会いたい、無性に・・・穴沢利夫大尉



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孫田智恵子さん


ある本の前書きです。

~~~~~~~~~~~~~
その女性は、手のひらに乗るほどの小さな箱を箪笥から取り出すと、
「大切なものが入っているの」
そう言って微笑み、私の前へ静かに置いた。

見事な寄木細工の小箱だった。
一体、何が入れられているのだろう。

そっとふたを外してみると、タバコの吸殻がふたつ、綿に包まれて入っていた。
銘柄も判別できないほどに変色し、指で触れれば崩れてしまいそうな――。

「彼の唇に触れた唯一のものだから」


八十四歳になる伊達智恵子さんにとって、六十年以上も前の吸殻は、婚約者であった穴沢利夫少尉(享年二十三)の遺品だったのである。

「女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいった特攻隊員がいる。しかも、その隊員の婚約者だった女性は、未だに健在でいるらしい」

特攻隊の取材をしている知人からの情報で、都内で一人暮らしをしている智恵子さんを訪ねたのは、平成十八年一月十三日のことだった。

寂しいご婦人なのだろうか。
そんな私の予想は裏切られ、実際の彼女は明るく、力強く生きていた。

「利夫さんは生きたくても生きられなかったけど、残された私や彼の家族、それに未来に続くあなたたちのために特攻隊として身を投じたの。私はその遺志を受け継いで、できることなら利夫さんの思いを果たしていきたい」

小柄でチャーミングな笑顔を絶やさない智恵子さんだが、彼女が語る利夫さんとの「物語」は、切なく、苦しい。

智恵子さんの記憶は鮮やかだった。
生への願望を持ちつつ、二十歳そこそこで死を覚悟しなければならなかった利夫さんの無念と、彼と結婚の約束をしていた自分が受け入れなければならなかった現実が、彼女の心に痛ましいほど深く記憶を刻みつけたのだろう。

「利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかとずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから」

こう言って彼女は、しまい込んでいた利夫さんの日記や手紙、写真を見せてくれた。言うまでもなく、これらは特攻隊に参加した若者たちを理解する上での貴重な「資料」である。

しかし、私が目にしたのは資料という無機質なものではなく、人の心を打つ「作品」であった。

「死」が前提にありながらも、利夫さんの書く言葉に愚痴めいたものは見つからない。
ただ、智恵子さんへの思いやりと、国家に危急が逼り来るときに青年として何をすべきなのか、という熱い思いが綴られている。その隙間に、さらりと挟まれている利夫さんの若者としての本音が、智恵子さんの話と共に私の心を打った。

しかし、智恵子さんは時折、私に戦時中のことを話すのをためらうことがあった。特に、その時々の彼女の気持ちを話す際、戦後三十年近く経って生まれた私がよく理解できないことに、もどかしさを感じるようだ。

「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。今とは、あまりに価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね」

それでも、丁寧に話せば若い人にも伝わるはずだと、智恵子さんの下へ通い続ける私に、彼女は根気強く話してくれた。

そんな智恵子さんだが、最近まで思い出を胸に秘めたまま、誰が来ても取材に応じることはなかったという。彼女の考えを変えたのは、こんな思いだった。

「最近は、戦争が美談とされることもあるし、特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った事実が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、毎年少なくなっている。長く生かされていることに、何らかの使命が課せられているとしたら、それは語り部の役割かもしれませんね」

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この文は、水口文乃著「知覧からの手紙」 (新潮文庫)の前書きにある文章です。

文中に出てくる穴沢利夫陸軍大尉は、昭和20(1945)年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に乗って知覧を出撃しました。

■桜を振って見送る知覧高女の女生徒達軽く手を振り微笑みを返して出撃してゆく穴沢少尉の隼機■
穴沢少尉機の出撃


その出撃のときの写真が、上の写真です。
写っている飛行機が穴沢機。

写真が小さいので、わかりずらいかもしれませんが、機上から穴沢大尉が敬礼をしている様子が見てとれます。

この日、穴沢大尉は、沖縄洋上で米駆逐艦に体当たり炎上する。
そして、火柱をあげて散華されています。

出撃のときの模様を、この写真で手を振って見送っている前田笙子さんが、日記に書いています。

~~~~~~~~~~~~
昭和20年4月12日

今日は晴れの出撃。

征きて再び帰らぬ神鷲と私達をのせた自動車は、誘導路を一目散に走り飛行機の待避させてあるところまで行く。

途中「空から轟沈」の唄の絶え間はない。

先生方と隊長機の偽装をとつてあげる。
腹に爆弾をかかへた隊長機のプロペラの回転はよかつた。
本島さんの飛行機も、ブンブンうなりをたててゐる。

どこまで優しい隊長さんでせう。
始動車にのせて戦闘指揮所まで送られる。
うしろを振り返れば可憐なレンゲの首飾りをした隊長さん、本島さん、飛行機にのつて振り向いていらつしやる。

桜花に埋まつた飛行機が通りすぎる。
私達も差上げなくてはと思つて兵舎へ走る。

途中、自転車に乗つた河崎さんと会ふ。

桜花をしつかり握り、一生懸命馳けつけた時は出発線へ行つてしまひ、すでに滑走しやうとしてゐる所だ。

遠いため、走つて行けぬのが残念だつた。

本島機が遅れて目の前を出発線へと行くと隊長機が飛び立つ。

つづいて岡安、柳生、持木機、97戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにつこり笑つた操縦者がちらつと見える。

二〇振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。

一生懸命お別れのさくら花を振ると、につこり笑つた鉢巻き姿の穴沢さんが何回と敬礼なさる。

パチリ・・・・・・後を振り向くと映画の小父さんが私達をうつしてゐる。

特攻機が全部出て行つてしまふと、ぼんやりたたずみ南の空を何時までも見てゐる自分だつた。

何時か目には涙が溢れ出てゐた。

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穴沢利夫大尉
穴沢利夫大尉


穴沢利夫大尉(出撃時少尉、没後二階級特進で大尉)は、大正11(1922)年2月12日、福島県那麻郡(旧・会津藩)のお生まれです。

幼い頃から読書好きだった利夫さんは、故郷に児童図書館を作ることが夢で、文部省図書館講習所を卒業します。
そして、中央大学に進学した。

親の仕送りで遊んで暮らせる生徒なんていうのは、当時はまずいません。
利夫さんも、お茶ノ水の東京医科歯科大学の図書館で働きながら、勉強した。

その図書館に、昭和16年夏、図書館講習所の後輩たちが実習にやってきます。

これが運命の出会いでした。
その中に、後に婚約者となる孫田智恵子さんがいたのです。

お二人の交際は、昭和16年の暮れ頃からはじまります。
もっとも、学生の男女がつきあうなどということは、はしたないこととされた時代で、
お二人の交際は、もっぱら手紙のやりとりばかりだった。

~~~~~~~~~~~
智恵子様へ

半年前、あなたがぐらじおらすを持ってきて図書館の花瓶に生けてくれた日の夜、僕は誰もいない図書館でそれを写しました・・・・
~~~~~~~~~~~

その手紙には、繊細なタッチで模写したグラジオラスの絵が添えられていた。

そして、智恵子さんが手紙で

 たまゆらに
  昨日の夕(ゆふべ)見しものを

と詠めば、利夫さんが、

 今日(けふ)の朝(あした)に
  恋ふべきものか

と返す。

この歌は、柿本人麿呂の歌です。
意訳は、「昨夜の、ほんの僅かなひとときお会いして愛を交わしたばかりなのに、一夜が明けてお帰りになると、もうこんなにあなたが恋しくなるなんて、こんなことがあってよいものでしょうか」

教養と教養、情感と情感がお二人の愛をはぐぐみます。
お二人にとって、とても幸せな日々でもあった。

穴沢利夫さんと智恵子さん(昭和17年春)
穴沢少尉と智恵子さん


お二人は結婚を望みます。
しかし利夫さんの郷里の兄は、都会の娘である智恵子さんとの結婚に反対する。
これにひきずられる形で、両親も結婚に反対です。

時は大東亜戦争の真っ只中です。

利夫さんは、昭和18年10月1日、戦時特例法によって大学を繰り上げ卒業します。
そして、陸軍特別操縦見習士官第一期生として、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊に入隊した。

~~~~~~~~~~
智恵子様へ

僕が唯一最愛の女性として選んだ人があなたでなかったら、こんなにも安らかな気持ちでゆくことはできないでせう。
どんなことがあっても、あなたならきつと立派に強く生きてゆけるに違ひないと信じます。

昭和18年9月6日夜
~~~~~~~~~~~

昭和19年7月、サイパン島が陥落します。
昭和19年10月、制空権、制海権を失った日本は、神風特別攻撃隊を編成する。
昭和19年12月8日、飛行第二四六戦隊に配属されていた利夫さんは、特別攻撃隊第二〇振武隊員に選抜される。


利夫さんが、任地である三重県の亀山兵舎にいたときのことです。
そこに智恵子さんが訪ねて来た。

冷やかし半分に、二人を旅館に送りだした同僚たちだったけれど、このとき利夫さんは、連日の猛訓練で疲れて寝てしまったそうです。
二人は清い交際のままでいます。

~~~~~~~~~~~
 わかれても
  またも会ふべく思えば
 心 充たれて
  わが恋かなし

    智恵子
~~~~~~~~~~~

昭和20年3月8日、隊長から特別休暇をもらって帰郷した利夫さんは、両親を説得します。
そしてようやく智恵子さんとの結婚の許可を得た。

大喜びの利夫さんは、翌9日には、さっそく東京の智恵子さんの家を訪ね、その報告をします。

そしてその日、目黒の親戚の家に泊まった。

この日の未明、事件が起こります。

死者8万人以上、東京の3分の1を焼き尽くした3月10日の東京大空襲です。

東京大空襲
東京大空襲1129


智恵子さんの無事を心配する利夫さんは、まだ夜が開けないうちに親戚の家を飛び出し、智恵子さんの実家へと向かいます。

同じ時、利夫さんの実を案じる智恵子さんも、夜明けとともに目黒に歩いて向かう。

そしてお二人は、大鳥神社のあたりで、バッタリと出会います。

互いの生を確認できたお二人は、大宮の飛行場に帰る利夫さんを送って、二人で国電に乗りこみます。

ところが電車は、空襲のあとで避難する人々があふれかえり、あまりの混雑の息苦しさに、智恵子さんは池袋駅で電車を降りてしまった。

そして、これが二人の最後の別れとなった。


ひと月後、利夫さんから手紙が届きます。

~~~~~~~~~~~

二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。

転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい、書くことはうんとある。

然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。

至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。

純客観的な立場に立って言うのである。

当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本
 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭20・4・12
智恵子様
     利夫
~~~~~~~~~~~~~

これが、穴沢利夫さんの最後の手紙となりました。

手紙の書かれた日付と、利夫さんの戦死の日付は、同じです。
おそらく、出撃の直前に、書かれたのでしょう。

智恵子さんは、利夫さんとの面会の折に、「いつも一緒にいたい」との想いから、自分の巻いておられた薄紫色のマフラーを手渡されました。

利夫さんは、その智恵子さんの女物のマフラーを首に巻いて出撃されました。

その様子が、次の写真です。

穴沢大尉のマフラー


マフラーが首に二重に巻かれているので、他の隊員よりもマフラーが膨らんでいるのがわかります。


愛する利夫さんを失った智恵子さんは、悲嘆の底に沈みます。

その智恵子さんの生きる支えとなったのは、利夫さんの入隊二週間前の日記だったそうです。

~~~~~~~~~~~~~
智恵子よ、幸福であれ。

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。

自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。
~~~~~~~~~~~~~

────────────────
真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない
────────────────

八五歳を過ぎた智恵子さんは、「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。
今とは、あまりに価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね」と述べられています。

日本人というのは、魂を親から子、子から孫へと伝達し、縦の命のつながりをつなげる民族です。

愛する人のために、その命を捧げる。
その命は、短い一生だったかもしれないけれど、肉体なんていうものは、魂を入れておくための殻でしかない。

魂は生き続け、後々の日までも人々に生きる勇気を与え、民族を活かしてくれる。

「命が終わったらおしまい、生きているうちが花」ではないんです。
そういうのを「刹那主義」といいます。

日本は「つながり」「共生」の文化です。
そして究極の愛は、自らの命を捨てることを厭わない。

そして究極の愛は、永遠に生き続ける。
そういうものなのではないでしょうか。

穴沢利夫さんの肉体は、昭和20年4月12日、沖縄の海に散りました。

しかし、穴沢利夫さんの心は、智恵子さんに生きる勇気を与え、そして未来永劫、世界の人々の魂をゆさぶる愛の物語として、語り継がれます。

何もなさず、ただ無益な人生を長く生きることが大事なのか、なにごとかを為し、死して名を残す生きざまが大事なのか、それこそが「価値観」の違いなのだろうと思います。

しかし、ひとつだけはっきりと申し上げれることは、すくなくとも後者こそが日本人の生きざまに他ならないということなのではないでしょうか。

そしてすくなくとも、我が国には祖国を愛し、愛する人を守るために命を賭けて戦い、散って行かれた236万柱の英霊の命がある。

その命をないがしろにする者は、もはや日本人にあらず。

国政における大臣の発言は、現代人だけでなく、この国に生まれ死んで行ったすべての人々へ向けた発言です。

その重みを理解できないような白痴は、もはや大臣でも政治家でもなく、もはや日本人ですらない。

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コメント

梅木

涙は出ないけど重みがすごかった…
私は、漫画を書くのが趣味で、今流行りの永遠の0を呼んだインスピレーションから、自分も特攻隊員を題材にした作品を書きたいと思い、どこかにかっこいい日本航空兵の写真が残っていないか、探していただけというとっても軽い気持ちでこちらにたどり着きました。
永遠の0は面白いながらも、どこか軽いものを感じていました。
しかし、このような、実際に市に直面した所で、人間性を捨てなかった利夫さんのような素晴らしい方がいらっしゃったことと、同じ国に生まれられたことを嬉しくも、重く受け止めております。

私は、平和主義者の共産主義者っぽいものです。
無神論者で、差別や偏見を憎み、平和憲法を愛するものです(最も、憲法で好きなのは前文だけですが^^;)。
だから、無闇矢鱈と、韓国人や中国人を悪しざまに言う愛国者気取りも、平和主義の愛国主義者の存在など考えもしないバカな左翼も、どっちも同じくらい憎たらしいです。
自分で言うのもなんですが、優等生で気が弱い私は、まるで日本人に生まれたことを悪のように教える狂師の教えるママを、まるで遺伝子が前の遺伝子をコピーするかのように、そのまま自分の考えとしておりました。
ですが、左派の団体の中では、とても日の丸が綺麗だとか、天皇のお人柄が好きだとは言えたものではなかったです。
左派の中にいたからこそわかることですが、彼らの多くは神という存在をバカにしていますし、私自身も神などせいぜい方程式のエックスでしかないとは思いますが、彼らこそ、人が常に善人で折れるという間違った宗教にとらわれていると思いました。
彼らの中にいて、私はいつも、どうにか、全人類の食い扶持を、私自身の一人の力をもってで稼いで、それを持ってして共産主義を成立出来はしないかと、いつも頭を抱え込んだものでした。
しかし、かと言って、失礼ですが、ここで靖国を崇拝する方々の中での居心地も大変悪いのです。

私は、靖国など、別になくてもいいとは思っています。ましてや、誰かを怒らせてまで、参るものでもないと思うのです。

あれは、戦争で亡くなられたすべての兵士の冥福を祈るシンボルです。それが、彼の国の慰安婦像とは異なる点です。
私は、あの施設はただただ、戦争で失ってしまった命を悼む場所であると思います。
ですから、死後の霊魂など信じない私ではありますが、もし彼らの精神が少しでも、地上にとどまるのでしたら…ありえない話ではありますが…あの靖国神社を取り壊し、踏みつけにすることで中国や韓国だけでなく、世界平和が実現し、日本国憲法の前文にあるような、専制と隷従、偏狭と圧迫が永遠にこの世からなくなり、みなが幸せに豊かに、暮らせるとしたら…きっと英霊と呼ばれる、特に特攻で亡くなった方々は、笑ってゆるしてくれるものだと思います。
それは、利夫さんの遺書の、
「自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。」
のあなたが、もしも、厚かましながら、我々に日本国民と、全ての列強に蹂躙されていた地域と、蹂躙していた国の人々まで、よせていただけるのならば、なおのこと、靖国のために争ってほしくはないと思っているように思います。
もちろん、それは中国や韓国、そしてアメリカを始めとする外国に媚び、靖国を参拝しない、ではないんです。ではなく、真に皆が豊かに安心して生きられる世界を作れるかということを、そして、右派の皆さんには虫酸が走る用なことかもしれませんが、韓国人や中国人など、今は敵対してしまっている隣国の人たちと仲良く共に平和を築いていけるように、私達、守られた人とその子どもたちが、知恵と勇気を振り絞り、特攻でちった方々の願いを叶えることこそが、なによりもの、供養になるように思えてなりません。
私は、安部首相が嫌いです。
彼の考えうる美しい国の中に、まるで、特攻で死ぬものの悲しみまでをも、美しいと酔いしれているように思います。ゴーマニズムの人が言うように、安倍氏というのは、自分の身は安全圏にいながら、まるで映画館で映画を見るかのように、他人の若い命が散っていくのをみて美しいと涙をながすようなグロテスクさを感じざるを得ません。
私は、安部首相に寄って、まるで韓国の慰安婦像と同列に靖国が扱われていくようになるのが、腸が煮えくり返り、それこそ、血の涙が流れそうなほど悔しくてならないです。
それはこの利夫さんの遺書を読んでなお強くなりました。

左も右も、結局人をディスることしかできないのはろくなのがいないと思います。逆に違う考えの者同士の共存を考えられるものこそが、考えに違いはあっても、真の平和主義者だと思います。
いかにして、共存していくかを考えられなければ、結局殺し合いしか無いのですから。
そして、日本の人々は、異文化を積極的に取り入れられてこれた、共存という分野においてのスペシャリストであったのに、今はまったくの排外主義者の安部総理のような男が日本を愛するものに持ち上げられているのは、虫唾の走ることであります。

私は、先の戦争で、枢軸国側が敗北したのは、正義の敗退だと思います。結局、植民地を持ち、底に住む人を人とも思わぬ悪の勢力、破壊の奔流が買ってしまったといわざるをえません。
しかし、日本は戦争には負けたものの、その責任を、まるでドイツ人がヒトラー一人に押し付けたようには、天皇陛下一人に責任を押し付けなかったことは大変素晴らしいことだと思います。
そして、日本が立ち上がったからこそ、イギリス、フランス、アメリカなどといった、植民地に対して、人非人の極悪非道を働いた国々に対して、植民地を手放させたことは、なによりも、誇るべきことだと思います。
あの戦争からもうすぐ70年ですが、今の安部総理のように、自分たちより弱い、韓国中国には、大きく出て、欧米、特にアメリカにはへーこらものも言えないアフリカオオコノハズクのような日本人ばかりになった日本を見て、きっと特攻隊員は泣いているような気がします。
最後に、日本国憲法前文にあるように、日本国が、世界平和を実現するにあたって、それを率先して行い、世界の平和と豊かさの温度を撮れる国になるように、私一人だけでも、頑張れる勇気がほしいと思います。

やま

No title
この記事を読んで涙が止まりませんでした。

私の曾祖父は最終階級が少佐の陸軍軍人でした。

曾祖父は内地勤務を命じられて外地へ出征することは一度も無かったらしいのですが、生前曾祖父は「内地勤務って言っても帰って来ない仲間を見送るのは辛いものだぞ」と言っていました。

しかしそれと同時に曾祖父は「だけど、あの時代は誰もが国や家族を守るのに一生懸命だった」とも言ってました。

私もこの曾祖父の言葉そして祖国やそこに住む愛する人を守る為に散って行った英霊たちの気持ちを胸にしっかりと日本人らしく誇りを持ち続けていきたいと思います。

-

こんなに涙を流した恋物語は初めてでした。
手紙の最初の言葉に秘められた想いに涙します。
この手紙に私も勇気を貰いました。

楠公忠烈

No title
私にとって穴沢利夫大尉は大学の先輩となります。穴沢利夫大尉と私を比べれば、私のような賤しいものは恥ずかしくて生きられないように感じてしまいます。偉大な先輩に少しでも近づけるよう毎日努力します。

無名

マスコミに登場する戦争体験者は
マスコミに出演される戦争体験者は、
ほぼ全てといってよいほど、戦争の悲惨さ
だけを伝える語り部となられています。

確かに悲惨で苦しかったことは、間違いありません。
それは、空襲や原爆で無差別に殺戮されるという悲惨さは、
痛みと苦しみが分かりはじめた子供でも十分想像し、恐怖
してしまうほど、凄まじいものであったと。

しかし、なぜ日本と故郷を守る思いを胸に抱いて戦いに行き、
そして、それを見送った人々の本当の想いを伝えてくれない
のでしょう?
あの当時は軍国主義で、みんな軍部に
騙されたという感想はテンプレートのごとく、繰り返されますが、
様々な戦中の資料を読む機会があるにつれ、贖罪意識として、
後付けされたものだと分かる話なのです。

日本の国難に、私心を捨て、日本国の安寧とそして、
その日本国に住まう全ての国民のために命を賭して、
散った方をなぜ悲惨、可哀想としか言えないのでしょうか・・・。

12月8日の真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットで
94歳になられる方が、日本テレビの夜のニュース番組に
出演されていました。
話のなかで、軍人の死に際の最期の言葉は、
「みんな、天皇陛下万歳など言ってない。みんな、母や
奥さんの名前だった」と言われていました。

確かにそういう方々もいたでしょう。
しかし、かたや戦死された方々の手記や日記を読むと
多くの軍人が、自分の命は無くなるかもしれないけど、
日本国の未来、そして国民、そして故郷。家族のために
自分が少しでも役に立てればという想いとともに、
信念・覚悟があったからこそ、真摯に綴られているのです。

その94歳の元パイロットは、生き延びられたからこそ、
命はとにかく大事で、平和が一番というような戦後の
価値観などで当時の戦友を貶めるのでなく、
何によってもたらされた平和なのかを語っていただき
たかったと、とても残念に思いました。

元パイロットの方の戦いによるトラウマ、心労は誠に
辛きものであり、戦後の敗戦のショックの反動によるものと
お気の毒には思いましたが、しかし、日本国のために戦った
方だからこそ、
立派に日本国とその国民を守り、ひいては残された家族が
悲惨な目にあわずに済んだと胸をはっていただきたいと
思うのです。

ただ、そういうことを話せる体験者については、マスコミに
取り上げられることが全く無いのが、今のマスコミの問題で
もあるのです。

元組合活動家

No title
先の文、一部訂正します、千谷ではなく仙谷でしたね・・覚えたくもない名前ですが・・こんごはセンゴクで通します。漢字で書くのも汚らわしい名前ですので・・

元組合活動家

No title
そもそも、我が国の伝統武道を心身ともに頑固にやり通せば、おのずと我が国とその国民の“有るべき姿への追求”につながります。(但し、柔道で金メダル獲りながら、ミーハー総合格闘技に走った誰かさんは論外です、彼は“武道もどき”に終わった単なる“運動バカ”です)私の出身は広島、呉の近郊です。幼い頃、父親の転勤で父祖代々の地を離れ、中京圏で育ち、現在に至っていますが、原爆ドームは里帰りのたびに幾度か訪れ、ましてや元海軍都市の面影を残す呉の風景も当たり前のように見聞きしてきました。私の従弟は江田島の前身が海軍兵学校である海上自衛隊術科学校を卒業し、現在、潜水艦通信士官であり、その子息も同じ道を歩んでおります。よって自衛隊を“暴力装置”と称した千谷のアホウはさっさと政界から追放してしかるべきと念じておりますが・・・江田島の海軍兵学校記念館には本当に涙が出て止まらないほどの海軍英霊皆様方の遺書を含め、憂国の品々が展示されております。ネットでの情報収集も便利でよろしいのですが、一人でも多くの皆様方がその目で本物を見、私達の先達たちがに我が国の将来を私達に託したことを確認していただきたいと思っています。

-

No title
「確かに命は尊いものだが、尊いからこそ、懸ける価値がある。浮ついた平和主義者には、命の本当の尊さと、命を懸ける価値の重みが分かっていない」

このように、言っていた人がいました。



散り行くも

芽の生え来る

桜かな

-

特攻隊員・山崎祐則さん(旧夜須町出身) 遺品の漫画、絵手紙発見
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=268229&nwIW=1&nwVt=knd

イシコウ

No title
今日は12月8日です、日本人ならこの日を決して忘れてはならないと思います。

愛信

西田昌司の目覚めよ!日本人「皇室への暴言まで・・・菅政権は国賊だ!!」
西田昌司の目覚めよ!日本人「皇室への暴言まで・・・菅政権は国賊だ!!」
インターネットTV「超人大陸」に出演
テーマ:皇室への暴言まで・・・菅政権は国賊だ!!
http://www.choujintairiku.com/mezame/mezame008.html
(動画)
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

共通一次世代

18歳の回天特攻隊員の遺書
【18歳の回天特攻隊員の遺書】
http://www.youtube.com/watch?v=eZZ6LmeOdB4&feature=related

=============

お母さん、私は後二時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。本当ですよ、お母さん。少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死する。通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのではありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。

こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。

考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければ、どうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから 私が行くのですよ。

母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃を取るようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。

============= 

共通一次世代

No title
今回ねずきちさんご紹介の動画を、ぜひとも 二十歳代の若者、十代の子供たちに見て欲しい。
取り上げられている穴沢陸軍少尉の遺書の他、茂木三郎少尉19歳の「母への遺言」、小川清海軍中尉24歳の{両親への遺言」・・・日本人であれば心を突き動かされるものが必ずあると思う。

学校で見せることが出来れば一番いい。出来れば、感想を提出させずに書かせてあげたらいい。一度、思いを言葉で書き残すことで、自己の思いをのちのち再確認できると思う。教師の目があったら必ず「きれいごと」を書いてしまう。純粋に思いのたけを言葉にして書いて、その書いた紙を残したければ残し、捨てたければ捨てる。決して教師は結果を見ない。あとは、歴史教育・・・。

英霊の方々が守ってくださったこの日本に生を受け、生きている。この事実。
特攻隊の動画で「自爆テロ」などとコメント欄に書かれていることが余りにも悔しくてたまらない。テロに何の「気高さ」があるのか。彼らのこの「気高さ」をテロと同一視するなど到底許される筈がない。

「君を忘れない」という特攻隊の映画のラストで、上官役の唐沢寿明の「俺は間違ってるか?」との問いかけに、主役の木村拓哉が「間違ってます。俺たち全員」と言って特攻機で飛び立って行く場面があるとのこと。製作者は勝手な解釈を映画に植えつける。これこそプロパガンダ。

キムタクは「宇宙戦艦ヤマト」の実写版の宣伝でつい最近、朝ズバにも出ていたけれど、その時も、一番の思いとして「戦争って最低」と言っていたのを聞いた。アニメの「ヤマト」を当時の自分たちはそんな感覚で見ていただろうか。結局「ヤマト」まで、ただの「反戦映画」にされてしまった。
「ヤマト」をアニメだけの世界にしておいて欲しかった。

映画やドラマはやはりプロパガンダであると思うようになった。
今や神風特攻隊を取り上げる映画も増えたが、製作者の意図が大きく思想として入り込む映画を受け入れることは自分にはない。感動するかも知れない、でもそれだけで終わる。そして他の戦争映画と同じく結局はただの「反戦映画」となる。「反戦映画」は日本では結果として「日本軍が全て悪い」という方向へと導かれる。石原慎太郎氏監修の映画であってもそれは「反戦映画」として宣伝される。反日左翼にどうにでも利用される。

しかし、映画に限らず「動画」は強烈なメッセージを与える。だからこそ、ネットで実録の特攻隊の方々の映像や写真とそれに添えられた彼らの遺書はそれだけで直接訴えるものがある。

そのストレートに伝わる彼らの思いを自分たちがどう受け止めるか。
日本人として受け止めるべべきことと、日本人だからこそ思いを受け止められるのだという気持ちと。
それはある意味「日本人としての誇り」に繋がっていくことになると思う。

例えば、アイルランド人たちが持つ誇りやアイリッシュ魂は、彼らだけが持てるものであることと同じように、日本人だけの魂の共有があって当然であると思う。
私はアイルランド人の歴史を詳しくは知らないけれど、彼らの中にはその歴史が詰まっている。

日本人はその歴史を消されてしまったどころか捏造された歴史を学ぶことになってしまった。
歴史を知らなければ魂も引き継ぐことは出来ないとつくづく思う。

役者のドラマはもういい。奥底に異物的なメッセージの入れられたドラマや映画はもういらない。
英霊の方々の実録映像や写真での凛として気高さを持った姿と優しい笑顔に接し、その言葉を聞くことで、私たち日本人ははそれを真っ直ぐに受け入れると思う。

子供たちに伝えなければいけない。伝えるべき。
芝居はもういい。そこから直に伝わるものを子供たちはきっと感じ取ると信じる。

楽仙堂

夫婦別姓法案・問題点を知ってください。
スレ違い失礼します。

●こちらに夫婦別姓の問題点の説明動画があります。藤井厳喜氏の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=doNOIO6VpT8&feature=player_embedded

●《正統史観年表・夫婦別姓の問題点》さん
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-276.html
《ひとつの国に、同姓の家族、別姓の家族が混在することが問題です。
夫婦別姓は社会を混乱させます。
ソビエト共産革命政府は、革命当初、家族破壊を目的として
法的登録婚も非登録婚も同等なものとして扱う法律を作りました。
その結果、誰が誰と結婚しているのか分からない為、重婚が可能となり、
革命政府の目論見どおり家族の絆が著しく弱まりましたが、
その結果、少年非行が急増し、少年達は掠奪、破壊、殺戮を行い、
教師は殴られ、女性達が襲われるという事件が相次ぎ、
婚外子が沢山産まれることになりました。
困り果てたソ連政府は、
結婚の価値を取り戻す施策を行わざるを得ませんでした。
選択的夫婦別姓制度は、法的に届けている別姓家族と、
事実婚カップルの家族の違いが、表向きには判別不可能という点で、
ソビエト共産革命政府が行った家族破壊を目的とした結婚政策と同じであり、
選択的夫婦別姓制度が家族を破壊するということは、
歴史が証明しています。(「ロシアにおける家族廃止の試み」より)》

嗚呼大東亜聖戦

帝國陸軍最強部隊
昭和20年1月10日未明
大日本帝國陸軍海上挺進第十二戦隊
ルソン島北部リンガエン湾における
四式肉薄攻撃艇「マルレ」約40隻による
米上陸部隊に対する奇襲攻撃の戦果

兵員輸送艦ウォーホーク大破放棄、死傷73名
貨物輸送船アルシャイン僚船との衝突により損傷
輸送艦ラティマー僚船との衝突により損傷
小型高速輸送艦クレムソン僚船との衝突により損傷
LST567僚船との衝突により損傷
LST588損傷、LST601大破、LST610大破放棄、LST625大破
LST674沈没、LST925大破放棄、LST1025大破、LS1028大破14名以上負傷
LCI974沈没、LCI984沈没、LCI(G)365沈没
駆逐艦フィリップ大破、駆逐艦ロビンソン損傷、駆逐艦イートン大破
駆逐艦リューツ友軍の流れ弾により損傷、6名負傷
警戒ボート流れ弾により3名死傷

日本側の戦死47名

    ∧__∧
    ( *T∀)  あっぱれな大戦果だな!
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"

猫ドン

俺は君の為に死ぬ。

本当に涙涙です。
国の為・愛する人達の為に英霊になられた方々を 崇め、奉る事もできない政治家は政治家に在らず、日本人でもない。
英霊に感謝の心と大和の国をお守りする心が真の日本人の姿です。

管理者へ

質問
ここは、管理者の意見に対して反対したらアクセス禁止になることでいいのでしょうか?

管理者の人間性を確認したいもので・・

No title
人生とは縦の系譜を紡ぎながら、親から子へ子から孫へと受け継いで行く営みに他なりません。
それは家族に裏打ちされたものだと思っています。その家族を破壊しようとする政策が目白押しの状況です。
子供手当の財源に配偶者控除を廃止するなどもその考えの延長線上にあると見るべきです。

wwe

韓国文化研究会
各大学の 「 韓国文化研究会 」 は、県単位で集まる県本部と各県本部を統括する中央本部が統制している。

「 韓国文化研究会 」 の具体的な反日活動と成果については、
別冊正論2号 「 反日に打ち勝つ! 日韓・日朝歴史の真実 」( 産経新聞社 ) が詳しい。
名古屋大学院講師で帰化人の浅川晃広が、自らの体験をまじえ暴露している ( 59 ~ 75ページ )。
姜尚中は自著 『 在日 』 ( 講談社 ) で自主的なサークルと書いているが大ウソ。
韓国政府のコントロール下にある、れっきとした工作機関
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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