人権というまやかし



人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

古墳0405-1


「人権」について書いてみようと思います。

現行憲法は、この「人権」を、国民主権、平和主義と並ぶ憲法の三代原則のひとつとしています(基本的人権)。
そして「人権」は、現行憲法で基本的人権として保証され、一般には日本人なら誰もが持つ、とても素晴らしい権利だと思われています。
なにやら「人が生まれながらに持っている、人として当然の権利」と、多くの日本人に思われているわけです。

ですから「人権が守られる」と聞けば、多くの人は、「自分たちの人権が守られるのだから、それはとっても良いことだ」と感じます。
逆に「人権が蹂躙(じゅうりん=踏みにじられること)される」と聞けば、なにやらとっても大きな危害が加えられる、危険なことのように感じます。

そして「人権」については、1215年の英国のマグナ・カルタ、1628年の権利の請願、1679年の人身保護法、1689年の権利章典等において、封建領主たちが自分たちの要求を国王に対して認めさせた英国人の伝統的な権利や自由の尊重を求めたものと学校で教えられています。

国王の絶対主義的支配から、民衆が自分たちの権利を護るためにこれらの要求が行われ、これが近代人権思想へとつながり、18世紀には市民革命として王制が否定され、1776年には米国バージニア権利章典、そして1789年のフランス革命での人間と市民の権利の宣言へとつながった、と教わります。
そして多くの日本人は、これを「人権」の歴史として、無批判に受け入れています。

ところが、実は、ここでいう「歴史」そのものに、大きな嘘があるのです。
どういうことかというと、日本の戦後の日本国憲法に書かれた「人権」と、欧米における人権とは、実はまったく別なものなのです。

このことを見るのに、アメリカの独立宣言の一般的な訳がわかりやすいと思うので、原文と一緒に引用します。
======
We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.

(日本語訳)
われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。
つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている。
その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。

======

学研M文庫だと次のように訳されています。
======
我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている。
創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。

======

この何が問題なのかというと、ここで述べているのは、要するに、人間が持っている生命、生存(Life)、自由(Liberty)、そして幸福の追求(Pursuit of Happiness)は、「神から与えられた」としていることです。
「神から与えられた」のです。
ですから当然のことながら、西欧的な意味における人権には、不条理は含まれません。

ですから当然のことですが、
 悪党が暴力を振るう権利、
 人が泥棒や強姦などの悪事を働く権利、
 未成年の少女が自分の意思で売春をする権利、
 郷にはいって郷に従わない民族が他国に住み着いて勝手し放題をする権利、
 国家転覆を企む反国家行為を行う権利、
 自国の領空や領海を侵犯する他国の権利
などの一切の不条理は、権利の名に値しません。

そのことを、「創造主(=神、Creator)」と「通義(権利=Right)」という語で、米国独立宣言は、二重にカバーしているのです。

ところが日本では、こういう人の権利が曲解され、たとえばどこぞの国の戦闘機が日本の領空を侵犯しても、その侵犯機が撃って来るまで、こちらからは撃っていはいけないとされています。
冗談じゃあないです。
いまどきの戦闘機というものは、相手が撃ってきたら、その時点でコチラは撃墜され、コチラのパイロットの命はなくなるのです。

にもかかわらず、人権は、国籍や出自、思想にかかわらず、すべての人に備わった憲法以前の自然権であり、その自然権を憲法は保証しているのだから、敵に撃ち殺されても反撃してはいけない、などという馬鹿げた妄想をしています。
神に与えられた権利なのです。
神の子である自国の民を守るために、領空領海を侵犯された時点で、即刻撃墜、撃沈するのが、あたりまえの、それこそ「権利」です。

「権利」という語は、明治の秀才、西周(にしあまね)による「Right」の翻訳造語ですが、福沢諭吉は他の訳語はともかく、西周のこの「権利」という語に対してだけは、猛烈に反発しています。
では福沢諭吉が誤解を防ぐために、どのように「Right」訳すべきと言ったかというと、それが「通義」です。

米国の独立宣言も、福沢諭吉訳版は、通義と訳しています。
こちらのほうが、断然わかりやすいです。
======
天の人を生ずるは、億兆みな同一轍(わだち)にて、
これに附与するに動かすべからざるの通義を以ってす。
すなわちその通義とは、
 人の自から生命を保ち、
 自由を求め、
 幸福を祈るのたぐいにて、
他よりこれをいかんともすべからざるものなり。

======

ちょっとむつかしい表現ですが、諭吉は、あえて「わだち」という語まで用いて、誤解曲解を避けようとしたわけです。
「わだち」というのは、道路などにある車輪の跡のへこみです。
つまり人の道です。
ですから諭吉は、「Right」を「通義」と訳し、これは「人の道だ」と説いたのです。

現行憲法も、実は、この基本的人権について、英語の原文は「Right」という単語を使っています。
その意味では、基本的人権も、その解釈はあくまで「人の道」です。
そして日本においては、欧米における神の地位にある存在は、神の直系のお血筋であられる天皇ですから、
人権は、「天皇によって与えられた人の道」というのが、本来あるべき解釈です。

ところが学校で、こういうことを教えない。
メディアでもまるで放送しない。
だから日本人は、人権といえば、天賦の権利、人が生まれながらにして持っている当然の権利だと誤解しています。

そして人権擁護法案のような、とんでもない法案が出て来る。
人権を擁護してくれる、まことにありがたい法律のような誤解が、世の中にはびこる。

なぜなら人権擁護法案なるシロモノが目的としていることは、まともな人が持つべき通義、つまりこれが権利そのものなのだけれど、これを否定する。
そしてまったく逆に、本来なら人権など存在し得ない反日左翼や在日の悪党たちを、マトモな人たちがあたりまえに警戒することを、レイシズム(差別主義)だといって糾弾しようとしているわけです。
実にとんでもない話です。

繰り返しになりますが、欧米における権利(Right)は、神に与えられた人の道です。
日本ならば、さしづめ、天皇に与えられた皇民の道が、Right、すなわち権利の本来的意味といえます。
つまり、「人権(=Human Rights)は、「皇民の道」なのです。
だからこそ福沢諭吉は、これを「通義」と翻訳したわけです。

従って、人権は、人間が持つ当然の権利ではありません。
欧米人なら、神を信じ、神の意思としての正義を貫くことが、人権の正体です。
日本なら、それは天皇の民、皇民の道という意味になる。

そもそも人権を、人が生まれながらに持っている権利とするならば、犬には犬権、猫に猫権、蚊には蚊権、ゴキブリにはゴキ権がなければならず、蚊やゴキの生命の尊厳を護るために、人は蚊もゴキも殺したり、彼らが血を吸ったり台所を荒す行為さえも、これを彼らが生まれながらにして持つ当然の権利であって、何人もこれを侵害してはならない、としなければならなくなります。
実に馬鹿げた発想です。

さらにおかしなことには、人権の名のもとに、蚊やゴキブリよりももっとタチの悪い売国左翼や反日在日の悪行を擁護しようというのですから、実に怪しからん話です。

人権や権利なる言葉が、多分に誤解をしやすい、悪党のわがままや身勝手さえも擁護するのが当然などと誤解しやすい言葉である以上、本来、Rightや、Human Rights、つまり権利や人権の本来的な意味を、ちゃんと学校で教育しなければならない。

それをしないでおくから、まっとうに生きようとする普通の民衆のまさに権利が侵害され、逆に悪党や侵略者たちの悪辣な行為が、人権の名のもとに正当化されるという馬鹿げた現象が起こるのです。

欧米では、この「Right」の意味は、学校でかなり厳しく教え込まれます。
もともと王権神授説など、国王の権力は神の名のもとに正当化され、国王は民衆の生命財産を、欲しいままに奪うことができた、つまり民衆は王の奴隷であり、それが正当化されていた。

けれど、本来、人は神のもとに平等であるのだから、人は奴隷としてではなく、生まれながらにして神の意思に沿って清く正しく生きる正当なRight(権利)がある。
そして王権によって、そうした民衆が正しく生きようとするRIghtを守るために、マグナカルタが描かれ、民衆の権利が請願され、民衆の意思が尊重される民主社会を構築してきたのだ、というのが、彼ら欧米人の発想であるわけです。

ですから欧米人は、外国人が自国内で悪辣な行為に及べば、それは神の意思、民衆の意思によって、これを排除する。
悪党が拳銃を持って家宅侵入すれば、これを容赦なく撃ち殺す。
なぜなら神のもとに正しく生きることを邪魔だてする者は、人が神のもとに正しく生きようとするRIghtを侵害する者だからです。

これに対し日本はどうかというと、もともと奴隷という制度はありません。
日本では、民は天皇の民であり、権力者は天皇の民の幸せな生活を守り護るためにこそ存在する。
日本における権力者は、天皇から委託を受けて、天皇の民の安全と安心と生存を守るためにこそ存在する者と規程されてきました。

日本書紀では、天皇は「大君(おおきみ)」です。
そして、民衆は「おおみたから」です。
そしてその「おおみたから」という音に、日本書紀は「百姓」という字をあてています。
つまり、民衆は天皇の宝であり、権力者というのは、その宝を守るために存在したのです。

ですから全国の大名は、もともとは守護大名です。
守護というのは、天皇の宝である民を守り、護るから、守護なのです。

そういう日本社会において、Right、すなわち国民の権利は、まさに天皇の民であること、権力者に隷属しない皇民であることを守るためのRIghtであるはずです。
いいかえれば、皇民が皇民であることを否定する全ての者に対して、皇民はこれを拒否し、排除し、打ち倒す権利が与えられている。
なぜなら、皇民として生まれ、皇民として生きるうえでの人の道を阻害する者があるならば、それは人の道に外れる者、すなわち外道だからです。
外道は排除して当然です。

「人権」というのは、人の持つ通儀、すなわち、人の道です。
そして人の道は、天賦のものではありません。
人として教育を受け、人の道をわきまえるようになって、はじめて人の道として権利を主張できる。

RIghtを、権利と訳し、人は生まれながらにして誰もが当然の権利を持つのではないのです。
たとえば、人には自分の生命を守る権利(生存権)がある、といいます。
それは人の道に外れない者にのみ、赦される権利です。
だからこそ、人殺しや悪党には、死刑が宣告されることさえもあるのです。
要するに、人殺しや悪党には、権利はないのです。

さて、ここまで書けば、人権なるもの、あるいは権利なるものが、本来どうあるべきものなのかについて、充分におわかりいただけようかと思います。

ついでに申上げると、日本国憲法にいう三原則とは、この基本的人権というまやかしと、平和主義、国民主権の3つです。

平和主義というのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」というもので、どこに「公正で信義のある国」があるのでしょうか。
これは私は泥棒をしないから、家に現金も宝石も全部置き、絶対に鍵もかけません、と泥棒ばかりの世の中で宣言しているのと同じことです。
実に馬鹿げている。
そもそも戦争というのは、両当時者がいるのです。

国民主権もとんでもない話で、なぜ国民主権かといえば、この憲法が軍事占領下の占領民にたいする最高法規として書かれたものだからです。
米国はイラクを占領しましたが、占領したらその国が米国になるわけではありません。
イラクがいまだに米国になっていないように、占領統治というのは、主権の移動を意味していないのです。

では、イラクの主権はどこにあるのかといえば、イラクはフセイン政府がなくなっていますから、政府に主権がない。
ではどこにあるのかといえば、イラク民に主権がある。
これは占領統治下では、あたりまえの理屈です。

ただし、イラクと日本の違いは、イラクは政府がなくなったのに対し、日本には当時、日本国政府があったという事実です。
つまりこの規程は、日本国政府が本来持っている主権を否定している規程なのです。
要するに、政府否定です。
政治を行う政府が、その規範とする憲法において政府の主権を否定しているわけです。

民主主義なのだから、政府は主権者である民衆を代表しているので、これでいいのでは?などと考えるのは、すでにもう詐術に乗っています。
選挙によって選ばれた国会も、行政府である内閣にも、主権はないというのです。
ということは、国の統治権さえもない。
では誰がその統治権を持っているかといえば、占領統治下なら、GHQだったわけです。
いまは公式なGHQはありませんが、日本国政府には主権はありませんから、なにか大きな、たとえばTPPのような取決めをするに際しては、すべて統治者である旧GHQにお伺いをたてなければならない。

つまり、国民主権というのは、日本国の独立さえも否定しているのです。
こんなものをありがたがっているのは、子供の頃の刷り込みと、めくらましで、物事がみえなくなっている証です。

以上、人権の話から、権利、主権、平和主義にまで話が発展してしまいましたが、いま、日本に必要なことは、福島原発の除染ではありません。
日本国憲法という名の病原体と、これよる汚染の除去こそが、いま日本に求められている一番大きな課題であろうと思います。


人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。

中国共産党の正体PART1-2


この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

SOY

No title
ねずさんのブログの記事を一つ見る度にほとほと目が覚める思いです。
では今の日本を変えようと思ったら政治家の一体誰に投票すればいいのか?
結局は自分で調べるしかない。何が国民主権なのか。国は自国について全く教育しない。選挙と政治の仕組みを教えるだけ。
一体どれだけ国民から判断力を奪えば気が済むのでしょう。
こんな状況を打破する若者の芽さえ教育段階から摘まれている。
ねずさんのブログにたどり着かなければ私は同じ馬鹿な国民でも最悪のままでいたことでしょう。
本当に感謝しております。

特亜

No title
日本サヨク=特亜塵=世界の敵。
家庭に置き換えると自分の配偶者(専業主婦「夫」)と子供が現在進行形で酷い目に遭っているのに目に入れるどころか見栄を張りまくってる外道。父母(子供目線で祖父母)と子供に制裁されろ(家系図抹消・葬礼省略・逮捕されたら刑務所で人生終了)

iza snowdrop

HUMAN RIGHT
『人権』という言葉はHUMAN RIGHTを和訳した言葉です。

フランス人権宣言書やアメリカ独立宣言書書かれている言葉です。

RIGHT、DROIT は『権利』と訳されるだけではなく、形容詞として『正しい』と訳されます。

人権とはもともと西洋の考え方で、HUMAN RIGHTという言葉。HUMANは『人』のこと、RIGHTは『正しい』ということ。

西洋の人たちが考えたのは『人として正しい』ことを大切にしようとフランス革命やアメリカ独立の時に考えたのでしょう。王様も農民も人として同じだし、英国王室の人もアメリカに渡った者も人として同じだということに気付いたのでしょう。しかしインディアン・native americanは人とは別に扱われた。

日本と西洋では基本になっている自然環境が違うので大切にする対象が違うけれど、『人として正しい』ということは不変です。

-

No title
皇民の一君万民の理想をベースにして、日本独自の人権思想を構築するべきですね。和辻倫理学などが参考になるかと思います。

ただ、

>いまは公式なGHQはありませんが、日本国政府には主権はありませんから、なにか大きな、たとえばTPPのような取決めをするに際しては、すべて統治者である旧GHQにお伺いをたてなければならない。

という理屈はよくわかりません。
日本国における主観の起源を日本神話からもってくれば、すなわち高天原から日本国の主権がもたらされたと解釈すれば、主権が歴史的な経緯から現在は国民に委託されている、という解釈もできます。
すなわち、日本国の主権は天からもたらされたものである、という解釈です。
なので、必ずしも国民主権を否定的にとらえる必要はないと考えます。

愛信

【参院選辻立の掲示板】のお知らせ
【参院選辻立の掲示板】のお知らせ
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/sgi.cgi

西田昌司 街頭活動「『従軍慰安婦』は歴史上存在しない」
自民(参)22 西田 昌司 近 畿 京都7 1回
http://youtu.be/EHlIRis2gfw
(動画)

【新党勝手連の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/ktr.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

woodhome

人権と義務
本日のねずきちさんの記事は「人権と義務は一体」、と言い換えることができると思います。人権は社会の一員として課せられた義務を果たしているものにのみ与えられる権利なのです。義務を果たしていない、あるいは果たす能力がない人に人権は与えられません。つまり日本国の国益を害する外国人や左翼に人権はない、社会的な義務を果たす能力のない子供に人権はない、とすっきり問題が解決します。

白なまず

No title
>leftな方々にとっては皮肉な話ですね(笑)

どうでも良い事ですが、つい、、、
皮肉どころか、右(手)には以下の世界認識が有るようです。

アメリカ議会での忠誠の誓いは、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/忠誠の誓い (アメリカ)

国旗規則により、忠誠の誓いは合衆国国旗に顔を向け、右手を左胸の上に置き、起立して暗誦しなければならないと定められている。私服の場合は、宗教的な物を除くいかなる帽子も取り去り、左胸の上に置かれた右手で左肩の上に掲げなければならない。軍服を着ている場合は無言のまま国旗に顔を向け、軍隊式の敬礼を行う。

イスラームおよび南アジアでは、、、

イスラームでは「左手は不浄とされる」、だから、右手で食事を取る、というふうに言われることがありますが、これは正しくありません。右手で食べるのは、ハディース(預言者言行録)に「食べるときは、右手で食べよ」とあるからで、特に左手が不浄と言われているわけではありません。用を足すときに左手を使うからといって、手そのものが不浄なわけではありません。実際、ムスリムは食事の際に、右手だけを使っているわけではなく、左手も使います。食べ物を口に運ぶときに、右手を用いるだけのことです。南アジアなどで、左手を不浄としている地域では、食事の際に本当に右手だけを使って、左手を遊ばせておきますから、違いがわかります。


左手の敬礼は、死人に対してのみ行うもの、、、
google【敬礼 左手】

正式な敬礼は右手と決まっている。ナチスのハイル・ヒットラーも当然右手です。

ここで気になるのが、車の左側通行と右側通行はどちらが良いか?と思いました。私見では車が右側通行ならば、工道路で車が最も正しく、最優先と言う事になり、人や自転車などの交通弱者より車優先に思えて、日本が左側通行なのは、車は他者より優先度を下げると言う意味があるように思えました。

-

ブラックジョーク?
神が与え賜うた通儀=right=右→人権。

leftな方々にとっては皮肉な話ですね(笑)

一有権者

No title
相変わらずシナや韓国による日本国の国益侵害や国際社会における
貶め工作が続けられているようですが、今度はシナの裁判所にシナ人が
日本国内の出版社と筆者を訴え、それをシナの裁判所が日本側が出廷できない事から原告勝訴とし
東京地方裁判所に執行させるように提出しなんと東京地方裁判所が審理を始めたという。

「南京虐殺への大疑問」を書いた日本人筆者と日本の出版社へのシナの工作とそれを是とする
反日日本人による日本のシナ属国化への工作の一つとの事。
一体日本の法曹界はどのような人物達がいるのか。?これは非常に由々しき問題と思います。
この一件を報道したのは産経とWILLのみのようです。
当然朝日は黙して知らぬふりとの事。

色々なところに潜り込んでいる反日勢力に一般庶民であろうと私達日本人は目と耳を研ぎ澄まし
このような動きを感知し知らないでいる日本人の皆さんに知らせることが必要でしょう。

そして何より安倍政権や維新の会でも中山先生のような本当に日本国と日本国民の為の政治を
行う皆様を応援していく事が一番大事な事ではないでしょうか。

貼り付け

学校教育の終わり
2013.04.07
学校教育の終わり

大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日本の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。
機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。

(中略)

学校を全部変えるということは「無学校状態」に子どもたちを放置するリスクを負うことであり、私たちはそんなソリューションを採択することができない。

日本の近代学校教育システムは「国民形成」という国家的プロジェクトの要請に応えるかたちで制度設計された。つまり、学校の社会的責務は「国家須要の人材を育成すること」、「国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」ことに存したのである。サラリーマンになるにしても兵士になるにしても学者や政治家であっても、教育の目的はあくまで「国家須要の人士」の育成である。成否は措いて、この目的そのものは揺るぎないものだった。
1945年の敗戦でも、学校教育の目的が国民国家の未来の担い手を育てることであるという目的そのものに疑いは挟まれなかった。戦後生まれの私たちの世代は「民主的で平和な日本の担い手」たるべく教育された。
明治維新以来、学校教育は「国民国家を維持存続させるため」のものであり、教育の受益者がいるとすれば(そういう言葉は使われていなかったが)、端的に共同体それ自身だったのである。

この合意が崩れたのは一九七〇年代以降のことである。

歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である。私たちは「平和と繁栄のコスト」をいろいろなかたちで支払うことになったが、学校教育の目的変更もそのひとつである。
このとき、学校教育の目的は「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。
教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。

もちろん、明治に近代学制が整備されたときから、人々は自己利益のために教育を受けた。ほとんどの場合はそれが「本音」だった。だが、「おのれひとりの立身出世のために教育を受ける」という生々しい本音を口に出すことは自制された。あくまで学校教育の目的は「世のため人のため」という公共的なレベルに維持されていたのである。
七〇年代以降、それが変わった。人々はついに平然と学校教育を「自己の付加価値を高め、自己利益を増大するための機会」だと公言するようになった。教育の受益者が「共同体」から「個人」にはっきりと切り替わったのである。
だが、その根本的な変化が学校教育をどのように変容させることになるのか、どのように「破壊する」ことになるのか、そのときの日本人は想像していなかった。
その後、教育はつねに「教育を通じてどうやって個人の利益を増大させるか?」という問いをめぐって論じられた。


http://blog.tatsuru.com/

ポッポ

No title
人権について、犯罪に関わる場合を考えますと、犯罪者の人権を守れという声は大きく聞こえますが、被害者の人権を守る声は小さく聞こえるように思えます。
犯罪の容疑者に対する取り調べの可視化を大きく取り上げますが、被害者のプライバシーを容赦なく暴くマスコミは、指弾されないです。マスコミは視聴者の要求に応えるとしますが、被害者は犯罪被害に遭った上に、知られたくもないプライバシーを全国の視聴者にさらされます。二重の苦痛を受ける被害者の人権は、守られなければならないと思います。

また、犯罪者は他人の人権を侵すことで犯罪者となり、処罰されるのですから、懲罰として人権を損なうのは当然だと思っています。
人権を守られないといけない犯罪者は、政治犯だけではないでしょうか。

次に、少し前のことですが、O氏の容疑のために事情聴取されたi氏は、持ち込み禁止にされているレコーダーを使って、聴取内容を記録し、これを裁判の際に公開することで、O氏の裁判を有利に持ち込み、無罪を勝ち取りました。この裁判で、I氏は持ち込み禁止のレコーダーについて、起訴されることもなく不問にされています。こんなことをしたI氏は今、国会議員をしています。明白な違法行為をした者が国会議員に立候補し、当選するなど理解できませんでした。(裁判所も有権者も、駄目です。)

占領軍が事実上制定した憲法は、改正せねばならないと思っています。間近に迫る参議院選挙とその内実施される衆議院選挙、さらに次の参議院選挙は、改憲政党を応援しなければなりません。

にっぽんじん

NHKの詐欺的商法
商品を買った人に渡さないで代金を受け取れば詐欺罪になります。公共放送という看板を挙げているNHKが詐欺的とも言える行為をしていることをNHK経営者たちは知っているのでしょうか。

私の知人から昨夜電話がありました。マンションを引っ越したところ、新しいマンションではNHKの衛星放送が見れないことがわかったため、BS放送の受信契約を一旦解約したいとNHKに申し込んだが解約してくれないそうです。

何度言っても解約が出来ないため、NHKの総合放送も含めて受信料の支払いを止めると怒っていました。4月に金融機関からNHKに振り込まれるためそれを止めるそうです。受信料が入らなければNHKから催促があると思います。

この場合、法的にはどちらが正しいのでしょうか。金を取りながら商品を渡さないNHKと買っていない商品代金は渡さないと言っている購入者の争いになります。NHKは官僚的な態度を止めて、民間企業並みのサービスをしなければNHK離れが増えていくと思います。

外国に支配されているNHKは総務省にお願いして一度解体すべきかも知れません。

No title
全く、左翼のいう人権というのは真の意味では人権ではありません。
真の意味の人権というの信仰あるもの神を信ずる者の人権
であって、18世紀19世紀の思想家は、
唯物論者の人権など認めていません。
つまりは、唯物論者=左翼の人権など認めていないのです。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

08 | 2021/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク