大森今村両教授の信頼と絆



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今村明恒(いまむらあきつね)教授
今村明恒


関東大震災を正確に予測した科学者がいます。
しかもその人は、被害規模は地震によるだけでなく、震災後の火災によって10万人を超える被害が発生すると正確に予測をしていました。

お名前を今村明恒(いまむらあきつね)といいます。
東京帝国大学の地震学の教授です。

生まれは鹿児島で、以前、このブログでご紹介した「稲むらの火」(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-769.html)を国定教科書に載せるよう、運動したのも、この今村明恒博士です。

今村博士が、関東大震災への警告文を発表したのが、明治38(1905)年です。
このとき今村博士は、今後50年以内に帝都(東京)で大震災が起こること、および震災時に火災が発生するが、そのとき消化に必要な水道は、地下の水道管破裂のため使い物にならず、現状を放置すれば大火災となり、10万人を超す焼死者が出ると予測しました。

このことが、メディアを通じて、当時、大センセーショナルを巻き起こします。
センセーショナルは巻き起こしましたが、結果として政治は何も動きませんでした。
そして何の対策も講じられないまま、発表から13年後の大正12(1923)年9月1日午前11時58分、関東大震災が起こっています。

関東大震災はマグニチュード7.9、震源地は相模湾北西沖80kmの巨大地震でした。
地震の発生時刻が、ちょうどお昼どきでもあったことから、東京では震災発生と同時に合計136箇所で火災が同時発生しました。
そこへ折から能登半島付近にいた台風の影響による強風が重なる。

炎は、旋風を起こして広がりました。
鎮火したのはようやく2日目になってからのことです。
東京市の気温は、この間、ずっと40度を超えるものでした。
そして何もかも焼き付くしたのです。

地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台では、1日21時頃から異常な高温を観測し、翌2日未明には最高気温46.4度を観測しました。
そしてこの気象台そのものも、火災によって全焼してしまいました。

この地震を事前に予測した今村博士のことを書く前に、日本の地震学について少し書いておきたいと思います。
いまでこそ、世界中で研究されている地震学ですが、じつは、この地震学、日本発の学問です。

明治のはじめ、ジェームス・アルフレッド・ユーイングと、T・メンデンホールという学者が来日しました。
ユーイングは電磁気学、メンデンホールは地球物理学をの教授です。

この二人、日本に来て生まれて初めて地震を体験し、たいへんな衝撃を受けます。
これは是非とも研究しなければならない、というわけです。

この頃東大総長を勤めていたのが会津藩出身の山川健次郎(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-669.html)です。
山川は、では早速誰かに命じて、地震の研究をさせよう、ということになります。

山川が白羽の矢を立てたのが、田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)です。
田中舘は、南部藩士の出身で、東大理科物理学科の第一期生の秀才です。

実は、この田中舘博士、いまの私たちにとっても、深い関係があります。
まず第一に田中舘博士は、日本人として、はじめて野球に接した人です。
第二に、彼はメートル法を日本に導入した人です。
そして第三に、いま、私たちがパソコンの前で入力しているローマ字の「日本式ローマ字」を考案し、普及に努めた人なのです。

ちなみにローマ字の表記には、ヘボン式と日本式があります。
たとえば、「ちしつ」をローマ字で書くと、ヘボン式なら「chi、shi、tsu」となります。
日本式では「ti、si、tu」です。

ひとむかし前までは、ヘボン式が正しいとされたのですが、音韻学の観点から最近では田中舘博士日本式の方が理にかなって優れているとされているとされています。
ちなみに私は、パソコンの入力は日本式です。

さて、その田中舘博士が山川健次郎の指示を受けて、濃尾地震の研究をしたときに、これを助手として支えたのが、当時、東大物理学の大学院の学生だった大森房吉(おおもりふさきち)です。

大森房吉は、福井藩士の家柄で、明治元年の生まれですので、田中舘博士より13年下です。
大森は、東大でもともと物理学、気象学を専攻していたのですが、田中舘博士の影響で地震学へと転進した優秀な学生です。

大森は、田中舘教授と一緒に行った濃尾地震の研究から、明治27(1894)年には本震からの経過時間に伴う余震回数の減少を推定する余震大森公式を発表します。
さらに明治31(1898)年には、世界初の地震計を開発する。

いまでは地震学といえば、世界中どこでも地震計に基づく観測と、それに付随する研究ということになっていますが、このきっかけを作ったのが、若き日の大森房吉博士だったわけです。

大森房吉の地震計の出現によって、地震学は世界的に研究者が拡大します。
そして明治36(1903)年には、世界最初の「国際地震学協会」が設立される。
設立委員会には、大森博士と田中舘博士の二名が日本から出席し、田中舘博士は協会の副議長に就任しています。

そして、この二人のもとに、彗星のようにあらわれたのが、大森より二つ年下の、天才地震学者、今村明恒(いまむらあきつね)だったのです。

今村は、薩摩藩士の家柄です。薩摩の造士館を卒業後、上京して東京帝国大学物理学科に進学し、大学院で地震学を学びました。
そしてそのまま大学の講座助教授となります。

実は、この講座助教授というのがくせ者です。
給料がないのです。

いくら学問好きといっても、無給では食べて行かれません。
ですから今村明恒は、陸軍大学で測量を教えることで生計を立てながら、大森教授のもとで、地震の研究を続けていたのです。

そして明治32(1899)年には、明治三陸沖地震の研究成果から、「津波は海底の地殻変動を原因とする」という説を発表します。
いまでは、これは一般常識にさえなっている説です。
けれど今村がこれを発表した当時は、今村自身が無名で無給の研究者でしかなかったことから、学会ではほとんど受け入れられずにいました。

けれど、世間がなんといおうと、純粋に研究を重ね続けるのが今村の良いところです。

続いて彼は、過去の地震記録を詳細に検証し、関東地方には周期的な大地震が来ることを発見します。
そして万一地震が起こった場合、どのような事態になるのか、そこから予測される被害の大きさと、災害の情況を正確に予測したのです。

予測される被害のあまりの大きさに驚いた今村は、明治38(1905)年、一般向けの雑誌「太陽」で、「市街地における地震の損害を軽減する簡法」と題した論文を発表します。

この論文で、今村は、3つのことを主張しました。

(1) 東京は元禄地震、安政地震など、繰り返し地震が起きている。従って向こう50年以内に、再び地震が起こる。

(2) 東京で地震が発生すると、石油などの影響で、江戸時代の昔よりもずっと発火や延焼が多くなる。
その一方で、水道が昔のような水道井戸ではなく、地下の配管となっているため、地震災害発生時には、この配管が分断され、ほとんど消火の用をなさない。
この結果、大地震によって水道鉄管が破壊されたら、帝都の消防能力は全く喪失し、全市消失なら10万から20万人の死者が発生しうる。

(3) 従ってこうした事態を防ぐため、帝都(東京)は、水道に代わる防災手段を講じて行かなければならない。

なるほど、納得の内容です。
特に、(3)の災害に対する備えの大切さは、特に重要な事柄です。
けれど発表の時点では、この論文はさほど注目を浴びませんでした。
無給の助手の言うことなど、誰も聞こうとしなかったのかもしれません。

ところが4ヶ月後に事件が起こります。
明治36(1906)年1月16日のことです。

当時あった大衆新聞の「東京二六新聞」が、「今村博士の大地震襲来説、東京市大罹災の予言」と、大見出しでセンセーショナルな記事を打ち出したのです。

東京二六新聞というのは、しばしば発禁処分を受けることもあったイワク付きの大衆紙で、いわゆる話題性重視の新聞です。
もともとの今村の論文が、災害予防を主眼としたものであったのに対し、東京二六新聞は、いまにも大地震が起きると、刺激的で面白半分の記事を出したのです。

世間は大騒ぎとなってしまう。
おかげで東京帝大の電話は鳴りっぱなし。
地震学科を束ねる大森教授は上から呼び出されるは、てんやわんやの大騒動になってしまいます。

そもそも地震学というのは、まだ出来立ての学問です。
地震の予測は、そりゃしたいけれど、まだそこまでには至っていない。
町の占い師や予言屋さんではないのです。
まだ、地震のメカニズムについての研究の端緒に着いたばかりです。
もし万一、今日にも明日にも来るかもしれないと予言して外れたならば、帝国大学の威信にも関わる。

困りきった大森教授は、なんとか事態を沈静化させようとします。
今村君は、二つ年下の無給の研究員とはいえ、研究熱心で将来ある大事な後輩です。
こんなことで予言が外れたと、世間から叩かれるようなことがあってはならない。
それに、地震学という分野も、なんとしても守らなければならない。

大森教授は、今村を呼び、東京二六新聞に釈明と取消の記事を出すように命じます。
今村も、自分の趣旨と異なる記事で周囲に迷惑をかけることは、決して本意ではありません。

素直に大森の指示に従い、記事の3日後には、
「これはもともと雑誌掲載時に『震災被害を軽減することを目的として』寄稿したものであり、事前に地震に備える必要を述べたものに他ならない。該記事は、本来の趣旨である災害予防に関する提言を省いたうえ、単なる地震の予言として載せている。これは遺憾に堪えない」という記事を載せます。

きわめて常識的な意見です。
今村の抗議は、その他の新聞社でも好感され、今村に同情的な記事が掲載になり、おかげでようやく事態は一段落していきます。
これが、明治39(1906)年1月下旬のことです。

ところが、翌2月23日に、千葉沖でマグネチュード6.3の地震が起きてしまいます。
さらに翌24日には、東京湾でマグネチュード6.4の強震が起きます。

この地震による被害は、煙突が倒れたとか些細なものにすぎませんでした。
けれど、どこの馬鹿者がやったのか、
「中央気象台が24日夕方、東京に大地震が起こると予報を出した」というとんでもないデマ情報を、病院や役所、図書館や大型商業施設などに電話で知らせまくった馬鹿者(おそらく不逞朝鮮人の犯行)がいたのです。

これには官憲まで出動して、犯人探しが行われる事態となり、おかげでせっかく沈静化しかけていた東京大震災のウワサが、再び再燃してしまったのです。
大学には問い合わせが殺到する。
大学側からは、責任者の大森教授に対して、ふたたび事態の沈静化をせよと、強い苦情が寄せられます。

やむをえず大森教授は民心鎮静のために、「東京に、今後何百年も安政地震のような大地震が来ることはないし、もし来たとしても大火災は決して起こらない。まして10万人も20万人も死人が出るなどということは、まったく学術的な根拠のない浮説にすぎない」と、新聞論説への寄稿や、講演を繰り返します。
教授が、今村の予測を覆す内容の発表をしたのです。

大森房吉教授
大森房吉教授


このことは、当事者である今村にとっては、とても辛いことです。
巷では無給の今村が私利を求めるために浮説を流したと噂され、友人からは大法螺吹きと嘲けられる。
大学に行っても、周囲からの白い目線は、今村の心をずたずたに引き裂きます。

後年、今村が書いた文章には、当時を振り返って次の記述があります。
「翌年の夏に帰省した。自分に対する非難の数々を転載した地方新聞を読んだ老父から、いちいち弁解を求められた。一年余も老父を心痛せしめたかと思うと、情けなくなった」
さぞかし辛い日々であったろうと思います。

今村明恒の偉いところは、これだけの中傷を浴び、ホラ吹きだの詐欺師だの金儲け主義者だのと中傷非難を浴びながらも、決して地震学への情熱を失わなかったことです。
彼は明治44(1911)年には、大森式地震計を大幅に改良した「今村式地震計」を開発し、その設置普及にも努力を重ねます。

そうして新聞事件が起こってから17年後の大正12(1923)年9月1日、正午頃、関東大震災が発生します。
震災は、大火災を起こし、東京も横浜も、まるで廃墟のような焼け野原となってしまいます。
死者、行方不明者14万2800人、負傷者10万3733人、合わせて24万6,533人という未曾有の大災害が襲ったのです。
まさに今村が予測した通りの結末となってしまったのです。

この地震で今村は、幸いなことに九死に一生を得ました。
大森教授は、この地震のとき、学会でオーストラリアに出張していました。

地震の報に接して、急遽帰国した大森教授を、今村は横浜まで迎えに行っています。
けれど大森教授は、おそらく心労からでしょう。
帰国途中で脳腫瘍に倒れ、港に着いたときには、もはや息も絶え絶えの状態でした。

そして出迎えにきた今村に「今度の震災については自分は重大な責任を感じている。譴責されても仕方がない。ただ水道の改良について義務を尽くしたことで自分を慰めている」と告げると、言い終わらないうちに嘔吐を始め、意識を失います。興奮による発作でした。

大森教授は、そのまま意識混濁のまま、2ヶ月後に死亡してしまいます。

大森教授亡き後、東京帝大地震学の後任教授に、今村は就任します。
そして6年後の昭和4(1929)年、解散状態になっていた日本地震学会を再興し、その会長に就任、昭和6(1931)年には、東大を定年退官しますが、その後も私財を投じて、地震の研究を続け、昭和23(1948)年、78歳で永眠されました。

今村教授は、その回顧録に次のように書いています。
~~~~~~~~~
関東大震災において、その災害を軽減する手段があらかじめ講究されなかったことは、為政者の責任であったろう。
関東大地震の災害の九割五分は火災であった。
水道管はあまり強大でない地震によっても破損して用をなさないものであるから、大地震の場合に於いては全然破壊されるものと覚悟しなければならぬ。
このことは大森房吉など科学者が最も力説したところだが、為政者は顧みなかった。
~~~~~~~~~

また別の本でも、
~~~~~~~~~
地震学の泰斗大森博士は、震災と消防の関係について深く憂い警告を発せられた。
自分も大森博士の驥尾に付して、機会あるごとに・・・
~~~~~~~~~
と書いています。

大森博士は、今村を新聞事件当時、名指しで非難しているのです。
にも関わらず、今村は、生涯、先輩である大森博士を敬い続けています。

なぜでしょう。
どうして今村は、自分を名指しで非難した大森教授を尊敬し続けていたのでしょうか。

これには理由があります。
大森博士は、ちゃんと知っていたのです。
今村の説が正しいことを、です。

知っていて、大森教授は今村の説を否定しました。
なぜなら彼は、発展途上にある地震学を、なんとしても我が国に根付かせねばならなかったからです。
そして同時に、首都圏を襲う地震被害の最大の問題は、地震そのものよりも、むしろ震災以後に起こる火災被害の方が、はるかに大きな問題であることをさえ、理解していました。

市井の人々の関心は、大地震が来るというなら、それがいつ来るのかです。
けれど、それはわからない。
今日来るかもしれないし、何十年も先に来るかもわからない。
いつくるかは、天のみぞ知ることです。

それ以上に大切なことは、被害が最小に収まるように、人知を尽くすこと。
震災による家屋の倒壊、火災の発生、そうした事態に備えて、防火対策を施すこと、避難所や避難経路を日頃から確立すること、そうした「人にできること」を、地震の研究を続けると同時に、根気づよく人々に訴え続けていかなければなならい。
地震学を世に根付かせ、研究を続けていかなければならない。
いっときの「予言が当たった、外れた」で、地震学という学問を失ってはならないのです。
そのことを大森教授も、今村も、ともにちゃんと理解していた。

だからこそ今村は、世間からどんなに非難されても地震学教室から出ることはなかったし、その後も大森教授のもとで研究生活に打ち込むことができたのです。

今村が、生涯を通じてもっとも尊敬した人物、それが大森教授でした。
世間の誰もがわかってくれなくても、師弟の間にちゃんと通じるものがある。
絆だけじゃない。もっと深い心の相互信頼がある。
それが、私たち日本人がとっても大切にしてきた師弟関係というものではないかと思います。

もしお時間があったら、今日の記事の冒頭の今村教授のお写真を、もう一度ご覧になってみてください。
とっても良いお顔をされています。
何を言われても、どんなことがあっても、決して切れない相互信頼と絆を大切に生きた人だけが持つ、素敵な晩年の笑顔が、そこにあります。

この二人の教授のことは、一部の方にはよく知られた話で、本も出ています。
ただ、多くの識者のみなさまが書いておられるのは、要するに先輩といったって、あるいは東大教授と言ったって、しょせんは権力欲に取り憑かれた人たちであり、二人の関係を、きわめて対立的にとらえています。
要するに、この二人の教授の関係を、先輩教授と後輩教授の「階級闘争」としてとらえているわけです。

けれど、もし、先輩の大森教授が今村教授と対立的関係にあったのなら、今村教授はとっくの昔に東大を放逐されていたろうし、今村教授も何十年もそうやって先輩のことを悪し様に思い続けたのなら、はっきり言って晩年の人相にそういうものが出るものです。
つまり、人相が悪くなる。

ところが、この二人、どちらも非常に良いお顔をされています。
しかも今村教授は、その著書であくまでも大森教授を立てておいでになる。

このことがはっきりと明示しているのは、二人の先輩後輩教授の間にあったのは、共産主義的階級闘争などという悪辣なものではなく、上辺は別として、心の底で互いを尊敬し敬愛するきわめて日本的な相互信頼関係にあった、ということです。
これを古い言葉で「悌(てい)」といいます。

「悌」は、弟が兄を慕うように、長序をわきまえ、互いに尊敬し、信頼しあうことをいいます。
私は、この二人の教授の中に、その「悌」の姿を見ます。
なぜなら、それが日本人というものだからです。

そうそう、いまに残る関東大震災の「地震波」を記録した地震計は、今村が大森式地震計を改良して作ったものなのです。
地震計は、その後いろいろな形に改良されて今に至っているけれど、基本的な仕組みは、大森、今村両教授が開発した地震計が、いまでも世界の地震の観測に役立てられています。
二人の教授の活躍は、時代を越えて、いまも生きているのです。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
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