• ハウツーよりも大切なこと


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    いたずらにハウツーに走るのではなく、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。


    20210218 三内丸山遺跡
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
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    すこし昔の話の、筆者もまだ若くて現職の若手サラリーマンだった時代のことです。
    まだ、モーレツ・サラリーマンという言葉が、生きていた頃です。
    バブル前の時代、といったほうがわかりやすいかもしれない。

    あるとき関西圏である事件が起きました。
    役員さんからの命令で、急遽、課長と2人で関西に出張になりました。
    当時の私は主任です。
    課長は、雲の上の人です。

    新幹線で午後には大阪の支店に到着すると、そこにはすでに、関西一円の大物支店長さんが、ずらりと勢揃いしていました。
    そして当該問題に関する資料を、全員が持ち寄っていました。

    早速、会議が始まりました。
    始まるとすぐに、課長から、
    「おい、この資料を全部コピーしてこい」
    と命令されました。

    この時代、まだオートカットシーダなどなかった時代です。
    コピーは、1枚1枚、手差しで行います。
    各支店の資料は合計で千枚以上もありました。
    コピーにはとても時間がかかりました。

    コピー機は会議室の外にあります。
    資料を持って会議室から出て、支店のコピー機を借りてひとりでコピーを取っていると、支店の女子社員がやってきて、にこやかに、「コピー、代わりましょうか?」と声をかけてくれました。
    とってもうれしかったけれど、機密資料です。人任せにできません。
    だから「ありがとうございます。大丈夫です。自分でできますから」と答えて、ひたすらコピーを取り続けました。

    ようやく全部のコピーをとり終わって資料を会議室に持っていきました。
    すると、すでに会議は終わっていました。
    もう席からも離れて、みなさんでゴルフがどうのと雑談されていました。

    「課長、コピー、済みました。」
    「ご苦労。じゃあ今日の会議内容を、
     明日の朝までに
     報告書にまとめておいてくれ」
    「自分は会議中コピーをしていて
     会議の内容をまったく把握していませんが。」
    「やかましい。俺がやれと言ったら、やれ。
     以上だ!」

    出席もしていない会議の会議録を作れというのです。
    誰がどのような話をしていたかなどまったく知らないし、わからない。
    なのに報告書をまとめろ!というのです。
    ある意味、理不尽きわまりない(笑)

    でも上司の命令です。
    できませんとは言えないから、「わかりました」と答えて、どう書こうか考えていたら、
    「みんなで飯を食いに行くから、お前も来い!」

    関西圏の大物支店長さんたちと一緒に、これから晩飯に行くというわけです。
    食事が終わって、さあ、ホテルに帰ってレポートを・・・と思っていたら、そのままみなさんで二次会へ。
    結局、三次会まで付合わされて、ようやくホテルに帰ったのが、午前2時過ぎでした。

    もともとお酒に弱いのに、無理に飲まされたから、もう目の前がグルグルまわっています。
    ところがホテルのロビーに着くと、課長いわく、
    「明日は大阪支店で8時から会議だから
     7時半にロビーで待ち合わせにしよう。
     それまでに今日指示した会議報告をまとめておけ!」

    目の前がぐるぐる回っている状態でやっとの思いで部屋にたどり着いて、さて、机の上に書類を広げて報告書をまとめようとしても、酔っ払っていて、文字になりません。
    (当時は、報告書は、まだ手書きの時代です。)

    仕方がないから、少しだけ横になることにしたのですが、ベットで寝てしまったら熟睡してしまいます。
    ですから、椅子に腰掛けたまま、すこしだけ仮眠を取ることにしました。
    それが、午前2時半頃。
    1時間半ほど仮眠をとって、4時に起き出し、シャワーを浴びて、すこし酔いが抜けたところで、その日、コピーした資料に目を通し、各支店ごとの概況を報告書に書き、また今後の対策として5項目の決議事項を書きました。

    書き終わったのが、朝の7時です。
    支度をして、7時半少し前にフロントに降りていくと、そこにはもう課長が待っていました。
    テーブルの上には、タバコの吸殻が2本ばかり。
    (この当時は、ホテルのフロントで喫煙が普通でした)

    てことは、7時には課長はフロントに降りてきていたということになります。
    レポートができてるのか、心配だったのでしょう。

    「おはようございます」
    「おはよう。報告書はできたか。」
    「はい。こちらに。」
    「見せてみろ」
    「はい。」
    「うん。これでいい。
     じゃ、行くぞ」

    というわけで、支店に行き、朝8時の会議で関西全域の支店長さんたちに、報告書のコピーを配って、今後の対策の5項目の実施が命じられ、9時には新大阪の駅で新幹線に飛び乗って、11時半には東京の本社の役員会議室で、報告会議となりました。

    今思えば、とても貴重な、良い経験をさせていただいたと思います。
    このとき会議に出てもいない私が書いた報告書は、今後の対策までもが述べられていたものでしたが、要は、そこが問題ではなかったのです。
    今後の対策といったって、状況次第では、対策も変わるのです。
    現状の状況分析や問題点の抽出、そして今後の展開の構築は、あくまで「その時点における方法論」にすぎません。

    事態は刻々と動きます。
    その瞬間の現状把握と、最善と思われた方法は、次の瞬間には、即座に変更を余儀なくされることもある。
    今後の対策と言ったところで、そんなものは情況が変化すれば、たちまち役に立たなくなるのです。
    現時点における問題点の抽出にしても、問題を深堀りすれば、まだまだ、奥からいくらでも問題は出てきます。
    そういうものなのです。

    大切なことは、問題意識の共有と、何が何でも解決するのだという姿勢の共有化、そしてそのための本支店間の完全な連携と、そのための意識の共有化です。

    目的は問題の解決にあります。
    解決のための方法論は、そのための手段のひとつにすぎないものであり、状況に合わせて変化するものです。
    筆者の報告書の作成は、そういう意味では、あくまでその時点のものでしかありません。

    一方、課長が行ったのは、
    1 「事態を解決する」という本社の明確な意思の現場への徹底
    2 そのための本支店間、および支店間の境界の撤去
    であったのです。

    繰り返しますが方法、つまりハウツーは、情況が変化すれば変更しなければならないものですし、個別の事件によって細かな調整が必要なものです。
    つまり事態の解決のための方法に、あらかじめ定まったものなど、ないのです。

    いま把握している事態は、現時点から見た、過去の状況です。
    問題解決するためには、現時点から先の対応が必要です。
    しかし問題がまだ流動的な段階では、事態を抑えるための緊急措置は必要ですが、方法論としての抜本的な解決策など「ない」のです。
    あるのは、その瞬間に集められた情報に基づいて、その時点で最善と思われる手段を講じること。
    その手段は、次の瞬間には、変更を余儀なくされることも想定されます。

    つまり計画が立てられない状況にあるのですから、事態が動いている間には、ときに朝令暮改のようなことも起こり得るわけです。
    そして朝令暮改は、本支店間の結合(むすび)を断つことにもなりかねません。
    つまりそれは、全社一丸となっての事態の解決の障害となることになります。
    本支店が一丸となって「問題を解決する」という鉄の意志の徹底こそが大事なのです。

    そしてこのときの役員さんの命令、そして課長の命題は、まさにその鉄の意志を明確に現場に伝えることにあったわけです。
    事態は数字でわかります。
    今後の対策、つまりハウツーは、報告書の形式として書かれていても、そのようなものは、流動的なものでしかない。
    たいせつなことは、絶対に解決するという意思を、本支店間で完全に一致させること。
    そこにあります。

    こうしたことを、若い頃に経験させていただいたことは、本当に幸せなことであったと思います。

    近年は、いわゆるハウツーものが大流行で、誰でもその通りに実践すれば幸せになれる、事業に成功する、人生に勝利できるなどといった標語が並んでいます。
    しかし、人生にしろ仕事にしろ、人によってその影響力は様々だし、市場は常に変化します。
    「成功の法則」は誰もが欲しがりますが、現実にはその人にとっての「成功の法則」など、存在しないのです。

    成功者が語る成功の法則も、たまたまその人が、それで成功しただけであって、それは、その人がたまたまコイン1枚の表裏の占いで宝くじを買ったら1等が当たったからと、コイン占いの方法を語るようなものでしかないのです。
    では何が必要なのかといえば、それは、その瞬間瞬間に、最善を積み上げていくしかないのです。

    この「解決のため」というのが目的であり目標です。
    そして「最善と思われる事柄の積み上げ」のことを、ブリコラージュ(Bricolage)といいます。
    日本語的な言い方をするなら「積小為大」です。

    ブリコラージュは、フランス語で「繕(つくろ)う」ことを意味する言葉です。
    理論や設計図に基づいて物を作る「設計(コンセプション(Conception)」とは対照的に、その瞬間瞬間の最良を積み重ねることで目的を達成しようとするものです。

    建築物のようなひとつのハードを建造するようなときには、設計(コンセプション(Conception)と、これを形に表した設計図(プラン)が必要です。
    しかしそれができるのは、物事が流動的でない場合だけです。
    つまり、どこにどのような建物を建てるのかといったことがあらかじめ定まっている場合なら、コンセプションとプランは有効です。
    要するに、用地があり、完成予想図が確定しており、それに応じた予算もちゃんと手当できていれば、それらはきわめて有効です。

    しかし、多くの場合、曖昧に、家や会社社屋を建てたい、というぼんやりとした目的があるだけで、完成予想図もなければ、予算もない。
    事件を解決したいという目的があるだけで、誰が犯人か、どのようにして逮捕したら良いかもわからない。
    わからなくても、捜査は開始しなければならない、というのが、普通にあることです。
    そしてそれが、大勢の人が参加するプロジェクトなら、まずはみんなの気持ちを、ひとつの目的に絞ること・・・つまり的(まと)を絞って、それを的にすることに、全員の合意を形成することです。

    そこにバスケットボール部という部会があり、そこに学校で鼻つまみの不良が揃っている。
    練習もろくにしないから、試合に勝てるはずもない。
    勝とうという気持ちもない。
    ただ、どこかの部に所属していなければならないから、そこに集まっている。
    これでは、戦いに勝つことは、まずできません。

    だからまず、全国大会に出る、あるいは優勝するという目標を掲げる。
    そして全員の合意を形成する。
    これができて、はじめて、練習プランが生きてきます。
    合意の形成もないのに、先に詳細な練習プランなど作っても、誰もそれを実行しないなら、プランに何の意味もないのです。

    つまり、ハウツーよりもまえに、まずは、ひとつの目標に向かう心を一致させること。
    そのために、最善と思われる事柄を積み上げる、つまりブリコラージュ(Bricolage)する。
    そうしてはじめて、設計(コンセプション(Conception)と、これを形に表した設計図(プラン)が生まれるのです。

    ハウツーというのは、その設計図の書き方とか、設計の仕方のテクニックのことをいいます。
    しかしそのようなテクニックをいくら知っていても、それはスマホやパソコンの中に、使えもしないアプリをたくさんダウンロードしているようなもので、ただ持っているというだけで、何の足しにもならない。

    その意味で、ハウツーよりも前に、実はもっと大切なことがあるのだということを、私達は知っておく必要があると思います。

    日本を取り戻したい。
    それは多くの日本人が思うことです。
    けれど、ハウツーがない。
    しかし、問題の本質は、ハウツーにあるのではなくて、取り戻すべき日本の形を持っていないというところにあるように思います。
    ただ現状を否定したいがために、昔は良かったというだけなら、それはただの年寄の繰り言です。
    それでは日本が変わることも、日本を取り戻す日も、永遠にやってくることはない。

    必要なことは、日本をどうしたいのか。
    そのために必要なことは、青写真よりも、もっとずっと手前の私達にとっての理想です。
    それはむしろ、新日本建国のための新しい理念といえるものかもしれない。

    7世紀と19世紀に、日本は大きな変化を遂げました。
    そしていまは、明治維新以来の、日本の大改革の、後半戦に突入していると見る人がいます。
    そのとおりと思います。
    つまり、明治維新は、過去の出来事ではなくて、いまなお現在進行系の出来事です。

    個人的には、日本が目指す道は、米国やChinaが求める世界最高の権力を持つ国ではなく、世界最高の権威を抱いた国であろうと思っています。
    権威というのは、何が正しいかの価値観を明確にするものです。
    日本は、古来、すべての人々を「おほみたから」とする、大切な宝とするという国柄を持つ国です。
    ウイグルへの弾圧や、インデアンの虐殺や、アフリカの飢餓のようなことを、我々日本人は好まないし、望みません。
    我々日本人は、そうしたものを邪悪とみなします。
    そうであれば、日本が目指すべきは、価値を示すことです。
    そして価値というのは、古いことに意味があります。
    より古くからあるものが、正しいものとしての権威を持つのです。

    権力の要素は、「カネ、情報、武力」です。
    権威の要素は、「歴史、伝統、文化」です。

    いたずらにハウツーに走るのではなく、合意の形成の大切さを考えることで、日本の目指す道も見えてきました。
    いまの日本に必要なこと、あるいは人生において必要なことは、まさにそういうところにあるのではないかと思います。


    ※この記事は2021年2月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

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  • ヨモツシコメと女軍


    現代日本では、結婚しても女性たちは外で職場という名の戦場に狩り出されています。働くことが良くないことと申し上げているのではありません。共稼ぎをしなければ暮らしていくことができない社会というものが、本当に国民にとって幸せな社会といえるのかどうか。私達は原点に還って考えてみなければならないのではないでしょうか。


    20240228 桜と参道



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    ヨモツシコメは、日本神話に登場します。
    『古事記』では豫母都志許賣、『日本書紀』では泉津醜女と書かれています。
    どちらも読みは同じです。
    黄泉の国でイザナギを追ってきたヨモツシコメに向けて、イザナギが食べ物を投げ与えると、彼女たちは命令されていた「イザナギを追う」という目的を忘れて、その食べ物に取り付いたと記述されています。

    このヨモツシコメについて、解釈は様々なものがあります。
    何千年も、もしかしたら何万年も前からある神話なのです。
    様々な解釈があってあたりまえですし、むしろ様々な解釈がないほうがおかしいとさえいえます。
    ところが、このヨモツシコメが、神武東征の物語の伏線になっていることを指摘する人は少ないようです。

    どういうことかというと、神武天皇は畿内に入られてから、ナガスネヒコの襲撃を受けて一旦は兵を引き、その後、態勢を整えて、再びナガスネヒコの軍を目指します。
    そこでエウガシを討ったあと、天皇は菟田(うだ)の高倉山(たかくらやま)の嶺(いただき)に登られて敵の様子を見ようとされます。
    すると丘の上に、すでに敵の大軍勢があったというのですが、その大軍勢は、
    「女坂(めさか)に女子の軍隊を配置し
     男坂(おさか)に男性の軍隊を配置していた」
    というのです。

    敵はどうして、戦いを前にして、女ばかりの軍勢と、男ばかりの軍勢に別けていたのでしょうか。
    男女の混成軍でも良いはずですし、そもそも戦いは男がするものです。
    女性を最前線に出して戦わせるというのは、あまり考えられないことです。

    現代でも、街宣デモなどで、女性ばかりでデモが行われることはあります。
    余程の理不尽を前にして、女性たちが「戦い」を選択しているわけです。
    では、神武天皇の東征を記紀は理不尽だと述べているのでしょうか。
    おそらく、それはありません。

    ここで、イザナギのヨモツシコメの物語がつながってくるのです。
    ヨモツシコメの「シコメ」は、日本書紀は「醜女」と書いています。
    それは文字通り、醜い女性たちを意味します。
    けれど本来女性たちというのは、平和を愛し美しくあることを望むものです。
    (もちろん例外もあるでしょうけれど、縄文以来、日本女性はおしゃれなのです)

    ヨモツシコメたちというのは、食べ物を奪われ、貧困のどん底暮らしとなり、身を飾ることもできず、やせ衰えて醜い姿となってしまってた女性たちです。
    それは本当に哀れなことです。
    そんな哀れな女性たちが、上から強制されてイザナギを追ったというのが、前段の物語です。
    イザナギは、追ってきたそんな彼女たちに食べ物を与えました。
    これは慈悲の心です。
    暮らしのすべてを奪われ、理不尽にただ上からの強制に従わざるを得なかった彼女たちに、イザナギは愛を示されたのです。

    時は移り、神武東征の際にも、ヨモツシコメたちと同じ理不尽が行われた女性たちが、女軍となって神武天皇の前に立ちはだかります。
    どうしたら良いかと悩む神武天皇に、天つ神々は、酒を用意せよと夢で告げます。
    我が国では、酒は米から造ります。
    酒が象徴しているのは、稲作であり、お米です。
    つまり、彼女たちが、ちゃんとお腹いっぱいご飯を食べることができるようにせよ、と命じられておいでになります。

    ここに、我が国が大切にしてきた文化の、ひとつの根幹があります。

    一部の人の贅沢な暮らしのために、民衆から収奪を重ね、女性たちまでもが職場という戦場に出なければならないような統治を、これらの物語は明確に諌(いさ)めているのです。

    子を産み育てる女性たちは、国の宝です。
    すこし過激な表現になってしまいますが、古典の話なのでご了承いただきたいのですが、女性だけが体内に宮(みや)を持ちます。
    だから子の宮と書いて子宮です。
    神社には参道があり、宮があり、そこに神が宿ります。
    参道は産道であり、宮は子宮です。
    つまり女性だけが体内に神を宿し、天上界の神々とも直接つながることができる力を持っているとされてきたのです。
    これが日本の古来からの文化です。

    そんな女性たちが、戦いの場に狩り出される。
    それは、一部の人の利益利権のために、多くの民衆が収奪を受け、貧困な暮らしを余儀なくされた社会の、ひとつの象徴であるということを、記紀は描いているのです。

    ひるがえって現代を見るに、結婚しても女性たちは外で職場という名の戦場に狩り出されています。
    働くことが良くないことと申し上げているのではありません。
    ただ、共稼ぎをしなければ暮らしていくことができない社会というものが、本当に国民にとって幸せな社会といえるのかどうかということを、私達は社会の原点に還って、いまいちど考えてみなければならないのではないか、と申し上げたいのです。

    人口の集中する都会の暮らしでは、子のいる家庭なら、狭いながらも最低2DKはほしいところです。
    けれど都内なら2DKの家賃は30〜40万円です。
    つまり年間360万〜480万円の家賃が発生します。
    日本人のひとりあたりの所得が400万円という時代に、これでは共稼ぎをしなければ食べていくことができないのは当然です。

    もちろん、昔の農家では、女性たちが畑仕事をこなしたし、稲作も女性たちの仕事とされてきた歴史があります。
    家のために働く、家族のための働くということ自体は、決して悪いことではありません。
    ただ、自由意志で家族のために働くことと、強制徴用されることでは、意味が違うと思うのです。
    まして、強制徴用に応じざるを得ないほどの貧困がまかり通っているのだとしたら、それこそ政治の貧困といえるのではないでしょうか。


    日本をかっこよく!

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  • 敬神の詔と大調和の精神


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    我が国は、神道と仏教を見事に大調和させていきました。
    後年の歴史において、我が国ではこの詔の後、仏教宗派同士の衝突は起きていますが、神社間の争いはおろか、神社とお寺の対立や闘争は、ひとつも起きていません。どうしてこのようなことを実現できたのでしょうか。


    推古天皇
    20200602 推古天皇



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    どんなことでもそうですけれど、すべてのことの成り立ちには、その理由と歴史があります。
    日本における大調和の精神というものも、はじめからあったわけではなくて、時代ごとに様々な経験をしながら、そのなかで必死に調和の道を模索し続けた結果が現代に至っているものです。
    とりわけ信仰上の対立となると深刻で、まさにいまでもそのために戦争が起きています。

    さらにこの「信仰上の対立」に、「有力者の経済的得喪」が絡んでくると、事態は更に深刻で、国際外交であれば戦争に至るし、国内問題であればほぼ間違いなく内乱になります。
    そして、乱や戦争が起きれば、都度、犠牲になるのは一般庶民の若者たちです。

    元海軍航空隊松本裕昌氏は、次の言葉を著書の『我が予科練の記』で述べられています。
     我々は、今後決して、
     権力者の野望を満たすために、
     若者のエネルギーを、命を、
     奪ってはならないし、
     また奪われてはならない。

    この言葉の通りなのです。
    内乱や戦争のようなものは、その背景に必ずといってよいほど、権力者の損得勘定があります。
    これがなければ、人類史上の戦役の、おそらく99%は防ぐことができたであろうものと思います。

    なかでもとりわけ深刻な、信仰と利害が結びついた古代の紛争を、私達の祖先は、どのようにして乗り越えてきたのでしょうか。

    第30代敏達天皇の即位14年春2月24日のことです。
    この日、蘇我馬子が流行病に倒れました。
    そこで占い師に問うと、
    「父のときに祀った仏を放置した祟り」
    との卦が出ました。

    蘇我氏は大臣(おほおみ)です。
    公人なのですから、結果は天皇にも奏上されました。
    すると天皇は
    「卜者の言葉に従って、
     父の神(=稲目が祀った仏)を祀りなさい」
    と詔(みことのり)されました。

    このときの病は、実は国中に広がって、多くの民が亡くなっていました。
    そのような情況の中で、天皇が「仏を祀れ」と詔されたと聞いた物部守屋大連(おほむらじ)は、3月1日、中臣勝海とともに禁裏にまかりでました。
    そして主上に
    「なにゆえ
     我らの言葉を
     用いないのでしょうか。
     父天皇であられる欽明天皇から、
     陛下(敏達天皇)の時代に至るも
     病が流行して、
     国の民の命が絶たれています。
     それは蘇我臣が
     仏法を興しているからで
     ございます」
    と奏上します。

    天皇は
    「それが明らかならば、
     仏法を止めよ」
    と詔されました。

    こうして3月30日には、物部守屋は自ら寺に詣出て、床几(しょうぎ)に座ると、寺の塔を切り倒し、これに火をつけ、仏像と一緒に焼き払いました。
    さらに焼け残った仏像を取って、難波の堀江に捨ててしまいます。

    この日は雲が無いのに風が吹き、雨が降っていました。
    物部守屋は雨衣を被りながら、蘇我馬子に従う仏僧らを詰問しました。
    さらに蘇我馬子が供えた尼たちを呼び寄せると、彼女たちを牢屋に預けました。
    牢番たちは、尼たちの三衣(さむえ)を奪い、縛り上げて市販の馬を叩く棒で、楚撻(そうち=鞭打)ちました。
    (便奪尼等三衣、禁錮、楚撻海石榴市亭)

    ところがそうまでしたのに、一向に疫病がおさまる気配はありません。
    蘇我馬子は、
    「これは
     物部氏が
     仏像や仏僧らに
     ひどい仕打ちをしたから、
     仏罰が下ったのだ」
    と言い出します。

    こうして、6世紀の日本は、蘇我氏と物部氏の相克の時代となっていきました。。。。。と、以上は日本書紀にある物語です。

    結局、587年の丁未の乱で物部氏は滅ぼされ、蘇我と物部の対立に決着が付きます。
    ひとつ、偉いと思うことがあります。
    この乱を通じて、物部守屋は、仏像を焼き払うときも、捨てるときも、そして蘇我馬子に屋敷に攻め込まれたときも、常に自分が先頭に立って指揮し、弓を射、常に最前線にあり続けたことです。
    これに対して蘇我の側は、大将は常に戦いの最後尾にありました。

    このことが意味することは重大です。
    なにか大きな衝突が起きたとき、
     衝突を仕掛ける側と仕掛けられる側があれば、
     仕掛けられた方は、たいていの場合、大将自らが先頭に立って戦うし、
     仕掛ける側は、大将は後ろに隠れて前線には出てこないものだということだからです。

    このことは洋の東西を問いません。
    古代ギリシャのレオニダス王は、100万のペルシャ軍に対してテルモピュライの戦いで、まさに先陣を切って果敢に戦い、300人の将兵ともども全滅しました。
    その勇気の戦いは、二千年経った現代においても、西欧では勇気の物語として語り継がれています。
    しかし、レオニダス王の戦いよりも、はるかに深刻な戦いを、我が日本軍はあちこちで展開していました・・・とまあ、そのお話は置いておいて・・・現代でも、さかんに攻撃を受けている政党などがありますが、攻撃されている側は、代表自らがその矢面に立って戦っています。
    一方、攻撃を仕掛ける側に、裏で情報等を提供している人も、攻撃資金を出している人も、決して表舞台には登場してきません。

    さて、蘇我馬子は物部守屋を滅ぼしますが、それでも仏教と、日本古来の神道との間には、その後も軋轢がきしみ続けます。

    そうした時代下にあって、593年、推古天皇が御即位され、聖徳太子を摂政に親任されました。
    聖徳太子は、翌年2月1日に『三寶興隆の詔(仏教興隆の詔』を推古天皇の御名で発しました。
    「三寶」とは仏法僧のことです。

    「三寶興隆の詔」の具体的文言等は伝わっていません。
    ただ、この詔によって、当時の貴族たちが競って親の恩に報いようと仏舎を造営しました。
    そしてこの仏舎のことを「寺」と呼ぶようになったと記されています。
    (原文=是時、諸臣連等各為君親之恩競造佛舍、即是謂寺焉。)

    聖徳太子もまた、国の寺として、飛鳥寺、法隆寺(斑鳩寺)、中宮寺(中宮尼寺)、橘寺、蜂岡寺(広隆寺)、池後寺(法起寺)、葛木寺(葛城尼寺)、叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺などを次々に建立していきます。

    こうして仏教の興隆を十分に図ったあと、『三寶興隆の詔』の13年後に、聖徳太子は、
    607年2月『敬神の詔』
    を推古天皇の御名で詔するのです。

    そこには以下のように書かれています。
    「古来わが皇祖の天皇たちが、
     世を治めたもうのに、
     つつしんで厚く神祇を敬われ、
     山川の神々を祀り、
     神々の心を天地に通わせられた。
     これにより陰陽相和し、
     神々のみわざも順調に行われた。
     今わが世においても、
     神祇の祭祀を
     怠ることがあってはならぬ。
     群臣は心をつくして
     よく神祇を拝するように」
    (原文=朕聞之、曩者、我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祗、周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎。故、群臣共為竭心、宜拝神祗。)

    つまり、神々を敬い祀るのは「神々の心を天地に通わせるため(幽通乾坤)」と詔されたのです。
    ここにある「幽」という漢字は、糸が燃えている様子の会意象形文字ですから、そのようなかすかな灯りを頼りに天神地祇とつながるのです。
    かすかな灯りは、たいせつにしないと消えてしまいます。
    そしていつの世においても、庶民の声は、国政の前には常に「かすかな灯り」です。
    つまり「かすかな灯り」を大切にするということは、そのままひとりひとりの民草をたいせつにしていくということでもあるのです。

    道とは、生活習慣のことです。
    ですから生活習慣としての祭祀を「怠ってはならぬ」と述べているのです。
    神々の御心をしっかりと通していく道が、陰陽調和の道であるとされたのです。

    仏教に帰依し、信心することも大切です。
    同時に幽通乾坤のための祭祀も大切です。
    前者は信仰であり、後者は生活習慣です。
    対立する必要はないのです。

    こうして我が国は、神道と仏教を見事に大調和させていきました。
    後年の歴史において、我が国ではこの詔の後、仏教宗派同士の衝突は起きていますが、神社間の争いはおろか、神社とお寺の対立や闘争は、ひとつも起きていません。

    このようにして、我が国は大調和の精神を熟成してきた歴史を持つのです。


    ※この記事は、2023年2月のねずブロ記事を大幅にリニューアルした記事です。
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    グアムの陥落によって、米軍はグアムに航空基地を設置。日本本土への無差別空爆が始まっています。そしてこの戦いで、日本の守備隊総員2万810名のうち、1万9,135柱英霊の命が失いました。しかしそれでも一部の生き残った兵士はゲリラ戦を行って執拗に抵抗を行い続けました。


    ラッテ・ストーン (Latte stone)
    ラッテストーン



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    トップの写真はグアムのラッテ・ストーン (Latte stone) です。

    ラッテ・ストーンというのは、グアムなどのあるマリアナ諸島に見られる石柱群です。
    ところがこのラッテ・ストーン、「9世紀から17世紀にかけて作られた古代チャモロ文化の遺跡らしい」という以外、何に使われたのか、どのように使われたのかなど、まったくわかっていません。

    現地の人々は、ラッテ・ストーンには「タオタオモナ」と呼ぶ祖先の霊が宿っているといいます。
    「タオタオモナ」が何者なのかは、謎です。

    けれど、これをローマ字で書くと「tao tao mona」です。
    なんだか「to toi mono(尊いもの)」が転じた言葉のような気がします。
    あるいは「tae nai mono(絶えないもの)」かもしれません。
    絶えないもの、絶やしてはいけない精霊が宿っている。
    あるいは尊いもの、捧げなければいけない尊いものが宿っている等々です。

    日本の縄文文化との関わりを指摘される方もいます。
    縄文人たちは南米までも交易していたというし、古代から海洋交流をさかんに行なっています。
    最新の古代史研究では、どうやら古代倭国は、九州から朝鮮半島南部、琉球、台灣、フィリピンから東南アジア、太平洋から南米まで影響力を持った巨大国家であったとされるようになってきました。

    つまり、大東亜戦争の当時に、日本領となっていたエリア、それは地球の3分の1を占める広大なエリアですけれど、それがまさに先史時代には、倭国とその影響下にある巨大連邦だったという説です。

    チャモロという音自体、もしかすると「to toi mono(尊いもの)」が転じた言葉なのかもしれません。
    なんだか言葉の遊びみたいに思えるかもしれませんが、たとえば中世のインドに「ムガール帝国」という大きな王朝があったことはみなさんご存知と思います。
    「ムガール」というのは、「ムガル」つまり、モンゴルが転じた言葉です。
    日本では、たとえば東北の方ですと、元寇で攻めてきた蒙古のことを「ムグリ」と発音します。これと似たようなものです。

    ひとつの言葉は、それぞれの国や民族の言語に訳されますが、その国の言語によって、いわば「なまり」が生まれ、表記するときに変化します。
    ですから、日本は、ヤマトを「日ノ本」と国号しましたけれど、その「日本」は、中国語の発音だと、「ジツ・ポン」です。
    その「ジツ・ポン」をマルコ・ポーロが自国語に翻訳したとき、これを「ジパング」と訳しました。
    その「ジパング」がヨーロッパ諸国でいろいろに訳されて、英語圏では「JAPAN」となっています。
    つまり「JAPAN」は、「日本」という漢字の音読みなのです。
    ※現代中国語では、日本は「リーペン」と発音します。「ジツ・ポング」と発音したのは14世紀のチャイナです。チャイナは王朝が交替するたびに民族と言語が入れ替わってきた国です。日本語の漢字の音読みが複数あるのはこのためで、呉音、漢音、唐音など、ひとつの漢字に複数の音読みがあります。

    さて、グアムのチャモロ人たちが、ラッテ・ストーンが何に使われたものかわからなくなっているのですが、わからなくなった理由は、16世紀にさかのぼります。
    ある日、スペイン人たちがやってきて、彼らの持っていた文化を徹底的に破壊してしまったのです。
    南米と似ています。
    南米も、インカ帝国は、遺跡はあるけれど、それが何のために築かれたのか、どのような文化がそこにあったのか、いまではまったくわからなくなっています。

    ちなみに近年では、インドネシアのボロブドゥール遺跡に、アウトリガーの付いた外洋帆船と共にラッテ・ストーンと思われる石柱の上に建造物が乗っている壁画が発見され、このことからラッテストーンは、建造物の土台説が有力となっています。

    さて、グアム島を含むマリアナ諸島に人が住みついたのが、紀元前3000年~2000年頃だといわれています。(もっと古いという人たちもいます。)
    マレーシアやフィリピン、インドネシアから、カヌーに乗って移住してきたといわれていますが、確証はありません。
    一方、魏志倭人伝によると日本は黒歯国といって、どうやら南米のエクアドルあたりまで進出していたようですから、縄文人たちが進出していたのかもしれません。
    このあたりはいまとなっては、歴史の闇の彼方のお話です。

    ヨーロッパ人がグアムにやってきたのは1521年のことで、マゼランがヨーロッパ人としてはじめてでした。
    そしてグアム島は、1565年にスペイン人のレガスピがやってきて、島の領有を宣言し、スペインの植民地となりました。

    現地の人とスペイン人との間には、何度となく激しい戦いがあったようです。
    しかし、スペイン統治の333年間に、先住民であるチェモロ人の純血種は絶えてしまいました。
    現在島にいるのはスペイン人との混血だけです。
    そして、チェモロ人たちの文明がどのようなものであったのか、どのような歴史を持っていたの、どのくらいの人口があったのかさえも、いまでは、まったくわからなくなっています。
    チェモロの歴史は、完全に絶えてしまったのです。
    いまのこっているのは、石でできたラッテ・ストーン、ミクロネシアダンス、庶民の生活、恋人岬の伝説、そしてスペインなまりのチェモロ語など、その痕跡しか残っていません。

    植民地になる、他国に占領される、それはそうなることを意味します。
    日本もかつて占領統治を受けました。

    それでも私たちが日本文化をいまだに失わずにいるのは、ABC級戦犯などという汚名を受け、多くの人が殺されながらも、生き残った人たちが日本人であることの誇りを失わず、占領統治下にあっても、武器を言論に置き換え、またなによりも国土の保全と復興のために真剣に真面目に取り組んでくださったおかげです。

    戦争は、銃を手にしてドンパチすることだけが戦争ではありません。
    占領統治も戦争です。

    昭和27年のサンフランシスコ講和条約で、条約上は戦争が終結しています。
    けれど米軍基地が日本に置かれているということは、日本はいまだ占領統治化にあることを示します。
    つまり日米は、ドンパチをしていない、むしろ協力しているというだけで、政治的行政的にはいまだ占領下、つまり戦争状態にあります。

    占領に流され、日本を見失い、おかしな政治思想に流された人もたくさんいましたが、それでもなお、日本が日本でいられるのは、終戦後も、日本を守るためにたくさんの血を流してまで戦い続けてくださった諸先輩方の凄味のおかげです。決して戦後生れの現代人のおかげではないことに、我々は気づく必要があります。

    さて、グアムを植民地にしていたスペインは、1894年にアメリカと米西戦争を起こしました。
    戦いは米国の勝利となり、グアムはアメリカに割譲されました。

    初代総督の米海軍大佐レアリーは、グアムの英語化を指示しました。
    その内容は、住民が英語でサインができればOKというものでした。
    サイン以外の、住民に対する教育には、アメリカはまるで関心を持ちませんでした。
    ここは大事なポイントです。

    現地の人たちはチェモロ語しか話せないし書けないのに、公用語は英語なのです。
    役所関連の仕事は、英語でなければいっさいできない。
    ところがその英語を教えてくれる人はいない。
    英語教育の制度もない。
    当時の現地の人たちの苦労が偲ばれます。

    一方、1914年にはじまった第一次世界大戦の結果、1919年のパリ講和会議で、日本は、ドイツ領だったミクロネシアと、北マリアナ諸島をドイツに代わって統治することになりました。
    日本統治になることで、ミクロネシア、北マリアナはみるみる発展していきます。

    ここでおかしな現象がおきます。
    大国が勝手に決める国境とは別に、島の人々は、相互に交流しているわけです。
    米国領であるグアムのチャモロ人が、日本領になった近隣の島々を訪問すると、そこで日本統治による発展を目の当たりにするわけです。
    チャモロ人たちが、日本人に対し尊敬と賞賛の気持ちを抱いたのは、当然の帰結だったろうと思います。

    そして、1941年12月8日、日米が開戦となりました。
    日本は、真珠湾攻撃の5時間後、米領グアムへの攻撃を開始し、わずか1日で米軍の軍事施設を陥落させました。そして12月10日には米領グアムの占領を宣言しています。日本軍は、めちゃくちゃ強かったのです。

    日本によるグアム統治は、その後、約2年7か月続きました。
    日本は、グアムを「偉大なる神の居る島」を意味する「大宮島」と改名しました。
    そして学校、医療、道路などの社会的インフラを整備しました。
    同時にチャモロ人に対して、住居・信仰・言論の自由等を保障しました。

    現地での教育は日本語で行いました。
    本当はチャモロ語で教育したいところですが、社会用語や科学技術用語は、全部日本語です。
    ですから現地の社会制度を確立し、技術振興を図るためには、日本語で教育するしかなかったのです。

    国民皆教育制度は、日本統治下の「大宮島」時代になってようやくグアムで確立されました。
    日本語での教育なのですが、島の人々はとても勤勉で、また日本語での教育を受けることをたいへんに喜びました。

    米国統治時代には、名前が英語で書ければ十分だったけれど、日本は、学校を作り、語学、算数、理科、社会をきちんと教育してくれたのです。
    いまでは学校教育を面倒に感じる人も多いかと思いますが、それは戦後教育にある一定の歪みが生まれたためです。
    本当は、知識を得るということは、とても楽しくエキサイティングなことです。

    そのことは、戦前戦中の学校と、いまの学校を比べたら一目瞭然です。
    いまは、学校が徒歩五分のところにあっても、学校に通うことを喜びにしている生徒は、あまりいないようです。
    けれど戦前戦中は、遠い子は毎朝5キロも10キロも歩いて登校したのです。
    雨の日も、雪の日も、です。
    なぜでしょう。
    学校が楽しかったのです。
    そこに志と希望、そして何より知的興奮となる学ぶことの楽しさがあったからです。

    当時を知るチェモロ人たちも、当時の日本語の学校の思い出が、まさに人生の宝だといいます。
    そういうものが、本来の教育というものなのだろうと思います。

    ですからグアムには、いまでも、当時世話になった日本人の名前をもらい、自分の家族名にしている人たちがたくさんいます。
    日本統治時代の教育が、いまでの彼らの誇りなのです。

    ところで、グアムが日本の統治下になるということは、米国にとってグアムは「敵に占領された米国領土」となります。
    米軍は、日本本土攻略のための基点として、そのグアムの奪還と占領を目論みます。

    1944年、米軍は先ず戦艦による艦砲射撃と空母艦載機及び陸上爆撃機(B-29)で、グアムの日本軍施設の爆撃を開始しました。
    予定では6月18日には部隊を上陸させるはずだったのだけれど、日本軍の猛烈な抵抗にあい、上陸開始は、1ヶ月以上も遅れた7月21日です。

    その間、1ヶ月以上にわたり、グアムは艦砲射撃と空爆の嵐に遭いました。
    美しいサンゴの自然が破壊され、山の形さえも変わってしまっています。

    日本守備隊は、米軍の上陸を、水際で食い止めようとしました。
    そのために揚陸中の米軍を重火器で激しく攻撃しました。
    日本守備隊は、20両のLVT(水陸両用装軌車)を破壊したけれど、弾薬の補給が間に合いません。

    島にいた日本軍守備隊の将兵は、18,500名です。
    対する米軍は2個師団55,000人+戦艦+航空機による爆撃という圧倒的戦力です。

    7月28日 早朝から、上陸した米軍は、戦車数十両で日本軍師団司令部のある本田台を包囲しました。
    日本側はこれに対し、対戦車爆弾を抱えて、敵戦車に体当たり攻撃を行いました。
    しかし、機銃や火炎放射機に阻まれ、味方の死傷者がつのり、ついに対戦車爆薬さえ尽きてしまいます。

    それでも日本の将兵たちは、手榴弾による悲壮な攻撃をしかけました。
    戦車に手榴弾は通用しません。
    では何をしたのかというと、敵戦車に乗り込み、天井の蓋を開けて、中に手榴弾を放り込んだのです。
    完全防備で、しかも周囲を米兵で固める戦車には、近づくことさえ容易なことではありません。
    それを近づき、戦車の上に乗り込み、手榴弾を放り込むのです。
    あまりにもすさまじい鬼気迫る戦いです。

    この悲痛な状況の下、高品彪(たかしなたけし)中将は、全島で3000名以上の生存者があることを考え、戦車の重囲から脱出し北方での再起を決意しました。

    高品彪(たかしなたけし)中将
    高品彪中将


    午後2時、高品師団長は、敵の機関銃弾を受け、壮烈な戦死を遂げられました。
    7月29日、日本軍の残存兵力は、陸軍約1000名、陸戦隊約800名、戦車部隊、砲6門、その他約2500名となりました。
    この時点で、もはや日本軍には、陸海軍の区別も、第1線と後方の区別もありません。
    その中で、まだ戦える者全員が又木山(マタグアック)に集結しました。

    全員が負傷兵です。指のない者、腕のない者、足のない者、片眼がつぶれている者もいました。
    残された戦いの手段は、敵戦車、敵機関砲に対し、銃剣突撃だけです。銃はあっても弾がありません。

    8月9日、早朝から約50両の米戦車が、一斉に最後の日本軍陣地である又木山への攻撃を開始してきました。
    8月10日、残った日本兵は、みなで話し合って、翌11日を期して最後の攻撃を敢行することを決めました。
    午後8時、小畑英良中将が天皇陛下並びに大本営に対し「己れ身を以て、太平洋の防波堤たらん」との決別の電報を打ちました。

    そして、8月11日午後2時35分、 又木山に集結した日本軍残存兵力の約60名が、小畑中将とともに自決されました。
    8月13日、米国はグアム全島の占領をラジオで発表しました。

    グアムの陥落によって、米軍はグアムに航空基地を設置。日本本土への無差別空爆が始まっています。
    そしてこの戦いで、日本の守備隊総員2万810名のうち、1万9,135柱英霊の命が失われました。
    しかしそれでも一部の生き残った兵士はゲリラ戦を行って執拗に抵抗を行い続けました。
    ナイフしかない、食べ物も、水もない。そんな状況下で、亡くなった将兵の武器や弾薬を集め、ジャングルに隠れながら戦い続けました。

    そのなかのひとりに、若き日の横井庄一伍長がいました。
    彼は、1972年(昭和47年)まで、グアム島内に潜伏しました。味方が再来するときを信じて、たったひとりでグアムで戦い続けました。
    その横井庄一氏の帰国の際の第一声は「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」というものでした。

    横井さんは、日本に帰国後、どうして日本は負けたのかの質問に、こう答えられました。
    「武器がなかったからです。精神は勝っていた」

    グアムは、いまは、アメリカ領土です。
    しかしグアムは、米国の「未編入領土(Unincorporated Territory)」とされています。
    グアムは、グアム議会の決議より、米国合衆国憲法が優先され、住民は合衆国政府が定めた納税義務を負っているのですが、そうであるにもかかわらず、グアムの人々には、大統領選挙に参加する資格は与えられていません。

    要するに「未編入領土」というのは、植民地の言い換えです。
    つまり、グアムはいまだに米国の植民地です。
    そして全島の3分の2が、米軍基地です。

    現在、グアム島の人々の経済は、米軍基地を中心に成り立っています。
    けれど本当は、日本に戻りたいのだそうです。
    解決の方法ですか?
    ただひとつです。
    それは日本が米軍基地を買い取って、人も装備もそのままに日本軍基地にすることです。



    ※この記事は2015年2月のねずブロ記事のリニューアルです。
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    「愛」という字の音読みは「あい」です。訓読みは「めでる、いとし、おもひ、うい」です。たとえ小さな愛であっても、「愛(いと)しく愛(め)でるような気持ちで、愛(う)いやつだと愛(おも)ふ」こと。そういうことを大切にしていくこと。それこそが日本人にとっての愛であり、日本のもとからある国柄です。


    20200227 金閣寺
    画像出所=https://www.yanoman.com/products/item/10-1315
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    仕事から帰って風呂に入り、風呂からあがって冷蔵庫を開き、中から缶ビールを1本取り出して、プシュッと音をたてながら缶を開け、ビールをひとくちのみながら、「ああ、今日も疲れたなあ」とため息をつく。
    いつもと変わらない日常。
    いつもと変わらないほろ苦いビールの味。
    そんな小さな日常がどれだけ幸せなことか。
    私たちはあらためて考えてみる必要があると思います。

    ひとたび災害が発生すれば、あるいはいつ空襲警報が鳴るかわからない戦時にあれば、あるいは家族の誰かが疫病に罹患すれば、あるいはいま大陸にあるような飛蝗(ひこう)《イナゴの大群》に襲われれば、あるいは飢饉に襲われれば、そんな小さな日常は、ものの見事に吹っ飛んでしまうからです。

    希望する大学に合格するとか、好きな人と結ばれるとか、マイホームを建てるとか、昇進するとか、人生にはそれぞれに大きなイベントがあります。
    大きな幸せと言っても良いかもしれない。
    けれど、なんてことのない日常、「疲れたなあ」とため息をつける、そんなありふれた日常こそが、私たちが護らなければならない、そして国が護らなければならない最大の使命です。

    毎日を、愚痴や文句を言いながらでも、普通に生きることができる。
    そんな普通の日常を送ることができる、そんな小さな幸せこそが、実は一番大切なことなのです。

    万葉集には、そんな小さな幸せの歌が数多く掲載されています。
    なんでもない日常を詠んだ歌です。
    フラレたり、片思いに胸を焦がしたり、なかなか出世できなくて愚痴を言ってみたり。
    今年は暖冬で、もう梅が咲いていますが、そんな梅の花を眺めて、あんまりにも綺麗だから「ワシの家にも来て咲いておくれ」とワガママを言っている歌などもありします。

    「だから万葉集はくだらない」と笑いものにしようとされる方もおいでになります。
    けれど気づいていただきたいのです。
    万葉集が編纂された意図は、そういう、いっけんするとツマラナイと思われるかもしれないごく普通の日常こそを極限にまで大切にしていこうとされてきた、歴代天皇や貴族、あるいは地方の豪族たち、夫や兄や、母や娘の思いの歌を綴った歌集が、万葉集なのです。

    これを勅撰で編纂した。
    このことの意味することは重大です。

    それはつまり、我が国の朝廷が、あるいは天皇が、極限までたいせつにしようとされてきたことが、まさにそういう小さな幸せ、なんてことはない日常の小さな愛を国のタカラとして大切にしていこうとしてきたことであることを示すからです。

    繰り返しますが、ひとたび戦禍を含めて災害が起これば、そんなあたりまえの日常は、またたく間に吹っ飛びます。
    さらに日本は天然の災害の宝庫といえる国です。
    地震、台風、干ばつ、洪水、土砂災害に火山の噴火に大津波、火災や流行病もあるし、いまだと交通事故のような人災もあります。
    そしてかなしいことに、災害は必ず起こることです。

    必ず起きるとわかっているなら、そして過去に悲惨な目に現実に遭った経験を持つなら、あるいは身近な誰かがそういう経験をしたというのなら、同じような被災が仮に再び起こったとしても、絶対に大丈夫なように、日頃から備えを万全にしておこうとする。
    これこそが日本の政府の最大課題です。

    それは、何もない日常からは、不要のことに見えます。
    目先の利益が優先するからです。
    そういう目先の利益だけが優先で、そのためには何をやっても良いとする国柄を持つ国もあります。

    けれど災害の多発する日本では、そのような生き方はできないのです。
    なぜなら、大きな災害が、必ず起きるとわかっているからです。

    もちろん、目先の利益優先で、そのためには何をやっても良いとする国柄を持つ国や民族にも、天然の災害はあります。
    たとえば疫病や飛蝗(ひこう)《イナゴの大群》や、砂嵐などがそれです。
    そうした国や民族が、現実に災害があるのに、そのことを一顧だにしないのは、歴史が途切れているからです。

    王朝の交替の都度、人口が3分の1、4分の1に減ったり、あるいは王朝は続いたものの、それが単なる収奪王朝であって、民衆が貧困のどん底に置かれ続けたような国や民族では、それまでの経験の蓄積が活かされないのです。
    なぜなら民衆が貧しくなりすぎて、無教養となり、活かそうとする民度が育たないのです。

    このことは、すべての人が、生まれたての赤ちゃんのときは、知識経験ゼロで生まれてくることと同じです。
    そして自分が生きてきた範囲でしか、知識経験を持たなければ、人も民族も国も、同じ失敗、同じ過ちをただ繰り返すだけになります。

    これを繰り返さないために、代々積み重ねられた智慧(ちえ)があります。
    人は、自分が直接経験していなくても、書や教えによって、自分が経験した以上の智慧を得ることができます。
    ここが、人と動物の違いです。

    日本は幸い2680年前から126代の天皇の治世が続く国であり、その間の文化文明、そして代々積み重ねられた智慧を失わずにくることができた国柄を持ちます。
    しかもその天皇には、初代神武天皇以前の時代の記憶としての神語(かむかたり)があります。
    神語が、どれくらい昔の経験まで明らかにしているかには諸説ありますが、筆者は3万8千年前には、すでにその蓄積が始まっていたと考えています。
    これは明らかに世界最古です。
    そこまでいかなくても、我が国が世界一長い歴史を積み上げ、それまでの様々な経験が、現代にまで続いていることは、世界中の誰もが否定できない事実です。

    戦後は、そうした古くからの日本の智慧を、常に失わせる方向に物事が動いてきました。
    新米はおいしいけれど、実は食べるものではなく、古々米から食べる。
    新米と古米は大事にとっておいて、いざというときの災害に備える。
    感染症対策のため、家でも出先でも、手洗いと口をゆすぐことを習慣にする。
    そのためにきれいな水を確保できるように日頃からみんなで気をつける。
    田んぼの水、小川の水は、およそ30年かけて、透明で美しい地下水になります。
    それは私たちにとっての生活用水です。
    そうとわかっているなら、水を汚さない。
    田にも川にも、ゴミを捨てない・・・本来これらはあたりまえのことです。

    世界の諸国は、できてまだ100年にも満たない新興国であっても、自国の文化を大切にしています。
    できる限り、その国に蓄積された知識経験を活かし、自分たちにとって住みよい国を築こうと努力しています。
    けれど日本は、2600年以上の歴史を持ち、そのあいだに蓄積された智慧を持っていながら、それらの経験を戦後はただ「古い」というひとことで、すべて捨てきた。それが戦後の日本です。

    わかりやすいのがメディアです。
    大きな災害が起きるたび、「たいへんだ、たいへんだ」と八兵衛よろしく騒ぎ立てます。
    蓄積がない、というより、「いまだけ、金だけ、自分だけ」で、結果として歴史における智慧の蓄積を否定しているから、そういうことになります。

    だから日本は、戦後に生まれた新興国からさえも、蔑まれる国になっています。
    その結果が、30年続く不況だし、30年賃金が横ばいないし下降線という結果です。

    こんなことで良いのでしょうか。
    それで我々の子や孫たちの未来を護れるのでしょうか。

    人の世界では、小さなことが大きなこと、といわれます。
    そんな小さな愛を持つ人が、この日本列島にいま1億2600万人います。
    1億2600万個の愛です。
    それこそが大きな愛です。
    これを象徴するのが
    「一燈照隅、萬灯照国」
    という言葉です。

    「愛」という字の音読みは「アイ」です。
    訓読みは「めでる、いとし、おもひ」です。
    たとえ小さな愛であっても、
    「愛(いと)しく愛(め)でるような気持ちで愛(おも)ふ」こと。
    そういうことを大切にしていくこと。
    それこそが日本人にとっての愛であり、日本のもとからある国柄であり、その国柄を大切にしていくところに、日本の国家万年の大計があります。

     ***

    余計なことをひとつ書きます。
    ある方が、私の書いたブログ記事の件で、意見が異なったのでしょう。
    「それは違う」という内容のコメントを下さいました。
    拙ブログは、コメントに返事を書かないことにしています。
    このことが、その方のお気に障ったらしく、
    「ねずの野郎は、俺がせっかくコメントで教えてやったのに、無視しやがった。あいつはロクな奴じゃねえ」と、いろいろなところで私への苦情を述べられるようになられました。

    私はわたしの考えを拙ブログで述べています。
    その方は、その方の考えをコメントで述べられています。
    「それで良い」のです。
    その方のコメントは大切に記憶させていただき、いつの日か、私の考えが間違っていたと確認できたら、そのときは書き直した記事を再掲します。

    けれど3点ほど、申し上げたいと思います。
    第一に、何が正しいかは「神のみぞ知る」です。
    第二に、人に言われたからと反射的に考えを変えるくらいなら、最初から自分の意見など述べる必要も書く必要もありません。
    第三に、余計なことかもしれませんが、意見が違うからと人の名誉を損ねれば、それをした人は結果として自分の名誉を損ねることになります。
    なぜならおっしゃることは、
    「ワシの言うことを聞かない奴はロクな奴じゃねえ」と述べているのに等しいからです。
    その方のことは、よく存じ上げていますが、私はその方を名指しで非難したことは、これまで一度もありません。
    なぜなら、たとえどんな正当性があったとしても、人の名誉を奪うことはそれ自体が悪だと思うからです。


    ※この記事は2020年2月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!

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  • 『時を越えた美しさの秘密』Audrey Hepburn


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    本当の美しさは女性の精神にあり、それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、その美しさは、年を追うごとに磨かれていく・・・・。


    20210208 Audrey Hepburn
    画像出所=https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g27262195/cfea-audrey-hepburn-a-to-z-0503/
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    トップの写真は、オードリー・ヘップバーンのパリ・オベラハウスの“オスカー デ ラ モード”の写真展でのスナップ写真です。1985年の写真です。
    オードリー・ヘプバーンは、美しさに年齢が何の意味もないことを見事に証明してみせた女優です。そんなオードリー・ヘップバーンが、亡くなる数日前に、子らに読んで聞かせたという詩が残っています。

    *******

    "Time Tested Beauty Tips" ―Sam Leveson
    『時を越えた美しさの秘密』Audrey Hepburn



    For attractive lips, speak words of kindness.
    魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。

    For lovely eyes, seek out the good in people.
    愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。

    For a slim figure, share your food with the hungry.
    スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。

    For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.
    豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳(す)いてもらいなさい。

    For poise, walk with the knowledge you'll never walk alone ...
    美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

    People, even more than things, have to be restored, renewed, revived,
    物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
    失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、

    reclaimed and redeemed and redeemed ...
    何度でも再出発することができます。

    Never throw out anybody.
    誰も決して見捨ててはいけません。

    Remember, if you ever need a helping hand,
    you'll find one at the end of your arm.
    人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
    助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

    As you grow older you will discover that you have two hands.
    年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

    One for helping yourself, the other for helping others.
    ひとつの手は、自分自身を助けるため、
    もうひとつの手は他者を助けるために。

    The beauty of a woman is not in the clothes she wears,
    女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、

    the figure that she carries, or the way she combs her hair.
    その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。

    The beauty of a woman must be seen from in her eyes,
    女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。

    because that is the doorway to her heart,
    そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。

    The beauty of a woman is not in a facial mole,
    女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、

    but true beauty in a woman is reflected in her soul.
    その本当の美しさは その女性の精神にあります。

    It is the caring that she lovingly gives, the passion that she shows,
    それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、

    and the beauty of a woman with passing years only grows!
    その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。

    *********

    オードリーは、いわゆるファッション・リーダーとしても有名な人でした。
    とりわけ映画『ティファニーで朝食を』の冒頭で彼女が着ていたジバンシィのリトル・ブラックのドレスは、いまでも「映画史上最も有名なドレス」とされています。
    またどんな場面でも完璧なドレスアップ姿を見せた女優としても有名です。

    けれど、素のオードリーは、ジュエリーどころか時計すら身に付けず、付けてもパールのピアスくらいだったそうです。
    素のオードリーにとって、ファッションは
     自分に似合うか
     居心地がよいか
    というだけ。
    でも、オードリーは、同時にそういうことを人に押し付けることもしない女性であったといいます。

    そんな彼女も、実は顔立ちその他にコンプレックスのかたまりだったとか。
    「私は自分のことを美人だと思ったことはありません」
    彼女自身にとっては、痩せていること、胸がないこと、背が高いこと、足が大きいこと、歯並びが悪いこと、顔が四角いこと、鼻孔が大きいことなど、これらすべてがコンプレックスだったのだそうです。

    ところがそんなオードリーの出現で、美人女優といえば豊満な肉体の持ち主というそれまでの常識が一変してしまいました。

    そんな彼女の美しさの秘訣は、
    「欠点から目をそらさず、
     正面から向き合い、
     欠点以外に徹底的に磨きをかけること」
    だったのだそうです。

    この話を聞くたびに、人の美しさというのは、内面の輝きなのだなあといつも感じます。
    少々作りが悪くても(失礼)、内側からの輝きが、つまりそれは生命の輝きともいうべきもので、その輝きが、美しさになるのだと感じます。

    我が国では、三大美人といえば、衣通姫に小野小町に右大将道綱の母といわれますが、なかでも衣通姫は、その輝きが衣服を通して内側から輝いたとされます。
    つまり、内面の輝きそのものが「美」とされているわけです。

    若い頃から、ずっと思ってきたことがあります。
    それは、
    「良いおじいちゃんになる」
    ってことです。

    「良いおじいちゃん」になるには、三つの要素が必要です。
    それは、
    1 健康であること
    2 性格が良いこと
    3 そこそこの経済的余裕があること

    どんなにお金持ち爺さんであっても、性格が悪ければ、良いお爺ちゃんとはいえません。
    どんなに性格が良くても、健康を損ねていたら子や孫たちに迷惑をかけてしまいます。
    どんなに健康であっても、貧困であっては良いお爺ちゃんにはなれません。

    女性の場合と男性の場合での違いもあるでしょうが、歳をとっても輝きを失わない年寄りでいたい。
    そのように思っています。


    《参考》愛されアイコン、オードリー・ヘップバーンのトリビアA to Z
    https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g27262195/cfea-audrey-hepburn-a-to-z-0503/

    ※この記事は2021年2月のねずブロ記事のリニューアルです。
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  • 西郷隆盛の遺訓


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    賢人百官を総(す)べ、政權一途(いちず)に帰(き)し、一格(いっかく)の国体を定(さだ)めしめ無ければ、縱令(たとひ)人材を登用し、言路(ことのはのみち)を開き、衆説(もろもろのせつ)を容(い)るゝ共(ども)、取捨(しゅしゃ)に方向無く、事業雜駁(ざっぱく)にして成功有(ある)べからず。


    20200213 西郷隆盛
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    西郷隆盛を、お殿様の島津斉彬公は次のように評しています。
    「身分は低く、
     才智は私の方が遥かに上である。
     しかし天性の大仁者である」

    ちなみに国旗というのは、もともとは商船旗といって外国の港に入稿する際に、どこの国の船なのかの船籍を示すために掲げるのが出発点です。
    幕末の頃、幕府は朝廷に遠慮して、白地に黒の横一本線の旗を用いていたのですが、明治新政府になったときに、これを日の丸に変更してくれたのが、島津斉彬公です。
    島津公がいなかったら、日本の国旗は白地に黒引きになっていたかもしれません。

    さて、その斉彬公に可愛がられた西郷隆盛の、今回はあらためて「遺訓」を学んでみようと思います。
    「南洲翁遺訓」とも呼ばれています。
    これを読むといまの政治の歪みがわかります。

    全部で41項目ありますので、全文ではなく抜粋でご紹介します。
    全文は下のURLから青空文庫で読むことができます。
       ↓
    https://www.aozora.gr.jp/cards/001320/files/47885_31033.html

    原文を表示し、なぜこの一文が大事なのか、簡単な解説をつけてみたいと思います。
    原文の左の番号は、本文の番号と一致させています。
    41項目のうち12項目をご紹介しますので、番号が一部飛んでいます。

     ***

    『南洲翁遺訓』

    一 廟堂(びょうどう)に立ちて大政(おほひなるまつりごと)を為(な)すは天道(あめのみち)を行(をこな)ふものなれば、些(いささか)とも私(わたくし)を挾(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。

    国政県政市政、行政、裁判、企業、団体など、様々な組織で権限権力を持つということは、
    「天道(あめのみち)を行(おこな)う」ということです。
    そこにいささかも私情を交えてはなりません。
    ところが明治以降の洋風化は、私権を重視し、私欲のために権力があるという大きな履き違いを招きました。
    だから組織も団体も、はたまた政治においてもそこが利権の奪い合いの場となります。
    そんなことでこの天然の災害が多発する日本で、生き延びることができるのでしょうか。
    あまりにも世の中を甘く見すぎてはいないでしょうか。

    二 賢人百官を総(す)べ、政權一途(いちず)に帰(き)し、一格(いっかく)の国体を定(さだ)めしめ無ければ、縱令(たとひ)人材を登用し、言路(ことのはのみち)を開き、衆説(もろもろのせつ)を容(い)るゝ共(ども)、取捨(しゅしゃ)に方向無く、事業雜駁(ざっぱく)にして成功有(ある)べからず。

    「一格の国体」の「格」というのは、核となるべき根幹のことです。
    よく、戦略や戦術が大事といいますが、戦略や戦術の前に何のためにどこと戦うのかという「示し」が必要です。そして「示し」のためには、「格」となる核が必要です。
    もっとわかりやすく言うなら、根っこがなければ植物は育たないのと同じです。
    その「格」がない、あるいはあっても私欲でしかないならば、どんなに優秀な賢人才女を用いても、成功はない、と西郷隆盛は述べています。
    このことは国政に限らず、企業活動やひとりひとりの生き方に置いても同じです。


    三 政の大體(おほきもと)は、文(ふみ)を興(をこ)し、武を振(ふる)ひ、農を励(はげ)ますの三つに在り。其他(そのた)百般の事務は皆此の三つの物を助(たす)くるの具(ぐ)也(なり)。

    政治の大事なことは、学問と武道と農業の3つだということです。
    その他は枝葉末節にすぎない。
    ただしここでいう文武は、現代日本人の思う文武と、すこし意味が違うことに注意が必要です。
    文は學問のことですが、學は、大人たちが子供を一人前の大人になるように引き上げることをいいます。子供のワガママは関係ないのです。
    また武とは、「たける道」のことを言います。
    「たける」は、ゆがんだもの、斜めになったものを、竹のように真っ直ぐにすることを言います。
    そのために武があります。
    子供たちを一人前の大人にするために鍛え、世の中の歪みを正し、なおかつ誰もが豊かに安心して安全に食べていかれるようにする。
    このことこそが政治の根本だと南洲翁は述べています。


    四 萬民(ばんみん)の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を氣の毒に思ふ樣ならでは、政令は行はれ難し。
    然るに草創(さうさう)の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。
    今と成りては、戊辰の義戰も偏へに私を營みたる姿に成り行き、天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。


    現代日本では真逆です。
    人の上に立つ者は、豪華な家に住み、高級車に乗り、高価な衣装を着て六本木のキャバクラで遊び、蓄財に余念がありません。
    そもそも中身がないから、身を飾ろうとするのです。
    たいせつなのは人の中身です。


    八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居(すゑ)風教を張り、然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟酌するものぞ。
    否(らず)して猥(みだ)りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡(ゐび)して、ただ救す可からず、
    終に彼の制を受くるに至らんとす。


    外国に学ぼうとするなら、まずは日本のことをしっかりと学び、その上で外国の良いところを取捨選択しなさいという教えです。
    そうでなく、ただ外国の言う事ばかり聞いていると、国の力は衰退し、風俗は乱れ、ついには、日本が外国に蹂躙されることになってしまうぞ、ということです。


    十一 文明とは道の普く行はるゝを贊稱(さんしょう)せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。
    世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些ちとも分らぬぞ。
    予嘗て或人と議論せしこと有り、
    西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。
    否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、
    實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
    左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、
    其人口を莟(つぼめ)て言無かりきとて笑はれける。


    文明というのは、華麗な宮殿や、美しい衣装などのことを言うのではない。
    文明というのは、「道が正しく行われているか否か」で見るべきものだ。
    ある人と議論したとき、「西洋は野蛮だ」と言ったら、「いや西洋は文明社会だ」と言うから、重ねて「野蛮だ」と言ってやった。
    すると「どうしてそれほどまで言うのか」と言うから、
    「西洋が文明社会だというのなら、未開の国に対するとき、慈愛を根本にし、人々を教化して開明に導くべきなのに、彼らは相手が未開の国であればあるほど、残忍なことをして、自分の利益ばかりをむさぼっている。だから野蛮だと申しておる」と言ってやったら、その人は大笑いしていた。


    一三 租税を薄くして民を裕ゆたかにするは、即ち國力を養成する也。

    税というのは、できるだけ軽いものにして、民衆を豊かにすることを第一としなければならない。
    それが国力を養成する最善の道なのだ、という意味です。
    消費税増税派の人たちに、あらためて考えていただきたい言葉だと思います。


    一七 正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。

    正義をつらぬき、国家のために死ぬくらいの覚悟がなければ、外国との交際などできるものではない。
    相手の傲慢に萎縮して、ただ円満にと、正義を曲げて相手に従順すれば、必ず相手に侮(あなど)られ。ついには彼らに征服されてしまうことになる。
    日韓関係など、まさにこれではないでしょうか?


    二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。

    福沢諭吉の學問のすゝめにもありましたが、和歌や古事記をただテクニカルな面だけを学んだり、あるいは古事記をただの荒唐無稽な子供向けの物語としてだけしか読まないなら、そんなものはいくら学んだとしても、ただの趣味の世界にしかなりません。
    たいせつなことは、「敬天愛人」です。
    これは「天をうやまい、人をおもふ」と読みくだします。
    その心を涵養(かんよう)するためにこそ、学びがあるのです。


    二五 人を相手にせず、天を相手にせよ。
    天を相手にして、己れを盡(つくし)て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。


    これは現代語訳するまでもないと思います。
    人を相手にするなというのは、ものすごく簡単に言うなら、人の言うことをいちいち気にするな、ということです。
    そうではなく、常に天の道とともにあれ、というのです。
    ネットで中傷や悪口などをいくら吹聴されても、堂々と自分自身が天道を守って生きる。
    そのことが大事だと南洲翁は述べられておいでになるわけです。
    このことを『古事記』は「諸命以(もろもろのみこともちて)」と書いています。
    もっというなら、天の道から外れていれば、いまこの瞬間にはいい思いができたとしても、必ず最後にはそのすべてを失うことになる。
    半島系のものがその典型といえます。


    三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。
    此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。


    知己を得るというのは、むつかしいことです。
    ちなみに私は十年付き合わないとわからない、と常々思っています。
    いままさに十年来の友がいてくれます。
    みんな南洲翁の言う「仕末に困る」人たちばかりです(笑)。
    だからこそ仲間です。


    三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用(はたらき)は行はるゝなり。

    前段は、説明のまでもないと思います。
    才能などというものは、まさしく危ないものでしかない。
    問題は、後段の「體ありてこそ」です。
    これは何を言っているのかというと、要するに行動のない口舌の徒では事を為すことができないということです。


    四一 身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。

    いくら身をおさめて、おのれをただして君子をよそおったとしても、処分ができない人はただのデクノボウだ、という意味です。
    ここでいう処分というのは、まさに処分で、このことは童子教に、同じ意味の言葉があります。
    それが、
     畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
     師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちるべし
    です。
    悪人を処分できない者は、施政者の名に値しないという意味です。
    国会を見たら、よくわかることです。

     ***

    以上、はなはだ簡単ながら、南洲翁遺訓をご紹介させていただきました。
    西郷隆盛は、甘党でお酒に弱く、飲むとすぐに真っ赤になったそうです。
    体つきもおデブちゃんで、だけど、いつもほがらかで、明るくて、周囲を笑いの渦にしていたといいます。
    そして、誰よりも真面目で、飾り気がなく、それでいて周囲からものすごく尊敬される威厳を備えていたそうです。

    上野の西郷さんの銅像を見ると、なにやらいかめしい人であったかのような印象を受けますが、実物の西郷さんは、笑顔でやさしくて、明るくて朗らかで、そばにいるだけで、誰もが幸せな気持ちになれる、そんな人柄であったといわれています。

    そしてその笑顔もやさしさも、西郷さん自身が常に身を修し己れを正していることから生まれている。
    だから尊敬される人であったのです。
    古来、我が国では、権力をかさにして威張る人は決して尊敬されることはないし、国会で口をひらけば罵詈雑言しか出てこないような馬鹿者は誰からも相手にされなかったのです。

    そういえば昔の新羅国は、言ったことでも平気で裏切るし、百済や高句麗の朝貢の使節は襲う、とんでもない国でした。
    目先の自分の利益しか眼中にないから、そうなるのですが、そんな新羅を形容した言葉が「栲衾(たくぶすま)」です。
    「栲衾(たくぶすま)の新羅(しらぎ)の国」などというように使われます。

    「栲(たく)」というのは偏を変えれば拷問の拷になりますが、要するに叩くという意味の漢字です。
    「衾(ふすま)」は、和室の間仕切りのフスマ(襖)のことです。
    フスマは、開け閉めするものであって、叩くものではありません。
    しかも静かな室内で、フスマをバンバン叩けば、うるさくてかなわない。
    ようするに「栲衾」というのは、「意味のないことで大騒ぎして人を困らせる」という意味です。

    ひるがえって現代を見るに、国会の論戦は「栲衾」ばかり。
    テレビをつけても「栲衾」ばかり。

    いまいちど西郷隆盛の遺訓を噛みしめることで、日本の正気を取り戻していかなければなりません。


    ※この記事は2020年2月のねずブロ記事の再掲です。
    日本をかっこよく!

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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