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プロローグ http://youtu.be/hF2sLY1gDRw
第一回 君が代のお話 http://youtu.be/7xzVE955VIQ
第二回 日の丸のお話 http://youtu.be/tZGCTU--wOo=======
それが下の絵で、これはオバマ氏の韓国訪問の前日である2009年9月17日の朝鮮日報に掲載されたものです。
(朝鮮日報)上が日本、下の絵が「韓国の一般人」と握手しながら「頭で地面を叩いている」オバマ大統領です。
ちなみに、この「頭で地面を叩く」という動作は、韓国における伝統的な外交儀礼で、Chinaからの使者を迎える際に、これを李氏朝鮮の王族が迎える際に行っていた臣下の礼法で「
三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」と呼ばれるものです。
どういうものかというと、「跪(き)!」という号令で、ひざまずいて、一叩、二叩、三叩の号令で、「手を地面について頭を地面に打ち付ける」というものです。
礼法では、これを三度繰り返えすので、都合9回、額を地面に打ち付けることになります。
ある意味、たいへんに侮辱的な礼法ですが、これを明や清の「使者」に対して、朝鮮国王が毎度行わさせられていたわけです。
国王が、明や清の使者に対して、9度も額を地面にぶつけるという卑屈な姿をさらして臣下の礼をとる。
そしてその使者がお帰りの際は、毎年3000人の韓国人美女を性奴隷として明、清の皇帝に献上していたというわけです。
一方、その韓国系美女を受け入れた側の明、清の側の記録に、こうして献上された美女が明国や清国皇帝の皇太子を産んだという記録がみられないこと、および、献上された美女達のその後の運命についての記録がみられないところをみると、その献上された韓国美女たちが、Chinaでどういう扱いを受け、容姿が衰えてきた後にどういう処遇となったかは、悲しい現実として想像するにあまりあります。
国内に産業がなく、ただ貧しいだけの当時の朝鮮半島では、女性くらいしかChina皇帝への献上物がなかったという現実、そして朝鮮国王の「三跪九叩頭」という卑屈な礼法。
そのことは、女性には生涯名を名乗らせなかったという李氏朝鮮の支配体制というものが、いったいどういう支配体制であったのか、そしてそのような体制が400年以上も続いたという現実は、世界史的にも類例のない人権蔑視の無惨な体制であったということの片鱗を伺わせるものでもあります。
そして長い年月のうちに、いつのまにか「三跪九叩頭」という屈辱的礼法が、なんの抵抗もない「韓国の常識」となっていたことは、明治16(1883)年9月に、当時の李氏朝鮮王が米国に対して派遣した朝鮮全権大使一行の米国アーサー大統領公式訪問の際の様子にも明らかなものとなっています。(下の図)
惨めに思えるのは私だけでしょうか。
朝鮮全権大使一行の米国アーサー大統領公式訪問

(News Paper 1883/9/29)ちなみに、翌18日には、オバマ大統領が実際に韓国に訪問し、韓国大統領と面会していますが、このときの模様は、まるで「忘れ去られたか」のように、ただその事実があったということのみの報道となりました。
要するに、ただの握手、単なる普通の握手しか行われなかったからです。
前日までの韓国の過熱報道ぶりからしたら、都合が悪くなると「知らん顔を決め込んで、なかったことにしておく」といういつもの韓国の行動パターンそのものとなりました。
さて、話が脱線しましたが、当時、いろいろと書かれたオバマ大統領の90度のお辞儀について、私はこれを、
オバマ氏が「米国大統領として」とった礼であることであると同時に、
世界の
差別された黒人種を代表するという思いをこめた挨拶であったとみています。
どういうことかというと、皆様ご存知の通り、米国において黒人は、長い間「差別」され続けてきました。
昨今、在日韓国人がいう「我々は日本人に差別されている」という口先だけのデタラメと異なり、米国の白人の黒人への人種差別は、まさにホンモノの差別です。
つい3〜40年前までは、米国において「黒人には傷みを感じる神経がない」などと本気で信じられていました。
1857年(安政4年)には、米国最高裁が、
「黒人ならびにその子孫は、所有者の財産であって、合衆国の市民ではない」
という判決を出しています。
要するに黒人は、人ではなく「動産」だったのです。
動産というのは、売買し、移動させることができます。
そしてオーナーの「所有物」です。
「人」ではなく「物」なのです。
ですから当然に「物」には、「人格権」は与えられません、
そして「人格がない」のですから、これまた当然に「公民権」も与えられなかったのです。
代々米国に住んでいても、黒人は「米国の市民」ではなく、米国にある「物」だったのです。
日本では、米国の黒人差別は、米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが「解放」した、と信じている人が多いようです。
違います。
リンカーンが「解放」したのは「奴隷制度」です。
彼は「人種差別」に反対したのではありません。
「奴隷制度」と「人種差別」は、似ているようで、まったく異なる概念です。
リンカーンの当時の米国経済は、南部諸州が経済の牽引役でした。
米国の北部、西部には産業がなく、一方、南部11州は、綿花栽培で大儲けしていたのです。
米国の南部の農園で生産された綿花は、産業革命を果たして一足早く工業化に成功して世界の富豪国家となった英国にまるごと輸出されました。
英国はこの綿を生地に仕立て、高級紳士服などの工業生産品として世界中に輸出していたのです。
英国製の生地は、世界最高とされ(いまでも英国製生地はそれ自体ブランド品です)、しかも当時の英国は世界の海を制した大国です。
つまり英国文化が世界を席巻していたわけで、それだけに英国製の高級生地や、英国仕立ての服は、世界中で高値で取引されています。
つまり、英国では、生地を作れば作るほど儲かりました。
生地を作れば作るほど儲かるということは、その生地の原料となっている綿花も「作れば作るほど」儲かったわけです。
米国南部では、そのための綿花農園を経営し、広大な地所を利用して、そこに「農奴」としての「黒人奴隷」を労働力をして働かせるという社会制度が確立していました。
南部諸州で綿花農園を経営するのは、白人です。
そして農園は、大規模であればあるほど、儲かったのです。
そして労働力は安ければ安いほど、儲けは大きくなるからです。
意外に思われるかもしれませんが、南部諸州の農園では、黒人労働者(奴隷)たちは、比較的大切に扱われていました。
これは当然といえば当然のことで、農場が広がれば広がるほど、黒人労働者の人数も増える。
人数からいったら、白人の農園経営者よりも、そこで働く農園労働者の方が、圧倒的に人数が多い。
どこの会社でも、経営者の人数よりも、労働者の人数の方が多いのと同じです。
もし、少数の経営者が、大多数の黒人を圧政下に置いたらどうなるか。
反乱でも起こされて、綿花農園に火でもつけられた日には、全財産がパアになります。
ですから、そうならないように、ある面、黒人達を優遇し、ある面、いうことをちゃんと聞くように、厳しくしつけた。
つまりそこには、一定の「共存関係」が成立していたわけです。
映画「風とともに去りぬ」は、ご覧になられた方が多いかと思いますが、主人公の家は、昔の中世のヨーロッパの貴族のように、豪華で多数の部屋を持つ大邸宅です。
が、周囲に城壁はありません。
城壁がないということは、「争いがない」ということです。
そしてその大邸宅の中には多数の黒人の農園労働者たちが生活していました。
なかには、結婚して子が産まれる黒人もいる。
一方、農園は広大ですから、労働効率を考えれば、そこで働く農園労働者は、農園主の大邸宅に住むばかりが能ではありません。
優秀であり、かつ責任感の強い信頼できる黒人には、その者が担当している農園の近くに家を建ててやり、そこを基点として、一体の農園の管理を任せたりもしています。
黒人と白人が、身分は違うのは当然です。
農園の経営者であり、オーナーである一族と、そこで働く労働者なのです。
身分の違いは、当然にある。
けれど、それは差別というより、主従関係に近いものであったし、しかも黒人達は、定年さえない終身雇用で、生涯食うに困らない。
悪いけれど、いまどきの日本のフリーターよりも、よほど生活は安定しています。
黒人達は、仕事が済むと、近くの飲み屋に集まり、そこで、自分たちの民族音楽に、欧米風の楽器をあわせた独自の音楽を誕生させ、それをみんなで楽しんでたりもしました。
そうです。ジャズミュージックです。
当時の南部の黒人労働者たちは、もちろん、農場主とくらべれば生活は貧しかったかもしれないけれど、決して貧困ではなかったし、生活にも余裕があったというのが実情です。
これに対し、南北戦争以前の北部諸州ではどうだったかというと、北部には綿花のような中心となる産業がありません。
人はたくさんいますから、繊維製品の製造業や、日用品製造業、あるいは建設業等々の労働市場は数限りなくあったけれど、それら労働者市場は、白人移民たちの労働市場でもあったわけです。
ではそこに黒人奴隷という私的所有権に基づく労働力が介入してきたら、何が起こるか。
答えは簡単です。
白人労働者の職場が奪われるのです。
白人労働力は、雇用主からみれば、「契約関係」です。
月給は20万よこせ。休みはよこせ。給料あげろ、気に入らなければ会社を辞めると言い出す。
文句ばかり言って働かない。
だからといって殺せば、こんどはコチラが殺人罪です。
ところが黒人奴隷を労働力として採用するとどうなるか。
月給は半分でOK。所有物ですから、生殺与奪の権は、オーナーの側にあり、使い物にならなければ、売り飛ばすこともできるし、殺しても、あくまで「動産」であって「人」ではありませんから、罪になりません。
これは圧倒的な「力関係」となりますから、その分、黒人達にちゃんとした仕事を仕込めば、会社は儲かるようになります。
経営者からみて、こんなに「都合の良い」労働力は、他にありません。
そうした奴隷制度が、北部の町に進出してきたらどうなるか。
これまた答えは簡単です。
北部の白人労働市場は壊滅し、黒人労働力が北部を席巻することになるのです。
そしてこのことは、北部に住む多くの白人の生活を圧迫することになります。
だからこそ、北部の人々は、「奴隷制度」に反対し、黒人を「差別」することによって、北部の労働市場から排除しようとしたのです。
これはどういうことかというと、「黒人を差別する」というよりも、黒人の「存在そのものを否定」するという動きです。
黒人がいるから、白人の労働市場が奪われるのです。
ならば、この世から黒人を消すしかない。
ところが、南部諸州では、次々とアフリカから黒人を連れて来る。
そして南部で何らかの事情であぶれた黒人が、北部に流れて来る。
住み着く。
彼らだって食べなきゃいけないから、労働させてくれるところを探す。
雇う雇用主が現れる。
するとそこで、子が生まれ、ますます黒人が増える。
そして増えた分だけ、白人は職を失う。
だから、排除するしかない。
黒人に対する、米国内の人種差別というものは、だから「差別」というより「排除」の動きだったのです。
これを「人種差別」と書くからわかりにくいのであって、実際には「人種排除」だったと考えると、イメージをつかみやすくなるかもしれません。
しかし、米国自体が、黒人排除論に動くと、困るのは南部11州の農場主たちです。
農奴を使っているから、商売になっているのです。
それが白人の使用人たちにとってかわったら、コストは倍以上につきます。
綿花農園そのものが存続できなくなる。
そこで起こったのが南部11州の、米国からの脱退と、アメリカ共和国の建国、そして南北戦争でした。
南北戦争では、南北合わせて320万の兵力が激突し、たった3年で、両軍あわせて123万人が死傷者を出した凄惨な戦いだったのです。
かわいそうなことに、この戦いに北軍側では、100万人以上の黒人義勇兵が、最前線で戦っています。
彼らは、この南北戦争が、「奴隷解放のための戦い」であり、「人種差別撤廃のための戦い」と信じていたのです。
結果として南部諸州が負け、もとの米国に戻り、そして米国では「奴隷制度」が廃止されました。
しかし、人種差別は、以前より一層、酷いものにかわったのです。
要するにリンカーンの行った南北戦争は、
北部諸州の白人の労働雇用を守るために、
低賃金、終身雇用の労働力である「黒人を排除」することを目的として、
黒人が米国内に増加する温床となっている南部の「奴隷制度」を、
根こそぎ排除しようとした戦い、である、ということなのです。
ですから、南北戦争で、いっけん、人道主義的にみえる「奴隷制度反対」を主張した北軍は、実のところは、制度に反対していただけで、人種への偏見は、むしろ南部以上に酷かった。
そしてこのことが、義勇兵として参加した黒人を、前線で数多く死においやり、結果として両軍合わせて123万人というとほうもない死傷者数となった、というわけです。
そして南部の綿花栽培における「格安労働力」としての「黒人奴隷」が法的に禁止となると、黒人は法的には白人と同じ高コストな労働力となり、南部の綿花栽培を衰退させ、さらに、黒人の大量の失業者を産み出す結果となります。
そして人種差別は、人種排除の動きとなり、しかも黒人には「公民権」は与えられていないままですから、差別は一層過激なものへとなっていきました。
黒人奴隷は、農園主の貴重な財産としての「終身雇用財産」ではなく、単なる「人種排除、人種差別」の対象となっていったのです。
米国が、
黒人に公民権を与えたのは、南北戦争から100年も経った昭和39(1964)年のことです。
では、その100年の間に、米国では何があったのでしょうか。
米国における黒人差別の実情については、さまざまな本も出ているし、ネットでも黒人問題等で検索すれば、たくさんの記事がヒットしますので、そのあたりは、是非、ご自分でお調べ下さい。
当ブログでも、過去記事
「公正な世界を目指して戦った日本」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-642.htmlで、デュボイスの例をひいて、黒人差別の実態について書いていますので、ご参照いただければと思います。
問題は、奴隷解放をしたはずの南北戦争から、100年も経ってから、なぜ、黒人は差別の対象から米国市民としての「公民権」を与えられるようになったか、ということです。
実は、ここに日本が深く関係しています。
第一次世界大戦が終結した大正8(1919)年、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという「パリ講和会議」が行われました。
このとき、米国の黒人たちが最大の注目したのが日本です。
日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという、その時点ではまさに画期的な提案をかかげて、戦勝国の一員そてい講和会議に出席しています。
この講和会議に出席する日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄りました。
本来ならば、パリに向かうなら、インド洋を回るルートが早道です。
けれど、日本の使節団は、あえて別ルートで米国をまわったのです。
これには理由があって、人種差別撤廃を図りたい日本の使節団は、講和会議の議長役となる米国のウィルソン大統領に、あらかじめ根回しをして人種差別撤廃への協力を求めようとしたからです。
ですから、この日本の訪米は、長年人種差別と戦ってきた米国の黒人社会が大絶賛しています。
「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人は、日本の使節団に「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、という嘆願書まで渡しているのです。
「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。
人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。
当時、ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、やはり黒人紙の「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べています。
「ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。
同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。」
そもそも日本人というのは、人種差別という概念を持ち合わせていません。
誰であれ、親しく真面目に接してくれるなら、胸襟を開いて友となる。
それが日本人です。
1923年の関東大震災では、ある黒人が「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書します。
それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めた。
「たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。」
同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していきます。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。
「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析しました。
なぜなら「日本人は、それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだといいます。
1936年、イタリアがエチオピアを侵略します。
アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとします。
アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事が、アメリカの黒人たちの心を動かしたのです。
「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」
「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えています。
また「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じました。
そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画です。
これは実現には至らなかったものの、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠でもありました。
シカゴ・ディフェンダー紙は、
「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じています。
「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観」の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次のように我々日本人に呼びかけています。
「歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。」
パリ講和会議における日本の提案は、当時の白人社会にはとてつもなく大きな爆弾であったといえます。
国富の大部分を、人種差別と植民地政策によって得ていた欧米資本家や貴族たちにとって、植民地を失うということは、すなわち国家の崩壊であり、資産家たちの破産を意味するものでもあったのです。
それだけに、人種差別撤廃を堂々と主張する日本は、彼らにとって、どうしても許すことのできない相手でした。
そしてパリ講和会議での日本の「人種差別撤廃法案」は、16カ国中、11カ国の賛成を得ながらも、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられてしまったのです。
怒った全米の黒人たちは、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動を続発させています。
日本の主張した「人種差別撤廃」の主張は、単に日本人が欧米と対等につきあえること願ったというだけでなく、貧しく、差別された世界中の人類が、肌の色を越えて「四方の海はみなはらから」なのだという陛下ご自身のお気持ちが国民の意思、国家の意思となったものにほかなりません。
けれど、米国の黒人差別は、その後も長く続きました。
パラオ、アンガウル島の玉砕戦を生き残った舩坂弘さんが書いておられるのだけれど、米軍の攻め方というのは、はじめ艦砲射撃やら航空機からの爆弾投下で、徹底的な爆弾による破壊を試みる。
そして上陸して日本軍の弾の当たるところに最初に出てくるのは、いつも決まって「黒人歩兵部隊」だったといいます。
戦争ですから、先頭にたつ歩兵は撃たれます。
そして先頭の部隊が撃たれることで、敵の居場所がわかる。
わかったら、そこを(弾の飛んで来ない)艦船から、艦砲射撃で攻撃する。
そして日本軍の弾が飛んでこなくなる頃になってやっと、白人の掃討部隊が前線に出て来る。
それが当時の米軍の戦い方でした。
テレビや映画などでは、実際のこういう姿は、まず出てきません。
白人の兵隊が勇敢に銃を撃ち、日本軍と戦っているというようなシーンしか出てきません。
けれど、実際の戦闘では、常に敵弾の届く危険なところには、黒人兵が狩り出されています。
真珠湾攻撃の総指揮官だった淵田美津雄大佐は、自伝で次のように述べています。
終戦直後のある日、3人の大柄な黒人兵がやってきた。
そしていきなりジープに乗れと言った。
相手は武装した黒人兵、こちらは丸腰です。
生きて帰れないと覚悟した。
淵田大佐は、こうして30分ほどジープにゆられ、丸の内の郵船ビルの裏手に連行されます。
そのころ郵船ビルは、米軍将校たちの宿舎に充てられていたのだそうです。
そしてビル内には、米軍の白人将校向けのバーまでしつらえてあった。
淵田大佐を連行した黒人兵たちは、そのバーで働かされている兵隊だったのだそうです。
バーの楽屋裏に連れ込まれた淵田大佐は、そこに集まった大勢の米軍黒人兵たちから大歓迎されている。
食いねえ、飲みねえ、と、それはそれはたいそうな歓迎だったのだそうです。
そした彼らは異口同音に言った。
「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思う?」
「それは、われわれ黒人だよ」
当時、米軍兵士と日本人との交流は米軍ないで固く禁止されていました。
その禁を破ってまで、彼ら米黒人兵たちは淵田大佐を真珠湾攻撃隊長と知って、大歓迎したのです。
日本が行った大東亜戦争というものは、極力平和的手段の限りを尽くして人種の平等、人類の平和と、人種と民族の独立自尊と共存共栄を図ろうとしてきた日本が、人種差別絶対の世界のなかで、嬲られ、痛めつけられ、万やむを得ず、乾坤一擲の大勝負を挑んだ戦いでした。
強力な日本軍というイメージが先行している昨今ですが、たしかに日本は強かったけれど、その戦いは、常に日本の10倍、20倍、しかも圧倒的な火力を持った諸国を敵に回しての戦いでした。
そしてこの日本が行った勇気ある戦いによって、戦後、次々とかつての植民地であった民族が独立し、国家を形成するようになり、そしてその動きが、米国内においても黒人たちの公民権獲得運動へと繋がり、結果として、二十一世紀になって、黒人の米国大統領が誕生するに至ったわけです。
いいかえれば、黒人のオバマ氏が米国の大統領となったという背景には、高らかに人種の平等を掲げた、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、そして今上陛下に至る我が国ご皇室と、そのご皇室をお守りせんとして勇敢に戦った日本という国家の存在にいきつくからです。
だからこそオバマ氏は、米国大統領として、そして人類を代表する思いで、あの挨拶をしたのでした。
そのとき韓国は、天皇に90度の最敬礼をとったオバマ大統領は、韓国ではきっと「三跪の礼」をとって挨拶してくれるに違いないと勝手な妄想にふけったようだけれど、そういう下品な感性しかもたないから、韓国人も韓国も、世界から嫌われるのです。
そしてこのことは、私達日本人に対してさえも、強力な自省を促します。
なぜなら、我々日本人が、このまま韓流ごり押し、売国メディアや日教組の反日偏向教育などによって、我々自身の民度を下げたとき、我々日本人もまた、昨今の韓国人や、世界中で総スカンを食っている反日Chinese同様、「見下げ果てた民族」とみられるようになってしまうからです。
未来は、過去と現在の延長線上にあります。
我々現代人は、父祖の勇気と信義あふれる行動によって、戦後67年の平和と、豊かな暮らしを手に入れることができました。
けれどこのままでは、私達現代人は、未来を担う子や孫の生きる未来に、誤った歴史観で反日を刷り込まれ、民族としての自覚もアイデンティティを失った、奴隷というより、ゾンビとして生きるしかない、貧しい未来を与えることになってしまいます。
人は変わることができます。
国家もまた、人によって構成されているものである以上、人によって変えることができます。
日本を取り戻す。
それは、私達が、私達の祖国のアイデンティティを取り戻す戦いであると、私は思っています。

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コメント
-
2013/11/29 URL 編集
マジカルアイ
天皇陛下に感謝していただき有り難うございます。
これを見た多くの英霊が涙を流しておられることでしょう。
2013/10/14 URL 編集
ひのもと鬼美
「ひどいこと」ってのが日本人感覚だと
「石を投げた」という、子どもの喧嘩レベルしか
イメージがわかないのかもしれません。
通州事件なんて友人には、きっとショックだと思います。
友人は日本人ですので、きっとわかってもらえると思います。
カミーユさんの方法試してみます。(*´∀`*)
そしてこれからも、ねずさんのブログで「日本」を勉強していきます。
日本が誇りです!
2012/09/20 URL 編集
kuni
世界の差別された黒人種を代表するという思いをこめた挨拶であったとみています.
この見方は、私も気づきませんでした。
でも、考えるとあたりまえですね。
大東亜戦争の本来の目的が人種差別撤廃にあったのですから。
朝鮮の反応には笑えます。
オバマさんが礼を尽くすひとといえば、天皇陛下と、ローマ法王でしょう。
エリザベス女王ですら、礼は尽くすでしょうけれども、ここまでではないでしょう。
私も、このニュースを見て、何か考え深い思いになったことを思い出します。
2012/09/20 URL 編集
―d―
日系人もヨーロッパの過酷な激戦地の最前線に出され、勇敢に戦いました。
そういう誇り高い日系兵士を黒人兵こそが最も近くで見ていたことでしょう。
ロス暴動の際の日本人に対する扱いも現在の信頼関係に加え
先人達の遺産が働いていたのかもしれませんね。
2012/09/20 URL 編集
ひのもと鬼美
いつも、日本のためにありがとうございます。
ねずさんへ、またそのほかの方々にお尋ねします。
まだよくわかっていない「日本がひどいことをした。」
と言う友人に、短い一言で反論できる言葉はないのでしょうか?
わたしは、そう言われたとき、
「どんなひどいことをしたの?」って尋ねました。そしたら
眉をひそめ
「石を投げたり、差別をしたり、ひどいことをした・・・」と言い
自分の母親が、その母(満州にいた祖母)から聞いたというのです。
そして「本(小説)にも書いてある。」とか言うんです(-_-;)
わたしも、いろいろ勉強をしなければ反論できませんが
ネットの話をすると、「ネットは嫌いだ。」と言うのです
洗脳されているひとたちに気付いてもらえる投げかけの言葉。
とっかかりドン引きされないような言葉・・・
周りの人たちに目覚めて欲しい!
ぜひ、教えてくださいませ。
(^人^)
2012/09/19 URL 編集
緊急拡散希望!
★尖閣のドサクサに紛れ人権救済法閣議決定
人権救済法案に反対する松原拉致担当相の出張中に、こんな悪法を閣議決定を可決させてしまうとは・・・
信義を重んじる日本人じゃないぞこいつらは!国民の敵は内閣の中に居る!
【動画】
http://www.youtube.com/watch?v=sfj_0Vx_HjY&t=8m35s
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18923180
ttp://nicoviewer.net/sm18923180
ttp://image01.wiki.livedoor.jp/p/5/pinhu365/9578cc749ec9a47b.jpg
ttp://image02.wiki.livedoor.jp/p/5/pinhu365/1b567e1b8accb3ce.jpg
たかじんNOマネー2時間生放送SP2012.9.8(2) 人権侵害救済法案糾弾
http://www.dailymotion.com/video/xtelks_yyyynoyyy2yyyyysp2012-9-8-2_shortfilms
20:14~
2012/09/19 URL 編集
大和の国の住人
今回の話はいろんな理屈をつけるのもいいかもしれませんが
私はひとかどの人物であるオバマさんが
地位も名声も全て忘れて
ただ陛下の御前に立ったとき
自然と頭が下がった
そう信じたいです
2012/09/19 URL 編集
ポッポ
昔からのSFファンですが、SF小説の中にロボットをテーマにしたものが幾つもあります。
日本ではロボットを思いますと、鉄腕アトムの影響だと思いますが、ロボットは人間の友達というか仲間で工場のロボット機械に名前を付ける人もいるほどです。しかし、欧米ではロボットは人間の仕事を奪う敵です。これは、ロボットが奴隷の延長としてとらえられているのでしょう。
中国のデモと暴動が終わりました。
国が支持してデモと暴動を行い(だから捕まらない。)、国が支持してデモを止める。日本人と民族が異なるのだから、日本人の常識は当てはまらない。
中国がデモを止めた理由は、暴動で日本企業に迷惑を掛けたからではないでしょう。アウディの販売店で「日本人は皆殺し」との横断幕を掲出したから、問題がドイツに飛び火したことか、これ以上やると日本企業が本気で撤退することを懸念したことか? はたまた日本政府から、何らかの条件を引き出したのか?
野田首相は、毅然とした対応をとるそうです。中国に抗議して、被害企業に損害賠償と慰謝料を渡してくれるでしょう。
こんなに反日デモで騒いでいるときに、中国大使になったばかりの西宮伸一氏が亡くなりました。お悔やみ申し上げます。
死因は急性心不全だと、17日に外務省から発表されたそうです。中国大使は業務の遂行が極めて困難でしょうが、後任の方には親中派よりも、日本の国益を第一に頑張っていただきたいと思います。
(以前、北朝鮮の金正男が偽造パスポートで逮捕されたとき、周恩来氏に相談した結果、日本の国益だと言って即日で釈放した外務大臣がいました。周恩来氏の国益は、中国に在ることを知らなかったのでしょう。)
話が逸れました。・・・・・業務を遂行するために、頑健な身体を持った日本を愛する方が必要だと思います。
2012/09/19 URL 編集
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2012/09/19 編集
桜子
読み進んでいるうちに、何故かねずさんが淵田美津雄大佐の事を書かれているのでは?とふと思いました。
私も何故かあの項が印象的で心に残っています。
要は、当時、連合国と称している諸国から見たら、植民地支配している亜細亜の国々の人間は黒人と同じだったという事です。
当時、唯一独立国であった日本人にさえ下げすんでいたのです。
その人種差別に立ち上がったのが日本なのです。
大統領とて人間です、ましてやアメリカの大統領です、本当に天皇陛下に対して敬意がなければ、いくら日本式の挨拶であってもあそこまで深々とお辞儀はされません。
こうしてオバマ大統領が深々とお辞儀をされたのは、大統領が自分達民族の歴史を、そして日本が自分達民族の為に立ち上がってくれた、その事を過去の歴史から学ばれていたという事です。
その敬意の表れがあのお辞儀です。
どこかの大統領に爪の垢を煎じて飲ませたいですね。
またまた売国民主、尖閣に懲りず、>人権救済法案を閣議決定 解散にらみ“実績作り”人権団体へのアピール急ぐ
「人権団体=反日」 「実績作り=売国の実績作り、プラス資金集め」でしょうに!
なり振りかまわずこの様な愚案を通す売国政府、何時まで国民は我慢すればいいのでしょうか!
2012/09/19 URL 編集
ニック
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町村氏が緊急入院=自民総裁選、撤退も
時事通信 9月19日 9時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00000038-jij-pol
2012/09/19 URL 編集
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勝っていたら日本の国体が損ねられたり教育が荒廃したりなど今の日本の問題は生まれなかったのは間違いないと思います。
2012/09/19 URL 編集
sora
差別は法の都合、奴隷は利の都合。この矛盾は権益と暴力の情報操作
2012/09/19 URL 編集
志士
2012/09/19 URL 編集
鳥
義務を果たす者が権利を有する。
立ち上がる権利!真実を取り返す権利!そして胸を張り、祖国が愛せる権利!
2012/09/19 URL 編集
カミーユ
人種差別という概念を持ち合わせていません。
そうなんですよね。
人種による。というのを見極めらてれば、、。
2012/09/19 URL 編集
ひがしかん
今回の記事は、大変衝撃的かついろいろと考えさせられるお話でした。
リンカーンは白人の利益だけを代表して戦っていた。
「奴隷制度を撤廃した」程度の認識しかなかった私にはかなりショックでした。
まさかそんな裏事情があったとは。
そういえば、タイガー・ウッズがデビュー当時に、「この国(米国)には、ボクが(黒人だから)入れないゴルフコースがまだたくさんある」と発言して、非常に多くのコースが黒人入場制限を解除した、という話を思い出しました。
彼の不倫が発覚した時の過剰な報道には、彼に対する白人社会からのささやかな復讐、という意味があったのかも知れませんね。明言は避けますが。
また、メジャーでも最近また黒人選手への風当たりが強くなってきていて、引退してもコーチや二軍監督といった再就職先はほとんど用意されないそうです。
日本を一歩出たら、そこは白人絶対優位の無法地帯。
肝に命じておきたいと思います。
2012/09/19 URL 編集
hehehe
拡散お願いします。
人権救済法案を閣議決定 解散にらみ“実績作り” 人権団体へのアピール急ぐ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120919/plc12091911190018-n1.htm
政府は19日、新たな人権侵害救済機関「人権委員会」を法務省の外局に新設する人権救済機関設置法案(人権救済法案)を閣議決定した。今秋の臨時国会への提出を目指す。ただ、同法案には「人権侵害の定義が曖昧で、拡大解釈により言論統制につながりかねない」との批判が政府・民主党内でも強く、成立の見通しは立っていない。
藤村修官房長官は閣議後の記者会見で「政府として人権擁護の問題に積極的に取り組む姿勢を示す必要がある。次期国会提出を前提に、法案の内容を確認する閣議決定だ」と述べた。
閣議決定に際し、慎重派の松原仁国家公安委員長は海外出張のため不在。野田佳彦首相側近も「慎重な閣僚がいないから(閣議決定しても)いいじゃないか」と言明するように、民主党のマニフェスト事項に加え、衆院解散・総選挙をにらみ、支持基盤である人権団体へのアピールを急いだ格好だ。
新たな機関は、差別や虐待などの解決を目的にうたっており、政府から独立した権限を持つ「三条委員会」として設置。委員長や委員は国会の同意を得て首相が任命する。市町村に置く人権擁護委員には日本国籍の有無について規定がなく、地方参政権が付与されれば外国人でも就任できる。
2012/09/19 URL 編集
hehehe
クーロンさんから「何言ってるのかわからない」とのことだったんで。
今回の記事では華人社会における中華至上主義に基づく反日教育の現実を見ていただきたかった。
中国は自らの領土内に限らず他国の華僑社会でも徹底的に反日を植え付ける教育を行うように指導してきました。その窓口は共産党中央統一戦線工作部や、各国にある「中国和平統一促進会(和統会)」です。
タイでは20年ほど前まで、反共を理由に中国語での教育を禁止してきましたが、再開された後は華僑社会への教育侵略を通じて、反日の輸出を推し進めています。最近も中国語教師を全国で1万人派遣すると提案してきましたが、その教師が何を教えるかは言われなくてもお分かり頂けるでしょう。
今回の大谷地華興中学のように台湾系の教育機関にも学校関係者や地元の共産党支持者を通じて入り込んでいることが明らかになりました。
そこには世界の華人社会の総意=人民の多数決で尖閣諸島はいただく、ということを明確にしたい中国側の意図が見て取れるのです。
ふくちゃん
2012/09/19 URL 編集
hehehe
日本も戦前と同じように工作機関が必要です。
ザビエル古太郎氏のツイッターから
世界日報を解読すること十数年のバンコク事情通F氏から、緊迫する日中関係についてのメッセージが・・・
今日の世界日報B7面より。チェンマイ県チェンダオ郡のミャンマー国境のすぐそばにあるKMT(中国国民党)の村の学校で行われた弁論大会の模様を伝える記事なのですがそのテーマが尖閣諸島問題で、「尖閣は中国領」という前提の下でどのように説明するべきかを中国語で述べよというものでした中国系を中心にしたタイにおける反日教育の好例として見るべきではないかと思いまふ http://twitpic.com/aw10uv
2012/09/19 URL 編集
志士
2012/09/19 URL 編集
弥生
以前テレビで、NYのハーレムにいる黒人の画家さんが
とっても親日家の方で、日本語も話されてたのですが、
なぜそんなに日本好きなのか?不思議に思ってたところ
この黒人差別を知り、とっても納得いたしました。
もちろん日本文化が好きだから、という方もいると思いますが、
人種差別廃止を訴えていた日本のことを、
日本人より海外の方のほうがよくご存じだと思います。
未来のためにも、歪んだ情報操作をなくし、
過去についてきちんと学ぶことが、非常に大切です。
それなのに、学校では教えようとせず、自虐史思想ばかり
刷り込ませる。。本当に腹立たしいかぎりです。
2012/09/19 URL 編集
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いつもありがとうございます。
やはり教育が大切なのだと実感します。
日教組にまかせていてはダメです。
日本の文部科学省が一番しっかりしなければいけないと思います。
そしてアジア人を見下すような日本人になってはならず、
アジアのため、差別を受け続けている有色人種のため、
世界のために働く事が出来る日本人にならなければならないと思います。
2012/09/19 URL 編集
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2012/09/19 URL 編集
れいさき
『最近は中国や韓国が大変な事になってるね、でもあれって元々は日本が悪い事したんだけどね!!』
その方は完全に断言していましたが
私『私も学校の勉強で日本人が悪いって習ったけどいろいろネットで知ったんだ。朝鮮は中国の属国だったでしょ?ひどい扱いだったのよ。日本はそれをやめさせ朝鮮を日本国にして国を整備したの、助けたんだよ』長い話になるので短くまとめました。
『それはわかるけど本当に日本は中国韓国にひどい事をしてきたんだよ』と返されました(汗)
しまいには『どの党も誰が総理になっても同じ、早く謝って仲良くすればいい』なんてお話にもなりませんでした~(>_<)
自虐的洗脳教育とテレビの報道しか知らない方はこんな意見がほとんどみたいです…
私はその方の約半分くらいしか生きていませんが、私の方が日本人らしいと思うし哀れに感じました。
未来の子供たちにはそんな思いをさせたくないと思います。ご先祖さまを誇りに思える子供たちを育てていきたいと願います。
2012/09/19 URL 編集
志士
2012/09/19 URL 編集
英
昨日尖閣に上陸したの一人は幸福実現党員です。
2012/09/19 URL 編集