平沼騏一郎氏と国本主義



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平沼騏一郎氏
平沼騏一郎


一文をご紹介します。

~~~~~~~~~
天皇と国民との間の道徳関係
国民相互の間に於ける道徳関係
天皇を中心として万民之を輔翼する政治は、我、道徳的国家の要素にして、永遠に変更すべからざるものである。
之に反する変態は、必ず之を改めて正道に復せざるべからず。
変態を改めて、正道に復することが、革新の大眼目である。
大化の改新も明治の維新も、皆変態を改めて正道に復したのである。
~~~~~~~~~

およそ、保守を自認する方なら、この言葉の意味はご理解いただけるものと思います。

人の世の中は、法以前に守らなければならない道徳がある。
道徳というのは、人の道です。

人の道を外れた者は、法をもって裁く。やむを得ないです。道を踏み外したものに道徳を説いてわかるならよいけれど、わからないなら裁くしかない。
だから国法は「裁き」です。

日本は天皇を中心とした大きな家族国家です。
その家族同士の絆を補完するのが道徳です。
ですから日本は、道徳を根本とする道徳国家です。
そして徳義によって結ばれた「日本人という家族」を支えるためにあるのが政治です。
おそらく、いまでもほとんどの日本人は、感覚としてこうした思いを、それはほとんどDNAレベルのものかもしれないけれど、持っています。

共産主義や個人主義というのは、こうした我が国の根幹をなす思考とは対極をなすものです。
家族よりも個人、道徳より法、礼節より批判が大事とされる。
考えてみれば、そうした思考が蔓延すれば、国家は崩壊し、人の絆はバラバラになる。
それは、誰よりも個人を不幸にする。
どっかの内閣総理大臣は、最小不幸国家を標榜するけれど、どこの世界に国民が不幸になることを是とする宰相がいるのか、実に不思議です。
最小であれ、最大であれ、不幸は不幸です。
たとえば会社の社長が、我が社は不幸な会社となるのだと言い出したら、そんな会社には誰もいたくない。

だからこそ、困った時には国の本に帰る。
原点に返り、国家を正道に復する。
大化の改新も明治の維新も、みな、変態を改めて正道に復したものである。

上にある言葉の意味は、そういう意味だと思います。

実は、この言葉は、故、平沼騏一郎氏の言葉です。
平沼赳夫先生の祖父にあたられる方です。

平沼騏一郎氏は、昭和14年1月から8月まで、第35代内閣総理大臣を務められました。

生まれは慶応3(1867)年といいますから、ちょうど幕末のころです。
岡山県津山市の津山藩士の家に生まれました。

岡山県のあたりは、もともとは戦国武将小早川秀秋の領地だったところです。
ところが秀秋の死後、後継ぎがいず、津山のあたりには、織田信長の小姓だった森蘭丸、その弟である森忠政が入封します。

そして鶴山と呼ばれていたあたり一帯を「津山」と改め、ここに築城したのが津山藩のはじまりです。

ところが江戸時代中期の元禄10(1697)年に、森家はお取りつぶしになります。
江戸に上京中、伊勢で乱心したとされている。
外様大名ですから、なんらかの形で幕府に反旗を翻そうとしたのかもしれない。

この事件で津山森家はお取りつぶしになります。
代わって入封したのが、結城秀康を祖とする越前松平家です。
石高は10万石、初代藩主は松平宣富です。
結城秀康といえば、家康の子で、秀吉の養子となり、両方から名前を一字ずつもらって、「秀康」と名づけられた人です。
ですから津山藩は、親藩です。

津山藩の最大の特徴は、大変立派なお城(津山城)に、居合道、そして学問が盛んだったことです。
とりわけ幕末から明治にかけて、ものすごい数の優秀な学者を輩出した。

そうした藩風に生まれた平沼騏一郎氏は、明治5(1872)年、若干5歳で上京して、江戸で漢文、算術、英語などを学びます。たいへん優秀な学生だったそうです。
11歳で東京帝国大学予備校に入学。
21歳で帝国大学法科(現:東大法学部)を卒業しました。
首席です。

卒業後、司法省参事官試補、民事局に勤務し、裁判官を勤めます。

明治32(1899)年、東京控訴院検事となります。
ときに騏一郎氏、32歳。
以降、騏一郎氏は、ずっと検事畑を進みます。
そして大審院~いまでいう最高裁判所です~の検事、司法省民刑局長、司法省刑事局長、司法次官を歴任し、大正元(1912)年、45歳で検事総長に就任します。

明治39(1906)年、騏一郎氏は、現代に通じるある法律を起案しました。
社債信託法です。

この頃の内閣総理大臣は、陸軍大将の桂太郎だったのですが、この時代、民間の実業界がたいへんな資金不足に陥った。
そこで民間企業の新たな資金調達の手段について桂太郎から相談を受けた騏一郎氏は、当時まだ英国だけに存在した社債信託法採用の意見を述べたのです。
我が意を得たりと喜んだ桂太郎に、騏一郎氏は、ほとんどひとりで、社債信託法を立案し、審査を通過させてしまいます。
誰も、意見できないほど、隙のない素晴らしい法案だったのです。

いま、大手企業などが社債を発行するけれど、それが日本でできるようになったのは、平沼騏一郎氏のおかげです。

また、明治41(1908)年には、刑法を改正しています。
刑法は、基本六法のひとつであり、変更には抵抗も強い。
けれどこのとき騏一郎氏は、粛々と、また強い意志で、現代社会でいまだに使われている、犯罪者の指紋による前科登録を実現した。

近時、犯罪を犯しても指紋押捺に反対する一部の政治勢力があるけれど、人々が安心して暮らせる社会であるためには、犯罪者の指紋登録制度は、普通の人間にとっては非常にありがたいことです。
悪いことをするのでなければ、そもそも反対する理由はない。

大正12(1923)年、9月1日、関東大震災が起こります。

震災の翌日、東京に戒厳令が引かれます。
そしてその日、山本権兵衛が2度目の第22代内閣総理大臣に就任します。

そして平沼騏一郎氏は、この日、大臣に就任した。
法務大臣です。

考えてみると、関東大震災が起こった時期というのは、大正時代であり、デモクラシーと称して、民主主義が標榜され、一部の学識者や、当時のマスメディアなどが、天皇陛下を指して、天皇と呼び捨てにし、無政府主義者や、共産主義者などが国にはびこり、在日外国人が、日本に住みながら日本の国体を否定するなど、国が荒れた時期にあたります。

以前、「航空戦艦伊勢と日向の物語」という記事でも書きましたが、大東亜戦争の遠因を探るならば、この時代に議会が当年度予算をケチり、メディアがこれを後押しすることで、日本の対外的軍事バランスを削ぎ、これが原因で日本は諸国からあなどられ、ついには国土を焦土とし、幾百万の同朋の命を犠牲にする事態となった。

関東大震災も、もしかするとそうした日本人に対する、八百万の神々のメッセージだったのかもしれません。

震災のあと、9月12日には、当時の大正天皇から「関東大震災直後ノ詔書」が発せられています。
原文はhttp://www.geocities.jp/nakanolib/shou/st12.htmにあります。

その詔書の中に、次の一文があります。
~~~~~~~~~~
凡ソ非常ノ秋ニ際シテハ、非常ノ果断ナカルヘカラス。
若シ夫レ平時ノ条規ニ膠柱シテ活用スルコトヲ悟ラス、緩急其ノ宜ヲ失シテ前後ヲ誤リ、或ハ個人若ハ一会社ノ利益保障ノ為ニ多衆災民ノ安固ヲ脅スカ如キアラハ、人心動揺シテ抵止スル所ヲ知ラス。
~~~~~~~~~~~

「非常事態においては、平時の法規に拘泥せず、また機会を損ねて前後を誤るという愚を犯さず、あるいは非常事態に乗じて特定個人や、一部の企業等の利益を優先して民の安固を脅かすようなことがあってはならない。」
いまの内閣に言って聞かせてあげたい一文です。

震災から3カ月が経とうとした12月27日、虎の門事件が起こります。
国会の開院式に出席しようと摂政の宮様がお召し自動車で走行中、なんと虎ノ門近くで銃撃されたのです。

幸いなことに摂政の宮はご無事でした。
が、同乗していた侍従長が顔をご負傷された。
犯人は、難波大助という青年です。
その場で取り押えられました。

犯人の難波大介は、長州の名家の出身で、中学時代にはご皇室を尊崇する普通の少年だったそうです。
ところが中学五年生(いまの高二)のとき、陸相田中義一が長州に帰省され、このとき小中学生たちが沿道に整列させられた。

難波大介は、このことに憤慨して、社会主義に転じたのだそうです。
そして大正8(1919)年には上京して、テロリストとなり、権力者に反省させるのだと称して、ご皇室を襲おうとたくらんだ。

簡単な話、陸相をお迎えするために沿道に整列させられたのがしんどくて、反日、抗日主義者になったというわけです。
もとをたどせば、実にくだらない話です。

ちなみに、こうした実にくだらない動機から自分勝手な独善に陥り、社会性や礼節、道議を重んじる日本的姿勢に対する反目主義者となった事例としては、いまの大韓民国の初代大統領の李承晩がいます。

彼は、戦時中という、みんなが頑張らなければならない時期に、朝鮮半島の独立を掲げ、憲兵に捕まると火病を起こして騒ぎ立て、困り切った憲兵に殴られた。
殴られたことが恨みとなって強烈な反日主義者になった。

根っこにあるのは、まことにくだらない私怨です。
けれど、そうした私怨が、屁理屈で正当化されると大変なことが起こります。

その典型がマルクスです。
彼はロシア王朝下で、仕事もしないでウォッカばかり飲んでゴロゴロしていた、ただの酔っ払いのオヤジでした。

仕事もしないで、酒ばかり飲んでいる。
当然、金がなくなる。
けれど金がなきゃ大好きな酒が飲めない。

考えてみれば、ワシゃ金がないけれど、王様や貴族は、いっぱいカネを持っている。
その財産を奪えば、ワシゃもっと酒が飲めるし贅沢ができる。
そうなりゃワシは、ユートピア生活よとばかり、酔った頭で、貴族や王族を「殺せば」ユートピア(共産主義社会)がやってくる、と説いた。
実に身勝手な、とんでもない屁理屈です。

ちなみに「理」という字は、まっすぐきれいに整ったさまを表します。
「論」は、人の道、倫を言う(語る)から「さとす」の意となります。
ですから「理論」は、まっすぐに整った意見で人をさとすという意味です。

一方、「理屈」とは、まっすぐに整ったものを曲げ(屈折させ)たものです。
要するに「詭弁」です。
なんの役にも立たない「屁」みたいなものです。
ですから理屈と屁理屈は同じ意味です。

ついでにいうと、「左巻き」とは、昔は「バカ」と同じ意味に使われた俗語です。
屁理屈を並べ立てて、人倫を踏み外し、自らの過ちまで正当化してしまうのが左巻きで、だから共産主義者や無政府主義者、最近では新左翼などという言葉もあるようですが、これらを総称して左翼という。
つまり、左翼というのは「左巻きのバカ」と同義語です。

最近では、左翼でいることに誇りを持っている者もいるようだけれど、バカ者です。

難波大介の起こした虎の門事件は、政界に大激震を走らせます。
いかなる事由があるとはいえ、皇族が襲われたのです。

事件の起きたのが12月27日、山本内閣は、12月29日に事件の責任をとって総辞職する。

もともと検事だった平沼騏一郎氏からみれば、こうした難波大介のような者が出るのは、赦すべからざる事態です。
ここまで増長したか!
これはゆゆしき事態である。

人々が自由を謳歌するのはたいへん結構なことです。
言論も自由です。
けれど、個人の我儘が大手を振ってまかり通り、国の治安が乱れ、国民の道徳心が荒らされ、結果として庶民生活を圧迫するなら、これは国法をもって取り締まらなければならないし、もういちど日本という国のもつ「大切な心得」を、国民の間にきちんと取り戻さなければならない。

国家の危機感を抱いた平沼騏一郎氏は、翌大正13(1924)年5月、国本社(こくほんしゃ)という団体を設立します。

「国本」という単語は、いまではすっかり聞きなれない言葉となってしまいました。
国本は、もとをたどせば、松平定信によって提唱され、維新当時は岩倉具視が「国本七箇条」を朝廷に献策したといういわれをもつ思想です。

ウィキペディアなどをみると、国本主義を国粋主義と同列に論じているけれど、これはまったくもって不正解です。
国本主義と国粋主義では、天と地ほども思想内容が異なる。

国粋主義は、日本だけが優れた国であると説く思想です。
国本主義は、日本は家族であると説き、他国とは他家とお付き合いするように対等な関係で礼節を守ってお付き合いしようという概念がある。

日本だけが優れていると頭ごなしの決め付けて高慢に至るのではなく、自己を律し、余所に恥じないしっかりとした日本を築こうとする建設的思想が根本にある。
だから国「本」主義なのです。

こうした考え方は、国際社会でも立派に通用する思想です。
ですから国本社の会長には、発起人である平沼騏一郎氏が就任したけれど、副会長には、世界中から尊敬を集めていた東郷平八郎氏、東大総長を3度も勤めている日本の学識者の頂点の山川健次郎が就任しています。

他にも、官僚では鈴木喜三郎氏、塩野季彦氏、小山松吉氏、後藤文夫氏、
軍人では宇垣一成氏、荒木貞夫氏、真崎甚三郎氏、斎藤実氏、
財界からは三井銀行出身で日銀総裁まで務めた池田成彬氏らが会員として参加しています。

ものの本によると、このとき集った国本社のメンバーは、平沼騏一郎氏が、単に人脈で集めただけのようなことを書いているけれど、そりゃあ、ウソです。
国際人であった東郷平八郎氏にしても、日本の学者の頂点の山川健次郎氏にしても、国本主義を正当な思想と考えたから、そこに参加した。
そして、昭和7(1932)年頃には、国本社は、全国に20万人の会員を擁する巨大な団体となっています。

ちなみに、戦後、国本主義という言葉は「消された言葉」です。
けれど、資本主義や民主主義、個人主義という言葉と同様、国本主義という言葉は、ある意味、非常に意味の分かりやすい言葉ではないかと思う。

とりわけ個人主義に対する対語としては、よく集団主義という言葉が使われるけれど、語彙からしたら、国本主義の方が対語として適切です。

個人を中心とした世の中ではなく、陛下を中心にさざれ石の巌となって陰徳を積み、子子孫孫の繁栄を願って日々を生き、国作りをする。
集団主義というのは、中身はバラバラの個人の集合体だけれど、国本主義は、さざれ石の巌にたとえられる愛する家族の集合体です。

平沼騏一郎氏は、別のところで、以下のように語っています。

~~~~~~~~~
君主は統治権をもつとか、万世一系とか、そんな形式的なことでは国体は明らかにされない。
どこに万世一系があるか、皇室と国民との関係を明らかにせねばならぬ。
日本で親子の関係は自然であるから誰でも判る。
日本の国体もその方面から論じなければならぬ。
(昭和17(1942)年5月19日)
~~~~~~~~~

親子関係は、血縁と無償の愛の関係です。
ときにきびしく、そして優しい。
家族には、ご近所があり、職場の人間関係もある。

家族を大事にするというのは、自分の家族だけが世にある他の家族より抜きんでて優れているという思考ではじゃないし、そもそも家粋主義などという言葉はありません。
そんなことを言い出せば世のもの笑いです。

日本人は特別なんだと考える国粋主義と異なり、あくまで日本は日本として、日本に古くからある歴史や伝統を大切にしながら、世界の国々とも対等で良好な関係を築きつつ、陰徳を積み、いまの時代を過不足なく成長させていただきながらすごし、子子孫孫にいたるまで、家族、すなわち国家が繁栄するように、互いに協力し合おうとする。
それが国本主義です。

昭和14(1939)年、平沼騏一郎氏は、第35代内閣総理大臣に就任します。

ときはすでに日華事変の最中です。
平沼総理は、前政権である近衛文麿の「爾後國民政府ヲ對手トセズ」という声明に基づいてChinaの内戦の終結を願って汪兆銘政権を承認し、これと外交的解決を図ることで日華事変の幕引きを狙ります。

また、内政面では日華事変長期化に伴う財政の緊迫に対応するため、国民総動員体制を実務的に推進、警防団を設置し、米穀配給統制法、国民徴用令などを制定する。

さらに国民精神総動員委員会を設置して、挙国一致体制を整えます。

けれど、米英から資金や軍装の援助を得た蒋介石は、平和主義の汪兆銘政権を軍事力で脅かし、さらに天津で親日派の海関監督を英国租界内で殺害する。

事件の調査を迫る日本陸軍に対し、英国は租界内の日本側の調査を拒み、さらに陸軍が英国租界を一方的に包囲したとして日本を非難する声明を発表する。

もとより、日本を包囲し、封じ込め、日本に開戦の火ぶたを切らせようとする米英の陽動作戦です。
騏一郎氏は、筋道をきちんと立て、あくまで戦争を避けようとして、英国と交渉し、英国の譲歩を勝ちえます。

ところが、英国の譲歩に、Chinaを手に入れようと画策する米国が反発する。

8月20日のノモンハン事件では、日本軍がソ連の南下を阻止したのだけれど、23日には、防共のために同盟を図ろうとしていた相手国のドイツが、ソ連と独ソ相互不可侵条約を締結します。

日本の政界内には、こうした欧州の動きに対し、いまこそ日独伊にソ連を加えた4国同盟を締結すべしなどという動きもあり、防共を標榜する騏一郎氏は、やむなく8月28日、「欧洲の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職した。

退陣後、第二次近衛のもとで国務大臣となった騏一郎氏は、米国駐日大使であるジョセフ・グルーらと面会して、米国との関係修復を目指す一方で、大政翼賛会を公事結社として政治活動を禁じ、有馬頼寧らを辞職させています。

騏一郎氏は、なんとしても日米の開戦を避けようとしています。

おかげで、騏一郎氏は、国粋主義者の団体である「勤王まことむすび」によって狙撃され、弾丸6発を被弾する重傷を負います。
さいわい、一命をとりとめたけれど、これは大変な事件です。

この事件にあきらかなように、平沼騏一郎氏の国本主義は、国粋主義とは明らかな一戦を画するものです。

その国本主義という言葉が、いまでは完全に死後となり、知っている人さえもすくなくなっているのは、たいへん残念なことに思います。

大東亜戦争が終わると、GHQは、平沼騏一郎氏を、A級戦犯として逮捕しました。
そして東京裁判の結果、終身刑が言い渡される。
服役した騏一郎氏は、昭和27(1952)年、病気(老衰)で仮釈放となり、直後の8月22日に逝去されました。享年85歳でした。

いま、平沼騏一郎氏は、靖国神社に合祀されています。

そうそう、平沼赳夫先生が、故騏一郎氏のことを次のように語られています。

~~~~~~~~~~~
騏一郎を形容する言葉は、「秋霜烈日」。
非常に厳しい人だったようですが、僕らにはやさしいおじさんでしたね。
~~~~~~~~~~~

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コメント

こんにちは

他ではあまりお目にかかれない論説です。

かねてより尊敬している平沼騏一郎先生の動画をユーチューブに掲載してみました。
いつか消されるかもですが、よかったらご覧下さい。

ゆあさ

はじめまして
今日は。平沼男爵の一熱烈ファンとして、詳細に書かれた記事内容に感服しました。
多くの方の目に留まると良いと思います。

なお、一般向けに平易に書かれたのかとは思いますが、平沼男爵は平沼赳夫氏の義父であり、曽祖父の実弟で、祖父ではないと記事内で書かれると良かったかと思います。

某さん

平沼議員の祖父騏一郎
平沼議員のブログに祖父の話が載っています。
参考にどうぞ

http://www.hiranuma.org/new/talk_fire01.html

ミヤビ

花うさぎさん
お知らせありがとうございます♪
前回は、意味がわからず参加できませんでしたが、今日のコメントで理解できました。
心を込めて、参加させていただきます。

ねずきちさん、国粋主義でなく、国本主義、素晴らしいですね。
また是非、たくさん教えて下さいませ

のらりひょん

理屈と屁理屈
いつもためになるお話しを有難うございます。
ただ、今回は本題以外のところで少し疑問がありました。マルクスがロシアでウォツカばかり呑んでいたというのは人違いではないかと思います。酔っぱらいというと、スターリンの父親はそうでしたが。
あと、理屈の語源解釈も疑問です。古い用法は、道理と同じようないい意味です。理屈という言葉が屁理屈と同じような意味で用いられるようになると、ねずきちさんが考えられるような意味をもちますが。道理としての理屈と詭弁としての屁理屈が混同されるようになったことが、理論に弱い日本人をたくさん生み出したような気がしています。

共通一次世代

誰かのために命を懸ける人たちの命もまた自分たちにとっては大切な命ですから
>国本主義

私は被災地の方々だけでなく、被災地で必死で動いている自衛隊、全国の警察、消防、海保の方々にも「どうかご無事で」と思わずにいられません。多くの人がそう思っておられると思います。

犠牲になられた方々のご遺体の多くがまだ見つかっていませんが、今までの懸命の作業で多くのご遺体が帰ってくることが出来ました。

これから夏を迎えます。
現地はこれからより厳しい状態になることは誰にでも想像できます。今生きている方たちの命が失われてはいけないと思います。自衛隊、消防、警察、海保の方々の命も私たち日本人にとってはかけがえのない命です。

衛生面等で非常に厳しい状況の中で今の作業をずっと続けさせるべきなのでしょうか。交代もできないままに2ヶ月もの間、ずっと続けている今の「遺体回収」という作業は、また、どれだけ精神的に受けるものが大きいか・・。私には想像を絶するものと思います。

震災から四十九日が過ぎました。
亡くなられた方々の魂はきっと天国に行かれていると思います。

海に向かってのご供養と、大地の上でのご供養を被災地ごとにちゃんとおこなって欲しいというのが自分の気持です。

劣悪な環境の中黙々と作業を行っている現地の方たちを民主党政府は任せっぱなしです。放りっぱなしです。

生きている方たちがこれ以上命を落としてはいけないと思います。

日本男児

最小不幸国家
「最小不幸国家」とは「最も小さく、不幸な国家」を目指したのでしょうね!  かの国の総理大臣は!!!  
 彼とその政治家集団に対して、次の国政選挙では”鉄槌”を加えねばなるまい!!

花うさぎ

 「自衛官に感謝のしるしを」 キャンペーン・第2回
こんにちは。この場をお借りして拡散させて下さい。

 「自衛官に感謝のしるしを」 キャンペーン・第2回

 前回は、約180名の方々が参加下さり、宮城県で被災地の救援、復旧に当っておられる陸上自衛隊の自衛官に、17,000本のリポビタンDを送りました。

 今回は、お子様が亡くなったり、ご家族の行方が不明なのに、自らを犠牲にして、被災者の救援、瓦礫の撤去などに従事されている松島基地の自衛官に送る事にいたしました。

 前回、ご寄付下さった方には、再度、ご負担をお掛けして恐縮に存じますが、許されるならご参加下さい。また、前回、参加されなかった方は恐縮に存じますが今回には是非、ご参加下さいますようお願い申し上げます。

 振り込み銀行は、前回同様以下の口座に、5月末日までに、お振込み下さい。
 みずほ銀行 調布支店 普通1316855 防人を励ます会(サキモリオハゲマスカイ)

 「防人を励ます会」・桑田佳彦

詳しくは
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
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