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聖徳太子の十七条憲法は、みなさんご存知のことと思います。
その第一条は「和をもって貴しと為す」で、まさにわが国のカタチそのものをここで明確にお示しになられたものであり、これこそわが国が世界に誇る文化遺産といえるのではなかろうかと、私などは思っています。
ところが最近、この十七条憲法について、学校では「これはわが国の憲法でもなんでもなく、単に当時公務員であった貴族たちに対して発布された、きわめて限定的なもの、簡単にいえば、学校の生徒手帳に書かれた規程のようなものだ」と教えるのが、学校での不文律の「常識」となっているのだそうです。
もちろん、学校指導要綱のどこにもそのようなことは書いてないのですが、こうした指導が、いわば学校での「慣習」であり、不文律のようになっているのだそうです。
実に、とんでもないことです。
十七条憲法が発布されたのは、西暦604年のことです。
もちろん、新聞やテレビ、インターネットなどなかった時代のことです。
直接これを聖徳太子から聞いたのは、当時の朝廷の側近であるお公家さんたちであったことでしょう。
けれど、そのお公家さんたちは、それぞれが所領を持つ領主です。
自分たちが「和をたいせつにする」というのは、単に朝廷内部だけに限った話などでは決してなく、貴族たちが自分の配下や領地を治める際にも、まったく同等の考え方がとられた、だからこそ「憲法」という名前がついているのです。
そもそも十七条憲法において、その第一条に「和をもって貴しと為す」とあることは、とても大事なことです。
なぜなら、当時の憲法というのは、現代や近代法治国家の成文憲法や法規と異なり、あくまでも口伝えで、臣下に広がることを期して書かれてるからです。
口づてで、人に教える時、教わる側にとって、その冒頭の第一条は、とても重要な意味を持ちます。
なぜなら、もっとも暗誦しやすい部位だからです。
そしてそこに聖徳太子は、「和をもって貴しと為す」と書かれているわけです。
つまり、この言葉は、日本社会の基本的構造そのものを高らかに謳い上げた文でもあるのです。
昔の人は、よく日本をひとつの家族に例えました。
家族の最小単位は家庭です。自分がいて、父母がいて祖父母がいて、子がいて、孫がいて、ひとつ屋根の下に住んでいます。
その家庭が数件から数十件まとまったものが「村」です。
そして「村」がいくつかまとまると、惣(そう)になります。
いまに伝わるたいていの神社のお祭りは、この「惣」が単位となっています。
さらに「惣」がいくつかまとまると「郷(ごう)」になり、「郷」がいくつかまとまると「国」になる。これが昔でいう「藩」です。
そしてその「藩」がまとまったものが、「日本国」です。
そのひとつひとつが輪となって、日本という国を形作る。
輪というのは、環状ですから、上下がありません。
そのことも、聖徳太子は「彼を是し、我を非し、我を是し、彼を非す。環(たまき)の如くしてはしなし」と書かれています。
その「輪」こそが「和」であり、和を大切にする、という観念は、そのまま公地公民、つまり天皇の民という観念に結びつくわけです。
施政者は、天皇の民の和を治める人です。
その施政者は天皇が任命し、施政者は天皇から任命されて、天皇の民を治めます。
そうすることで、民は奴隷的支配と、それへの隷従ではなく、ひとりひとりが施政者と、人として対等な民となりえるわけです。
ただし、そのときに、ひとりひとりの民が、夜郎自大におちいって、自己主張ばかりを繰り広げたら、国はバラバラになってしまいます。
ですから、憲法の第一条に「和をもって貴しと為す」と書かれたわけです。
そういう「天皇の民」という概念を、無理矢理否定し、あくまで施政者が、周囲の者を隷属させる、まるでChinaの歴代王朝のような存在と、日本の治世を説明しようとするから、わけがわからなくなるのです。
そしてわけがわからないから、十七条憲法でさえも、学校の生徒手帳のようなものに過ぎないなどと、軽々しい捉え方しかできなくなる。
実に嘆かわしい話です。
私などがいうのは僭越ですが、いまの日本では、もはや「教師を教育する教育機関」が必要となっているのかもしれません。

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コメント
Ken
その日本が、満州事変から無条件降伏という「完敗」までに至った原因および経緯を、中国共産党の策略、アメリカの世界戦略(ハルノート)、スターリンの陰謀(ゾルゲ)に求める論もあるようですが、では原因を100%これらに求めていいのかというと、そうではないと思うのです。
すなわち、日独伊三国軍事同盟によって米英との戦争は現実的となってのであり、独ソ戦でドイツが行き詰まっている1941年に、日本は世界戦争を開始したのです。このように考えるなら、太平洋戦争の主たる原因は、日本人の政治的錯誤です。
「和して同せず」は、政府、為政者の発言を100%支持する人がいないという点で、むしろイギリスやアメリカの政治形態に、顕著に見られる傾向だと思います。
偏見もあるかもしれませんが、これからの日本は、アングロサクソンの政治形態に学ぶべきところもあると思うのです。
2013/02/05 URL 編集
-
背景の確りした人選から始まり、日本神話も確り学んでもらい、教育勅語を基本とした道徳教育と学力向上を目指した教育の両方が大切何だろうなと思う今日この頃です。
日本の教育は戦前の方が良かったんだと思います。
2013/02/04 URL 編集
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時代や人は時が流れれば、価値観も変わります。
けれども、その時代、その時々の問題が起こったとき、解決へ向かってどのように関わっていけばよいのかを指し示しているのではないかと思います。
民主主義のはしりですね。
2013/02/04 URL 編集
貼り付け
村落の警備を担い村民から頼られているものの、彼らは村民たちよりも下位の存在として扱われてきた。
しかし、その技術は武士たちも目を見張るレベルであった。
河辺政一「備後御調郡地方の特殊民」
2013/02/04 URL 編集
清正
我が国の思想は、この憲法十七条に回帰すれば、すぐにでも我々を善き方向へ導いてくれる。
左翼はとかくこれを嫌う、禍々しさ極まる。
我が国は、遥か遥か昔から
《民の為の政》が、その根幹にあった。結局は、その姿勢と実践が、急がば回れになり、最も国家を安定、繁栄させるのだという事なのだろうと思います。
私は北条氏康が好きなのですが、彼の言葉にも
[財産守るが君主である、財産とは民である]
と遺している。
また、日本には[和して同ぜず]という言葉もあります。
[和をもって尊し]と[和して同ぜず]
一見、相容れない様で、実は国家観の本質を内在させて見事に融合、昇華させていると感じます。
これからも頑張って下さい。
2013/02/04 URL 編集
noname
日本にアラーやキリストや釈迦のような飛びぬけた偉人が誕生していないのは、それらの人々が説いたような一種の「立派な教え」を元々普通の人々が持っていたからだと
誰もやれていないのならば戒めを作った人は偉人になって称えられるのでしょうが、皆が普通にやっていることを言ったところで偉人にはなれない
「和をもって・・・」ってのも元々日本で普通に行われていたことなのでしょう
マッカーサーは日本人の精神年齢が低いというような事を言ったという話がありますが、実際は全く逆で、贔屓目なしに日本人が最も人間として成熟していると思ってます
その原因は、日本では先祖代々の知恵の蓄積がちゃんとなされてきたからだと思っています
日本に長寿企業がぶっちぎりで多いのもその証拠であろうと思ってます
日本以外の国は生まれたてと言ってもいい
中国にしても、4000年の歴史などなく、何度も民族が入れ替わって、そのたびに記憶喪失になっているようなものです
中国じゃなくても、外国のほとんどの国は滅亡を繰り返している
だからこそ、彼らは目先の利益しか見えないのでしょう
日本のように長い目で見た損得勘定ができていない
日本人が礼儀正しいのも、災害時に略奪などが起こらないのも、損得を長期で見ることができるからだと思っています
個人的に、こういうのは道徳というよりは、やっぱり損得の計算だと思っているのですが
短期の利益しか見えない人は平気で嘘をつく
環境破壊も気にしない
伸びる時に一気に成長してはすぐに崩壊する
どう考えても未熟です
2013/02/04 URL 編集
ポッポ
世の中、毎日生きているだけで、様々なもめ事があります。
日本に始めて出来た憲法の第一が「和をもって尊しとなす」、素晴らしいです。
これが極めて限定的な、学校の生徒手帳に書かれた規定のようなものと教えているのならば、柔道の強化監督が一流選手を相手に言葉で指導できずに腕力と暴言で指導するのも、学校の体育クラブの監督が暴力で指導するのも、なるほどと思います。
教える能力のない者が、教えるとき、自己の能力のなさを隠すために暴力で糊塗します。
ところで、地方公務員の給与削減です。
国家公務員の給与を20パーセントではなく、7.8パーセント削減(2年間)したら、次は地方公務員の給与を削減する。
これは、十分に予想されたことです。もっとも、詐欺フェストだからまったく実行しないことも考えられたのですが・・・・・予算の必要ないことすら、実行するときはこの程度と思っていました。他の詐欺フェストは言うに及ばず。
公務員の給与は、本来、人事院の勧告により審議し、実施するものだと思いますが、国家公務員の給与削減によって、人事院の勧告が絶対的なものではなくなってしまいました。
次は、国会議員は一応歳費の削減をやっていますから、地方議員の給与削減が提案されるのでしょうか?
2013/02/04 URL 編集
越智富雄
『新唐書』東夷伝・日本に明記されています。6世紀半ばに誕生した、我が国最大の人物と言えるでしょう。
アメタリシヒコとは、現在の言葉で言うと、「大宇宙から地球に降臨した救世主」という意味になります。アクエンアテン、釈尊、イエス・キリストは、同じ魂であり、この人こそ、本来の天照大神、天照皇大神、日の大神です。「斑鳩や富の小川の絶えばこそ我が大王の御名は忘れめ」(三枝の歌)とあるので、実名はトミと申し上げたのでしょう。
用明天皇が西暦600年に存命とするなら、崇峻、推古という漢風諡号も、この人物のことです。推古天皇の推古をヲシフルと読めば、ニギハヤヒ大王となります。ヲシは王、フルとはニギハヤヒの別名です。崇峻天皇の崇峻は、崇山峻嶺、大きくて高い山のことですから、大山積神(オオヤマツミノカミ)となります。
用明天皇のおくりな、橘豊日とは勢力範囲を示し、橘(たちばな)とは太刀鼻、太刀のような半島が突き出した島、佐田岬半島のある四国、ということになります。用明天皇は、猿田彦でもあるわけです(猿田=佐田)。6世紀後半の人物の周辺に、神世の神名が立ち現れてきます。
西暦538年に仏教が公伝されたと諸寺院が主張するのに、あえて『日本書紀』では西暦552年に百済の聖明王から欽明天皇に仏教が伝えられたと記します。ここにキーワードが隠されています。欽明、用明、舒明、斉明と、明がつく天皇がいらっしゃいます。
この明を、仏教を示すと解くのでなく、明とは人物のことだとしたらどうでしょうか。明神と書いてアキツミカミと読みます。現人神(アラヒトガミ)であり、皇祖のことでしょう。天皇の理想とされる人物は、確かに存在したのです。西暦552年をその人物の誕生年と解けば、スッキリとします。明なる人物の誕生を欽び(よろこび)、明智を用い(明なる人物その人)、明なる人物の徳を舒べ(のべ)伝え、明なる人物を斎き(いつき)祭る、もしくは明なる人物と斉しい(ひとしい)人物が誕生した、ということではないでしょうか。ただし、この人物は百済からやって来たというふうに読めます。伊予の豪族・越智氏の伝承に「大山積神は6世紀に、百済からやって来た」というものがあります。越智氏は、大和国を発祥の地とする、天照大神の兄神・大山積神を祖先とする一族です。あながち嘘ではないでしょう。
「聖徳太子は橘という所で生まれた」と言いますが、タチバナは太刀鼻です。その点、鼻から生まれた須佐之男と似ています。佐之男(サノオ)とは朝鮮語で荒々しい男、乱暴な男のことらしいですが、つまり荒ぶる神です。アメタリシヒコ、天降りし救世主の魂を、アラフル神と言うのではないでしょうか。逆賊(物部守屋?)をたった1本の矢で射殺した少年を見て、夫余種族系の帰化人は朱蒙(チュモン)の再来と信じたし、『日本書紀』はそれを豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)と表現しました。後の律令で、天皇に即位する皇子は殺人を犯してはならないとされました。太子の軍功をもみ消して、正体不明の人物・トミノイチイの手柄と書き換えました。しかし、今や我々は太子の実名がトミであったことを知っています。この軍功によって太子は物部守屋の所領であった斑鳩の庄を賜ったのです。
このように、諸部族を統合するカリスマであった用明天皇・アメタリシヒコですが、なぜ天皇在位期間2年足らずの、非力な人物として描かれているのでしょうか?そして、息子としての聖徳太子は個人としては負い切れないほどの名声・伝説を付加されています。
原因は、近親婚だったからです。同母妹カシキヤヒメと恋愛し、伊予に下されました。カシキヤヒメは橘大郎女を生みました。後の斉明天皇です(用明天皇ただ一人の娘、スカテヒメとはこの人。伊勢の斎宮となった。女神としての天照大神は恐らくこの人のこと)。アメタリシヒコは、その実の娘を后にしました。このことは、富の長髄彦(ニギハヤヒ大王と同一人物)の妹の名が、ミカシキヒメということから類推できます。愛媛県には、ニギハヤヒをまつる神社が多いのですが、妻神名をミケカシキヒメと書いている例があり、ミケカシキヤヒメとほぼ同一です。また、ニギハヤヒ大王の娘の名と、后の名が重なる伝承もあり、近親婚だったらしいのです。橘がアメタリシヒコという人物を表しているとすると、橘大郎女とは、アメタリシヒコの長女ということでしょう。『新唐書』には推古天皇にあたる人物(かの書では雄古)は、「欽明の孫女」と記されている。アメタリシヒコの死後は、橘大郎女が、中心人物だったのではないでしょうか。斉明天皇の弟・孝徳天皇は、用明天皇と同じ「豊日」とおくりなされ、皇后の名も、同じく間人皇后です。アメタリシヒコは、「天未だ明けざる時、出でて政を聴き跏趺して坐し、日出づれば便ち理務を停め…」という政治形態。孝徳朝は「有位者は寅の時(午前4時前後)に南門前に集まり、日の出の開門とともに朝庭で再拝のち庁に侍して政を執る。そして午の時(正午前後)になると、中庭に設けられた鐘台の鐘の音を合図に退庁する」という政治形態。よく似ています。舒明天皇と孝徳天皇は、同一人物だったのではないでしょうか。孝徳は、スカテヒメの兄・当麻皇子でもあり、結局、敏達天皇も、用明天皇と同一人物だったということになります。こう見てくると、アメタリシヒコ・用明天皇は、アクエンアテンその人の生まれ変わりです(ツタンカーメンの父)。実は、アクエンアテンは、旧約聖書のアダムなのです。イエス誕生の時、東方の3博士が来たといいますが、博士たちは、イエスをアクエンアテンの生まれ変わりと考えていました(薔薇十字会の見解)。アクエンアテンはアダムをはじめ、アブラハム、ヨセフ、ヤコブなどノアに至るまで、さまざまに名前を変えて、聖書に描かれているそうです。我々日本人も、『古事記』『日本書紀』をとらえ直さなければならない時が来ています。日本国を創り上げた方々の闘いの記憶を…。
天武天皇は斉明天皇の息子なので、用明天皇の孫ということになります。この方は聖帝であって、世界に先駆けて肉食の禁止の勅を出されました。21世紀以降の人類を救う思想だと思います。天武天皇はアメタリシヒコの魂を受け継いだ自覚をもって、初めて天皇という称号を名乗りました。人皇・神武天皇とはこの方です。2673年前の人物ではないのです。
アメタリシヒコの魂、救世主の魂をもった存在は、1民族・1地方に限定された存在ではありません。このことは、法華経24番に妙音菩薩として象徴的に描かれています。地球など、ケシ粒よりも小さいと感じる存在が、我が身を小さくして降臨されます。そして地球にやってくると、今度は観世音菩薩として33身を現じて衆生を救済します(25番)。聖徳太子が救世観音の化身とされるのもむべなるかな、と思います。この存在は、現在に至るまで、世界中を転生されている、というのが、私の結論です。幕末の日本にも転生され、見事日本国の滅亡を回避して下さいました。一身を犠牲にして…。しかし、ほどなく地上に再受肉され、ヨーロッパの解放、ひいては世界の解放のため、獅子奮迅の闘いをされた、と思っています。どなたであったかは、今は申しません。ただ、救世主の眼は、地球全体に注がれているのです。それだけは、忘れて欲しくありません。
2013/02/04 URL 編集
素浪人
2013/02/04 URL 編集
団塊の世代の後輩
2013/02/04 URL 編集
ゆうちゃん
2013/02/04 URL 編集
まきの
なんという教育現場でしょう...
もはや教育ではなく洗脳ですね。
教師の言うことだから…などと言っていられない時代です。
教育現場がおかしいと気づく保護者がどれほどいるのか、
ねずさまのお話を伺う度に、恐ろしい現状を思います。
外部から何かできないか、日々考えます。
2013/02/04 URL 編集
心配性
とても感銘を受ける様な内容ですね、目からウロコが落ちます、ねずきちさんがおっしゃる様に第一条に「和をもって尊しと為す」が有る事は大切な事ですね。
キリスト教には「モーセの十戒」が有ります、こちらの第一条は「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と思われていますが、特に順番は銘記されていないそうです。
個人的には「汝ころすなかれ」「人は人をころしてはいけない」が第一条になっていたらキリスト教はもう少し変わっていたのではないだろうかと思っていました。(漢字のころすは禁止ワードですね)
改めて読み直す機会を与えて頂き有り難うございます、奇しくも今日は立春です、心新たになる想いがします。
有り難うございます。
2013/02/04 URL 編集
Ken
政治を誤らせたのは「左翼思想」と保守の「派閥、金権、私情政治」だと思っています。
日本を戦争に導いたのも、派閥と私情政治だと考えています。
聖徳太子の言われた「和をもって」は、派閥政治ではないですよね?
2013/02/04 URL 編集