真珠湾攻撃と人種差別



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炎上する戦艦アリゾナ
炎上する「アリゾナ」


昨日、12月8日は、真珠湾攻撃の日からちょうど70周年の記念日でした。

真珠湾攻撃について、戦後もいろいろなことがいろいろな人によって書かれていますが、これを「人種差別」という見地から語ったものは極めて少ないと思います。

けれどルーズベルトにとって、東洋で反乱する黄色い猿と、同じ人間である白人が作ったソ連では、たとえ共産主義思想というものに何らかの問題があるとしても、おかしな人間と、牙を剥く猿では、どちらが大事かといえば、答えは明らかだったのです。


真珠湾攻撃は、昭和16(1941)年、ハワイの現地時間では12月7日7時10分、日本時間では12月8日午前2時40分に、日本がハワイオアフ島にある米軍基地に対して行った航空攻撃ならびに潜航艇による攻撃です。

このとき、第一波空中攻撃隊を指揮したのが淵田美津雄海軍中佐で、攻撃に際して「全軍突撃」を表す(ト・ト・ト)を下命します。

そしてその45分後、淵田中佐は、旗艦赤城に対して「トラ・トラ・トラ」を打電する。
これが「ワレ奇襲ニ成功セリ」の暗号電文です。

この攻撃による米軍の損害は、
戦艦5隻が沈没
駆逐艦2隻 沈没
標的艦1隻 沈没
戦艦3隻 中破
巡洋艦3隻 中破
航空機188機 破壊
航空機155機 損傷
米軍兵士2345人 戦死
という大戦果となりました。

こうして真珠湾攻撃は、世界の戦史上もまれにみる奇襲攻撃の成功例として記憶されるのだけれど、当時、
真珠湾でこの奇襲攻撃を観察していた米軍司令部は、日本軍のあまりの攻撃の素晴らしさに、司令官はドイツ軍将校がやっているに違いないと話し合っていたのだそうです。

要するに、日本人はジャップであり、イエロー(黄色人種)なのだから、白人とくらべ劣っているという先入観が、それだけ強かったのです。

真珠湾攻撃の総指揮官だった淵田中佐は、終戦後も生き残るのですが、終戦直後のある日、3人の大柄な黒人兵が淵田大佐のもとにやってきたのだそうです。
そしていきなりジープに乗れという。
淵田大佐は、こうして30分ほどジープにゆられ、丸の内の郵船ビルの裏手に連行された。

そのころ郵船ビルは、米軍将校たちの宿舎に充てられていたのだそうです。
そしてビル内には、米軍の白人将校向けのバーまでしつらえてあった。

淵田大佐を連行した黒人兵たちは、そのバーで働かされている兵隊だったのだそうです。

バーの楽屋裏に連れ込まれた淵田大佐は、そこに集まった大勢の米軍黒人兵たちから大歓迎されている。
食いねえ、飲みねえ、と、それはそれはたいそうな歓迎だったのだそうです。

そした彼らは異口同音に言った。
「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思う?」
「それは、われわれ黒人だよ」

当時、米軍兵士と日本人との交流は米軍ないで固く禁止されていました。
その禁を破ってまで、彼ら米黒人兵たちは淵田大佐を真珠湾攻撃隊長と知って、大歓迎したのです。

これは、パラオ、アンガウル島の玉砕戦を生き残った舩坂弘さんも書いておられるのだけれど、米軍の攻め方というのは、はじめ艦砲射撃やら航空機からの爆弾投下で、徹底的な爆弾による破壊を試みたあと、上陸して日本軍の弾の当たるところに出てくるのは、いつも決まって「黒人歩兵部隊」だった。

戦争ですから、先頭にたつ歩兵は撃たれます。
そして先頭の部隊が撃たれることで、敵の居場所がわかる。
わかったら、そこを艦砲射撃で攻撃する。
そして日本軍の弾が飛んでこなくなる頃になってやっと、白人の掃討部隊が前線に出て来る。
要するに黒人は、人でなかった。

テレビや映画などでは、実際のこういう姿は、まず出てきません。
白人の兵隊が勇敢に銃を撃ち、日本軍と戦っているというようなシーンしか放映しない。
けれど、実際の戦闘では、常に敵弾の届く危険なところには、黒人兵が狩り出されています。

それは戦時中のことだから。もう70年も昔のことだから、と思う人もいるかもしれません。
けれど、ボクなどが少年時代だった昭和30年代、40年代頃は、やはりまだまだ白人による人種差別が根強かったし、米国人が、黒人を人として処遇するようになったのは、ほんのこの何十年か前からの、つい最近のことでしかない。

日本は、大正8(1919)年に行われた第一次世界大戦のパリ講和会議で、日本の牧野伸顕全権が明確に「人種差別の撤廃」を主張しました。

黄色人種も、黒人も、同じ人間である。人としての尊厳は、人類みな同じであると主張した。
だから国際連盟の憲章に、人種差別撤廃を謳おうと提案したのです。

人種差別はよくないという概念は、いまでは、ほとんどの日本人が「そんなことはあたりまえ」と思っています。

けれど、植民地支配が全盛の時代にあっては、優等人種と劣等人種という概念は、ごく一般的な世界の常識だったし、「黄色い猿」の日本が提唱する人種平等論というのは、植民地を得ることで自国を富ませるという西欧国家の基本構造そのものを全否定する、つまり経済や政治のすべてを揺るがす、とんでもない危険思想だったのです。

そしてそれに世界で唯一、抵抗し、逆らい、乾坤一擲の大勝負を挑んだのが日本であり、真珠湾攻撃の開戦であった。

W・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt DuBois)という人がいます。
米国人で、1868年にマサチューセッツ州で生まれ、1963年にお亡くなりになりました。

このデュボイスという人は、米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人です。
アメリカ合衆国の公民権運動指導者、汎アフリカ主義、ブラック・ナショナリズムの先駆者、全米黒人地位向上協会の創立者でもあります。

昭和11年(1936)年のことです。
彼は、満洲に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在し、「ピッツバーグ・クリア」紙に、「忘れがたい経験」と題したコラムを連載しました。

以下はそのとき掲載された彼の体験談です。

~~~~~~~~~
デュボイスはある日、東京の帝国ホテルでフロントで勘定を払っていました。
そこに“いかにも典型的なアメリカ白人女性”が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込みます。
ところが、ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせず、デュボイスへの対応を続けた。
勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いた。
~~~~~~~~~

フロント係の毅然とした態度に、デュボイスは、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感したといいます。

彼は言います。

「母国アメリカではけっして歓迎されることのない一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。
日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が、「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。」

さらにこの旅でデュボイスは、日本人と中国人との違いを悟ったといいます。
それは上海での出来事でした。

デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、その場をどくように言ったそうです。
すると、中国人の大人たちはみな、あわてて道をあけた。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

デュボイスは語ります。
「上海・・・この世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治されている。それに対して日本は、有色人種による、有色人種の、有色人種のための国である。」


大東亜戦争が始まると、米黒人社会の世論は割れていきます。

「人種問題はひとまず置いておいて母国のために戦おう」
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」という意見もあれば、

「黒人を差別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意見もあった。

デュボイスは、大東亜戦争を“人種戦争”と捉え、はっきりと次のように語ります。
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ。」


黒人たちは、白人が日本人を
「イエロー・バスタード(黄色い嫌な奴)」
「イエロー・モンキー(黄色い猿)」
「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」
などと、必ずそこにイエローの文字を入れて形容することに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけます。
当時のアメリカ政府は、日本兵は“残虐な未開人である”というイメージを広めようとやっきになっていた。

それに対し彼は「ピッツバーグ・クリア」紙で次のように語ります。
「ビスマーク沖での海戦で、アメリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした」
「本土爆撃ではわざわざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差別に殺した」
「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、何を残忍と言おう」
「軍隊の中で差別に苦しめられていた黒人兵が白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければならない理由は、なにもない」
「ある白人指揮官は、黒人部隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下している。黒人兵の間では、やりきれない気持ちが次のようなジョークがある。

“墓石にはこう刻んでくれ。
白人を守ろうと、
黄色人種と戦って
命を落とした黒人
ここに眠る”と。」

彼は、大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも強制収容所に入れられたことについて、米黒人社会は、非常に大きな衝撃を受けたといいます。

第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいである。
第二に、アメリカの市民権を持っている日系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可能性がある、という点。

そして彼は、11万5千人もの日系人が、一度にアメリカ人としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過ごすというのかと語り、ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストとともに、全米黒人向上協会に呼びかけ、次のような決議文を提出します。

「われわれは、人種や肌の色によって差別され、アメリカ人としての当然の権利を侵害されることに断固として反対していかねばならない。」

大東亜戦争終戦の後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人を歓迎し、温かく迎えます。
彼らは、日系人のために仕事を探したり、教会に招いたりしてくれたのです。

第一次世界大戦が終結した1919年、パリで講和会議が行われました。
このパリ講和会議は、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという会議でもあった。

このとき、米国の黒人たちが最大の注目したのが日本でした。
日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲て、講和会議に参加したのです。

日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄ります。
このとき「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、との嘆願書を、日本の使節団に出します。

米国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願をしているのです。

「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。

人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。

パリ講和会議で、日本の“人種差別撤廃法案”は16カ国中、11カ国の賛成票を得ながら、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられます。
全米の黒人たちは、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動を続発させます。

そもそもアメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったのは、日露戦争の時です。
白人の大国に、有色人種の小国が独立をかけて、果敢な戦いを挑んだのです。

冒頭にご紹介したデュボイスは、白人による支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国として、日本を支持しました。

日本が勝てば、やがて“アジア人のためのアジア”を声高に叫ぶ日が来るだろう。
それは、自分たち黒人の母なる大地であるアフリカに同じような声がこだまする前兆となる、と考えたのです。

そしてその考えは、全米黒人教会の意思にもなります。

黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次のような社説を掲載します。
「東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている。
事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れようとしている。
有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。
長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。」

そして、日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、という白人優位の近代史の神話を事実として否定してみせたのです。

当時、ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べています。

「ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。
同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。」


1923年の関東大震災では、ある黒人が「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書します。

それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めた。
「たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。」

同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していきます。

万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。

「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析しました。

なぜなら「日本人は、それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだといいます。

1936年、イタリアがエチオピアを侵略します。
アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとします。
アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事が、アメリカの黒人たちの心を動かしたのです。

「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」
「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えています。

また「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じました。

そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画です。

これは実現には至らなかったものの、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠でもありました。

シカゴ・ディフェンダー紙は、
「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じています。

「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観」の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次のように我々日本人に呼びかけています。

「歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。」

パリ講和会議における日本の提案は、当時の白人社会にはとてつもなく大きな爆弾であったといえます。

国富の大部分を、人種差別と植民地政策によって得ていた欧米資本家や貴族たちにとって、植民地を失うということは、すなわち国家の崩壊であり、資産家たちの破産を意味するものでもあったのです。

それだけに、人種差別撤廃を堂々と主張する日本は、彼らにとって、どうしても許すことのできない相手でした。

日本をなんとかして封じ込めなければならない・・・そのことは彼らにとっての意思となっていきます。
逆に日本はどうかというと、なにも国際的地位向上のために人種差別を主張したわけではない。

そんな奢りや高慢は、当時の日本にはまったくない。
そのことは、現代、いまだって同じです。

いまでも貧しい国、衛生面で問題のある国、法的整備が遅れている国、学校のない国に、日本人はふつうに出かけ、援助し、協力し、互いの発展を願って活動している。

飢えに苦しんでいる国、病気で苦しんでいる国があるって聞けば、コンビニの店頭で釣銭での寄付だって、多くの日本人が、自分だって決して生活楽じゃないけど、ふつうにやっている。

決して年収の高くない普段、フリーターの青年たちが、ボランティアで実際に海外に出かけ、教育や農業、医療の支援活動をやっている。

そのことは戦前も、現代もなにも変わりがないのです。
日本人はなにも変わっていない。

驕りがなく、謙虚に、互いの発展を願う。ひとりひとりの日本人の中にあるそうしたやさしい気持ちは、戦前も、戦後のいまも、なにひとつかわっていないのです。

日本の主張した“人種差別撤廃”の主張は、単にイエローである日本人自身が欧米と対等につきあえること願ったものだし、貧しく、差別された人々に対し、“四方の海はみなはらから”なのだから、普通に対等の関係を構築しようとしたにすぎない。

そしてそのことが、結果として日米開戦にまで至るし、日本が乾坤一擲の大勝負として、真珠湾攻撃を仕掛ける遠因となっていった。

帝国軍人という名の武士たちは、命がけで戦いました。
そしてその結果、世界の被植民地国家は、いまやことごとく独立し、自国の繁栄を謳歌するようになった。

戦争は、国家間の大義衝突の解決のための最終手段です。
戦争は手段であって、目的ではない。

であれば、人種差別撤廃という日本が唱えた悠久の大義は、結果として達成したことになる。
ならば、間違いなく日本は、戦争に勝ったのです。


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真珠湾-12月8日を記憶せよ


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コメント

ポッポ

No title
40年くらい前のことですが、夜店の古本屋さんで昭和18年の航空雑誌を購入したことがありました。

内容は、日本の戦闘機や攻撃機(機種名は知識があったから分かりましたが、写真には新型としか書いてなかったです。)と米軍の戦闘機や爆撃機(機種名は正確に書いていました。)

こんなことはともかく
米軍の軍事情報として、「黒人にパイロットをさせることが可能」との記事がありました。
いまなら、何のことか意味の分からない記事ですが、アメリカではそれまで黒人に、パイロットをする能力がないと考えていたのかと、びっくりしたことを覚えています。
人種差別は同等の能力を持つ人間に対して、偏見を持って接すると考えます。しかし、、同等の能力すら認めていなかったのでは、差別以前に別の動物と考えられていたと思います。

アンテナ

日本はユダヤに借りはない
ルーズベルトはハリマンと組んで報酬として幾らと?話がすすんでいたのやら。そして何れは黄色人種を追い出し満鉄を独占経営しようと画策していたにちがいない。

それが御破算となりゃ怒るのは無理もない、ユダヤ人の金欲は世界一、怨念も何十年も燃やし続ける執念深さ!

日本はユダヤに何の恩も借りもない!

秋山兄弟

坂の上の雲
NHKの坂の上の雲の捏造シーンがあるのをNHKが認めていましたよ

http://megu777.blogspot.com/2011/12/nhk.html

kazk

皇族の黒田雅子?
黒田雅子氏は皇族ではありません。
いわゆる華族でありまして、黒田広志子爵の次女です。
ソースはネット上で簡単に見つかります。
そもそも皇族ならば姓はありませんし、基本的に宮号と名前で呼ばれます。ハワイ王室との婚礼話と混同されたのではないでしょうか。

愛信

中国軍 地下トンネルに大量の核弾頭か
中国軍 地下トンネルに大量の核弾頭か

事評論家 伍凡さん:「この件の暴露によって共産党の野心が明かされました」
http://www.ntdtv.jp/ntdtv_jp/security/2011-12-05/143922619573.html

【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

杉田謙一

開戦の日の自決学生
岡崎の杉田です。

石川護国神社で割腹自決の青年がいたとネットに記載があり、新聞記者に問い合わせていただいているが、まだ状況は不明の報告。金沢大学4年生の学生の自決。場所は清水澄先生碑の前と聞く。遺書もあると言うことで記者に詳細を聞くが、不明。記事は
金沢市内の神社で男性の変死体・
12月8日九時四十五分ころ金沢市石引きの石川護国神社の境内で、通りかかった男性が、仰向けで倒れ死亡している男性を発見しました。金沢中署によると、20代の男性と見られ、黒いスーツに白いワイシャツを着ていて、首や腹部など数箇所に刺し傷があったということです。傍らにはナイフ1本と、日の丸の旗が置かれていたということで、警察は自殺と見て身元を確認しています。   以上

T新聞社0記者からは、背景も出てこず、もう調査不能と電話。このままで終わるのかと問うと、自殺者だからプライバシーが優先され名前も出されないとの弱気の報告。
 しかし、作法といい、場所、日にちといい、何もないわけがなかろう。こうした青年の魂からの叫びを世に問わないで葬ることがどうして出来ようか。まだH社の結果報告があるだろうから心静かに待ちたいのですが、警察が泊めている模様です。政府が政府ですから。命を懸けた学生の叫びは隠蔽してはならないと思います。
名前などぜひ調査してください。
また公表していただければと思います。

愛信

re:橋が崩落4人死亡 インドネシアで数十人負傷
ps:
TPPは中国包囲網、これガチ
http://tsunami311.seesaa.net/article/239676333.html

TEXAS

書籍
ルーズベルトの人種差別ですが、

「黒人、白人、黄色人」高野 信夫(三一書房)に、経緯が書かれています。

この書籍は、すでに絶版となっていますが、古本屋で見つられたら是非お買い求め下さい。

玉静

歴史通1月号買いました
いつも、楽しみに拝読させていただいております。
昨日、書店でふと目に止まった「歴史通1月号」!!
ペラペラめくると、ねずきちさんの記事がありまして、大変驚きました。
早速、3冊購入致しました。
これからも、頑張って下さい。

ちゅう

歴史通1月号
歴史通1月号のご論考を拝見いたしました。

李承晩大統領て、両班だったのですね(両班というのがよく分からないですが)。朝鮮戦争に元日本軍の韓国人がおおいに活躍したというのも初めて知りました。

閔妃の写真とされていたのが間違いという三谷教授の論考などなど、力作ぞろいで、かなり読みつかれてしまいました。

谷 豊

オバマ大統領のお辞儀
★ オバマ大統領が訪日した際に、天皇陛下に対し腰が曲がる
 程のお辞儀をして最大級の敬意を表しました。
 そのことをアメリカ人は、「卑屈すぎる」と非難しましたが、
 黒人であるオバマ大統領としては、それは当たり前のこと
 だったのです。有色人種を人間として認めるよう戦ってく
 れた日本人に対する敬意だったのです。

花うさぎ

No title
ねずきちさん、さすが!(^^)。

Butubuti

教えていただけませんか?
ねずきちさんおはよういつも色々な事を教えていただきありがとうございます。突然なのですが祖父の遺品整理をしていましたら戦死者の控えた書面が見つかり、どうしたらいいのかと悩んでいるのですが、白鷹工作科員戦死者と記してあるのですが、本来なら戦死なされた方への供養の為にもご本人の所縁の方へお渡しすればいいのかもしれないのですが、遺品で無く名簿だけですので、、、
主人とどうするのが1番かを考えている最中なのです。丁度仕事も一段落して今からは落ち着いた時間もあるので靖国神社へ預けるのがいいのか?それか呉の方での護国神社へ預けるのがいいのか、、、無躾で申し訳ありませんが教えてください。

貼り付け

アメリカのウェデマイヤー大将
このアメリカのウェデマイヤー大将は、連合軍東南アジア副司令官、中国戦線米軍総司令官兼蒋介石付参謀長を歴任して1951年退役。1989年没。 「ルーズベルトは中立の公約に背き、日独伊同盟を逆手に取り、大日本帝国に無理難題を強要して追い詰め、真珠湾の米艦隊をオトリにして米国を欧州戦争へ裏口から参加させた。 〈中略〉

 米英は戦閾には勝ったが、戦争目的において勝利者ではない。英国は広大な植民地を失って二流国に転落し、米国は莫大な戦死者を出しただけである。真の勝利者はソ連であり、戦争の混乱を利用して領土を拡大し、東欧を中心に衛星共産主義国を量産した。米国は敵を間違えたのだ。ドイツを倒したことで、ナチス・ドイツ以上に凶悪かつ好戦的なソ連の力を増大させ、その力は米国を苦しめている。また日本を倒したことで、中国全土を共産党の手に渡してしまった。やがて巨大な人口を抱える共産主義国家がアジアでも米国の新たな敵として立ちふさがるであろう。」

アメリカも第二次世界大戦の敗戦国 (勝者は毛沢東とスターリンだけ)

ユダヤ人

ヘンリー・ルース
在米の「チャイナ・ロビー」、すなわち、戦前から戦中、戦後にかけて、ワシントンに「親中国」、つまり蒋介石を支援して「反日」という基軸で戦った一群の人たちがいたが、その中心人物は、ヘンリー・ルースというユダヤ人であった。

ヘンリー・ルース  中国で生まれ育ったユダヤ人で、ラジオ・映画ニュースにも大きな影響力を持っていた彼は、1930年代から、親中反日の一大キャンペーンを張り、アメリカのアジア外交、特に対中国外交に大きな影響を及ぼした。 

 彼は雑誌『タイム』 『ライフ』 『フォーチュン』 『スポーツイラストレイティッド』をつくり、ことごとくアメリカの雑誌文化の原点を築き、「一代でアメリカの雑誌ジャーナリズムを築いた男」と評されていたユダヤ人である。中国山東省で生まれ育った彼は、大戦中、「チャイナ・ロビー」のボスとして、その資金源となって懸命に中国を支援した。蒋介石夫妻を「自由中国」の象徴として絶賛し、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに呼んで一大ヒロインに祭り上げるなどして、親中反日のキャンペーンを大々的に展開し続けたのである。

 「チャイナ・ロビー」のボスであったヘンリー・ルースは、蒋介石夫妻を「自由中国」の象徴として絶賛し、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに呼んで一大ヒロインに祭り上げるなどして、親中反日のキャンペーンを大々的に展開し続けた1936年に誕生した彼の雑誌『ライフ』は、フォト・ジャーナリズムを駆使した斬新な手法で、創刊とともに世界中のジャーナリズム界に衝撃を与えていたが、1937年に日中戦争が始まると、日本を悪玉にする有名な写真=「ガレキの中にたった一人ポツンと取り残された赤ん坊」(上海で撮影)を掲載し、この写真は何千回とコピーされ、欧米社会に「日本=悪」のイメージを定着させた。

雑誌『ライフ』に掲載され、世界的に大反響を巻き起こした写真=「ガレキの中にたった一人ポツンと取り残された赤ん坊」である。この写真を見た世界中の人たちは、日本の虐殺を激しく非難した。日本の運命を決定した一枚である。しかし、この写真には下のような別物があり、すぐ横に保護者となりうる大人がいて別の子供もいた。

 わざわざ一人ぽっちの写真を撮って、反日感情を盛り上げたのである。また、彼の雑誌『タイム』は、蒋介石夫妻を1937年度の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選出し、徹底して親中・反日の世論を煽り、ほとんどの新聞・雑誌がそれに追随した。「この男(ヘンリー・ルース)によって、1930年代から『真珠湾』に向かうアメリカの世論は『反日・親中国』に変えられたといっても誇張ではない」といわれている。

http://www.snsi.jp/tops/daini/1428

ユダヤ人

黒竜江省のハルビン
日露戦争の影響と1905年のポグロムの結果、多数のユダヤ人が流入したため、1908年にはその規模は8000人以上に膨れ上がった。その後、ロシア革命とウクライナでの迫害を逃れて更に何千人もが満州に入ってきたので、ハルビンのユダヤ・コミュニティーも1920年には1万人を数え、満州国建国の頃は1万5000人にもなっていたのである。

 「ハルビン・ヘブライ協会」が設立され、ラビのアロン・モシェ・キセレフと アブラハム・カウフマン博士がその代表的存在だった。1937年12月26日にハルビンで開かれた第1回の「極東ユダヤ人大会」で、樋口季一郎(陸軍少将・のちに中将)は、次のように演説した。「ヨーロッパのある一国は、ユダヤ人を好ましからざる分子として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。いったい、どこへ追放しようというのか。追放せんとするならば、その行き先をちゃんと明示し、あらかじめそれを準備すべきである。当然とるべき処置を怠って、追放しようとするのは刃をくわえざる、虐殺に等しい行為と、断じなければならない。

 私は個人として、このような行為に怒りを覚え、心から憎まずにはいられない。ユダヤ人を追放するまえに、彼らに土地をあたえよ! 安住の地をあたえよ!そしてまた、祖国をあたえなければならないのだ。」この樋口季一郎の演説が終わると、凄まじい歓声が起こり、熱狂した青年が壇上に駆け上がって、樋口季一郎の前にひざまずいて号泣し始めたという。協会の幹部達も、感動の色を浮かべ、次々に握手を求めてきたという。

樋口季一郎・陸軍中将 満州国のハルビン特務機関長だった時、2万人のユダヤ人を救出した。ハルビンで開かれた「極東ユダヤ人大会」では多数の作業計画が採択されたが、その基本理念を定めたのは樋口中将の基調演説だった。彼は、日本人は人種偏見を持っておらず、親ユダヤ的だと強調し、日本はユダヤ人と協力し経済的接触を保つことに関心があると述べたのである。

 
「極東ユダヤ人大会」で挨拶を述べるユダヤ人 アブラハム・カウフマン博士(議長) この「極東ユダヤ人大会」には、ハルビンのほか、奉天、大連、ハイラル、チチハル、天津、神戸など、極東各地のユダヤ人社会から代表が出席した。ちなみに、この「極東ユダヤ人大会」に参加したユダヤ人はアシュケナジー系ばかりであり、スファラディ系ユダヤ人は参加していない。

この「極東ユダヤ人大会」の主要な結果は、カウフマン議長名でニューヨーク、ロンドン、パリのユダヤ人組織に打電され、数多くのメディアに通報された。しかし、メディアの反響は期待を遥かに下回るものだった。満州のユダヤ人たちは日本と協力する用意があったのに対して、「米国ユダヤ人会議」の議長スティーブン・ワイズ博士率いるアメリカのユダヤ人は反日的であった。ワイズ博士は、日本が世界のファシズムの最も危険な中心の一つだと考えていたのである。 

 ハルビンの「極東ユダヤ人会議」の議長だったアブラハム・カウフマン博士は、アメリカのユダヤ人のスポークスマンに対して「日本をもっと好意的に見るように」と説得したが、ルーズベルト大統領の側近だったワイズ博士は日本を全く信用せず、ユダヤ人の満州移住構想(「フグ(河豚)計画」)には賛成しなかったのである。 

http://www.snsi.jp/tops/daini/1428

ごくらくトンボ

ありがとうございます。(*^_^*)
いつもありがとうございます。今日のお話、読んでいて涙が出てきました。最近は、ねずきちさんのブログが楽しみで、毎日チェックしています。
実は今朝、倫理法人会から講話の依頼があって、大東亜戦争の話しを40分ほどしてきました。「歴史からみる日本人の誇り~大東亜戦争編~」と仰々しいタイトルです。(笑)歴史の話を人前でするのは2度目でしたが、反応も良く上々でした。ねずきちさんのブログからも、植民地支配の歴史を無断?で引用させていただきました。ありがとうございます。この場を借りて、お礼申し上げます。(*^_^*)

在日ユダヤ人

:「日露戦争」でユダヤ資本から「恩」を受けながら、満州の共同経営の約束を破った日本 ~ 「ハリマン事件」の実態
第4章:「日露戦争」でユダヤ資本から「恩」を受けながら、満州の共同経営の約束を破った日本 ~ 「ハリマン事件」の実態

記事元
http://www.snsi.jp/tops/daini/1428

 ヤコブ・シフが日本を援助したのと同時に、戦後の満州経営について、日本政府とユダヤ財閥との間に秘密の取引きが行なわれていた。東郷平八郎率いる日本連合艦隊が当時、海軍力世界2位のロシアのバルチック艦隊を破って以来、延びきった戦線のための補給にも苦しくなっていたところ、アメリカの26代セオドア・ルーズベルト大統領の仲介で1905年8月10日、ポーツマスで講和会議が開かれた。

 そして、秘密取引きの内容を具体化するために、ポーツマスで日露の講和会議が開かれている最中、ロックフェラー家と関係の深いユダヤ系アメリカ人の鉄道王エドワード・ハリマンが、クーン・ローブ・グループの代表として来日したのである。南満州鉄道の日米共同経営についての話し合いが目的だった。

「日本が2年間に渡る大戦で血を流し財を尽くして獲得した報償は、まことに貧弱である。講和条約を不満とする愛国の至誠が、暴動とさえなっている。その上また、この貧弱な戦果の半ば以上の価値がある満鉄をアメリカ人に売り渡してしまい、満州そのものを外国商業との自由競争の場に委ねてしまおうというのは、とうてい忍ぶことができない。」  

 桂内閣はこの要望を入れて10月23日、アメリカ側に予備協定の「破棄」を通告した。ハリマンがサンフランシスコに着いたときに、彼を待っていたのは「破棄」を通告する日本政府からの電報であった。今度はハリマンが烈火のごとくに怒り、ただちに翌年の8月に腹心のウィラード・ストレイトを奉天領事に送りこみ、徹底して日本の利権とアメリカ人の利権とを衝突させていったのである。 
 
(左)エドワード・ハリマン (右)小村寿太郎
 この時、ハリマンは次のような言葉を言い放った。「日本は十年後に後悔することになるだろう!」 屈辱外交官として、いったんは政治生命を絶たれた小村寿太郎は、この事件後、「南満州鉄道を救った男」として名誉を回復した。しかし、歴史はハリマンの予告通りに動いていく。 それ以後、満鉄を中心として日本とアメリカの対立が深まり、その関係がこじれていった。そして1921年の「日英同盟」破棄以降、両者の対立は決定的なものとなり、やがて日本は英米との関係を断ち切り、ドイツとの協定にのめりこんでいったのだった。

 当時、セオドア・ルーズベルト大統領は、次のような言葉(書簡)を残している。「私は従来日本びいきであったが、ポーツマス会議開催以来、日本びいきでなくなった」

エピソード 『小村寿太郎と桂・ハリマン覚書』 (野澤道生氏の『日本史ノート』解説より)http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode12.html

◆桂・ハリマン覚書 (クリック20世紀より)http://www.c20.jp/1905/10kakus.html

在米主婦

真実を知る事のありがたさ
いつもご苦労様です。私は1980年に初めて渡米し、こちらでの生活は、延べ30年になろうとしています。日本で教育を受け、日本人である事に引け目さえ感じていました。この夏、YouTube にて「凛として愛」に巡り会い、その後、ねずきち様のブログにも巡り会うことができ、本当に有り難く思っています。日本人である事を、こんなに誇りに思えたのは、50年の人生の中で初めてです。生きている間に真実を知る事ができ、こんなに嬉しい事はありません。これからも頑張って下さい。よろしくおねがいします。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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