Chinaにおいて、日本軍と対峙した旧国民党(現台湾)や、やってもいないのに「日本を追い出しChinaを解放した」と嘘の宣伝をするChina共産党が、その過程から日本を毛嫌いしたのは、単純に考えてもよくわかる話です。
が、東南アジア諸国において、なぜ欧米列強の支配から民族の自立を促そうとした日本が、一部、とりわけ華僑たちによって嫌われる対象となるのか。
そのことについて、あらためて考えてみたいと思います。
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「華僑と植民地統治について」
ねずきちのひとりごと
2010/1/10
19世紀以降の欧米の植民地経営で、基本となった政策に「分断統治」とよばれるものがあります。
これは、植民地支配した国家内部で、異なる宗教、異なる人種、異なる地域ごとに、「集団を互いに反目させる」ことで、長期間の統治を安定させようというものです。
東南アジア諸国で、このために用いられたのが「華僑」たちでした。
統治者である白人たちは、現地の国民への非道や圧政、富の収奪を、彼ら「華僑」に代行させた。
そうすることで、白人の植民地政府や白人の本国などが現地人たちから怨嗟の対象となることを巧妙に避け、その支配を安定させたのです。
もっというなら植民地支配の際の「汚れ役」を、彼ら白人たちは「華僑」にやらせ、その代り「華僑」たちには、富と現地の住民に対する権限を与えた。
そうすることによって、白人たちは自らの手を汚さずに残虐な統治や収奪をした。
「華僑」たちは、白人の手先となることで、莫大な富と現地人たちに対する圧倒的な支配力を手に入れたのです。
もともと東南アジアの「華僑」というのは、たとえばChinaを清(1644年~1912年)が統一したときに滅ぼされた明(1368年~1644年)の官僚やその一族が底流となっています。
かつてChinaにあった元王朝は、強力な軍事力があったけれど、それはモンゴル民族による外来王朝でした。
これに逆って兵を挙げたのが、白蓮教徒たちです。
白蓮教徒たちは、頭に紅色の頭巾をかぶって政府に反乱したことから、これを「紅巾の乱」(1351年~1366年)と呼ぶ。
その中で頭角を現したのが、後に「明王朝」の開祖となる朱元璋です。
こうして漢人たちによる王朝である「明」も、末期には国が荒れ、町には盗賊たちが跋扈するようになった。
このため、平和な地を求めて、多くの漢人たちが、北へと逃れ、女真族の住む満洲地方に大量に流れ込みます。
郷に入って郷に従わないのが、漢民族の特徴です。
漢人たちは、勝手に女真族の土地を開墾し、土地を奪い、そこを自分たちの土地にしてしまった。
漢人たちに土地を奪われた女真族は、当然怒ります。
けれど抗議する女真族に対して漢人たちが行ったのは、残虐極まりない仕打ちでした。
満州地方の女真人たちは、8部族が団結し、ヌルハチを中心にして一斉蜂起し、満州に住む漢人たちを追い払い、さらにChina本土にまで攻め込んで、ついに「明王朝」まで滅ぼして、そこに国を建てた。
これが「清王朝」です。
要するに、清の初代皇帝ヌルハチから第四代康熙帝に至るまでの女真族が何を目的に何をしたのかというと、満洲地方に住む女真族の平和と安定を守るため、悪辣非道な漢人たちの巣窟を攻め、漢人の王朝があった北京に、いわば女真族進駐軍本部を築いたわけです。
その進駐軍本部が紫禁城で、その後約200年にわたって、清王朝の本拠となる。
ここで大切なのは、紫禁城は女真族の「漢人支配のための総本部」だ、ということです。
ですから紫禁城内に漢人が許可なく侵入すると、その侵入者は、公衆の面前で裸にし、柱に縛り付け、生きたまま胸や腿や腕の肉をそぎ落とす
「凌遅刑」などという残酷な刑罰を課した。
要するに、漢人たちに「お前たち逆らうとこういう目に遭うぞ!」という、徹底した見せしめを行ったのです。
このことはつまり、「そこまでしなければ、言うことを聞かない」というのが、漢人であるということでもあります。
ちなみに、万里の長城は「明」の時代にその多くが築かれているのだけれど、女真族の清王朝は、これを女真族と漢民族との国家的境界線としました。
そして万里の長城東端にある
山海関を、満洲とChinaの唯一の通行の場とし、そこに「漢人立ち入るべからず」の監察を建てた。
山海関

つまり清王朝というのは、もともと女真族が自らの聖地である満洲地方の平和と安定、つまり漢人たちの暴虐から我が聖地を守るために、進駐軍として北京に政府を築いた王朝であるということです。
そしてこのことによって、女真族が住む満洲地方は、漢人たちの侵入から身を守られ、以降なんと200年にわたる平和と安定を手に入れた。
ちなみに、清朝末期になると、清の支配力が弱まり、China国内が軍閥たちの相次ぐ内乱によって、国が荒れてしまいます。
そして再び漢人たちが、満洲地方に大挙してやってきた。
その数なんと年間100万人です。
もともと残虐行為に平気な漢人たちです。
満洲の治安は乱れ、殺人、暴行、虐殺、強盗が日常茶飯事になる。
そこで自警団として生まれたのが満洲の馬賊です。
馬賊はもともとは、満人たちだけの自警団だったのです。
ところがそこに漢人たちが入り込むようになって、後年になると話がひどくややこしくなっている。
話が脱線しました。
清王朝は、その統治の基本戦略として、漢人たちの抵抗を徹底的に弾圧します。
とりわけ、明王朝に連なる役人たちに対しては、徹底的な追尾と虐殺を行いました。
放置しておけば、明の王族の末裔かなんかを押し立てて、再び清王朝に戦闘を挑む危険があったからです。
追われた明の官僚たちは、次々南下し、ベトナムやカンボジア、マレーシアといった東南アジア諸国に居ついた。
居ついた人々は、要するに日本でいったら、平家の落人みたいなものです。
東南アジア諸国における最貧層のマイノリティ(少数民族)となり、最貧民層としての暮らしを余儀なくされた。
貧しいということは、互いに身内どうしで、援けあっていかなければ生きていけないという情況を作ります。必然的に華僑の「家」意識は高いものとなり、身内の結束も高まった。これが華僑の伝統として定着します。
そういうところに、欧米列強が植民地支配にやってきます。
統治者となった欧米諸国は、限られた少数で、それぞれの国を統治しなければならない。
そのために自分たちに替わっていわば汚れ役として採用されたのが、東南アジア人とはあきらかに言語、習慣の異なる華人(漢人)たちだったのです。
英国にしても、オーストラリアにしても、身分上、あからさまな「白人>華人>現地人」という統治体制をひきました。
税の取り立て、犯罪者の取り締まり、労働力の確保等々の植民地統治に際し、華人たちの結束と団結、残虐性という民族的特徴が、非常に役に立ったのです。
これまで国王のもとに統制されていた経済を、華僑のもとに統合し、再編する。
そうすると、すごいことが起こります。
これまで最貧階級だった華僑たちが、いきなり大金持ちとなるのです。
しかも支配者である白人たちから特権的身分まで保障してもらえる。
当然、現地の人々の反発が起こるけれど、その反目は、もっぱら華僑に注がれ、白人たちは安泰となります。
こうして、それまで原住民たちから村八分になり貧困にあえいでいた華僑たちは、植民地支配層と結びつくことによって、これまでには考えられなかったほどの富と贅沢を手に入れます。
当然、その富の分け前にあずかろうとして、国が乱れた清国から、華僑の親族たちが続々と集まってくる。
華僑の人口は、激増します。
マレーシアなどは、もともとは数千人しかいなかった華僑が、植民地支配後、なんと400万人にまで増殖している。
こうした人種差別的支配構造を打破しようとしたのが戦前の日本でした。
ですから日本がやってくるということは、当時の特権階級であった華僑たちにとっては、まさに恐怖の大魔王がやってくるようなものだったわです。
以前、
ハリマオ伝説の記事で華人たちの日本人に対する暴動のことを書きましたが、その暴動の背景には、こうした植民地支配層と結託した特権的身分の保持を目的とした華人の群れがあったのです。
実は、こうした分断統治の手法は、実は日本の占領統治においても活かされています。
当初占領軍は、日本を下の図のように分割統治にしようとしたのです。
日本の分割統治

この分割統治案は、外地(満洲・台湾・朝鮮半島)については、昭和20(1945)年の時点で、速やかに実行されたのだけれど、日本内地に関しては、紆余曲折の上、採用とはならなかった。
なぜならなかったのかというと、
・日本を早期に占領した米国が自国の権益確保を優先させたこと
・ポツダム宣言が内地の一体性を認めていて、分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまうこと
・ポツダム宣言を反故にすると、帝国陸海軍の武装解除ができなくなり、日本が降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったこと
・またそういうことを匂わせながら、GHQに猛反発した吉田茂他の政治家等々の活躍があったこと
などによります。
ただこのときに、同時並行的に、米軍による日本占領をスムーズに行うために、日本国内におけるマイノリティ(少数民族)である朝鮮人たちに、東南アジア統治に使われた華僑と同様の特権を持たせ、彼らに武器を与え、焼土と化した日本国内で、別け取り放題に土地や財産を与える・・・つまり東南アジアにおける華僑の役割を朝鮮人にやらせるという手法が採られています。
そして特権を与えられた朝鮮人たちが名乗ったのが「朝鮮進駐軍」という言葉です。
そもそも大戦時、朝鮮半島は日本だったわけで、その意味ではKoreanは、大東亜戦争の敗戦国民です。
にもかかわらず、自分たちは戦勝国民であると、手のひらを返したわけですから、ひどい話です。
確たる資料は何も残っていないのですが、おそらくは、当初、日本支配のための構図としてこうした方法が考案されたであろうことは容易に想像できるし、そうでなければ、なぜ一部の朝鮮人たちが、旧日本軍の軍装を、容易にかつ大量に入手し利用することができたのかの説明がつきません。
つまり、当時の朝鮮人達が、むしろGHQによって新たな日本の支配層として特権的身分を与えられた、だから武器も容易に入手できたし、駅前の一等地を勝手に支配しても、GHQはこれを野放しにしたとみるのが、自然な流れということです。
ただ、東南アジアにおける華人と、朝鮮人たちが明らかに異なっていたのは、朝鮮人たちは、あまりに横暴だった。
GHQの側からみても、あまりに理不尽で目に余ったことです。
白昼堂々と妙齢の日本人女性を強姦したうえで、生きたままその女性の鼻を削いだり、挙句の果てが恩人であるはずのGHQの白人兵士に対してまで、平気で乱暴狼藉をはたらく。
さすがに、白人たちの側からも、こりゃダメダ、あいつら(朝鮮人)は、使い物になんねえ!ってことになって、結局は、朝鮮占領軍というものは、下準備したGHQによって解散を命ぜられる。要するに東南アジアにおける華僑のように、統治者として信頼できるパートナーとなりえないことを、彼ら朝鮮人自身が立証してみせたのです。
ところが悪いことに、解散命令までに巨大な利権(駅前一等地の確保、百貨店や農家を襲って盗んだ物品や食糧を闇市で売り捌く)を握っていた朝鮮人達は、武装を解除したあとも、結束し、自分たちがそれまでのごく短期間に得た利権保持に努めた。
その結果が、現在まで綿々と続く、コリアンによる日本国内での各種利権に至っている。
このことは、ひとつには、もしかすると日本人に対する列島内部での支配階級となりえたかもしれない朝鮮人たちが、結果としてGHQから見放され、その地位を失ったのは、彼ら自身の自業自得であるということ。
もうひとついえるのは、GHQが最後には否定した彼ら朝鮮人の利権の一切を、日本人自身が、ちゃんと取り戻す努力をしなかった・・・・おそらくここには、当時の日本の政治家が、当時巨額の金を手にしていた彼ら朝鮮人から相当額の献金を受け、事態を曖昧にすることに一役買ったという事実もあったのではないか・・・という点です。
悪は放置すれば増殖する。
悪は断じて攻め続けなければならないのです。
そうでなければ、被害を受けるのは、結局はまともな人たちなのです。
一方で、朝鮮人達は、GHQからお墨付きをもらうことで好き放題できたという成功体験が忘れられない。そのことが、1月6日のこのブログ記事の名無しさんのコメントにあります。
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圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。
当時、吉野作造は2613人と書き、上海に亡命した大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は6419人と書いた。
今回の取材中、工藤さんはロンドンのナショナル・アーカイブスで朝鮮独立運動派が諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子を発見した。
そこに書かれた数字はなんと2万3059人。
それでは当時東京に何人の朝鮮人がいたのか。政府統計によると東京に約9千人。近県に約3千人なのである(全国で約8万人)。
そして、警察署などに保護された朝鮮人は6797人。
この数字だけからでも虐殺されたとされる朝鮮人の数がいかに根拠のないものかわかろう。
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各国の外交官に「自分たちは被害者で~す」と偽った文書をばらまく。そうすることで、自分たちをふたたび特権階級にしてくれという、運動です。
しかし欧米列強の外交官たちは、これを頭から無視した。
要するに朝鮮人という人種、あるいはこうした扇動をする朝鮮人というものが、いかに非道で悪質な連中かということが、あからさまに見透かされたのです。
失った信用は二度と戻らない。
世界はバカではないのです。
何度も書きますが、朝鮮人のすべてが非道な者たちであると言うつもりはまったくありません。
以前「朝鮮戦争」の記事でご紹介した金錫源将軍なんて、人格といい度胸といい、教養といい素晴らしい。個人的にも大好きだし尊敬もしています。
知覧航空基地から飛び立った朝鮮人特攻兵14人もいるし、関東大震災の際に警察が保護した朝鮮人6800名も、まっとうな人たちであったと信じたい。
ただ、いいたいのは、在日コリアン諸氏も、単に「あなたがたは、利用されただけなのですよ」ということです。
そして超貧民だった華僑が、植民地政策上の特権階級的身分を得て大金持ちになったのと同様、在日コリアンも、戦後のほんの一時期の特権的身分の付与によって、特殊な地位を得、これを現代にいたるまで、いまなお保持している。
この場合、問題は、むしろ日本人の側にこそあると思います。
おそらく日本が独立を認められた時点において、完璧に在日朝鮮人たちの特権のはく奪を行うことは、その時点で、十分可能だった。
それをしなかったのは、むしろ日本の政治家の怠慢であり、民意の怠慢です。
おそらく特権的身分の廃絶に対しては、当時カネを持っていた在日コリアン側からかなりのカネが政治家に動いたのではないか。
そういうものを、いわば野放しにすることによって、日本は戦後65年も経つのに、いまだGHQのブレを引きずり、左翼史観、反日史観、在日特権を野放しにしている。
日本は、いつまで「腰ぬけ」でいるのか。
とっくの昔に独立を承認され、世界のトップレベルの国力を持つ国になりながら、いまだに植民地の奴隷的、自虐的歴史観のままでいるのか。
それでも経済が成長し、年収がアップしていた時代はまだよかったかもしれないけれど、10年で年収が4割も下がるような時代にあって、これからの時代を生きる子や孫たちが大人になった時代に、私たちは、いったいなにを残すのか。もっと貧乏な国にしたいのか。
かつてのあの誇り高い日本人は、いったいどこへ行ってしまったのか、と思うのです。
いまこそ、わたしたち日本人は、日本の歴史を取り戻し、誇りある日本人として、本来あるべき日本の姿を取り戻していかなくてはならない。
そう思います。
関連記事「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」
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【朝鮮進駐軍】~あの団体の正体
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コメント
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日本国憲法前文にも書かれている「人類普遍の」憲法の原理です。
安倍政権の怖さは、憲法の原理に基づき、国民の福利を守る為の憲法や憲法の下にある法律の条々の解釈や運用をせずに、条文変更をしようとするところです。
九条を始めとして、国民にとって、最も都合が良い憲法解釈が最も正しい憲法解釈です。それが憲法の原理で、原理を無視されれぱ、条文変更をしても、憲法は国民の福利のための法として機能しません。
2017/10/27 URL 編集
しろ
ただただ敬服するばかりです。
もろもろの大まかな事情は知っていてもこのような記事は書けません。
2011/12/08 URL 編集
イシコウ
2011/12/07 URL 編集
みそ汁の具
2011-12-05
商人の儲けの為だけに改悪されてしまった日本の社会は、徹底された伝統文化の破壊を受けます。
里山食文化も根拠の無い悪意で否定をされてしまいました。
山菜に対して、毒・アクの危険や難癖をつけ、食べさせないようにしてしまい、日本人が当たり前に食していた食物を奪い、変わりに日本の土壌に合わない外国野菜を輸入し生産するようになる。明治になって日本は地租改正を行い、このおかげで、取れ高から何割かを払えば良かっただけのユルユル江戸時代税収方式を廃棄し、変わりに平等の名の元に田畑に一律に税金をかけられてしまい、強制労働をさせられるハメとなり、商人国家の為の農業となってしまった。この事、日本人ならば腹を立てるべきですが、今では価値観をも改悪をされてしまっている為に難しいです。
野生動物肉も感染症の危険があるだのと言って煽ってはミスリードをし、日本の伝統文化を破壊していってます。
で、同和在日が作った肉を焼いては売り、和牛だと言った名称だけはイッチョ前にも日本を強調されたものが出回ってます。
続きは
http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11093974694.html
2011/12/05 URL 編集