あんぱん誕生



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木村安兵衛
木村安兵衛


パンの中に小豆餡が詰まった「あんぱん」は、菓子パンの定番として、日本人なら誰もが知っていて、誰のお口にも合う美味しいパンです。

この「あんぱん」、正真正銘、日本生まれの日本育ちなら、パンも、あんも、日本流なのです。

中のアンコも純和製なら、外側のパンも、日本人の口に合うように発明された日本独特のパンです。

普通の西洋式パンは、ビールと同じホップを用いたパン酵母を使って作られますのですが、あんぱんは、酵母ではなく、日本酒酵母の麹を使って作られるのです。

これは、パン作りに和菓子の饅頭の皮の製法を取りいれたもので、そのためパン自体がアンコの味によく合い、とってもおいしくなる。

この「あんぱん」が日本で最初に発売されたのは、明治7(1874)年のことです。

発明したのは、木村安兵衛(きむらやすべえ)です。

木村安兵衛は、もともと茨城県牛久市生まれの武士です。
ところがお家が幕府側だったため、明治維新後、職を解かれて失業者になってしまう。

このときすでに安兵衛、55歳です。
当時としては結婚の遅かった安兵衛は、この時点で子供たちはまだ子供です。

生活に困った安兵衛は、本家筋を頼って江戸に出た。

ようやく決まった職業が、「東京府職業授産所」の職員です。
名称は「授産所」だけれど、女性が子を産むお産ではありません。
当時、巷にあふれている失業した元武士たちに職を世話したり、手に職をつけさせるための職業訓練をしたりするところです。

いまでいったら職安と職業訓練所が合体したような民営の施設です。

安兵衛はそこで事務職を勤めるのだけれど、ここでたまたま、長崎でオランダ人宅のコックを務めたという梅吉という人物と出会い、「パン」というものの存在を知ります。

これからの日本は、文明開化の時代になる。

そう考えた安兵衛は、明治2(1869)年、妻のわずかな蓄えを元手にして、いまの新橋駅あたりにパン屋「文英堂」を開きます。

当時、新橋のあたりは、人通りの多い一大繁華街です。

文英堂の「文」は、妻の名前の「ぶん」、「英」は、息子の名前の「英三郎」からとったものです。

場所もいい、店の名前もいい。商品も画期的です。
これで成功間違いなし!と思ったのもつかの間、開店間もない「文英堂」は、この年の大火で、全焼してしまいます。

あっというまに安兵衛一家は全てを失い、無一文です。

年齢も年齢です。
もはや、後戻りができる年齢ではない。

息子の英三郎も、パンの作り方を覚えてくれて、なんとかしてパン屋を再開したいという。

安兵衛は、落ち込む心を振り切って、ようやく銀座の煉瓦街に小さなお店を借ります。

いまでこそ銀座煉瓦街といえば大繁華街ですが、明治3年当時の煉瓦街は、一種の倉庫街のようなところで、人通りもまばらで、閑散としたところです。

場所がよくないのです。
商品を作って店頭に並べておけば売れるという繁華街のお店ではありません。

立地条件の悪いところでパンを作って売るとなると、そうとうパンそのものに工夫を凝らしたものを発売しなければ売れません。

安兵衛は、息子の英三郎とともに、商号を「木村屋」と変え、日夜パン作りに励みます。

まずは、なんとかしてふっくらして柔らかなパンを作ろうとした。
これにはなんとか成功します。
食べたお客さんは、誰もがおいしいと喜んでくれた。

ところが、当時の日本には、パンを食べる習慣がありません。
習慣のない日本で、もっとみんなが好きになってくれるパンにするためにはどうしたらいいか。

貧窮のどん底の中で、安兵衛は日夜、いろいろな工夫を試みます。

そして明治7(1874)年、安兵衛は、パンの製法そのものを、ホップではなく、麹(こうじ)を使った和風テイストのパンにする。
そして、和風パンの中に、小豆あんを入れた、「あんぱん」を開発するのです。

これまで、味わったことのない新しい食感です。
安兵衛は、このパンに「あんぱん」と名前をつける。

ある日、山岡鉄舟がこの店にやってきます。
木村安兵衛のあんぱんは、単に西洋のパンを模倣したものではなく、日本に古くからある和菓子の製法を取り入れ、西洋と日本をブレンドした新しい味わいのパンです。

鉄舟は、この安兵衛の「あんぱん」に感動します。

そして、明治天皇が水戸家へ行幸される折、侍従となった山岡鉄舟は、陛下に酒種あんぱんを献上したのです。

明治天皇は、ご試食されたあんぱんが、とてもお気に召し、皇后陛下は特に愛され、引続き上納の栄を賜ることになります。

安兵衛の木村屋は、なんと宮中御用商に加わることになったのです。

この話は瞬く間に全国に広がり、木村屋のあんぱんは、全国一の大ヒット商品となります。

山岡鉄舟は「木村家」屋号の大看板を揮毫してくれた。

山岡鉄舟の揮毫した大看板


さらに明治10(1877)年、西南戦争が起こると、陸軍が軍用食としてパンを採用し、木村屋から大量のパンを仕入れます。

こうして木村安兵衛は、いまに続く銀座・木村屋総本店の基礎を築き上げたのです。

ずっと武家として過ごしてきた安兵衛が、50歳を過ぎて失業者となり、親戚を頼って江戸に出て、そこでパンと巡り合う。

やっとのことでパン作りの技術を習得して、わずかばかりの女房の蓄えで、やっと小さな店を持つ。

ところが、その店が、開店間もないうちに焼失して、一文無し。

なにもかもがなくなって、もはや一家心中するしかない、というところまで追いつめられて、それでもなお、子や妻のために生きなければと、奮起して、まるで人通りのない、倉庫街の裏道に、店を借りる。

パンを作っては、行商し、すこしでも売れるようにと、歩きに歩いてくたびれきったその足で、毎夜、夜半過ぎまで「おいしいパン」をあきらめずに研究し続ける。

そうしてやっと出来上がったのが、「あんぱん」です。

でも、安兵衛は、どこまでも明るく謙虚でいたから、山岡鉄舟と出会うことができた。

いくらパンが美味しくても、木村安兵衛の人格に問題があれば、鉄舟は明治天皇にあんぱんを献上などしないからです。

安兵衛は、貧乏のどん底にいて、パンだけでなく、きっと心も鍛えたのではないかと思うのです。

いま、日本はたいへんな経済苦の中にいます。

ボーっとしているのは、民主党の議員と、倒産寸前にありながら高給を食んでいるマスコミの社員とパチンコ屋くらいなものです。

けれど、こうした苦しい時こそ、日本人の真価が発揮される。

どんなに苦しくても、明るく朗らかに、未来を信じて戦う。
それが日本人です。

外地で亡くなった、英霊のみなさん方も、テレビや映画の戦記物では、なにやら苦しく暗い姿に日本軍が描かれます。

たしかに戦況は厳しく、食い物もなく、怪我しても治療薬もなかった。

けれど、みんななぜか明るかったのです。
戦闘が長く続く壕の中で、髭面となった顔で、歯をむき出して冗談を言い合って笑いあった。
互いに励ましあった。
苦しいから、つらいから、余計に笑顔をお互いに大事にした。

だってそうじゃないですか。
たしかに戦線は、つらく苦しい戦いだった。
もちろんそうでしょう。

でもそれを補って余りあるほど、軍隊は明るくてみんな楽しかった。
中にはイヤな奴もいたけれど、それでもほとんどの奴らは、みんないいやつだった。

いまの会社や部活だってそうじゃないですか。
ときどきイヤな先輩とかもいるけれど、同僚たちはみんなどっかしっかいいところをもっている。

そういう連中と、命のやり取りをする最前線で一緒に戦ったから、戦友なんです。
だから、戦後65年たったって、みんな毎年、会うのが楽しみなんです。
戦地がいやでいやでたまらないところだったら、戦友会があったって、誰も来やしません。

戦後、軍隊の誹謗中傷、悪口の限りを尽くしたインテリなんかもいるけれど、そういう奴らは、たくさんいるようでいて、実はほんの少数でしかない。
だいたい、他人の悪口や非難中傷ばかりするような奴は、軍隊時代もみんなから鼻つまみです。

で、戦争が終わったら、まるで天下をとったみたいに、戦友や上官たちの悪口を言い募った。
そんなのは、ごく一部の、見下げ果てた連中でしかない。

辛く苦しい戦いさえも、明るく楽しい和の場にしてしまう。
そういう底抜けの明るさや思いやりが、誰にでもある。

日本人というのは、そういう民族です。

天は、木村安兵衛に、あんぱんという報酬を与えました。
木村屋総本店は、いまも老舗として立派に営業しています。

けれど、その背景には、明治維新でなにもかも失い、ようやく出したお店まで火事で失い、年齢も、当時としてはもう、とっくに引退しているような年齢で、それでもがんばりぬいた。

苦労に苦労を重ねても、明るさや家族への愛を忘れず、けっしてくじけたり、いじけたりしなかった。
安兵衛が、そういう心がけの男だから、鉄舟が、見出した。
そして未来が拓けた。

日本は、いまほんとうに苦境です。

それでも、めげず、くじけず、明るく、清く、せいいっぱい働き、未来を信じて生きる日本人。

いやあ、やっぱり、日本人て、いいですね^^v

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国旗の重み 沖縄の東京オリンピック 第1話


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コメント

ミミ

木村屋のあんぱん
あ~
無性にあんぱん食べたくなってきました!!
こんな歴史があったのですね♪
銀座に行ったら、木村屋で必ずあんぱん買うことにいたします。

あのしっとり感、たしかに日本人にはたまりませんね(笑)

もしかしたら、ねずきちさんもお好きなのですか?

dekotyan

木村屋銀座本店
お正月の5日に銀座に行きました。
ちょうど街はセール中で、木村屋の一階のお店の中も混雑していました。2階はランチ。3階はレストラン。
以前、ランチしたのですが、パンは美味しかったですが、
部屋の作りが、新建材ではなく、天然の木材を使っていたのがとても気に入りました。
さすがパンにも拘る人は、建物にも拘る・・・と思って・・・。

田中角栄が、日中国交で、中国に行ったときに、部屋の隅に角栄の好きな、木村屋のあんパンがさりげなくおいてあったのをを見た、日本側は大変な国に来た・・・と驚いたそうです。

楠公忠烈

No title
「団塊の世代前後の親は世界を相手に戦争をして戦後の焼け野原を復興をした世代に比べて2枚も3枚も格が落ちるのは間違いないような気がします。」の箇所は論理的につじつまがあいません。本当に申し訳ありません。「団塊の世代前後の人々の親は、世界を相手に戦争をし、戦後の焼け野原を復興しており、本当に偉大ですが、団塊の世代前後の人々は、かれらの親と比べて、2枚も3枚も格が落ちるのは間違いないような気がします。」が正しいです。恥ずかしい文章を書いてしまってもうしわけありません。連日猛勉強で疲れていました。

3児の母

少子化と介護
ねずきちさん、心を打つお話を毎日UPしていただき、ありがとうございます。先人の皆様に感謝するとともに、日本人として恥じない行いをしなければと心引き締めています。
戦後の年金制度を設計した方々は、現在のような少子化を予測してはいなかったと思われます。次世代が担う我が国の年金制度は、団塊の世代が対象となりだした現在、破綻に向かって時限爆弾に火が付いた状態ではないでしょうか。
今、この問題に真正面から向き合わなくてはならないと思います。世代間でいがみ合っていても生産性はありません。国が破綻しては元も子もないですから。
私事になりますが、私は末っ子の嫁で親と同居していませんが、主人の実家も私の実家も3世代が同居しています。
その孫たちが年寄りを大事にし敬う姿に、行く度にほっこりした気持ちになります。同居していないうちの子供達も自然に敬語を使い、敬う心が育まれていきますから不思議です。その陰には嫁である義姉の苦労があり、強くて明るい太陽のような人徳に支えられています。
古来日本人は、親孝行するのが子としての道と考え、お上の手は煩わせてはならぬと思ってきたはずです。本来の日本人の家族制度に戻ることが、少子化、介護の解決、教育の充実につながるのではないかと強く思います。
戦後ご先祖さまに対して負うべき義務を逃げた者は、お天道様がのうのうと年金生活を送ることを許されないでしょう。戦中ご苦労された方々は、せめて戦後の年金制度で穏やかな生活を送られたということは、子孫としては救いです。
日本人は、どんな国難にも真正面から立ち向かい乗り越えてきた民族です。知恵ある者は知恵を出し、力ある者は力を出し、日本の礎となられた皆様方と子孫に恥じないよう、持てる力を結集していけば、きっと現在の国難を乗り越えることができると信じています。

元組合活動家

No title
ただひと言、人素さんの主張は「異常」です、今のシナに負けないくらいに「異常」でお話しになりません!

楠公忠烈

No title
「団塊の世代は、親の世代が焼け野原の中から耐えがたきを耐え忍び難きを忍んで復興した繫栄の中で、父が戦い母が支えた戦争を馬鹿にしながら飽食に耽り、凋落した現在においては、不況の中で孫子の稼ぎを吸い取りながら安穏と老後を楽しんでいる。 」とのコメントですが、団塊の世代前後の下の世代(30歳前後)は他の世代と比較して相当な苦労人が多いような気がします。団塊の世代前後の親は世界を相手に戦争をして戦後の焼け野原を復興をした世代に比べて2枚も3枚も格が落ちるのは間違いないような気がします。この「格が落ちた」親に育てられバブル崩壊後に就職難を経験したのが今の30歳代前後です。今の30歳前後は戦後の歪んだ学校教育の犠牲者でもあるような気がします。「格が落ちた親」、「バブル崩壊後の就職難」、「歪んだ学校教育」などのために苦労が多いのが現在の30歳前後ではないのかと考え込んでしまいます。ねずきちさんがおっしゃるように、どんなに苦労が多くても明るく朗らかに生きることは大切です。この苦労を糧として戦前の日本人の気概、根性を取り戻せるかもしれません。

ミノル

不勉強な私ですが、申し上げます。


小林よしのり氏は新天皇論p190で、「皇位は直系で継ぐことを原則としなければならない。」と主張していますよ。


視野狭窄になるのは危険です。


肩の力を抜いて、小林氏の主張をご覧になったら如何でしょうか?

皇位後継問題は、国体護持において重要な課題ですから、護らなければならないものと、変えなければならないものをみなさん(共通一次世代さんのおっしゃる、戦友です)で考えていければいいですね。

ぷれっくす

同胞の死を望むなど、断じてあってはならない。
人素さんの意見は胸にグサリと来るものがあります。

団塊の世代は、親の世代が焼け野原の中から耐えがたきを耐え忍び難きを忍んで復興した繫栄の中で、父が戦い母が支えた戦争を馬鹿にしながら飽食に耽り、凋落した現在においては、不況の中で孫子の稼ぎを吸い取りながら安穏と老後を楽しんでいる。

こんなものを許せる訳が無い。
相応の負担を支払って貰うべきだと考えます。

が彼等の命はもとより、彼等の幸福を損なうことを望むなんて断じて有ってはならない。
人は人の為に生きている。

後を頼むと笑って死んでいった先人たち。
頼まれた我々に後の日本を投げ出すことは許されない。
その「後」には当然65歳以上の老人たちも含まれているんです。

ただ公平な負担にしてほしい。
受けた利益に相応する負担を彼らにも荷って欲しいとは思います。

久智

ちょっとまった…
人素?さん あなたは他の保守系の方々のサイトでも 同様な書き込みをされてますが…

今いちど落ち着いて
ねずきちさんがこれまで紹介された幾多の素晴らしい 先人の方々のエピソードやコメント投稿してくださる皆様の日本への熱い想いを色々と閲覧していただければ、…あなたの今回のエントリ-が 拙悪な意見か
お分かりいただけるかと…。

人素

こんばんは、人素と申します。
まず、ブログ主であるねずきち様、貴殿のブログをお借りすることをご容赦ください。

元組合活動家さん返信ありがとうございます。中国系が戦争を望んでいることは
私も認識しております。理由としましては一党独裁体制維持のために国内の不満の
ガス抜きを行いたいからと考えております。

そして、みちおさん返信ありがとうございます。先のコメントにて入れた一文は
私自身の逃げの姿勢を示したものでした反対意見があった場合は反対されたからしょうがないと
反対いただいた方に責任を擦り付ける形となっておりましたことを深くお詫びいたします。

それと共に、論破をしていただきたい議論の内容が無かったことをお詫びいたします。

内容に関しましておよそ常識の範囲を逸脱する形になりますので
あえて、ワンクッションを置かせて頂きました。

そして、目を覚ませさん別のブログでも私は書き込ませていただきました
私がこの内容を書き込ませていただいた他のブログも日本における問題を
議論しているブログであったと思います。
この日本における問題を放置することで結果として戦争にいたるのです。

その問題とは、日本の経済衰退(実質的にはこれだけですが)と中国系の経済発展
による日本進出とその日本進出に対する、日本人の過剰とも言える反中思想からなる
軍事整備に向けた国民感情の操作(現状は表現規制という
言論弾圧、偏向報道、国民先導が発生している)

私が書き込ませていただいたブログが問題としているこれらのものは
あるたったひとつの原因から発生しているからです。

故にその原因を解消することで解決できるため
可能なら力を合わせて頂きたいと考え、多くのブログに書き込ませていただきました。

いきなりですがその原因を解決する結論自体を先に言ってしまいます。

それは、65歳以上の高齢者に死んでいただくことです。
大分過激な内容であることに、少なからずショックを
受けている方もいるかもしれません、いえ皆さんは大変な知識人でありますから
一度は頭を掠めたこともあるかもしれません。
老人が医療費や年金で財政を圧迫している、老人の介護で日々を費やすことになっている。
何故老人のために私たちは働いているのかと。


申し訳ありません。あえて、私は非道な言い方をしました
それは、この問題を皆さんに印象付けたいからです。

日本という国は人間の世代交代ができていない
「超高齢化社会」これだけが今の国が抱えるすべての問題の原因なのです。

日本の経済不況も、中国系の日本進出も、ひいては表現の自由の規制ですらも
この原因を解消することで解決します。しかし、いろいろな問題を
考えている皆さんがなぜかこの原因の解決方法を提示しない、これを原因としようとしない。

何故原因とし問題として議論しないのか、いえ私は本当は皆さんこれが原因だと知っているのだと
思います。しかし知っていながら言わないだけなのだと、言わない理由は様々でしょう
怖いからであったり、自分の利益を失うことになるからであったり、優しさからであったり。

ですが私は今だからこそ、人類初の寿命80歳を迎えることが当たり前となっている
日本だからこそ、この問題を解決することができると考えております。

今人類において初めての問題に日本は直面しているのです。
それは、この日本が世界に先駆けていることの証でもあります
中国やインドの経済発展は日本も経験した過ぎた事ですが
この問題は現状では日本とアメリカくらいしか直面していないでしょう
この問題を解決することで正に日本は世界標準を示すことができるというわけです。

しかし、そのためには日本人全員の意見を聞かなければなりません
そして日本という国はそれができます。インフラの整備(ツイッター等の情報
発信端末の拡充)と小さな国土により団結感の想起がしやすい上に
さらに他国とは海を隔てていることでよく言えば集中できます。(現在色々
な国にちょっかいを掛けられていますが)また宗教観による制限の無い自由な発想力

これほどの条件を備えた日本で無ければこの問題は解決できないでしょう
逆に日本で無理ならおよそ世界のどこでも無理ではないかとすら言えるほど
生命と倫理観に関わる非常にデリケートな問題だからです。

皆さんがわかっていることだと思いますが私があえて言わせていただきます
今日本は民主主義から個人主義へと変化をしようとしています。

人類はかつて、王制主義からはじまり帝国主義、社会主義を経て民主主義にいたりました
これは、人がその認識を大きな国からその中の人へ人へと認識を改めていったからです。
理科における古典力学から量子力学へと移り変わるかの様です。
ご存知の通り古典から量子へと認識を改めることにより人は科学の飛躍的な発展を遂げました。

更なる人の発展のためにより多くの人の力をお借りしたい
私は人素、人の素でありますが故に。


と、最後かなり芝居がかったことを述べさせていただきました
あまりに演説の様になってしまったことで逆に不信感をいただいた方も居られるかと思います。
問題のすり替えと思われた方もいらっしゃるでしょう
故にここからはさらに問題を掘り下げて解説いたします。

まだ、本題に入っていないと言う体たらくではあります
皆さんの問題の原因認識が変わっていただけましたら幸いです。

この問題の解決方法は65歳以上の死などと乱暴なことではありません
そして、残念ながらもうこの議論を聞きたくないといわれても
私はまた後日こちらに伺います。日本どころの問題ではなく
これは人間の問題であり今日本が解決をしなくても
いつか人間が解決を迫られる問題だからです。
皆さんが人間である以上解決を迫って生きたいと私は考えています。

長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。
可能であればこの問題の拡散をお願いいたします。

はんべ

すごいためになる。
ねずきちさんのブログ、すごいためになります。
木村安兵衛様々ですね。ほんと。日本のパンはこの人が
作った!ってかんじですね。

愛信

【韓媒驚報:中共軍隊已進駐朝鮮】
【韓媒驚報:中共軍隊已進駐朝鮮】

韓國《朝鮮日報》は1月15日に、中共軍は既に朝鮮東北部の経済特区
咸鏡北道の羅先特別市に駐留していると報道した。

韓媒驚報:中共軍隊已進駐朝鮮
http://ap.ntdtv.com/b5/20110116/video/48210.html
(動画)

全文和訳
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

今日の内閣支持率はこちらをカッチとね
http://www.jra.net/ank/online/naikaku.php

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小林よしのりは漫画の読者をバカにしているのか
-北畠親房著神皇正統記の藤原基経(昭宣公)賛美論
 小林よしのりは、「さらに田中先生は、決定的な指摘をされた、『親房の議論に“男系”という用語はありません!』」と言う。しかし北畠親房の神皇正統記には「一種姓のなかで」という用語がある・・・
http://oncon.seesaa.net/article/180965591.html

米国人になった日本人

お蔭様で
58歳になって、もう一度お店を再開したいなあと、思う
米国在住30年の板前です
いいお話でした、、木村やパンは、リトル東京にも
ありました。そんなに歴史の古いパン屋さんとは
知りませんでしたが,よく利用させていただきました
ところで、ビデオの(国旗の重み)でありますが
今の沖縄の状態を見ますと、基地問題において
もう民主党を相手にしていないような
県民の動きが報じられて、いささかびっくりしております
政権与党の、民主党の体たらくは、目を覆うばかりでありますが、、日本政府そのものでも有ります
この機会に乗じて中国系の琉球独立運動などが、強く感じられ、とても目を離せるものでは、ありません
ねず吉さんは、ご存知だと思いますが
故フレッド和田も草葉の陰から泣いていると思います
日系人の彼が、どのような思いデ、オリンピック招致運動においてニッポンに一票をと、南米を駆け回ったことか
彼の働きが無ければ日本のオリンピック招致は、成功しなかったと、私は、思います
日本精神は、ここ米国でも生き続けております
フレッド和田翁に、寿司を握って差し上げられたのが
今では運命のように感じております
なにやら書きたい想いが先行して、訳のわからない
書き込みになってしまいました
申し訳ありません
お蔭様でマダ死なないようですので、時々は、書き込みさせていただきます

久智

今日も心に響く投稿と有益なコメント有難うございます。
ねずきち様 お誕生日
誠におめでとうございます。

明治維新後からパン屋「文英堂」を開業した木村安兵衛はすでに57歳…?という事でしょうか…!

⇒苦労に苦労を重ねても、明るさや家族への愛を忘れず、けっしてくじけたり、いじけたりしなかった。

またコメント欄のやなせたかしさんのアンパンマン誕生エピソード自伝で「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」
…私自身飄々とした印象しか知らなかったやなせたかしさんの大和心を垣間見させて頂いた心境です。
そのほか今日も有益な心に響く コメントご投稿頂いた皆様 有難うございます。

御誕生日は2月6日です

大日本帝国陸軍野戦重砲軍曹
◆やなせたかしのヒーロー像◆
やなせたかしがアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情があった。
この当時彼は、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。
この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれた。
2007年7月27日放送のなるトモ!(読売テレビ制作)に、やなせ本人がインタビューに答え「究極の正義とはひもじいも のに食べ物を与えることである」と述べている。
また、主人公をあんパンにした理由を
「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説している。
空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。
かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。これらの点について
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、
そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」
と自伝にて語っている。

愛と勇気

大日本帝国陸軍軍曹梁瀬嵩
この2月3日で満93歳になられる
『アンパンマン』の原作者
ウィキペディアを見て感心しました。

koukenz

ゴパン
ねずきちさん今日は!私は54歳のガテン系です。
木村屋を読んで、二つのことが思い浮かびました。一つは三洋電機の”ごぱん”です。松下に吸収されても決して諦めなかった開発チームです。予約受付を中止するまでの人気だそうです。もうひとつは”アウタルキー”です。ねずきちさんのブログを読んでみて、日本の目指すべき国家像はアウタルキー(自給自足的工業国家)だと思います。資源に恵まれ、小型原子力発電の技術を持ち、米を作れる日本です。不可能なはずはありません。後は赤化対策ですね。

八目山人

国産化
牛久と言えば、牛久ワイン、神谷バー、電気ブラン、神谷傳兵衛(愛知の人らしいですが)が思い出されます。

明治初期の日本は西洋の物品を輸入するため、外貨が不足します。それで西洋の食品や衣料品を国産化しようとします。
大久保利通などが遣欧使節団としてヨーロッパを視察してきて、千葉県や茨城県で牛や羊を飼ったり、チーズやワインやウィスキーを作る施設を作りました。
それにも増して、このように民間人が血のにじむような努力をして、いろいろな物を国産化して行ったのです。

すみれ

饅頭食べたい
木村さんの子供が「まんじゅう食べたい。」とせがんだとき木村さんが「うちはパン屋だ。」と怒った。その時パンの中に「あん」を入れたらと思い立ったとか。

小山圭介

「あんぱん」に大和人の心が見える!・・・
私は縁有って牛久市に1987~1995年間住みました。
息子はカナダで生まれましたが、牛久市に4歳まで住み、故郷と謂えるでしょう。
此の牛久出身の木村安兵衛が「アンパン」の発明者だったとは驚きでした。
私の大好物でしたが、戦後の混乱期(食料難)に育った私には「アンパン」は高嶺の花で食する事は年に2~3度でしたが、其の度に感激し、美味しさは無上の物でした。
今は海外居住の身で「アンパン」を食する機会は全くなく、残念です。

「アンパン」の誕生!、木村安兵衛の不屈の人生には感動し、彼の人生が日本国と重写し、「ねずきち」さんの仰る通り・・・『日本は、いまほんとうに苦境です。それでも、めげず、くじけず、明るく、清く、せいいっぱい働き、未来を信じて生きる日本人。いやあ、やっぱり、日本人て、いいですね』・・・遠き異国(カナダ)の地でしみじみ!と今更ながら、日本人に生まれた事を天に感謝しています。

戦後日本人が歪んだ教育で否定された日本の「歴史、伝統、文化」を掘り起こした数多の更新記事は感謝の念に耐えません!。
真に有難う御座います!!!・・・


共通一次世代

No title
>中のアンコも純和製なら、外側のパンも、日本人の口に合うように発明された日本独特のパンです。

【パン辞典 パンの原材料 酵母】
http://www.koganepan.com/joy/dictionary/material02.html
そっかぁ、そもそも、酵母から日本のパンは違うんですね。全然知りませんでした。

ひと頃デニッシュ系のパンが流行りましたが、とにかくパン生地そのものが甘すぎて飽きてしまいます。で、結局は昔ながらの「日本パン」に戻りますね。

あんパン、クリームパン、メロンパン、カレーパンに、調理パン・・。
日本だからこそ食べられる日本の愛すべきパンですね。

先日、サッカーW杯日本代表だった松井大輔選手が「アナザースカイ」という番組に出ているのを偶然見ることができました。長男が、松井選手がフランスのル・マンのチームに在籍して活躍してたころからの大ファンで、私もル・マンの赤いユニフォームの松井選手をよく見ていたので興味が湧きました。

で、その番組で、松井選手(関西出身なのでお笑いの要素あり)は「ルマンの人たちへの恩返し」ということで、地元の人達と再会するのですが、その中で、ルマンの子供たちを集めて、餅つき大会をしたのだそうです。

その様子が映っていましたが、わざわざ臼と杵を日本から運び込んで、フランス人の子どもたちと一緒に、「よいしょ~~」と声を掛け合いながら、ぺったんぺったん餅つきをしていました。
つきたてのお餅にあんこを包んで手のひらで丸めて食べ方まで教える松井選手と、それを楽しそうに見守る子供たち。

子供たちは自分たちでついて丸めたあんこ餅を食べながら、「せぼ~ん」(美味しい)と。

私は、餅もあんこもフランス人の口にあうのかなぁと思っていましたが、ほんとに美味しそうに食べていました。

ほのぼのとした中で、日本の文化を一緒に楽しんでくれたルマンの子供たちと「日本人」として堂々と日本文化を伝えてくれた松井選手にありがとうという気持ちになりました。

ちなみに、松井選手は、今回、フランス人の好むフォアグラもお餅の中に入れる具として準備していました。フランス人のお母さんたちは「美味しい」と言っていましたが、松井選手によると「うん、ダメ!」と。

やっぱり、お餅には、あんこ、きなこ、お醤油、ですよね。

食べ物の話をしていたら、やっぱり「日本人で日本に生まれてきてこんな幸せなことはない」と思います。ねずきちさん、みなさん、思いませんか?


ねずきちさんへ

このブログに集まる人たちも日本を守りたいという「戦友」だと思います。
実際にお会いすることは出来ませんが「日本を守りたい」と何がしかで行動をしている「戦友」だと思って欲しいです。戦友はたくさんいます。
そして私も毎日ねずきちさんやコメントの方々から力を与えていただいています。ありがとうございます。
サービス業の仕事なんで今日もこれから仕事です。頑張ります。

いっちゃん

食べたくなりました
いつも目からウロコの記事ありがとうございます。
恥ずかしながら、木村屋総本店の酒種あんぱんのことを知りませんでした。
この記事を読みながら、そのあんぱんを食べると格別だろうと思います。

地方在住なので本店にはなかなか行けないのですが、食べてみたいなぁと思ってネットで探してみたら、名古屋のデパ地下イベントで販売されていることが分かりました。
早速これから行ってきます~

M.Ito

町田の長兵衛より
ねずきち(義行)さん 
55歳お誕生日おめでとうございます。
お誕生日の昭和31年1月16日は月曜日でしたね。
そして今日はお誕生から、20089日目です。
益々お元気で、いつまでも国民を奮い立たせる素晴らしい言葉を発信し続けて、人生4万日を目指して頑張って下さい。
民主党内閣を1日も早く打倒して、日本国再生のために、草莽崛起して頑張りましょう。
皇紀2671年1月16日 町田の長兵衛
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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E-mail info@musubi-ac.com
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