• 水師営の会見と国民教育


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    一昔前までは、企業ごとに「らしさ」が異なっていました。
    ということは、「らしさ」は、教育によって育まれるということです。
    しかも社会人であっても、それを身につけることが可能なものだいうことです。

    20210317 水師営の会見
    画像出所=https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-12430736755.html
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    以下は「水師営(すいしえい)」という題で、かつての国民学校初等科6年(いまの小学6年生)の国語教科書に書かれた一文です。
    この文章を読んで、皆様は何をお感じになられるでしょうか。

    ********
    「水師営」
    国民学校初等科国語六

    明治38年1月5日午前11時・・・この時刻を以って、わが攻囲軍司令官乃木大将と、敵の司令官ステッセル将軍とが会見することになりました。
    会見所は、旅順から北西四キロばかりの地点、水師営の一民屋でした。
    附近の家屋という家屋は、両軍の砲弾のために、影も形もなくなっていました。
    この一民屋だけが残っていたのは、日 本軍がここを占領してから、直ちに野戦病院として使用し、屋根に大きな赤十字旗をひるがえ していたからでした。

    前日、壁に残っている弾のあとを、ともかくも新聞紙で張り、会見室に当てられた部屋には、大きな机を用意し、真白な布を掛けました。
    下見分をした乃木将軍は、陣中にふさわしい会見所の情景にほほ笑んだが、壁に張ってある新聞紙に、ふと目を注いで、
    「あの新聞紙を、白くぬっておくように」
    といいました。
    新聞紙は、露軍敗北の記事で満たされていたからです。

    さきに1月1日、ステッセル将軍は、わが激しい攻撃に守備しきれなくなって、ついに旅順開城を申し出て来ました。
    乃木将軍はこの旨を大本営に打電し、翌日、両軍代表は、旅順開城の談判をすませたのでした。

    その夜、山縣参謀総長から、次のような電報がありました。
    「敵将ステッセルより
     開城の申し出でをなしたるおもむき
     伏奏せしところ、
     陛下には、将官ステッセルが
     祖国のために尽くしたる勲功をよみしたまい、
     武士の名誉を保持せしむることを望ませらる。
     右つつしんで伝達す」

    そこで3日、乃木将軍は、津野田(つのだ)参謀に命じて、この聖旨を伝達することにしたのです。
    命じられた津野田参謀は、二名の部下をつれて、ステッセル将軍のところへ行きました。

    ステッセル将軍は、副官にいいつけて、軍刀と、帽子と、手袋とを持って来させ、身支度を整えてから不動の姿勢を取りました。
    津野田参謀が、御沙汰書(ごさたしょ)を読みあげると、副官は、これをロシア語に訳して伝達しました。

    ありがたく拝受したステッセル将軍は、
    「日本の天皇陛下より、
     このようなもったいないおことばをいただき、
     この上もない光栄であります。
     どうぞ、乃木大将にお願いして、
     陛下に厚く御礼を申しあげてください」
    といって、うやうやしく挙手の礼をしました。

    乃木将軍が、

     たむかひし かたきも今日は 大君の
     恵みの露に うるほひにけり

    と詠んだのは、この時のことです。

    4日に、乃木将軍は、ステッセル将軍に、ぶどう酒や、鶏や、白菜などを送りとどけました。
    長い間籠城(ろうじょう)していた将士たちに、このおくり物がどれほど喜ばれたことでしょう。

    会見の当日は、霜(しも)が深かったけれど、朝からよく晴れました。
    11時10分前に、ステッセル将軍が会見所に着きました。
    白あし毛の馬に、黒い鞍(くら)を置いて乗っていました。
    その後に、水色の外套を着た将校が四騎続きました。

    土塀(どべい)で囲まれた会見所に入り、片すみに生えていたなつめの木に、その馬をつなぎました。
    まもなく、乃木将軍も、数名の幕僚とともに到着しました。
    乃木将軍は、黒の上着に白のズボン、胸には、金鵄勲章が掛けられていました。
    静かに手をさしのべると、ステッセル将軍は、その手を堅くにぎりました。
    思えば、しのぎをけずって戦いぬいた両将軍です。

    乃木将軍が、
    「祖国のために戦っては来たが、
     今開城に当って
     閣下と会見することは、
     喜びにたえません」
    とあいさつをすると、ステッセル将軍は、
    「私も、11箇月の間旅順を守りましたが、
     ついに開城することになり、
     ここに閣下と親しくおあいするのは、
     まことに喜ばしい次第です」 と答えました。

    一応の儀礼がすむと、一同は机を取り囲 んで着席しました。
    ステッセル将軍が、
    「私のいちばん感じたことは、
     日本の軍人が実に勇ましいことです。
     殊(こと)に工兵隊が自分の任務を果すまでは、
     決して持ち場を離れないえらさに、
     すっかり感心しました」

    というと、乃木将軍は、
    「いや、ねばり強いのは、ロシア兵です。
     あれほど守り続けた辛抱強さには、
     敬服のほかありません」
    という。

    「しかし、日本軍の28サンチの砲弾には、弱りました」
    「あまり旅順の守りが堅いので、
     あんなものを引っぱり出したのです」
    「さすがの要塞(ようさい)も、
     あの砲弾にはかないませんでした。
     コンドラテンコ少将も、
     あれで戦死をしたのです」

    コンドラテンコ少将は、ロシア兵から父のようにしたわれていた将軍で、その日もロシア皇帝の旨を奉じて、部下の将士を集めて、激励していたさなかでした。
    「それに、日本軍の砲撃の仕方が、
     初めと終りとでは、
     ずいぶん変って来ましたね。
     変ったというよりは、
     すばらしい進歩を示しました。
     たぶん、攻城砲兵司令官が代ったのでしょう」

    「いいえ、代ってはいません。
     初めから終りまで、同じ司令官でした」

    「同じ人ですか。
     短期間にあれほど進むとは、
     実にえらい。さすがは日本人です」

    「わが28サンチにも驚かれたでしょうが、
     海の魚雷が、山上から泳いで来るのには、
     面くらいましたよ」

    うちとけた両将軍の話が、次から次へと続きました。
    やがてステッセル将軍は、口調を改めて、
    「承りますと、閣下のお子様が、
     二人とも戦死なさったそうですが、
     おきのどくでなりません。
     深くお察しいたします」
    とていねいに悔みをのべました。

    「ありがとうございます。
     長男は南山で、次男は二百三高地で、
     それぞれ戦死をし ました。
     祖国のために働くことができて
     私も満足ですが、あの子どもたちも、
     さぞ喜んで地下に眠っていることでしょう」
    と、乃木将軍はおだやかに語りました。

    「閣下は、最愛のお子様を二人とも失われて、
     平気でいらっしゃる。
     それどころか、
     かえって満足していられる。
     閣下は、実にりっぱな方です。
     私などの遠く及ぶところではありません」

    それからステッセル将軍は、次のようなことを申し出ました。
    「私は、馬がすきで、
     旅順に四頭の馬を飼っています。
     今日乗ってまいりました馬も、その中の一頭で、
     すぐれたアラビア馬です。
     ついては、今日の記念に、
     閣下にさしあげたいと思います。
     お受けくだされば光栄に存じます」

    乃木将軍が答えました。
    「閣下の御厚意を感謝いたします。
     ただ、軍馬も武器の一つですから、
     私がすぐいただくわけにはいきません。
     一応軍で受け取って、
     その上、正式の手続きをしてから
     いただきましょう」

    「閣下は、私から物をお受けになるのが、
     おいやなのでしょうか。
     それとも、馬がおきらいなのでしょうか」

    「いやいや、決してそんなことはありません。
     私も、馬は大すきです。
     さきに日清戦争の時、乗っていた馬が弾でたおれ、
     大変かわいそうに思ったことがあります。
     今度も、やはり愛馬が弾で戦死しました。
     閣下から馬をいただけば、
     いつまでも愛養いたしたいと思います」

    「あ、そうですか。よくわかりました」

    「ときに、ロシア軍の戦死者の墓は、
     あちこちに散在しているようですが、
     あれはなるべく一箇所に集めて墓標を立て、
     わかることなら、
     将士の氏名や、生まれ故郷も書いておきたいと思いますが、
     それについて何か御希望はありませんか」

    「戦死者のことまで、深いお情をいただきまして、
     お礼のことばもありません。
     ただ、先ほども申しましたが、
     コンドラテンコ少将の墓は、
     どうか保存していただきたいと思います」

    「承知しました」

    やがて用意された昼食が運ばれました。
    戦陣料理のとぼしいものではあったが、みんなの談笑で食事はにぎわいました。

    食後、会見室から中庭へ出て、記念の写真を取りました。

    別れようとした時、ステッセル将軍は愛馬にまたがり、はや足をさせたり、かけ足をさせたりして見せましたが、中庭がせまいので、思うようには行きませんでした。
    やがて、両将軍は、堅く手をにぎって、なごりを惜しみながら別れを告げました。

    *******


    戦前戦中までの国語の授業では、単に漢字を学んだり、文中の「それ」が何を指すのかを指摘することを学ぶだけではなく、文全体を通して、そこから何を読み取るのか、どういうことを感じるのか。
    その感じたことを、どのように自分の言葉や文章で表現するのかといったことが大切にされていました。

    戦前戦中までの教育を受けた人たちは、よく、
    「数学や理科などの理系分野は答えがあるけれど、
     国語や国史などの文系は答えがない」
    とおっしゃられます。
    けれど戦後教育を受けた我々は、文系の国語も社会も、いずれもすべて答えが明確にある教科でした。

    文中の「それ」が指している言葉は、何文字まで指定が可能だし、漢字の筆順も決まったもの、社会科の年号も事件名も、明確な答えがありました。
    だから上のような言葉を聞いても、何を言っているのか、よくわからない。
    もしかすると作文のことかなあ。。。作文ならたしかに答えはないけれど・・・といった程度の認識であったのではないでしょうか。

    けれど戦前戦中までの国語や国史の授業は、本当に答えがなかったのです。
    答えを考える。
    たとえば「頼朝は鎌倉に幕府を作りましたが、どうして鎌倉だったのでしょうか」といった先生の問いに、明確な答えはありません。
    その答えを、生徒が自分たちで論理的に証拠立てながら、考え、見つける。

    国語も同じで、上の文章であれば、「どうして乃木将軍は敵の将軍ステッセルを、将軍として待遇したのでしょうか。サア、みんなで考えてみよう」
    というのが授業だったわけです。

    事実は、上に書かれている通りです。
    けれど「どうして」は書かれていません。
    だからその「どうして」を考える。
    そして乃木将軍の心を、我が心に刻む。
    文系の学問で、いちばん大切なことは、そこにあるのではないでしょうか。

    「アイデンティティ」というのは、よく「自己同一性」などと訳されますが、もっと端的にわかりやすく日本語に訳すなら「〜らしさ」であり、もっというなら「国民精神」です。
    要するに「日本人らしい国民精神を養う」。
    それが「アイデンティティ教育」です。

    大手の企業でも、一昔前までは社員教育プログラムが豊富で、それぞれの会社ごとに、その会社員らしさがありました。
    銀行なら、第一銀行、富士銀行、太陽神戸銀行、三井銀行、三菱銀行など、それぞれごとに、同じ銀行員なのに、持っている雰囲気や思考法などが、ぜんぜん違っていました。
    製造業でも、トヨタの社員の持つ雰囲気と、日産、ホンダ、スバル、三菱・・ぜんぜん雰囲気が違いました。
    それぞれの会社ごとに、その会社員らしさが育成されていたからです。

    企業ごとに「らしさ」が異なっていたのです。
    ということは、「らしさ」というのは、教育によって育まれるということです。
    しかも、社会人であっても、それを身につけることが可能なものだということです。

    令和日本では、企業というコミュニティが崩れ、もはや企業文化というものがあまり見込めない状況になっています。
    ところが人はひとりでは生きていくことができない。
    そこで、自然と、様々なコミュニティができあがり、人々は自分に合った、好きなコミュニティに所属する時代になっています。

    そして企業のように、お金を払ってくれるところではなく、逆に参加者側がお金を払って参加するコミュニティでは、そのコミュニティの維持のために、どうしても、そのコミュの根幹となる「らしさ」と「精神」が必要になります。
    そして日本人のコミュニティは、自然と、日本人らしさをその根幹に置くしかなくなるのです。
    なぜなら、そうしなければコミュニティを維持できない。

    そして日本人らしさという日本的アイデンティティにたどり着くことができたコミュニティは、かならず大いに発展します。
    なぜなら、日本文化自体が、そうしたコミュの円滑な運営に欠かすことができないものだからです。

    つまり・・・・
    日本は変わりつつあるし、変わらなければならない方向に向かっているし、日本的精神、日本人らしさ、日本的国民精神、日本的アイデンティティ・・・それらはいずれも、いま、そしてこれからものすごい勢いで国内に普及していくことになります。

    日本は変わるのです。

    【追記】
    旅順要塞戦跡地に行った時に、そこに掲示してあった碑文の写真を貼っておきます。
    みなさんは、この文章を読んで何をお感じになられるでしょうか。
    このような文章でC国政府は、どのような国民を育成しようとしているのでしょうか。
    そしてどのような国民が出来上がるのでしょうか。
    文中に「爾霊山」という文字が出てきます。乃木将軍の造語です。
    「爾」は、美しく咲いた花を意味し、また「ニ」つまり敵味方両軍を表します。
    「霊」は、御魂のことです。
    つまり勇敢に戦った両軍の御魂を美しく咲いて散っていった魂として、永遠に懸賞しようという意思が、この塔に込められているのです。

    20200712 旅順



    ※この記事は2013年3月の記事のリニューアルです。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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