偕行に原稿が掲載されました

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偕行7月号


偕行7月号に拙稿が掲載されましたのでご報告です。

偕行は、偕行社が発行する月刊誌です。
偕行社は、旧陸軍士官クラブで、「偕行」は「人がみんな一緒に」という意味の言葉です。

「みんな一緒」というのは、集団を大切にする心であり、これは個人主義とは対極にある言葉といえます。
個人主義というと、対語は集団主義といわれていますが、私はむしろ偕行主義という言葉の方が、集団を維持するために絶対に必要な「公正」が担保されているように感じるので、言葉としてふさわしいと思っています。

今月号の偕行は、真宗松代町にこのたび建立された栗林・今井両将軍の顕彰碑のお話などが掲載されています。
国のため、重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て散るぞ悲しき

これは栗林閣下が、硫黄島最後の玉砕戦に臨んで大本営に打電された辞世の句です。
また、

銃音の
妖しき運命
合歓の花

は、人間愛にあふれた今井閣下が、盧溝橋事件を振り返って詠まれた歌です。

顕彰碑は、高さ2メートル、横2・5メートルの大きなもので、こうした碑文が現代に建立されたことに対し、関係者の皆様には、深く感謝を捧げたいと思います。

月刊誌「偕行」は、偕行社の賛助会員となることで、定期購読することができます。
http://www.kaikosha.or.jp/nyuukai.html

さて、今回偕行に掲載された私の原稿ですが、軍のご専門の方々を前に、素人の私のような者が、戦や軍を語るなどおこがましいことなので、今回は、経済の面から満州について書かせていただきました。
自分で申し上げるのもなんですが、今回の「大豆と満州のお話」は、たいへん読みやすく、また面白い記事となったと自負しています。

以下に全文を掲載しますが、偕行の製本が縦書きなので、文章も縦書き用の文章をそのまま横書きで掲載しています。
したがって、横書きの画面では、多少読みにくいかもしれませんが、ご一読いただければと思います。

~~~~~~~~~~
【大豆と満州のお話】
偕行社賛助会員小名木善行
日本の心をつたえる会 代表

もともと何もない荒れ果てた荒野だった満州が、何故日本が関与した時代から急激に発展したのであろうか。
満州について政治、軍事から語るものは多いが、経済の面から紐解いたものは少ないようなので、これについて書いてみたい。
その答えは大豆にある。

きっかけは明治の中頃、商社マンとして満洲に一番乗りした山本条太郎にある。
後に満鉄総裁になった男である。

彼は慶應三(1867)年生まれ、福井県旧御駕町出の元福井藩士の子である。
明治十三 (1880)年、十二歳で神田淡路町の共立学校(現・開成高校)に入学したが、病弱なため二年で中退している。
そして学問をあきらめ、三井洋行(現・三井物産)横浜支店に丁稚奉公に出ている。
働き者で主人の覚えもめでたく、二十一歳のとき、選ばれて上海支店に転勤した。
ここでも彼は抜群の商才を買われている。

明治二十三(1890)年、彼が二十三歳のとき、上海フランス租界の近くの交差点口に、三井支店長社宅が建設された。
この建物は一万坪の土地に、三階建ての本館と別館、更に付属の建造物があり、広大な庭には池、温室、芝生の野球場と五面のテニスコートが作られ、正門から本館の玄関までには、実に百メートルの小道があり、樹齢三十年以上の桜が二八〇本も植えられていたという。

ここでは毎年三月に園遊会が開かれ、国内外の二千人の官民人が招待された。
当時この園遊会に招待されなかった者は社会的に紳士として認められていないとまでいわれた。
それだけに招待客の選出には細心の配慮と苦心が重ねられたが、これを完全に取り仕切っていたのが山本条太郎であった。
とにかく頭が切れ、礼儀正しく、よく働く男だったのである。
そういう人物だからこそ招待客の接待役を仰せつかったのである。

明治三十四(1901)年、山本条太郎は、三十四歳の若さで三代目上海支店長に就任した。
当時の上海支店長の社宅は、車庫には防弾処理を施された八人乗りのキャディラック一台、八人乗りビュイック一台、中型車が二台支店長専用車として停まっていた。
車そのものが大金持ちか大臣でもなければ乗れなかった時代である。
これだけの車を備えることができたのは、それだけ三井物産上海支店に実力があったということである。

車のウインドガラスはどれも三センチ以上の厚さがあり、ドアも不注意に開けて人にぶつかると、人が吹っ飛んでしまうほど重量のあるものであったという。
もっともそれだけに車が重く、リッター一キロも走らないから、条太郎はもっぱら営業マンの乗る普通車ばかり使っていたという。

営業マン用の車は、防弾処理などされていないから危険な車である。
しかし軽くてよく走る。
このあたり身の安全より行動を優先した条太郎らしさがあらわれていておもしろい。

上海支店長に就任した山本条太郎は、日本の商社マンとして、はじめて満洲に乗り込んでいる。
当時の満州は、広大な荒れ地が広がるだけの緑のない半ば砂漠地帯である。
当然、作物など作れない。けれど条太郎は、この荒れ地で、細々ながら大豆が栽培されていることに目をつける。

大豆は温帯、亜熱帯産の植物である。満洲は亜寒帯である。
本来気象条件が合わない。
ただ大豆を筆頭に、いわゆるマメ科の植物は、根に「根粒菌」が繁殖する。
根粒菌が繁殖するから、根の又のところに、コブのようなものができる。
コブの中で繁殖した根粒菌は、大豆が空気中から吸った窒素や地中から吸い上げた水から、アンモニアなどの有機物を排泄する。
この有機物を栄養源にするから大豆は痩せた土地でも育つのである。

山本条太郎は、これに目を付けた。
気候を調べたり、品種改良の可能性を検討し、徹底して満州での大豆の栽培の可能性を探ったのである。

条太郎が面白いのは、満州での大豆の生育を研究している最中、つまりまだ満州で大豆が生産段階に入っていないときに、早々と販路の開拓に手をつけている点である。
彼は大正九(1920)年には、英国に赴き、欧州での満洲大豆の独占販売権を得てしまっているのである。

当時の欧州には、大豆を食べるという習慣がなく、大豆はもっぱら油をとって燃料にするためにのみ栽培されていた。
これを食べさせる。
条太郎は大豆の加工の仕方や料理の指導まで行い、欧州全土に大豆の売り込みをかけている。

こうして、ほんの数トンあるかないかだった満洲の大豆は、山本条太郎が名付けた「満洲大豆」の商品名とともに広く栽培されるようになり、条太郎が満鉄総裁に就任した昭和二年には、満洲の大豆生産高は、じつに年間五〇〇万トンに達するものとなっている。
このうち四〇〇万トンが輸出用で、欧米向けが二〇〇万トン。日本向けが二〇〇万トンであった。なんと満洲は、世界最大の大豆生産国になったのである。

満州において日本は、明治三十八(1905)年の日露戦争の勝利で、長春から旅順口までの満州鉄道全ての権利を手に入れている。
そして翌明治三十九(1906)年には「南満州鉄道株式会社」(満鉄)を設立している。

少し考えればわかることだが、鉄道があっても、ただやみくもに大地が広がっているだけのところに列車が走るだけでは、なんの収益も産まない。
日露戦争以前にロシアが、そんな、なんの収益のあてもない満鉄を作ったのは、あくまでChinaやKorea、日本への軍事侵攻、南下政策のためである。
ところがその満鉄を、日本は民生用、つまり満州の産業育成のために用いた。

とにかく大豆は欧州に無限ともいえる市場が開けたのである。
大豆は作れば作るだけ売れた。
収穫量の八割以上が商品として輸出されたのである。

売れるから作る、作るから売れる。
そのために荒れ地を開拓する。
開拓するから農地が広がる。
農地が広がれば、生産された大豆を運ぶために、鉄道が必要になる。
そこで満鉄が満州全土にアメーバのように伸びたのである。
そして路線が交差するターミナル駅には、多くの物資や人が集まる。

こうして、わずか二十年前には荒涼とした漠土にすぎなかった満州は、短期間に緑豊かな一大農園地帯に変貌したのである。
満州に住む農民は、大豆と小麦を売り、自分たちはトウモロコシやアワを食べたという。
それほどまでに売れたからである。
大豆は満洲の住民にとって、まさに黄金となったのである。
当時の記録によれば、満州の対外貿易の五〇%以上が大豆である。

日本が経営した満鉄は、ただ大豆栽培を奨励しただけではなかった。
大連には「農事試験場」と「中央試験所」が建設されたが、「農事試験場」は大豆の品種改良や栽培試験、「中央試験所」は大豆の利用研究を進めている。

ここで研究開発されたのが、大豆油(サラダ油)の近代的製造法であり、おかげでいまや世界中の食卓をサラダ油が潤している。
中央試験所には、当時総勢千名を超える人員がいたという。
さらに満鉄中央試験所では、大豆蛋白質による人造繊維、水性塗料、速醸醤油製造法の技術展開、大豆硬化油、脂肪酸とグリセリン製造法、レシチンの製造法、ビタミンB抽出、スタキオースの製造法の確立などを行っている。

現在世界が大騒ぎしている大豆油を原料とするバイオ燃料の研究も、世界の先鞭をきって開発研究に取り組んだのは、満鉄中央試験場であったのである。

それだけではない。満鉄が設置した農事試験所関係施設はなんと満州全土で九十ヶ所に及んでいる。
発表された研究報告は約千件、特許が三百四十九件、実用新案四十七件である。
試験所の様子については、夏目漱石も視察した模様を小説の中で紹介している。
満鉄が大豆に注いだ情熱は並大抵のものではなかったのである。

満州は、大豆農場が広がることで、関連産業が発展し、生産穀物の中継点となるターミナル駅が発達し、そこが街になり人口が増えることで、人々が使用する電力や交通、流通などの産業が発展した。
大都市の誕生である。そして日本は、満州において五族共和と人種の平等を目指したのである。

日本は満洲統治にあたり、つぎの三項目を基本として掲げている。
一 悪い軍閥や官使の腐敗を廃し、東洋古来の王道主義による民族協和の理想郷を作り上げることを建国の精神とし、資源の開発が一部の階級に独占される弊を除き、多くの人々が餘慶をうけられるようにする。
二 門戸開放、機会均等の精神で広く世界に資本をもとめ、諸国の技術経験を適切有効に利用する。
三 自給自足を目指す。

日本は、この理想を実現するために、満州国建設に伴う産業開発五カ年計画を策定し、当時のカネで四十八億円という途方もない資金を満洲に提供している。
そして大豆、小麦といった農産物に加えて、鉄、石炭、電力、液体燃料、自動車、飛行機などの産業を育成したのである。

さらに日本は、満州における人材教育に力を注いでる。
なぜなら、満州経済の発展のためには、人材の育成が不可欠だからである。
約束を守り、時間を守るという、いわば「あたりまえのこと」があたりまえにでき、人々が創意工夫をし、公に奉仕する精神がなければ、経済の発展などありえない。

いまの日本の真逆である。
日本経済が衰退するのも道理である。

満州では、農業、産業、教育の振興と都市部の発展にあわせて、満鉄の路線の総延長が、昭和十四(1939)年には、なんと一万キロメートルを超え、バス路線は二万五千キロメートルに及ぶものとなった。満州航空輸送会社による国内航空路も、網の目のように張り廻らされたのである。
こうして満洲は、世界有数の経済大国として成長していったのである。

しかし日本が満州に施したこと、これはChinaから満州までの広大な大地の植民地支配を狙う米英からすれば「余計なこと」である。
なぜなら、たとえば英国は満州から大豆を大量に輸入している。
ならば満州を自国の支配地に置けば、すなわち完全自由貿易状態、TPP状態に置けば、そこで生まれる利益は、すべて自国のものとなる。

しかも植民地ならば、有色人種に給料を支払う必要もない。
そうなれば人件費コストは下がり、儲けは倍加する。
同様に、その時点でいまだ大陸内に支配地を持たない米国にしてみれば、満州を支配することは、そこで生産される大豆やトウモロコシ、小麦の栽培で、世界の食卓を支配できるのである。
当時の米国は、フィリピンや太平洋の島々を植民地にしていたが、そうした島々では、広大な地所を必要とする農場の経営はできない。

貧乏人には誰も振り向かないが、儲けて金を持っている人物のところには人が集まる。
中にはそれを奪おうとする者たちも現れる。
人も国も同じである。

満洲が豊かになると、ここに欧米が垂涎を流し出している。
満州国は民度が高く産業も発達している。
ここを植民地として奪えば、奪った国は繁栄が約束されるのである。

同時に満洲には、前々からロシアが南下圧力をかけている。
このことは日本にとって脅威であるだけでなく、China中南部を実質的な支配下に置いていた米英にとっても、同じく脅威であった。
ロシアに巣食うコミンテルンは、平気で治安を乱し人を殺すからである。

さらにいえば、当時まだ新興国であった米国にとっては、とにかくアジアの大陸中に植民地がほしい。
いまでは米国は、自国で大豆やトウモロコシや小麦を作っているが、広大な大地が広がる黄色人種の国家を植民地にすれば、なにも自分たちで汗水働らかなくてもカラードを使役し、彼らの土地で農作物を作らせればよいのである。

実際目の前には、満州の荒れ地が、見事なまでの農地となって広がっている。
荒れ果てた大地が、見事なまでの緑豊かな豊穣の土地になっているのである。

しかも大豆は、もともとは亜熱帯性である。
ならばこれを満州ではなく、Chinaで作らせれば、収穫高は、北のはずれの満州どころの話ではない。
市場はすでに日本がヨーロッパで作っているのである。
ジョンウエインさながら、銃を持って奪えば、人類の原罪とされる労働をしなくても、腹いっぱい飯が食えて、贅沢三昧できる。

そこで行われたこのとのひとつがABCD包囲網である。
満洲経済の根幹が大豆であることはここまでに述べた通りだが、満洲はもともと土壌が酸性である。

大豆の栽培は、土壌がアルカリ性である必要がある。
酸性の大地をアルカリに改良するために大量のリンが必要だったのである。
そのリンを、当時の満洲は米国から輸入していたのである。
米国はこれを一方的に打ち切った。

大豆は満洲経済の根幹である。
リンがなければ大豆が育たない。
満洲経済は基盤を失う。

同時にこのことは日本人の食卓にも重大な影響を与える。
日本人は大豆を味噌汁や醤油、豆腐などで、主食並みに消費する。
陸海軍の糧食も同じである。

満州大豆で腹をうるおしていた日本人にとって、米国のリン輸出規制はまさに一大事となったのである。
日本が大東亜戦争の開戦に踏み切らざるを得なかった理由のひとつに、満州におけるリンの輸出規制というファクターがあったことを忘れてはならない。

だが、China大陸から満州の大地に手を伸ばし、そこを植民地支配しようとする米英の目論見は、大東亜戦争における日本軍の奮戦によって潰えた。
植民地支配によって働かずに食おうとした米英は、結局は日本と戦って多くの人命を犠牲にしただけでなく、植民地をことごとく手放すことにもなったのである。

彼らはよほどくやしかったのであろうか。
米国はGHQを日本に派遣するや否や、日本が満州や本国で研究していた農作物や新種の種などをこぞって米国に持ち帰っている。
そしてこれを米国内の広大な農地で栽培した。

これらは荒れ地に強い農作物である。
結果として米国は、世界最大の農業国家となる。
それだけでなく、負けた日本には、農業政策に戦後も細々と干渉し続け、結果として小麦も大豆も今では日本の農家がいくら生産しても儲からないような仕組みとなっている。

おかげでかつては日本中いたるところで見られた麦畑や大豆畑は、昨今ではほとんど見かけることがない。
日本は国内で年間四三四万トンの大豆を消費するが、このうち四二〇万トンを輸入に頼っているのである。
いまや日本は世界第三位の大豆輸入国である。

大豆を、暗い所で発芽させるとモヤシである。
未熟大豆を枝ごと収穫して茹でたら、ビールのつまみの枝豆である。
完熟大豆を搾ると、大豆油(サラダ油)ができ、煎って粉にしたものが、きな粉である。
蒸して発酵させると味噌、醤油、納豆菌で発酵させたものが納豆、になる。
熟した大豆を搾れば豆乳、その残りカスがおから、豆乳を温めてできる表面の膜が湯葉(ゆば)、これににがりを入れて固めたものが豆腐である。
豆腐を揚げると厚揚げ、焼けば焼き豆腐、茹でれば湯豆腐、凍らせれば高野豆腐ができあがる。

今日、我々日本人が大豆を、これだけ様々な形で加工して食しているのは、それだけ大豆が日本人にとって古くてなじみの深い食品であることを示している。
悪いけれどここまで多種多様に大豆に工夫を凝らして食しているのは日本だけである。

ビールを飲みながら、もやし炒めを食べながら、納豆ごはんを食べながら、豆腐をつつきながら、是非、ご友人やご家族の方々に、大豆と満州のお話をしていただけたらと思う次第である。

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コメント

ポッポ

No title
満州建国後の開発は、素晴らしいのひと言です。
満州族が中国に侵略したとき、耕地を潰して放牧場にしてしまえと言ったのを、何かの本で読んだことがありましたが(幸か不幸か、実施せず。)、日本人は荒れ地を耕作地に変えて、産業にするのです。

ところで、満州族は満州から中国に進出して、清国を建国し、統治しました。
元々、満州族の土地は万里の長城から北側で、満州と清国の境界は、万里の長城でした。満州族と清の支配者は同じですから、時代を遡ると明国と満州族の境界でもあります。
次に、清国が倒れ満州国が建国されたとき、国境はやはり万里の長城ではなかったでしょうか?
今、地図を見ますと万里の長城は、中国の真ん中を突っ切っています。
言い換えると、元の国境が国の真ん中にあるわけです。

中国は満州国を認めず、正当な国家であった満州を不当にも偽満と称しています。そしてこれを隠蔽するため、満州を東北地方などと呼んでいます。しかしながら実態は、国家の発足時、既に国の半分が、侵略して得た土地なのです。(その土地には、満州国建国からの耕作地や工場がありました。)
その後に、ウイグルそしてチベットを侵略して自治区としました。
そして現在は、南沙諸島や尖閣諸島を我がものにしようと企てています。中国はこれまでも、現在も覇権帝国主義国家です。

暑くて寝れん

今井さん
先ほど昭和43年に発行された南の島紹介本を読んでたら、メラネシアの紹介文の中に「メラネシアには日本軍が大勢派兵されたが、混血児が実に一人も居ない。 今井将軍の指導が徹底されていたお蔭もあるだろうが、もしこれが美人の多いポリネシアだったらどうだったろう?」・・と書いてありましたww 一人も居なかったというのは凄いですね。 日本以外の軍隊ではあり得ない。 禁欲過ぎて逆に心配になる位です。
今井さんの名が出ていたのでついコメントしちゃいました(笑)

-

Amazonで話題ってよりも、宣伝活動をしてるように感じますが
孫崎亨さんの新刊です

この方は、旧満州国で生まれた方なんですね
元外務省って所にも引っ掛かりがあります。
日本の神や天皇にも、話が及んでるとの事ですから
どこまでか、
天木さんのメルマガでも感じましたが
尖閣諸島は、棚上げにしろ。みたいな事がメルマガに書いてありましたし
近頃、気がついたのがアメリカ批判ばかりで
中国や韓国の批判は、殆ど有りません

慰安婦への、早期解決をしない野田総理の批判はありましたよ。

問題は、小沢議員のブレーンだと言う事と
外務省の人は、殆ど中国様なのですかね?
外務省なりの、方針はあると思いますが
偏りは、疑えです(笑)

ここまで、中国や、韓国マアセンだと
普通じゃないって思えて来るんです

余計なコメントでしたら
申し訳なく思います

-

http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/120707/edc12070702070000-s.htm

こちらを見て頂きたいのですが
慰安婦の本が推薦図書ですから
ふざけてます。

やはり、日本の敵は日本人の中に隠れている
もう、日本人の資格なし。

しょうちゃんのつぶやき

雑感!カナダのホテルで日章旗の出迎え!!!
 息子がアメリカに出向している関係でアメリカ・カナダを8日間で旅してきました。ツアーと異なり夫婦の二人旅でトラブル続きの8日間でした。
 この旅での一番の感動はカナダのホテルに到着した時に壁に大きな日章旗で私を始めとする宿泊する日本人を歓迎してくれたことです。

 何かと不安な異国に到着して、心臓がドキドキしている時に私たちはあなたの友人です。安心して旅してくださいとの強いメッセージです。とても感激しました。僕たちを歓迎して迎えてくれる皆さんの国で少し遊ばせてもらいますという感じになりました。

 相手国を迎える最高のウェルカム・メッセージが国旗であるのかも知れません。外国で日の丸の歓迎を受けてこの国とはパートナーになりうるなと単純に感じた次第。 

 近隣の諸国でデモの都度日章旗を燃やす風景に出会いますがどんなに相手が嫌であってもその国の国旗を燃やす行為は国交断絶も辞さない覚悟での行為だと感じました。

 参考までにこのホテルはハイアット・リージェンシーホテルです。帰りにつたない英語で日章旗を飾って歓迎してくれてありがとう。感激しましたと伝えると恥ずかしそうな顔でユーアー・ウェルカムと返事していただきました。

愛信

呼び掛けられる在日中国人の「団結」―人口パワーで日本を変える気だ
呼び掛けられる在日中国人の「団結」―人口パワーで日本を変える気だ
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/cscom.cgi

■外国人研修制度の「改善」を求める中国人
■「地位」獲得のため日本社会を変えろ
中華民族の勤労・勤勉・忍耐等の優秀な品格を受け継ぐ中国人研修生は、その手と頭を用い、
日本社会の経済発展(特に震災後の復興)に貢献しなければならない」という。
■危ないのは日本の子供たちの未来だ
答えは簡単だ。当時これら在日中国人メディアは、そもそも中共政権のために参政権
獲得を訴える論陣を張っていたのである。 その影響力を日本に大きく及ぼそうとの国家戦略
の尖兵としてだ。 だから今日のように、日本国内での外国人参政権をめぐる議論が下火と
なると、そうしたキャンペーンも影を潜めたかに見えるが、しかし今回のように在日中国人の
「数」を頼んだ「団結」だけは、相も変わらず訴え続けるわけである。
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
検索条件:研修 【検索結果】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/cscom.cgi

ps:
前総理の韓直人が強行した太陽光発電等の電力を41円の高額で買取る法案を撤回廃案にしよう。
http://www.aixin.jp/ysksh.cgi

文部官僚が天下り先を確保するための制度 血税で工作員を養成
http://kafuka36.blog104.fc2.com/blog-entry-658.html

原発破壊はテロ

慰安婦問題の解決策
捏造慰安婦像・広告等の問題ですが、これに対抗して、世界中の人間に真実を教える手っ取り早い方法は、《コリアンの捏造ー高給取り売春婦がなぜ被害者ぶる?ー》と題して、あの有名な当時の新聞の求人広告を原本と英訳で貼り付け一枚のビラにして(A4程度)配ってやればよい。これを世界中でやられたら、間違いなく韓国、売春婆どもは 終わり
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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