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三角兵舎
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Vol.0058
おもいやりの心
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宮川三郎少尉といえば、知覧航空基地から特攻隊として飛び立ち、ホタルになって還ってきたというお話で有名です。
実は先日、そのホタルが還ってきた富屋食堂の鳥濱トメさんのお孫さんが新宿でやっているお店で、お孫さんから直接、当時と、その後のお話を伺いました。
とてもよいお話でしたので、ご紹介したいと思います。
宮川三郎少尉といえば、知覧航空基地から特攻隊として飛び立ち、ホタルになって還ってきたというお話で勇名です。
実は先日、そのホタルが還ってきた富屋食堂の鳥濱トメさんのお孫さんが新宿でやっているお店で、お孫さんから直接、当時と、その後のお話を伺いました。
とてもよいお話でしたので、ご紹介したいと思います。
トメさんは、お孫さんたちにも、当時のことをよく語って聞かせていたそうです。
特攻作戦は、知覧を始め、宮崎の都城など九州各地や、台湾の航空基地からも出撃していますが、なかでも知覧が本土最南端であったことから、陸軍の全特攻戦死者1,036名のうち、半数近い439名が、ここから出撃しています。
富屋食堂は出撃前の特攻隊員たちの憩いの場であったこと、そしてトメさんを、彼らが母のように慕ったこともあり、トメさんは、出撃されたおひとりおひとりのことを、全員分、まるで昨日のことのようによく覚えておいでだったそうです。
なかでも宮川少尉のことは、とても印象に残っていて、何度も何度も聞かされたそうです。
宮川さんが知覧に来られたのは昭和20(1945)年5月の終わりごろだったそうです。
宮川さんは新潟の人で、雪国の人らしく色白でハンサムな方でした。
宮川三郎少尉
知覧に来る前、万世飛行場から一度出撃しているのですが、機体の故障で引き返して、一人だけ残ったのを大変気にしておられました。
ようやく代わりの飛行機がもらえ、出撃する前夜の6月5日のことです。
宮川さんが、一緒に出撃する仲よしの滝本恵之助曹長と二人で、富屋食堂にお見えになりました。
宮川さんと滝本さんは、「明日出撃です」と、ごきげんだったそうです。
ちょうどその日は、宮川さんの20歳の誕生日でした。
なのでトメさんは、宮川さんのために、お赤飯を炊いてあげたそうです。
二人はそのお赤飯を、おいしいおいしいと召し上がり、帰りがけに、
「おばさん、俺、明日も帰ってくるよ。ホタルになってね。滝本と二匹で。
だからおばさん、追っ払ったらだめだよ」と冗談のようにいわれたそうです。
トメさんは、食堂にくるときどこかでホタルでも見かけたのだろうと、そのときは気にもとめなかったそうです。
翌6日は、どんより曇った日でした。
この日は総攻撃の日で、朝から特攻機がどんどん飛び立ちました。
トメさんも見送りに行きました。
その日の夜、夜になって、出撃したはずの滝本さんが一人でひょっこり食堂にやってきました。
二人は編隊を組んで飛び立ったのです。
が、どうにも視界が悪い。
そのため、何度も滝本さんは宮川機の横に並んで、
「視界が悪い。引き返そう」と合図を送ったそうです。
けれど、宮川さんはその都度、手信号で、
「俺は行く、お前は帰れ」と合図しました。
何度か目の合図のあと、滝本さんは引き返しましたが、宮川さんは、そのまま雲の彼方に消えていかれたそうです。
滝本さんは、その話をされながら、
「宮川は開聞岳の向こうに飛んで行ったよ」と言って涙をぽろぽろとこぼされたそうです。
そして夜の九時ごろのことです。
食堂には、トメさんの娘さんが二人と、滝本さん、奥の広間には、明日出撃予定の隊員たちが7〜8名いて、遺書を書いていました。
トメさんは、なんとなく、不思議な気持ちになって、食堂の入り口の戸を、すこしばかり開けたのだそうです。
すると、それを待っていたかのように、一匹のホタルが、ふら〜と食堂にはいってきて、天井のはりところに、とまったそうです。
それは、とても大きなホタルで、大人の親指くらいの大きさがありました。
ホタルの季節には、まだ少し早いのに、そんなに大きなホタルがいること自体が、不思議です。
そのとき、娘の礼子さんが、
「あっ宮川さんよ。宮川さん、ホタルになって帰ってきた!」と叫びました。
滝本さんもびっくりされた様子でした。
トメさんは、みんなに言いました。
「みなさん。宮川さんが帰っていらっしゃいましたよ」
その場にいた全員で、何度も何度も「同期の桜」を歌ったそうです。
ホタルは長い間、天井のはりに止まっていましたが、すっといなくなりました。
宮川少尉は、新潟県小千谷市出身で、旧制新潟県立長岡工業高等学校を首席で卒業し、昭和18年10月に明治神宮で行われた第一陣学徒出陣壮行会にも参加された方です。
トメさんは、戦争が終わったあとも、こうして出陣され知覧を飛び立たち散華された特攻隊員達のために、もとの知覧基地に、一本の墓碑を立て、そこに来る日も来る日も、毎日お参りされていたそうです。
自宅からその墓碑まで歩くのに30分かかったそうです。
その道のりを、熱い日も、寒い日も、毎日お参りした。
雨降りの日などは、たいへんだったそうです。
足の悪かったトメさんは、片手に杖をつき、片手にお線香を大事そうに抱えてお参りに行っていたのです。
両手がふさがっているため、傘を持つことができません。
なので、トメさんは、雨が降ると、ずぶぬれになってお参りしていたそうです。
そのトメさんが、お孫さん達に、繰り返し語ったことがあります。
それは、
〜〜〜〜〜〜
特攻隊のみなさんは、みんなとっても「思いやり」のある子たちだったんだ。
あの子たちが行ったのは、軍の命令だから逝ったとか、そういうことじゃなかったんだ。
あの子たちはね、故郷にいる親御さんや、兄弟の方々や、妹や大好きな人たちを守ろうとして、旅だって行ったんだ。
誰だって、死ぬのはこわいよ。
そのことは、昔の人もいまの人も、なんにも変わらない。
あの子達だって、こわかったんだ。
でもね、あの子達は、みんなを守るため、自分の命を犠牲にしてでもみんなを守りたいっていう「思いやり」の心があったんだ。
私はね、出撃した全部の隊員さんたちを知ってるよ。
ぜんぶ、私の子供たちだったよ。
あの子たちはね、人を、故郷を、大好きな人を「思いやる」心があったから、自分の命を犠牲にしてでも、まわりの人たちを守ろうとして出撃して行ったんだ。
〜〜〜〜〜〜
知覧基地で、特攻に行く隊員さんたちは、全員、三角兵舎と呼ばれる建物の中で寝起きしてました。
その三角兵舎は、松林の中にありました。
戦争が終わると、その三角兵舎は、全部取り壊されました。
何年も経ってから、トメさんの娘さんの礼子さん姉妹と、まだ幼かった(このお話を聞かせてくださったお孫さん)たちみんなで、その松林に行かれたそうです。
ふと眼にしたのは、その松の木の一本一本に刻まれた文字でした。
そこには、亡くなられた特攻隊員さんたちが、ご自分で掘ったのでしょう。
筆跡の異なるお名前が、いっぱい刻まれていたのです。
それを見たとき、わかったそうです。
彼らだって、死にたくなかった。そして、俺たちが、生きて、呼吸してて、ここで寝起きして、生きていたことを、決して忘れないでくれ!
その木に刻まれたお名前のひとつひとつに、そういうメッセージが込められているのだと。
そのことに気付いたとき、その場に居合わせた全員が、もうね、号泣したそうです。
戦前の日本にあって、戦後の日本にないもの。
その最大のものは、互いの「思いやり」の心なのかもしれません。
自分の全知全霊をかけて、ときに自らの生命さえもかけて人を思いやる心。
私達の、日本の心を取り戻す戦いというのは、そういう「思いやりの心」を取り戻すための戦いなのかもしれません。
日本人は、
10年で、日本の国体を抜本的に改革し
20年で、清国を破り
40年で、大国ロシアを破り、
80年で、世界を相手に戦って欧米の植民地時代を終焉させました。
10、20、40、80という数列から、次にくるのは160年目です。
160年目というと、平成37(2025)年です。
おそらくそのときに日本が、日本人が世界に示すもの。
それは、おそらく国と国、そして個人と個人がそれぞれに、互いに対する思いやりの心をもつことを、世界の普遍的な標準にすること、なのかもしれません。
私には、そのように思えます。
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コメント
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2012/11/02 URL 編集
-
2012/10/31 URL 編集
桜子
皆さんの力が必要です、頑張りましょう。
2012/10/30 URL 編集
匿名
その方の年齢も高齢になったのもありましたけど戦争のことは、語り継いでいかないといけないんですけど 今の学校教育になく校外学習や修学旅行で取り入れたりしてます。
戦争の教育をやってる学校は、いじめは、ないし制服は、きちんと着用してました。
2012/10/30 URL 編集
愛信
http://ariesgirl.exblog.jp/d2012-10-30/
http://youtu.be/eH3U0Ugj3fU
(動画)
反日売国テレビ局・マスコミの偽装報道や捏造報道に注意しよう、我々愛国系日本人が支持する愛国
国会議員は幾らでも居る。 反日売国テレビ局・マスコミが押す国会議員は全てが偽装愛国議員である事
をしっかりと見分けよう。 たとえ前東京都知事の石原慎太郎が反日売国テレビ局・マスコミが押す橋下徹
とくっ付くなら売国勢力として区別するしかない。
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2012/10/30 URL 編集
星に願いを
トメさんのことば
あの子達は みんなを守るため、自分の命を犠牲にしてもみんなを守りたいっていう「思いやり」の心があったんだ
「瞳を閉じて」の動画も拝見しました。最後のコメント
自爆テロは民間人も犠牲にする無差別殺人そのものですが、特攻は交戦国の軍隊のみに向けた作戦です
若い人たちに特攻の真実を知ってほしいと思います。
困難はつぎつぎでてきますが、再び安倍政権が実現し日本を取り戻してほしいと切望します。いつか知覧を訪ねたいです。
2012/10/30 URL 編集
吉法師
正直、恥ずかしい・・・。
恥ずかしいと思う己が、また恥ずかしい、情けない・・・。
本当に、英霊の皆様、申し訳ありません・・・・。
あなた方が命を賭けて守ったこの国は、恥ずかしい国に成り下がって
逝こうとしています・・・。
無念です。
2012/10/30 URL 編集
はっちょもん
勉強不足で申し訳ありませんでした。
2012/10/30 URL 編集
人権委員会設置法案を阻止!!
今臨時国会で「人権委員会設置法」を成立させるための布陣が敷かれています。
[意見提出のお願い]
「人権委員会設置法案」が国会提出されようとしています。9月19日に続き、もう一度閣議決定される見通しです。
皆様、「人権委員会設置法案反対」、「閣議決定に異議あり」の声を、首相官邸・法務省へお寄せください。
あわせて与野党の議員に「人権委員会設置法反対」の声を届けてください。
首相官邸要望先
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
各府省に対する要望先
意見記入フォームの宛先で、「法務省」にチェックを入れてください。
https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
人権委員会設置法案を阻止!!
2012/10/30 URL 編集
大拡散希望
応援1:「南京裁判 展転社を支援する会」に裁判費用をふくむカンパを!!!!!
郵便振替口座は「00170-1-679142 展転社を支援する会」
応援2:「南京裁判」展転社を支援する報告決起集会
http://www.tendensha.co.jp/saiban/241017.html
と き:平成24年11月14日(水)午後7時開会(6時30分開場)
ところ:文京区民センター2A会議室/都営地下鉄三田線・大江戸線「春日」駅A2出口(区設真砂小売市場2階)
登壇者:伊藤哲夫、宮崎正弘、水島総、花田紀凱、稲田朋美、藤岡信勝、高池勝彦弁護士、尾崎幸廣弁護士、荒木田修弁護士ほか(予定)
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南京「大虐殺」被害証言の検証
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日本軍による「南京大虐殺」はなかった。
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杭州―南京で何があったのか。本多勝一『南京への道』の被害者証言を徹底検証。
被害者証言の問題点・矛盾点を暴きだし、信憑性に欠ける証言であることを証明する。
第一章 結論と総論
第二章 中国被害住民の証言の検証結果のまとめ
第三章 検証の詳細
《著者履歴》
川野元雄(かわの もとお)
昭和21年(1946)山梨県生まれ。東京工業大学卒業後、大手企業の研究所で30年間基礎的研究に従事。
幼少時代から父親より聞かされた、戦時中の南京での体験談に関心を持ち、定年退職後から
「南京大虐殺」に技術屋の視点で取り組む。趣味は、推理小説、時代劇とクラシック音楽。
展転社ホームページには他の書籍の案内もあります!ご注文は書店もしくはホームページから!
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電話 03-5314-9470 FAX 03-5314-9480
e-mail : book@tendensha.co.jp
2012/10/30 URL 編集
大拡散希望
第181回臨時国会提出予定法律案等一覧
【新規案件】
◎法律案
9.人権委員会設置法案 [法務省]
10.人権擁護委員法の一部を改正する法律案 [法務省]
2012/10/30 URL 編集
桜子
それも何一つ汚れの無い優しい眼差しです・・・。
その眼差しは私達に何を言わんとしておられるのでしょう、心が痛みます。
宮川少尉は軍人です、しかし軍人であろうと一人の人間です、一個人です。
日本存亡の危機に全てを捨てて散華されたのです。
活字にして、「散華されたのです、~されたのです」などと書くのは簡単ですが、心の葛藤は本人しか分らない事だと思います、それだけに万感迫るものがあります。
今、日本存亡の危機に於いて、先の戦いで散華された全ての英霊の皆さんの心に答えられるほどの事を成しているか、、、また、少尉の眼差しにそう思うと私は恥ずかしくなります。
先の戦いで多くの若者が、人生の一番いい時、青春真っ只中、その全てを捨て日本を護って逝かれました。
今、我が世の春と青春を謳歌されている若者にこそ史実を知って頂きたいと願っています。
この様な日本になったのも全て戦後教育の歪の他なりません。
鳥濱トメさんと特攻隊員の皆さんを描いた映画があります。
タイトルは「俺は君のためにこそ死ににいく」です。
その中に宮川少尉のことも描かれています。
2012/10/30 URL 編集
にっぽんじん
敗戦で民間人としてただ一人A級戦犯として訴追された大川博士が道徳心について書いています。人間には他の動物とは異なる心が3つあるそうです。それは、恥の心、慈しむ心、畏れ敬う心の3つです。日本人はこの3つの心を持っています。
が、戦後の教育によってその心が次第に薄れているような気がします。この3つの心があればいじめの問題はおきないだろうと思います。生まれてくる子供は全て白紙のキャンパスです。そのキャンパスに新しい絵を描くのが教育です。
親が描く絵、先生が描く絵、その絵によって子供たちは成長していきます。3つの心のない教育は道徳心のない子供を育てます。教育こそが最大の課題です。安倍新総裁に期待するものです。
中韓には大事な道徳心が欠けています。恥の心と慈しむ心、それに畏れ敬う心がありません。中韓に必要なのは金や技術ではありません。必要なのは道徳教育です。彼らには何を言っているのか分からないだろうと思います。哀れな民族です。
2012/10/30 URL 編集
日和
思いやりを与えるのが日本人ならば、重い槍を投げるのが中国、朝鮮半島。いくら思いやりで接しても、中韓には通じず重い槍でかえってきます。国としても拘わらない日がくらばと思います。
靖国が遠くてなかなかいけない人のために靖国の分社が日本列島津々浦々にできる日を願います。
2012/10/30 URL 編集
terag3
命じた部隊指揮官の責任は重大である・・・・などという戦後の価値観で批判
する現代人がいますが、それは当時の日本人の心情を全く理解していない
先の「ジグソーパズルの切片」を見るような指摘だと思います。
私は終戦当時10歳でしたから如何ともしがたい年齢で、どうしようも
無かったのですがあと7~8年前に生まれていたならば、長男ではあり
ましたが、特攻隊へ志願していたでしょう。
当時の戦況はそれだけ逼迫していたのです。自分の命のことよりも我が
祖国、そして我が家族を護るために敵軍に必殺の体当たりをして敵軍に
日本将兵の心意気を示し「日本軍恐るべし」のインパクトを与えること。
だから現代知識人が無謀で、無意味だったと言う「大和」の沖縄特攻
作戦なども大局的に見ればアメリカに大きなインパクトを与えた偉大
なる作戦だったのであり、決して彼らが指摘するような無謀なる作戦
でも無ければ無駄死にでも無かったのです。
私はそのように感じていますが、恐らく現代人はこのような当時の
日本人たちの心意気、他人への思いやりの心などは残念ながら通じ
ないのかも知れませんね。
2012/10/30 URL 編集
茶花
思いやりの心・・・お互いがお互いを。家族を友人を、そして
国土の森や山や川や海に対して。大事にしたい、そして
わが身を反省し、いま一度育て直したいと思いました。
以前の職場の近くに、韓国料理屋さんが固まって立ち並ぶ
通りがありました。ビル丸ごと韓国料理関係だったり、看板だけ見ると
都心部とは思えないような、日本ではないような、そんな場所でした。
その一角はなんとなく皆、食事以外は避けて通っていました。
朝のゴミ出しの汚さ、そこを歩いているお店関係の方の
マナーの悪さ。平気で道を汚す、その汚し方・・・・。
そこを歩いている一般人がいようといまいとお構いなしの
無神経さと言うか、傍若無人さ。
(朝から申し訳ございません)
「公」に対する意識も違えば周囲への思いやりどころか、慮りなど
微塵もない身勝手ぶり。もっと言えばこれが民度の違いの現れと
思うような目を覆いたくなる光景でした。
そこを通る若いビジネスマン同士が、ボソッと
「彼らは自分の国じゃないからだよ(平気で汚す)」と
言っているのを聞いたことがあります。
思いやりの心があれば、人に対してだけではなく自分が働く場所や
上記に書いたような「公」の場所に対しても自ずから、
して良いこと悪いことの区別も、判断もつくはずだと思います。
しかし我々日本人も、襟を正す時が来ていると思います。
「公」と「個」の正しい認識、思いやりの心がキチンと育てば、
電車の扉の前でペタンと座り込んだまま、他の方の迷惑になっていようが
いまいが気づかない、と言うような若者にはならないでしょう。
優先席を占領したまま、本来座るべき方が近くにいても知らんふり、
にはならないでしょう。日本人として何が恥ずかしいのか、を
学び直す時を逸しては、上記の方達と同じようになってしまいます。
思いやりの心があれば自ずから無関心ではいられません。
「公」への関心と思いやりの発露は自然に大切なものや、
国を護る意識に繋がると思います。
ねずさんの仰る日本の心を取り戻す戦い=思いやりの心を取り戻す戦い。
本当に本当にそう思います!
あと13年後、平成37年にどのような国家を育て、日本人を育てているか、
まさに我々大人の手に掛かっていると思います。
松の木に名を刻んで行かれた英霊が微笑んで下さるような、そんな国を
子供たちに手渡したい、強く思います。長文失礼しました。
2012/10/30 URL 編集
蛍
http://www.youtube.com/watch?v=haQJ1cJIVA4
偶然なのか同じ日に他のブログでどなたかがこのユーチューブを載せていました。
私自身は今日のお話は聞いていたので、ユーチューブを見ながら蛍になって帰って来た宮川三郎少尉のことを思い浮かべていたところでした。次回、蛍に出くわしたら深い愛情と感謝を念じずにはいられないことでしょう。
2012/10/30 URL 編集
はっちょもん
年齢を重ねるにつれて「死生感」について考えさせられるようになります。
人間には必ず「死」を受け入れなければなりません。
なぜなら、始めにこの世に「生」を与えられて生きているからです。
これを魂の平等(全ての人間に与えられている不変の法則)と言います。
そして、日本人は転生輪廻の法則を肯定してきた民族国家でした。
世界的にも大文明の発展した地域の遺産発掘調査をしても生まれ変わりを信じていた事が記されています。
さて、数十年前に現実にあった特攻隊のお話ですが、英霊の方々は自分の人生での与えられた運命を最大限に生かすということを懸命に考えて自分なりに答えを出したと方々だと思います。
老いぼれた高齢の方とは違い、これから何でもやりたいことや希望をいだける将来ある若い世代の人ばかりです。
大変な葛藤があったと思います。
その頃の日本は素晴らしい教育を学んでいたのでしょう。
現代との大きな違いは今回のお話の題でもある「思いやりの心」など倫理の教育が抜けてしまっています。
最大の要因は占領政策の「神国日本」の宗教排斥からだと推測します。
しかし、本来の祭政一致に戻さないと低俗な国に墜ちていくことは明らかです。
転生輪廻して、再度生まれ変わって新しい希望の時代を生きてゆける。
「今世は自分の命を多くの人々を救う為に捧げる」
自分の幸福を生き残った人に託して分かち合う。そして感謝される。
宮川さんも生まれ変わってあなたのお近くで幸せに暮らしているのではないでしょうか。
いや、それともこんな暮らしにくい日本にしたくなかったのにと悔やんでいるかも、、、
本当の宗教とはなんと素晴らしい教えであるか、それを否定する左翼活動の罪は重い。
2012/10/30 URL 編集