海行かば



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大伴家持
大伴家持0421


先日、「万葉の時代といまの日本の民度」という記事を書きましたが、そのときに、大伴家持(おおとものやかもち)の「海ゆかば」を紹介させていただきました。

「海行かば」は、昭和12(1937)年に、国民歌謡として初放送されました。
歌詞は、国歌として通用するほど崇高なものです。
ですから戦時中は、第二国歌とまでいわれました。

この歌詞は、もともとは大伴家持(おおとものやかもち)の歌で、万葉集巻十八に収録されている長歌です。
この歌は、大君=天皇のために死す、という歌と一般には思われています。
なるほど歌詞を読んだら、そのまんまです。

けれども、和歌というのは、作者のもっとも言いたいことは、握りしめて言わない。言わないことでその「言いたいこと」について、強烈な印象を相手に与えるという構造を持っています。
では、「海行かば」に歌われた、本当の思い、伝えたいメッセージとは、いったい何でしょうか。

この歌詞は、もともとは大伴家持(おおとものやかもち)の歌で、万葉集巻十八に収録されている長歌です。
原題は「賀陸奥国出金詔書歌(みちのくのくにに金 (くがね) をいだすしょうしょを賀(ほ)ぐうた)」で、東北地方で金の鉱脈が発見され、そのことを祝った歌として書かれました。

「海行かば」のあるあたりの一節を抜き出すと、

 大伴の 遠つ神祖の その名をば
 大久米主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて
 仕へし官 海行かば
 水漬く屍 山行かば
 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ
 かへり見はせじ
 と言立て
 丈夫(ますらを)の
 清きその名を
 古よ 今の現に 流さへる

となります。これを意訳すると、
======
我ら大伴氏は、
遠い祖先の大久米主(おおくめぬし)という
神から続く誉れの家柄で、
何代にもわたって大君に仕えてきた。
だから私も、
海を行けば、水に漬かった屍となり
山を行けば、草の生す屍となって
大君のお足元に死のう。
後ろを振り返ることはするまい。
ますらおの汚れない名を守り抜くのだ!
======
となりましょうか。

ただ、歌はこうして意訳してしまうと、意味はわかりやすくなりますが、肝心の歌の心が失われています。
ですので、どうしても通解だけではなく、解説が必要になります。

前後はさておいて、楽曲になった海行かばの部分だけ万葉仮名で抜き出しますと、
======
海行者 美都久屍
山行者 草弁須屍
大皇乃 敝尓許曽死米
可敝里見波勢自

======

まずこの歌で気付くことは、海と山が並べられていることです。
「海行者 山行者」です。

海はもちろん、青い。
山は、木が茂っていますから、グリーンです。
そのグリーンのことを、日本語では「あお」と言いました。
いまでも信号の緑を、青信号と呼びます。

つまり、海と山は、それぞれ「青」と「あお」で色彩であり、並べて「青々」ですから、青年、青春となります。
海を渡り、山を行く者は、若い人となります。

こう書くと、いささかこじつけめいてお感じになる方がおいでになるかもしれませんが、和歌というのは、そのように、歌を詠む側は、一番言いたいことを手に握りしめて書かず、聴き手がこれを推理し、想像することで、イマジネーションを膨らませる。
そのイマジネーションが、広く大きければ大きいほど、名歌とされたわけです。

ですから和歌で想像できる世界は(俳句も同じですが)、風景であったり、色彩であったり、故事あったり、人物や事件であったりと様々です。
そうした想像性(イメージの拡張性)が豊かであればあるほど、良い歌とされたわけです。

これは、いまのようにフルハイビジョン映像などがなかった時代に、たとえば風景を伝えようとするときの工夫でもあります。
この点、欧州の文学は、日本とは逆に、風景でも人物でも、描写がとことん細かくなります。

どこそこを通って海辺に出たら、そこには白い砂浜があり、真っ青に澄んだ海が白波を返しながら打ち寄せては引き返し、手前左側に20メートルばかり言ったところに突き出している岩には、波が大きな音を立てて打ち寄せる度に、高さ3メートルほどのしぶきがあがる。きっとそこは海が深くなっているに違いなくて、さらにその手前には、木造の廃船が捨ててあり、その大きさは、長さが何メートルで・・・・etc

これは西洋画の油絵の手法と同じで、とにかく隅から隅まで塗って塗って、重ねて塗ってリアリティを出そうとします。
ところが日本では逆に、引き算で、省いて省いて省きぬいて、逆に観る側、聞く側の想像力に働きかけることで、リアリティを求めようとする。

そういう意味で、「海行かば」の海山も、ただそれを場所としての海、山と捉えるのではなくて、そこから色彩を想像させることで、この歌が、青雲の志を顕わした歌なのだと明確に主張をしているわけです。
そして、その青雲の志が「屍となる」。つまり死ぬことと言っているわけです。

青年には未来があります。
その未来ある「青年」が、海や山で「美都久屍、草弁須屍」となろうと言っています。
もちろんこれは、死を覚悟せんとする心構えです。

なんのためかといえば、「大皇乃」のためです。
近現代仮名遣いでは、「大君の」と書きます。
大君であれ、大皇であれ、これが天皇を指すことはあきらかです。

ところが、これに続く語をみると、ハッとします。
「敝尓許曽死米(へにこそしなめ)」です。
「敝」というのは、ボロボロになっているさまをあらわす字です。
そして「許」は、「もと」ですから、大君のもとでボロボロになって死のうと言っているわけです。

けれど・・・ここが大事なところですが、万葉集が編纂されたのは天平宝字3(759)年です。
収録された歌は7世紀後半から8世紀前半に作られた歌です。
大伴家持は、養老2(718)年に生まれ、延暦4(785)年に亡くなられた人で、中納言にまで出世しています。
そして家持は、朝廷の命を受けて、全国あちこちに転勤で赴任していました。

この時代、すでに古代律令制度が成立し、これが完全に安定稼働していた時代です。
古代律令国家というのは、民が、豪族や政治権力者の私有民であることを否定し、天皇の民「おおみたから」とすることが我が国の制度として完全に定着した時代です。

これは世界的にみても、ものすごいことで、我が国では古代において、権力と権威が分離されたことを示します。
権力者が権力を揮(ふる)うには、なぜ権力を揮えるのかという、理由が必要です。
これを西洋では「王権神授説」などといって、王の権力は神によって委ねられたものとしましたし、Chinaでは皇帝の権力は天帝から与えられたものと解しました。
お隣の朝鮮半島では、朝鮮王の権力は、そのChina皇帝によって付与されたものです。

そして王や皇帝が権力を揮う相手は、王や皇帝の私物(私有民)とされたわけです。
私物ですから、殺そうが奪おうが、それは思いのままです。
つまり民衆は、王や皇帝の支配によって隷属させられるものであったわけです。

ところが日本では、権力者の権威は、天皇によって認証されます。
そして権力者が権力を揮う相手は、天皇の民、それも「おおみたから」です。
民衆は、権力者の私有民(奴隷)ではない、という立場です。
つまり我々日本人が、古代より権力者の私有民(奴隷)とならずに済んでいるのは、天皇という存在があるからということになります。

こういうことを前提として「海行かば」の歌詞をみると、さらににおもしろいことがわかります。
歌では、「大君のもとでボロボロになって死にます」と言っているのですが、その大君は権力を行使する人ではありません。権力を行使する人に、その権力の正当性を認証する人です。

ですから、大君自身が、征伐に出る、戦に出るということはありません。
にもかかわらず、大君の許(もと)で、大君から権力を与えられた自分が、「敝」=ボロボロになって、死にますというわけです。


誰のために死ぬのでしょうか。


「民衆(おおみたから)のため」とみえるのではないでしょうか。


記紀において、「おおみたから」は「大御百姓」の文字が充てられています。
「百姓」です。
つまり、民百姓を護るために、権力者である自分は、ボロボロになって戦い、海山に屍を晒してもよい、それが自分の青雲の志だ、と言っているのです。

近現代仮名遣いでは、「大皇之許」は、「大君の辺」と書かれました。
これまた意味深です。
「辺」という字は、「しんにょう」に刀と書きますが、しんにょうは、道を指す字であり、そこに「刀」を書いて、「「辺」にしています。
つまり「辺」は、刀の道、剣の道でもあります。

したがって「大君の辺にこそ死なめ」は、
「大君」が、大君を中心として、民百姓を国の宝とする我が国の治世であり、
「辺」で、国の宝である民を護って刀(剣)の道をもって戦い、
「水漬き、草生す屍」で、死んでもなお、これを守り抜きたい、という意味になるわけです。

家持は、前後の長歌において、大伴家の由緒を書くことで、大伴家として、そしてまた、大伴家の由緒は初代神武天皇の付き人であり、神武天皇の日本建国の理念は、「掩八紘而為宇」つまり、八紘を掩(おお)いて一宇(いちう)と為すですから、日本全国がひとつの家族となって、奴隷がいない、民衆が皇民として尊重される世の中を、護りぬこうと詠んでいます。

もっというなら、最後の「かえりみはせじ」があります。
これは我が身を省みないというだけではなく、かつて豪族たちが勝手に民衆を私有民(奴婢)として支配していた時代に還らない、民衆こそ国の宝であり、だからこそ天皇の民であるとされた古代律令体制の考え方を護りぬき、二度と、民衆が奴婢(奴隷)として支配されない、そういう世の中を維持するために、自分は天皇から権力を与えられたものとして、我が身がボロボロになってでも戦い、民衆を護りぬく、といっているわけです。

それが大伴家の道であり、天皇の存在によって私有民(奴婢・奴隷)とならずに生きていけるありがたさを忘れず、そのために命をかけようという家持の青雲の誓い、それが「海行かば」に詠みこまれています。

 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ


そうした深い意味を持つからこそ、この歌が千年の時を超えて、我が国のあらゆる階層の人々に愛され、いまに伝わっています。

こういう、日本文学の底の深さ、そしてまた日本という国の底の深さ、先人達が築き、遺してくれたありがたさを、私たちはもっと知り、そしてもっと学んで行かなければならないのではなでしょうか。

ちなみに、江戸の昔は、このようなお話を、寺子屋でお師匠さんが生徒たちに日常的に語ってくださったのだそうです。
明治にはいってからは、教科書を通じて、教師がこうした話を生徒たちにしてくれました。
だからこそ学校には感動があり、生徒たちはワクワクして、授業を受けたし、教師を師匠としてとても尊敬し、そしてまた大人になっても、自分なりの人の道を大切に生きようと、ひとりひとりの大人たちが努力したわけです。

そうしたひとりひとりの大人たちの、努力が、日本全国では大きな力となり、昨日の記事でお話したような江戸しぐさがあたりまえの国が出来上がっていたわけです。

戦後の教育は、こうした教育の本義を否定し、単なる知識偏重教育に陥り、小手先の文法などを、いわば弄ぶような教育となってしまいました。
どうして、先般ご紹介した「軍犬利根」のような、やさしさと愛に満ちた教育ができなくなってしまったのでしょうか。

こたえは簡単です。
その根幹において、国を否定し、歴史を否定し、天皇を否定しようとしているからです。
そこに無理がある。
あたりまえです。
日本は、天皇の存在によって国がなりたつという歴史を紡いできた国だからです。

ですから、これを否定すれば、何もかもがおかしなものになる。矛盾だらけになる。
矛盾があって説明がつかなくなるから、表面上の人名や事件名、年号や文法、通解だけの小手先で、これを誤摩化そうとする。
そうするしかなくなる。
だから授業がつまらない。

つまらなくて、授業の維持ができないから、ゆとり教育とかいって、教育の時間そのものを削ったりもする。
バカな話です。
私たちが日教組教育はダメだと言っているのは、要するにそういうことです。


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海ゆかば (Umi Yukaba)


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コメント

takechiyo1949

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丁度昨日万葉集絡みの本を読んだんですが、それによると家持は子孫達に対して「我が家の名を絶つな!」と警鐘を鳴らしてたそうで‥。←近畿への東遷前から、日向への降臨前から、おそらくは高天原時代からオオキミの辺につかまつっていた老舗の武門大伴家も家持の頃には斜陽でしたが、だからこそ危機感持ってかつての遠祖が目尻に鷹目の如き刺青入れた満つ満つし久米の子等の主となって是を率い神武東征に多大な貢献をした家伝を誇り、そんな名門を失う事に抗って「海ゆかば」の様な大伴家の原点ともいえる勇ましい歌を詠んだのではと愚拙なりに推測してます。(当時の大伴家の背景が背景だけにどーしても悲壮感が滲んで見えちゃうんですな‥) 

>(戦前までの生徒は)ワクワクしながら授業を受けた

↑まさに大戦前の宮崎中学の生徒が「私は『海ゆかば』の和歌を読む度に、遥か昔、我が先祖である久米の若者達が勇んで神武帝の下につかまつり、美々津港の先にある二つの小島の間を抜けて船出して行った様子がありありと目に浮かぶ」‥って感想文に書いてましたっけ♪←まるでジカに見てた気分で居た様ですが、暗記や自虐に立脚した教育ではコウはならんでしょーな。(´ω`)ンダ

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終戦後、米国を中心とする連合国は、日本を再興させないために歴史教育を否定し、その教育の方向を歪めるための一つに学校教育を利用しました。そして、これを担当する教職員の組織である日教組は、左翼からの方針に従って、日本人から集団行動で大きい能力を発揮しないように行動しました。
しかし、その結果、学校教育の場で児童や生徒の保護者は、凄まじいクレーマーとなって教職員が振り回される状況もあると思います。
日教組は今、教育はこれまでとおりの目標に沿って行い、その教育結果である児童、生徒及び保護者からの問題は抑制したいと思っているでしょう。しかし、世の中、そんなに思うように行くものではないと思います。因果応報です。
教育は、その国民が誇りを持って生きるように行うものです。それで始めて国民は、お互いを信頼して協力し、色々な意味での成果を出せるものだと思います。

terag3

思い出した体験談をひとこと
大分前の話ですが、女性のソプラノ歌手が童謡や唱歌を歌って
その合間に観衆に様々なお話をするというイベントに参加した
時のことです。

プログラムも終わりに近くなったところ、そのプログラムにも
明記されていた「海ゆかば」を歌おうとした時に聴衆の一部の
人々から「この歌は軍国主義の歌だから歌うのはやめてくれ」
と言う声が上がりました。

その時に舞台の上で楽器を演奏していた主催者の一人も「私も
反対します」と言いだして舞台から降りて行きました。
しかしこれに対して、女性のソプラノ歌手は「この歌は決して
軍国主義の歌では無く日本に古くから伝わる万葉集に収録され
ている大伴家持が作った歌なのです、それでは皆さま方にこの
歌を歌うかやめるか決めて頂きましょう」と提案すると大勢の
観客たちが「海ゆかばをみんなで歌おう」と言って舞台に駆け
上がって来ました。

これらの賛成者が多数となって、反対者たちはすごすごと引き
下がり、大勢の観客たちが一緒になり大声で合唱しました。
なお、このイベントが開催された地域はサヨク系の住民が多い
ところだと聞きましたが、やっぱり沖縄同様に覚醒している真
の日本人も大勢いることを知って心強く感じたことを思い出し
ました。


電光石火

世界最古の王朝
誠にお見事な、古文の解説。皇民とは、そういう事だったのですね。当たり前の事ですが、世界最古の王朝、王家である日本の天皇制、皇室を今後も守っていかねばなりませんね。男系男子も死守しなければならないと思います。

Belinger

未来予測として
日本の歴史教育の問題点は無味乾燥な年代と見出しの羅列に終始し、興味を失わせていることです。
本来、歴史とは以下の前提を元にそのストーリーを教えるべきです。

1、人間の本質は有史以来、現代まで全く普遍である。
2、よって、歴史上の事件と同じ境遇に現代人が遭遇したとき、また同じ行動をとる可能性が高い。
3、現在起こっている状況が過去の歴史のどの時点に似ているか検証する。
4、検証するにあたり、テクノロジーの発達を考慮に入れる。
5、その過去の歴史の結末を調べれば、ある程度未来予測が可能である。

歴史のパターンは繰り返すものです。
すなわち歴史とは「未来予測」のための学問であるという真理が、日教組によって意図的に無視されているのです。

たとえば、今の極東情勢は日露戦争前に似ていると私は思います。
中を露、米を英とすれば当てはまります、したがって日露戦争を調べて日本はどうすればよいか考えるのです。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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