現できるようになるのです。
    そしてこのことは、当時においては新たな文化の創造でした。

    つまり外国の脅威がどうのこうの、古来の風習がどうのこうのと言うだけでなく、新たな文化の創造によって、日本を古くて新しい国として希望を持って再生していったのです。
    それが我が国の7世紀の出来事です。

    この中心となったのが第41代持統天皇です。
    日本を代表する偉大な天皇です。

    実はこのことを出口光先生にお話ししたとき、出口先生が「豈」という字を見て、
    「これはヤマトだね」とおっしゃいました。
    衝撃でした。
    「豈」という字は、「山」と「豆」で出来ています。
    そして「豆」の訓読みは「と」です。
    「やま(山)」に「と(豆)」で、「ヤマト」です。

    ヤマトの語源論は別として、古代の日本人が、私たちの国を「ヤマト」と呼び、そのヤマトが希求した国の形が、私たちみんなにとっての「よろこびあふれる楽しい国」であったといういことは、まさに目からウロコが剥がれ落ちる事実で、それはとっても誇るべきことであると思います。

    誰か一人の贅沢な暮らしのために、周囲のみんなが奴隷として使役される社会ではなく、末端のみんなが主役となって、みんなにとって、社会がよろこびあふれる楽しい国であること。
    そのことを実現するために築かれたのが、天皇という権威を国家最高権力の上に置くというシラス統治の形です。

    残念ながらこういうことが、戦後教育の「あに〜や」は反語表現であるという固定概念に固まってしまうと、たいせつな意味を見失ってしまいます。
    こだわりから思考停止に至ることは、とても残念なことです。


    ※この記事は今年6月の記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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    日本に希望の火を灯す!

    七草(ななくさ)には、春と秋があります。
    「春の七草」は、雑煮に入れて食し、無病息災を祝います。
    「秋の七草」は、眺めて楽しみます。

    万葉集に次の歌がありあります。

     秋の野に 咲きたる花を および折り
     かき数ふれば 七種の花

    (山上憶良 万葉集 巻八 一五三七)

    現代語に直訳すると「秋の野に咲いている花を指折り数えると七種類の花がありますな」となります。
    ようやく過ごしやすくなった秋の風のなかで、花を愛でるやさしい心をうたいあげた憶良の歌です。
    この歌には続きがあります。

     萩が花 尾花 葛花 撫子の花
     女郎花 また藤袴 朝貌の花


    (読み下し)
    はぎが花、オバナ、クズ花、なでしこの花
    おみなえし、また、ふじばかま、あさがおの花
    (山上憶良 万葉集 巻八 一五三八)

    これが「秋の七草」で、山上憶良は花を、ただ植物ととらえているのではなく、人とともにある「生きた友」としてそれぞれの花に呼びかけています。

    花は「めでる」といいますが、漢字で書いたら「愛でる」です。
    ただ音は「めでる」ですから「目で愛でる」、つまり眺めて楽しみ、「愛」は「おもひ、いとし」ですから、いとしく思う気持ちで、花をめでる。

    そして秋の七草を、憶良は「野に咲く花」と詠んでいます。
    つまり、自然の中で力強く咲き、生きている様々な花です。
    いろいろな花がある。いろいろな人がいる。
    そのひとつひとつが、そのひとりひとりが美しい。
    そんな美しく花のひとりひとりをいつくしむ。
    それが日本の国だ、大和の国だと詠んでいます。

    ちなみに、この歌にある「朝貌(あさがお)」は、桔梗(キキョウ)を指しています。
    私たち現代人にとってのアサガオは、夏の早朝に咲く朝顔ですが、この花は熱帯アジア産で、渡来したのは平安中期以降のことで、山上憶良の時代には、まだ日本にアサガオはなかったからです。

    萩(はぎ)
    萩の花1024


    「萩」は、万葉時代を代表する花です。
    万葉集には、萩の花を詠んだ歌がなんと141首もあります。

    「萩の花」はとっても美しいですが、ただ観賞されるだけでなく、根、茎、葉まで、まるで無駄なく活用される、私達日本人にとって欠かせないお友達です。
    萩の「新芽」は萩茶になります。
    「葉」は家畜の餌になります。
    「茎」は屋根や炭俵や「ほうき」にされます。
    「花」は染料に用いられます。
    「根」は、干して薬用に用いられます。
    そのすべてが、私達の生活に欠かせない花でもあるわけです。

    その「萩」は、マメ科の植物です。
    マメ科の植物は、根っこに「根粒菌」という細菌が繁殖します。
    すると根に、根粒とよばれる瘤(こぶ)ができます。
    この根粒は、病気ではなく、「萩」と「細菌」の共生作用によってできるものです。

    根粒菌が根の中で繁殖するとどうなるかというと、菌が窒素を吸って、アンモニア、硝酸塩、二酸化窒素などに変換します。
    変換に必要な栄養成分は「萩」が提供します。
    そして根粒菌は、繁殖し、有機物を排泄します。
    その菌の排泄物が萩の栄養分になります。

    おかげで「萩」は、痩せた栄養分の少ない土地でも良く繁殖します。
    こうした特性を利用して、日本人は古くから、「萩」を山や道の斜面に植えて、山崩れを防いだり、海岸などの砂が飛ばないように、砂防に用いたりしています。
    これはいまでも、続くことです。
    よく、高速道路の斜面一面に、秋になると薄紫の萩の花がついている風景を見かけることがありますが、それが萩の花です。

    そして、中秋の名月は、旧暦の9月15日で、今年は新暦、つまりいまの暦ですと10月27日が中秋の名月の日になります。
    この日は、昔の人たちは、「萩」と「ススキ」を、お団子といっしょにお供えして、お月見をしました。
    そこで中空に浮かぶお月さまを眺めながら、親子でお団子を食べながら、
    「お月さまにはうさぎさんがいてね、あそこで餅つきをやっているんだよ」なんて、子供たちに語って聞かせたりしていたものです。

    もちろんお月様にウサギさんなんかはいないけれど、子供に「どうして月にうさぎさんがいるの?」と聞かれると、きまって出るのが、
    「実はね、むかしむかし、イナバの白ウサギってのがいてね・・・」と神話の物語がはじまる。
    そしてイナバの白ウサギの物語は、子供達に、嘘をついてはいけないこと、困っている人をたすけてあげることが良いことなのだと教えます。

    そうやって人々は、親から子へ、子から孫へと、日本の心をつむいできました。
    親子は、ただ血がつながっているというだけではなくて、こうした対話によって、子どもたちに大切なアイデンティティを伝えるものでもあったわけです。

    その「萩」と一緒にお供えされたのが「ススキ」です。

    ススキ
    ススキ1024


    「ススキ」は「尾花(おばな)」とも呼ばれます。
    「尾花」というのは、ススキのに花穂が出ているときの呼び名です。
    ススキは、漢字では「芒」とか「薄」と書きます。
    「カヤ」とか「オバナ」とも呼ばれます。

    根がしっかりしているので、庭などに繁殖されると困ることもあるけれど、とにかく日本人とはとっても仲良しで、穂も茎も全部、人に利用されます。
    未成熟な穂は昔は食用にされました。
    ちなみに、もともとススキは、イネ科の植物です。
    穂はそのまま家畜の飼料になります。
    いまでも東京の雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂で編んだミミズク細工が民芸品として売られています。とっても可愛いです。

    昔の農家などには、茅葺屋根(かやぶきやね)が多く見られました。「茅(かや)」というのは、ススキのことです。
    つまり、ススキの茎は屋根として使われたのです。
    ちなみに、屋根を麦藁(ムギワラ)で葺(ふ)いたのがワラブキ屋根、草で葺いたらクサブキ屋根です。

    屋根に使うススキの茎は、大量です。
    ですから昔は、日本の集落の近くには、かならずと言っていいくらい、定期的にススキを刈り取るためのススキの繁殖地(狩り場)がありました。
    それが「茅場(かやば)」です。

    東京証券取引所がある東京の茅場町(かやばちょう)は、まさに昔、ススキの繁殖地だったところです。
    ススキは、株が大きくなるのに時間がかかります。
    けれど、次第にしっかりとした根(株)を張って群生します。
    つまりみんなが集まるわけです。
    そして家の屋根となり、人々の暮らしを守り支えます。

    それだけじゃなくて、ススキが空き地を埋め尽くすようになって何年か経つと、地味が肥えてきて、そこにアカマツなどの先駆者的な樹木が生えてきます。
    樹木なんて、ほっといたら生えてくるものなんじゃないの?なんて思ってた人は、ぜひ今日から認識をあらためてなきゃいけません。
    たとえば、近所にある空き地です。
    何年も前から空き地になっているところには、雑草が鬼のようにたくさん生えますが、木は生えません。
    草が生えても、木はそうそう簡単には生えてくれないのです。

    いろいろな草花が、生えては消え、生えては消えという世代交代を繰り返し、最後にススキが密生する。
    ススキが密生することで、地味が肥え、ススキによる草影ができるようになります。
    するとようやくそこに、アカマツやクロマツなどの針葉樹が生え始めるのです。

    針葉樹は、葉がとんがっています。
    そして背が高い。
    その針葉樹が群生し、ぐんぐん伸びて木陰ができて、地面が湿り気を帯びるようになると(そうなるまでに百年以上かかります)、ようやくこんどはヒノキやサワラなどの、葉がシダのような形をした樹木が生えてきます。

    それから数百年。
    ヒノキ林がほどよく茂るようになると、ようやくそこに、カシ、シイ、クスなどの広葉樹が生えてくるようになります。
    なぜ広葉樹なのかといえば、上空はヒノキやサワラ、松などが覆っているからです。
    地表近くには、それだけ陽があたりにくい。
    で、少ない太陽光のなかで、光合成をより効率よく実現するために、葉の面積が広い、広葉樹となるわけです。

    そして広葉樹には、落葉があります。
    大量の葉が落ちる。
    その落葉に、細菌がとりつき、分解して肥えた地味をつくります。
    そうなると、こんどはケヤキ、ムク、イチョウなどが生育しはじめます。
    ここまでくるのに、数千年です。

    世界の古代文明発祥の地とされているところは、たいていいまは砂漠になっています。
    これは人間が火を使い、森の木を伐り倒してしまったからです。
    森に木がなくなれば、きれいな水もなくなり、貴重なタンパク源である木の実も、森の小動物もいなくなります。

    すると、飲み水、食物がなくなることに加え、山の貯水能力がなくなりますから、雨が降ると平地は洪水になり、山は崩れて平になってしまいます。
    そして人はいなくなり、古代遺跡は廃墟となり、土に埋もれます。

    日本では3万年前の磨製石器が発掘され、1万6500年間の土器が出土していますが、エジプト文明や、メソポタミア文明(4〜5千年前)よりもはるかに古い遺跡を持ちながら、いまだに森が森でいるということは、日本には、古くから植林文化があったということの証拠です。

    車でドライブしたり、電車に乗っていて窓の外に山の稜線が見えたら、是非、その稜線をよく見てみてください。
    木々がみんな同じ高さで、同じ間隔で並んでいるのがわかります。
    どういうことかというと、それは人間が植林した木々だからです。

    さて、話が脱線してしまいましたが、そういう自然森になるまでに何千年もかかるような樹木の生育の、はじめの一歩となるのが、ススキであるということは、とっても大切なポイントであろうかと思います。

    茎から葉まで、全部が人々の役に立つススキが、森を育み、人々の暮らしを守る。

    明治のはじめ、江戸時代に日本橋付近の茅場だったところに、日本経済の柱となる「東京証券取引所」を開いた明治の施政者達の夢と心意気が、なんだかわかるような気がします。

    ちなみに朝鮮半島では、約5千年間にわたって、人類の痕跡が絶えた時期があります。
    それがなぜなのか。
    そして何が起こったかは、実におもしろいお話なのですが、今日の記事からは本題をそれてしまいますので、ご興味のある方は拙ブログの
    「世界に誇る縄文文化」
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html
    をご参照なさってください。

    というわけで、「ススキ」は、私たちの生活になくてはならない秋の植物です。

    ちなみに、ススキの根は、古来「解熱」「利尿」良いとされ、生薬に用いられています。
    お月見にススキを供えるのは、穂が、豊かな実りの秋を連想させることからきたものだとも言われています。


    葛(クズ)
    葛(クズ)


    さて、次は「クズ」です。
    「クズ」は、「葛(クズ)」とも書きます。
    もともとは、大和国(奈良県)の国栖(くず)がクズ粉の産地だったことから、この名前が使われ出したといわれています。
    東京の葛飾区は、もともとクズが大繁殖していた湿地帯だったところから、「クズ」に飾られたところ、という意味で、葛飾という地名になりました。

    「クズ」の大繁殖と書きましたが、実は「クズ」は、ものすごく繁殖力が強い植物です。
    野山のいたるところにはびこり、生命力が強く、ツルが草地を這い回ってあちこちで根を下ろします。
    庭に「クズ」が生えてくると、駆除するのはほんとしんどいです。
    除去は、不可能に近いとさえいわれています。

    ちなみに欧米では、「クズ」は、「世界の侵略的外来種ワースト100」に分類されています。
    分類を決めたのは、国際自然保護連合 (IUCN)です。
    それだけ繁殖力が旺盛だ、ということです。

    欧米では嫌われ者の「クズ」ですが、日本では、とっても人と仲良く暮らしています。
    まず「クズ」の根っこです。
    これは潰して水でさらしてデンプンを取ります。
    できあがったデンプンが「葛粉(くずこ)」です。

    葛粉は、葛切りや葛餅などの原料になります。
    ちなみにボクは葛切りが大好物で、実は、すごくオイシイお店を知ってて・・・・って、話がまた脱線しそうなので、もとにもどします^^

    葛粉は、食品として用いられるだけでなく、そのままお湯にといて飲むと、体を温め血行をよくしてくれます。
    そこで、風邪引きや胃腸不良の民間治療薬としてできたのが、「葛根湯」です。
    読んで字のごとく、まさに「葛(クズ)」の「根」のお湯です。

    最近では、葛根湯には、女性ホルモンに近い成分のイソフラポンが大量に含まれていることが発見され、更年期障害や骨粗鬆症、糖尿病、乳癌、子宮癌や男性の前立腺癌の治療にも効果があるとされています。

    さらにクズの根は、葛粉に加工しなくても、そのままでも食べられます。
    ただ、かなり苦みがある。
    ただし繁殖力が強いので、古来クズの根は、非常食として用いられたりしています。

    ちなみに「クズ」を「世界の侵略的外来種ワースト100」という悪者にしたてあげた国際自然保護連合ですが、このワースト100の中味を見ると、そこで対象とされている「侵略的外来種」には、豚やヤギ、ハツカネズミ、ヒキガエルにアマガエル、魚の鯉やニジマス、海岸のワカメなども指定されています。
    どういう基準で「侵略的外来種」と認定しているのか、よくわかりません(笑)

    「侵略的外来種」という極めて否定的な扱いを受けた「クズ」ですが、最近では日本の努力によって、土壌保全植物として世界各地で砂漠緑化や堤防決壊防止に利用されるようになっています。
    砂漠に、葛(くず)を植えるのです。
    葛は、繁殖力が強いから、痩せた土地でもどんどん育ちます。

    葛は、「葉」の大きな植物で、しかも密生しますから、地面が日陰になります。
    そして葉が枯れて、地面に落ちます。
    上には、まだ元気のいい葛の葉が茂っていますから、枯れ葉が地表にたまりはじめると、地表は、湿り気を貯えるようになります。
    湿ってジメジメするから、そこにバクテリアが繁殖して、葉が腐食します。
    するとそれが腐葉土となります。
    つまり、土が肥えるのです。

    土地が肥えてくると、そこには、穀物も栽培できるようになります。
    つまり、砂漠に緑が戻り、農作物も生育できるようになるのです。

    これが日本式なのだろうと思います。
    欧米では「侵略的外来植物」として排除しようとしたけれど、日本ではそんなクズの強靭さと共存し、むしろ人々に役立つ仲良しになります。
    こういうところに自然と対立的な西洋と、自然との調和や共生を重んじる日本人の考え方の違いがよく現されているような気がします。


    撫子(ナデシコ)
    なでしこ1024


    ナデシコは、繊細なピンクの花を咲かせます。
    その小さくてつつましく控え目で可憐な花の姿に、日本女性の美しさを重ねた言葉が、「大和撫子(やまとなでしこ)」です。

    「万葉集」では26種詠まれています。

     なでしこが その花にもが 朝な朝な
     手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ

            (大伴家持)

    (通解)あなたが撫子(なでしこ)の花だったなら、私は毎朝、手に取ってあなたを愛でることでしょう。

     秋さらば 見つつ偲へと妹が植ゑし
     やどのなでしこ 咲きにけるかも


    これも大伴家持の歌です。
    この歌は、天平11年の作ですが、この年の6月に家持は、奥さんを亡くしています。

    その奥さんが、生前、「秋になったら、いっしょに眺めましょうね」と言って、なでしこを、庭に植えた。
    秋になって、その撫子が、家の敷石のかたわらに咲いている。

    「おまえが、そばにいてくれらなら」
    そう思う家持の悲しみが、胸を打つ名作です。

    なでしこは、女性の美しさと、手の中に入れて愛でたいと思わせるほどの可憐さを象徴しています。
    そんな美しい愛する妻の、こぼれるような笑顔。
    そして緑の中に咲く、ピンクの花。
    文字は白黒だけれど、歌は、美しい色彩に彩られています。

    どういうわけか、なでしこは、西洋の花言葉でも「長く続く愛情」とされています。
    そういう不思議なイメージを抱かせるきれいな花です。

    また、なでしこには、英語名で「ピンク pink」の名前があり、また、「輝く目」のという意味もあります。
    ピンク色の語源も、なでしこの花からきています。

    もうひとつ、なでしこを歌った、こんどは俳句です。
    小林一茶の作です。

      御地蔵や
      花なでしこの
         真ん中に


    きれいな秋の夕焼け空に赤とんぼが舞い、稲刈りを終えた田んぼは、黄色く色づいています。
    道ばたにふとみると、緑の葉に彩られて、ピンクのなでしこの花が咲いている。
    その真ん中には、ちいさなお地蔵さんが、赤い前掛けをつけて、そっと立っている。
    そんな情景が目に浮かびます。

    和歌、短歌、俳句に限らず、日本画や文学などにおいても、日本文学などでは、こうしてものすごく簡素化し、簡略化した中に、くっきりと浮かび上がる色彩豊かな情景や、背景などを連想させるものが、秀作とされます。

    欧米文学のように、すべてを説明するのではなく、連想によって、イメージを広がらせる。
    それが日本の古典の特徴です。

    そうそう。
    なでしこといえば、知覧の特攻隊基地で、特攻隊員達に奉仕した勤労奉仕女学生たちは、自分たちのことを「なでしこ部隊」と呼んでいました。
    その中のおひとりだった前田笙子さんは、昭和54年に「群青-知覧特攻機地より」という本を出されています。
    その本の前書きには、笙子さん本人の文として次の一文があります。

    ~~~~~~~
    本書に収録しました特攻隊員の遺稿も、私たちの手記も、戦争一色にぬりつぶされた当時の心のうずきをそのまま書きとめたものですから、今の時代とはずいぶんかけ離れていると思います。
    しかし、それもまた、いつわらぬ事実なのですから、明らかな誤記だけを訂正して掲載しました。
    数ある太平洋戦争の大河の流れの一しずくとして、心ある方がもし拾いあげてくださるならば、これにこした喜びはございません。

    ~~~~~~~

    空と海をあらわす群青。
    プロペラの音。
    去って行く飛行機。
    二度と帰らぬ旅。
    地上に咲くピンクの可憐ななでしこの花。
    心のうずき。
    忘れてはならない日々。

    なでしこは、いまも昔とかわらない、美しい花をさかせています。
    花だけではなく、私達自身が、その美しい心を、いまこそとりもどさなけれなならないような気がします。


    女郎花(おみなえし)
    オミナエシ1024


    ピンクの花のなでしこの次は、黄色の「オミナエシ(女郎花)」です。

    オミナエシの花の黄色は、実にやさしい色合いの黄色です。
    毒々しいセイタカアワダチソウとは、ちょいとワケが違う。

    これも古くから日本にある花です。
    原産地は日本です。

    おみなえしは、茎や根がちょっとなまぐさいので、観賞用の茶花としてはあまり好まれなかったようです。
    そのニオイのあるところから、同じ女性でも、可憐な乙女や清楚な妻をイメージさせるなでしこと異なり、いわゆる玄人の女性に例えられることが多い花です。

    万葉集には14種詠まれています。
    詠み人知らずですが、私は次の歌が好きです。

     我が里に 今咲く花の をみなへし
     堪(あ)へぬ心に なほ恋ひにけり


    (通解)
    故郷には、いまごろおみなえしが咲いているだろうなあ。
    きっとあの娘は、おみなえしのようにいまも美しく可憐でいるのだろうなあ。
    遠く離れて逢えないから、耐えられないほど恋しいよ。

    万葉の昔も、現代の日本も、人の心なんて、そうそう違うものではありません。
    人を好きになること。
    恋すること。
    遠く離れていても、変わらず愛する心。
    日本人は、いまも昔も、日本人です。

    そしてさらにこの歌の凄味は、その女性をおみなえしに例えている点です。
    つまり、商売女、玄人の女性だ、ということです。
    玄人の女性ということは、売春婦、娼婦である、ということです。
    そして、そんな娼婦の女性であっても、「なほ恋にけり」とうたっている。

    「娼婦を恋しい」とうたっている歌でありながら、万葉集に、このようにちゃんと掲載しているという点は、実に注目に値することだと思います。

    たとえ相手が娼婦であろうと、人として大切に思い、接する。
    それが日本という国だし、日本人だ、ということです。

    戦時中、日本は、売春婦を「慰安婦」と呼びました。
    慰安婦と娼婦では、語感がまるで違います。
    娼婦はただのセックスの道具ですが、慰安は、なぐさめ、安心させる女性という意味の言葉です。
    つまり、道具としての性器ではなく、ちゃんと人格を持った人間の女性として、性の奉仕をする女性たちを扱った、ということです。

    朝鮮半島では、もともとの李氏朝鮮の時代には、女性は、名を名乗ることさえ許されませんでした。
    つまり、セックスの、あるいは子を産むための道具としての地位しか、女性には与えられていなかったということです。

    そんな朝鮮人女性の、しかも玄人の娼婦に対し、私達日本人は「人格をもって慰安する女性」という称号を与えたわけです。
    しかも、その報酬たるや、お客となる兵隊さん達の10〜20倍もありました。
    それは、慰安してくれたことへのお礼の心でもあったのではないかと思います。

    万葉の昔から、をみなえしを、恋しいとうたう、日本人のやさしさが、こういうところにも出ている。
    それをいまさら性奴隷などと、わかったようなデタラメを並べならば、では昔の李氏朝鮮時代の性の道具としての地位の方が、朝鮮人女性達にはお望みなのか?と聞いてみたくなります。

    古今集にも、右大臣の藤原時平が詠んだ歌があります。

     をみなへし 秋の野風に うちなびき
     心ひとつを たれによすらむ


    (通解)
    秋の野を吹き過ぎる風になびくおみなえしは、
    いったい誰に恋心を寄せているのだろうか。

    これは昌泰元(898)年の作で、宇多上皇が主催した、おみなえしの花合わせに出詠した歌です。
    おみなえしの花合わせというのは、ときの貴族たちがおみなえしの花と歌とを持ち寄って勝負を競った遊戯です。

    おもなえしは、それだけ当時の人々に愛された花であったということですし、女郎(娼婦)であっても、「誰に恋をしているのだろうか」と詠んでいる。
    つまり、相手を人格をもった人としてみている。

    つまり、そこには、売春婦だからといって「差蔑」するという姿勢が、日本人の社会には根本的にない、ということをあらわしてもいるのです。

    なお、おみなえしは、古来、利尿、排膿の生薬として、多くの人に親しまれてもきました。
    やはり下半身ではあるけれど、大切なお薬でもあったわけです。

    そもそも職業売春を差蔑することのほうが、私にはむしろ人格差別であるように思えるし、そういう差蔑するという心は、そもそも日本社会には、ほとんどなかったものに他なりません。
    むしろ、こうした概念こそ、侵略的外来性思考ともよぶべきもので、あらゆる身分や職業を、階級闘争として捉える、共産主義思想の弊害ではないかと私には思えます。

    すくなくとも、おみなえしの美しい花は、そんなつまらない差蔑意識など、消し飛ばせるものをもっているように思います。


    藤袴(フジバカマ)
    フジバカマ1024


    実はこの項でフジバカマのことを書くのは、ちょっとつらいです。

    フジバカマは、万葉の昔から日本人に親しまれてきた花で、かつては日本全国どこでも、河原などに行けば群生していた花です。

    乾燥すると桜餅のような甘い香りをはなち、お風呂の湯に入れて香りを愉しんだり、すりつぶして飲むと利尿作用があるといわれていました。

    「源氏物語」には、「藤袴の巻」で、美しい夕霧が、大宮の喪に服している玉鬘(たまかずら)に、フジバカマを差し出して、

     おなじ野の
      露にやつるゝ藤袴
       あはれはかけよ
        かことばかりも


    と詠いかけるシーンがあります。
    今差し上げた藤袴の薄紫を愛でるように私の思いもわかってくださいな、と、喪の最中にあっても、女心をやさしく包んだ夕霧の歌です。
    フジバカマの淡い紫色の花と相まって、決して低俗ではない上品な想いが歌の心になっています。
    こうして、平安の昔から人々に親しまれたフジバカマですが、近年では、その数を減らし、いまや環境庁の準絶滅危惧種にさえ指定されています。

    そして「フジバカマのことを書くのは、ちょっとつらい」と書いたの理由は、実は、フジバカマは、かつての満洲国の国章でもあったからです。
    満州地方というのは、大清帝国の発祥の地です。
    同時に、延々と土色の荒野が広がる荒涼とした大地でした。

    日本は、満洲で、地域の人々と一緒になってこの地を開墾し、満洲一帯を、世界屈指の大豆の名産地にしています。
    旧満州鉄道が、満洲の隅々にまで鉄道網を拡げたのは、要するに荒れ地を開墾し、そこで大豆が生産されるようになり、その出荷のために鉄道網を伸ばす必要があったからです。

    わずかな日本統治の間に、荒涼とした荒れ地だった満洲の大地は、緑豊かな大穀倉地帯へと変貌し、都市部には、そうした農産物の輸出入を推進するための物流や倉庫機能、商社機能や金融機能が集中し、都市部も大いに繁栄しました。

    そうして日本は、満洲に経済力がつくと、ここに清国の末裔の愛心覚羅家を招き、同家を皇室とする一大国家「満洲国」を建国しました。

    満洲国は、日本軍部の傀儡政権だという人がいるけれど、それはウソです。
    満洲は、満洲人が統治し、その満人の長は、日本のご皇室と縁続きになられています。
    満洲国皇帝と、日本のご皇室は、親戚関係になられていたのです。

    その満洲国も、大東亜戦争の終戦とともに、滅んでしまいました。
    そして満洲国の国章にまでされたフジバカマも、いまの日本で、もはや絶滅種にならんとしています。
    私は、フジバカマを、絶対に絶やしてはいけないと思います。


    桔梗(キキョウ)
    キキョウ1024
     

    キキョウといえば、桔梗紋が、明智光秀の家紋であったことでもよくしられている秋の花です。

    透き通った青紫の花を咲かせますが、まれに白花をつける種類もあります。
    花の形が良いので、古来観賞用として親しまれる他、切り花としても多く利用されました。

    キキョウの花が咲くのは6月下旬頃のことです。
    つまり、秋ではない。

    ではなぜキキョウが「秋の七草」に入ったかというと、実は、キキョウの根に理由があります。

    キキョウの花の季節が終わり、地上部が枯れた秋から冬にかけて、掘って根を取りだします。
    根は細い部分を取り除き、外皮をむいて、よく水洗し、日光で乾燥させる。

    こうしてできる生薬が、桔梗根(ききょうこん)です。
    桔梗根の粉末は、去痰、鎮咳、鎮痛、鎮静、解熱によく効く生薬となります。

    つまりキキョウは、冬の風邪の治療に欠かせない植物だったのです。

    また、キキョウの葉や茎から出る白乳液が、漆(うるし)のかぶれに、よく効く。
    漆(うるし)は、初夏から秋にかけて漆の木から採取されますから、ここでもキキョウは大活躍してくれたのです。

    かぶれにキキョウ、風邪にキキョウ。
    その両方の季節が合わさった時期が、まさに秋。
    そこで、キキョウは秋の七草の一員となったわけです。


    さて、秋の七草のなかで、ススキとクズとハギ以外、つまり、

    なでしこ
    ききょう
    おみなえし
    ふじばかま


    の4種類は、いまや次第に野山から姿を消しつつあります。
    絶滅危惧品種となっているのです。
    それはまるで、日本古来の文化が絶滅危機に瀕しているいまどきの世相をみるかのようです。

    日本を守るためには、もちろん大上段に構えた大運動への参画も大切です。
    しかし同時にほんのちょっぴり、ベランダのプランターになでしこやおみなえしを植えて育てるだけでも、立派な日本の文化を守る行動だと思います。

    なぜならそれは、人と草木がとっても仲良しだった日本人の心の姿だからです。


    ※この記事は2010年10月の記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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    20230925 新しい世界
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    日本に希望の火を灯す!

    ハリウッドでは、もう何年も前から、
    「世界的ヒットを飛ばしたいなら、日本の文化に学べ」
    が合言葉になっているのだそうです。
    日本的テイストを映画に取り込むと、その映画は必ず世界的なヒットに結びつくというのです。

    近年なら『アベンジャーズ・シリーズ』もそのひとつです。
    もともとは登場するヒーローたちは、それぞれ独立したヒーローです。
    ところが『アベンジャーズ』では、その独立したヒーローたちが勢揃いして力を合わせて強大な敵に立ち向かいました。

    ヒーロー個人が何もかも持っているのではなくて、それぞれに特別な才能がありながらも欠点だらけのヒーローたちが、互いに力を出し合い、協力しあう。
    そうすることでより強大な敵と戦い、たとえ一度や二度敗れても、そこからまたはいあがって、敵を倒していきます。
    『ジャスティス・リーグ』も同じです。
    『トランスフォーマー』も同じです。

    何年か前に大ヒットした『アバター』も、そこに描かれた世界観は、日本神話の世界であったとされています。
    『アリータ・バトルエンジェル』も、日本の漫画をそのまま映像化したものです。
    Disnyの『モアナと伝説の海』で描かれた古代の姿もまた、日本の縄文時代がモチーフといわれています。

    一方、そうした日本文化に学び、日本文化のテイストを入れると、世界的大ヒット映画になるという謳い文句から、ハリウッドには日本人のような顔をしていて日本人のふりをする、日本国籍を持っているけれども日本人でない人たちもずいぶん入り込んで、ハリウッドの人たちが騙されるケースもあります。

    『フォーティーセブン・ローニン』は、赤穂浪士をモチーフにしましたが、途中で怪獣まででてきます。
    日本の怪獣とサムライを合体させ、日本人が赤穂浪士が好きだからと、これもまた合体させ、日本人のような顔をしていて日本人のふりをする、日本国籍を持っているけれども日本人でない人たちが「これが日本文化です!」とやったわけです。
    近年にない駄作と呼ばれる作品となりました。

    『移動都市モータル・エンジン』という映画もあります。
    こちらは「ハウルの動く城」がモチーフで、序盤に「千と千尋」のカオナシまで登場するという作品でした。
    映画自体はあまりヒットしなかったという話もありますが、この映画では「整形していないコリアン女性」が出演し、たいへんな高評価となりました。

    整形ずくめで、まるでお人形さんのようになったコリアン女性より、細工は少々残念でも、生(き)のままで生きようとする勇敢な女性像に、観客は人としてのつよさを見出したのだといわれ、高評価となりました。

    また、日本文化の人気にヤキモチを焼いた中共資本が、米国人のチャイニーズ嫌いを払拭しようと、近年ハリウッドに政治的に入り込み、やたらに映画製作にカネをばらまいては、チャイナを称えるように条件をつけて映画をつくったりもしています。

    たとえば『MEG ザ・モンスター』という映画は、ジョーズの強化版の映画ですが、チャイナが東シナ海に海洋施設を平和利用のために造り、日本人が深海で死ぬという設定になっています。
    この映画ではなんと、マリアナ海溝が、いつの間にか中共領として描かれています。
    なんでもそうですが、コリアやチャイナが介入すると、毎度、話がややこしくなります。

    一方、日本的なテイストを加味した映画は、チャイナマネー漬けになった映画評論家たちの酷評をよそに、世界中で確実にロングランです。
    ありがたいことです。

    要するに何を言いたいのかというと、世界の人々は、
    「日本的な価値観に人類普遍の何かを感じ取っている」ということです。

    そしてその何かとは、間違いなく、日本が持つ、人が人を所有しない文化、人と人とが助け合う文化、上下と支配ではなく、人と人とが対等に生きる文化、ひとりひとりが身分の上下ではなく人として尊厳が認められる文化です。
    これを古い日本語で「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。

    ひとりひとりが大切にされるといわれると、
    「日本だってそんなことはない」
    と反発する意見が出てきそうですが、それは日本しか見ていないからそう思えるのです。
    日本のすぐ近くにある自称大国、自称準大国では、上下関係が絶対のものとして機能します。
    上に立つものは、下の人のすべてを奪います。
    下になれば、人としての尊厳どころか、人としてのいっさいが否定されます。

    あまり語られませんが、学校教育が男女共学になって以降のヨーロッパでは、つい最近までは、生徒がなにか悪さをすると、男子は他の生徒が見ている前で顔を殴られましたが、女児は下着を脱がされて裸のお尻を鞭で打たれました。
    信じられないような話ですが、それがあたりまえの常識であったのだそうです。

    人類社会は、大昔は村落共同体でしたが、それがいつしか王国支配体制へと向かいました。
    王政が議会制民主主義に変わっていったのは、いまからほんの300年前のことです。
    しかしその民主主義さえも、崩壊に向かっていることは、いまの米国やEUの様子を見たらわかります。

    どうしてそのようになってしまうのかといえば、国家最高の存在が「国家最高権力者」だからです。
    国家の最高の存在が「国家最高権力者」なら、その権力者は、よその国に原子爆弾をニ発も落として何十万もの民間人を殺傷しても、何の責任もとりません。
    あたりまえです。
    責任を追求してくる人がいたら、その者を逮捕すれば良いだけのことだからです。

    つまり世襲制の国王であれ、選挙によって選ばれた代表であれ、国家最高権力者は責任を取らない。
    もっといえば、責任がない。
    ということは、「国家最高権力者」は、「国家最高責任者」であると同時に「国家最高の無責任者」だということです。

    どんな社会組織であっても、権力と責任は等しい関係にあります。
    それが権力だけがあって、責任を負わないという体制なら、権力者は自己のために好き放題のことをします。
    するとそのツケは、民衆が払わせられることになります。

    ある人と話をしているときに、
    「西洋の映画ではヒーローは壮年の男性と若い女性だけれど、
     日本のヒーローやヒロインは、ほとんどが10代の子供だ。
     それはどうしてだろう?」
    という話になりました。

    当然です。
    上にある人の理不尽によって、常に嫌な思いをさせられ続けている社会では、そんな社会を力づくでぶっ壊すおっさんがヒーローになります。
    そのオヤジが、若い娘さんの尊敬を得るなら、さらに理想です。

    けれど現実には、おっさんがいろいろなものをぶっ壊せば、それはただの社会不適格な犯罪者となるし、目の前で人をあやめたり、ものをぶっ壊せば、若い女性は恐怖のために悲鳴をあげてその場を逃げ出します。
    つまり、力づくでものをぶっ壊すおっさんと、そんなおっさんを若くて美しい女性が尊敬する社会など、現実には絶対に有り得ません。
    だから映画になる。だからアニメになるのです。

    これに対し日本のヒーローやヒロインは10代の子供です。
    まだ未成熟だから、当然、失敗もする。
    それでも凹まずに、頑張って行きていく姿が、人々の共感を生みます。
    なぜかといえば、そうやって生きていけば、日本社会は失敗があっても、やり直しを認めてくれるから。
    その暖かさがあるから。

    日本では、神話に登場する神様も、さまざまな失敗をします。
    それも何度も、形を変えながら失敗します。
    妻を愛したイザナギは、その妻を迎えに黄泉の国まで出かけていきながら、見るなと言われた妻の姿を見てしまうという失態を演じています。
    おかげで、恐ろしい黄泉軍団に追いかけれられて、ホウホウの体で逃げ帰っています。

    神様だって失敗するのです。
    まして人間なら、なおのことです。
    生きている間に、どれだけの数の失敗や失態を繰り返すのか。
    どんなに一生懸命生きていても、その一生懸命さがアダとなって失敗することだってあるわけです。

    だから日本では、だいたい結婚するときは、日本男児は新妻に「ウチは亭主関白でいくから」と宣言します。
    けれどそれが通用するのは、せいぜい新婚当時くらいなもので、何年かすれば、次々と旦那の失敗が明らかになり、気がつく頃には旦那は女房殿に頭があがらなくなっている。

    けれどそれはとても良いことなのです。
    なぜなら、それは旦那が妻を、妻が旦那を互いに尊重しているということだからです。
    尊重しているから腹も立つのです。
    関係ない人なら、腹もたちません(笑)。

    ひとりひとりが尊重される社会だから、いくらでも失敗をすることがある未完成な若者が、日本ではヒーローやヒロインになります。
    その年代なら、失敗が、まだ成長の過程だからと、笑って済ませることが可能だからです。

    そしてその年代のとき、自分もまた、その時点で自分で「すべて」と思えることに全力だった。
    だからそんな子供の姿に、大人たちが感情移入できるのです。
    トトロのさつきちゃんやメイちゃんがそうです。
    千と千尋がそうです。
    ワンピースのルフィがそうだし、キングダムの李信がそうです。

    明治11年に日本を旅した英国人女性のイザベラ・バードは、その著書の『日本奥地紀行』のなかで、日本の子供たちの様子を次のように書いています。

    「私はこれほど自分の子どもを
     かわいがる人々を見たことがない。
     子どもを抱いたり背負ったり、
     歩くときには手をとり、
     子どもの遊戯をじっと見ていたり、
     参加したり、
     いつも新しい玩具をくれてやり、
     遠足や祭りに連れて行き、
     子どもがいないといつもつまらなそうである。」

    子どもをたいせつし、可愛がることができる社会というのは、人類にとっての理想社会といえるのではないでしょうか。
    赤ちゃんの鳴き声を聞いて、「うるさい」と騒音に感じる社会と、「かわいい」と思う社会。
    注射器を前に必死で泣いている子どもの姿を、あらあらたいへんねえ、と笑顔で見守ることができる社会。
    私達が求める社会の姿は、果たしてそのどちらなのでしょうか。

    日本には、日本の歴史伝統文化があります。
    いまわたしたちに必要なことは、私達の父祖が築いてくれた日本の姿を、あらためて見直し、その良さや素晴らしさを取り戻すことにあるのではないでしょうか。

    この何十年の間に、世界は大きく変わりました。
    身近なところでも、ほんの30年前にはなかったスマホが、いまでは誰の手の中にもある時代です。
    けれど、これからの時代は、AIの普及によって、世界の様子がもっと大きく変わっていきます。

    定型的な仕事はロボットが代行するし、判断を伴う仕事はAIが代行します。
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    これまで人が行っていた機械的作業の一切がコンピューターで代行できるようになるとどうなるか。
    新たなコミュニティとか、食などのサービス分野に多くの雇用が生まれるようになります。
    これまでは、コンピューター化によって人を減らすことが企業にとって利益を上げる要素であったものが、これからは、人をより多く雇用できる、大勢が参加できる、あるいは大勢がそこで生活できるコミュニティが、社会的な価値を持つようになります。

    これから世界は大きく変わるのです。

    このことは、既得権益にしがみつく人たちにとっては、世界の終わりを意味します。
    けれど、圧倒的多数の人々にとっては、新しい世界の幕開けです。

    いつの時代にも問題は山積みです。
    けれどそれを乗り越えた先に、まったく新しい素晴らしい希望があるのです。


    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 実は現代より進んでいた日本の古代の政治の仕組み


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    我々日本人は、いつまでも戦後体制の呪縛に縛られるのではなく、こうした歴史の事実を踏まえて、まったく新しい日本式の政治体制を構築すべきであると思います。
    その意味で憲法議論もまた、日本の原点を踏まえて、ゼロベースで考えていかなければならないものであると思います。

    日本の律令体制
    20230924 律令体制



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    日本に希望の火を灯す!

    議論は左右の対決によって深まるといわれています。
    ですから近世以降の国会には与野党があるし、米国などはそのために二大政党制を敷いています。
    日本の国会にも衆参両院があり、米国にも上院下院があります。
    要するに多様な意見を、最終的に賛成と反対、実行するしないなど、2つの意見に集約し、これを取りまとめて最後に採決をして、意思決定するというのが議会制民主主義です。

    こうした現代の政治体制から過去の日本を連想し、日本の社会のすべてをChina譲りの「陰陽二択社会」と定義されている研究者の先生もおいでになります。

    この影響は戦前の古事記の解釈などにも影響していて、たとえば古事記の創生の神である、
    ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
    ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
    ・神産巣日神 (かみむすひのかみ)
    の三神は、
    「チャイナの陰陽二元論が元であり、
     もともとは高御産巣日神と神産巣日神の二神だったものを、
     あとから道教の影響を受けて天之御中主神が追加され、
     造化三神とされたのだ」
    という解釈を述べている本もあります。

    しかしその解釈は間違っていると思います。
    なぜなら根本的に、日本文明はチャイナ渡来ではないからです。
    日本文明は、中華文明の派生文明や、中華文明を太陽とする衛生文明でもありません。

    世界には、そのような派生文明、衛生文明を持つ国が多々あることは事実ですが、日本はその範疇に入りません。
    日本は独自の日本文明を持ち、その日本文明の土台の上に、チャイナや天竺(インドのこと)など、世界中の様々な国や民族が持つ素晴らしい文明文化を取り入れ、工夫を凝らすことにより、より民衆を大切に育む文明を高めてきたのです。

    日本の文化は、もともと一字一音一義の文化です。
    日本語は50音によって構成されていますが、その50音のことを、我々は「かな」と呼びます。
    「か」というのは、最強の力のことを意味します。
    「な」は、核となる重要なものです。
    ですからこれを漢字で書けば「かな」は「神名(かな)」となります。
    一音ごとに神が宿るのです。

    最初の創生の神様は、何もない空間に登場された神様です。
    これは、何もないところにその「身」が現れたということです。
    我が国の数詞は「ひ、ふ、み」です。

    何もないということは、すべてがあるということと同義で、これを「霊(ひ)」と言います。
    その「霊(ひ)」から生まれることを「生(ふ)」と言います。
    そして生まれたものが「身(み)」です。
    ですから神々がそのご存在を表せられたなら、その身(み)は三つなければならないのです。
    だから最初の神様が三神なのです。

    そしてものごとは、三つが一組になることで安定します。
    一では独裁。
    ニでは対立。
    三ではじめてバランスが取れるのです。

    じゃんけんと同じです。
    グーとパーだけなら、勝った負けたの議論にしかならないのです。
    しかしそこにチョキが加わることで、補完関係が生まれます。

    ですから日本古来の政治体制は、必ず三者体制となっています。
    、二者の対立闘争ではなく、じゃんけんぽんと同じ三者関係で対立や闘争がないような社会を営んできたし、そのような関係を大切にしてきたのです。
    つまり三者関係です。

    政治は意思決定が必要な分野です。
    当然そこでは、採用するかしないかの二者択一が求められます。
    しかしニ者だけでは対立関係になってしまいます。
    そこで左右のバランスをとる仲介者が必要になります。

    たとえば我が国の古代律令体制では、天皇直下に「太政官、神祇官、弾正台」という三つの役所が置かれています。
    「太政官」は、政治の中央意思決定機関です。
    「神祇官」は、全国の神社のネットワークを利用して、中央の意思決定事項を全国に示達し、また全国の意見を吸い上げて天皇に上奏する機関です。
    「弾正台」は、太政官、神祇官に不正や私欲があるかをチェックする機関です。もしあれば問答無用で政府高官を斬り殺す権限が与えられていました。

    この機構は、現代の三権分立とは異なります。
    現代の三権分立は19世紀に西洋で生まれたもので、国家権力を立法、行政、司法の三つでチェックしようというものです。
    国には国家最高権力者としての国王もしくは大統領があり、その権限を立法行政司法の三権で制限しようとしたのです。

    戦後日本の三権分立もこれを裏返したもので、日本の統治を占領軍であるGHQが行うに際して、日本側の受け皿として作られたものが立法行政司法の三権です。
    ですから、もともと戦後日本の三権は、上に最高意思決定機関であるGHQを頂くことが前提の機構であって、逆に言えば、GHQが無くなれば、何もできない仕組みです。

    戦後の日本は、GHQの補助を得て、軍事大国から経済大国へと舵を切っていますが、これが高度成長経済に至ったのは、GHQがいなくなって政治の三権が何もできなくなったからです。
    政治の三権が、何もしない、何もできなかったから、民間が成長したのです。

    実に簡単な歴史です。
    戦前は、1ドルが1円でした。
    当時は、1円は100銭でしたから、わかりやすくいうなら、戦前は1ドル100円だったということです。

    これをGHQは、強制的に1ドル360円としました。
    つまりアメリカ人は、日本では、1ドルで360円分の買い物ができたわけです。

    もっと噛み砕いて言うと、日本で360円で売られている商品が、海を渡ったアメリカでは100円で買うことができたのです。
    いま、新型プリウスが360万円くらい(型式による)ですが、日本で360万円で売られているプリウスが、アメリカでなら100万円で変えたのです。

    これで輸出産業が伸びなかったら、逆におかしいです。
    日本は、こうして戦後、輸出産業が急成長したし、それによって外貨を稼ぎ、食材から住宅資材まで、それまで国内でまかなっていた様々なものを海外から買うことができるようになっていきました。

    よく、日本の高度成長経済は、池田勇人内閣の所得倍増計画に依ると言われますが、日本経済の成長は日本政府の主導で行われものではありません。
    GHQの1ドル360円という固定相場のもとで発展したものです。

    これが昭和46年のニクソンショックで、1ドル240円になると、我が国のそれまでの基幹産業であった造船、鉄鋼、繊維産業はいきなり大打撃を受けて沈没。
    さらに昭和60年のプラザ合意で1ドルが200円になると、家電産業が沈没しています。
    つまり戦後の日本政府が果たした役割は、ひとことでいうなら、民間が稼いだ富を、まるごと外国に売り渡してきただけのものでしかない、と言っても過言ではありません。

    なぜそうなるのかの答えも、実にシンプルです。
    戦後の日本政府は三権分立といいながら、その実、三すくみ政府であって、政府だけでは何もできない。
    結果、いまはもうないGHQの役割をアメリカに頼むしかなく、そのアメリカが好景気で成長している間は良かったけれど、アメリカが不況になれば、いまの日本はアメリカ政府の、単なるATM(現金自動引出機)になっているだけというのが実態です。

    要するにいまの日本では、政治の三権が、何もしない、何もできないときには民間経済が成長するけれど、政治が何かしようとした途端、外国の影響を受けて、日本経済が大打撃を受ける。
    そういう仕組になっているわけです。

    どうしてそうなるかといえば、そもそも三権分立で、リーダー(つまり王や大統領)不在だからです。

    これに対し、我が国の古代の律令体制は、成立が645年の大化の改新で、廃止が明治18年です。
    なんと1240年も続いた政治体制です。
    これは世界最長記録です。

    もちろん律令体制の中身は、貴族政治の時代から武家政治の時代へと変遷しましたが、武家政治といっても、将軍はそもそも左大臣か右大臣です。
    秀吉に至っては関白太政大臣です。
    要するに律令体制は維持されていたのです。

    ちなみに律令体制というと、これまた唐の国の制度に倣(なら)った、つまり唐の制度を模倣したと言われますが、それも違います。
    当時の唐は、我が国から見たとき、強大な軍事大国であり、その軍事圧力は周辺国に及んでいました。
    つまり我が国は、自存自衛のために、唐の軍事力に対抗できる体制を気づく必要に迫られていたわけです。

    それまでの日本は、全国の豪族たちのゆるやかな結合体です。
    その豪族たちは、もともとのルーツをたどれば、全部、親戚関係にあります。
    つまりそれまでの日本は、親戚どうして仲良くやっているだけの国であったわけです。

    けれど、戦いに備えなければならない。
    そこで平等で対等な親戚同士という関係から、中央集権型の国家体制にしなければならないという事態となり、各国の制度をいろいろと研究して構築されたのが、古代律令体制であったわけです。

    日本における律令体制が、唐の国の律令体制をただ模倣しただけではないということは、当時の唐の体制をみたらわかります。
    唐で、皇帝直下に置かれた役所は、中書省、門下省、尚書省で、これを三省といいます。
    中書省は、国政の発案
    門下省は、発案された国政の審議
    尚書省は、審議された結果の国政の実行を担う機関です。
    そしてその三つの機関は、すべて皇帝の権力のために存在します。

    唐の体制
    20230924 唐の体制


    これに対し我が国の律令体制は、
    天皇が民衆を「おほみたから」とする。
    その「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせるように、天皇直下に太政官、神祇官、弾正台を置くという体制です。
    つまり唐の体制とは、ぜんぜん別な仕組みです。
    そのどこがどう「唐の体制を模倣した」ことになるのか、実に不思議です。

    太政官、神祇官、弾正台の仕分けは、
    太政官は、政策の企画、審議、管理を担います。
    神祇官は、その政策の全国への示達を行います。
    弾正台は、そこに不正がないことをチェックします。
    つまり、唐の体制とは全然異なります。

    太政官の中が唐の体制と似ているのではないかと思う方がおいでかもしれませんが、これまた全然違う構造です。
    太政官のトップは太政大臣です。
    その下に左大臣、右大臣がいます。
    この三人の下に、大納言と少納言がいます。
    そして大納言の下に、左弁官、右弁官があり、それぞれの省庁がその下に置かれています。(トップの図)

    図を見たらわかりますが、
    唐の国の体制は、すべて皇帝の独裁のための組織です。
    これに対し、
    我が国の体制は、すべて天皇の「おほみたから」である民衆のための組織です。

    だから唐は289年で滅んだけれど、日本の律令体制は1240年も続いたのです。

    日本は4万年前の磨製石器の時代からの神語りを語り継ぎ、1万7千年前には縄文文明を築き、7千年前には縄文文明が世界に影響を与え、3千年前には農耕に鉄器を用いるようになった国です。
    日本における律令体制は7世紀に成立しますが、その後およそ1400年、日本はその基本体制を保持しています。このことは掛け値なしに世界最古です。
    これだけ長期間生き延びた体制というのは、もっと研究され、尊重され、学び直されて良いものです。民主主義や共産主義などは、世界に広がったとはいえ、まだたった300年にも満たないのです。

    我々日本人は、いつまでも戦後体制の呪縛に縛られるのではなく、こうした歴史の事実を踏まえて、まったく新しい日本式の政治体制を構築すべきであると思います。
    その意味で憲法議論もまた、日本の原点を踏まえて、ゼロベースで考えていかなければならないものであると思います。


    日本をかっこよく!

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
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