• 日本が壊れない本当の理由


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    日本は先の大戦で敗れました。
    しかし日本は、いまも日本です。
    それはなぜでしょうか。


    昭和30年代の日本
    20180114 昭和30年代
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    明治の頃、宮城県大崎市に、鎌田三之助という衆議院議員がいました。
    その三之助がメキシコに視察にでかけているとき品井沼の排水工事をめぐって、工事推進派と中止派がそれぞれ対立して、住民を二分してしまうという、たいへんな騒動が起こりました。
    三之助が急遽帰国して現地に向かうと、品井沼の排水工事は、三之助が一年前にメキシコに向けて出発したときからまったく進んでいません。
    三之助がいなくなったあとに、それぞれの村の意見が対立してしまったのです。

    品井沼の干拓工事について、そもそも工事自体が不要と言い出す者、干拓そのものが不可能だと言い出す者、決まったことだからやろうという者、それぞれ目先の利害で対立してしまっていて、どうにもならないのです。
    宮城県の亀井県知事が仲裁に出張って調整にあたっても「聞く耳持たず」で、まったく問題が解決しない。

    三之助は帰郷するとすぐに村に向かいました。
    そもそも品井沼は、四方を山に囲まれていて、排水ができません。
    そこに水の出口となる排水路を築けば、広大な沼が1000ヘクタールの水田に生まれ変わるだけでなく、周囲800ヘクタールの土地を水害から守ることができます。

    けれどそのためには、岩盤でできた急な斜面に穴をうがって、トンネルにし、そこからさらに水路を伸ばしていかなければなりません。
    いずれも山中での工事です。
    たいへんな難工事です。
    工事が完成すれば、そこに住む人々の暮らしは、まちがいなく豊かになります。
    だから三之助は、私財を使い果たしてでも村を水害から守ろうと、この計画を推進していたのです。

    村に向かった三之助は、反対派の人々の家を一件一件訪問しました。
    そしてひとりひとりを粘り強く説得しました。
    こうして村の意見がひとつになり、反対派の人々も納得して、みんなが一致団結して工事を行うことになりました。

    品井沼の干拓のために力をつくした三之助は、明治四十二(1909)年、村人たちの強い願いで鹿島台村の村長になりました。
    元国会議員が村の村長です。見栄っ張りな人にできることではありません。

    けれど三之助にとっては、見栄など、愚の骨頂でした。
    三之介にとってたいせつなことは、村の人々が、いまよりもすこしでも豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくことです。
    そのための政治なのです。

    なぜ三之助はそこまでしたのでしょう。

    それには理由があります。
    日本人だからです。
    それでわからなければ、日本では、民こそが国家最高権威である天皇の「おほみたから」だからだと申し上げます。
    天皇は神々の直系のご子孫であり、中つ国である地上社会を代表して神々とつながるお役目です。
    民衆は、その天皇のたからものです。
    政治は、天皇の下にあります。
    つまり政治家が行うべきことは、天皇のたかものである民衆が、より豊かに安全に安心して暮らせる社会を築くことです。
    これを古い言葉で「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。

    だから政治は、「おほみたから」のために、自分にできる最大限の仕事をする。
    それが日本における「忠義」だからです。
    「忠」と書いて、大和言葉では「まめなるこころ」と読み下します。
    「義」と書いて、大和言葉では「ことはり」です。
    義は、羊に我と書きますが、大昔は羊は神々への捧げ物です。
    たいせつなもののために、我が身を捧げるのが「義」です。
    その字に、大和言葉の「ことはり」を当てています。
    「ことはり」というのは、条理・道理のことです。
    条理・道理のために、打算や損得抜きの「まめなる心」で「我が身を捧げる」のが、日本的「忠義」です。
    そしてそれこそが武士の道、武士道です。

    これは、儒教における「忠・義」、言い換えればChinaやKoreaにおける「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なるものです。
    彼らの文化における「忠」や「義」は、上司上長のために命を捧げることです。
    上長が嘘やデタラメをしていても、それをかばいだてするのが、彼らにとっての忠義です。
    これは我々日本人の感覚では、受け入れ難いものです。

    要するに忠義を尽くすべき相手が違うのです。
    日本では「民衆のために」忠義を尽くします。
    近隣国では「上役のために」忠義を尽くします。
    これは文化の違いです。

    日本におけるご政道は、民衆が豊かに安心して安全に生きることができるようにしていくことです。
    だから鎌田三之介は、そのために全力を傾け、忠義を貫いたのです。
    それが日本における政治家、つまり皇臣民のなかの臣としての生き様です。

    大東亜の戦いで散っていった英霊たちも同じです。
    彼らは祖国の自由と独立自存のために戦い、かつまた植民地政策による支配と隷属の関係に置かれた東亜の諸民族のために戦いました。
    世界中、どこかの国や地域を征服したら、その国の民を先兵にして敵と戦わせるのが常識であった時代に、彼らは、むしろ現地の人々を激戦地から避難させ、より厳しい戦場へと出向いて行きました。

    同じく散っていかれた英霊のなかに、戦地で散華された多数の女性看護婦たちもいます。
    彼女たちは、傷病兵のためにと、戦況厳しい前線へと出向き、そこで多く命が失われました。
    なぜ彼女たちはそこまでしたのか。
    彼女たちもまた、民衆こそ「おほみたから」とする日本に生まれ育ち、日本人として生きたからです。

    自分に火の粉がかからない安全な場所と時代にいて、厳しいという言葉では言い尽くせないたいへんな戦場にいて、少しでも誰かの役に立とうと戦い、散っていかれた英霊たちです。
    これを貶めるような発言をする者は、およそ人の心を失った人非人です。

    悪口を言うのは、個人主義の世の中では、なるほどそれは個人の勝手かもしれません。
    しかしひとついえることは、お互いに非難や中傷をあびせあうだけでは、この世は決して良くならないということです。

    私たちは、大人も子も、右も左も、みんなが「おほみたから」であるのだという自覚と誇りを取り戻さなければならないと思います。
    なぜならそれこそが「神々の御意思」だからです。

    日本は先の大戦で敗れました。
    しかし日本は、いまも日本でいます。
    いろいろ失ったものはあります。
    けれど、多くの日本人の心に、世界の諸国の国々にはない、思いやりの心ややさしさが遺っています。

    戦後の日本は壊れたといいます。
    けれど日本は、いまでも世界の大国の一角です。
    東京に至っては、世界の都市別のGDPランキングで、なんと世界一です。
    ロシアが大国と思っている人もいるようですが、2013年でいえば、ロシアのGDPは2兆626億ドルで、日本(4兆4097億ドル)の半分以下です。

    日本が見事に復活した理由もまた、日本が「民こそをおほみたから」とするシラス国だからです。
    国土が焦土となったとき、政治では◯◯闘争と呼ばれる対立や紛争が次々と起こりました。
    けれど多くの民衆は、そんな「政治遊び」などに付き合っているヒマはないと、仕事の席では政治の話は御法度にして、みんなで力を合わせて町を復興させ、企業の業績を伸ばしていったのです。
    皇民教育を受けていない戦後世代が社会の中核を担うようになって30年。
    相変わらず政治闘争は激しく行われていますが、日本の成長は停まったままになっています。

    世界中、どこの国のどの民族であっても、誰もが人生において「愛と喜びと幸せと美しさ」を求めます。
    けれど、そのために必要なことは、庶民がたいせつにされていることです。

    それなら「民主主義」があるではないかという人もいることでしょう。
    けれど「◯◯主義」という言葉は、いつの世においても「ないものねだり」です。

    米国は自由と民主を求めて建国された国です。
    これが米国民の基本理念です。
    けれど現実は、1%の人たちが全米のGDPの50%を所得にしています。
    政治もまた、ごく一部の大金持ちの利権のために動きます。
    そのどこが民主主義といえるのか。

    日本には、もともと「◯◯主義」という言葉はありません。
    代わってあるのが「民衆こそがおほみたから」という概念であり、それが日本建国の理念です。
    結果として日本では、一般の庶民が、人としての愛と喜びと幸せと美しさを普通に求めて生きることができます。
    このことははるか万葉の世界においても明らかといえます。

    「そんなことはない。日本には様々な問題がある」という方もいるかもしれません。
    しかし問題があるということは、問題を自覚できる感覚があるということです。
    そして自覚ができることならば、それは改善し、乗り越えれば良いだけのことです。
    それは神々が我々に与えてくれた改善のチャンスです。

    チャンスは、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。
    それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。

    人類が「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める限り、
    日本は永遠に不滅です。

    お読みいただき、ありがとうございました。

    ※この記事は2018年1月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

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  • 光陰矢の如しと言いますが・・・時間の概念の不思議


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    王朝が交替するたびに、すべてが徹底的に破壊されて、またいちからやりなおすことを余儀なくされてきた国と、万年の単位で文明文化を積み上げてきた国とでは、その思考の深さに違いがあるのが、むしろあたりまえです。
    私達の祖先が、知恵の限りを尽くして後世に残してくれた日本の古代の知恵を、私達はもっと大切なものとして考えるべきなのではないでしょうか。


    20200131 タイムパラドックス
    画像出所=https://www.feelguide.com/2015/01/21/experts-baffled-source-one-mans-ongoing-8-year-groundhog-day-deja-vu-time-loop/
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    早いもので、ついこのあいだ新年が明けたと思ったら、もう1月の最終日です。
    年をとると年々月日の経つのが早くなるといいますが、そういえば10歳の子供にとっての1年は人生の10分の1だけれど、60歳なら60分の1,70歳なら70分の1です。
    日月の経つのが早くなるわけです。

    物理的には同じ時間なのに、感覚的な歳月の経過が長く感じられたり短く感じられたりするのは、科学的には身体の代謝(たいしゃ)の影響だと言われています。
    代謝が良い状態で感じる歳月は長く、
    歳を重ねて代謝が落ちた状態で感じる歳月は、身体の歳月を測る活動も落ちているために短く感じるのだそうです。

    もっとも昨今の年齢は、長寿化の影響もあって、ひと昔前の実年齢の6掛けともいわれます。
    これは現代人の代謝がひと昔前の人々よりも良くなっているためで、
    ですから、いま60歳の人は(年齢×6割)ですから、ひと昔前の36歳。
    いま70歳のひとは、ひと昔前の42歳くらいと同じ体力、外見であるというわけです。

    同様に、いま40歳の方なら、昔の24歳くらい。
    20歳の方なら、12歳!!
    まあ、12歳はともかくとして、実年齢の6掛けというのは、なんだか当たっているような気もします。

    しかしそうは言っても、逆に、楽しく過ごしている時間は代謝が良いはずなのに短く感じ、退屈な時間は代謝も落ちているはずなのに、やたらに長く感じたりもします。
    そうなると、果たして時間というものは、本当に物理的に一定の速度でしか進まないものなのだろうか、などという疑問もわいてきます。

    古事記では、たとえば神武天皇が皇位に就かれてから崩御するまで137歳であったと記述しています。
    皇位に就かれたのが40歳代の半ばをすぎてからですから、それから137歳というと、寿命が180年ほどもあったことになります。
    「それはないだろう」ということになって、このことが記紀の信頼性を疑わせるひとつの根拠にされていたりします。

    けれど「歳」という字は、漢字の成り立ちから、昔は「月(=month)」を意味したので、これはおよそ11年ということですと、拙著には書かせていただいたのですが、仮にもし、この世が光に向かって進んでいるとするならば、実は本当に物理的時間の137年間の御在位だったのかもしれないのです。

    これが日本書紀になるともっと極端で、神武天皇が東征のために宮崎を出発された歳は、ニニギノミコトが天孫降臨されてから、179万2470歳と書いてあります。
    179万年前なら、まだ人類誕生以前です。
    けれど第一に「歳」は月(month)のことであるとするならば、整数なら15万年前、指数なら380年前です。

    どういうことかというと、光速で進む宇宙船と、地球上の時間の違いです。
    時間は光速に近づくほどゆっくりになるから、光速に近い速度で旅行する宇宙船内にいる人は、その分、年齢の進み方がゆっくりになるという理論上の話です。
    このため、光速に近い速度で進む宇宙船で10年を過ごしてきた人が地球に帰ると、地球上では100年、あるいは千年が経っていた・・・などとSF映画などでよくテーマにされます。

    これは特殊相対性理論で、光の速度は一定ですので、光に近づくほど、時間の進み具合が遅くなります。
    理論上は、光速と同じ速度で宇宙船が飛ぶと、船内時間はゼロになります。つまり時間が静止(または時間を超越)します。
    ところが地球上では時間はそのまま進んでいますから、地球上で何億年経とうが、宇宙船内の時間は静止したままになるというわけです。

    昔の人が神々のことを「光の存在」と考えていたとするならば、なるほど神々の世界での時間は静止するのです。
    ですから何千年(もしかしたら何万年)前に、人として実在されていた神様であっても、神様となって光の世界《神界》に行かれると、そこは時間の経過のない世界です。
    だから何千年も前の神様が、いまでも神社においでになります。
    何千年後の未来にもおいでになります。
    これは神々の世界と、我々の世界とでは、時間の進み方が違うということを前提としなければ説明できないことです。

    そうであるとするならば、神界に近づくほど時間の経過はゆっくりになるわけですから、これは放物線を描く指数のようなものです。
    そして大昔が、地上界と神々の世界がとても近かった(これも日本書紀に書かれています)のなら、昔に行くほど、時間の経過がゆっくりになります。光に近いからです。

    実際、日本書紀は、その冒頭で、
    「清浄な光の世界が固まって神々の世界になった」
    と書いています。
    このことは裏を返せば、神々の世界は清浄な光の世界であるということです。

    そうであるなら、神々の世界の時間は静止(または時間を超越)していることになります。
    そして古い時代は神々の世界に近かったということは、古い時代ほど、時間の速度がゆっくりであったということです。
    まとめると次のようになります。

    《光の速さは一定である》・・・・・特殊相対性理論
    《神々の世界は光の世界である》・・古事記、日本書紀

     神々の世界(高天原)=時間は静止(または超越)
     神々に近かった時代 =時間の進む速度が現代よりもゆっくり
     現代        =時間は定刻で進む

    すると現代の我々の世界における時間軸を基準に考えたら、地上に降臨された瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の時代に近づくほど時間の進み具合がゆっくりになります。
    高天原まで行ってしまうと、ついに時間が静止します。

    つまりニニギノミコトから神武天皇出発までの期間が179万歳(およそ15万年)という記述も、我々の世界のいまの時間に置き換えればそうなるということであって、それが対数年なら380年(あるいはもっと短い期間)にしかならないということになります。

    幼い頃は時間の進み具合がゆっくりなのに、歳を重ねるに従って、だんだん体感時間が短くなり、1年があっという間に過ぎ去ってしまうという経験は、誰もが感じることです。
    そしてもしかすると、時間は本当にそのような形をしているのかもしれない。
    そうであれば、我々のご先祖が過ごした時間と、いま我々が過ごしている時間は、同じ50年でも、その長さが全然違うということになります。
    いやむしろ、そのように考えたほうが、時間の概念はより正確なものといえるのかもしれません。

    要するに記紀は、アインシュタインの特殊相対性理論がまだなかった時代に、特殊相対性理論と同じ考え方を、記紀は示しているということになります。

    そういえば、現代物理学の最先端といわれる「超ひも理論」も、我が国では、神話において「高御産巣日(結びの)神、神産巣日(結びの)神」と表現しています。
    ひもだから結べるわけです。
    表現の仕方が違っているだけで、両者は同じことを述べています。

    日本人の歴史は、磨製石器の時代にまでさかのぼれば、4万年前にさかのぼります。
    そして現代に至るまで、天変地異や疫病の流行によって多くの人命が失われることはあっても、戦争によって人々を皆殺しにして、文明文化をまた0から始めるという出来事が一度もなかった歴史を持ちます。
    つまり祖代から知識や経験や思索を積み上げてきたという、稀有な歴史を持つのが日本です。

    王朝が交替するたびに、すべてが徹底的に破壊されて、またいちからやりなおすことを余儀なくされてきた国と、万年の単位で文明文化を積み上げてきた国とでは、その思考の深さに違いがあるのが、むしろ当然です。

    私達の祖先が、知恵の限りを尽くして後世に残してくれた日本の古代の知恵を、私達はもっと大切なものとして考えるべきと思います。

    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 身分を返上した武士や貴族


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    現代の常識を、あらためて日本の歴史から眺めてみると、様々な気付きが生まれます。


    20240129 京都冬景色



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    革命が成功したときというのは、その革命を成功させた人たちが以後の政治の中心、つまり権力者になります。
    これは世界中どこでも、歴史的にも、全部そうです。
    ところが我が国にはこの歴史があてはまりません。
    明治維新の際に、維新の立役者となった藩主も武士も、維新成功後に進んで身分を返上しています。
    さらに
    「四民平等」を実現し、
    「版籍奉還、廃藩置県」まで行っています。

    当時の官軍側の諸藩で、維新後に内閣総理大臣になったお殿様は、平成5年に内閣総理大臣となった第79代細川護煕氏しかいません。他に誰も居ません。

    明治維新後に身分を失ったのは、武家だけではありません。
    かつての摂関家を含む公家も身分を失っています。
    公家出身の明治の元勲といえば岩倉具視が有名ですが、なるほど彼が養子入りした先の岩倉家は正三位の大納言の家柄ですが、実父の堀川家は中納言格です。
    摂関家を今でいう閣僚級とすると、その下の大納言・中納言は省庁の次官クラスにあたります。
    また、岩倉具視は若い頃は「岩吉」と呼ばれる京の都のガキ大将でしたが、公家時代の収入は100俵取りです。
    つまり、お蔵米を支給される役職でした。

    ここは注目すべきことです。
    当時の公家や武士たちの給料支給には二通りがあって、ひとつが「石取り」、もうひとつが「蔵米取り」です。
    「石取り」というのは、所領をいただき、その領内のお米の出来高を「石」で表したものです。
    たとえば500石取りなら、米500俵を算出できる村などの地域(所領や知行地など)を与えられているわけです。
    よく1万石の大名などという場合も、理屈は同じです。

    年貢の割合が、四公六民なら、1000石✕4割=400石がその武家(貴族も同じ)の取り分でした。
    けれども、武家の取り分が400石あったからといって、武家はそれを全部消費できるわけではありません。
    で、村人たちが凶作時に餓えないように、また、道路や水路、水害対策の普請、火災時のお蔵米の放出など、その地域の人々の生命財産安全について、その石高を用いて全責任を負っていたのです。

    これは天然の災害が多発する日本で、いわば自然発生的に生まれた、日本だけのシステムといえます。
    世界では、税は、ただ取られるだけですが、日本では古代から江戸の昔まで、いざというときに備えて、お米を社会全体で備蓄したのです。
    ですから、農家にしてみれば、収める税(年貢)は、いわば災害保険のようなもので、いざ災害が起きれば、自分たちが納めた何倍もの食料が返ってくるのです。
    このため戦前戦中まで、我が国では納税期間中に滞納する人が、日本中探してもどこにもいなかったといわれています。
    世界の常識が、税理士などを使って、お金持ちが極力納税を忌避しようとするのに対し、日本では誰もがいざというときに備えて、キチンと納税していたのです。

    さらに加えて、税を取る武士の側は、石高に応じて、家人や郎党の数、屋敷の門構え、馬の数などが細かく定められていました。
    もちろんそれに応じて支払いも発生します。

    1俵がおおむね1両に相当しました。
    1両はだいたいいまのお米の代金で換算すると3万円くらいですが、貨幣価値でいうと、いまの6万円くらいに相当します。
    その1俵のお米を算出できる田んぼの面積が、昔の言い方ですと1反です。
    1反は、だいたい30メートル四方で、その面積での収穫高が大人が1年に食べる量とされていましたから、これが1俵。
    石高なら、1石になるわけです。

    ですからいまのお金に換算していうと、千石取りの武士の場合、30キロ四方の地域を所領とし、そこから2400万円くらいの税収を得ていますが、そこから指定された被雇用者の給料を払い、また参勤交代を行い、さらに蓄財を行って、領内で何か問題が発生したら、その対処をしたり、あるいは問題が発生しないように道路や水路、堤防の管理などを行っていたわけです。
    決して威張っているだけで良いような楽な生活ではないことがお分かりいただけるかと思います。

    また、たとえ千石取りの武家であっても(千石取りといえば大身の武士ですが)、その収入で所領の面倒を万が一の事も含めて全部面倒を見るのは、不可能です。
    ですからそのために、大名家の一員となって、いわば団体保険をかけるようにして、万一の対策としたのです。

    こうした所領についての考え方は、我が国が天皇を頂点として、その天皇が民を「おほみたから」としているという発想から生まれています。
    武士にせよ貴族にせよ、名前こそ所領であっても、それは天子様(天皇のこと)の「おほみたから」であり、その「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくために、所領を与えられているということが基本認識としてあるからです。
    すべてが自分のものであり、領民が私有民という考え方なら、収奪だけしていれば良いことにしかなりません。

    また、税が四公六民というと、給料の4割を税金で持っていかれるといったイメージとなり、ものすごい重税のようなイメージになってしまうのですが、これもまた田んぼの収穫高を低めに見積もり、また江戸時代初期の田のみをベースにした取り分で、その後に開発された新田の面積の方が圧倒的に広かったことなどから、実際の出来高換算では、1公9民程度の年貢米となっていました。

    当時は大地主制で、地主である庄屋さんなどが村の事実上の管理を行っていましたが、農家そのものが豊かであることによって、村内の様々な出来事に関しては、概ね村内で処理できる体制にもなっていたわけです。
    もっともそうでもしなければ、武士にせよ貴族にせよ、所領地に常駐しているわけでなく、参勤交代で江戸詰になったり、城中の勤務のために地元への訪問などは、年に1度できれば良い方でもあったわけですから、十分に目が行き届かないし、さりとて、所領内で一揆の横暴な打ち壊しでもあれば、領主である武士が責任をとらされて腹を斬らなければならないわけです。
    武士もたいへんだったのです。

    これに対し「蔵米取り」というのは、所領を持たず、ただ上役である大名や貴族から、お蔵米を現物支給される人たちで、幕府でいえば御家人のような下級武士、貴族であれば、宮中に務める下級貴族の給料が、それにあたります。

    岩倉具視の100俵取りというのは、これは石高でいうと250石取りに相当しますが、所領を持たず、お蔵米を現物支給されているわけですから、所領(知行地)に対する責任を持ちません。
    江戸時代までの日本では、責任と権力は常に一体とされていましたから、責任を持たない者は、それだけ軽輩ということになります。
    岩倉具視の岩倉家が大納言格でありながら、岩倉具視自身が「下級貴族」と呼ばれるのは、彼の家が「蔵米取り」という責任負担のない家柄であったことによります。

    明治維新は、こうした古くからの伝統的な石高制そのものを打ち破り、給料の支払いを米から現金に変え、所領についての責任制度を廃止した、たいへんな改革であったわけです。
    しかしそれだけの改革を実現するということになれば、世界の標準では、ものすごい数の民間分野での死者が出るのが普通です。

    明治維新における戊辰戦争の死者は、幕府側の8,625名、新政府側3,588名、合計で13,562名です。
    黒船がやってきた当時の日本の人口は3,124万人でから、これは人口のわずか0.04%にしかあたりません。

    ところがChinaでは、易姓革命の都度、毎度、国の人口の8割が失われています。
    ロシア革命が6割です。
    帝政ロシアの人口はおよそ1億といわれていますが、ロシア革命による死者は、なんと6600万人です。
    フランス革命は、人的損害という意味においては、成功した革命といわれていますが、それでも当時のフランスの人口は2千万人、革命による死亡者数はおよそ490万人、人口の24.5%が犠牲になりました。

    明治維新は、単に自国内での争いというだけでなく、そこに欧米列強、つまり外国が介入した内戦が起きています。
    それでいて明治維新がわずかな犠牲で済んだということは、実は世界史ではありえないことなのです。

    ところが日本人の感覚からすると、戊辰戦争はきわめて大きな内乱です。
    この感覚の違いは、実は、我々日本人にとって戊辰戦争は「政変」に過ぎず、「政変」でありながらこれだけの死者が出たからこそ、たいへんな争いという感覚に包まれるのです。

    もし明治維新が、ロシア革命のような「革命」であったのなら、我が国の当時の人口は、約3千万人が、1千万人にまで減少したかもしれない。
    大人も子供も老人も女性も含めて、3人に2人が死亡です。
    それがどれだけ恐ろしいことか。
    その意味では「革命」などというものは、そんなに簡単に待ち望んだりしては、絶対にいけないものであると思います。

    左系の人は、いまも共産主義革命を望み、ゲバラを尊敬しているそうですが、ゲバラの行ったキューバ革命による死者は約22万人です。
    しかもそのうちの約8割が一般市民です。
    民衆のための革命といいながら、なぜ大量の民衆の命が犠牲になるのか。
    普通の常識に従えば、彼は偉大な革命家ではなく、ただの殺人鬼です。

    ではどうして日本は、民衆の犠牲を伴わずに大規模な改革が可能だったのでしょうか。
    その最大の答えは、我が国における改革が、常に「政権交代」の枠組みの中にあったという点です。
    つまりロシア革命やキューバ革命、フランス革命、あるいはChinaの易姓革命のような、国の形が変わる革命を、我が国はしなくて済んできたのです。
    それができたのは、我が国に天皇がおいでになったからです。

    日本の国の形は、はっきり申し上げれば「君主国」です。
    頂点におわすのは、もちろん天皇です。
    戊辰戦争においても、佐賀の乱でも、西南戦争でも、天皇の「おほみたから」という概念が根底において崩れていない戦いであったから、民衆の犠牲者はほぼ皆無に近く、どこまでも責任を持つ武士たちの戦いの枠組みを外れることがなかったのです。

    これは、我が国の天皇が古来政治権力を持たず、政治権力よりも上位の存在として民衆を「おほみたから」としてきたからこそ実現できたことです。
    なぜなら、政治を担う者は、常に「天皇のおほみたからを支える立場」にあたるからです。
    これによって民衆は権力者の私有民、奴隷、被支配民とならずに済んできたし、政治の枠組みの大改編に際しても、民衆の血を求めずに済んできたのです。

    これがわかると、天皇の存在を否定する人たちというものが、どのような思考に基づいている人たちなのかがはっきりと見えてきます。
    それは「自分が世間の、あるいは社会の支配者になりたいというきわめて幼稚な思考しか持たない人たち」です。
    なぜなら、「国家最高の存在は権力者でなければならない」という概念しか持っていないからです。
    要するに外国かぶれです。

    明治維新にせよ、大日本帝国憲法にせよ、欧米列強という侵略者たちに立ち向かうために積極的に彼らの文化や軍事を採り入れざるを得なかったという時代背景のもとに生まれたものに過ぎません。
    しかしその目的はなにかといえば、我が国の万年単位で続く、平和な国柄を、民をこそ「おほみたから」とする国柄を護るために行われたものです。

    従って、明治以降に生まれたものが、必ずしも正しいものではないことになります。
    なぜなら、欧米で生まれた大航海時代以降の西洋文明は、支配と隷属、一部の者の利益のみを重視する文明にほかならないからです。
    彼らは、キリスト教を信仰しますが、キリスト教の教えは、民を子羊として慈しむものであると聞きます。
    そうであれば、なぜ、その民が犠牲になり続ける政治体制がいまも続くのでしょうか。

    現代の常識を、あらためて日本の歴史から眺めてみる必要の理由が、ここにあります。

    お読みいただき、ありがとうございました。


    ※この記事は2018年1月のねずブロ記事のリニューアルです。
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  • コンゴに学ぶ


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    グローバリズムを考えるとき、かつて、人間の手首が通貨として流通した国のことを思い出す必要があります。その歴史をたどると、自立自存とががどれだけ大切なことなのか、はっきりと見えてきます。


    コンゴ民主共和国
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    中東からアフリカ一帯の諸国は、あまり日本人にはなじみがないところかもしれません。
    けれど、これまでヨーロッパ諸国がそれら地域に介入し、現地でどのようなことがあったのか。
    それを知る意味で、1996以降のわずか19年で、600万人が亡くなったコンゴは、そのひとつの典型といえるところかもしれません。

    「ザイール」という国名を聞いたことがある方も多いかと思います。
    昭和46(1971)年にルワンダの支援を受けたコンゴの反政府勢力が打ち立てた国で、その後も内乱と戦闘が相次ぎ、平成9(1997)年5月に、再び国名が「コンゴ」になりました。

    コンゴは実は、15世紀の終わり頃まで、この国はコンゴ王国として、王制のもとに各部族が統一され、近隣諸国とさかんな交易も行われる、平和でたいへんに栄えた国だったのです。
    それがなぜ、いまだに内乱の中にあるのか。
    実はそこに植民地支配の恐ろしさがあります。

     ***

    はじめにコンゴに、西洋人たちやってきたのは、1482年のことでした。
    ポルトガル人がやってきたのです。
    日本に西洋人がやってきたのは、1543年(1542年という説もあり)のことで、この年に鉄砲も伝来しました。
    コンゴにポルトガル人がやってきたのよりも、約60年後のことです。
    簡単にいえば、だいたい似たような時期に、ポルトガル人がやってきたわけです。

    コンゴでは、最初にポルトガル人がやってきた2年後の1485年には、コンゴ王国とポルトガル王国との間で国交が結ばれています。
    この国交条約は、双方の国が「対等な関係」にたつという内容のものでした。
    ともに五分と五分のお付き合いをする。
    ただし違うのは、ポルトガル宣教師によるキリスト教の布教を認めることが、条件となっていたことです。

    コンゴはこれを承諾しました。
    人の道を解く宗教であるし、これといって問題視することもないと思われたからです。
    1491年には、ローマから宣教師も派遣されています。
    そしてコンゴ国王のジンガ・クウは、自身をカトリックに改宗し、さらに自分の息子で王子のジンガ・ムペンパを、ポルトガルに留学させました。

    ムペンパは、ポルトガルにいて学問を修め、1506年に父親の後を継いでコンゴ国王に即位しています。
    そして彼は、積極的なコンゴの欧化政策を採りました。
    さらに、多くのポルトガル人を受け入れ、コンゴの近代化に励んだのです。

    と、ここまでは、悪くない話です。
    ところが、そうした欧化政策と、ポルトガル人の招聘(しょうへい)のために、コンゴ国内にポルトガルの奴隷商人たちが、大量に入り込み出したのです。

     ***

    奴隷商人たちは、人の売り買いをするわけですが、元手は、そこらへんで捕まえてきた黒人です。
    多少の経費はかかりますが、元手はタダです。
    そして奴隷は高値で売れます。
    いまで言ったら、クルマを買うような感覚と考えるとわかりやすいです。
    元手がタダの新車が、飛ぶように売れたのです。
    ですから奴隷商人達は、またたく間にたいへんな金持ちとなりました。
    そしてコンゴの国政を平然と壟断(ろうだん)しはじめたのです。

    コンゴは、もともと貿易立国していた商業国でした。
    それだけに、欧州経済をいち早く受け入れることができるだけの土壌も育っていたのです。

    けれど、コンゴ人がコンゴで行う商売と、外国人がコンゴで行う商売は、その本質がまるで異なりました。
    コンゴは歴史ある王国です。
    ですからコンゴ王国の民衆も、自然の愛国心や、愛郷心が育まれていました。
    しかも、身内が同じ国内にたくさんいるわけですから、当然のこととして、一定の規律は守られていたのです。

    ところが、外国人であるポルトガル商人たちには、そうしたコンゴへの愛国心も愛郷心もありません。
    あるのは、欲得だけです。
    そして彼らは、あらゆる方法を使って自分たちの行いを正当化し、気がつくとコンゴ国内は、ポルトガル人の奴隷商人たちと、その下請けとなったコンゴ人達が、経済的政治的に多大な影響力を持つようになっていたのです。

    事態を憂慮したコンゴ国王は、ポルトガル王に対し、奴隷貿易を止めるようにとの書簡を送りました。
    けれど、ポルトガルは、コンゴ政府ではなく、コンゴ国内の治安維持に責任を持っているわけでもありません。
    あたりまえのことですが、ポルトガルは、ポルトガルの都合で動きます。

    ですから当然のように、コンゴ国王の書簡は無視されました。
    そして本国政府が黙認することに自信を深めたポルトガルの奴隷商人たちは、ますますコンゴにおける奴隷貿易を盛んにし、ついにコンゴは、アフリカにおける最大の奴隷貿易の中心地となってしまったのです。

    コンゴの民衆も怒りました。
    当然だろうと思います。
    ある日突然、家族が、子供達が白人達に追いかけ回されて網ですくわれ、拉致され、奴隷、つまりモノとして勝手に売買されてしまうのです。
    それでもコンゴ人達は、敬愛する国王を信じ、事態が必ず解決し、いつか拉致された人々も国に戻れる日が来ると信じました。
    そして、そんな日が来ないまま、コンゴ国王が永眠してしまったのです(毒殺されたという話もあります)。

    国王が亡くなると、コンゴの民衆は、ついに暴発しました。
    民衆は反乱し、暴動が相次いだのです。

    ところがその頃のコンゴには、もはや民衆の暴動を鎮圧できるだけの力は残っていませんでした。
    博愛主義を説くキリスト教によって、コンゴ国王の武力は否定され、コンゴ国軍は、ほとんど解体状態となっていました。
    しかも適齢期の若者達は、男女を問わず奴隷狩りにあって、その多くが連れ去られています。

    それでも、コンゴ国王は、なんとか暴動を鎮圧しようとしました。
    国内の平和と安定は、国王としての使命だからです。

    そんなところに起きたのが、1568年のジャガ族の襲来です。
    これまた「やらせ」だったという話もありますが、ジャガ族という無法者集団が、コンゴ国内に攻め込み、一部の奴隷商人を襲撃し、さらにキリスト教施設を破壊したのです。

    コンゴ国王は、やむなくこの鎮圧のために、同盟国であるポルトガルに、鎮圧のための軍事支援を要請しました。
    すでにコンゴ王単独で武装集団を退治するだけの国力が、コンゴ王室になかったからです。

    要請を受けたポルトガル軍は、またたく間に、ジャガ族を鎮圧しました。
    けれど、事態はそれだけに終わりませんでした。
    すでに国軍が衰退していることを知ったポルトガルは、ここにきて、コンゴ王国との関係を、対等な関係から、主従関係へと変更することを要求してきたのです。

    圧倒的な軍事力を持ったポルトガルに、武力のないコンゴ王は従わざるを得ませんでした。
    こうしてコンゴは、ポルトガルの従属国となったのです。

    属国となっても、コンゴ王国は、細々と存続し続けました。
    けれどそれは国として存続したというよりも、国王を名乗る家がコンゴ地方内に存続していた、というだけの情況というべきものでした。
    国は荒れました。
    ほとんど無政府状態で、武装した奴隷商人達がほしいままに闊歩し、贅沢な暮らしを満喫し、コンゴの民衆はひたすらそれにおびえながら、極貧生活を余儀なくされる状態となったのです。

     ***

    こうして300年が経ちました。
    この情況に変化が起きたのは、1885年のことです。
    ベルリン会議の決定によって、ベルギーが、コンゴの新たな支配者となったのです。

    ベルギー国王のレオポルド2世は、コンゴを「コンゴ独立国」とし、自身でコンゴの元首となり、コンゴを自由貿易の国としました。
    ただし、カタチは自由貿易の独立国であっても、コンゴは、土地も人も一切合切、レオポルド2世の私有物です。

    ですから、ベルギー領となったコンゴの政府は、コンゴにはありません。
    コンゴ政府は、ベルギーのブリュッセルに置かれました。
    レオポルド2世も、コンゴへは足を運んでいません。
    コンゴへは、総督が派遣されました。

    実際には私有地、私有財産にすぎないのに、カタチだけは独立国、ですから英国人達は、これを揶揄して、コンゴのことを「Congo Free State(コンゴ自由国)」と冷笑しました。
    いまでも当時のコンゴのことを「コンゴ自由国」と呼ぶ学者がいますが、酷いことです。

    コンゴを私物化したベルギー国王は、1830年にオランダ(ネーデルラント)から独立したばかりでした。
    その親元の国であるオランダは、世界中に圧倒的な植民地を持ち、巨富を得ていました。

    ですからベルギーからコンゴに派遣された総督の任務は、ベルギー初の植民地(私有地)であるコンゴから、一日もはやく経済的利益をあげることでした。
    しかしこの頃には、奴隷貿易はすでに下火になっていました。
    しかもコンゴ独立国建国当初はインフラ整備に経費がかかり、さらにコンゴには奴隷以外に主たる産業も産物もなかったことから、コンゴの経営はたいへんに苦しいものでした。
    当初の状態は、むしろベルギー政府の持ち出しの方が大きかったのです。

    ところが、その頃から事情に変化があらわれます。
    英国で、1887年に、自転車用のゴムタイヤが発明されたのです。
    これはたいへんな技術革新でした。
    そしてその技術が自動車のタイヤにも応用されるようになったのです。

    こうなると、ゴムの需要がうなぎ上りです。
    そしてゴムの木は、他に産業らしい産業のないコンゴの、国中のいたるところに、自生していたのです。

    コンゴにやってきていたベルギー人達は、ゴムの採取に目を付けました。
    そしてコンゴ人達を使って、徹底的にゴムの採取を行ったのです。
    おかげで、コンゴのゴムの生産高は、20世紀のはじめには、世界全体の生産高のほぼ10%を占めるに至りました。
    ベルギーは、コンゴ産ゴムによって、経済的にたいへんに潤うことになりました。
    苦労してコンゴを入手したベルギー国王が喜んだことは、いうまでもありません。

    ところが、そうした生産高を上げるために、現地で何が行われていたのか。
    そのために何が行われたか。

    ゴムの採取を強制するために、黒人たちから女子供を人質にとり、仕事を効率よく進めるための鞭打ちでコンゴ人労働者を死に至らしめ、さらにノルマを達成できないと、その人質にとった女子供らの右手を、見せしめとして切断するという罰を与えたのです。

    手を切られたコンゴ人
    マーク・トウェイン「レオポルド王の独白 彼のコンゴ統治についての自己弁護」p.40
    コンゴ自由国


    ここまでくると、コンゴ人達も黙っていません。
    中には集団で徒党を組んで反乱を組織するコンゴ人も出てきます。

    こうした反乱ゲリラを鎮圧するために、白人達が何をしたかというと、周辺に住む未開の部族達を徴用し、公安軍を組織したのです。
    この「少数民族を利用して現地の人々を統治する」という手法は、植民地支配では、ごく一般的に行われてきた統治手法です。

    未開の蛮族達による徴用兵たちは、白人以上に恐ろしい残忍さを発揮しました。
    徴用兵たちの任務は、ゴム採集のノルマの達成管理です。
    その中には、未達者に対する手首斬り落しの強制執行も含まれていました。

    徴用兵達の給料も、利益に基づく歩合性でした。
    そのうち、蛮族たちが任務を果たしている証拠として、懲罰のために切り落とした手首の数によって昇級や賞与の額が決められるようになりました。
    すると村人たちは、この取立から逃れるために、他の村人たちを大量殺人して、手首を集めてくるようになりました。
    こうして手首は、それ自体が価値を帯びるようになり、一種の通貨にさえなったといいます。

     ***

    コンゴが、ベルギー領コンゴとなったのは1885年のことです。
    そしてコンゴが、ようやく独立を果たしたのは、昭和35(1960)年のことです。
    その間、わずか75年の間に、コンゴで虐殺された人の数は、1000万〜1600万人であったといわれています。
    コンゴが独立したときの人口が1400万人であったことを考えると、これは恐ろしい数です。

    しかし、せっかくのコンゴの独立も、独立からわずか1週間で、内乱とベルギー軍の介入によって崩壊してしまう。
    こうして始まったのが「コンゴ動乱」です。

    「コンゴ動乱」は、国連が支持し、民主化を促進しようとするムルンバ大統領派と、ソ連やキューバに後押しされたコンゴ国軍が対立するという構図となりました。
    さらに国内を二分しての民族紛争がこれに重なり、コンゴはこの後約5年間、動乱に継ぐ動乱の時代となったのです。
    そしていまもなお、コンゴは戦場の中にあります。

    今年は2013年です。
    自主自存の国家だったコンゴの崩壊の引き金となったのは、1568年のジャガ族の襲来事件でした。
    この事件のときに、コンゴが自前の防衛力を保持していたら、つまり強力な軍隊を自前で保持していたら、おそらくジャガ族の襲来もなかったし、ポルトガルに援軍を要請する必要もなかったし、結果としてポルトガルの従属国となることもありませんでした。
    それどころか、奴隷商人たちの跋扈そのものを、自前の強力な軍隊の出動によって防ぐことができたかもしれません。

     ***

    「そのとき軍隊が弱かった」
    たったそれだけのことで、コンゴは国を崩落させ、それからいまにいるまで445年、いまだに内乱と戦火の中にコンゴはあります。
    コンゴで、これまでに戦火や奴隷、ムチ打ちや私刑などによって、いったいどれだけの人の命が奪われたのでしょうか。

    大事なことは、どんなにご立派な講釈を垂れたとしても、力なき正義は正義になれない。それどころか多くの国民の不幸を招く、ということです。
    現実に日本は、どんなに立派な法的根拠、歴史的根拠を並べ立てたとしても、武力を背景にした他国による領土の占有の前に、なにもできていません。
    国民を拉致されても、政府には何もできていません。

    自衛隊はあります。強いです。
    自衛隊の実力は、環太平洋最強です。
    けれど専守防衛をうたう以上、他国は日本に対していかなる不条理を押し付けたとしても、その国が日本から攻められる可能性は皆無なのです。
    つまり日本は、いくらカツアゲされても絶対に反抗しない。
    結果、いまの日本は特定国のATMになっています。

    「平和を愛する諸国民の公正と信義」と日本国憲法前文に書かれていますが、公正な国ってどこでしょう?信義ある国とは、どこの国を指すのでしょう?
    日本が平和を愛し、公正と信義のある国となるためには、日本が強くなければなりません。
    でなければ、日本は4百年前のコンゴになってしまうのではないでしょうか。

    日本にも16世紀にポルトガル人が来日し、鉄砲などが伝えられました。
    けれど日本は、鉄砲をまたたく間に国内に普及させ、秀吉の時代には、日本は全世界の鉄砲保有数の約半数を持つという、すさまじい大国となっています。

    けれど、鉄砲に使う火薬の原料となる「硝石」は、日本で産出しません。
    あたりまえのことですが、火薬がなければ鉄砲はただの鉄パイプです。
    ですから、日本の戦国大名たちは、こぞってポルトガル人達から火薬を買いました。
    代金は、火薬一樽につき、日本人の若い女性50人が相場です。(徳富蘇峰、近世日本国民史)

    日本女性が奴隷に売られたのです。
    日本でも、コンゴで起きたことに近いことが、現実にあったわけです。

    けれど日本がコンゴのように、ポルトガルの属国とならずに済んだのは、彼らの鉄砲という兵器を駆使する戦いに学び、これを吸収して自前の鉄砲隊を組成してしまったこと、それにより、日本がポルトガルを圧倒する強力な軍事力を備えたこと、さらに秀吉が奴隷売買とキリスト教を禁じ、日本人女性が奴隷として国外流出することを阻止することができたからにほかなりません。

    幕末動乱も同じです。
    日本は、外国からの圧力に対し、これを学び、吸収して、その外国以上に強靭な国家を造り上げました。

    なるほど幕末に日本は外国との間に不平等な条約を締結しました。
    けれど明治44年に、日本は完全に外国との関係を対等なものに修復しています。
    それは、幕末の志士達が夢見た坂の上の雲に到達した瞬間でした。

    もし、日本が過去においてそういう努力をしてこなかったら。
    もしかすると日本人もコンゴと同様に奴隷に売られ、女性たちは旦那のために手首を斬り落され、通貨は小判や銀貨、銅銭などではなく、手首が用いられるような国になっていたかもしれません。
    銭形平次の投げるのが寛永通宝ではなく、紐でつないだ手首だなんて、想像もしたくありません。

    大事なことは、他国に支配されるということは、いかなる場合においても、自国民の幸せには絶対にならない、ということです。
    もちろん例外はあります。
    それは日本がかつて統治した国々です。
    どの国もすべて発展し、なかには歴史上初と言って良い平和な時代を迎えた国もありました。
    けれど、日本がそうしてきたからといって、他国も同じようにするなどということは、金輪際ないし、上に述べたコンゴのように、他国の支配を受けることは、これ以上ないといって良いくらいの国民の不幸を招くのが、世界の歴史です。

    日本が、独立した国家でいられたのも、いま、私たちが平和に暮らして行けるのも、私たちの父祖、祖先が、それこそたゆまぬ努力を重ねてきたからに他なりません。

    ところが戦後の日本は、GHQによって憲法を与えられ、逮捕拘留してあった共産主義者たちを解放させられ、それまでの国の中心であった愛国者たちを公職追放によって放逐され、間接統治のために特権を与えられた不逞朝鮮人が日本人からいいようにカネや財産を奪い、その状態という「歪み」がいまだに、続いています。

    冒頭に書きましたが、コンゴは1996年以降の動乱で、この19年の間に600万の人がなくなっています。
    コンゴは資源国ですが、その資源をめぐって、それだけの争いと殺戮が起きているのです。
    コンゴは、ゴムの採取からはじまって、いまではコバルトなど、電子機器に必要なレアメタルが大量に採れる地域となっています。そのため資源を狙う西欧諸国の利害が、コンゴの国内と周辺国の事情を複雑にし、それが原因で、いまだ内乱が絶えません。

    第二次世界大戦の頃、まだ中東には石油が発見されていませんでした。
    それが発見され、中東は諸外国の利害が対立する地域となり、結果、紛争地帯となっています。
    そして地球最後の石油埋蔵地帯として、いま、東と南シナ海が注目されています。
    日本は、コンゴのようになるのでしょうか。

    コンゴが動乱を終え、ほんとうの意味での平和を取り戻すためには、何が必要でしょうか。
    おそらく、誰もが口を揃えて、「それは、コンゴの人たち自身が努力するしかない」とお答えになるものと思います。

    ならば、それはそのまま日本にもあてはまるのではないでしょうか。
    日本が日本を取り戻し、真の独立と自存を取り戻すためには、なにより日本人自身が目覚めなければならない。
    そういうことなのではないでしょうか。

    そのためには何が必要でしょうか。
    左前や反日にかぶれた人たちとの対話でしょうか。
    グローバリストとの対話でしょうか。
    そんなものが意味を持たないのは、誰もがおわかりと思います。
    なぜなら、彼らは考えを変えないからです。
    理由は、そこに利権があるからです。

    西洋型の議会制民主主義は、ゼロサムゲームです。
    討論を繰り返し、勝敗を決し、勝者が政治を行います。
    けれどこれを繰り返していくと、最後は政治を司る人全員が排除されます。
    生き残るのは、政治を背後で操る資本家のみになります。
    こうして1%の支配層と、99%の隷民が誕生します。
    つまり西洋型の議会制民主主義は、実はこれを背後で操る資本家にとって都合の良い政治でしかありません。

    一方、日本型民主主義は、極論を言って賛否を明らかにしている人たちに、結界を張ってまず排除します。
    そのうえで、どっちつかずの圧倒的多数の人たちで、合意が形成されるまで議論を尽くします。
    そして結果が決まったら、それが詔となって上から下されます。
    「詔を受けては必ず慎め」は、1400年前の十七条憲法の言葉ですが、こうなったときには、賛成派も反対派もありません。全員一致で決定に沿って力を合わせることになります。
    これが日本型統治のルールです。
    そして、これを行うと、真に民衆のための政治が実現します。

    グローバリズムを考えるとき、私達は、かつて人間の手首が通貨として流通した国のことを思い出す必要があります。
    その歴史をたどると、自立自存とががどれだけ大切なことなのか、はっきりと見えてきます。


    ※この記事は2013年5月の記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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    18 日本武人史
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    16 子供たちに伝えたい 美しき日本人たち
    15 金融経済の裏側
    14 庶民の日本史
    13 日本建国史
    12 ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密
    11 [復刻版]初等科国語 [高学年版]
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    8 誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国
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    4 ねずさんの日本の心で読み解く百人一首
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  • 2月度特別倭塾&靖国神社正式参拝のお知らせ


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    第107回倭塾は、特別な倭塾として、靖国神社で開催します。倭塾終了後、正式参拝を行います。この際、篠笛の奉納も行います。また直会は事前申込が必要です。
    【詳細】 https://www.facebook.com/events/265009793237311
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    20240127 倭塾里神楽


    2月に特別な倭塾を、靖国神社で開催します。
    開催日は2月25日(日)13時半で、塾の後、皆様とともに英霊に感謝を捧げる正式参拝を行います。
    そこでは篠笛曲の奉納も行います。

    開催場所は、靖国神社内靖国会館2F偕行東の間です。
    当日は、300年続く武州里神楽の家元石山太夫をお招きします。
    私からは庶民文化としての日本についてお話します。

    正式参拝終了後の懇親会は30名まで入れます。
    お席に限りがありますので、お申込者先着順とさせていただきます。

    皆様のふるってのご参集をお待ちします。

    《第107回倭塾 開催のご案内》

    1 日 時
      2024/2/25(日)
      13:00 開場
      13:30 開会
      15:30 倭塾終了
      15:40 靖国神社正式参拝(石山太夫笛奉納有り)
      16:30 解散
      17:00 完全撤収

    2 場 所
      靖国神社 靖国会館2F偕行東の間
      〒102-8246 東京都千代田区九段北3-1-1
      https://www.yasukuni.or.jp/

    3 テーマ 「お神楽と日本文化」

    4 講 師 伝統300年武州里神楽家元 石山裕雅先生
          国史啓蒙家 小名木善行

    5 定 員 100名
    6 参加費
      (1) 倭塾参加費   3000円/人
      (2) 正式参拝玉串料 2000円/人
     ※倭塾参加費と玉串料合わせて5000円です。
     ※ ご夫婦で参加の場合倭塾参加費はお二人合わせて3000円ですが、玉串料は別々に発生します。
     ※ 事前振込は必要ありません。当日会場でお支払いください。
     ※ 未成年者は参加費は無料です。玉串料は任意とします。

    7 参加方法
      会場に直接お越しいただければOKです。
      よろしければ、↓のページの「参加予定」をクリックしてください。
       ↓
      https://www.facebook.com/events/265009793237311/

    8 主催 
      伝統300年武州里神楽家元 石山裕雅先生
      小名木善行
      協力 日本の心をつたえる会

    9 直会 17時開始
      さくら水産九段靖國通り店
      千代田区九段下1-3-1Vort九段下2階

      ビールも含む2時間飲み放題で4,500円/人
      お申込先着30名様のみ。

     ※ お席に限りがあるため、直会参加には事前申込が必要です。
      以下のフォームからお申し込みください。
       ↓
      https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScFXFtNxv1992jTCUYmqRun2jIlceHS33W_dp3Tq5p-nMm_XQ/viewform



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  • 舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    ご心配をおかけしましたが、
    「希望の日本再生チャンネル」の編集用パソコンが復旧しました。
    本日から番組を再開します。
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    私達が取り戻すべき日本というのは、民度の高い国家です。
    いまのメディアのように、庶民を見下し、デタラメを刷り込もうとするような存在は、我が国には馴染まない。


    四天王寺
    20240126 四天王寺



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    舒明天皇から天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れを概括してみたいと思います。

    聖徳太子がお隠れになったとき、太子の死をすべての人が嘆き悲しみました。
    年老いた者は我が子を失ったかのように。
    若者は父母を失ったかのように、泣きむせぶ声が満ちあふれたと記録されています。

    その聖徳太子の没後、再び蘇我入鹿が専横をしはじめます。
    朝廷は、聖徳太子の子である山背大兄皇子に天皇になってもらおうとしますが、これを察知した蘇我入鹿は、643年、武力をもって山背大兄皇子を襲いました。
    このとき、逃げ落ちるように説得する家来たちに、山背大兄皇子は、戦いによって多くの臣民の命が失われることを偲ばれて、自害して果てます。
    こうして聖徳太子の子孫は絶え、蘇我氏が専横を極めるようになっていきました。

    「このままではいけない」
    そう思って立ち上がったのが中大兄皇子(後の天智天皇)です。
    中大兄皇子の父は舒明天皇です。

    舒明天皇は、我が国の理想を歌に詠みました。
    それが『万葉集』にある「天皇、香具山に登りて望国くにみしたまふ時の御製歌」です。

     山常庭    やまとには
     村山有等   むらやまあれど
     取与呂布   とりよろふ
     天乃香具山  あめのかくやま
     騰立     のぼりたち
     国見乎為者  くにみをすれば
     国原波    くにはらは
     煙立龍    けぶりたちたつ
     海原波    うなばらは
     加万目立多都 かまめたちたつ
     怜忄可国曽  うしくにそ
     蜻嶋     あきつのしまの
     八間跡能国者 やまとのくには


    この歌は拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』でご紹介した歌です。
    意味は概略すると次のようになります。

    「恵みの山と広い原のある大和の国は、村々に山があり、豊かな食べ物に恵まれて人々 がよろこび暮らす国です。天の香具山に登り立って人々の暮らしの様子を見てみると、 見下ろした平野部には、民たみの家からカマドの煙がたくさん立ち昇っています。それはま るで果てしなく続く海の波のように、いくつあるのかわからないほどです。大和の国は民衆の心が澄んで賢く心根が良くて、おもしろい国です。その大和の国は人と人とが出 会い、広がり、また集う美しい国です。」

    天皇のお言葉や歌は「示し」と言って数ある未来から、ひとつの方向を明示するものです。

    よく戦略が大事だとか、戦術が大事だとか言いますが、戦略も戦術も、そもそも仮想敵国をどこにするのかという「示し」がなければ、実は戦略の構築のしようがありません。
    その意味で、トップの最大の使命は「戦略に先立って未来を示すこと」です。
    舒明天皇は、我が国の姿を、
    「民衆の心が澄んで賢く心根が良くて、おもしろい国」
    と規定された(示された)のです。

    ちなみにここでいう「おもしろい国」という言葉は、我が国の古語における「感動のある国」を意味します。
    昨今では、吉本喜劇のようなものをも「おもしろい」と表現しますが、それでも例えばとっても良い映画を観た後などに、「今日の映画、おもしろかったねえ」と会話されます。
    この場合の「おもしろい」は、「とてもよかった、感動的した」といった意味で用いられます。

    「民衆の心が澄んで賢く心根が良くて、おもしろい国」というのは、聖徳太子がお隠れになられたときの民衆の反応に見て取ることができます。
    人々が互いに助け合って、豊かで安心して安全に暮らすことができる国だから、素直な心で、いろいろなことに感動する心を保持して生きることができるのです。

    特定一部の人が、自分の利益だけを追い求め、人々を出汁(だし)に使うような国柄であれば、人々は使役され、収奪されるばかりで、安心して安全に暮らすことはできません。
    とりわけ日本の場合、天然の災害の宝庫ともいえる国ですから、一部の人の贅沢のために、一般の庶民の暮らしが犠牲にされるような国柄では、人々が安全に暮らすことなどまったく不可能であり、さらに何もかも収奪されるような国柄では、とても人々はなにかに感動して生きるなど、及びもつかない国柄となってしまいます。

    舒明天皇の時代は、強大な軍事帝国の唐が朝鮮半島に影響力を及ぼし始めた時代であり、内政面においては蘇我氏の専横が目に余る状態になってきていた時代でした。
    そんな時代に、舒明天皇は、「うし国ぞ、大和の国は」と歌を詠まれたわけです。
    それは、舒明天皇が示された我が国の未来の姿です。

    そんな父天皇を持った中大兄皇子は、そこで宮中で蘇我入鹿の首を刎ねます。
    これが乙巳の変で、645年の出来事です。

    蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子は、皇位に即(つ)かず、皇太子のまま政務を摂ります。
    これを「称制(しょうせい)」と言います。
    我が国では、天皇は国家最高権威であって、国家最高権力者ではありません。
    このことは逆に言えば、天皇となっては権力の行使ができなくなることを意味します。
    ですから中大兄皇子が、大改革を断行するにあたっては、中大兄皇子が皇位に即(つ)くわけにはいかなかったのです。

    そして同年、中大兄皇子が発令したのが「公地公民制」です。
    これによって、日本国の国土も国民も、すべて天皇のものであることが明確に示され、またその天皇が、あえて権力を持たずに国家最高権威となられることで、民衆こそが「おほみたから」という概念を、あらためて国のカタチとすることを宣言したわけです。

    このことは、当時の王朝中心主義の世界にあって実に画期的なことであったといえます。
    なにしろ、21世紀になったいまでも、日本の他には、国家最高の存在が国家最高権力者である国しかないのです。

    ところが中大兄皇子は、重大な失点を犯してしまいます。
    朝鮮半島への百済救援のための出兵です。
    倭国は勇敢に戦いましたが、気がついてみれば、百済救援のために新羅と戦っているはずが、百済の王子は逃げてしまうし、新羅は戦いが始まると逃げてばかりで、まともに戦っているのは、倭国軍と唐軍です。
    これでは、何のために半島に出兵しているのかわからない。

    そこで唐と和議を結んで、倭国軍が撤兵しようとした矢先の白村江で、すでに武器を収めて帰ろうとしている倭国軍に、新羅が突然攻めかかり、倭国兵1万が犠牲になってしまいます。
    亡くなった倭国兵たちは、その多くが倭国の地方豪族の息子さんと、その郎党たちです。
    この禍根は、実はずっと尾を引きました。

    我が国が天皇を中心とする国家であることは、誰もが認めるし、納得もできるのです。
    そして天皇がおわす朝廷の存在によって、いざ凶作となったときには、全国的な米の流通が行われて、村の人々が飢えることがないようにとの国家の仕組みも納得できるのです。
    けれど我が子が死んだ、中大兄皇子の撤兵指示によって、結果、白村江で多くの命が失われ、そのときに我が子が死んだという、この感情は、どうすることもできません。
    理屈ではわかっていても、感情は尾を引くのです。

    この禍根は、天智天皇から数えて三代後の持統天皇の時代にまで続きました。
    持統天皇が行幸先で、誰とも知れぬ一団に襲撃を受け、矢傷を受けられるという事件も起きているのです。
    国内的には、まさに分裂の危機であり、その分裂は、そのまま唐による日本分断工作に発展する危険を孕んだものであったわけです。

    こうしたなかにあって、兄の天智天皇から弟の天武天皇への皇位の継承が行われました。
    なるほど表面上は、天武天皇が軍を起こして天智天皇の息子の大友皇子を襲撃したことになっています。
    しかし、よく考えてみると、これはおかしな歴史の記述です。

    天智天皇は大化の改新によって、実に革命的に多くの改革を行いました。
    当然、そうした改革は、ものごとが良い方向に向かうようにするために行われるものです。
    しかし、短兵急で強引な改革は、必ず改革によって不利益を被る者を生じさせるのです。

    そうした反天智天皇派の人たちの期待は、当然のように弟の大海人皇子の皇位継承に集まります。
    そして大海人皇子が軍を起こして、天智天皇の息子の大友皇子を追い、みずから天武天皇として即位するとします。

    反天智天皇派の人たちは、よろこんで天武天皇に従ったことでしょう。
    そして天武天皇が即位されると、もともと天智天皇派だった人たちは、もとよりご皇室中心の日本を大切に思う人達なのです。
    このことが意味することは重大です。
    つまり、天武天皇の旗揚げ(壬申の乱)によって、実は国がひとつにまとまるのです。

    正史は、天智天皇亡き後、天武天皇が兵を起こしたことになっています。
    そして天智天皇の子の大友皇子は、人知れず処刑されたことになっています。
    けれど、大友皇子の処刑を観た人はいないのです。

    天智天皇の崩御にも疑問が残ります。
    天武天皇の正妻は、持統天皇です。
    その持統天皇は、天智天皇の娘です。
    そして天武天皇が、皇位に即位されたあと、事実上の政務の中心となって改革を継続したのが、その持統天皇です。
    しかも持統天皇は、なぜだか31回も吉野に行幸されています。

    これは正史には書かれていないことですが、個人的には、おそらく天智天皇は生きておいでであったのだろうと思います。
    生きていても、当時の考え方として、出家されれば、この世のすべてを捨てて、今生の天智天皇としては崩御したことになるのです。
    そして吉野に隠棲し、そこで僧侶となる。

    弟の天武天皇に皇位を継承させるためには、天智天皇に集中した国内の不満分子を、まるごと天武天皇が味方に付けてしまうことが一番の選択です。
    そして皇位継承後は、娘の持統天皇が、皇后として政治に辣腕を揮う。
    幸い、きわめて優秀な高市皇子が、政務を執るのです。
    天智、天武、持統、高市皇子のこの強い信頼関係のもとに、あらためて日本は盤石の体制を築いたのではないか。
    そのように個人的には観ています。

    天智天皇と天武天皇が兄弟であったことさえ疑う意見があることも承知しています。
    しかしそのことを示す史料はなく、この不仲説の根拠となっているのは、万葉集における天智天皇、天武天皇、そして天武天皇の妻であり一女まである額田王の歌が、根拠となっています。
    しかしその根拠とされる歌も実は、その意味をまるで履き違えた解釈によって、歪められていたという事実は、このたびの拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』で詳しく述べた通りです。
    (まだお読みでない方は、是非、ご購読をお勧めします)

    不幸なことに、天武天皇のまさかの崩御によって、鵜野讚良皇后が持統天皇として即位されます。
    そして持統天皇が、敷いたレール、それは、反対派を粛清したり抹殺したりするのではなく、文化と教養によって、我が国をひとつにまとめていくという大方針でした。

    万葉集も、そのために持統天皇が柿本人麻呂に命じて編纂を開始させたものです。
    こうして我が国の形が固まっていきました。
    それは高い民度の臣民によって培われた、民度の高い国家という形です。

    我が国が、国家形成の揺籃期に、このような素晴らしい天皇をいただいたことは、我が国の臣民として、たいへんに幸せであったことだと思います。
    爾来1300年、我が国は、庶民の高い民度によって支えられる盤石の国家が築かれてきました。

    すなわち、私達が取り戻すべき日本というのは、民度の高い国家です。
    いまのメディアのように、庶民を見下し、デタラメを刷り込もうとするような存在は、我が国には馴染まない。

    お読みいただき、ありがとうございました。

    ※この記事は2020年1月のねずブロ記事のリニューアルです。
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  • 文化薫る国、日本


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    お楽しみいただいている「希望の日本再生チャンネル」ですが、編集用パソコンを修理しなければならなくなり、戻るまで1〜2週間かかるとのことです。このため、その期間中「希望の日本再生チャンネル」の新規動画、およびライブ放送を休止します。楽しみにしていただいている皆様には誠に申し訳ないのですが、必ず再開しますので、その間、お待ちいただければと思います。
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    20200120 狭山池
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E6%B1%A0_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C)
    (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    トップの画像は7世紀に造られた日本最古のダムによってできたダム湖(狭山池・大阪府)です。

    さて、文字や文章の形態の変更は、歴史と文化を喪失させる働きをします。

    チャイナもまた、中国共産党によって簡体字が普及させられて、古い文化を失っています。
    コリアも同じで、漢字文化だったものが、ハングルのみを使用するようになることで、歴史と文化(果たしてそういうものが過去にあったといえるのかどうか議論は別として、過去を失なっています。
    東南アジアの多くの国々もまた、英語表記となることで、自国の文字が失われようとしています。
    日本もまた、明治以降二度にわたる文字と文章の喪失が行われました。

    日本語の表記は、何千年という歳月をかけて形成されてきた文化です。
    ところが日本は、実は三度にわたる文字文化の変更が行われています。

    ひとつは、明治期のものです。
    いわゆる武家文化としての候文(そうろうぶん)が廃止となり、また手書き筆文字から活字に変わることで江戸時代の文化が失われていきました。
    これは、徳川時代にあったすべてを否定しようとした明治政府の意向であったともいわれていますし、仮にそこまで行かなかったとしても、西洋かぶれによる文化変更がかなり露骨に行われたのも事実です。

    もうひとつは戦後です。
    GHQは、日本語の漢字表記を簡略化させるという方針を打ち出し(これを言い出したのは戦前の共産主義系の学者たちですが)、これによって「当用漢字」が生まれました。
    「当用漢字」というのは、「当面用いる漢字」のことで、では当面用いたあとはどうするのかというと、当初の計画では、日本語を全文ローマ字化し、その後、日本語を廃止して公用語を英語にしてしまうというものでした。

    これによって、たとえば「聯合艦隊」は「連合艦隊」と表記されるようになりました。
    また文章のスタイルも、文語調から、口語体に変化させられました。

    少し詳しく言うと、「連」は「シンニュウ」に「車」で、シンニュウは「辵(ちゃく)」という「走る」という漢字がもとになっています。
    つまり「車」が「走る」さまをもって、連続している姿をあらわし、つらなるという意味に使われます。
    幹線道路では、自動車がまさに連なって走っていますが、あのイメージです。

    「聯」は「耳へん」に糸を密接に組み合わせた字です。
    もともとの意味は残酷なもので、大昔のチャイナでは、戦いの際に敵の遺体の耳を切り取って糸でつなぎ、これを持っていくとその数に応じて報酬がもらえた、という歴史があります。
    そこで耳が密接に糸でつながれている様子から、「聯」は、ひとつひとつが密接につながって相互に連携して活動する意味に用いられるようになった字です。

    ですから、これを艦隊にあてはめると、
    「連合艦隊」なら、ただ艦隊がつらなって航行しているだけの姿を現します。
    「聯合艦隊」なら、すべての艦が有機的に結合し、機能的に活動する艦隊という意味になります。
    日本海軍が「れんごう艦隊」を構築するにあたり、何に意図をおいたのか、まさに一目瞭然です。

    礼儀作法の「礼」も同じです。
    旧字は「禮」ですが、みての通りで、相手にわかるようにはっきりと豊かに示すから「禮」です。
    そうとわかれば、おはようございます、こんにちは、さようなら、よろしくお願いしますといった挨拶ひとつだって、ちゃんと大きな声と、はっきりとしたお辞儀で示すことになります。

    「恋」も、昔は「戀」です。
    上の部分の「糸+言+糸」は、糸がもつれているさまです。
    ですから「戀」は、「相手のことを思って、心が思い乱れるさま」です。
    これが「恋」となると「亦+心」ですから、「亦=ひたすら」な「心」です。

    簡単にいえば、ただ一途に想うのが「恋」。
    好きな人のことを思って心が千路に乱れる心がが「戀」。
    もっとも「亦」には、二股の「また」の意味もありますから、はたしてどこまで一途やら・・・。

    学校の「学」は旧字が「學」です。
    この字は、上部が複雑になっていますが、両側の記号が大人を意味し、上部真ん中の✗✗の部分が、その大人たちの腕を意味します。
    その下に校舎があって、そのなかにひとりの子がいます。
    つまり、複数の大人たちが、ひとリの子を立派な大人に引っ張り上げるのが「學」の意味です。
    それが「学」になると、単に子が学ぶもの、といった意味になります。

    教育を考えるとき、どうしたら大人たちが、子を立派な大人に育てることができるのか、という概念と、ただ、子供に「学ばせる」という概念では、その「はじめの一歩」が大きく異なります。
    戦後教育は、良く言えば「子が主役」ですが、人間は大人も子供も元来なまけものなのです。
    であるとすれば、戦後教育は、ただなまけものを育成するだけのものに成り下がったことになります。

    権力の「権」も、昔は「權」と書きました。
    「權」の中に「ロロ」がありますが、これが木の枝に停まっている猛禽類のミミズクの目です。
    その下にある「隹」は「雀(すずめ)」を略したものです。
    要するに、ミミズクが隙きあらば取って食べてしまおうと上からスズメたちを監視しているのが「權」の意味です。
    ですから「權力」と書けば、天が人を監視する力。
    「人權」ならば、人が人を監視監督する力です。
    「人權」は、英語の「Right(らいと)」を翻訳した幕末の翻訳語ですが、「Right」は神の意思を示しますから、人が神の意思を代行して監督するのが人権です。
    人が自由でいられるのも、神が与えた自由の範囲のものでしかないというのが「Right」であって、これに最も近い漢字としては、やはり「權」だったのだろうと思います。
    ところがそうした深い意味が、「権」と書いたらすべて失われる。
    意味を失うということは、人がそれだけ馬鹿に近づくということです。

    みっつめの表記の変更は7世紀のものです。
    かなり古いです。
    それまでの日本語表記は、神代から続く神代文字によるものでした。

    神代文字は一字一音一義です。
    50の音がありますが、その音ごとに意味が当てられていました。
    理由は簡単で、神代文字はもともと鹿骨占いで焼いた骨に入ったひび割れのパターンを示すものであったからです。
    占いの結果を得るには、そのひび割れのパターン化と意味付けが必要になります。
    その記号ごとに、一音が与えられ、それが長い歳月の間に、言葉の表記にも用いられるようになりました。

    ところが、長い歳月というのは、さまざまなバリエーションを生みます。
    いまでいうなら、流派のようなもので、もとはひとつでも、それが何百年の間にはさまざまな流派や門派となっていきます。
    これと同様で、しかも何百年どころか万年の単位で伝承されたものなのですから、途上において様々な記号が考案されました。
    ひび割れの形そのものを、どう理解するかにもバリエーションが生まれ、
    また、ひび割れのパターンが、「/」や「「\」だけでは、意味がわからないので、その意味を説明するための記号も生まれました。
    これらの記号のすべてをあわせて、神代文字といいます。

    一説によれば、縄文式土器として、ただの縄目模様といわれている土器の模様も、実は文字であると言われています。
    これを「結縄文字」といいますが、「結縄文字」には、本当に縄を結んだだけのものと、それを記号化した模様のようなものがあります。
    『隋書倭国伝』(隋書巻 81 東夷伝倭国条)には、倭人の風俗として「無文字,唯刻木結繩」との記述がありますが、これは「文字は漢字だ」と思っている古代チャイナの人達からみて「無文字」ということであって、まったく考え方の異なる文字があったということが、そこに書かれていることになります。

    縄文式土器は、土器の周囲に、紐状にした泥を巻きつけて焼くために、縄文式土器と呼ばれるのですが、その紐状のものは、さまざまな模様を描いています。
    これが文字だということで、いまでは海外の古代文字研究家達の研究対象になっているのだそうです。

    要するに紙に書いてあるばかりが文字ではなくて、まだ紙がなかった時代には、その文字は岩に刻んだり、土器や装身具に描いたりしていたのかもしれない。
    学問するということは、そういった見方や思考の柔軟性を持つということであろうと思います。

    ところが、そうした記号(文字)が、日本が歴史の古い国であるがゆえに、全国の豪族たちによって、それぞれ違う。
    同じ血縁関係にあることは明白なのに、言葉も文字も違うわけです。
    けれどしばらく話していると、なんとなく意味が通じる。
    このことは、青森弁と沖縄弁で会話しても、はじめのうちはまったく通じないけれど、しばらくすると、互いに会話が成り立つようになることを考えれば容易に理解できることです。

    ところが663年の白村江の戦い以降、唐が日本に攻め込んでくるという情報もあり、日本は外圧の前に、どうしても国をひとつにまとめる必要が生まれました。
    このときに、史書の編纂をしようと詔(みことのり)されたのが天武天皇で、これを漢字を用いて記すことで、一文字ごとに、もっと深い意味をもたせようとされたのが、第41代の持統天皇です。

    要するに、中央から新たな文化を発信することで、教育と文化によって日本を統一国家にしようとされたのが、まさに持統天皇であった、ということです。
    これは偉大なことです。

    たとえば大和言葉で「しらす」といえば、天皇が民衆をおほみたからとすることですが、これを漢字で「知(しらす)」と書けば、世間一般に知らしめる意味になるし、「治(しらす)」と書けば国家統治の根幹の意味になります。また「道(しらす)」と書けば、それが人の道であるという意味になります。

    つまり大和言葉の表記に、漢字を併用することで、言葉にさらに深みを持たせることが可能になる。
    これを中央からの文化発信とすることで、日本を教育と文化の香り高い国にした。
    それが持統天皇であられたわけです。

    過去の文化を失わせてはいけない。
    ならばそうならないように史書を遺し、文化を伝承する。
    そのために書かれたのが日本書紀であり、万葉集です。
    このことを理解すると、破壊ではなく、常に創造を重んじた日本の文化の根幹が見えてきます。

    ※この記事は2020年1月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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