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「武士」と書いて「もののふ」とも読みます。
「もののふ」というのは「物部」で、「もののべ」とも読みます。
「もの」というのは、「えもの」つまり武器を指します。
ですから「物部」は、武器を扱う氏、つまり武門の長であったわけです。
時代が下って奈良時代になると、菅野真道らが編纂した延暦16(797)年の「続日本紀」の巻八に、「文人武士は国家の重んずる所」という一文が出てきます。
これが我が国における「武士」という言葉の初出になります。
太宰府における防人や、貴族の持つ荘園の警固兵など、古代における武士は、いまの時代にあてはめれば国軍の兵士や、民間の警備員のような役割の者達だったといえます。
ところが平安時代後期になると、貴族による全国的な支配秩序が崩れ、それに代わる私的な権力を持つ者達が現れました。
もともと、貴族の持つ荘園は、貴族や大寺院が自分たちの力で開いたものではなく、地方の有力農民などが開墾した農地が寄進されてできたものです。
従って名目上所有者は貴族ですが、実態は有力農民たちが管理運営していたものでした。
農地は平安時代を通じて、さらに開墾されていきますが、そうした農地は必ずしも貴族や大寺院に寄進されず、農民達が自分たちの手で守り抜くものとなっていきます。
はじめのうちは、土地は開墾すればいくらでもあるものでした。
けれど時代が進むと、当時の技術で開墾できるところは開墾しつくしてしまい、点在していた農地は、その境界を他の農地と接するようになります。
すると、治水利水権や、土地の境界線をめぐるもめごとが起こる。
貴族や大寺院の土地ならば、もめごとの調停は、貴族や大寺院側が行うけれど、それが私田だと、そうはいきません。
自分たちの力で解決しなければならない。
そこで農民たちは互いに結束して武装し、半農半武の武士団を形成しました。
律外の民としての武士のはじまりです。
彼らは自分たちの領地を守るために、一所懸命となって働きました。
食うか食われるかの戦いの中で、彼らは勇敢であることを誇り、卑怯を軽蔑し、武士の誉れを大事にする存在となっていきました。
そしてより大きな保護を得るために朝廷の武士(いまでいったら国軍)である源氏、平氏という大きな「家」に帰属し、そこで本領を安堵してもらうかわりに、いざというときには一命を投げ打って働く奉公をする御家人、つまりその一家に所属する集団となっていきました。
新たな「武士」の誕生です。
つまり、言葉は同じ「武士」でも、鎌倉以前の「武士」と、鎌倉以降の「武士」では、その意味合いがまるで異なるのです。
鎌倉以前にも武士はいました。
防人とか北面の武士などといった存在です。
けれど、それらは、いまで言ったら国の軍隊であり、地方公共団体の警察官のような存在です。
ところが鎌倉以降の武士は、そうした公的軍人や警察官等と異なり、庶民を代表して立ち上がった人達です。
つまり「領主」です。
刀を持てば武士というわけではありません。
また領主とともに戦いに出向く領民は郎党であって武士とは一線を画した存在です。
江戸時代、「鎌倉武士のようだ」という言葉は、武士に対する最上級の褒め言葉とされていました。
その鎌倉武士が尊敬されたのは、彼らが農地共同体の小領主であり、かつ、勇敢で領民思いであり、誰からも尊敬を勝ち得るだけの存在となっていたからです。
そしてそういう武士達が、元寇という外圧を機に、国を守るために敢然と立ち上がり、蒙古の大軍を跳ね返して、日本という国を守り抜いた。
そのことが結果として、本領を安堵するだけでなく、日本を護る、すなわち「公」のために忠義をまっとうする、つまりより大きな正義のために生命をも投げ打つ「武士」として、我が国に完全にその存在を定着させていったわけです。
このことは、民の側から見た武士達が、私利私欲ではなく、「公」という概念に仕える公明正大な存在となっていったということも同時に示しています。
ところが、日本を二分する武士勢力である平家は、源氏によって討たれました。
なぜでしょう。
平家は、伊勢平氏の棟梁であった平忠盛の長男清盛が、保元の乱、平治の乱で軍功をたて、武士としては初めて太政大臣に任ぜられたとされています。
軍功があって太政大臣にまで出世したのなら、武家の棟梁として申し分なしです。
何も「平家を討とう」などということにはなりません。
にもかかわらず清盛が民の顰蹙を買い、結果として家を滅ぼす原因となったのは、清盛が朝廷に食い込んでいったことそのものと、大きな因果関係があるといわれています。
それが何かと言うと、なるほど清盛が乱に勝ち抜いたことは事実なのですが、その際に彼は西日本の水軍を傘下におさめていたのです。
当時の水軍というのは、国際私貿易の担い手でした。
ChinaやKoreaに船を繰り出し、私的交易を図って巨富を得ていたのです。
宝船の絵といえば、七福神が乗っかっていて、船には金銀財宝や米俵が満載されている図が描かれていますが、まさに国際貿易は、海難事故というリスクはあったものの、成功して帰還すれば、巨利を得ることができました。
少し時代は前後しますが、宝徳年間に明に渡った商人の楠葉西忍の記録によれば、明で250文で買った絹糸が、日本に持って来ると5貫文(5000文)の値で売れ、日本で10貫文で仕入れた銅が、明で40〜50貫文で売れたそうです。
刀剣類や漆器などは、やはり2〜30倍の値段で売れたと書かれています。
つまり、私貿易は、それだけボロ儲けできる商売だったわけです。
そうした利権を手中に収めた清盛は、朝廷に金をバラまき、地位を上昇させました。
なにせ時代は平安後期です。
律令制度の令田制度は崩れ、朝廷や貴族達の税収も減っていた。
そこへ登場した清盛は、まさにカネのなる木をもって、政治権力を買い取っていったわけです。
今風にいえば、清盛の治世は、まさに経済最優先の治世であったということができるかもしれません。
こうして政治権力を得た清盛は、娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言われる時代を築いたわけです。
要するに清盛の力の源泉は、国際交易によって得た財力にあります。
従って清盛は、政界に力を持てば持つほど、ますますその財力を強化する必要に迫られます。
そしてそのために、清盛は、ますます国際交易に力を入れました。
このことは、交易の相手国であったChinaやKoreaとの国交の親交化にもつながります。
当初は、商売のための財物が日本に流入するだけだったものが、次第に人的交流も強化されていきます。
はじめのうちは、それなりの人格者や高僧、あるいは技術職人などが渡来しますが、年月を重ねるにつれ、戦乱の続く大陸から難を逃れ、親戚を頼って日本に渡来する者たちも増えていきます。
私は、ChineseやKoreanが、必ずしも悪人ばかりとはいいませんし、中には本当に尊敬できる人格者も数多くいるし、また普通の生活をし、郷に入ったら郷に従うまっとうな人達が大半を占めるということは、否定するつもりはありません。
けれど、人肉を食し、人を殺したり集団で弱い者、女性などをかどわかし、暴行したりする不逞な者達がそうした渡来人の中に数多く混じっていたであろうことも、これまた否定できない事実です。
結果として、それまでの平安日本の社会ではあり得ないような悲惨で残酷な事件が、国内で頻発する。
農作物や家畜が、半ば公然と盗まれる。
そうした治安の悪化は、民の怒りとなって蓄積していきます。
とりわけ東国の武士達からみれば、流れ者が乱入してきて治安を乱す。その治安の乱れ(犯罪行為)は、そのまま本領を安堵すべき武士の不名誉となっていきます。
そうした世の中の乱れを産んだ平家には、当然に民の怨嗟の声が充満してくる。
そしてその声は、はじめは小さかったものが、次第に世論となり、「平家討つべし」の大合唱が起こりはじめます。
そして一部の武士達が、源氏の嫡流である源頼朝を担ぎ上げ、中央政府を仕切る清盛に対して反乱を起こす。
はじめは小さな勢力でしかない頼朝派は、乱をすぐに鎮圧されてしまうけれど、「頼朝立つ!」の報は、東国を駆け巡り、ついには平家を滅ぼし、鎌倉政権の樹立に至っています。
こうした一連の流れは、似たようなケースが、我が国の歴史には度々登場します。
そしてそのことが、我が国の歴史が、だいたい150年から200年単位で、開国と鎖国をくり返す歴史となっています。
日本は、明治の開国から、今年で144年です。
開国政策は、我が国に江戸日本では考えられなかったような富をもたらした一方、大東亜戦争の焼け野原を招き、そして戦後復興という、未曾有の経済成長をもたらしました。
けれどその一方で、日本人の常識、経済的自己の利益よりも公に尽くす、あるいは人と人とが仲良く暮らす、互いに信頼を基礎におく安定した社会構造を大きく破壊してきました。
そして昨今では、日本的「和」よりも目先の利権を最優先する政党が、政権与党に座るという事態まで招いてしまっています。
そしてそのことで、日本社会は、わずか三年で富を海外に流出させたのみならず、人々の生活は苦しくなり、巷には政権与党に対する怨嗟の声が満ちるという情況になってきています。
そしてその一方で、民の幸福や日本社会の安定を願う、保守主義者ないし日本主義者が、大きく成長してきています。
思うに、いま立ち上がりつつある保守勢力、あるいは日本主義者、日本派、名前はいろいろな呼び方になっているけれど、その日本派の人々は、いわばかつて、民の私権を守るために立ち上がり、公に尽くすことを最大の使命と考え、我が国を守るために、自発的に立ち上がった人達です。
ということは、いま目覚め、立ち上がりつつある人々は、かつて領民を守るために立ち上がった鎌倉武士同様の、現代版「武士」といえる人達といえるのではないでしょうか。
もちろん社会構造が違います。
ですから、現代版の「武士」たちは、刀を腰に二本差すようなことはしません。
けれど、その思想と行動は、常に日本人としての日本の民とともにある。
それが武士です。
そして、つい最近まではバラバラに行動していたその現代版「武士」達は、いま安倍総裁という棟梁を得て、新たな日本つくりの段階にはいろうとしています。
新しい時代のはじまりです。
歴史は繰り返すといいます。
当面は日本は大乱となるかもしれません。
けれど、それは新たな日本を築くための産みの苦しみなのです。
私達は、誇りある日本の明日を信じて、いま、立ち上がったのです。
勝ちましょう! 衆院選!!

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コメント
安倍叩き=マスゴミ
テレビ朝日が情報操作しデマを流すように強要したことを経済学者に暴露されました!
■テレビ朝日の報道番組で経済学者に「安倍の経済政策はハイパーインフレになり経済破綻すると言え」と強要
https://www.youtube.com/watch?v=Ak35A8m9o5c
経済学者の男性はテレ朝系・モーニングバードに出演
「経済破綻とハイパーインフレでお願いします」と言われたと激白
「江頭みたく次から呼ばれない覚悟で本当のことを話した」 とも暴露
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1354014704/
2012/11/28 URL 編集
宮崎一区民
想像以上に大勢の人達が集まっててw(°0°)wビックリ‥しながらナントカ前の方に座り登壇者の話を聞いてたんですが、その話によれば天満橋(←中山サンが作った橋)の先まで大渋滞だったそうで、その人気ぶりにまずは一安心(^.^)ホッ・・
恭子サンやわざわざ杉並から駆け付けた区議サンらに続き、最後に登場の中山サンが色々悪口wを言い始めたんですが、ドーヤラ自民の県連のイジメwにあって仲違いしたそーでして、安倍サンとは今も仲良しで電話でやり取りしてるそうです。 こないだ安倍サンが日銀白川やらに叩かれてた時も元大蔵官僚として「いやアレは安倍チャンが正しい」って理由を電話で懇々と説明したとの事。 また浪人中に郡部以外の宮崎市内全戸戸別訪問してた事も知りました(驚)
あと貰ったチラシに水間サンの投稿があったんですが、そこに「伝統ある所が日本を護り作ってゆく。是非宮崎(←皇室の故郷)が起爆剤になってほしい」と書いてあったので、迷いも吹っ切れ中山サンが国政復帰出来るよう投票する事に決めました。 ‥ただ『維新』とは書きたく無いし安倍自民には圧勝して欲しいので、小選挙区に『中山なりあき』、比例で『自民党』と書く積もりです♪
考えてみりゃ宮崎一区なんて日本全体から見りゃ極く一部で大勢にはさほど影響せんので、飛車を切って玉を獲りにいく感じでしょうか? 形はどうあれ中山サン西村サンには国会の場に座って闘って欲しいんで。
もっとも一区の住民じゃなく隣の宮崎ニ区の住民なら何の迷いも無く『江藤拓=自民党』と投票出来たんですがねぇ‥(^^ゞ 直前で二転三転されたおかげで余計な回り道してしまいました(苦笑)(^o^; 素晴らしい大会でしたが、散々文句言ったろうと意気込んで行ったので、質問コーナー的なコーナーが無かったのが唯一のダメ出しでしょうか(´ω`)フンガ~
あっそうそう、会場出る時恭子サンと握手しました♪ なお閉会時のシュプレヒコールでコール役のお兄さんがグダグダ過ぎて失笑買ってたのはご愛嬌ww(*^□^*)ξ
2012/11/28 URL 編集
読者
勤勉であり、功を語らぬ東北人の姿でしょうか。小沢のようなナリスマシ東北人や安住・玄葉のような「地元を棄てる者共」に読ませたいものです。
ねず様ブログ愛読者の私は実は、若いころ反日家でした。理由は大叔父が南方戦線で餓死しかかっており、その作戦の無謀さを聞かされていた為です。
しかし人間、一度は私見を捨てて学ばねばなりませんね。
今回の記事も合わせて拡散に協力いたします。
2012/11/27 URL 編集
名無しさん
きたる選挙に向けての注意事項を少々貼らせてください。
ひめのブログさんが詳しく書いてくださっていたので。
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■ 外国人の選挙活動は入国管理局へ通報!!! ■
入国管理局に、外国人による選挙活動の取り締まり徹底を
要望しましょう
↓
入国管理局
info-tokyo@immi-moj.go.jp
■ 公職選挙法にのっとった注意事項 ■
選挙違反を見つけたら、「交番」か「選挙管理委員会」へ即通報!!
「公立学校の先生の選挙活動」も犯罪、日教組要注意!!
落選運動について、「後援会参加者は違法」!!
街宣中候補者へのヤジは、公示前は良いが「公示後は違法」!!
違反の無い、健全な選挙に。
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2012/11/27 URL 編集
日和
今日のニュースで安倍さんはなぜ討論をweb動画にこだわるのか分からないと言っていた議員がいました。
民主はホテル貸切で討論とか言っていましたが、当然だと思うのです。編集できないようにしたいからではないでしょうか。ホテルでなら野田さんにまた騙されるかもしれない。テレビなら変な編集をされるよってweb動画ならそのまま流されるからです。そんなこと私でもすぐにわかるのに。そんな馬鹿な発言をニュースにすることが愚か。今度の選挙ではこてこての保守の方々に当選してほしいです。当然保守に票をいれます。
2012/11/27 URL 編集
圭
土曜日、吉祥寺での街頭演説に行きましたが、聴衆者は数千人にものぼり、安倍総裁の力強い発言に「この人しかいないっ。」と痛感いたしました。
同日、日比谷での演説は映像で観させていただきましたが、大きな日の丸国旗をバックに語られる安倍総裁に、国内外のネガキャンに負けないでっと祈らずにはおられませんでした・・・。
濁流の中に身を置き、この国のために身を捧げている安倍総裁の支援者が一人でも多く増えますように・・・・朝〇、読〇、N〇K、TブタS等の日本を貶めたい者達からの負のエネルギーを少しでも跳ね返すことが出来るとすれば、身近な人に自分の知っていることを話し投票材料のひとつとしてもらったり・・・直接、媒体に意見電話、メールをすること・・・などでしょうか・・・?。
2012/11/27 URL 編集
紅葉狩り
「武士」という身分も、スタイルもなくなりましたが、「精神」は受け継がれているのですね。
というか、DNAに刻み込まれているようです。
日本って奇跡の国だとつくづく感じます。
平成の「武士」の方々、よろしくお願いいたします♪
2012/11/27 URL 編集
加治将一@kaji1948
外国人移動容易化法って、意味が理解できません。
「日・英・中・韓」の4か国語表記案内看板で、日本の美しい観光地の景観が台無し、しかも日本人移動が、看板が見にくくなって容易でなくなっている。
日本の公務員は誰のために仕事と予算を使っているんだ!!
即刻、こんな法律は廃止してほしい。
2012/11/27 URL 編集
にっぽんじん
自民党が公約に掲げた国防軍に対して批判が出ています。自衛隊は国民になじんでいるので名称を変える必要はないと言います。日本の中だけならそれでも構いません。しかし世界が相手です。自衛隊では隊員の命を守れません。
日本の辞書では「隊」も軍の意味を持っています。しかし、外国では異なります。英語では軍は「army」であり「隊」は「squad」です。「squad」は隊、分隊であり「軍」そのものを意味していません。
交戦し、ジュネーブ条約の捕虜として扱われるのは軍隊であって自衛隊ではありません。国内では自衛隊を軍と解釈しても交戦相手国が認めなければ捕虜扱いはされないのです。自衛隊員の命を守るのであれば名称をきちんと軍にする必要があります。
解釈では世界に通用する軍にはならないのです。憲法9条があるから軍に出来ないと言うのなら自衛隊は「軍」としての解釈は出来ないことになります。軍名称に反対する人たちは自衛隊員の命を守らないのでしょうか。
2012/11/27 URL 編集
団塊の世代の後輩
2012/11/27 URL 編集
匿名
政治家でも有名になりたいだけに出てくるのも沢山いるしマスコミを利用するのもいい加減にしてくださいと思いますけど 有名になりたい人は、マスコミにお酒の接待をしてるんです。
お酒で つられるディレクターやプロデュサーも問題ありですけどマスコミ関係は、建造物侵入や警察の御厄介になることは、平気でやるのであるテレビ局関係に不審者に思われるような格好なので警察に通報しますと言ったらそれから来なくなりました。
マスコミ関係の連中 特にテレビ局は、収録スタジオに入らないと出世しませんから あの手この手を使います。
2012/11/27 URL 編集
イシコウ
訳のわからない政党乱立、自己の利権を確保する為だけの政党の多い事、中身が薄くて透けて見える様です。
とにもかくにも、12・16は安部総裁に阿部総理になってもらい、維新の日本派と共に日本を取り戻す政治を強力に推し進めて欲しい、俺も下級武士かもしれないけど、頑張るぞ~!
2012/11/27 URL 編集