航空戦艦伊勢と日向の物語



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航空戦艦伊勢


このお話は、宇宙戦艦ヤマト好きな方なら、絶対に興奮しそうな実話です。
実は、上にある絵は、上田毅八郎画伯の描いた「航空戦艦伊勢」です。
実際にあった船です。

絵を見ると、前部が戦艦で、後部が空母になっています。
ちょっと奇妙です。

これが日本だけが保持した「航空戦艦」です。

この船は、同型で、二隻作られました。
それが「伊勢」と「日向」です。
名前は、日本神話を司る伊勢神宮と、日本神話発祥の地である「日向」からとられました。

二隻は、大東亜戦争開戦当初は、「実戦で使い物にならない船」として、練習艦として使われていました。
ところが、その「実戦で使い物にならない」二隻が、

戦争を最後まで戦いきり、
大量の敵機を撃墜し、
激戦のさ中にエンジンを停止して日本の誇る軍艦の乗員を救助するという快挙をやってのけ、
日本最後の航空燃料を持ち帰り、
そして日本海軍最後の主砲発射をし、
満身創痍となって、沈黙しました。

もともとこの二隻は、航空戦艦として計画された船ではありません。
最初は扶桑型の大型戦艦として計画されていました。

扶桑型大型戦艦は、一番艦「扶桑」、二番艦「山城」、三番艦「伊勢」、四番艦「日向」の四隻で、大正二(1913)年に建艦が計画されました。

ところが実際の建艦は、当初、一番艦の「扶桑」の建艦にはいったところで、残る三隻は、建艦が無期延期になってしまいます。
国会から、財政上の理由で待ったがかかったのです。

戦艦の建造は、莫大なお金がかかります。
目先の国の財政を考えれば、真っ青になる者が表れても仕方がなかったかもしれません。

ところがこの「財政上の理由で戦艦の建造を停止」したことが、後々、ものすごく大きな問題を引き起こし、国家の財政はおろか、国家経済そのもの破壊し、さらに国土を焼土にし、多くの日本人の生命と財産を失わせるきっかけになりました。
ちょっと脱線しますが、このことについて、先に述べておきます。

国家における政府の最大の役割は、国民の生命と財産を守ることです。
ときに国家は、国民の生命と財産を守るために、無理を承知の財政出動をしなければならないときもある。
それが「政治」というものです。

少し時代を振り返ります。
明治から大正にかけては、まだ航空戦力の時代は到来していません。
巨大かつ頑強な装甲を施して、大口径の砲塔を据え付けた巨大戦艦が、世界の海を制することができた時代です。
まさに「大鑑巨砲が正義を守る」時代だったのです。

そしてこの時代は、世界を「力」が支配した時代でもあります。
「力」を持つ欧米列強は、「力」を持たない黄色人種や黒人を支配し収奪し、国家ごと植民地として支配下に置きました。
それが当たり前であり、それが世界のごく一般的な常識だったのです。

ただし、その「力」によって支配をされた側には「人権」はありません。
殺されても収奪されても文句をいうことはできない。
そして植民地から奪うことが、欧米列強の「富」の源泉であり、彼らの「力」をますます強大なものとしていたのです。

そんな中で、明治維新後、開国して国力を増した日本は、清国を破り、明治三十八(1905)年には、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を撃破し、黄色人種としては唯一、世界の三大強国の仲間入りをすることになりました。

世界の三大強国、それは「日、英、米」の三カ国です。
そして日本は、有色人種唯一の、白人支配に対抗できる強国として、世界の期待を一身に担う国家となりました。

実際には、日露戦争は辛勝です。戦争に勝利したとはいってもロシアからの賠償金はもらえず、国家財政は極めて厳しい状況に置かれています。けれど白人支配に苦しめられている国々からみたら、日本は、まさに夢のような武士の国であったわけです。

しかもその日本は、世界最強の植民地国家である大英帝国と同盟関係にありました。
つまり、世界から見れば、世界第一位の強国と、それに並ぶ第二位の強国が、東西でガッチリと同盟関係を結ぶ関係にあったわけです。
これは、のちのちの世でいえば、全盛期のソ連と冷戦時代のアメリカが、同盟国となったようなもので、この同盟に勝てる国は、世界広しといえども、どこにもない。

日英同盟が締結されたのは明治35(1902)年、失効となったのが大正12(1923)年ですが、実はこの間の21年間、日本は世界中で大歓待を受けています。
いまでも、たとえばペルーやアフリカ、インドなどの港町に行くと、昔の日本人の伝説がたくさん残っています。

私のもといた会社の専務は、もともとは貨物船乗りだった方(もう高齢で80代になられます)ですが、貨物船に乗って世界の港町に行くと、当時、日本人はたいへんな歓迎を受けたという話をよくしてくださいました。

ある日、現地の女性と一夜をともにしたのですが、無料(タダ)でいいというのだそうです。
なぜかというと、祖母の代から「日本人がきたら、あんたのできる最高のサービスをしてやってくれ」と言われて育ったのだという。

どういうことかと聞いたら、昔、おばあちゃんが若かったころ、港にはいつも白人の大男の船員たちがやってきて、酒を飲み、現地の女性たちに乱暴を働いていた。
何をされても力関係で文句を言えない。そんなことが「あたりまえ」だった時代に、あるとき、日本人の乗る船がやってきた。

小柄な日本人のその水兵さんたちは、港に上陸し、盛り場にもやってきた。
ちょうどそのとき、ある白人の毛むくじゃらの大男が、盛り場で大暴れをし、若かったおばあちゃんに乱暴を働こうとした。

誰も止める者なんてありはしない。
殴られて顔中腫らすことになると覚悟したとき、日本人の水兵さんが、「やめろ!」とその大男を制止した。

見れば、白人の大男と、日本人の水兵さんは、体の大きさは大人と小学生くらいの違いがある。
「やめて!その人を巻き込まないで」と必死に哀願するのだけれど、興奮した白人の大男は、相手を小柄な日本人とみて、馬鹿にしてかかり、いきなりパンチを日本人に浴びせようとした。

ところが、その一瞬、信じられないことが起こった。
パンチを繰り出し、日本人の水平さんが吹っ飛ばされると思った、その瞬間、大男の白人が宙を舞い、床に叩き付けられてしまった。

そうして喧嘩を制した日本人水兵さんは、私達地元の女性たちにもとてもやさしく、紳士的に接してくれた。
以来、「日本人が来たらいいつけてやる」というだけで、白人の暴れ者たちが大人しくなった。

だから、日本人がきたら、その感謝の気持ちをずっとずっと伝え続けて欲しい。
そんなことを言われていたのだそうです。

大男の酔っぱらいの大振りのパンチです。
剣道、それも木刀を使った練習で、鋭く打ち込まれる切っ先を紙一重でかわす訓練を積んだ日本人の兵隊さんには、彼らのパンチは丸見えだったことでしょう。
投げ飛ばしたのは柔道の技です。

常なら、こうした理不尽であっても、国と国との力関係で、白人を投げ飛ばした有色人種(カラード)は、たとえどのような理由があれ、カラードが悪いとされ、逮捕投獄されるか、あるいは殺されていたのです。
ところが当時の日本は、世界最強の軍事力を持つ国家であり、しかも同じく世界最強の大英帝国と同盟関係がある。
日本と争うことは、世界の強国二国を敵に回すことであり、是は是、非は非として筋を通さなければ、理不尽は許されない。
そういう状況にあったのです。

ですからこうして世界中の港町で、日本人は、大歓迎を受けたし、日本人のモラルの高さは世界が絶賛するものでもありました。
私の元専務のお話は、そんな日本人に関する史実、あるいは伝説が、昭和40年代にも、まだまだ世界に通じていたということをあらわしています。
それだけ日本は、世界から「強い国」「正義の国」とみなされていたわけです。

ところが、日英同盟の締結後、ちょっとした「大きな変化」が起こりました。
それが、明治三十九(1906)年の、大英帝国による戦艦「ドレッドノート」の就役です。

この船は、世界初の蒸気タービンエンジンを搭載し、巨大戦艦でありながら、超高速走行が可能、しかも装甲は厚く、敵のどんな大砲の弾もはじき返す。
さらに世界一の巨大主砲を装備し、この主砲は、世界のどの戦艦の最強装甲でさえも打ち破るというシロモノです。

ドレットノートは、たった一隻で、他国の大型戦艦二隻分の戦力を有し、たった一隻で、世界中のどの艦隊と勝負しても勝ち抜けるだけの戦力を保持しているというまさに、破格のバケモノ戦艦だったのです。

そんなバケモノ戦艦を英国が開発し、就航させたのです。
世界最強の女王戦艦が就航したら、世界は英国にひれ伏さなければならなくなります。
なぜなら「トレッドノート」一隻が来るだけで、他の国々の艦隊は、ひたすら逃げまくらなければならなくなるからです。

こうなると日本も、軍事バランス上、強大な力を持つ戦艦を建造せざるを得なくなります。
なぜなら、日英の軍事バランスがくずれれば、日英関係は「同盟」関係でなく、「主従」関係に化けてしまうからです。

世界は「力が正義」です。
「理屈が正義」ではないし、弱い者は、どんなに理論的に正しいことを言ったとしても、「力」の前に屈服せざるを得ないのが現実です。

ですから世界は、「トレッドノート」の就役にともなって、未曽有の巨大戦艦建造ラッシュに突入しました。
日本ももちろんそうだったし、米国ももちろん同様です。

さてここで問題なのが、米国の立ち位置です。
米国は新興国です。
アメリカ合衆国が建国されたのは十八世紀のことですが、南北が統一されて統一国家となったのは、ちょうど日本の明治維新の頃のことです。

米国は、明治三十一(1898)年にスペインとの米西戦争に勝利して、ようやくグアム、フィリピン、プエルトリコという植民地を手にし、明治三十二(1899)年にフィリピンに戦争をしかけてフィリピン独立を鎮圧して米国支配下に置き、さらに明治三十三(1900)年に、義和団事件の平定のためにと称して、ようやく清国に派兵しています。

要するに当時の米国は、まさに米西戦争や米比戦争、あるいは義和団事件をきっかけにして、東亜の植民地支配に、王手をかけつつあったわけです。

当然、太平洋を渡って他国を支配するのですから、強大な海軍力が必要です。
そして同時に、そうした米国の東亜進出にあたって、最大の障害が、武士の国、日本だったわけです。
ところが間の悪いことに、その日本は、世界最大の強国である大英帝国と同盟関係にあります。

この時点で米国が日本に喧嘩を売れば、同盟関係にある英国とも一戦交えなければなりません。

実家が英国にあるという人々が多い米国において、そんなことは世論が許さないし、そもそも軍事的には英国や日本と同じだけの軍事力を持ったとしても、(英1+日1)対、米1、つまり、2対1です。
勝ち目はない。

したがって当時の米国は、日本に手出しをすることはできず、また日本に遠慮をしながらでなければ、東亜における植民地支配地の拡大はできない、という情況にあったのです。

ただし、日本が弱国となれば、話は別です。
日英同盟が破棄され、日本が弱国化すれば、米国は、築き上げた太平洋艦隊を駆使して、東亜を好きなように侵略し、分捕ることができるようになる。

そういう時代背景の中で、一方で英国が「トレッドノート」を就航させ、一方で日本が国際経験に不勉強な外交オンチの政治家によって、新型戦艦の建造を停止したのです。

あとで詳述するけれど、結果として戦艦の建造は行っています。これは海軍からの相当なクレームで、ようやく予算がとれたからです。

けれど、相当予算をケチられた結果、少ない予算で無理やり強力戦艦を作ろうとした結果、設計に無理が出てしまった。
結果、新造の戦艦は、実戦で「使い物にならない」ツマラナイ船になってしまったのです。
艦船がツマラナイ船となることで何が起こったのかというと、軍事バランスが崩れたのです。

このチャンスをほっておいてくれるほど、世界は甘くはありません。

日本おそるに足らずと見た米国は、大正十一(1922)年に、米国の首都ワシントンで軍縮会議開催を呼びかけました。
そして、日、英、米の保有艦の総排水比率を、三:五:五と決めてしまいます。

しかもこの会議に出席した日本政府の代表は、これで軍事予算を軽減できて財政が潤った、世界が軍縮に向かって、良かったよかった、と小躍りして喜んでいます。
さらにこの代表団、なんと、陛下の勅許さえ得ないで独断でこれを決めてきてしまったのです。

これは幕末に井伊直弼が、天皇の勅許を待たずに独断で日米和親条約を締結し、その結果、日本の金(gold)が大量に米国に流出し、日本から金(gold)がなくなってしまったのと同じです。
とかく日本という国は、政府が陛下を軽んじると、ろくなことが起らない。

日本国内では、政府の勝手なワシントン条約批准に、これは陛下の統帥権を干犯した大問題である、との抗議運動が起こって内政は大混乱します。

そして翌年八月には日英同盟が失効する。
継続はありません。
変わって米英が同盟国となったからです。

つまり、世界の三強国(日、英、米)は、それまでの、
(日5+英5)対、米5
という関係が崩れ、一夜にして、
日3 対 英米10(英5+米5)
という、状態になったのです。

つまり「軍事バランスが変わった」のです。
米英の10に対し、日本3です。
勝ち目はありません。

それまでの米英日の軍事バランスは、これで完全に崩れ去ったのです。
そして日本は一夜にして「軍事弱国」になってしまった。

こうなると、あとは日本の力を削ぐだけです。
米国は、日本の行うありとあらゆる国際政策に対し、なんだかんだと難癖をつけるようになりました。
ちょうど、昨今、民主党が日米関係に亀裂を入れたとたんに、中共や韓国が日本に対して露骨な侵犯行為をするようになってきたのと同様です。

そしてついに米国は、Chinaにいる不良武装集団である蒋介石の軍閥に裏から武器弾薬や糧食を渡し、国際連盟の要求によって国際平和維持部隊(いまでいうPKO)としてChina大陸にいる日本人を殺害したり、拉致したり、日本人婦女を強姦したりと、あくどい戦争挑発行為を行いはじめたのです。

そしてついには、日本に対してハルノートを突き付け、日本が戦争に踏み切らざるを得ないところまで追い込んでいます。

要するに、日本がChina事変や大東亜戦争に向かわざるを得なくなったその遠因を手繰り寄せれば、それは、英国が「トレッドノート」を建艦し、日本が扶桑級四隻の軍艦建造を「財政上の理由」から「渋った」ことが、遠因である、ということです。

国際情勢の中で、やるべきときにはやらなければならないと、いかに財政上の苦労があろうが、軍事バランスを常に「強者」に置いておく努力がなければ、国家は他国に軽んじられ、追いつめられる。
このことは、歴史の教訓として、私達は常に頭に入れておかなければならないことです。

もうすこし述べます。
そもそも軍隊というものは、戦争をするためのものではありません。
「戦争を未然に防ぐ」のが、最大の役割です。

そこを間違えると、財政上の理由でケチった何百倍ものツケを払うことになり、国の経済は傾き、国民の生命や財産を危険にさらすどころか、何もかも失うハメになる。
その原因を作ったのが、大正二年の、「国民の生活が第一」と民生重視をうたい、軍艦建造反対を行なった日本の国会でした。

さて、その予算に待ったをかけられたのが、扶桑級大型戦艦の「扶桑」、「山城」、「伊勢」、「日向」の四艦です。
この四艦は、計画段階で予算に待ったがかけられ、ようやく大正二(1913)年に「扶桑」、大正三年に「山城」が建造開始となります。

ところが、世界最強クラスの戦艦を建造しなければならないという海軍の要求に対し、予算はついたものの、大幅な圧縮予算です。
いざできあがってみると、一番艦「扶桑」、二番艦「山城」とも、なんと主砲を打つと機関が壊れるという重大な問題を引き起こしてしまう。
要するに、予算をケチられた状態で、無理な装備を施した結果、設計そのものにひずみが出てしまったのです。

これでは戦艦の体をなしません。
やむをえず「扶桑級」戦艦としての建造はあきらめ、あらためて「伊勢級」戦艦として、着工開始になったのが、「伊勢」と「日向」です。

しかし、刻々と動いている世界情勢の中で、あらためて一から設計しなおすだけの時間的余裕は、日本海軍にはありません。
そこで「若干の改良型」として、「伊勢」は大正六(1917)年、「日向」は大正七(1918)年にそれぞれ就役します。

大正から昭和のはじめにかけて、「伊勢」と「日向」の姉妹は、徹底的に船体の改良をされました。
さらに昭和九(1934)年には、緊迫する世界情勢の中で、伊勢と日向の姉妹は大改装を施されます。
少ない予算の中で、なんとかして艦の性能をあげるように工夫と努力が積み重ねられたのです。

まず第一に、艦の主砲の最大仰角が四十五度に引き上げられました。
当時の主砲というのは、仰角が上がれば上がるほど、砲弾が遠くに飛ぶようになります。
そのかわり命中率が下がる。
それを「伊勢」と「日向」は、砲台の仰角としては最大の四十五度という、限界仰角にまで引き上げたのです。

もともとは、最大仰角二十五度で設計された船です。
それを一気に引き上げ、さらに砲弾の命中率さえも向上させています。
これによって姉妹の射程距離は、なんと三万三千メートルにまで伸び、なんと三十三キロ先の目標に向かって正確に着弾させることができるようになったのです。

次に装甲が格段に強化されました。
これで、少々の魚雷にあたっても、船はビクともしなくなる。

さらに新型タービンエンジンを搭載しました。
最高速度は二十五・三ノットまで引き上げられます。(それでもまだ世界の標準艦には追い付かない)

そして新型の対空機銃や高角砲によって、対空防御力が格段に向上、さらに光学機器や新型測機器、レーダー、無線まで装備されたのです。

けれど、それでもやはり速力が遅いことは、機動部隊の艦としては致命的です。
やはりどうしても三十ノットはほしい。

結局「伊勢」も「日向」も、これだけの大改造を施されながら、大東亜戦争の初期には低性能艦であるとして実戦配備されませんでした。
あくまで「練習艦」としてだけ使用されることになったのです。
一生懸命お化粧したのに「使えない奴だ」と相手にされなかったのです。

ところがそんな姉妹に、実戦投入の命令が来たのが、昭和十七(1942)年六月のミッドウエー海戦でした。
初の実戦配備です。
「伊勢」も「日向」も、猛烈な訓練の毎日が続きます。
待ちに待った実戦配備です。
その訓練のときの嬉しそうな伊勢と日向の姉妹の様子がまるで目に浮かぶようです。

そんな折に、重大事件が起こります。
昭和十七(1942)年五月五日、愛媛県沖で主砲の発射訓練を行っていた「日向」の、艦尾五番砲塔が突然大爆発を起こしてしまったのです。
砲塔部が吹っ飛び、乗員五十四名が一瞬にして亡くなってしまった。

やむなく緊急でドック入りした「日向」は、砲塔部をそっくり外し、その穴を鉄板で塞いで、上に二五ミリ四連装機銃を突貫工事で装備しています。

せっかく高性能な主砲を取り付けてあったのに、これを外して機銃装備になった。
そんな状態で、「日向」はミッドウェー作戦に参加しました。
なぜなら「伊勢」と「日向」の姉妹には、試作品とはいえ、他艦にはないレーダーが装備されていたからです。

ところが姉妹の持つレーダーもまったく活かされないまま、ミッドウエー海戦で日本は大敗してしまいます。そして日本は、大切な空母を失う。

失われた空母力を補うため、日本は、急きょ間に合わせでも構わないから、空母を用意する必要に迫られます。
商船や、水上機母艦など、ありとあらゆる船を空母に改造することが検討されますが、どれも帯に短したすきに長しです。

で、結局、建造中の大和型戦艦の三番艦である「信濃」を空母に改装すること、および、事故で後ろ甲板を損傷して鉄板でふさいでいる「日向」、同型の「伊勢」を航空戦艦に改造することが決定されます。

ところがもともと戦艦として設計された「伊勢」と「日向」には、艦の中央に巨大な司令塔(艦橋)があります。
これを壊して空母に改造するとなると、完成までに一年半はかかってしまう。
それなら、艦の後部だけを空母にしちまえ!とできあがったのが、冒頭の絵にある「航空戦艦」という形だったのです。

「伊勢」は呉の工場で、「日向」は佐世保の工場で、空母にするための大改造を施されました。
ただ、艦の中央に巨大な艦橋があるのです。
空母として航空機の発着陸に必要なだけの十分な滑走路が確保できません。

で、どうしたかというと、まず離陸にはカタパルト(射出機)を使用することにしました。
これなら、長い滑走路が必要ない。

カタパルトは、新型のものを備え付けました。
三十秒間隔で、飛行機を射出できる。
これを二基備え付けました。
これによって、わずか五分十五秒で全機発艦できるというスグレモノとなりました。
これは、当時としては世界最速です。

では着艦はどうするかというと、一緒に航海する空母に着陸させればよい、ということになりました。
といって、空母側だって艦載機を満載しているわけです。
そこに「伊勢」「日向」から発進した飛行機が着陸してきたら、もといた空母の飛行機が着陸するスペースがない。
どういうことかというと、「出撃後に墜とされるから艦載機の数が減る」という、いささか乱暴な理屈になった。
ある意味残酷な話ではあるけれど、それは現実的な判断といえます。

さらに航空戦艦への改造と併せて、「伊勢」「日向」には、ミッドウエーの教訓から、対空戦闘能力の徹底強化が施されました。
対空用三連装機銃が、なんと104門も配備されたのです。

これだけではありません。
新開発の十三センチ三十連装の対空ロケット砲も六基装備しました。
各種対空用の射撃指揮装置も増設し、「伊勢」と「日向」は、「超強力防空戦艦」としての機能を身に着けたのです。

こうしてようやく完成した姉妹は、昭和十九(1944)年十月に戦線に復帰することになります。

けれど、いよいよ飛行機を積むということになったとき、艦載機となることを予定していた飛行機が、台湾沖航空戦で全機損耗してしまいます。
結果、「伊勢」と「日向」は、半分空母の半分戦艦という姿でありながら、艦載機を持たないという、なんとも情けない姿で、同月二十四日のレイテ海戦に、小沢中将率いる第三艦隊の一員として参加します。

この日フィリピン沖で、米軍のハルゼー提督率いる艦隊は、日本海軍殲滅のため、なんと五百二十七機もの大飛行編隊を繰り出しました。
これはものすごい数です。

数人の仲間と過ごしているところに、五百二十七の蠅が襲って来た様子を想像してみてください。そらおそろしい状態となったことがおわかりになると思います。
この戦いで、小沢艦隊は、空母四隻を失う大損害を被ります。

けれど・・・けれどです。
その猛烈な戦いの中で、ついこの間まで練習艦としてしかみなされず、使い物にならなないと相手にされなかった「伊勢」と「日向」が、目を見張る大活躍をしたのです。

二人の姉妹は果敢に対空線を挑み、両者あわせて百機近い敵機を撃墜してしまう。
しかも二人とも、これだけの奮戦をしていながら、二人ともほとんど無傷です。

「伊勢」に至っては、群がる敵機との戦闘の最中に、自艦のエンジンを停止させて、被弾して沈没した旗艦「瑞鶴」の乗員を救助するという離れ業までこなしています。

戦闘中にエンジンを停止するということは、艦が停まる、ということです。
停まっている船は、爆撃機から投下される爆弾を避けることができません。
ですから敵爆撃機との戦闘中にエンジンを停止するなど、まさに暴挙としか言いようがないのです。

ところが「伊勢」は、強力な対空砲火で敵爆撃機を近寄らせず、戦艦設計の強力な装甲は敵弾を跳ね返し、群がる敵機を片端からはたき落しながら、「瑞鶴」の乗員百名余を、機関を停止したうえで海上から救助してしまったのです。
これは、世界の海軍史に残る偉業とさえいえます。

レイテ沖海戦の結果、日本海軍は完全に制海権を失いました。
日本の戦況はますます厳しさの一途をたどる。

この海戦に生き残った「伊勢」と「日向」は、以後、輸送艦として、主に物資の運搬に用いられます。

航空戦艦を輸送船に使うなど、もったいない話にみえるけれど、当時の状況下では、強固な装甲を持つ戦艦が輸送任務をこなすことが、もっとも安全確実なことだったのです。

「伊勢」「日向」の姉妹は、昭和十九年十一月、シンガポールから航空燃料、ゴム、錫などを内地に運びました。
途中で、何度も米潜水艦に狙われました。
けれども、そこはもともとが戦艦です。
なんどとなく米潜水艦を撃退しつつ、無事に内地にたどり着きました。

そしてこのとき「伊勢」「日向」が持ち帰った航空燃料が、日本が外地から持ち込んだ「最後の航空燃料」だったのです。

沖縄戦における特攻隊や、東京、大阪、名古屋等の大都市への本土空襲に果敢に立ち向かった戦闘機が使用した燃料は、この姉妹が持ち帰った燃料であり、また戦艦大和の最後の出撃のときの燃料も、このとき姉妹が運搬した燃料です。

けれど姉妹は、持ち帰った燃料は他艦や航空隊に提供し、自艦は、自走するための燃料さえもなくなって、呉で動かない海上砲台として使用されることになります。

その動かない砲台となった「伊勢」と「日向」の姉妹に、終戦間近の昭和二十年七月二十八日、米軍機が猛攻撃加えてきました。

姉妹は敵の爆弾を動いて避けることができません。
人間で言ったら木に縛り付けられて動けない状態で、群がる敵と戦ようなものです。

けれど伊勢も日向も、果敢に戦いました。
ついに艦底に大穴を開けられ、艦は大破着底してしまうけれど、それでもまだ戦った。

姉の「伊勢」は、大破着底した状態で対空射撃を終了させたけれど、群がる敵機に向かって、主砲をドンと放ちました。
戦艦主砲です。
発射と同時に起こる巨大な風圧で、操縦不能に陥った敵機がパラパラと墜ちた。

そしてこの砲撃が、日本海軍の戦艦が放った最後の主砲発射です。

航空戦艦伊勢の最後
航空戦艦伊勢の最後


冒頭にも書きましたが、「伊勢」と「日向」の名前は、ともに日本神話ゆかりの名前です。
「日向」は、神話発祥の地、天孫降臨の地です。
神々の子孫である歴代天皇が祀られているのが「伊勢」です。

そして日本神話というのは、神々の成長の物語でもあります。
いってみれば、できそこないの船としてできあがってしまった「伊勢」と「日向」の姉妹は、いろいろな事件を経て、航空戦艦というものすごい兵器に生まれ変わりました。
そして、日本海軍華やかりし頃には、使い物にならない船として、練習艦にしかされなかった。

その二隻の姉妹が、ミッドウエーの敗戦後、戦況厳しくなった折、誰よりも活躍し、最後の最後まで抵抗する要の船となり、そして最後まで抵抗して、日本海軍最後の主砲を放ち、沈黙した。まるで日本神話の物語そのものを見ているような姉妹の生涯です。

けれど「伊勢」も「日向」も、後世に生きる私たちの目から見て、実に「かっこいい」って思ってしまうのです。

ありがとう!伊勢日向!!
ありがとう!航空戦艦!!

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昨日のことですが、ある方から、在日韓国人のツイートを教わりました。
そこには以下のように書いてあったそうです。

〜〜〜〜〜〜
日本人は、僕らアジア人と戦争の話をできるほど、戦争史に関して知識をもっていません。議論にならない。
だから、慰安婦や諸島の件で丸め込まれる。
知識のなさを突いて、有利な史実を作り上げることができる事実に中、韓、北、ロ、米は気づきました。
知識は救いです。知識は革命です。知識は武器です。
〜〜〜〜〜〜

日本人は「何も知らない」から、いくらでも「ねつ造史観を刷り込むことができる」と言っているのです。

本当の勇気を持って、私達の国を守るため、東洋平和のために勇敢に戦いきってくださった先人達に、いまの日本はあまりに申し訳ないと思います。

みなさん、歴史を取り戻しましょう。
そして日本の再軍備を、なんとしても実現させましょう!!

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この記事は、昨年2月に書いた「航空戦艦伊勢と日向の物語」に、文全体に手直しを加えた再掲です。
再掲したことには理由があります。

昨今、中共や韓国がさかんに日本の領海内に侵入し、政治的軍事的な実効支配行動を起こしています。
そしてその原因は、先般のこのブログにおいて、
(1) 民主党政権が普天間問題で日米関係に亀裂を入れたこと、
(2) それによって日米の軍事的紐帯に亀裂が入り、
(3) 日本が瞬時にして軍事弱国となったこと
にあると申し上げさせていただきました。

戦争は、軍事的空白や軍事的強弱が明確となったとき、すなわち軍事バランスが崩れたときに起こります。
相手が弱いと見れば、攻める。奪う。滅ぼす。
これが世界の軍事の常識だからです。

世界広しといえども、相手が強い、明らかに相手国の方が軍事的優位にあるとわかっていて、国家規模の戦争を挑んだという国は、世界広しといえども、あるいは人類の長い歴史の中でも、ほぼ皆無です。

「ほぼ皆無」と書いたのは、例外的にそれを行なった国が、過去の人類史上に、あったからです。
どこの国かというと、日本です。
客観的にみて、装備も、兵の動員力も、はるかに日本よりも大きな、何倍、何十倍もの軍事力を持った相手に対して、日本は戦いを挑み、これを打ち破り、世界から植民地を一掃しました。

このような例は、あえて言い切ってしまえば、人類史上、皆無の出来事です。
ちょうど今日、7月15日は、靖国神社で「みたままつり」が行なわれていますが、靖国に祀られている英霊たちは、まさに、そうした戦いに赴き、散って行かれた、人類史上希有の勇者たちといえるのです。

このことは、また稿をあらためて書いてみようと思いますが、世界にはたしかに「奪う文化」と「与える文化」があると思うのです。
世界には間違いなく、欲しいものがあれば奪う。他国に豊富な資源があると思えば奪う。美しい女性がいるとみれば強姦し殺害する。
それが「あたりまえ」の文化を持った国々があります。

ところが日本国にも日本人にも、まるでこの感覚はない。
日本人は社会の常識として、奪うことはいけないこと、守ること、さらには与えることこそが人生における価値あることと考えます。
いや考えるどころか、他の選択そのものが存在しない。

ところが、世界ではこれは「非常識」です。
なぜなら、国際政治においては、あるいは文化文明の常識として、自らの繁栄のためには、他から「奪う」のがあたりまえ、という国、あるいは人々が確かに存在するからです。

奪う文化と与える文化は、互いに衝突します。
これが文明の衝突と呼ばれるものです。
衝突した文化は、互いに相手が滅ぶまで、その対立は続いてしまう。

そしてその対立が、「戦争」という惨劇となるとき、そこにはある種のタイミングがあります。
それが、「軍事バランスが崩れたとき」です。

先の大東亜戦争やChina事変にしても、「なぜ戦争せざるをえなくなったのか」を紐解いてみると、まさに「軍事バランス」の問題が出てくるのです。

「航空戦艦伊勢と日向の物語」は、こうした戦争に至った原因、きっかけとなるものを日本の近代史の中からあぶり出しながら、勇気をもって戦い抜いた戦艦を主人公にした実話です。


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コメント

一寸坊主

No title
これまで「伊勢」と「日向」には大した関心をもっておりませんでしたが、今回のエッセイを拝読して、2隻の姉妹艦の数奇な運命とそれをもたらした当時の世相背景に驚き、感じ入るものがありました。
当時は言わずもがなですが、軍事力こそ国家の実力であることは現代でも変わりません。日本が戦後70有余年の間に虐げられ続け、国家としてどのような変異体に変わり果てたかを顧みますと、その無念さは今更ながら臓腑を抉られるほどです。しかし、いま日本人はようやく覚醒して、日本を取り戻すための反転攻勢の最中にあるとも感じています。多くの日本人の方々に、ねずブログをたくさん読んでいただき、共に闘って戴きたいと思います。

幸雄

No title
日英同盟が継続できなかったのはそこに原因があったのですか?
防衛は最大の福祉、そこに気がつかれたのは達見だと思いました。勉強になりました。ありがとうございました。

ikeda

No title
70歳にして初めて知りました。伊勢、日向の事を。
もっと以前に知っていたらと、今更ながら悔やまれます。

佐竹 次郎

No title
輸送船の墓場と言われたバーシ―海峡に伊勢と日向を派遣していたら、相当な輸送船は助かったと思います。フロート付の飛行機を搭載しているのですから潜水艦に十分対応できたでしょう。海軍は輸送船の護衛をバカにした嫌いがあります。今ではシーレーンの防衛を重視しています。残念なことでした。

-

No title
日本人として日本国民に自尊心が蘇ることを願う。

黄昏のアヲ

昔、両艦ともプラモを作りました
昭和40年代だった当時、「丸」誌なども読んでいましたが、今回のお話はまったく存じませんでした。ありがとうございます!

masa.

No title
ねずさん、コメント欄使用させていただきありがとうございました。
これからも、勉強させていただきます。
毎日の更新、大変だと思いますご自愛されてください。

ジャンルイマニアさん、もしよろしければ、拙ブログにも来て下さい。
http://ameblo.jp/simamori/entry-11308021987.html

masa.

No title
>ジャンルイマニアさん
こんばんは、遅くなりました。
まず、貴殿のおっしゃりたいことは、
通商路防衛は、その方法として敵艦隊を撃破する事によってできるので戦艦・航空機等打撃力を整えることが肝要、また、ユトランド沖海戦等から相手に見合った打撃力が必要となる。(マハンの戦略とランチェスターの法則)でよろしいですか?
したがって、通商路防衛に特化した装備の取得は優先度が低くならざるを得ないと。要は海軍が採った戦略そのものにならざるを得ない、それが最良だったということですよね。

>第二艦隊を南方に出して、尚且つ敵太平洋艦隊をどう押さえ込むのですか?

 第一艦隊、第一航空艦隊、第十一航空艦隊、第六艦隊、本土航空部隊等では、押さえ込めませんか? 
 太平洋艦隊を撃破できる見込みでフル装備でない第一航空艦隊だけをハワイへ派遣したのでは?

>第一次大戦の戦訓とは何でしょうか?
 
 艦隊決戦を避け、逃げ回りながら補給路・通商路破壊を実施された場合、国家に及ぼす影響
 通商路の破壊に関する戦術及び装備、その対処要領です。
 
>そして、大事な事なので再度お聞きしますが、日露戦争以後、マハンの説に則り大兵力を太平洋に配置したアメリカ海軍が、本当に帝国本土を目指して来たとき、誰が、何を持って防衛するのですか?
 
 開戦前策定した帝国国策遂行要領はご存じでしょうし、条約失効までの相互の戦力(太平洋と大西洋に戦力を分ける必要があり対米六割といいつつそれほど差はない)もご存じでしょう。
戦力は、根拠地からの距離の二乗に反比例する(クラウゼヴィツ)は、ご存じですか、真珠湾攻撃がなければ、いつ、どれぐらいの兵力で太平洋艦隊は本土を目指せたと思いますか?
 
>当時の我が国通商路はどこまでで、また、アメリカ側の太平洋通商路と置いた兵力のバランスをお考えになると仰る事の不合理をお分かり頂けると思います。
(太平洋艦隊は通商路保護の為に置かれていたのかという事です)

 南方、内南洋や大陸と本土、本土沿海の通商路を確保する。
 連合艦隊がほぼ壊滅した末期に創設できた海上護衛総隊の奮戦をどう思われますか、連合艦隊に影響を及ぼすほど特化した大艦隊でしたか、その気があれば通商路破壊・護衛に必要な装備の研究・開発、戦術の研究・普及はできたはずです。

>分かりやすくご説明すると、「艦隊決戦で勝てば通商路を破壊し放題」だから艦隊決戦が説かれたと言うことなんです。

その結果、太平洋の島々に国民を置き去りにし、豊後水道、瀬戸内海や東京湾に潜水艦を跋扈させ、あらゆる港湾に機雷を投下され国民は飢餓に苦しんで惨敗したと言っています。
 それぞれ、貴殿の問いに答えたつもりです、回答が問いになってしまったものもありますが、深められれば幸いです。

ジャンルイマニア

>masa.さん
どうもお返事ありがとうございます
当方も少々乱雑なお答えになってしまうかもしれませんが、ご寛恕下さい。


>ハワイ攻撃を主張したのは連合艦隊だけで、政府、参謀本部及び軍令部がたてた計画を結果てきになし崩しにした。

先にも書きました通り、それには理由があってのことです。
第二艦隊を南方に出して、尚且つ敵太平洋艦隊をどう押さえ込むのですか?
真珠湾行きが認められたのは国家戦略に還元するための作戦で、太平洋艦隊撃破は国の最終目的でも戦争の勝利条件でもないのです。

>第一次大戦の戦訓を活かさなかった、マハンの戦略を盾にね。

第一次大戦の戦訓とは何でしょうか?
恐らく英国が通商路破断寸前に追いやられた事を指しておられると拝察しますが、同様に「敵打撃力に対応した打撃力の整備が必要」との教訓もジュトランドから導けるのではないでしょうか。
そして仰る事が前者だとするなら、ガリポリで19世紀のような艦隊運用を行い、二次大戦後も独潜水艦に大被害を出した英海軍こそ教訓から学んでいないとすら表現できるのではないでしょうか。

そして、大事な事なので再度お聞きしますが、日露戦争以後、マハンの説に則り大兵力を太平洋に配置したアメリカ海軍が、本当に帝国本土を目指して来たとき、誰が、何を持って防衛するのですか?

当時の我が国通商路はどこまでで、また、アメリカ側の太平洋通商路と置いた兵力のバランスをお考えになると仰る事の不合理をお分かり頂けると思います。
(太平洋艦隊は通商路保護の為に置かれていたのかという事です)


>両輪は、わかります。その車輪の片方について海軍は、全くと言って良いほど省みてない。

分かりやすくご説明すると、「艦隊決戦で勝てば通商路を破壊し放題」だから艦隊決戦が説かれたと言うことなんです。
そして、強大な敵太平洋艦隊の本土直撃の可能性を差し置いて、通商路保護に特化した海軍力を建設するほど我が国の通商路は長く、優先順位は高いのでしょうか?
長期戦では敗北必至の国力差に加え、敵の布陣が再度ご説明した状態な訳ですから、「省みていない」のではなく、「より重視せざるを得なかった」のが恐らく正しいかと。

恐縮ですが、私の先の書き込みを再度お読み下さればお分かり頂ける部分もあろうと思います。

masa.

〉ジャンルイマニアさん丁寧な返信、指摘ありがとうございます。

貴殿とは些か認識が違うようです。

戦前の最大の貿易相手はアメリカで石油はアメリカに頼り、イギリス始めヨーロッパとの付き合いも古く、貿易はかなりのものだった。

ハワイ攻撃を主張したのは連合艦隊だけで、政府、参謀本部及び軍令部がたてた計画を結果てきになし崩しにした。

第一次大戦の戦訓を活かさなかった、マハンの戦略を盾にね。海軍軍縮条約のときにも機会があったが、通商路防衛については考えた様子はない。

通商路防衛の海上護衛総隊創設は、いよいよ苦しくなってのち陸軍の再三の要望を受けてからでした。

両輪は、わかります。その車輪の片方について海軍は、全くと言って良いほど省みてない。

携帯からなので乱文等失礼します。

ジャンルイマニア

蛇足。
「軍艦は男性扱い」というご意見もありますが、少なくとも英語圏では軍艦・民間船の区別なく完膚なきまでに船は女の子です。

ソースとして一例を。
アメリカ海軍作戦部史料編纂室、海軍艦艇総覧の空母ヨークタウンⅡの記述より。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ships/dafs/CV/cv10.html
「Air Group 9 aviators claimed several torpedo hits on Yamato herself just before the battleship exploded and sank」
訳:「第9雷撃中隊は戦艦が爆沈する直前に、数発の魚雷が大和《彼女》へ命中したのを記録している」

沖縄で戦艦大和と交戦した際の記述ですが、鬱陶しいくらい自艦と大和を「she」「her」という単語で連呼しとります。
くどいですが、公文書ですよ。

で、このヨークタウン嬢、公式のニックネームが「ファイティング・レディ」な訳ですから何をか況やかと。

そんな訳で件の大和さん(と、戦艦比叡)を女の子にしたらこんな感じでしょうね。大和の沖縄特攻にご興味ある方もどうぞ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12823309

ジャンルイマニア

>masa.さん
仰ることは概ね理解できますが、失礼ながら些か表面的なお説かと。

>連合艦隊は、大砲屋も航空屋も敵の艦隊を追っかけまわして叩きつぶすことしか考えていない「艦隊決戦主義」だった

まず開戦前、我が国の通商路はどこまでだったでしょうか?
円ブロック内であれば天津や台南、最大でもトラックまででしょう。そして南方の攻略とその維持が課題に上るのは昭和14年に入ってからなのです。新しい状況に対応する海軍力の形成に十分どころではない期間なのはご理解頂けるかと。


>元々近海において敵を迎え撃つ事を前提に整えた戦力を、距離と戦力の法則を無視し、我に勝る戦力を保有する敵に近い所へ出した

機動部隊などをハワイに投入したことなどへのご批判かと思いますが、上記の南方攻略を国家そのものの課題とし、海軍の対米戦略よりも重視した結果、従来の漸減邀撃案の主力となりつつあった第二艦隊を南方へ抽出することとなり、ただでさえ危なかった内南洋での邀撃は完全に破綻します。
その結果、「南方へ行くために」 敵太平洋艦隊を抑え込む必要があり、選択されたのが真珠湾です。


>「艦隊決戦」するため、資源のない島国が海上交通路の護衛・維持を考慮しなかった

シーパワー論の祖、アルフレッド・セイヤー・マハンは歴史に鑑み、確かに艦隊決戦を説いてはいるのですが、それは「もっとも効率的に通商路保護を達成できるから」です。
仮に(アメリカ海軍が狙っていたように)南洋でもフィリピン近海でも、戦艦八隻以上を押し立てて来る太平洋艦隊との交戦で連合艦隊が壊滅の憂き目に合ったなら、誰が残った通商路を保護するのでしょうか?
それ以前の問題として、敵戦艦群の膨大な打撃力が東京湾を目指してきた際、「艦隊決戦に固執した」連合艦隊主力以外に何者が本土を防衛できるのでしょうか?敵はこちらに合わせてくれないのです。

>海の上、船に乗っている者(連合艦隊)は飢えない、陸の上島々(銃後含む)の者が飢える事に気づかない

上記の南方攻略案が検討された際、連合艦隊は長期に渡る通商路保護はかなり厳しいという判定を下しています。気づかないわけがないのです。
しかし、ヴィンソン案の成立以降、我が国の海軍力は数年以内に対米戦力が五割以下に低下すると判明し、海軍も開戦を決意します。
仮に開戦が二年以上遅れ、真珠湾にも行かない場合、燃料不足による練度低下を別としても内南洋あたりで開戦直後にマリアナ沖海戦が起こってフィリピンから締め上げられ、それっきりだったでしょう。
何しろアメリカ海軍が40年考えてきた対日戦の根幹が「艦隊決戦後、通商路封鎖」ですので、あれしか手の撃ちようが無かったとも言えます。

艦隊決戦と通商路保護は対立するものではなく、車輪の両輪なのです。

瑕疵があるとすれば、敵も堅く信じていた洋上での艦隊決戦を「裏切って」真珠湾に行ったことですが、前述の通りこれは海軍の軍事戦略より、国家としての戦略を重視した結果かと考えますので。

納得♪

masaさんへ
了解致しました。 詳しい説明有り難う御座います。

masa.

No title
言葉が足りなかったようです。
 連合艦隊は、大砲屋も航空屋も敵の艦隊を追っかけまわして叩きつぶすことしか考えていない「艦隊決戦主義」だったたことを言いたかったのです。
 元々近海において敵を迎え撃つ事を前提に整えた戦力を、距離と戦力の法則を無視し、我に勝る戦力を保有する敵に近い所へ出した。
 「艦隊決戦」するため、資源のない島国が海上交通路の護衛・維持を考慮しなかった。
 海の上、船に乗っている者(連合艦隊)は飢えない、陸の上島々(銃後含む)の者が飢える事に気づかない。
 
 英霊(民間人含む)の多くは太平洋の島々に取り残され、武器も弾も食料もなく敵弾よりも飢餓に斃れた。
 海軍の「艦隊決戦主義」が、招いたことです。

私もかつて誤解してた

気を付けましょう
前二つのコメントでも指摘されてるが、巷間言われる「日本軍は大艦巨砲主義に固執し、米軍は空母中心に移行した」という認識は誤解です。 当時の両軍の記録を調べれば寧ろ逆だった事が分かるので、せめてコチラのブログを御覧の皆様はゆめゆめ誤解なさらぬよう願います。
戦闘機による真珠湾やマレー沖成功の直後に大和が完成したので、逆行したと誤解され易いのはあるでしょうがネ。

ジャンルイマニア

誤解されてる方もおられますが、「艦隊決戦=大艦巨砲」ではありませんよ。

アメリカ海軍は対日戦争計画「レインボー5」へ「対日戦の艦隊最終段階は戦艦同士の艦隊決戦で」とねじ込ませるほどの艦隊決戦マニアでした。
実際、開戦後もアメリカ海軍は戦艦第一主義で、「空母中心へ移行した」ように見えるのは「空母が戦艦に追いついてきたから使った」であり、本質は変わりません。

このあたり、昭和18年に基地航空隊を主力に移行させ、戦艦どころか艦隊そのものを補助戦力にしてしまった帝国海軍とは偉い違いなのです。
実は今回のお題の伊勢たちの航空戦艦化も、このドクトリン転換の一環だったりします(発進後の艦載機回収は陸上基地群を想定)。

前のエントリーにもありましたが、伊勢たちの実績・運用についてまとまった動画があるので貼っておきます。
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm8489496

念のため

勝手に補足
「艦隊決戦主義に固執」
↑但し、世界で初めて空母使った航空戦で戦果を挙げ、戦艦より戦闘機の方が有効である事を証明したのは日本でしたが。 アメリカは早速それを真似て戦果を挙げました。

ポッポ

No title
>同紙(人民日報)は「国の核心的利益について中国は半歩すら退くことはあり得ない」と強調した。「核心的利益」は台湾やチベットなど中国が譲歩できない問題に使う用語。

中国が核心的利益と言った地域は、チベットや台湾そして尖閣諸島等になるのでしょうか?
チベットは侵略され自治区にされました。
台湾は1972年のニクソン訪中により、国の基礎が根幹的に揺らぎましたが、まだ中国に占領されず自治区にもされていません。頑張っています。
尖閣諸島の実効支配をしているのは、日本です。
中国はこの他にも、沖縄をいずれは核心的利益と言いたいのでしょうか?

中国が侵略の意図を明確にしたからと言ってびびる必要はなく、国家として普通に対応すればよいのです。ただ、少し困るのは政府が民主党であることで、2年前の事件でも逃げ腰(又は柳腰?)だった仙石氏が今も大臣のように振る舞っています。対応能力があるのかと不安ですから、速く総選挙をして欲しいです。思えることです。

masa.

No title
軍艦も女性名詞で良かったとおもいます、独逸は違うみたいだけど。
連合艦隊が、日露戦争の夢を捨てきれず、戦いの原則を無視して艦隊決戦主義をつづけたため無様な敗戦になったと思います。

海自最大の護衛艦それもDDHにはじめて旧国名が使用されましたね、「ひゅうが」「いせ」というのも何かの始まりか、期待したいですね。

稲おやじ

No title
やくざ国家が、宣戦布告+恫喝していますね。
とうとう言いましたな。
本性むき出しですね
>尖閣、武力衝突の可能性示唆 中国共産党機関紙が論評

 【北京共同】13日付の中国共産党機関紙、人民日報は野田政権の尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化方針などについて「釣魚島問題を制御できなくなる危険性がある」と武力衝突に発展する可能性を示唆し、「日本の政治家たちはその覚悟があるのか」と挑発する論評を掲載した。

 尖閣諸島問題について、共産党機関紙が武力行使示唆まで踏み込むのは異例。中国の強硬姿勢を強調することで、日本側の動きをけん制する狙いがあるとみられる。

 同紙は「国の核心的利益について中国は半歩すら退くことはあり得ない」と強調した。「核心的利益」は台湾やチベットなど中国が譲歩できない問題に使う用語。

カワハギ38

いつも拝見させて頂いております40の中年です。小中学生の頃、田宮模型の軍艦シリーズを作っていた頃を思い出します。当時は箱に小松崎茂氏の船体の絵と組み立て図の裏面を使い艦の歴史がびっしり書いてあって両方を大事に保管してありました。今はもっていませんが、ねずきちさんの『航空戦艦伊勢、日向物語』を見て当時見た解説と全く同じと記憶しています。懐かしいお話しを蘇らせて頂き感謝しています。私事でございますが空母大鳳のお話もよければこのブログで載せて頂ければ読者の役に立つと思います。私からは大雑把に紹介します。間違いがあるかも知れませんが勘弁してください。

日本初の設計段階からの重装甲空母。爆弾、魚雷に十発以上耐えられるように設計。大鳳に魚雷が向かっているのを発見したパイロットが母艦を守るために魚雷に体当たりしたが命中。魚雷そのものには蚊に刺された程度だったが、突貫工事と気密性の良さで航空燃料に引火して沈没。
私は母艦を守るために体当たりしたこのパイロットを今でも尊敬しています。特攻は敵にするものですが、私の知る限り魚雷に特攻をかけたのはこの垂井兵曹(だったと思います。)ただ一人です。

-

保守と政治
その先入観が民主党を美化してきた
未だに民主党支持者がこの世に存在する不思議に驚く。
国賊、売国奴、人でなし、と罵る声がここまで高まっているにも関わらず、どうしてそこまで自信満々の表情で、「民主党支持」を表明出来るのか、その脳の構造に疑念を持つ……
http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-776.html

その先入観が自民党を潰してきた
保守とは何か。保守派とは如何なる人達であろうか。
保守派を自認する人達の間でも、それぞれで定義が異なる。
従って、細かい詮議立てをした所で、得るところは少ない。
革新に対する「反革新」程度に留めておいた方が無難であろう……
http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-777.html


自民党よ、なぜ奪権しないのか【1】
谷垣禎一総裁+西田昌司参議院議員
■政権与党の民主党は消費税増税めぐり分裂状態
■自民党が政権に返り咲くには何が必要なのか
■国民政党たる保守政治をどう構えるのか
■EU危機が日本に教えるTPP、尖閣問題、憲法改正、日米同盟を論ずる
■この20年のグローバリズムは間違っていなかったのか
■日本の政治のあり方、政治家の覚悟とは何か?
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20120630

kuni

日本の神話
以前見ていて気づかなかったが、今日改めてこの話をみて、
気がつきました。
伊勢は天照大神が祀られている神社。
日向は卑弥呼(ヒムカと呼ばれていた)の出身地。
このお二人の名前がついた戦艦が最後の戦いであったとは!!
そして、ねずさんが、二艦を姉妹と称されているのは暗示的です。
今、日本は危機的状況ですが、大和撫子がこの状況を打ち破って
くれるでしょう。
それにしても、天照大神のお怒りは尋常ではない。
今回九州を襲った大災害も一番はげしいのは大分であったらしい。
大分は、天照大神がお生まれになった地です。
天照大神は中国に媚を売る故郷を許すことはできなかったのでしょう。
日本人は今こそ覚醒すべきです。

はっちょもん

高天原
日本の国は神代の昔から高天原の護国神の力に祈願して守られながら悪と戦ってきました。
これを戦後の左翼社会主義思想が感染病の如くむしばんでいます。
天照大御神は怒り嘆いているのです。
近年起きている天変地異を止める事が出来ない原因です。
私の家はお祖父さんが毎朝、神棚の天照大御神の掛け軸に向かってノリトをあげていました。私は日本の未来と発展繁栄を信じています。

KESSELRING

世界史の流れ!


1・・・1492年コロンブス以来、1853年浦賀にペリー艦隊が来航した時には、
白人に支配されてないのは日本と、南極のペンギン、北極の白熊だけになっていました、理由は、日本人以外の有色人種は鉄砲に始まる科学技術が出来ないからです。

2・・・これはマズイ、なんとかしなきゃ日本も白人の奴隷にされてしまうと思い、、五属協和、八紘一宇、大アジア等と言って、日露戦争に勝利し、大東亜戦争を戦い抜き、世界中の有色人種を奴隷から解放しました。

3・・・しかし現在、奴隷から解放された有色人種の100年を見てると、日本以外の有色人種が、日英同盟、日米同盟の様な恩恵を日本帝国にもたらす国は無い、我日本帝国は列強同盟に留まってた方が国益にかなう、もはやこの様に判断せざるを得ない。←今ここ。


日米は、今こそ国連を脱退し、日米同盟一本でやるべき、米ユダヤが邪な考えを捨てて日米が手を組めば、どっからでも来いです。

SST

No title
船は一般に女性名詞ですが、軍艦は男性名詞です。
姉妹でなく兄弟としてください。

帝国海軍の最大の誤りは、自分かってに国家から独立して戦争しようとしたことにある。
日露戦争の日本海海戦が陸軍が孤立してしまうのをさけるためになされたように、帝国陸軍の作戦の補助と補給船の確保に集中していれば、日本はもっと有利に戦えたはずで、勝手に真珠湾を攻撃し、勝手にミッドウェーで負けた帝国海軍など評価に値しない。台湾航空戦で嘘をついて陸軍将兵がその後のフィリッピンでその嘘の情報でどれほどの犠牲をはらったか、考えてみるべきだ。

hehehe

No title
民主党は、何をやるつもりなのでしょうか?

【マニフェスト】民主党の次回選挙公約「人口の95%を大卒・短大卒に」「学力を等級で示す『高校教育検定』の創設」
http://www.news30over.com/archives/6398947.html

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

hehehe

No title
ドイツでおかしなことを言っているようです。
日本に影響しないようにしなければ、いけませんね。

「愛を合法化」を 緑の党青年部、近親相姦禁止法の撤廃を求める
http://himasoku.com/archives/51728252.html#more

hehehe

No title
記事とは関係ないですが、日本人が海外で歓迎されて
いたのは、昔の話と思われる在外日本大使館の話が
ありました。
この方の「9月20日月曜日」の「日本大使館」の部分を
見れば日本のビザを取ろうとする人たちは、
まともと言うわけでは、なさそうです。
この方のは、スリランカの例ですが、シナ朝鮮は、
もっとひどいのかもしれません。
自分は、海外で日本大使館の世話になるようなことが、
無かったので、詳しいことは分かりませんが、
現地スタッフが現地人に襲われるのは、ある意味凄いですね。

http://www.hasegawa.in/overseas/sri2004/index.html

映画好き

高角砲
いい話ですね。伊勢、日向が射撃指揮装置まで備えていたというのははじめて知りました。「MK」という名の米軍が先の大戦中に開発した射撃指揮装置は有名ですね。高角砲を多数装備していたのも終戦まで生き残れた大きな理由ですね。大和や武蔵は高角砲があまりにも不足していました。
伊勢、日向については、少し調べて私のブログでもいずれ書いてみたいです。
http://blogs.dion.ne.jp/megumi1977/
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
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