水師営の会見

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水師営の会見
水師営の会見


水師営の会見について書いてみたいと思います。

日露戦争のさなかの、明治38(1905)年1月5日のことです。
時間は午前11時、会見の場所は、旅順から北西に4kmばかり離れた水師営です。

この日、ロシアの旅順要塞が陥落し、乃木大将と敵の将軍ステッセルが会見しました。
会見場所は、水師営にある、付近に一軒だけ残った民家です。
このあたりも、両軍が激しく激突したところで、数あった民家は、激突した両軍の砲弾のために、ことごとく灰になっていました。
一軒だけ民家が残ったのは、日本軍が水師営を占領してから、直ちに野戰病院として使用し、屋根に大きな赤十字旗をひるがえしていたからです。

この会見のときの写真が冒頭の写真です。

実はよく見ると、この写真は世界の講和会見の写真では、普通あり得ない画像であることがわかります。
それが何かというと、敵将であり、降伏した側のステッセル将軍(写真中列右から2番目)も、レイス参謀長(写真中列左端)も、ネベルスコーユ参謀(前列左)も、マルチェンコ中尉(後列中央)も、全員が武装し帯刀しているというところです。

これはある意味、たいへん危険なことです。
万一、その場で敵将が、たとえば乃木大将の首を刎ねたら、それこそたいへんなことになります。
ですから普通は、こうした会見の場では、負けた側の将校達は、丸腰にさせられます。

ところが日本は、敗れた敵将にも充分に敬意を払い、そして互いにしっかりと握手もしています。
そこで、水師営の会見の情況を、順を追ってみてみたいと思います。

旅順要塞攻囲戦は、明治37(1904)年)8月19日〜明治38(1905)年1月1日まで、約4ヶ月半にわたって行われた要塞戦です。
この戦いで、日本は戦死が約1万6千名、ロシア側も約1万人を失いました。

司馬遼太郎は、坂の上の雲の中で、まるで乃木大将が、ただいたずらに将兵の命を失わせたというような辛口の評価をしていますが、世界の要塞戦で、これほどまでに短期間で、かつ将兵の損耗を少なく攻略できたのは、実は、旅順要塞戦をおいて、他にはありません。

たとえば、第一次世界大戦におけるフランスのベルダン要塞戦では、要塞を守るフランス軍と、攻めるドイツ軍が戦っているのですが、この戦いにおける死者は、フランス軍362,000人、ドイツ軍336,000人、合計、698,000人です。

また第二次世界大戦における黒海に面したセヴァストポリでの要塞戦では、ナチスドイツと要塞側がソ連との戦いですが、約10ヶ月にわたるこの戦いで、攻めるドイツが投入した兵力は35万人以上、戦死者はこの戦いだけで10万人以上です。要塞戦というものは、それほどまでに過酷なものなのです。

そしてソ連のスターリンが、「セヴァストポリ要塞を6つ合わせたほどの堅牢な要塞」と評したのが、大連港にある旅順要塞だったのです。
そういう意味からすると、わずか4ヶ月半という短期間に、しかもセパストポリ要塞での戦死者の7分の1程度の兵力の損耗で要塞を陥落できたというのは、いかに乃木将軍率いる日本陸軍が強かったかという証拠にしかなりません。

そしてこの戦いで、乃木将軍は二人の子も失っています。
にもかかわらず、戦いが済めば、敵の戦いぶりを褒め、また敵将ステッセルに対して、ちゃんと名誉を保持させています。
それが日本という国なのだと思います。

そしてこの水師営の会見は、戦前は歌にもなり、また教科書にも掲載されて、日本的精神の常識として誰もが知る物語となっていました。
そこで、当時の教科書に沿って、会見当日の様子を見てみたいと思います。

水師営の会見の前日、日本の兵隊さん達は、会見の前日に、壁に殘っていた弾の跡を、新聞紙を張ってきれいにおおいました。
また会見用の部屋には、大きな机を用意して、真っ白な布を掛けました。

会見の行われた民家
水師営の会見の場所となった民家


下見に来た乃木将軍は、陣中にふさわしい会見所の様子に微笑みました。
けれど壁に張ってある新聞紙に、ふと目を注ぐと、
「あの新聞紙を、白く塗っておくように」と指示しました。
その新聞紙が、ロシア軍敗北の記事で満たされていたからです。

この会見の4日前の1月1日、ステッセル将軍は、日本陸軍の激しい攻撃に耐えきれず、ついに旅順開城を申出ました。
乃木将軍はこの旨を大本営に打電し、翌日、両軍代表が、旅順開城の会見に至っていたのです。

その日の夜のことです。
山縣有朋(やまがたありとも)参謀総長から、次の電報がありました。

「敵将ステッセルより開城の申出をなしたるおもむき伏奏(ふくそう)せしところ、陛下には、将官ステッセルが祖国のためにつくした勳功(くんこう)をよみしたまい、武士の名譽を保持せしむることを望ませらる。
右つつしんで伝達す」

そこで1月3日には、乃木将軍は、津野田(つのだ)参謀に命じて、この聖旨を、ステッセル将軍に伝達することにしました。
命じられた津野田参謀は、二名の部下を連れてステッセル将軍のところへ行きます。

ステッセル将軍は、副官に言いつけて、軍刀と、帽子と、手袋とを持って来させ、身支度を整えてから不動の姿勢を取りました。
津野田参謀が、御沙汰書(ごさたしよ)を読みあげると、副官は、これをロシヤ語に訳して伝達します。

ありがたく拝受したステッセル将軍は、
「日本の天皇陛下より、このやうなもったいないお言葉をいただき、この上もない光栄であります。
どうぞ、乃木大将にお願いして、陛下に厚く御礼を申しあげてください」と述べ、うやうやしく挙手の礼をしました。

乃木将軍が、

 たむかひし
  かたきも 今日は 大君の
   惠みの露に うるほひにけり

と詠んだのは、この時のことです。

1月4日には、乃木将軍は、ステッセル将軍に、ブドウ酒や、鷄や、白菜などを送り届けました。
長い間篭城(ろうじょう)していたロシアの将兵たちは、この贈り物にたいへん喜びました。

会見の当日は、霜の深い日でしたが、朝からよく晴れていました。
11時10分前に、ステッセル将軍が会見所に着きました。
白い葦毛(あしげ)の馬に、黒い鞍(くら)を置いて、乗っていました。

その後に、水色の外套(がいとう)を着た将校が4騎続いていました。
そして5人は、土塀(どべい)で囲まれた会見所にはいり、片すみに生えていた「なつめの木」に、その馬を繋ぎました。

まもなく、乃木将軍も、数名の幕僚(ばくりょう)とともに到着しました。
乃木将軍は、黒の上着に白のズボン、胸には、金鵄勳章(きんしくんしょう)が掛けられていました。

乃木将軍が静かに手をさしのべると、ステッセル将軍は、その手を堅くにぎりました。
思へば、しのぎを削って戦い抜いた両将軍です。

乃木将軍が、
「祖国のために戦ってきましたが、いま、開城にあたって閣下と会見することは、喜びにたえません」と挨拶しました。

ステッセル将軍はこれにこたえ、
「私も、11ヶ月の間旅順を守りましたが、ついに開城することになり、ここに閣下と親しくお会いするのは、まことに喜ばしい次第です」と述べました。

そして一同は机を取り囲んで着席します。

ステッセル将軍が、まず口を開きました。
ス「私のいちばん感じたことは、日本の軍人が實に勇ましいことです。ことに工兵隊が自分の任務を果すまでは、決して持ち場を離れない偉さに、すっかり感心しました」
乃「いや粘り強いのは、ロシヤ兵です。あれほど守り続けた辛抱(しんぼう)強さには、敬服のほかありません」
ス「しかし、日本軍の28センチ砲には、弱りました」
乃「あまりにも旅順の守りが堅いので、あんなものを引っぱり出したのです」
ス「さすがの要塞も、あの砲彈には敵いませんでした。コンドラテンコ少将も、あれで戦死をしたのです」

コンドラテンコ少将は、ロシヤ兵から父のように慕われていた将軍です。
その日もロシヤ皇帝の旨を奉じて、部下の将兵を集めて、激励していた最中のことでした。

ス「それに日本軍の砲撃の仕方が、初めと終りとでは、ずいぶん変わってきましたね。変わったいうよりは、すばらしい進歩を示しました。たぶん、攻城砲兵司令官が代ったのでしょう」
乃「いいえ、代わってはいません。初めから終りまで、同じ司令官でした」
ス「同じ人ですか。短期間にあれほど進むとは、実にえらい。さすがは日本人です」
乃「わが28センチ砲にも驚かれたでしょうが、海の魚雷が、山上から泳いで来るのには、面くらいました」

うちとけた両将軍の話が、次から次へと続きました。
やがてステッセル将軍は、口調を改め、
「承りますと、閣下のお子樣が、二人とも戦死なさったそうですが、おきのどくでなりません。深くお察しいたします」と丁寧にお悔やみを述べました。

「ありがとうございます。長男は南山で、次男は二百三高地で、それぞれ戦死しました。祖国のために働くことができて、私も滿足ですが、あの子どもたちも、さぞ喜んで地下に眠っていることでしょう」と、乃木将軍はおだやかに語りました。

「閣下は、最愛のお子樣を二人とも失われて、平気でいらっしゃる。それどころか、かえって満足しておられる。閣下は、実に立派な方です。私などの遠く及ぶところではありません」

それからステッセル将軍は、次のようなことを申し出ました。
「私は、馬がすきで、旅順に四頭の馬を飼っています。今日、乗ってまいりました馬もその中の一頭で、すぐれたアラビヤ馬です。ついては、今日の記念に、閣下に差し上げたいと思います。お受けくだされば光栄に存じます。」

乃木将軍は答えました。
「閣下の御厚意を感謝いたします。ただ、軍馬も武器の一つですから、私がすぐいただくわけにはいきません。一応、軍で受け取って、その上で、正式の手続きをしてからいただきましょう」

「閣下は、私から物をお受けになるのが、おいやなのでしょうか。それとも、馬がおきらいなのでしょうか」
「いやいや、決してそんなことはありません。私も、馬は大すきです。さきに日清戦争のとき、乗っていた馬が弾でたおれ、たいへんかわいそうに思ったことがあります。今度も、やはり愛馬が弾で戦死しました。閣下から馬をいただけば、いつまでも愛養いたしたいと思います」
「そうですか。よくわかりました」

「ときに、ロシヤ軍の戦死者の墓は、あちこちに散在しているようですが、あれはなるべく一箇所に集めて墓標を立て、わかることなら、将士の氏名や、生まれ故郷も書いておきたいと思いますが、それについて何か御希望はありませんか」
「戦死者のことまで、深いお情をいただきまして、お礼のことばもありません。ただ、先ほども申しましたが、コンドラテンコ少将の墓は、どうか保存していただきたいと思います」
「承知しました」

やがて用意された食事が運ばれました。
戦陣料理の乏しいものではあったけれど、みんなの談笑で食事は賑わったといいます。

そして食後に、会見室から中庭に出て、記念の写真を撮りました。
それが冒頭の写真です。

いよいよお別れとなったとき、ステッセル将軍は愛馬にまたがり、はや足をさせたり、かけ足をさせたりして見せたのですが、中庭がせまいので、思うようには行かなかったようです。

やがて、両将軍は、堅く手を握って、なごりを惜しみながら別れを告げました。


山縣有朋からの電報にもあるように、敗れたとはいえ、将軍には名誉を与えるという姿勢は、単に乃木大将の人柄というだけでなく、陛下の大御心そのものであったことがわかります。

こうした日本人の姿勢は、実はとても古くからのもので、その基礎は大国主命の国譲り神話にも見て取ることができます。
大国主命は、大いなる国の主でありながら、その国を高天原に譲りました。
そして譲られた皇室は、大国主に最大の名誉を与えたという物語です。
大国主が祀られているのは出雲大社ですが、出雲大社の本殿は、皇居よりも大きなものです。

戦いに敗れれば、あらゆる名誉を奪われ、恥ずかしめを受ける諸外国の戦争と、たとえ敗れたとはいえ、戦いが終われば最大限の名誉を与えるという姿勢、それが日本の心であるといえようかと思います。

大東亜戦争が終わり、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書への調印が行われたとき、重光全権は、天皇の名代として、礼服を着用しました。
これを迎えた連合国側の代表達は、全員が略式の軍装でしかありませんでした。
それは、戦いの中にあってもルールや礼を守り通そうとした日本の武士道が、欧米の力の正義の前に敗れた瞬間でもあったろうかと思います。

けれど、戦争というものは、ただ戦闘に勝つことが勝利するということを意味するものではありません。
戦争は、国家の目的を達成するための究極の手段であるという説に立拠すれば、500年続いた欧米列強の植民地支配を終わらせ、世界から人種差別を駆逐した日本こそ、世界に正義をもたらすという大偉業を達成した国であるといえるからです。

最後にひとつ。
全国どこでも、すこし大きな神社に行きますと、「忠魂碑 希典書」と書かれた大きな石碑が建っています。
石碑の後ろにまわると、日露戦争で、その地元で戦没者となられた方々のお名前が、そこにしっかりと刻まれています。

なぜ石碑なのか、なぜそこにお名前が刻まれているのかといえば、立派に戦い死んで行った私達の父祖を、後世の我々が絶対に忘れないためです。
日本は、皇国2700年という長い歴史と伝統を持った世界最古の国です。
そのことに思いをいたし、本当の日本を、是非とも取り戻したいと思います。

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コメント

takechiyo1949

敗軍の将の心情をも慮る
「金石文」は数多あります。
硬い石や金属に文字を刻む。
記念性や永遠性は抜群です。
そこに想い至った昔の人は素晴らしいと思います。

さて、戦いは「攘夷」です。
世界は「勝てば正義」です。
実に腹黒いです。
『昨日の敵は今日の友』
敗軍の将の心情をも慮った水師営でのこと…記憶に留めます。

ブログ中の唱歌は、1910年/明治43年発行の尋常小学読本唱歌(十巻)に初掲載されました。
読本は、東京「乃木神社」宝物殿に展示されています。

おっさん

No title
>司馬遼太郎は、坂の上の雲の中で、まるで乃木大将が、ただいたずらに将
>兵の命を失わせたというような辛口の評価をしていますが

とあり、その後

>世界の要塞戦で、これほどまでに短期間で、かつ将兵の損耗を少な
>く攻略できたのは、実は、旅順要塞戦をおいて、他にはありません。

とあり、司馬遼太郎のこの本を読んだ時の情けなさを思い出し、すっ
きりしました。これ以降、司馬遼太郎の物は読まないことにしています。

高丸

曽祖父の面影
この写真の後列に私の曽祖父が写っております。
偉大な先祖に改めて敬意を表します。

日本一の偏対男

司馬さんの功績
司馬さんは左翼全盛時代に独り気を吐き、日本軍(但し明治限定)の立派さを掘り起こして我々に教えてくれました。 
昭和の日本軍に関しては司馬さん自身参戦されてるので私情に捉われ客観的な分析評価は出来ません。←そちらの方は我々世代の役目でしょうな。 
日本を取り戻す一本目の矢代表が司馬さんなら、二本目の矢代表はネズさ…イ、イヤ何でもないw(;^_^A

会津人

会津戦死者の埋葬が許されなかったり ・・・
映画の「二百三高地」の乃木大将はとっても素敵でした。

会津松平公は孝明天皇より賜った錦の御旗を、約束通り秘密にしていました。
薩長は偽の錦の御旗を掲げたため、本当に忠信のあるものは大砲や鉄砲で撃つことができませんでした。畏れ多くも偽物の菊の御紋を使う日本人がいるとは信じられなかったからでしょう。
ところで、自称官軍達の死体はどうしたのでしょうか?

ポッポ

No title
旅順要塞攻囲戦では、日本人の戦死は約16,000名で、戦傷者は延約44,000名。ロシアの戦死は約10,000名で、戦傷者は延約30,000名。

日本は旅順要攻囲戦を、要塞攻囲戦としては、戦死、戦傷者共に少なく、上手に戦ったと思います。
ただ、日本の戦争では、これほど多くの死傷者を出した要塞攻囲戦はありませんでした。戦闘に向かう兵隊が、機関銃で片っ端からなぎ倒される一方的な戦いもなかったし、それが後方から見えることもなかったのです。
また、日本の戦争で、機関銃の恐ろしさを見せつけられたのは、この戦いですし、機関銃は日本でも騎兵隊が装備しており、活用しています。もっとも、維新のとき北越戦争で、長岡藩がガトリング砲(機関銃)を使っているのですが、日本の一般国民にとっては、なじみのない武器だったと思います。

日清戦争で同じ要塞を攻略したときには、2日程度で陥落した要塞でした。当時の陸軍や日本国民からは、要塞の構築に長けたロシアと清国兵とロシア兵の差が判らずに、これの攻略を指揮した乃木大将を批判したと思います。

司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」における乃木大将の批判には、厳しいものがありますが、子供の頃に見た日露戦争関係の映画は、ほぼ同じ内容でした。小説といえども正確さが要求されますが、それまでの参考資料ではそうなってしまうと思います。
彼はノモンハン事件について、日本軍が悲惨過ぎる負け方をしたからと、小説にできなかったようなことを、聞いたことがあります。でもこれにしても現在なら、日本軍はノモンハン事件も戦略的には負けましたが、戦術的には勝ったといわれています。彼がこれを知っていたら、小説にできたのだろうと、想像しています。


ところで、東日本大震災のとき、岩手県山田町で活動したNPO法人が、町から委託された緊急雇用創出事業費7億9千万円の内、約3億円が使途不明金であるとして問題になっています。
このNPO法人は活動拠点として、山田町の小学校に活動拠点を設置していますが、この拠点に入室する際の鍵は指紋認証システムで、人命救助用ボートのエンジンは特注で1,000万円掛けている(委託の目的は緊急雇用創出事業)等、不自然な活動費を支出していますし、活動目的の雇用創出事業も年度途中で事業費がなくなったからと、活動を中止しています。
また、町の対応もこのような団体を抱えているにしては、概ね良好とされています。
町役場は大震災のとき、とてつもなく忙しかったと思いますが、それにしても・・・・・・活動拠点の工事の見積もりや、完成後のチェックは、一度もしなかったのかと思いますし、7億9千万円は税金又は被災者支援のための善意の結果です。

阪神大震災のとき設けられなかった「災害ボランティア担当の首相補佐官」が、東日本大震災のときには設置されました。この首相補佐官はこのようなNPOやボランティアの活動を把握し、集約していなかったのでしょうか? この他にも、似たような団体と活動はなかったのでしょうか? 首相補佐官を設置後、解除するまでの活動内容は、適正に報告されているのでしょうか? 
復興に巨額の予算が組まれていますが、少なくても、多くても必要な事柄を無駄なく処理されるのかが、気になります。

読者

心洗われるお話ですね。
しかしながら、です。
残念ながらこの武士道精神を理解してくれたロシア将官は一代限りでした。
40年7ヶ月後、ものの見事にロシアは恩を仇で返しましたね・・・
いまも日本兵6万柱が凍土に打ち棄てられたままです。
世界には信義も何も無いのが現実と痛感致します。
掲示板をお借りします。
参考ブログは「全国防犯啓蒙推進機構」設立のご案内です。
三大新聞がなぜか(重大なものを除き)無視するシナ人犯罪は、その犯人の多くが粗暴犯ではありますが同時に、日本社会の破壊を目的とした
「撹乱工作員」と思われます。
もしかすると前回記事になっているかもしれません。
ご一読下されば幸いです。

日本一の偏対男

乃木さんの価値
>乃木将軍は~素晴らしい人であった

↑以前どっかにも書いたんですが、日露戦後、乃木さんの戦法に批判が集まった際、乃木軍を見事勝利に導いた児玉さんが「あれは大将が乃木だったから兵は皆命も厭わず戦えたんだ!!」とエラく御立腹だったそーですな(;^_^A 
死んだ兵士の親から恨まれたり、スッカリ戦下手で有名になっちゃいましたが、存在そのものが日本精神を具現した方だったんでしょう。

韓国人の嫌われっぷり

日本のマスコミが韓国【電通】に支配されている理由
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■日本のマスコミが韓国【電通】に支配されている理由 立花孝志元NHK職員
http://www.youtube.com/watch?v=x6i5MEEhw3E

■日本のマスコミが韓国【電通】に支配されている理由 立花孝志元NHK職員
http://www.youtube.com/watch?v=x6i5MEEhw3E

■日本のマスコミが韓国【電通】に支配されている理由 立花孝志元NHK職員
http://www.youtube.com/watch?v=x6i5MEEhw3E

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

びり

今回も胸の好く様な、潔い、日本人らしいお話を有難う御座います。日本人の多くがこういった任侠話や武勇伝、史実を好むのは国民性による処が大きいからでしょう。…一方、我が国を取り囲む某国々…こういった話を理解する事はないでしょう。それならば、お付き合いを控えるしかないと思います。

 

No title
ステッセル将軍が敗北の責を問われ厳罰(死刑?)に処せられると
知った乃木将軍は、減刑の嘆願書を送ったのですよね。
明治天皇崩御のあとを追った点といい、素晴らしい人であったと思います。
仮に10万円札ができたら、肖像は乃木将軍がよいのではないかと
思う反面、我々にその資格があるのかどうか疑問を感じます。

日本一の偏対男

>会津戦死者の埋葬が許されなかったり

↑アレはナンデなんでしょうな(・・?)
幕軍戦死者の埋葬を次郎長がやらなきゃならなくなったり、西郷どんが靖国に祀られなかったり、継ノ助の交渉相手の岩村さんにしてもそうですが、あーゆーのは当該責任者の個人的資質によるものなんでしょうな。 およそ日本らしくない。

貼り付け

為末 大‏@daijapan
3/24
昨日、東北スポーツサミットを開いた。ゲストにウィリーバンクス、カールルイス、マイクパウエルという世界的アスリートを招いて、僕がファシリテーターとして参加した。彼らの話は示唆に富んでいて知性が溢れ、本当に感銘を受けた。

東北からメダリストを、という題名だったのだけれど最後のカールの言葉がとても印象的だった。”残念ながら99%の人が勝てないのが信じる。それでもスポーツを僕は勧める。なぜならそこから人生でとても大切なものを学べるからだ。そして指導者はそこに関われるとても重要な職業だ”

壇上で三人を横にしながら感じた事は、なぜこれほどに知性的なのかという事だった。ユーモアに溢れ外国人を笑わせ、示唆に富んだ例を幾つも出し、そして指導者をその気にさせる。例えば他国で同じような事が日本のトップアスリートにできるだろうか。


日本のスポーツは競技力の高い選手を作る、という仕組みに関してはある程度成功しているように思うけれど、知的な人格者を作るという点ではあまり機能していないように思う。というよりも知性を高めるという事があまりにも軽視されている。

-

司馬史観を見直す必要があると思います。資料も古くなりつつありますし、彼も戦後から活躍した人ですので自虐史観に染まっていた事は間違いありません。もちろん優れた小説家ですが、彼の虚構が史実と勘違いされている部分は否定すべきです。

terag3

日本武士道の発露
この日露戦争は1年7ヶ月間に及ぶ長い戦争だった。そしてこの
日露戦争の最中(1905年5月27日~28日)に行われた
日本海海戦もそうだが、当時の日本軍は戦時国際法を忠実に守り
世界各国からも称賛されていたという。

水師営の会見では陛下の御心によって敵将といえども武士の名誉
を保持させることを、乃木将軍に命じられ敵将にも帯刀を許され
たという世界的にも驚嘆する会見となった。

その年の5月27日~28日の日本海海戦では、バルチック艦隊の
艦隊司令官、ロジェストヴェンスキーが負傷して捕虜となり佐世保
の病院に収容された際にも、東郷平八郎閣下は副官と共に見舞いに
行って敗軍の提督を心から労ったと言います。

それらはみんな当時の、日本人の武士道精神から滲み出て来る人と
しての道義心そのものだったのではないでしょうか?

「坂の上の雲」の作者、司馬遼太郎は歴史作家として有名でその
文学的作品は多くの人の共感を受けていますが、私はどうもこの
作家には思想的な一種の偏見が有るようで好きになれません。
特にことさら203高地の攻略戦で、乃木将軍を能なし呼ばわり
するがごときは許せないと思っています。

名無しさん@ニュース2ch

映画「二百三高地」は必見
この戦いで日本国は世界の一等国と認知されたのですね。
若い方にはぜひ観て欲しい。
huluにも登録されていますよ。加入者は要チェックです。

-

No title
砲撃は、児玉源太郎が指揮するようになって変わったと司馬遼太郎がかいているけど、どうなんでしょう。

顕如

No title
ねずきち殿の論考は基本的に好きなのですが、
時折片手落ちなのがいけませんな。
乃木閣下の武士の情けを語るなら、山下将軍の勇ましさも語るべきでしょう。
ともに帝国軍人の鑑です。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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