靴磨きの少年



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昭和20年頃の大阪駅東口の靴磨きの少年たち
(「大阪市100年」より)
靴磨きの少年


以下は、産経新聞の平成7年11月6日「やばいぞ日本」で紹介されたお話です。

~~~~~~~~~~~~~~
【靴磨きの少年~一片のパン『幼いマリコに』】
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071106/edc0711060344001-n1.htm

81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。

親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、

「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしい、というものだった。

終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。

手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。

丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。
言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。

東京は焼け野原だった。
その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。

少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。

彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。
持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。

少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。

彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。

少年は「おなかはすいています」といい、
「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。

アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。

「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。

彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。
しかし、日本には2カ月しかいなかった。
再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。
そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。

のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。
メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。

「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」

記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。

記者は経緯を確認したかった。

アリヨシ氏の手紙は、
~~~~~~~~~~
荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。

それは「国のために」という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ。
~~~~~~~~~~
と記されていた。

今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。

~~~~~~~~~~
幾星霜が過ぎ、日本は変わった。

今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。
ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。

すべてのことは容易に手に入る。
そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。

義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ。
~~~~~~~~~~

凛(りん)とした日本人たれ。

父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。

■厳しい時代に苦闘と気概の物語

終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。

原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。

素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。

~~~~~~~~~~~
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。

小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。
少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。
(略)
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。

わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。
(略)
私は彼から目をそらすことができなかった。
少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。

私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。

私は彼の肩を抱いてやりたかった。
しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。
~~~~~~~~~~

この写真は、今も見た人の心をとらえて離さない。

フジテレビ系列の「写真物語」が先月放映した「焼き場の少年」に対し、1週間で200件近くのメールが届いたことにもうかがえる。

フジテレビによると、その内容はこうだった。

「軽い気持ちでチャンネルを合わせたのですが、冒頭から心が締め付けられ号泣してしまいました」(30代主婦)

「精いっぱい生きるという一番大切なことを改めて教えてもらったような気がします」(20代男性)。

1枚の写真からそれぞれがなにかを学び取っているようだ。

オダネル氏の撮った一枚の写真
一枚の写真



オダネル氏は前記の写真集で、もう一つの日本人の物語を語っている。

激しい雨の真夜中、事務所で当直についていたオダネル氏の前に、若い女性が入ってきた。

「ほっそりとした体はびしょぬれで、黒髪もべったりと頭にはりついていた。
おじぎを繰り返しながら、私たちになにかしきりに訴えていた。
どうやら、どこかへ連れていこうとしているらしい」

それは踏切事故で10人の海兵隊員が死亡した凄惨(せいさん)な現場を教えるための命がけともいえる行動だった。

オダネル氏は「あの夜、私を事故現場まで連れていった日本女性はそのまま姿を消した。彼女の名前も住所も知らない。一言のお礼さえ伝えられなかった」と述べている。

苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛…。

こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。

それは自らの努力と気概、そして米軍放出やララ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。

当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。

日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。

こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる。
(中静敬一郎)

~~~~~~~~~~~~

戦後生まれのボクたちは、非常に素晴らしい時代を生きさせていただきました。

戦後65年、日本に戦争はなく、食べ物も豊富で、いまやレストランに行けば、世界中のおいしい料理を食べることもできる。

誰もが車に乗り、冬暖かく夏涼しいエアコンの効いた部屋に住むことができ、どこのご家庭にもテレビがあり、電子レンジがあり、冷蔵庫があり、求人難で人を雇いたくても離職者(求職者)がいない、などという時代も経験させていただいた。

バブルの頃には、卒業パーティに何百万円ものお金をかけたり、所有不動産の値上がりや、思わぬ株高で、びっくりするくらいのお金を手にした人もいるし、飲みに行けば、二次会は高級クラブで、帰りはタクシーで、などということもあたりまえのような時代すらあった。海外旅行を愉しまれた方も多い。

そんな時代を経験させていただいた。

しかし、よくよく考えてみれば、戦後生まれの私たちの世代は、戦前の教育を受け、長く苦しい戦いを経験し、戦後の焼け野原から裸一貫でこの国を立てなおした多くの諸先輩たちが社会の中核を担う中で、ただ言われたとおりに若さと労働力を提供してきたにすぎません。

私たちの世代は、子供の頃は戦後の貧しい中で給食のコッペパンが不味いと文句を言い、若い頃は「俺たちは戦争を知らない子供たちだ」とかいいながら口先だけの反戦を唱え、長じては先輩たちが爪に火を灯すようにして蓄えた貯蓄を浪費し、ついにはバブルのマネーゲームに精を出して日本の富を散財させ、いまや日本経済を沈滞化させているのみならず、この国の存続さえも危機にさらしています。

私たちの世代というのは、いったい何だったのでしょう。

爺さんの世代は、苦しくつらい戦場だった。
オヤジの世代は、焼け野原の日本を復興させた。

もうすこし象徴的に言うならば、

爺さんの世代は、荒れ地を耕した。
オヤジの世代は、畑を作った。
私たちの世代は、できあがった作物を腹いっぱい食べ、土地をころがして贅沢をし、それだけじゃなく自分の代では払いきれない借金を作り、いままたさらに友愛や世界平和と綺麗ごとを並べてこの土地を日本を敵対視する国に売り渡そうとしている。

私たちの世代は、親の代までに本当に血のにじむような努力をして築き上げてきた財産の恩恵にたっぷりと浸からせていただいた世代ということができようかと思います。

おかげで、本来なら死罪にすらなりかねないような反日的な言論や、「セン」人分の「ゴク」つぶしよりさらにわるいバカ者を官房長官に据えるようなバカな真似まで平気でしてしまってきた。

その結果どうでしょう。
私たちは親や祖父母に多大な恩恵を受けていながら、私たちの子や孫へは、いったい何を残しているのでしょう。

多少のお金ですか?
そのお金も、この国がなくなれば、通貨が仮にゲンやウォンに変わったら、その瞬間に紙切れです。

ありきたりな話に思われるかもしれませんが、私たちにとっていま本当に必要なことは、子や孫のためにも、これまで多くの日本人がくだらないとしてきた「義理、恩、おかげさま、国のためにに」という概念を、もう一度深くかみしめ、取り戻す必要があるのではないかと思います。

流行りの言葉に「自由」というものがあります。

しかし英語の「Liberty」は、なんでもありの自由とは意味が異なります。
英語圏で言われる「Liberty」は、むしろ「道義」と訳すべきものです。

だから自由民主主義は、道義民主主義です。

なんでもあり、というのは「Freedom」で、この言葉は英語圏でさえ、自嘲用語か不道徳の意味に用いられる。

いまさら「Liberty」を「自由」と訳した誤訳を訂正するのはむつかしいかもしれないけれど、自由を謳うなら、同時に「ならぬことはなりませぬ」という武士道の掟をも、私たち日本人は思い出す必要があるのではないかと思うのです。

公に奉じ、感謝の心を涵養し、恩を忘れず、義理に固い、そういう精神を取り戻すことこそ、いま日本にもっとも求められていることなのではないでしょうか。

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日本がアジアに残した功績の真実


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次にこの小立野台地の先に「兼六r園」と「金沢城」がある。そして、此れを仕切るのが、「浅の川」です。そして 兼六園から、睨み合いの「卯辰山」が 指呼にある。ここに「小阪神社」はあります。この神社に「731部隊の 慰霊記念の (ヒブミ)がありあります。

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中華人民共和国に不当に抑留された人々
祖母は 中華人民共和国に 強制的に 抑留・され、無料奉仕の襤褸雑巾の過酷な、薬剤師の本来の任務を遂行して、昭和26年帰国したそうです。戦後6年も経ていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実はこの言葉には(続きが有る!)
決して 死の間際まで 祖母が私に語らなかった「真実」の  私が推測した「事実」です。(中華人民共和国に 強制的に 抑留・され、無料奉仕の襤褸雑巾の過酷な、薬剤師の本来の任務を遂行して、昭和26年帰国したそうです。)

怖い事ながら・・・ 祖父母の何と  言うか・・・・・。

あかの他人行儀の礼儀正しさ。  うつくしき言葉のやり取り。>  これ等が 家の中に 微妙な緊張感が溢れていました。祖父母は演技して、「夫婦のお手本を演技していた」と 今では理解できます!
家族は、 中華人民共和国は(鬼門)でした。しかし、医療関係者が 戦後(昭和20年) から 6年も  中華人民共和国に不当に抑留された真実が、抹消された事実が「納得できません!」

処が、私の茶道の弟子である 今年、83才の 元薬剤師であり、子供が多数の医師を 育てている、元金沢藩j士の名門出資の「 Mさん」が  やはり、中華人民共和国に不当に抑留された。と話しています。
彼女は戦後、金沢市に引き揚げてから「金沢市市民病院」で 全うして退職した。 何故 彼女から、その話が聞き出せたのか  と 言うと 「偶然としか言いようが無い」

それは、四方山話から 和菓子を食べていた。その和菓子の包装紙を、私は無意識に「薬包み」を作た事から、話の糸口はほぐれました。正方形から 折りたたんで 乳鉢で調合して 薬をその正方形に盛り合わせてから 粉薬を上手に
外部へ 漏れないように 折り畳む「 薬折」です。私は祖母が この「 薬折」をしてから、 炬燵板の 上の おかき、駄菓子のくずをかき集めて この袋に収納する「薬折」をしてて、しっかりと  テーブルの上の 和菓子の粉末・食べこぼしを 集まる 準備を 無意識にしてた事から、
「薬折」を何処で習ったのか?  と聞かれた事から、話しが弾み、(中華人民共和国に不当に抑留された人々)と言う私が長年、「変だ」と思っていた話しが聞けました。今では粉薬の包装は、全部、伸びた蛇のごとく、一列の切り取り線つきの ワンパッケージの紙袋の行列が 状態が当たり前ですが、 その前は、 各医師の元で、乳鉢でこねて、混ぜ合わせて、「 薬折」の薄い紙で折り畳、その屋根型の 頂点を 次々と突き刺し・繋ぎ 薬袋に入れてました。
私の家の 父の弟が開業医でしたから、 祖母が薬剤師だったし、子供時代から見慣れてて、無意識に 折るのが癖だった。ここから分かることは 昭和20年の後の 中国大陸の 情報が 日本には余りにも少ないし、残留日本人がどのような、残酷で 悲惨な最後や、その後の生涯が 忘れ去られて善いのでしょうか?

ようちゃん

ユーチュウーブの映像もあるりますよ。
【みんカラ】 海上自衛隊特殊部隊の能力を、お世辞を言わない米軍が ...
海上自衛隊特殊部隊の能力を、お世辞を言わない米軍がホメた♪」について - 16nights のブログです。Powered by みんカラ.
16nights / のんびり行きまし... - http://minkara.carview.co.jp/userid/304468/blog/

「他人様は 他人様、我が家と ご近所の お家とは ちがうのです!」は 祖母の口癖でした。

私の祖父母は 農家の次男坊の世帯でした。それでも、祖父は京都帝国大学の土木工学部へ進学し下宿費用は 京都の 観世流「井上家」の(書生)として、住み込みながら、大学も卒業し、国鉄へ奉職して、ドイツ留学を経て、 満州鉄道へ赴任し、上役の娘である祖母と結婚して、 嫁は戦前に日本本国へ (嫁の実家で出産させていて、私の父親や叔父たちも 日本で終戦を迎えた)

詰まり、祖父母は 引き揚げ者なのです。それもたちの悪いことに、 軍属の祖父は早く引き上げたが 祖母は 中華人民共和国に 強制的に 抑留・され、無料奉仕の襤褸雑巾の過酷な、薬剤師の本来の任務を遂行して、昭和26年帰国したそうです。戦後6年も経ていた。
祖父の家は戦後の農地改革(不在地主)で 農地は殆ど小作に解放され「雀の涙金」で追放されたも同然と言う、
信じられない位の貧乏世帯。
祖父母も両親も共稼ぎで 地方都市で 自宅を建造しました。
だから、と言う訳では無いですが、 非常に同世代の 周囲の 人々から 浮いていた青春時代を 経験しました。 
私の息子達も 標準日本の子供数の2人の2倍の4人です。サラリーマン家庭には 年齢の近い「男子4人」の子育ては 甘くない時間を過ごしました。 更に 主人が子供たちが高校時代に交通事故で死去。お陰かどうか・・
皆4人揃って 学費無料の大学へ行きました。 

不幸の先には 色々なささやかな「やすらぎと幸福感」があるものだと 思っています

すずき

愛信さんへ
国旗の重み見ました。久々に素晴らしい映像でした。紹介してくれてありがとう。
ねずきちさんへ
そういえば過去ブログで日本に手を出したものは敗れる朝鮮に味方したものも敗れるという通説を読んで笑いました。それで宮城谷昌光先生の古代中国小説で戦争に勝ちたければ徳を積みなさいと言う言葉と徳を積んでいないものが禍福を得るとかえって災いが起こると言う言葉を思い出しました。

名無しさん

涙がでます
7歳の子が3歳の妹を養う・・。
涙がでます。
こんな事、私だったら絶対できなかったでしょう。

元組合活動家

No title
私は某教職員系の組合に所属した元組合活動家です。よって、汗水流して働く現場労働者のユートピアを示す(?)共産主義に一時は100%染まった過去を持ちます。ですが、同時に伝統武道を高校時代から続け、そのストイックに心身を鍛える私の姿を見られた組合仲間からは「お前は今は我々の同志だが間違いなく“真情右翼だよな”とからかわれたものでした。しかしながらソビエトが崩壊し、北朝鮮の拉致事件が証明された時点で、すっぱり組合とは縁を切り(かなり勇気が必要でしたが・・武道のこわもて顔を持つ強烈な個性が幸いしました・・)、還暦を前に、少々ガタのきた体をだましだまし、武道を通し、我が国の有るべき姿を子供達が継承する一助になるよう腐心しております。日本が日本であるために“皆さん共に頑張りましょう!”・・(と、いうのも組合時代、よく使った“決まり文句”ですが・・)・・本当に頑張るしかないのですから・・・

-

コピペです
夫婦別姓がなぜ良くないのか ・・・ 戸籍制度の破壊が目的


民主党は、国益や公約は守りませんが、自分たちの日本解体イデオロギーの推進実現には全力を尽しています。


>>「子供が18歳になったら『家族解散式』をやろう」(福島瑞穂氏著『結婚はバクチである』)

>>「(別姓の夫婦が多くなれば)外からみると、事実婚なのか、法律婚なのか、分からないと思います。私は、事実婚なのか、法律婚なのか、まったく分からなくした方がいいと思うんです」(福島瑞穂氏著『夫婦別姓はいかが』)

>>この制度は、こんな便利でお得なメリットがあります。
そしてあくまで「選択制」ですから、必要がない人や嫌だと思う人は「制度を利用しなければ」よいのですから、まったく問題はありません。



大体どんな商品でもこのような「売り方」をするものには要注意です。
どんな危険な内容であっても「利用しなければ大丈夫」が罷り通れば、必ずその災禍は「利用しないもの」に及んできます。

推進者は制度のメリットを強調し、一部の希望者のみに認めるだけで、社会への影響は少ないと説明します。果たして本当にそうなのでしょうか。

夫婦別姓制度が家族の一体感を損ない、子供に悪影響を及ぼすことは間違いありません。
何より夫婦別姓は親子別姓なのです。

毎日のように報道される「児童虐待」は統計以上に深刻さを増していると考えられます。
ただでさえ歪んでいるわが国の親子の関係が、夫婦別姓・親子別姓・事実婚の増加・安易な離婚再婚によって、ますます脆弱になるとの懸念があります。

日常生活で余り意識されることはありませんが、日本の家族と社会を根本で支えているのが戸籍です。

戸籍は、出生・結婚・死亡などを「夫婦と未婚の子」を単位として登録します。
戸籍制度は結婚や相続など家族と社会の係りにおいて重要な役割を担うと同時に、家族が運命共同体であることの一体感を維持するという機能をも有しているのです。

日本のこの戸籍制度は、実は、大和朝廷時代にはすでに日本に定着していた歴史ある制度です。
孝徳天皇の御代に広められ、大化2(646)年1月の大化の改新によって全国で作成された「庚午年籍(こうごねんじゃく)」が、これが我が国の「戸籍」の始まりです。

戸籍制度は、日本にしか存在しない世界に誇る制度です。
家族の連続性、一体性を記し、未来に残していく証しです。

江戸時代から明治初期にかけて日本に来日した外国人たちは、当時の日本の治安の良さ、ひとびとの遵法精神に、まさに「驚嘆」しています。


>>「日本は非常に古い文明を持ちながら、それを見事に近代文明に適応させた国、偉大な過去と偉大な未来をあわせ持つ国でもあるのです。」

>>「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。
それは日本人です。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。
日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。
どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。
しかし、日本にはその資格があるのです。
古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」

>>「彼らは貧しい。しかし、高貴である」

明治時代のフランス駐日大使 ポール・クローデル(1868年8月6日 - 1955年2月23日)の言葉です。


こうした外国人から見た日本人の日本人らしさの根幹をなすのが、戸籍制度のもと、人は単なる「個人」として生きるのではなく、先祖から受け継ぎ、親兄弟や子や孫、まだ見ぬ子孫へ繋がるといった、歴史の縦軸の中に生きるという感性です。

それは「恥」の文化につながり、責任感につながるのだと存じます。
個で自分本位であれば、「恥ずかしい」「みっともない」と言う感情は起こりません。

戸籍を失い、夫婦も親子も別姓というなら、何かを守り、継承するという縦軸のつながりを喪い、日本人は、ひとりひとりがみんなバラバラの個人主義の国となります。
それはもはや「国家」ではありません。

そして「血統」「家柄」「家」の否定、「個人」を最重要とする価値観の行き着くところは「皇室の廃止」「日本の人民共和国化」に他なりません。

夫婦別姓導入は、国体破壊への道であることをぜひご理解いただきたいと存じます。

友都

No title
皆さん、ご存知ですか?
11月末に 日本空襲デジタルアーカイブ という
ウエブサイトが開設された事。
日本側から見た空襲状況が世界に知られていない
と気づいた、在日米人の作家と米国の大学の先生に
よって運営されています。
ねずきちさんの心を打つ全てのお話も、そのサイトから
世界に発信されたらどんなによいでしょう。

仙谷、管の大失態

No title
ねずきちさま
 昔の日本人は少年少女ですら、凛としていたんですね。
今後の日本は一体どうなってしまうのでしょうか。
仙谷、管によって韓国へ文献の一部引き渡しの話しがありましたが、
あれがどれほど酷い内容だったのか、この動画を見る迄知りませんでした。
国家反逆罪に値すると思います。今からでも断固反対しないと、これからも
どんどん日本が国益を損ないます。どうかお時間ある方、是非ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=tBAE9tDbgsw&feature=player_embedded

大東亜百年戦争
超限戦
中国空軍の喬良、王湘穂はこれからの戦争をあらゆる手段を以って戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論考している。
構成は第1部新しい戦争について、第2部作戦の新しい方法についての議論から成り立っていた。その中で喬良、王湘穂は25種類にも
及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。
そしてそのような戦争の原理として総合方向性、共時性、制限目標、無制限手段、非対称、最小消費、多元的協調、そして全ての過程の調整
と支配を挙げている。このような戦争はグローバリゼーションの時代の戦争に特徴的なものであり、軍人と非軍人の境界もまたあいまい化する。
超限戦は単に戦争手段の多様化を示すだけではなく、それに対応した安全保障政策や戦略の研究の必要を主張している。


    ∧__∧
    ( *´∀) 百年戦争残りまだ31年もある!
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"

歩三・安藤大尉

もう一度、戦いを
戦後65年、ご先祖様と親の世代が築いた「平和」(仮令、それが、GHQの占領政策、及び『安保条約』と『平和憲法』という欺瞞に支えられたものであったとしても)を私たちの世代(50歳代以下)が享受してきたことは、間違いありません。
現在、大東亜戦争勃発前と似たような、極東情勢になっております。
これまでは、英霊の皆様が守ってくれた(この事をブログに書いたら、『現代において、こんな戯言を言う馬鹿が居る。日本は負けたのではなかったのか』とコメされました)、しかし、これからは、私たち自身が、日本を真の姿に戻して、未来に継ぐための「戦い」をしていかねばなりません。それは、関税撤廃への動きにも言えることです。苦しくとも、国産品を守る、日本の農業を守る。領土問題にも、「媚を売る」のではなく、命を晒しても毅然として対応する。
何よりも、日本の中の「反日日本人」を叩き出す。
こういった「戦い」が、我々に課せられた、第二の「大東亜戦争」なのではなかろうか。

愛信

国旗の重みシリーズ
国旗の重みシリーズ
すでに多数の方がご存知と存じますが、
youtube 「国旗の重み」シリーズをぜひご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=hG2cwv6F40Y&nofeather=True
(動画)
国旗の重みシリーズ 英雄編~十三秒後のベイル・アウ
ト~
国旗の重み 海洋国家日本の海賊退治 第一集
国旗の重み 建築編~悲しき誇り~
>センゴクジエイタイさん
>朝日もNHKも内部が全て反日ではないと思う、中に
は極めて少ないが心ある社員もいるはず。
番組に一貫性がないのはその証拠ではないでしょう
か?
来るべき再興の時の為に、その味方を保全しましょう。
同意します。
今のマスコミの現場や下層部の人たちは現状に危機感
を覚えていますが、上層部があの通りですから、歯がゆ
い思いをしているようです。
彼らを味方につけ、保護をしておきましょう。
【軍事評論家=佐藤守のブログ日記】指揮所開設!
コメントより転載

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

共通一次世代

No title
「敗戦」「占領下」という現実から日本を救うために当時の政治家はとても厳しい選択をしたのだと思います。
日本が共産国に取り込まれないようにすることが日本が戦後再生できる何よりも大切な条件であったことを考えれば、当時の政治家が後年何を言われようとも日本を守るために選ばなければいけない方向だったと思いますし、よくぞ選んでくれたと私は思います。

吉田茂らの決断で、日本が共産圏になることと分断されることがなかったことは日本にとってこの上なく不幸中の幸いであったと思うのです。

その後は「復興」です。私の両親は昭和一桁世代ですが、その一つ上の世代の方々が日本を守るために戦った世代です。その世代の方々の後を繋ぐように両親の世代は頑張ったと思います。

その頑張りの御蔭で私の世代はもっとも幸せな高度経済成長時代に子供時代を過ごしました。テレビもあり、新しいものがたくさん出てきて、日本は大阪万博が象徴するように国全体が盛り上がっていました。オリンピックも札幌があり、本当に「良い時代」に生きていました。

のんきに過ごした若い頃から、自分の過ごした時代は一体なんだったのかと思うようになったのは拉致事件を知ってからでした。同世代の横田めぐみさんやや有本恵子さんが北朝鮮に拉致されていた。

自分はずっと何やってたんだろうと・・。

幸せにのんきに生活してきた分、どこかで苦しい思いもしなければならなくなるかも知れないと思うことはありましたが、「これからがそうかも知れない」とその時思いました。

横田さんや有本さんは私たちの世代のなかで身を持って「日本が危ない」と気づかせてくれた存在です。彼女たちを拉致されたままのほほんと自分がのんきに生活していることは許されないと日々思います。

でも、8年前に多くの人が涙したこの拉致問題は「我が事」にはならなかった。だから国民は民主党を選んでしまった。
まるでドラマを見ているだけで終わったのか?怒りはどこへ行ったのか?自分には分かりません。

あの中井が拉致担当大臣だった。
仙谷が今、ブルーリボンバッジを付けてる。
吐き気がします。

団塊の世代から下の「戦争を知らない世代」は今まで与えられてきた自由から、今度はこれから苦しい思いをしても日本を守る為に「義務」を果たさなきゃいけないと思います。

それが次の若い人達へちゃんとした日本を繋げていくための「責任」だと思います。とても重い責任だと感じます・・。

八目山人

売家と唐様で
11月14日に名古屋で安倍晋三元首相の講演があり、そこでこの靴磨きの少年の話をされました。
お父さんの安倍晋太郎さんが、ハワイ州知事だったジョージ・アリヨシ氏と知り合いで、直接この話を聞いたとの事でした。

父は大正4年生まれで大東亜戦争真っ只中世代でした。徴兵で中支に駐屯していて、終戦は鴨緑江を渡ったところで迎え、9月には帰ってきました。
その父が昭和40年代でしたか、よく「売家と唐様で書く三代目」と言っていました。
戦後世代の、左翼的で不甲斐の無さを言っていたのだと思います。
また「テレビは日本やアメリカのことは悪く言い、ソ連の事はよく言う。」ともしょっちゅう言っていました。

花うさぎ

同じ動画が
あれ~、同じ日に同じ動画が(^^;。

追っかけたわけではありません、本当に偶然です。昨日中に準備してましたので(汗)

shengxin

No title
自由と言う言葉は己を律したものが取る行動を指しているのだと思うのです。

Freedomはいわばわがままとなるのでしょうか。
何でもありは個人的視点での行動であるが、自由は個人のみならず公でも認められる行動であると思うのです。

だから誰も干渉(妨害)せず振舞える。

今の日本人にとって、自由と言う意味を正しく学校で教えていませんよね。
親からしてきちんと意味を教えると言う事が出来ていないのですから。

公私の区別をはっきりと付けられるのが日本人でしたが、今や大部分の日本人は中国人の出来損ないのようになってしまって自分としては悲しい限りです。

いまだ占領下にいるかのごとくの政治。
自主独立とは程遠い政治の世界を何とかしないと駄目ですね。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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