1月2日、旅順要塞陥落

人気ブログランキング←はじめにクリックをお願いします。

旅順要塞攻城戦


1月2日といえば、明治38(1905)年、日露戦争で、旅順要塞が陥落したのがこの日です。

日露戦争の開戦は、明治37(1904)年です。
小国日本が、大国ロシアに挑むのです。

勝機は、戦場が日本から近いこと。
朝鮮半島周辺海域の制海権を、確実に日本が押さえること。
この2点を貫くほかなかありません。

一方、ロシア側からすれば、旅順を母港とするロシア太平洋艦隊と、開戦時にバルト海にいたバルチック艦隊が合流すれば、海軍戦力は日本の2倍になります。
そうなれば日本海の制海権はロシアに移り、日本は大陸への補給を断たれて満州での戦争継続が絶望的になるだけでなく、日本本土の日本海沿岸の都市を、ロシア艦隊によって砲撃されて大損害を被る危険を持ちます。

当時の日本の家屋は木造であり、そんな事態を迎えたらとんでもないことになる。

そこでとにかく旅順にいるロシア太平洋艦隊を撃滅しようと、日本は陽動作戦を展開するのだけれど、艦隊は旅順港から出てこない。

この状態でバルチック艦隊が到着したら、もはや日本は風前の灯です。

そこで日本海軍が行ったのが、旅順港閉塞作戦で、三度に渡って計16隻の船を旅順港口で自沈させています。

ところが、折からの悪天候と陸上からの砲撃で、ぜんぶ不成功。

しかも封鎖作戦で、虎の子の戦艦6隻のうち、なんと2隻を触雷で一挙に失ってしまった。

これではどうにもなりません。

このままの状態で、日が経ち、世界最強を謳われるバルチック艦隊が日本近海に到達したら、もはや日本に勝機はなくなります。

そこでやむなく日本海軍は、開戦当初から頑なに拒み続けてきた陸軍の旅順参戦を認めざるを得なくなり、明治37(1904)年7月12日、海軍伊東祐亨軍令部長から陸軍山縣有朋参謀総長に対して、陸軍による旅順攻撃を要請した。

制海権の確保は、もちろん海軍の役割です。
陸軍にしてみれば、対ロシア決戦上は満州平野であり、本来、旅順要塞には関わりになりたくない。

そもそも古来、城攻めというのは、ものすごくたくさんの兵力を消耗するというのが世界の常識です。

それでも、「城」というのは、行政役場の機能も兼ねますから、まだ守備上の甘さがある。
たとえば加藤清正が築城した熊本城は、難攻不落というけれど、その「城」は武力要塞としての機能と、行政役場としての機能、見た目の権威性という機能を兼ね備えたものとして構築されています。

これが、19世紀以降になると、戦略上の要害に、戦いを制することだけを目的とした武力「要塞」が築城されるようになります。

日露戦争前に行われた要塞戦としては「セヴァストポリ要塞」の激戦が有名です。これは世界史を震撼させた大攻城戦となった。

セヴァストポリは、黒海の北側に面して、アゾフ海と分かつ、戦略上の要衝地です。
すぐ近くには港があり、そこにはロシア黒海艦隊がいる。

ロシアは、この黒海艦隊を守るため、セヴァストポリにめちゃめちゃ堅牢な要塞を作った。

まず要塞そのものが堅牢に築城されていることに加え、周辺には数千箇所のトーチカがはりめぐらされている。
万一敵が要塞に達したとしても、内部には二重に堀がめぐらされている。
掘には、上向きに槍が連ねてあります。
なだれ込んだ敵は、落とし穴に落ち、槍で刺殺される。

しかも要塞内部は、迷路が張り巡らされ、そこを通った敵兵は、壁から繰り出される銃弾で、全滅させられる。

どうにもならないくらいの難攻不落の建物、それが「要塞」だった。

このセヴァストポリ要塞に、安政元(1854)年10月17日、英・仏・オスマン帝国の連合軍17万5000人が襲いかかります。

セヴァストポリ要塞に立て篭もるロシア守備隊は8万5千です。

背後に海を控えていることから、ロシア守備隊は、後背から補給を得、またロシア黒海艦隊も、敵に向かって艦砲射撃を繰り返す。

これに対し、連合軍は、砲撃と歩兵突撃によって、トーチカをひとつひとつ奪って、要塞本体に迫るという戦いです。

戦いはほぼ1年にわたって続いた。

最終的には、安政2(1855)年9月に、連合軍の突撃によって要塞は陥落し、連合軍が黒海の制海権を得たのだけれど、この戦いで、連合軍は、死者だけで12万8000人を出しています。
ロシア側も死者10万2000人。

両軍合わせて、23万人もの死者が出たのです。

23万人です。

しかも全員が、青年期の男たちです。
つまり23万人の青年の死というのは、100万人の都市ひとつが壊滅したに等しい。

そしてこの要塞は、安政元(1854)年から安政3(1856)年に行われた「クリミア戦争」と、昭和16(1941)年からはじまる第二次世界大戦のときと、2回にわたって大激戦が行われたところでもあります。

要塞線というものは、かくも厳しいものなのです。

そしてそれだけの大激戦のあった「セヴァストポリ要塞」を6つ合わせたほどの堅牢さと火力、武力を備えた、難攻不落で史上最強の要塞としてロシアが完成させていたのが、旅順要塞なのです。

旅順要塞の攻城戦となれば、兵の消耗戦となることは間違いない。

先例となるセヴァストポリ要塞では、死傷者は20万人を超えています。

当時の日本陸軍の兵力は、最大見積もっても30万人しか動員力がない。

ごく普通に、自然に考えて、あたりまえの当然のことながら、そういう難攻不落の要塞は、包囲しだけして兵糧攻めにし、北から南下してくるロシア軍の本体との決戦に備えなければならないと考えるのは、当然のことです。

だから陸軍としては、旅順要塞は放置プレイにしたかったわけです。

ところがそこにいきなり海軍から、旅順港閉塞作戦がうまくいかないから、陸軍で旅順要塞を落としてくれと言ってきた。

それを聞いた山縣有朋は、記録にはないけれど、おそらくその瞬間に日本陸軍の将兵の大量死を覚悟したものと思います。

ちなみに、司馬遼太郎の坂の上の雲などでは、旅順要塞の攻城戦では、乃木大将が、まるで兵を犬死にさせるがごとく、ただやみくもに兵を殺した泣き顔の無能な将軍として描かれています。

けれども、みなさんには是非、冷静に考えていただきたいのです。

敵味方あわせて23万人が死に、まる1年がかりで落城に至ったセヴァストポリ要塞戦。
旅順は、その6倍の重装備要塞です。

しかも海軍の港閉塞作戦のあとで、もはや日がないのです。

陸軍に旅順要塞叩きが要請されたのが明治37年7月で、予測では早ければ、翌年2月にはバルチック艦隊が日本にやってくる。

それまでに旅順要塞を落とさなければ、日本に勝ち目はない・・・って、もはや猶予は半年しかないのです。

無理難題というものです。
理屈からいっても常識から言っても、旅順攻略は不可能だ。

そしてその、不可能を可能にせよ、可能にしなければ、もはや日本の明日はない、その背水の陣の指揮を命ぜられたのが、乃木大将だったわけです。

結論からいえば、乃木大将は、明治37年8月19日から明治38年1月2日まで、わずか4ヶ月半で、旅順要塞を陥落させました。

日本側の死者は1万5000名です。

つまり乃木大将は、難攻不落で世界の大激戦となったセヴァストポリ要塞戦のわずか3分の1の期間で、しかも10分の1程度の死傷者で、旅順要塞を陥落させてしまったのです。

これには、世界の軍事専門家たちが、ひっくりかえったといいます。
それだけの鮮烈な戦果を、乃木大将は出したのです。

ちなみに、セヴァストポリ要塞戦と、旅順要塞戦で、大きく異なった点が、機関銃の装備です。

これはセヴァストポリ要塞戦の時代には、まだなかった。

ところが、ロシアは、この機関銃をトーチカ等にまで大量に装備し、丘を駆け上がってこようとする日本兵を、撃ち倒しています。

この戦いは、世界ではじめて機関銃が陸上の主力兵器として使われた戦いでもあったのです。

旅順要塞戦そのものは、日本側が勝ったものの、戦況からみて機関銃の恐ろしさはたいへんなものだということが、世界の軍事専門家の間で、大問題となります。

で、機関銃対策のために生まれたのが、戦車なのです。

要するに敵機関銃の弾を、分厚い鉄板で跳ね返し、近づいてその主砲でトーチカごと機関銃を破壊する。

そしてこの方式は、第二次世界大戦でも、非常に有効な戦い方として定着しています。

要するに、旅順要塞攻城戦は、その後の陸戦の方法まで変えてしまうくらいのインパクトのあった戦いであり、しかもその利は、むしろロシア側にあった。

その戦いを、乃木大将は、なんと、セヴァストポリ要塞戦の3分の1の期間と、10分の1の兵力の損耗で、見事に制してしまったのです。

世界中が乃木大将を絶賛したのはいうまでもありません。

この第1回旅順要塞攻城戦総攻撃の際、機関銃で全身を蜂の巣にされて、死体として火葬される寸前に、息を吹きかえして生還したた桜井忠温(さくらい ただよし)という人がいます。

彼は、戦後、当時の体験を「肉弾」という本にして出版し、この本は、なんと世界15カ国語で翻訳、出版され、すべての国で大ベストセラーになった。
ちなみに、このときアラビア語でも出版されているけれど、それが日本語の本がアラビア語に翻訳された世界初です。

ちなみに、この桜井忠温氏、チャップリンが来日したときに、彼に皇居向かって一礼をしていますが、そのアドバイスをしたのも桜井氏です。

そして日露戦争における日本の勝利は、世界に衝撃をもって伝えられ、大正10(1921)年3月には、アラビア、インド、エジプト、トルコのイスラム教徒がメッカでイスラム教徒代表者会議をひらき、日本のミカドをイスラムの盟主と仰ぐことを決議し、明治天皇に代表団を送っている。

さらにこの勝利に感動したトルコの青年ケマル・アタチュルクは、仲間を集めて、トルコに革命を起こし、国民に自由をもたらした。

一方、旅順要塞でロシア兵士として戦い、戦後、日本の堺市浜寺にあった、ロシア兵捕虜収容所に収容されたユダヤ人青年のトランペルトールは、収容所で警備をしていた日本兵に、ある日、なぜ小国日本が大国ロシアに打ち勝ったのか、と質問します。

このとき、その警備の青年が、
「国の為に死ぬほど名誉なことはない」と答えた。

そして、この言葉が、イスラエル建国の言葉になっています。

いやはや、それにしても、日本人てのは、すごい民族ですね^^ 

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

渡部昇一日本の歴史04_日露戦争04_旅順の要塞


日本の心を伝える会 日心会
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

コメント

遠藤

No title
桜井忠温氏の著書、昔我が家にもあり、小学生くらいの時に愛読しました。水野氏のかかれた「此の一戦」と一緒になっており、昭和15年に刊行されておりました。水野氏は海軍大佐までなられた方ですが、日本海海戦の経験から平和主義を貫かれ世界各国で平和のための講演に尽力されたそうです。

たなか

元組合活動家さん


全く反論になっていませんね。炎上させたいと決めつけるのもやめてほしい。

あなたの身内が国を守っていらっしゃるのはすばらしいです。問題はあなたの身内じゃなくてあなた自身ですよ。あなたは人命軽視をよしとしながら自分の命だけはずいぶんと大事にされているみたいなんでね。

人命軽視を肯定する発言をなさるなら自らの命を軽視して国のために戦うのが理にかなっています。それともあなたは替えの利かないような、死んだら国益を損なうような重要人物なのですか?おそらくそんな大人物ではないのでしょう、ならばあなたの身内だけに危険な目にあわせるのはよくないです。あなたも戦いなさい

私は人命軽視した作戦を安全な場所から平気で指揮してしまう人間が大嫌いです。国のために死以外の形で役立つことを否定し、代替案を出せば腰抜け扱いする進歩のなさでは、戦争という形かどうかわかりませんが次の国難でまた負けますよ。

若宮翔鶴

孫子の兵法にも...
なるほど、有名な孫子の兵法にも、「城攻めとは、他に有効な手段が全く取れないために、止むを得ずに行う作戦である」という意味の記述があるようですね。城攻めによる災い(笑)とまで言っている。

↓↓↓
<(三)謀攻篇>
・最も良い作戦というのは、先ず敵の謀略を打ち破って付け入る隙を与えないこと。
・次善の策は敵の外交戦略を打ち破り、孤立させて動きを封じること。
・その劣後の策が、敵兵を実際の戦闘で打ち破って屈服させること。
・さらにその劣後の策が "城攻め" である。

城攻めともなれば、大盾や攻城用装甲車を用意し、攻城兵器等を準備するのに三ヶ月は必要となる。さらに、土塁を作る工事にも三ヶ月を必要とする。
もし、将軍が堪え切れずに敵の城に突撃をかけて力攻めに入れば、兵力の3分の1を失った挙げ句に、城も落ちない。これが城攻めによる災いである。

だから、戦争の上手な者は、敵国の兵力を屈服させても戦闘を行う事はなく、敵の城を落としても城攻めは行わず、敵国を破るも長期戦にもつれこむ事はない。必ず国力も兵力も全く消耗させずに保全したままで、天下の覇権を争うのである。だから戦争に敗れることもなく、成功を治める事ができるのである。これが知恵によって謀り戦うという事である。....


このくらいのことを当時の武人が知らぬ筈もなく、切羽詰った状況の中で知恵を絞り、減耗を最小限に抑えつつ短期間で勝利に導いたということは、まさしく賞賛に値することかと存じます。今回も良いお話をありがとうございました。

元組合活動家

No title
どうやらこのブログを炎上させようとするやからがコメントしたようです、私の身内(海上保安官)が現在、尖閣で凶暴なシナのバカどもを必死の思いで追い払っていることご存じないようです、命をすてないでブログを書いて自己満足しているのは“たなか”お前だけだよ!!

たなか

あなたもそれだけ肯定なさるなら日本をダメにしているとおぼしき人と命をかけて戦ったらどうです?

日本国民をこのブログで説得するより効果的じゃないんですかね。所詮他人事だから人命軽視も肯定できるということ、その証拠にあなたは国のために命をすてないでブログを書いて自己満足しているだけ

元組合活動家

No title
戦死者の数がシナ国の常套手段ようにねつ造ならば信頼に値しない数字です、が現在の私達には当時の状況を原体験することはできません。判断する材料はそれしかないのです。まして、“国家のために人命軽視をしていた”と、もっと人命軽視していたと思われるならず者国家のプロパガンダを信じ込まされていた現状があります。誰の言うことを信じるのですか?日本のことを信じなくて誰の言うことを信じるのですか?私の言いたいことはそれだけです。

杜若

No title
ねずきちさんは単に要塞攻略の具体的な数値をあげて、旅順要塞の攻略の戦績は悪くないと判断されたのではありませんか?

旅順は史上最強の要塞だった。機関銃さえも装備していた。
だからといって、バルチック艦隊の到着が差し迫った中でなにもせずに見ているだけしかできませんか?

司馬遼太郎の坂の上の雲を読んだのはずいぶん昔のことで記憶が曖昧ですが、そのなかで当時の白兵戦のすさまじさを書いた部分があったように記憶しています。
それは戦国時代の戦闘にも勝るとも劣らないまさに地獄絵図だったとのこと。
あるものは敵兵ののど仏に食らいつき、、。
そんなことが書いてあったと思います。

乃木大将の神格化?
それこそが乃木将軍の真骨頂でしょう。
当時の戦争に士気高揚は欠かせない要素だったはずです。まさに乃木将軍はその責務を果たされた。
それで充分でしょう。
司馬遼太郎も書いているようにどちらかといえば責められるのは参謀だった部下のほうではありませんか。

それに私たちは当時のことを知るにはあまりにも離れすぎた時点で、離れすぎた環境で判断している。

そういったなかで、単なる数値として判断する手法は間違っていないと思います。

そうですか

でも
司馬氏の論点は、無用な突撃を繰り返した愚かさにあった様な気がします。

戦術が劇的に変化していた時代にあって、思慮の足りない時代錯誤の突撃を繰り返したのは事実です。

児玉将軍の指揮の元で砲兵中心の戦術に変わり、戦局がやっと日本に有利に動いたのも事実です。

乃木将軍の功績は正しく再評価されるべきでしょう。。

英霊の偉業

歴史に隠された真実
よく死者の数字だけで
硫黄島、沖縄の米軍の損害は少なかったと
訳知り顔で述べる輩がいますが
問題は負傷者と精神障害者の数です。
死者はもう何も言わないけれども
負傷者は泣き喚き、精神障害者は数人掛かりでも
手に負えませんでした。
そんな患者が屈強な陸軍や海兵隊の大の男から
数万にも出たのだから
米軍の病院船はてんやわんやの大騒ぎでした。
ある程度は覚悟してはおりましたが
その予測を遥かに超えるものだったのです。
さしもの米軍も日本の頑強な抵抗には
全く手に負えなかったのです。

お達者クラブ

私達は歴史の上に生きている
「私達は歴史の上に生きている」のではなく「生かされている」のでしょう。
国家存亡の危機感は想像を絶していたことだろうと思う。
国家が火の玉となって戦い英霊となられた方々や全ての日本国民に感謝する。
今、私は生きているし、日本国が存在していることがすべてです。

日本海海戦(海は蘇る:江藤淳著)、ミッドウェー会戦とトラトラ(真珠湾攻撃)以外は戦記という戦記はあまり読んだことがないので、またまた参考になりました。

最後になり申し訳ありませんが、ここに参集してくださっている皆様に、本年もよろしくお願い申し上げます。

ことぶき

謹賀新年
元旦に並び、今日1月2日が日本史の栄光に輝く日であることは、日本国民として喜ばしいことであります。
司馬史観に基づき、乃木大将や伊地知参謀を嫌悪していた自分が誠に恥ずかしい。
A級戦犯の名に躍らされる日本人と同じです。
保守派の中にも、日狂組を批判しながら「戦前戦中は北朝鮮のような暗黒時代」などと言う人もいます。

私はねずきちブログに出会ってから、こうした見方を全て疑ってかかるようになりました。インパール作戦の新たな見方も大変興味深いものでした。

先祖の名誉回復と、日本の発展を願って止みません。

みちお

No title
>日本側の死者は1万5000名です。
異論はありませんが、損害についてももう少し詳しく書いたほうがいいと思います。

日本軍戦死1万5千4百、負傷者4万5千。
ロシア陸海軍合計6万3千の兵力中、戦死者1万5千・負傷者3万。降伏時戦闘可能人員が1万6千名。

以下主なもので。

前哨戦
日本軍2800名、露軍1500名の死傷者

第一回総攻撃
日本軍は戦死5017名、負傷10843名。露軍は戦死1500名、負傷4500名。

第二回総攻撃
日本軍は戦死1092名、負傷2782名。露軍は戦死616名、負傷4453名。

第三回総攻撃前
日本軍白襷隊3105人、1時間でほぼ壊滅。

第三回総攻撃
日本軍は戦死5052名、負傷11884名。露軍は戦死5308名、負傷者は12000名近く。


本当に日本軍はよく戦いました。

元組合活動家

No title
旅順要塞戦についての戦死者の数と期間につき、その前のヨーロッパでの要塞戦との比較・検証されるとは思ってもいませんでした。しかしながら一万5000名という戦死者の数は、前例に比較すれば“少数”という見方も出来ますが“甚大なる数字”に変わりはありません。私の在住する地域に幾つかの“忠魂碑”が残されております。その一つ一つに感謝の礼を、そして忠魂碑に記されなかった方々にも感謝の礼をし、我が国を野蛮国から守る努力を続けましょう。

-

No title
いつもすばらしい記事をありがとうございます。今日のお話も真実の日本を知ることができました。先祖の方々の偉業を正当に評価し、誇りを持って次の世代に伝えていける日本にしたいです。

黒田裕樹

No title
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
大阪在住の身に一般参賀はなかなか難しいですね。人生で一度は行ってみたいのですが…。

今回のお話も、世界史を含めて歴史の流れが分かっていなければ、乃木大将を凡将と決めつけてしまう落とし穴の見本のようですね。先入観を排した歴史教育をしっかりと行わなければならないと改めて実感しました。

和田

ただいま…
第一回目の『お出まし』が終わりました。
これは個人的な意見なのですが『一般参賀』に参列される方は帽子と手袋を外して頂きたいと思いました…。
寒いのは皆同じなのですが…残念です。

-

ねずきち様、新年あけましておめでとうございます。
話題違いで申し訳ありませんが、愛知県安城市で市民参加条例の意見募集しています。住民基本条例と同類だと思います。外国人参政権の成立が困難とみて形を変えて相変わらず売国政策を狙っています。

共通一次世代

No title
子供たちの将来の夢を聞くアンケートが良くありますが、中学生くらいになってから、「日本のために役に立つ人になりたい」という夢を語ってくれる子供たちが増えたらいいなぁと思います。

そうなるにはやはり、過去、日本を守った方たちを学ぶ機会を増やすことだと思います。


今朝、テレビ番組で見たんですが、首相官邸に招かれた獅子舞が菅に近づくと、菅は頭を避けました。
獅子舞って厄払いをしてくれて、かぶりついてもらえたら、縁起が良いからと、街を練り歩く獅子舞に親御さん達は子どもたちの頭をかぶりついてもらおうとするんじゃないですかねぇ・・。

せっかく招いておきながら、みすみす「縁起物」を避けるなんて。
でも、これでいまの総理大臣がきっと近いうちに官邸から出ていくであろうことに確信を得たりもしました。

良い年になりますように。

愛国勢力大集合

米軍の記録より
1945年3月~6月の沖縄戦において米第10軍 は保守的な正面攻撃に固執して
多大な損害(後方体制が確立していたので死者は少なかったが、負傷者及び精神障害者は7万人を超えた。)受けたため、
米国世論は「真珠湾の無能ぶりより、さらにひどい軍事的大失態だ」とバックナー将軍を非難した。
「沖縄での難局の原因は、米軍の失敗によるものではなく、事実は、狂信的日本軍の猛烈な抵抗によるものだ」
との弁明をしたものの米第10軍の当初1か月の予定がなんと3か月となり、
しかも、6月18日には勝利を目前にしてバックナー司令官も戦死しており、
日本側の頑強な抵抗は米軍にとって非常な脅威であった。

マカロン

おはようございます
今日も、一般参賀にふさわしい 良い天気ですね!

私もせっかく出るのだから、靖国に行ってこようと思います

皆様の、今日1日も良き日でありますように

destin

明けましておめでとうございます
ねずきち先生

新年明けましておめでとうございます。
今日のお話も1月2日にふさわしい内容でとても良かったです^^

和田

おはようございます。
これから皇居へ『一般参賀』に参ります。
お風呂にも入って沐浴しましたのでさわやかな気持ちです。
『一般参賀』の後は靖国神社・千鳥が淵戦没者墓苑にも足を運びたいと思います。
よい一日をお過ごしください。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
近日発売
『日本書紀』(タイトル未定)

スポンサードリンク

カレンダー

03 | 2020/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

スポンサードリンク

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

ご寄付について

ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。

スポンサードリンク

お薦め書籍1


日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク