千葉惣左エ門と伊達藩の名裁き



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千葉惣左エ門


伊達政宗といえば、隻眼の大名、奥州の覇者です。

その伊達藩は、江戸時代全期を通じて、いまの宮城県および岩手県南部を知行地として治めました。

伊達藩の表向きの石高は62万石で、諸藩のうち第三位の石高です。

ところが実際には、藩をあげての新田開発などの努力によって伊達藩は、江戸中期には、実際の石高が、なんと250万石に達していたそうです。
伊達藩の米は、江戸に出荷されて広く流通し、藩の財政も他藩と比べると比較的良好な状態にあったといわれています。

おかげで、伊達藩では、江戸時代を通じて、ほとんど百姓一揆がおきていない。

一揆というのは、現代社会でいうなら集団的武力闘争です。
太平の世の中で、こういう行為は、やはり許されるものではない。

こうした一揆が、伊達藩では、江戸時代を通じてほとんど発生していないというのは、いかに伊達藩の知行が優れていたかということです。

その伊達藩が江戸時代に経験した唯一の、そして藩の土台骨を動かすほどの大一揆が、寛政9(1797)年の「仙北諸郡一揆」です。

事の発端は「天明の大飢饉(てんめいのだいききん)」にあります。

天明の大飢饉は、江戸時代中期にあたる天明2(1782)年から天明8(1788)年にかけて発生したものです。
江戸四大飢饉のひとつであり、日本の近世史上最大の飢饉です。

きっかけは、火山の爆発です。

天明3(1782)年3月12日に青森県弘前市にある岩木山が爆発しました。

次いで、同じ年の7月6日には、長野県軽井沢の浅間山が大噴火したのです。

噴火により、北日本を中心に大規模な火山灰が降ります。
さらに噴煙は日射量を低下させる。

これによって東日本を中心に大規模かつ深刻な冷害が発生し、農作物に壊滅的な被害をもたらします。
翌年、米は、大凶作になります。

たまたま時は、老中田沼意次の治世です。
この人は、江戸時代にはめずらしく、積極的な財政出動によって重商主義をとり、江戸の貨幣経済化を一気に推し進めた人です。

貨幣経済の振興は、二次産業、三次産業といった都市部での町人経済を活性化する一方、利益の薄い一次産業に従事する農村部の貧困化を招きます。

そういうところに、大凶作が襲ったわけです。

米相場は青天井で高騰するけれど、農村部の生活は、まったく改善されない。

そこへ折からの凶作です。

前もって買い付けがなされている米は、できあがると前もって決められた量を商人たちにもっていかれてしまう。
手元には生活するための米すら残らない。

当時の様子について、杉田玄白の著書「後見草」には、東北地方の農村を中心に、全国で約2万人が餓死したとの記載があります。

ところが、江戸封建体制というのは、これがややこしい。

この数字は、諸藩が、藩政失政のによる改易などの咎(とが)を恐れて、被害の深刻さを表沙汰にした、いわば、隠した数字です。

実態はもっと深刻で、たとえば弘前藩では、餓死者が8万~13万人も出たとも伝えられ、逃散した者も含めると、このとき藩の人口の半数近くがいなくなっています。

食べるものがなくて栄養失調になった農民に、さらに追い打ちをかけるように疫病が襲います。

一方、農村部から逃げ出した農民は、各都市部へ流入し、窃盗、強盗を働いた。
天明7(1787)年には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、その後全国各地へ打ちこわしが広がっています。

飢饉に物価高に疫病の流行に治安の悪化。

安永9(1780)年から天明6(1786)年の間に、全国的には92万人余りの人口減をまねいたといいます。
どれだけたいへんな事態だったか。

ここまでくると、さしもの伊達藩も、米に頼る藩財政が行き詰ります。

農民たちも、どうにも生活ができなくなる。

寛政9(1797)年4月、追い詰められた伊達藩田村領13ヵ村の農民たち1300名余りが結集します。「仙北諸郡一揆」です。

彼らは、十八カ条におよぶ「峠村惣御百姓共口上書(とうげむらそうおひゃくしょうどもこうじょうしょ)」を掲げ、同年4月23日と、5月17日の二回にわたり、一関方面に押しかけます。

鎮圧に赴いた伊達藩奉行は、口上書を受取とると、峠村(とうげむら)の総訴人代表の組頭千葉惣左エ門(35歳)と、蛭沢の組頭藤十郎(42歳)を逮捕し、一揆の解散を命じます。

翌、寛政10(1798)年の冬、百姓一揆の統頭人として、千葉惣左エ門は落首の御仕置となり、藤十郎は女川沖の江ノ島に遠島を申しつけられた。

それまで太平を守ってきた伊達藩で一揆を企てたのです。
いかなる理由があれ、死罪、遠島は、当然のお裁きといえます。

藩法によれば、一揆は、首謀者が死罪となるだけでなく、首謀者の家族、親類縁者も同罪です。

惣左エ門は、親子三代が一つ屋根の下で暮らす旧家です。

一揆を起こした自分が咎めを受けるのは仕方がないけれど、家族の命が犠牲になることは、とてもとても心配で気がかりだったことと思います。

この事件は、伊達藩公も関与し、最終的な判決が決められます。

そして、伊達藩の裁きは、首謀者の惣左エ門、ただひとりを死罪。親類縁者にお咎めはなしとした。

家族が無事だった。

判決を聞いた惣左エ門は、あまりの温情判決に、涙を浮かべたといいます。

さらにこのとき、お奉行が千葉惣左エ門に直接、語りかけた。
これも前代未聞のことです。

そのときのお奉行の言葉。

~~~~~~~~~~~~~
惣左エ門。
其方の命を無駄にはせぬぞ。
訴状の事しかと報いるによって、
心おきなく旅立てよ
~~~~~~~~~~~~~

これを聞いた惣左エ門と藤十郎は、
「有り難き御裁き。心残り無く参られます」
と、涙にむせびます。

温かい裁きもさりながら、藩政改革に努め、農民たちの願い、農民たちのための政治を約束してくれた。

犠牲者は、惣左エ門ただ一人です。
思い残すことはない。

藤十郎は遠島だけれど、いつの日にか、再び故郷の土を踏めるかもしれない。

惣左エ門は、藤十郎が死罪を免れた事を心から喜びます。
年上の藤十郎は「済まぬ」と、惣左エ門の手を握って離さなかった。

裁きの日から二日後、藩から、「種籾の給付が裁可され、何とかみんなの作付けが間に合いそうだ」という話が、牢内の惣左エ門にもたらされます。

よかった。これでみんなが救われる。

5月10日、刑場に曳かれた惣左エ門は、斬首の刑に処せられ、莞爾として旅立ちます。

冒頭の写真のお地蔵さんは、惣左エ門を「義民」としてたたえ、その霊にたいする供養と感謝の意味を込めて当時の人たちが建立したものです。

このお地蔵さん、建立されたころは、首がなかった。
なので、いつの頃からか「首切り地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

そして昭和4(1929)年、頭部がつくられて、現在の姿になる。

地元の人々は、建立から200年以上経った今でも、お地蔵様となった千葉惣左エ門をねんごろにご供養しています。

このお地蔵さんは、千葉惣左エ門の生家近くの県道藤沢線沿いの割山の頂上付近においでになります。

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コメント

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No title
未だに↓の事を信じている人がいるんですな。

南京大虐殺が定量的問題と言うのはさておき。
(1)731部隊の所業
(3)従軍慰安婦問題
(4)強制連行問題

しつれい
どこの情報かは知りませんが、
何やら、ついに中国が例の諸島を武力支配をすることを正式に決めたらしいとのことです。
船長を返さないのならば、他の諸島も攻撃するそうです。

本当かどうか、誰か知ってますか?本当なら絶望じゃん…

taikon

宮城つながりで
品井沼干拓の悲しいお話ご存知ないでしょうか。
元禄時代のことなんですが、奉行が切腹したり工事人が流されたり(女中さんも一緒に)と。
わらじ村長は有名ですが、干拓するためのトンネル工事は主に松島町側で行われています。
以上、ご紹介を兼ねて

八目山人

一揆
江戸時代通じて小さいのも入れると二百数十の一揆が記録されているそうです。
佐倉惣五郎の話(直訴)や美濃の郡上一揆などが有名ですが、各地にいろいろ伝承されています。

昔、佐倉義民伝などは普通に本に載っていて、それなりに知っていました。
今は何でも外国が良くて日本は悪いです。それで日本のことなどほとんど教えません。
変な世の中になりました。

にっぽんじん

英霊の言葉
普天間問題で揺れる沖縄県民の多くの人に読んでいただきたい本があります。沖縄県民の多くの方が、戦前の日本軍のために沖縄県民の命が奪われたと言います。

その言葉は亡くなった沖縄県民の英霊を冒涜する言葉ではないでしょうか。亡くなった方々は日本軍と戦ったのではありません。日本軍と一緒に米国と戦って亡くなったのです。その尊い英霊に対して、あたかも日本軍と戦ったかのような言葉は冒涜以外の何物でもありません。

「国民の遺書」の本の中には沖縄防衛のために若い命を捧げた多くの遺書が書かれています。一度読んでみて下さい。そして英霊の本当の心を知って下さい。

下記の遺書は皆沖縄戦で亡くなった方の一部です。

海軍2等飛行兵曹 野村隆三(18歳)
古今未曾有の国家一大興亡の此の時沖縄周辺の敵撃滅の為勇躍征途に向かいます。生を享けて18年何等なす事なく不幸に不幸を重ねて参りました事お詫び致します。然しながら今や陛下の御盾とこの若き身を捧げ奉ることの出来ました此の光栄も一にご両親様のお陰であります。
辞世(男児等乃燃えて燃えてし大和魂 身は九重の花と散るらん)

特攻隊愛機と共に搭乗員として死を共にすることの出来る無情の光栄を今飾れることが出来ました。神国日本は必ず勝ちます。勝利の日まで皆様の御健闘を御祈り致します。龍三よよくやって呉れたと一言でもよいから云って下さい。

海軍少尉 斉藤幸雄(20歳)
何も思い残すことはありません。ただ、万歳あるのみです。お母さん、きっと桜咲く靖国神社に来て下さいね。いつまでも、元気でいて下さい。

海軍上等飛行兵曹 土井惟三(19歳)
父様、母様、お元気で。お体大切に。泣かずに、ほほえんで下さい。

海軍少尉 井辰 勉(18歳)
靖国の庭に競える若桜 我も後れじ散りて開かん
日の本に見事に咲きし桜花
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沖縄県民を守るために散って行かれた英霊です。亡くなられた沖縄県民の英霊も同じです。

日本軍を責める今の沖縄県民の方がたは自分達の祖先の英霊を何故冒涜するのでしょうか。

こちらもお願いします
[82]事実上の宣戦布告をしてきた中国

事実上の宣戦布告をしてきた中国

日本のマスコミはまともな報道をしていませんが、中国が日本の特命全権大使を午前3時に呼び出したという事態は、通常は「宣戦布告」時に行われるものです。
中国はそれくらいの気概を持って今回の抗議を行っているもので、日本はこの事態にもっと真剣に対応する必要があります。
下記URL記事より転載。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/

特命全権大使というのは、「天皇陛下のご名代」という立場であり、その特命全権大使を真夜中に呼び出すという事が如何に異例でかつ異常な事態であるか、日本のマスコミは全く分かっていません。
(その後、4回目の呼び出しを行っています)
詳しくは
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

隆介

滅私奉公
美談ですね。普段は冷徹に刑を言い渡すお奉行様が人としての顔をのぞかせる。きっとこのお奉行様ならば『この裁きはこうあらねばなるまい』と藩公に掛け合い影に多大な尽力を成しこの裁きを引き出したのではと稚推します。

このお奉行様はわかっていた、農民の窮状を。次々上がってくる報告に農村部の困窮を訴えるものが多かったのだろう。しかし藩の財政も逼迫しておりもとより自らの権限ではどうすることもできない。

そして一揆が起こるべくして起きた。この一揆で藩政に直訴出来る機会を得たと考えた奉行がいたとするのは飛躍しすぎでしょうか。

人が感動し拍手を贈るのは滅私の心、人のため公のために働いた人に心打たれるからです。今回の話からお奉行様のように今の日本で『こうあらねばなるまい』と行動出来る人が待望されている、そう思わずにはいられません。

No title
俺は日本を愛してるし、韓国や中国(北朝鮮は論外)ではなく日本に生まれてきて良かったと思ってるし、韓国のパブロフの犬的反日には辟易してるし、中国の宿痾とも言うべきパクリ体質には苛立ちを通り越して怒りすら覚える。
だが同時に以下の旧日本(軍)の中国または朝鮮に対する代表的悪行が紛れも無い史実であったと考えている。

(1)731部隊の所業
(2)南京大虐殺(定量的問題はまた別の話)
(3)従軍慰安婦問題
(4)強制連行問題

これらを全て捏造・デマであると否定し、旧大日本帝国・皇軍万歳とカルト信者まがいの懐古的賞賛をするのが愛国と勘違いしている阿呆は愚民の最たるものであり、ネトウヨとはすなわちそういう類の輩である。

やった事はやった事と素直に認め、倫理的道徳的に反省すべき事と総括する潔い態度こそ俺が考える日本人的(あえてショーヴィニスティックに言うが)気質の真髄と考える。

Tazukoです(ツイッター仲間です)

No title
ネズキチさんおはようございます。
こんな裁きが行われていたなんて己が無知を改めて知りました。伊達という名が残る理由の一つですよね。
素晴らしい裁きですね。
現在の与党議員もこういう臨機応変?というか法を守って国滅ぶと言われる様な行動をするより伊達藩を真似て外交も国造りもして欲しいです。山万の社長 嶋田さんの発想も素晴らしいものでした、一度見て頂けると嬉しいです。http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/

-

移動中ながら不覚にも涙が。公・民ともに形は違えど、よのため人のために生きる。なんて素晴らしいことでしょう。

緊急街宣
ねずきち様
ごめんなさい、この場をお借りする無礼をお許し下さい。

「日本人よ、立ち上がれ!

大和魂とは国難を前に燃焼・爆発する民族精神である

<尖閣諸島は我が国領土!シナ在住日本人の生命・財産・安全を守れ>


日時:平成22年9月18日(土) 12:00開始

場所:渋谷ハチ公前

主催:主権回復を目指す会 政経調査会」
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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