• 日本を取り戻す三つの柱


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    第105回倭塾は、11月11日(土曜日)18時半開講です。場所はいつもと異なりタワーホール船堀・2F・蓬莱の間です。
    今回のテーマは「皇室尊崇と忠臣蔵」です。
    詳細は→ https://www.facebook.com/events/243661308711871
    みなさまのお越しをお待ち申し上げます。
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    日本を取り戻すために必要なことは、
    1 天皇を中心とした日本を知る社会教育を徹底する。
    2 教育を受けた真の日本人によって、かつての幕府同等の政治権力を持つ政府を実現する。
    3 政府に強大な軍事力と治安維持力を与える。
    の三点に尽きるのではないかと思います。

    京杭大運河(けいこうだいうんが)
    20211117 京杭大運河
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%9D%AD%E5%A4%A7%E9%81%8B%E6%B2%B3
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    日本に希望の火を灯す!

    「京杭大運河(けいこうだいうんが)」は、北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河です。築いたのは隋の二代目皇帝の煬帝(ようだい)です。

    煬帝は、西暦604年に皇帝に即位すると、その翌年(605年)にはこの大運河の建設に着手しています。
    完成は610年ですから、煬帝はなんとわずか6年でこの大運河の建設を実行したわけです。
    その意味では、チャイナの隋の土木工事の実行力は「すごい」の一語に尽きます。

    煬帝は、この運河建設のために、女子供まで含む100万人の民衆を強制的に動員し、使役したと伝えられます。
    短期間で、巨大な2500キロの大運河を掘ったのです。
    どれだけたいへんな労働を暴力で課したのか。

    作業員には、近隣の一般庶民が全員動員され、食事もろく与えず、昼夜を問わず死ぬまで、ただ働かせました。
    労働者は、骨と皮ばかりになっても、尻に肉がついていれば、まだ強制的に働かされたといいます。

    こうした強制徴用と強制労働は、世界中に例がありますが、基本的な内容は変わりません。
    工事に必ず付随する、作業員たちのための飯場の手配や、炊事や洗濯、宿場の手配に食料の調達、トイレの整備といった、いわゆる人を使うにあたっての基本的な手当はまったく行われない。
    作業員は、ただ働かされたし、ムチで打たれたし、それで死んだら、その屍体が生き残った作業員の食料になりました。

    隋の煬帝は、そもそもはこの運河を、産業振興と、迅速な軍の移動のためという目的で建設に着手しました。
    けれども百万の民衆を強制動員して、やっと運河が完成すると、煬帝は運河に遊覧船を浮かべて、派手な行楽を行いました。

    結果、煬帝は物見遊山のために民を動員して強制労働させたのだと誹(そし)られ、これが隋王朝打倒の大義名分となって、唐王朝が建国されることになりました。
    隋の煬帝は「運河」を造って、「運」を失くしたわけです。

    さらに、京杭大運河(けいこうだいうんが)は、7世紀における土木の巨大工事ですが、工事そのものに技術要素が、ほとんどありません。
    単に地面に大きな溝を掘って、そこに水を流したというだけのものでした。
    要するに、技術が必要な土手や堤防、あるいは健全な労務管理などが、まったく行われていないのです。

    よく「日本は遣隋使を派遣して、隋の高い文明文化を学ぼうとした」と仰られる方がおいでになります。
    そうした論は、一部正解、一部不正解です。

    まず、何事も100%ということは、なかなかあるものではありません。
    遣隋使や遣唐使は、もちろん学びのための派遣であったのですが、それは「隋や唐が高度な文明を持ち、日本が遅れた国であったから」ではありません。

    隋も唐も、中華を統一した強大な軍事国家です。
    そしてその魔の手は、周辺国に及んでいました。
    つまり、周辺国は隋や唐のターゲットとされていました。
    そしてチャイナ外交は、いつの時代も遠交近攻です。
    隣国を攻め滅ぼすために、その向こうにある国と手を結ぶ。

    その意味で、日本は「ひとつ向こうの国」ですから、隋や唐にとっては味方に付けたい国であったわけで、そういう状況のうちに、隋や唐の様子や仕組み、軍事力の規模、社会体制など、様々な点を、日本はしっかりと調査しておく必要があった・・・・と、これが遣唐使、遣隋使派遣の第一の目的です。

    他に、仏教や儒教、六韜【りくとう】などの様々な教えや、舞踊などを学ぶという目的もありましたが、それらは国家が行う遣隋使や遣唐使に付随的に行われたもので、もちろん乗組員はそれ自体を目的にする人もありましたが、遣隋使や遣唐使の派遣の目的自体がそこにあったわけではありません。

    そもそもこの時代、我が国は全国の国(出雲の国や伯耆国、山科の国等々)ごとに、それぞれ地域の豪族たちがいました。
    当時の我が国は、全国の豪族たちのゆるやかな集合体であり、それら豪族たちが中央の大和朝廷と縁戚となったり、災害支援といった事柄によって結ばれていたというのが実態です。

    この全国の地域ごとにある豪族たちの一族が住み管理するエリアのことを、我が国では「国」と呼びました。
    「国(國)」という漢字は、塀で囲まれた中にあって戈(ほこ)で守られた村を意味する会意文字ですが、
    大和言葉では
    「く」=引き寄せ
    「に」=圧力
    で、人々が寄り集まり、力によって統御されたエリアを意味します。
    つまり、近江国とか安芸国、出雲の国といった旧行政区分でいう諸国は、それぞれが見えない塀によって囲まれた「国」であったわけで、そうであればもともとは全国諸国はそれぞれが王国であり、豪族の長は王であったわけです。
    ですからそれら諸国を豪族ではなく「王」と呼べば、それはそれぞれ出雲王朝、関東王朝、伯耆王朝、越後王朝、関東王朝、奥羽王朝、熊襲王朝などといった呼び方になるわけで、言ってみれば当時の我が国は、全国の国ごとに存在した王国のゆるやかな集合体であったわけです。

    ところが大化の改新後、我が国は統一国家としての道を歩み始め、「王」という称号も御皇室のみで独占するようになった結果、全国の諸王が、今度は「豪族」と呼ばれるようになっていったわけです。
    現代用語では豪族といえば、地方に土着して富や勢力を持っている親分さんのような語感になっていますが、もともと豪族の「豪」の字は、大きな門があって高い建物と家が組み合わさった字(豪の字をよく見たらわかります)
    「族」は吹き流しの軍旗(ノー)の下で矢をつがえた人たち(矢)が並んでいる(方)字です。
    つまり豪族とは、地方にいて富や勢力を持ち武装している一族のことを意味する言葉です。

    一方、「王」は、支配者を意味する字で、もともとは支配の象徴として用いられたまさかりの象形です。
    チャイナの殷の時代、王が正義の制裁を下すときに用いられたのが、この王という字で象形されるまさかりですから、「王」という字には、正義の執行者といった意味があります。
    その正義の執行を全国の富裕層が勝手に行っていたら、そこに統一国家はできません。
    だから、我が国では天皇が神々とつながり、正義の執行は、その一族が行うとして、御皇族に「王」を名乗らせることにしたのです。
    極めて理屈に適った展開であったといえます。

    話を戻しますが、チャイナに強大な軍事帝国ができあがると、我が国も国防上、全国を統一した統一国家にしていかなければ、国を護ることができません。
    そのためには、中華統一を実現した隋や唐に、その国の制度や仕組みを学ぶことが一番、手っ取り早いと考えられたのは、きわめて自然な流れです。
    敵を知り、己を知ることが、勝利への道だからです。

    そうした状況下で我が国が遣隋使、遣唐使を派遣したという事実は、ですから単に遅れた国である日本が、進んだ国に学びに行ったということではありません。
    実際、日本は、その後にチャイナのシステムをただ模倣したわけではありません。

    真似る意味がないのです。
    むしろそこから「何を学ぶか」が大事です。
    隋の煬帝の京杭大運河の完成と、その後の隋の滅亡の事実は、
    1 皇帝と呼ばれる国家最高権力者を国の頂点にした場合、
      その皇帝の権力を抑えることが誰にもできなくなってしまうこと。
    2 権力が暴走したとき、誰もその暴走を押さえられず、
      このことが結果として国を滅ぼす原因となってしまうこと。
    の二点を明確に示してくれているといえます。

    そこで我が国が考案した方法が、国家最高の存在である天皇から、政治権力を取り上げる、という仕組みです。
    天皇が国家最高権威となり、国権の行使は、その下にある大臣がこれを担うのです。
    そうすることで、大臣の所業に間違いがあったときには、その責任を大臣自身にちゃんと追求できるようにすることができるからです。
    また、国家最高権威である天皇によって、国民を「おほみたから」とすることで、国家権力は自然と国民に奉仕するという役割になります。
    つまりチャイナ社会の頂点にある皇帝の役割を、大臣の役割に下げてしまったのが日本の仕組みとなったのです。

    隋や唐の周辺国にあたる国は数ありますが、隋や唐の失敗から、自国の統治スタイルを「民をこそおほみたからとする」というシラス統治にまで発展させることができた国は、日本だけです。
    そしてこの統治システムが素晴らしかったことは、日本がそのまま千年以上にわたって、ひとつの国家で有り続けているという事実が見事に証明しています。

    そこでAIのChatGPTに、以下の質問をしてみました。
    【質問】
    国家の最高権力の上位に、国家最高権威を置き、その国家最高権威によって国民を宝と規程した場合、それは国家最高の存在が国家最高権力者である場合とどのような違いを生みますか?

    【ChatGPTによる回答】
    国家の最高権力の上位に国家最高権威を配置し、その国家最高権威が国民を宝と規定する場合、これは通常、国家の組織構造や政治体制において、国家最高の存在が国家最高権力者でない場合という違いを示しています。以下にその主な違いを説明します。

    1 権力の分散度
    国家最高の存在が国家最高権力者である場合、その人物または機関が最終的な権力を持ち、法律や政策の最終的な決定を下します。権力は集中しており、一つの個人または機関が絶対的な権限を持っています。
    一方、国家最高権威が国民を宝と規定する場合、権力は分散されており、最高権威は国民に対する象徴的な役割を果たすか、文化的・象徴的な価値観を表現することが多いです。最終的な政策決定や実行権限は、通常、他の政府機関や権力機関によって行われます。

    2 政府の形態
    国家最高の存在が国家最高権力者である場合、政府の形態は通常、単一または集中的な権威を持つ独裁的な体制や君主制であることがあります。
    国家最高権威が象徴的な存在である場合、政府は通常、より分散された権力構造を持つ共和国または立憲君主国などの形態を取ることがあります。政府は法の支配に従い、権力が均衡されています。

    3 政策決定プロセス
    国家最高権力者が政策決定の中心である場合、政策の策定や実施は通常、その権力者の指示に従って行われます。
    国家最高権威が象徴的な存在である場合、政策決定はより民主的なプロセスに基づいて行われ、複数の利害関係者が参加し、国民の意見や代表者の意志が重要な要素となります。

    これらの違いにより、国家最高権力者と国家最高権威の存在は、政府の性質や政治体制、国家の価値観に大きな影響を与えます。どちらが採用されるかは、各国の歴史、文化、法制度に依存します。

    そこで続けて質問してみました。
    【質問】国民にとってメリットがあるのはどちらですか?

    【ChatGPTによる回答】
    国民にとって、国家最高権力者と国家最高権威のどちらがメリットがあるかは、具体的な状況や政府の実際の運営に依存します。以下は、各アプローチのメリットと考慮すべき要因です。

    ◯国家最高権力者(独裁または君主制)のメリット
    迅速な決定: 単一の権力者が最終的な決定を下すため、政策決定プロセスが迅速に進行することがあります。
    安定性:   強力な中央権力は国内の政治的不安定要因を抑制できる場合があります。
    統一性:   単一の権力者による政策決定は、統一的な国家政策の実施を容易にすることがあります。

    ◯国家最高権威(象徴的な存在)のメリット:
    権力の分散: 権力の分散により、権力の乱用や権威主義の危険性が低減し、民主的な価値観を促進することができます。
    代議制:   複数の政府機関が政策決定に参加するため、政策は多くの利害関係者の意見を反映しやすくなり、代議制が強調されます。
    透明性:   権力の分散と代議制は、政府の透明性と責任を高める助けになることがあります。

    どちらがメリットがあるかは、具体的な国や状況に依存し、どのようにそれが実施されるかにも影響を与えます。民主的な制度は市民の権利と自由を保護し、政府の責任を確保する面で多くのメリットがありますが、適切な監督とバランスが必要です。独裁的な制度は速い決定を下すことができる反面、権威主義や人権侵害の危険性が高まります。したがって、政府形態は各国の歴史、文化、価値観に合ったものであるべきで、民主的な原則を守る枠組みが重要です。

    ***

    昔から語られていることですが、簡単に言えば
    1 独裁制は意思決定が速いが人権は侵害される。
    2 象徴性は国民の権利と自由が保護されるが、意思決定が遅い。
    ということです。

    西欧諸国の場合、国家間で戦争が続いてばかりいましたから、兎にも角にも意思決定の速度が第一となり、結果として君主独裁性が定着しました。
    君主制に代わって選挙で選ばれる大統領制が誕生しても、その基本は変わりません。

    しかしここへきて、イスラエルとハマスの戦争に「NO」を叩きつける人が世界中にあふれるようになりました。
    結局のところ、戦争は一部の富裕層の利益のためにだけ行われているにすぎない。
    なにしろ、戦争にはものすごくお金がかかるし、お金が動く。
    そのお金を誰が手に入れているのか(つまりフォロー・ザ・マネー)すれば、戦争がなぜ行われているのかがわかる。
    一部の人たちの利益のために、多くの人命が犠牲になるのは、おかしいではないか、という議論が世界的に活発になってきているのです。

    国家の統治システムについて、君主制(大統領性を含む)と象徴性のどちらが適切かは、それぞれの民族や国の歴史、文化、価値観、政治的状況などによって決定されます。
    他国の侵略に対して迅速な軍事的対抗を前提とするなら、君主制が有効です。
    けれど、そもそも平和な社会を望むなら、象徴性によって国民そのものを「宝」とする象徴性が有効です。

    その意味で、日本が象徴性を採り入れながら、国を保持することができたのは、日本が海に囲まれた国であったことが、ひとつの重要な要素であったということができます。
    同時に、象徴性を採りながらも、幕府という独裁的でかつ強大な軍事機能を象徴の下に置いたということが、実は日本の平和な社会の実現に大きく寄与してきたことは、軍事力の弱かった足利幕府以後に、群雄割拠の戦国時代に入ってしまったこと、それを終わらせたのが、信長という強力な軍事機能によるものであったことなどから、私たちは学ぶことができます。

    戦後の日本は、象徴性を残しながら、軍事や治安機能を他国に委ねるという仕組みを採ってきました。
    このため、国民の権利と自由の保護ばかりが強調され、迅速な政策決定ができなくなり、政治的不安定の状況が続き、統一的な国家意思を持つことが阻害されるという状況を招いています。

    さらに教育において、我が国がある意味世界に誇る象徴性を保持することで世界で最も歴史の古い国となってきた事実が教えられていません。

    つまり、日本を取り戻すために必要なことは、
    1 天皇を中心とした日本を知る社会教育を徹底する。
    2 教育を受けた真の日本人によって、かつての幕府同等の政治権力を持つ政府を実現する。
    3 政府に強大な軍事力と治安維持力を与える。
    の三点に尽きるのではないかと思います。


    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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