大川周明先生「米英東亜侵略史」(6)謀略



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大川周明先生のラジオ講義の、今日は6日目です。
(「米英東亜侵略史」は、先生のラジオでの講義を録取したものです)

なお、文中にある(注)は、ねずきちによる挿入です。

≪初日≫黒船来航
≪二日目≫
米国東亜政策変遷
≪三日目≫米国の太平洋進出
≪四日目≫無鉄砲な米国外交
≪五日目≫米国の横車

≪六日目≫謀略
===========

ロンドン軍縮会議は、日本の近代史に実に深刻かつ重大な意義を持っています。

第一次世界戦以降に、日本の思想界、言論界支配して来た思想は、英米流の自由主義や資本主義、ロシア流の唯物主義、共産主義でした。

思索をを国史に求め、感激を荘厳な日本の国体に求め、様々な事柄を日本的に考え行動しようとする人々は、たとえいたとしても、その数は少く、その力は弱かったのです。

結果としてロンドン軍縮会議は、多くの日本人の魂に、強烈な日本的自覚を呼び起こすきっかけとなります。
そしてロンドン会議の責任者であった浜口首相は、国民の義憤によって倒された。

日本は、ワシントン会議以降、米国との政治的決闘に於て、常に敗け続けました。
そしてロンドン会議で米国の勝誇った驕れる姿をみて、これ以上負けたなら、日本は最後には息の根が止められるぞという憂いが、国民の魂の底から湧き上ってきたのです。

あたかもそれは、我々の先輩が、黒船の脅威によって幕府も忘れ、各自の藩も忘れて、尊皇擁夷のためにいきり立ったときと同じ構図です。

米国国務長官スティムソンは、百年以前にベリーが日本に対して務めた役割と、同じ役割をはたしたのです。

ロンドン会議に至るまで、日本は米国の東洋進出に対して常に譲歩をしてきています。
いまどきのChina、朝鮮への譲歩と同じです。

謙譲の美徳で、譲歩することで、互いに争わず、親しく交誼しようとしてきたのです。
それに対する米国の答えが、傍若無人でした。

米国の政治家のうちにさえ、日本の憤激を招き、結果として戦争を誘発せぬかと心配した人は少くなかったほど、米国の日本に対する振る舞いは、あまりといえばあまりのものでした。

実際、カリフォルニア州における排日問題の時でも、大統領ルーズベルトは、日本人はかくのごとき侮辱を甘受する国民ではないと信じていたので、フィリピン陸軍司令官ウッドに対し、何時日本軍の攻撃を受けても戦ひ得るやう準備せよという命令を発しています。

そしてそれだけではなく、万一日米が戦争になれば、フィリピンは日本のものになるであろうと、はなはだ憂欝であったと申します。

そしてルーズベルトは、心配に堪え兼ねて、フィリピン派遣といふ名目で陸軍長官タフトを東京に派遣した。

タフトが東京に来て見ると、国民こそ激しく噴慨していたけれど、政府は毛頭そのようなことを考えていません。

タフトは東京から「日本政府は戦争回避のために最も苦心を払ひつつあり」と打電して、ルーズベルトやゴルトを驚かせている。

それから十数年を経て、移民問題が再び日本国民を憤激させた時も、あんまりにも日本の体面を傷つけては戦争になるかも知れないと心配した米国政治家も少なくないのです。

その中のひとりが、当時の駐日米国大使のモリスです。
けれどこの時も日本政府は、戦に訴えてでも国家の面目を保とうなどとは、夢にも考えていません。
最終的にはようやく昭和9(1934)年になって、駐米埴原大使をして、無法に日本人排斥法を通すならば「重大なる結果」を生ずるであろうと抗議させたけれど、このときは逆に上院議長のロッジから、「あなたは米国を脅迫するつもりか」と開き直られて終わっています。
もともと覚悟を決めての抗議ではないのですから、結局いかなる結果も生じなかったのです。

ところがロンドン会議以後、事情は全く一変します。
日本政府は依然として英米に気兼ねしていたけれど、国民は日本国家の誇りをかけて動きだしたのです。

当時の日本政府は、ロンドン会議において低く頭を下げただけでした。
これに対して日本国民は、高く頭をあげて、米国並びに全世界の前に、堂々と進軍を始めたのです。
この日本の進軍は、実に満洲事変において、その第一歩を踏み出したのです。

昭和3(1928)年、父張作霖の後を継いで満洲の支配者となった張学良は、米国の好意を背景として、東北地帯に於ける政治的・経済的勢力の奪回を開始しました。

満洲での日本の権益に対するChina側の攻撃は年と共に激化し、排日の空気は全満州にあふれるものとなりました。

もともと満洲に於ける日本の権益は、ボーツマス条約に基くものです。
もし日本がたちあがり、ロシアの野心を打ち砕かなかったならば、満洲・朝鮮は間違いなくロシアの領土となっていたことでしょうし、China本土も、やがては欧米列強のまな板の上で、料理されてしまったことでしょう。

日露戦争に於ける日本の勝利は、ひとえにロシアの東洋侵略を阻止したのみならず、白人世界征服の歩みに、最初の打撃を加へた点に於て、深甚なる世界史的意義を有しています。

この時以来日本は、朝鮮・満洲・Chinaを含む東亜全般の治安と保全とに対する重大なる責任を荷ひ、かつその重任を見事に果たして来たのです。

ところがその間に、いかにして米国が日本の意図を理解せず、日本の理想を認識せず、間断なく乱暴狼籍を働きかけて来たかは、これまで三日間にわたって述べてきた通りです。

米国の後援を頼み、南京政府の排日政策に呼応した張学良の満洲政権は、遂に暴力で日本に挑戦してきました。

それは、昭和6(1931)年9月18日の柳条溝事件です。
どこのどんな国の国民も、暴力や収奪を旨とする政府は歓迎しません。
日本国政府が、断じて非戦を唱える中、日本国民ならびに満州の人民は、燃える精神をもって、遂に満洲事変をしてその行くべきところに行き着かしめ、日本と異体同心なる満洲国の荘厳な建設を見るに至ったのです。

そしてこのことが、こうした事変の発生を最も恐れていた幣原喜重郎氏が、日本の外交を指導していた時代に起こったということを、私たちはよく考えてみる必要があります。

満洲事変は、日本にとって不利な時期に起った事変ではありません。
運命は明かに日本に向って微笑した。

満州事変の起った昭和6(1931)年の夏の末には、世界を挙げて大不景気にありました。
わけても英国と米国は、ヨーロッパ及び本国に於て、経済的混乱に陥っていた。

すなわちちこの年は信用機関の没落、英国の金本位制離脱、モラトリアムの実施など、欧米の政府及び国民をして、途方に暮れしめた重大問題が頻発した年でした。

スティムソンは、共の著「極東の危機」の中で次のように述べています。
~~~~~~~~~~~
もし誰かが、外国の干渉を受けずに済むと考えて満洲事変を計画したとすれば、無上の好機会を掴んだものといわねばならない。
~~~~~~~~~~~

満洲事変はそれほど国際的に好都合の時に起ったので、日本のためには甚だ幸運であったと思います。

ただし米国は勿論手をこまねいて見ていたわけはありません。
国務長官スティムソンは、事変勃発の四日後、即ち9月22日に駐米大使を経て謂はゆる「熱烈なる覚書」を日本政府に交付しています。

そして国際連盟が満洲事変に対してとった行動は、ひとつとしてスティムゾンと相談しなかったものはなく、またその指図によらないものはなかったのです。

当初スティムソンは、幣原外相に大なる期待をかけていました。
国際聯盟、四国条約、九国条約、不戦条約等々、総じてこれらの世界現状維持のための約束に喜んで参加してくれる日本の外務省は、このたびにおいても米国の意図を無視した行動を取るまいと考えていたのです。

そのことはスティムソン自身が、同年9月23日、即ち「熱烈なる覚書」を日本に叩き付けた翌日の日記に書いています。
~~~~~~~~~~
私の問題は、米国の眼が光つているぞといふことを日本に知らせること、及び正しい立場にある幣原を助け、彼の手によつて事件の処理を行わせ、これを如何なる国家主義煽動者の手にも委ねてはならぬということである。
~~~~~~~~~~

スティムソンは、これも彼自身の言葉によれば、日本の外務大臣が日本に燃え上つた国家主義の炎々たる焔を消し止め、過去及び現在の征服を中止して、日本をして九国条約及び不戦条約に再び忠実ならしむるべきことを希望し、かつその可能を信じていたわけです。

幣原外相も恐らくは、彼の希望に添いたかったのでしょうが、事変の発展はスティムソンの希望を完全に打砕き、彼は矢継ぎ早に「不愉快なニュース』」みを受取らねばならなかつたのです。

この年の12月に、米国では民政党内閣が倒れ、翌昭和7(1932)年1月、日本軍が錦州を占領ずるに及んで、スティムソンは遂に「談合によって満洲問題を解決しようとした自分の企図は失敗に終った」と告白したのです。

そして今後は、「満洲の平和撹乱者に対して、全世界の道徳的不同意を正式に発表する手段を取り、もし可能ならば日本の改心を要求する圧力となるべき制裁を加える」と決心したのです。

彼はその目的のために国際連盟を利用します。
国際聯盟は、スティムソンの属する共和党とは反対の政党、すなわち民主党の大統領イルソンを生みの親とし、共和党から勘当された子供です。

にもかかわらず、共和党の国務長官が、自ら勘当した子供を日本制裁のために働かせようとしたのです。

彼は昭和7年春、カリフォルニアとハワイとの間で、全米国艦隊の大演習を行わせます。
そして演習終了後もこれを太平洋に止めて日本を威嚇した。

さらには絶えずロンドンとジュネーブに圧力を加え、この年3月12日には、連盟総会を開催し、2月18日に独立宣言した満洲国に対し、不承認の決議をなさしめます。

そしてこの年11月末には、国際連盟は、リットン報告に基いて、日本に対して満洲をChinaに返還せよといふ宣告を下した。

その後、この宜告をめぐって長い劇的な討論が行われたけれど、遂に我が松岡代表が、12月8日になって、「ヨーロッパや米国の一部の人々は、いま日本を十字架にかけようとしている。けれども日本人の心臓は、桐喝や不当なる抑制の前には鉄石である」と叫んで、日本の決意を世界万国の前に声明しました。
おりしもこの日は、英米に対する宜戦布告の12月8日と、日も月も同じ十年前の12月8日です。

こうして而して翌昭和8(1933)年2月14日、リットン報告書が遂に国際連盟総会よって採択され、松岡代表は即刻会場を退出し、日本は立どころに国際聯盟を脱退したのです。

本来、国際連盟は、いうまでもなく世界秩序維持の機関です。
それ故に我々は、復興亜細亜を本願とすべき日本が、世界の現状、すなわちアングロ・サクソンの世界制覇を永久ならしめんとする、かくのごとき機構に加はることに、当初より大なる憤りを感じていたのです。

しかるにスティムソンの必死の反日政策が、日本をして国際連盟から脱退する直接のきっかけなったことは、これまた歴史の皮肉といえるかもしれません。

さてスティムソンは、昭和7年12月下旬、次期大統領に選ばれたフランクリン・ルーズベルトから、外交政策に就いて柑談したいからという招待を受け、ニューヨーク、ハイドパークのルーズベルト邸で、長時間の会談を行いました。

その後数日を経てルーズベルトは、米国の対外政策に於ける両者の意見は完全に一致したと発表します。
ということは、ルーズベルト大統領の東亜政策ないし対日政策は、スティムソンのそれと同一である、ということです。

スティムソン政策というのは、あくまでも九ヵ国条約を尊重し、これに違反する行動は総て不法なる侵略主義して、徹底してこれを弾劾するというものです。

つまりこの政策を完全に継承したルーズベルトは、今回のChina事変に際しても、当初より日本の行動を不法と断定し、Chinaの抗戦能力強化を不動の方針としてあらゆる援助を蒋介石に与えるという政策になります。

この事はルーズベルトの昭和12(1937)年10月5日のシカゴでの演説の中に、極めて露骨に言明されています。
~~~~~~~~~
条約を蹂躙し、人類の本能を無視し、今日の如き国際的無政府状態を現出せしめ、我等をして孤立や中立を以てして、これより脱出し得ざるに至らしめし者に反対するために米国はあらゆる努力をなさねばならなない。
~~~~~~~~~

しかしてまさしくこの言明の通り、日米通商条約を廃棄し、軍需資材の対日輸出を禁止し、資金凍結令を発布して、一歩一歩日本の対支作戦継続を不可能ならしめんとすると同時に、蒋政権の抗戦能力を強化するためには、一切の可能なる精神的並びに物質的援助を吝まなかつたのです。

日本は、もし米国が東亜に於ける新秩序を認めさえすれば、東亜に於ける米国の権益を出来るだけ尊重し、かつ米国のいわゆる門戸開放主義も、この新秩序と両立し得る範囲内に於ては十分これを許容する意図を持っていたのです。

けれども米国は、東亜新秩序建設を目的とする我国の軍事行動を以て、飽までも九国条約・不戦条約に違反する侵略行為となし、頑としてその見解を改めないのみならず、東亜新秩序はやがて世界新秩序を意味するが故に、斯くの如き秩序ーアングロ・サクソン世界制覇を覆するに至るべき秩序の実現を、その根抵に於て拒否したのです。

そしてこの政策は、決してルーズベルト大統領の新しい政策ではなく、実に米国伝統の政策であったわけです。

すなわちシュウォードによって提唱され、マハンによつて理論的根拠を与えられ、大ルーズヴェルトによつて実行に移された米国東亜侵略の必然の進行です。
この伝統政策あるが故に、日米両国の衝突は避けられないものだったわけです。

弘安四年、蒙古の大軍が攻め寄せた時、日本国民は北条時宗の号令の下、立どころにこれを撃退しました。
いま米国が太平洋の彼方より日本を脅威せる時、東条内閣は断乎暦懲を決意し、緒戦に於て海戦史上未曾有の勝利を得ました。

敵、北より来れば北条、東より来れば東条、天意か偶然か、不思議なめぐりあわせです。

ロンドン会議以後の日本は、目に見えぬ何者かに導かれて往くべきところにぐんぐん引張られていったかのようです。

その偉大な力、部分部分を見れば小さい利害の衝突、醜い権力の争奪、些細な意地の張合いで、まるで日本国内は、目も当てられないような紛糾を繰返しているかのようです。

けれどそうした日本を、大きく俯瞰してみると、いつの間にやら、国家の根本動向に向って進んでいる。
これは、何かの偉大な力が働いているようにさえ見えます。


≪大川周明先生「米英東亜侵略史」(7)に続く≫

=============

大川先生の、「日本の歴史伝統文化を基にする主義思想)の人というのは、実に少なかった」という今日の記述は、現代のわれわれから見て実に意義深いものを感じます。

戦前においても、多くの知識人やジャーナリスト、政治家等々は、英米流の資本主義(拝金主義)、自由主義(我儘身勝手主義)、あるいはロシア流ないしは現代China流の唯物主義、共産主義に染まっていました。
これは、ある意味、現代の日本社会とまるで同じ構図です。

いつも思うのですが、結局のところ、何々主義といっても、しょせんそれは人が考えた不完全なものでしかないし、長い歴史の中で洗われたものでもない、ということです。
それが本当に人類に役立つ思想かどうかは、歴史が証明してくれる。
すくなくとも、反対意見の者を捕まえて、大量殺戮するような共産主義は、善なるものとはいえないし、自由だ、資本だといったところで、欧米の場合、その根底には絶対神による宗教的道徳観が流れている。
南米でインデオ達が殺され略奪されたのは、その宗教によって、彼らは異教徒であり人ではない、とされたからだという意見もあるくらいです。

日本は、2671年という世界最古の歴史の中で、争ったり奪ったりするよりも、みんなで共同して生産をすることを是とする文化を築きあげました。
お近くにいる人(日本人)を見わたしてください。
そして彼(彼女)が、自動小銃を持った姿を想像してみてください。
どうみても似あわない。
では、その彼(彼女)が、鋤や鍬を持っている姿を想像してみてください。
実にしっくりきませんか?

「外国かぶれ」という言葉がありますが、「かぶれ」はしょせん「かぶれ」でしかありません。
どんなに「かぶれ」ても、コメひとつ、大根の一本も育たないのです。

日本は日本的なものを追及すること。
それこそが、日本人が理想とする社会を築く源泉であろうと思うし、それはとりもなおさず、人類が理想とする社会の実現のための最良の方法であろうと、ボクは思っています。

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コメント

三四郎

戦後知識人の大罪
残念ながら当時のインテリ層も総じて西洋かぶればかりでしたね。特に大正デモクラシーの時代を契機として大量に入って来た舶来思想を、当時日本人は十分消化しきれず、アイデンティティクライシスの様相を呈していました。これに危機感をもった時の文部省が編纂し、国民に配布したのが国体の本義でしたね。
もうずいぶん前になりますが、ひょんな事から、偶然この国体の本義を読んで、私は当時の日本にも大きな思想的な混乱があった事を知りました。
戦後はアイデンティティクライシスどころの話ではありませんね。日本の歴史を被告人席に置いて厳しく断罪して見せるのがインテリの役目とでも思っているかのようです。
それにしても、戦前ですら、国体の本義で知識人の思想の混乱を糾さなければならなかった我が国の惨状を思えば、戦後の思想の混乱を正すのは一筋縄ではいかないと思います。幸いインターネット世論は正道を歩む方向にあると思いますが、今でも圧倒的多数のマスコミ、文化人、学者など世論形成に大きな影響力を持つ人々の圧倒的多数は、日本の歴史を断罪することが、インテリの良心と信じる、反日、左翼思想の信奉者ばかりですから。

国民主権は国益擁護

ベトナムでも公式に中国非難
★日本も今度何かあればベトナムのような記者会見で中国非難をすべきです!
◎ms産経・ベトナムが異例の会見で中国非難 探査妨害に危機感 より
 ◎グエン・フオン・ガー外務省報道官は「中国は争いのない場所を意図的に領有権係争地にしようとしている」と批判。
「過去最も深刻な領海侵犯だ」と語った。◎

◎ms産経・ベトナムが異例の会見で中国非難 探査妨害に危機感
2011.5.29 22:10

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110529/asi11052922110007-n1.htm
 ベトナム外務省は29日、南シナ海で同国の探査船が中国の監視船に妨害され、石油・天然ガスの調査関連設備が損傷を受けた問題について緊急記者会見を開き、
「ベトナムの排他的経済水域(EEZ)および大陸棚での通常の調査を妨げる行為で、重大な主権侵害だ」と非難した。
日曜の会見開催は異例で、強い危機感を示しているといえる。
 両国は南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島、西沙(同パラセル)諸島の領有権を争う。
だが今回の現場は両諸島から離れており、グエン・フオン・ガー外務省報道官は「中国は争いのない場所を意図的に領有権係争地にしようとしている」と批判。
「過去最も深刻な領海侵犯だ」と語った。
 現場は国営石油会社ペトロベトナムの石油・天然ガス開発鉱区。
会見に同席した同社幹部は「外国投資家の心理にも影響があるだろう」と懸念を表明した。(共同)
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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