インパール作戦のこと



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映画「ビルマの竪琴」の一場面
映画「ビルマの竪琴」の一場面


先週、日心会メルマガで、インパール作戦について書いたものを4回にわたって連続ものでお送りしたのですが、このメルマガは、たいへんな反響をいただき、数多くの方からメールをいただきました。

その中に、いま大阪にお住まいのある方から、叔父様が実際にインパール作戦に従軍されていた、というお話がありました。

ご本人様からのご承諾をいただきましたので、ご紹介します。

~~~~~~~~~~~
インパール作戦についてメール文を送ってくださったことに感謝いたします。
ねずきちさんの歴史に対する視点の深さをうかがえると同時に、たいへん興味深い文でした。

と申しますのは、小生、インパールに関しては特別な想いがあるからです。
その理由を述べさせていただきます。
私事で恐縮です。

小生の叔父は大正8年生まれで93歳ですが、いまでも大阪の○○で元気に暮らしています。

この叔父とは、戦前、印刷工をしていた普通のオッサンですが、シナ事変が拡大すると名誉の召集を受け、小生の親父がつくった足場にたって、「お国のために尽くします」と町内の人々に誓って出征しました。

それからの彼は、シナ大陸で戦い、インパール作戦では高橋部隊の衛生兵として従軍し、白骨街道を通り抜け、命からがら復員した兵士の一人です。

歴史が好きな小生は、叔父からインパールでの戦いと、日本軍の撤退状況について聞き取りをして、書き残していますが、タダ、悲惨の一言に尽きます。

たとえば、叔父が申しましたのは、食料不足が原因で栄養失調になる兵士が出てきたそうです。
そんな兵士は、行軍できません。
と言っても、物量にまかせた英軍が攻撃してくるので、部隊が行軍(=撤退)しなければ、全員が死ぬことになります。

なので、飢餓に苦しんでいる兵士は、部隊長が衛生兵に命じて安楽死させたそうです。

もちろん色んな意見があるでしょう。
しかしながら、部隊長とか叔父を責める気持ちは毛頭ありません。
ナゼナラ、部隊長の行動は、部隊が全滅するのを防ぐための行為と言えるからです。
これは、生き残った叔父の戦友も申しておりました。
それよりも、現在の価値観で歴史を裁いても無意味と考えるからです。

そんな歴史の暗い一面もありますが、誇りに思うこともあります。

戦局が悪化して敗残兵の様な状態になっても、高橋部隊長の指揮の下、皇軍としての士気は高く、軍律は守られて、兵士は食べるものがなくとも、現地の人々から食料を奪うようなことは決してせず、それどころか、撤退する日本軍に協力的だったのが現地の人々だったと伺いました。

また、叔父は衛生兵であったゆえに、ビルマの村人に基本的な治療法を教えたところ、嫁を世話するから村に残ってくれと村長から懇願されたそうです。

アジアを侵略したという輩がマスコミで跋扈していますが、ねずきちさん、われわれの先人は、アジアで決して無用な殺傷はいたしておりません。

叔父は申していました。
そりゃ、原住民から食料を略奪すればことは簡単だり、第一、飢えて死ぬこともなかっただろうと!
(後略)
~~~~~~~~~~

「歴史は学ぶためにある」というのが、ボクの変らぬ主張です。
ねずブロもそのことをテーマに書き続けています。

戦後の私たちは、何事につけ「評価」し、「裁く」という習慣付けがされているように思うのです。
ランキングなんていうのもその典型で、いろいろな物事に、すぐに順位をつけ「評価」しようとする。

歴史に対しても、たとえば「インパール作戦は間違っていた」という先入観から、作戦そのものを裁こうとする。そんな風潮があります。

ボクは、これは間違った歴史との向き合い方だと思っています。

謙虚にインパール作戦から「学ぼう」とするなら、不思議な点がいくつもでてきます。

白骨街道で餓死した。なぜ?
民家はなかったの?
現地の人はいなかったの?
兵隊さんは武器を持っていたのじゃないの?
それならどうして村人を襲って牛や馬を奪って食べなかったの?
インパール作戦って、日英両軍ともに10万人以上の陸軍兵力を繰り出した世界史上まれにみる大陸戦でしょ? なのにどうして英国はインパール作戦勝利の日を【陸軍記念日」にしないの?
そしてその英国は、自国の支配地のインドから、あのパル判事を東京裁判に差し向けている。なぜ?どうして?

歴史を評価したり裁いたりするのではなく、謙虚に学ぼうとすれば、そうした疑問がたくさんわいてくる。
そして、疑問というのは、調べれば必ずちゃんとした答えがあるものです。

インパール作戦は、インドの植民地支配からの開放を目的として断行された戦いです。
そして出撃に際して総責任者である牟田口中将は、次のように述べています。
~~~~~~~~~~~~
ここに諸氏に告ぐ。
河、山、錯綜せる密林など、いくたの障害あるとはいえ、「駿足にして無敵なる進攻」のみが本作戦勝利のカギと知るべし。
~~~~~~~~~~~~

要するに何が言いたいのかというと、そもそもインパール作戦は「迅速」を旨とする作戦であったということです。

日本は初動段階で、インパールの入り口をふさぐコヒマを占領します。
すぐ近くには、ディマプールという、英国軍の物資補給基地があった。
コヒマからディマプールまでというのは、わずか2日の距離です。

もし日本が、そのまま電撃作戦を止めず、ディマプールまで一気に攻め陥としていれば、補給の問題は解決した。つまり十分な食料を手に入れ、腹一杯食べて敵を粉砕することすら可能だった。

実際、アーサー・スウィンソンという英国のインド駐留軍第二師団参謀が、その著書である「四人のサムライ」の中で、次のようにインパールの戦いを記述しています。
~~~~~~~~~~~
当時の状況としては、勝負はまったく髪の毛一本の競り合いだった。
~~~~~~~~~~~

実際に戦記を調べてみると、たしかに中盤までは、完全に日本側の勝利勝利の連続だったのです。
彼はさらに述べます。
~~~~~~~~~~~
当時のディマプールは、全地域にわたって、狼狽と混沌の中にあった。

何千という苦力が路地に群がっていた。
血走った眼の通信隊の列がぶつかりながら動いていた。

日本軍がディマプールを手中にすれば、そこには食糧、弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵にあったのだから、牟田口は確かに勝っていた。
~~~~~~~~~~~

ディマプールまで攻め込まず、コヒマで進撃を勝手に止めてしまったのは、現場の指揮官の造反です。
牟田口中将の作戦計画の総体を理解できず、あろうことか軍規に平気で違背して、我説をもって上官である無田口中将を批判し、勝手に進軍を停止させてしまった。
迅速果敢な進撃をすべき戦いにおいて、軍の進撃を勝手に停めてしまったのです。

こうした下士官の勝手な行動が、敵に巻き返しの隙を作ったのみならず、全軍を飢餓に陥れ、軍そのものの敗退を招いています。

そのことは、誰よりも敵将であり、ディマプールにいた英国スタッフォード将軍が、
~~~~~~~~
このとき、もし日本軍が、コヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら、(作戦全体において)英国に勝利はなかった。
~~~~~~~~
と書いている。

初戦の日本軍の猛攻に、国のアジア総司令官であるマウントバッテン卿は、ロンドンにある英国統合本部に、3月25日、次のように打電しています。
~~~~~~~~~~~~
もはやインパール街道と、ディマプール~コヒマ間の輸送路の持久は望み薄となった。
第四軍団および、スチルウェル軍との連絡も絶たれる可能性が高い。
唯一の希望は、有効な防御によって勝利の転機を見出すだけである。
よって、すみやかに第7師団をインパールに空輸せられたい。
~~~~~~~~~~

その空輸がはじまったのが4月6日で、その日に、コヒマが陥落しているのです。
そしてディマプールは、目と鼻の先立った。

このとき、コヒマで進軍を勝手に停めてしまったのが、佐藤幸徳中将です。
佐藤中将は、進撃を停めてしまっただけでなく、日本側の敗色が濃くなって来た時点で、指揮下にある1万の将兵をさっさと戦線離脱させ、撤退している。

これが抗命事件で、この結果、戦後の歴史学者の間では、佐藤中将は部下1万名の命を救った英雄と讃えられている。

ところが、この佐藤中将の勝手な進撃放棄と独断撤退によって、インパル作戦全体では、出撃した9万の日本兵のうち、3万名が戦死し、4万名が戦病死しています。
9人に7人までもが還らぬ人となった。
そして戦死、戦病死とも共通しているのは、餓死が大半を占めていたという事実です。

疾風怒濤の進撃を旨とすべき作戦で、軍を勝手に停止させ、身勝手な言い分で勝手に部下を撤退させ、結果として1万の部下の将兵を救うために、他の7万の同胞を見殺しにした佐藤幸徳中将が高く評価され、本来勝てるべく作戦を遂行した牟田口中将が誹謗され、中傷される。
これが戦後の日本の歴史家の姿勢というのなら、そのような歴史家は、いらない。
ボクはそう思います。

そしてそれ以上に、インパールで作戦に従事した日本の将兵は、実に立派だったと思う。

大怪我をして痛む体を引きずり、マラリアに侵されて高熱を発し、しかも何日も食べ物を口にしていない。
そしてその撤退ルートには、英国兵が現れては、日本の敗残兵狩りをしていた。
道ばたには、そこここに、日本兵の半ば白骨化した屍体が転がっている。
その屍体にはハエがたかり、ウジがわいている。

そんな過酷な状況の中で、怪我をし、腹を空かせて、お昼時や夕暮れになると、おいしそうな匂いが、現地の人達の家々からたちのぼってくるのです。

日本兵たちは敗残兵とはいえ、銃を持っています。
手榴弾もある。
非武装の民家を襲えば、食べ物だって手に入るし、酒もある。
腹一杯飯を食ったら、そこには若くてきれいな娘さんがいる。
裸にして強姦すれば、何日もしていない精を吐き出すことも可能です。

ところが、実際に起こったのは、戦いに破れ、潰走する街道筋で、日本兵に教われたという家は一件もない。
それどころか、心配した現地の人達が、道ばたに現れて、日本兵のために炊き出しをしてくれたり、飲み物や果物を提供してくれたりもした。

そうしてたすけられた中のひとりが、メールをくださった方の今年93歳になる叔父様で、彼は衛生兵だったから、お礼に現地の人に基本的な治療法などを教えてあげたところ、これがたいへんに喜ばれ、嫁を世話するから、どうしても現地に残ってくれと懇願されています。

もし日本兵のひとりでも、民家を襲ったり奪ったりしていた事実があるのなら、嫁を世話するから残ってほしいなどと、そんなことは絶対に起こりえない。

9人に2人しか生きて帰還することができなかった街道筋において、9万人の日本兵が、撤退に際し、バラバラになって軍の指揮命令系統がめちゃくちゃになっていながら、誰ひとり、民家を襲ったりせず、お腹を空かせて飢え死にしたという事実。

人間飢えたら、泥水だって平気ですすると言うけれど、どんなに飢えていても、平和に暮らす現地の人を襲ったり、奪ったり、強姦したりする者が、日本兵の中には誰一人いなかったという事実を、私たちはよくよく噛みしめてみなければならないと思うのです。

そしてこのことは、東日本大震災において、多くの日本人が、あの非常時においてすら実に整然と行動したことと、ある種、共通するものといえるのではないでしょうか。

これこそ日本の誇りなのではないかと、ボクは思います。

【関連記事】
■インパール作戦とパル判事
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1164.html
■インパール作戦・・・続き
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1170.html
■勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-712.html
■チャンドラ・ボーズ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-668.html

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コメント

横田仁志

現地に住むものとして
北東インド(ミゾラム、ナガランド、マニプール)に13年住んでいます。ナガランドの老人らが共通して言うのは『日本兵が英語をしゃべれたらナガランド人は日本兵に協力していた』と言うことです。当時でもナガランドには英語を話せる人は沢山いたのです。日本兵が英語をしゃべれたら、少なくとも指揮官がしゃべれたら戦況は大きく変わっていたのです。
当時からナガランドはインドのナガランド侵攻に対し抵抗し、反インドだったのです(今も続いていますが)

Nao_a_jp

敵軍の敢闘も称えた大日本帝国軍人
どこの国の軍隊にも言えますが、
温暖な戦地では、虫・獣・病原菌なども敵ですね。
東南アジア等の温暖な戦地で、
弱って動けなくなってしまった人達に対して、
安楽死・尊厳死を与えたのは、
取り残されて後の、より悲惨な状況を避ける為でした。
温暖な地域には、虫も獣も病原菌もいっぱいです。
そのような状況で仲間が亡くなっていくのを
見過ごせなかった為です。
もしかしたら、偶然、善良な人が通りかかって
助かるかもしれませんが、それは、
可能性が確実な事ではありません。
バターンの強行軍も、
おそらくそういった事だったのでしょう。
私が聞いたフィリピンでの強行軍の話が、やはり、
その方の御話に似ています。

戦争の事で、誰から知ってほしい方、
誰にも言わずに墓まで持って行きたかった方、
それぞれいらっしゃいます。
最近ネットで拝見していて、
感じていた以上に戦後の教育弾圧があり、
戦争の話を昔から聞いていた人達が少なかった現実が
解るようになりました。
大勢の方達が、辛い思いを思い出す苦痛とか
危険も承知で話して下さったりもしています。
本当に、戦争自体で辛い思いをされた上に、
戦後の苦労も越えて来られた方達には
頭の下がる思いです。

最近は、大日本帝国の先人達の思いについて
様々な事実情報が出るようになってきました。
でも、忘れがちなのが、
戦地で大日本帝国軍に協力して戦った人達の事です。
大日本帝国軍の先人達は、
敵の敢闘も称え、手を合わせました。
・大日本帝国の先人達
・現地の方達
・敵の立場だった方達
そして、その方達のその後について、
思いを馳せる事ができるようになって初めて
様々な理解が生まれ、誤解が解かれ、
理解し合えるようになるのではと思われます。

今後も御活躍お願いします。

ひろ

う~む
そう言われたら確かに紙一重で勝利できたかもな作戦かもですがリスク大過ぎやから米英軍なら不許可な作戦でしょう 牛連れ山越えで迅速もないかもやし(≧ε≦) コヒマからディマプールまで二日… 山越えコヒマで戦いさらに二日では 兵隊皆心が折れまくりになるのでは? 自●隊で検閲で一晩かけて40~50キロ歩きましたがキツいっすよ 二日の距離は… 素人な意見スイマセン(≧ε≦) イフ…で語るなら 戦争末期に航空機が百倍あり 空母が50隻あったら…沖縄から米軍駆逐したのかも とか言い出せるような気がします 詭弁かもですいません(>Σ<)

甘木

No title
戦争をたらればで語ってどうするんですか?

あがつま

No title
佐藤師団は味方である山内師団を攻撃して撤退しました

瑞竜

No title
インパール作戦が勝てたはずだというのは、イギリス側資料が公開された後だから言える、完全な後付け理屈に過ぎません。

佐藤中将が勝手に撤退したとおっしゃいますが、親補職たる師団長が抗命罪を犯してまで撤退した理由、心情を察していただきたく思います。

3個師団連携で進めるべき作戦で、祭師団、弓師団の進行が思わしくなく、制空権もない中、仮にコヒマからディマプールを落としたところで、敵中に孤立するのみ。

他の2個師団の師団長も、撤退を具申している中、一個師団で英軍全てを相手せよとでもおっしゃるのでしょうか?

我等が誇りとすべきは、お手紙にもありますように、皇軍将兵達が、このような地獄の戦場にあっても、略奪に走らず、統率を失わなかった点に求められるべきと愚考いたします。

いそべもち

No title
上記投稿文章が、投稿後ところどころおかしな順番に
なって、訳わからないコメントになってしまいました…。
すみません。削除して頂いても結構です。
大変、失礼致しました。

いそべもち

No title
「人のため」に何かをするのは「良いこと」だが、
「国のため」に何かをするのは「愚かなこと」である
というこの考え方は、戦後の日本教育においては、
誰しも心当たりのある考えではないかと思います。

こちらのブログは、戦後日本人が忘れてしまった
「日本のため」「国のため」という魂を思い出させて
下さる場所ですね。

以前のインパール作戦に関する記事も読ませて
頂いたとき、大変感銘を受けました。
自分自身でも今後インパールについては、
いろいろと調べてみたいと思っています。

長々と失礼致しました。

そして、何よりGHQが潰してしまいたかった『日本』が、
まさにこれなのではないかと思うのです。
日本人はもともと『和』を尊ぶ民族です。
戦前の教育では、今以上に家族の為、友人の為、
地域の為に尽くすことを奨励し、また彼らに迷惑を掛ける
ようなことをすることは良くないこととする価値観の中で
育ってきたと思います。
私はその道徳観を手放しで全肯定はしませんが、
かと言って、戦後の何でもかんでも「個人の幸せが大事」
「我が身が大事」という価値観にも諸手をあげて賛成は
しません。しかし、現代においてはあくまで「個人」や
「個性」が大事であることが正しいことであり、「皆」の
為に「個人」が「犠牲」になるのは良くないことと、
(表向きは)されています。
ましてや「国のため」なんて、戦後日本において、
恐らく最もタブー視された価値観であり、考え方でしょう。
「『個人の幸せ』を『犠牲』にして、『国のため』に
頑張った結果、日本は多大な犠牲を出した上に
戦争に負けた」という理屈で以て、「然るに『国の為』に
我が身を『犠牲』にするなど、『愚かなこと』だという
論法です。私も戦後生まれで、自虐教育受けた世代
ですから、こういう考え方・価値観が常に心のどこかに
ありました。「国のために」=軍国主義といった図式です。

たぶんここの部分が、戦前の日本と戦後の日本人の
一番大きな意識の違いではないかと思うのです。
私自身が生まれて初めて『日本のためならこの身、
犠牲になってもいいかも』と思えた出来事が、尖閣事件
の時でした。そしてそれ以降、私の意識にはいつも
どこかに「日本のため」「国のため」という思いがどこかに
あるのです。

たぶん、日本人が昔のように、『日本の為、国の為』
という想いを思い出したら、ものすごい力を発揮する
ような気がしてなりません。
だから、GHQはその魂を、思いを潰してしまいたかったし、
戦後サヨクもまた、決してその思いが再び燃え上がらない
ように、必死になってフタをしてきたのだと思います。

「個人の幸せ」と「国のため」という考えは、本来別々に
存在する相反するものではなく、一枚のコインの表裏
のようなものだと今は思っています。

清兵衛

No title
藤原さんのコメントにあるエピソードは、まさに世に出回っている牟田口無能説の本に必ず記されているエピソードです。
が、それらのエピソードを事実と裏付ける資料は何でしょうか?
これらのエピソードの多くは証言のみです。証言は貴重で重要ですが、証言のみでは事実とは判断できません。
勿論この証言が本当に記録に残っているのかも検証しなければなりませんし、記録に残っている場合はまず本人が記録したのか伝聞記事なのか、さらに証言の内容が客観的に見ても正しいものであるか検討する必要があります。

ただ「証言」を鵜呑みにするのなら、言った者勝ちです。

藤原

牟田口閣下のエピソード
・補給力の増強がままならないため、牟田口は自軍での食料調達のために、現地で牛を調達し、荷物を運ばせた後に食糧としても利用するという「ジンギスカン作戦」を発案した。しかしもともとビルマの牛は低湿地を好み、長時間の歩行にも慣れておらず、牛が食べる草の用意もおぼつかず、また日本の牛とも扱い方が異なったため牛はつぎつぎと放棄され、「ジンギスカン作戦」は失敗した。
・当初の危惧通りインパール作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭した。このとき、戦況の悪化、補給の途絶にともなって第31師団長佐藤幸徳中将が命令を無視して無断撤退するという事件を引き起こした。
・作戦開始後1ヵ月半程が経過した4月22日、牟田口は第33師団司令部を視察した。当時第33師団は米国留学組の柳田師団長により、村を一つ占領する度に前進をストップし、部隊の掌握と補給線の維持に重きを置く「統制前進」により進撃を行っていたため、計画より前進が遅延していた。牟田口は「『弓』は何をしておるのか、何をまごまごしておるのか・・・・・・これでは、師団長が兵力の温存を図っているとしか考えられない」と激怒し、司令部の天幕内で柳田を大声で罵倒し、その様子は「あたかも伍長が二等兵をどやしつける調子だった」と言う。師団長としての面目を潰された柳田は屈辱に打ち震えたと言う。
・インパール作戦が敗色濃厚となり部下(参謀の藤原岩市)に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。これに対し部下は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と苦言を呈され、あてが外れた牟田口は悄然としたが自決することなく、余生をまっとうした。

-

No title
インパール作戦で多大な犠牲をだしたのは佐藤中将の責任とするのは大きな誤りです。牟田口中将の無謀な作戦そのものです。ディマプール進攻をすれば勝てたようなことを書かれていますがコヒマも全て占領したのではなく、一部を占領しただけです。それにディマプール進攻するだけの物資もありません。本ブログはいつも楽しみにしていますがインパールについての認識にはまったく同意できないです。

通り掛かりの名無しさん

たまに見てます。インパール若いころ行った事が有ります。ビルマ人は確かに日本人に日本軍に感謝していた記憶が有ります。しかし当時戦後30年経った頃だったと思いますが、バラックの様な家に行った時、家人が大事そうに段ボールいっぱいの軍ぴょう見せられました。一軒二軒ではありません。インパール作戦無補給強行たられば作戦としか思えません。当時の軍人さんがかわいそうでなりません。そう思うのは私だけでしょうか?

愛信

【移民受入れ阻止!】~デンマークの惨状
【移民受入れ阻止!】~デンマークの惨状
http://www.youtube.com/watch?v=zvmNDKb6_q4&nofeather=True
(動画)
【関連情報】
【人権擁護法案反対の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj5.cgi
【有権者の皆様へお願い】
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/chsk.cgi
 この様に恐ろしい現実があります。 この動画で説明されている内容の法案を、今までずーと積極的に推進して要求し
続けてきた創価学会公明党と民主党が組んで民公連立したら直ちに【人権擁護法案】が可決されます。
 今すぐ民主党政権は解散させるべきです。
 反日売国テレビ局・マスコミが隠蔽しているので多くの日本国民は知らない。
 日本は今、大変な事になっています。 この事を深刻に認識して下さい。

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

-

No title
最近は青少年向けのくだけたミリタリー雑誌でさえインパール作戦は無謀な作戦だったとして、さりげなく戦前の日本を侮蔑するような記事を載せたりしますが、そうではなかったという事を知ることができました。ありがとうございます。

みー

そうなんです。
私の母の叔父たちも、戦争の悲惨な話しは絶対にしてくれなかったそうです。誰にも言わずに墓場まで持っていくのが男だ!!みたいな感じです。
だから、少しでも体験談が聞けるのはありがたいことです。
昨日の醍醐中将の、最後のお話も貴重でした。
どんどんねずきちさんに、そういう隠されてきた歴史と人物を紹介していただきたいです。

私の父も

No title
大正8年生まれでしたら今年満92歳ですね。
私の父もインパールに行き生きて帰りました。
父と同じ部隊の生存者は1割にも満たなかっ
たそうです。
上官より厳しく戒められていても、夜に喉が
渇いて山から降りて谷川の水を飲みに行っ
た兵士は、虎に襲われてそのまま戻って来
なかったり、現地の反日部族に襲われたり。
山を越える際には足裏の皮膚が裂け血まみ
れになり、川を歩けば傷口が塞がり、その繰
り返しで幾つもの山や谷を越えて、転進した
そうです。
眠るときは用心の為に背中合わせで眠り、起き
た時にはその兵士は既に...、とか。
英軍との戦闘開始時には、『これより何時何時
より戦闘を開始する』と断りが在ったとか。
また、負傷兵を運び出す為に『これより撃ち方を
止める』と互いに伝えあったとか。
流石に騎士道の国だ、武士道に相通ずるとか。
しかし、捕虜収容所での苦難の話はしません。
帰国する前も帰国してからも幾度となくマラリヤ
で生死の境をさまよったり。

話して呉れた内容もホンの僅かですが、絶対に
話しては呉れない事も在るようです。

No title
私が目覚める機会をこちらで得ることができました。これからもよろしくお願いします。

みー

私みたいな記憶力の悪い者でも、何度もインパール作戦のことを取り上げて下さったので、やっと覚えられました。
まだ名前は覚えられませんが、気長に頑張ります!!
とにかく、終戦間近にイギリスをギャフンとさせる作戦があり、日本軍は素晴らしかったということは、やっと理解できました。
ねずきちさん、読者の方、ありがとうございました♪

-

「日本文化ぱくってばかり」と非難 ネット動画に韓国メディア激怒
http://www.j-cast.com/2011/10/03108913.html

花うさぎ

No title
読者からの貴重な情報をブログに反映できる、これも素晴らしいことですね。

ねずきちさん、GJ!

共通一次世代

「名誉回復」をなさなければ・・。
まったく関心も興味も抱くことがなかったインパール作戦など戦時中の日本軍について、自分が耳を傾けることができるようになったのは本当にねずきちさんのおかげです。

また今の価値観で歴史を語ることの愚かさを学べたのも、ネットを通じて多くの方たちが懸命に「凝り固まった観点を変える」ために頑張ってくださったおかげだと思います。


ここ数年のマスコミによる夏の「戦争特集」を見ると、
『戦場に無理矢理駆り出されてしまった日本国民は悪くない。悪いのは日本という国と日本軍であり、日本国民はむしろ国の犠牲者である。』 
こういう論調でのドラマやドキュメンタリー、特集が多くなっている様に思います。映画もそう見受けられます。
この方法は今の震災報道にも繋がる流れであると見ています。

『日本という国は冷たい国だ』
日本という国を国民自らが咎め続ける様に仕向けていると思います。

民主党政権下で震災復興が進まないのは、あくまで自民党が邪魔をするからだ、または、官僚が余計なことを吹聴しているからだなどと言い募り、要は『自民党政権時代の国』がとにかく悪いのだと国民をいまだ洗脳し続けているのがマスコミです。

日本という国は自分たち日本人によってしか成り立たない国であるにもかかわらず、「国」そのものを大事だと考えることをしない。「人」のために何かをすることは進んで行うけれど、「国」のために犠牲になることは馬鹿馬鹿しい、と考える。
これは、鳩山が言ってた「日本は日本人だけのものじゃない」に通じてしまうものでもあると思います。

そして、そういう思考が優先される結果、国民が思う「国」とは、「ほんの少しでも苦しい人がいたら、国が助けるのが当たり前だ。」「国が潰れても苦しい人が楽になるために国は金を出すのが当たり前だ。」そう思わせます。

「そのとおりだろう!」と思われるかもしれません。そうなのですが、でも、その中には『「国」のために何かをする』ということが抜け落ちているように思います。
こちとら税金を払ってる、いや、税金を搾り取られてるんだ、国が助けてくれるのは当然だ。という感覚です。

「国」と「国民」が乖離してしまっているような感じです。
一時期生活保護を受け、その恩返しをした女性がいましたが、そういう感覚が失われているのだと思います。

「日本人」に「日本国」の存在がなくなってしまえばどうなるのか。「国」を失うとはどういうことになるのか。どれほど「国」というものが大事なものであるか。それを学ぶ機会を与えなければ本当に日本は心身ともに「亡国」となってしまいます。

あとは、先人の方々の名誉回復。
国を守るために懸命に時代を生きた昨日の記事の醍醐中将のような方々の名誉を回復しなければならないと強く思います。
あらぬ南京大虐殺の汚名を着せられた松井石根大将ら・・。沖縄の集団自決の汚名を着せられた梅澤氏や赤松氏らも・・。


中川昭一さんが亡くなって2年が経ちます。
中川さんの名誉も回復しなければならないと思います。
白川総裁が同席していたあの会見。白川総裁は中川さんの異変をおそらく分かっていながら何も対処しなかった。
白川総裁は円高にも何も対処しないですね。、

3年前、民主党の単なる政局による「反対のための反対」で(のちに西岡参院議長自身がそう反省しています)自民党の推していた武藤敏郎氏、あるいは田波耕治氏は選ばれず、白川氏が日銀総裁になりましたが、もし、あの人事が違っていたら、中川さんは死なずに済んだかも知れない・・。

そして何より、マスコミが、中川さんの「業績」「成果」をちゃんと報道し、また、あの会見に関しては、寝る間も惜しむほどの激務に追われながらも、薬を服用しながら、わが国の金融危機どころか世界の金融危機を救った「わが国の誇るべき財務金融大臣」の体を心配する報道をしていれば、中川さんは死なずに済んだのではないか・・・。

「歯車が狂った」どころではない、歯車をわざと削られ、わざと一つ抜き取られ、「国民との信頼」をマスコミによって寸断され、真実も歪められ、間違った選択(石川被告という犯罪者を選出した)を国民がしてしまった。

戦時中の先人たちも中川さんも「英雄」になるためではなく心底「わが国のために」と思っていた。その彼らの名誉を回復することは今を生きる日本国民にとってとても重要なことだと感じます。そしてそれは「国を思う」国民によってしか為し得ないと思います・・。

しかし・・、今、とにもかくにも中川さんに生きていて欲しかった・・。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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