尼港

当時、尼港市には日本人約700名を含む1万7千人あまりが住んでいました。
内訳は次の通りです。
日本居留民 約 700名
白系ロシア人約1万5000名
中国人 約 1000名
朝鮮人 約 500名
日本人700名というのは、日本陸軍の二個歩兵中隊の約260名と、その家族の婦女子440名です。
どうしてここに日本陸軍が駐屯していたのでしょうか。
侵略でしょうか。
違います。ちゃんと理由があって駐屯していました。
きっかけは、大正6(1917)年に起こった帝政ロシアにおけるレーニンに指揮された「ロシア革命」です。
ロシア革命といえば、いまでは、なにやらロシアがレーニン達共産主義者によって、ただちにソヴィエと連邦共和国となり、ロシア全体が夢と希望に満ちた共産主義国家になったかのように印象操作されていますが、事実はそんな簡単なものではありません。
レーニンは、ロシア皇帝を引きずり降ろして政権を奪ったのだけれど、まだその時点、つまりロシア革命成立当時は、世界中どこの国の政府も、レーニンのこのソ連という名の革命政権を「国家」として承認していなかったのです。
むしろ過激派によるテロ行為として警戒していました。
あたりまえです。それまで国際舞台で活躍していた旧ロシアの貴族や政府の要人たちを、片端から殺しまくったのです。警戒しない方がどうかしています。
さらにやっかいなことには、この革命によって旧ロシア国内の各地が無政府状態になってしまったのです。
とりわけ、ここが大事な点ですが、たくさんの囚人たちが幽閉されていたシベリアの刑務所から、「シベリア送り」となっていた凶悪犯罪者たちが牢から出され、自称「共産パルチザン」を名乗って、各地で無法な殺戮を繰り返していたのです。
すこし考えればわかることですが、牢から出されただけでは、食料も武器もありません。
凶悪犯たちは、単に牢から出されただけでなく、社会の破壊と混乱を目的とする共産党から豊富な武器や弾薬を無償で提供されていたのです。
キチガイに刃物とはよく言ったものです。
凶悪犯達は、民家を襲い、食べ物や財物を奪いました。
さらに集団で徒党を組み、組織化されたゲリラ集団となって、シベリア各地を荒し回ったのです。
そして彼らは自分たちの暴行を「外国勢力追放」というタテマエで正当化しました。
そして各地でロシア人たちだけでなく、外国人に対して襲撃をしてまわっていたのです。
ロシア革命成立当時は、それでもまだシベリア方面には保守派のロシア極東総督であるロザノフ中将や、コルチャック提督などが健在でした。
彼らは帝政ロシアの正規軍を用い、パルチザン化した凶悪犯たちと戦ってくれていたのです。
しかし、大正8(1919)年になると、シベリア・オムスクにあったロシア総督府が、武装共産パルチザンの攻撃によって、皆殺しにされてしまったのです。
英米日の三国は、無法地帯化したロシアでの市民の安全確保のため、その前年の大正7(1918)年8月から、シベリアに国際共同歩調として出兵していました。
日本の軍人が尼港に駐屯していた事情と背景がここにあります。
ところが軍を派遣した翌年には、上に述べたようにロシアのシベリア総督府が崩壊してしまったのです。
身の危険を感じた米英両国はシベリアから早々に撤兵してしまいました。
英米からしてみれば、自国とは、まさに「地球の反対側」にあるシベリアの田舎の出来事でしかないのです。
列強としての国際的責任、および共産主義革命への対抗上、やむなくシベリア出兵していただけで、ロシア総督府が壊滅してしまったのなら、自国の安全を図るため、兵を撤収し、自国の近辺に兵を配する。
英米両国にとっては、撤兵は、ある意味、当然の措置であったといえるかもしれません。
けれど日本にとっては、友好で穏健な総督府があればこそ極東の平和と日本居留民の安全が図られ、ひいては日本の安全を守れていたのです。
ロシアのシベリア総督府が倒れたとなると、これは日本居留民の安全確保と日本本土防衛上の必要の両面から、撤兵するわけにいかない。
英米と異なり、日本にとっては、シベリアは「すぐ隣」の出来事だからです。
地理上シベリアは、北海道・樺太に直結しています。
ところが、ロシア総督府が倒れ、英米も撤兵してしまう。
そうなると日本の防衛線は、極度の戦力不足となってしまいます。
そこでやむなく日本は、第十二師団(約1万5千名)をシベリアに派遣しました。
ただ、シベリアは広大な土地です。
師団の兵士達は、各所に分散され、結果としてニコライエフス(尼港)には、わずか二個中隊260名が駐屯した、という情況だったのです。
そして事件は起こりました。
雪深い尼港は、共産パルチザンもなりをひそめ、比較的静かな状態だったのです。
そこへ大正9(1920)年1月29日、突然現れたのが、ロシアのトリビーチンを首領とする約4千人の共産パルチザンでした。
彼らは、いきなり尼港市街を包囲したのです。
守備していたのは、石川少佐率いる2個中隊(260名)と、無線電信隊の40名、それと保守派のロシア兵(共産赤軍に対して白衛軍と呼ばれていたロシア兵)、合計約350名たらずでした。
つまり、守備部隊の10倍以上もの武装した暴徒が、街を取り囲んだのです。
街を包囲した共産パルチザンは、「自分たちには敵意はない、食料の補給に協力をしてほしいだけだ」と称して、市内に入りこみました。
ところが市内に入るやいなや、ロシア白衛軍の将兵を捕らえて、これを全員虐殺してしまったのです。
さらに一般市民の中から「有産智識階級」と思しき市民を虐殺し、家内の家財、財宝を強奪しました。
そしてユダヤ人を選び出し、婦女子にいたるまで、その全員を強姦し虐殺したのです。
共産パルチザンたちは、銃剣で突き刺して殺害したロシア人やユダヤ人たちを、黒龍江の結氷を破ってつくった穴から、凍る流れに次々と放り込みました。
こうして、たった一晩で、尼港ではロシア人とユダヤ人約2500人が虐殺されたのです。
この事態を前に、次の日、尼港の穏健な石田副領事は、パルチザンたちに対して「まことに遺憾」と厳重抗議を行ないました。
けれど共産パルチザンたちは、もとよりそんな口先だけの「抗議」など受け入れません。
あたりまえです。受け入れるくらいなら、最初からパルチザンなどやっていない。虐殺などしません。
それどころかパルチザン達は、日本の副領事の抗議に対して、逆に日本側に「武装解除」を要求してきたのです。
日本兵が武装解除したら、そのあと何をされるかは火を見るよりも明らかです。
なにせその前日に彼らは2500人もの人を問答無用で虐殺しているからです。
現地の日本軍部隊は、日本に急を知らせる電文を打ちました。
けれど日本からの救援隊は、小樽からの発進です。
真冬の寒い時期です。
海面が凍結しています。
すぐには動きようがありません。
満州にいる他の部隊も、いちばん近い部隊で、陸路で到着するのに40日かかります。
尼港から撤退するにも、周囲は凍っているし、尼港の街自体が、共産パルチザンによって、蟻の這い出る隙もないほど包囲されています。
援軍もなし、撤退も不可能。
尼港の駐留隊は、極寒のシベリアで、完全に孤立していたのです。
座して死を待つくらいなら、勇敢に戦って死のう。
白人たちの惨殺を目の当たりにしていた日本人部隊は、義勇隊を募りました。
そして110名で武装パルチザンの本拠を急襲しました。
けれど衆寡敵せず、駐留部隊指揮官石川少佐以下多数がまたたくまに戦死してしまう。
義勇隊に参加しなかった軍人、軍属と女子供達600名は、義勇隊の奮戦の最中に、日本領事館に退避しました。
けれど、領事館に集まることができたのは、わずか250名でした。
逃げ遅れた人達は、武装した共産パルチザンの手にかかったのです。
何が起こったのか、事後の調査記録があります。
それによると、共産パルチザンたちは、子供を見つけると二人がかり手足を持って石壁に叩きつけて殺し、女と見れば老若問わず強姦し、おもしろ半分に両足を二頭の馬に結びつけて股を引き裂いて殺していたのです。
こうしてまたたく間に、義勇隊110名と、逃げ遅れた日本人約100名が犠牲となりました。
日本領事館に逃げ込んだ人達も、けっして安穏としていれたわけではありませんでした。
領事館を襲おうとする共産パルチザンたちと、領事館に立てこもった日本軍との間で、戦闘はまる一昼夜続きました。
これは、とんでもなくたいへんなことです。
実際に、傭兵となって世界の戦場を点々とした人から直接聞いた話なのですが、一般に、銃を撃ち合う戦闘というものは、ほんの数分で決着がつくものなのだそうです。
銃撃戦が10分も続いたら、「今日の戦闘はむちゃくちゃ激しかったねえ」などと、後々まで話題になる。
それだけ銃撃戦というのは、戦闘員たちにものすごい集中力と緊張を強いるものなのです。
それが、尼港の日本領事館では、まる一昼夜です。
立てこもる日本人兵士たちの緊張感、後方で震えていた日本人婦女子たちの恐怖は、想像するにあまりあります。
一昼夜が経ち、朝日が射す頃には、領事館内の生存者は、わずか28名になっていました。
弾薬も底をついてしまう。
残った一同は、まず子供を殺しました。
そして石田副領事、三宅海軍少佐以下全員が自決しました。
こうして一夜が明けたとき、尼港に残る日本人は、河本中尉率いる別働隊と、領事館に避難しなかった民間人121名だけとなりました。
抵抗を続ける日本人達に対し、これを「強い」とみた共産パルチザンは、策を弄しました。
山田旅団長の停戦命令を偽造したのです。
河本中尉は、これは「怪しい」思ったそうです。
けれど、もし停戦命令に従わなかったことが、後日、国際上の問題となったら。
それは軍記を守る皇軍として、取り返しがつかないことです。
なぜなら、軍は、あくまで上官の命令によって動くものだからです。
河本中尉は、命令を受け入れました。
生き残っていた121名は、全員、武装解除に応じたのです。
そして全員が投獄されました。
牢獄では、ろくに食事も与えられないまま、日本の救援軍に対する防御陣地構築のための土方仕事に駆り出されました。
零下三〇度の極寒の中で、凍てついた大地に土嚢を積み上げ、陣地の構築をしたのです。
そして、陣地構築が終わると、手のひらに太い針金を突き通して、後ろ手に縛られ、凍ったアドミラル河の氷の穴から、生きたまま共産軍によって次々と川に放り込まれ殺されてしまいました。
春になってようやく旭川第7師団の多門支隊が現地の救援にやってきました。
そこで彼ら救援隊が見たもの。
それは、まさに地獄絵図でした。
焼け野原と化した尼港には死臭が漂い、そこには「いったん撤退するが再び来て日本人を征服し尽くす。覚悟せよ」と記した共産パルチザンの声明書が残されていました。
日本の救援部隊来着近しの報を受けた共産パルチザンは、5月14日に、支那人の妻妾となっていた14名の日本人女性以外、生き残った日本人全員を殺害していたのです。
支那人の妻妾となっていた女性たちの証言から、1月29日から5月14日までの106日間の尼港の模様が明らかになりました。
そこで何が起こっていたのか。
日本人は、生きたまま両目を抉り取られ、五本の指をバラバラに切り落とされ、死ぬまで何度も刺されていました。
そして金歯があるものは、生きたままあごから顔面を切り裂かれて、金歯を抜き取られました。
女は裸にされ凌辱された上で、股を裂かれ、乳房や陰部を抉り取られて殺されました。
獄舎の壁には、血痕、毛のついた皮膚などがこびりついていたそうです。
そして、その獄舎の中で発見されたのが、壁に書かれた冒頭の写真でした。
そこには、被害者の手によると思われる鉛筆書きで、
「大正九年五月二四日午後十二時を忘れるな」と書かれていたのです。
この事件は「尼港事件」と呼ばれ、当時一部の報道はされたものの、あまりに残酷性が高いことから、報道規制が行われています。
注意していただきたいのは、この事件が起こった当時、日本は、ロシアとも、レーニン率いるソ連共産党とも戦争状態ではなかったことです。
むしろレーニン自身が述べているように、ソ連共産党と日本は、良好な関係でさえあったのです。
そしてもっと言えば、レーニン指揮下のソ連は、この時点ではまだ国際的に「国家」として承認されていません。
つまりこの事件当時、ロシアはすでに崩壊しており、ソ連はまだ国際的には存在しない。
つまり、シベリアは、まさに無政府状態にあったのです。
最近の日本の歴史教科書は、日本のシベリア出兵について、「日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後になった。(中学社会 歴史 教育出版)」と書いています。
これだけ読んだら、まるで日本が悪者です。
けれど、上の文をお読みになった方にはわかるはずです。ロシア革命によってロシア、とりわけシベリアは無政府状態になっていたこと、その結果シベリアに流刑されていた帝政ロシア時代の凶悪犯達が、ソビエト共産党の支援を受けて武装し、共産パルチザンとなっていたこと、そうした中でロシアのシベリア総督府は、治安維持を図るため、共産パルチザンたちと必死に戦っていたこと、民間人たちへの殺戮を防ぎ、治安を維持するため、英米日三国が一致協力して軍隊をシベリアに派遣していたこと、ロシア総督府が共産パルチザンに制圧されると、英米の軍隊は、さっさとシベリアを放棄して逃げだしてしまっていたこと、日本は、本土防衛上、やむなく軍の駐屯を続けざるを得なかったこと、等々です。
そして大事なことは、国外で起きた事件には、日本の国法は通用しない、ということです。
当然、日本の警察権も及びません。
無法地帯となった国外では、軍隊だけが、秩序維持ができる唯一の機関だ、ということです。
そして日本は、無政府状態と化したシベリアの秩序維持のために、第十二師団をシベリアに派遣しました。
けれど、広大なシベリアに、師団ひとつです。
兵力はわずか1万5000名です。
そしてその師団は、各地に分散され、尼港のような、当時としてみれば比較的大きな市街でさえ、守備隊は、わずか二個中隊しかいないという状況だったのです。
(中隊は、一中隊136名の小規模部隊です)
そして「日本軍が少数であることをよいことに、四千という大人数で、武装した共産パルチザンが尼港に襲いかかった」ということを、私たちは忘れてはなりません。
憲法九条があっても、相手は、こちらが弱いとみれば、九条なんておかまいなしに襲ってくるのです。
そして、日本軍が少数と思えばこそ、ありとあらゆる非道の限りをつくしていた連中は、日本軍の師団規模の救援隊が来るや否や、算を乱して逃走しているのです。
弱肉強食という言葉がありますが、相手が弱いと見れば、ありとあらゆる暴虐を加え、相手が自分たちよりもすこしでも強いとみるや、卑屈な笑顔を浮かべる。
そういう人種、そういう民族、そういう悪辣な無法者というものが、現実にこの世に存在する。
それが、事実なのです。
そして世の中は、能書きではなく、現実で物事が動いています。
にもかかわらず、戦後の学校は、「日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後になった」と教えています。
これは、死力を尽くして戦った同じ日本人の先人達に対する、後世の子や孫(つまり私たち)による冒涜行為であり、いまの私たち、そして未来を担う私たちの子や孫を危険に晒そうとする、極めて不見識なものと言わざるを得ません。
事実を事実としてきちんと教育し、亡くなられた被害者の方々に心から哀悼の意を捧げ、二度と同じ日本人がこうした恥辱や殺戮に遭わないよう、しっかりと国を守る。
それこそが日本国政府の本来の役割です。
そういうことを教えるのが、教育です。
もうひとつ大事な点があります。
武装パルチザンのような「ならず者」達に、穏健な交渉など全く通用しないということです。
同種のことは、世界中各地にあります。
過去にも沢山ありました。
現代の軍隊でさえも、ならず者となるケースがあります。
お隣の韓国兵です。
彼らは、ベトナム戦争のとき、米軍にまじってベトナムに行き、そこで強姦致傷殺戮の限りをつくしています。まさに畜生の軍隊でした。
世界には、そういう無法者達が現実にいる、ということを、私たちは忘れてはならないのです。
そして、そうした無法者達から、自分たちの安全を保つためには、完璧な報復主義しか、現実にはない、ということも、歴史から学べることといえます。
世界で襲われないのは、ひとり殺されたただけでも相手を身内親族に至るまで根絶やしにするまで殺戮するという激しい報復をする者か、あるいは圧倒的な軍事力で強力な報復能力を持っている者しか、安全を保てれない。
それが世界の現実、人類の現実でしかない。
そしてそのことを、西洋人達は、経験的によく知っています。
尼港事件では、はじめにロシア人やユダヤ人が殺されました。
なぜでしょうか。
彼らには彼らを守る政府がすでになかったからです。
次に日本人が襲撃されました。
なぜでしょうか。
理由は簡単です。
暴徒に、「極めて遺憾」などという平時の言葉は通用しない、ということです。
それによって、逆にパルチザン達に舐められてしまった。攻撃される隙を与えてしまった。
まごまごしているうちに、大切な戦力となった現地のロシア人やユダヤ人達までも失ってしまったのです。
そして日本は、身を守るすべを失った。
もし共産パルチザンがやってきた時点で、日本が積極的にロシア人やユダヤ人たちと連携して、パルチザンに対して徹底抗戦の構えで臨んでいたら、事態はどのように変化したことでしょうか。
事態は、もしかすると、もっとずっとましな方向に進んだかもしれない。
米国では、子供が中学生くらいになると、男女を問わず、親は拳銃の射撃を教えます。
そして撃つときには一瞬の躊躇もせずに相手の心臓か頭を狙い、射殺せよと教えます。中学生に、です。
武力を用いるときには、迷いは禁物です。
戦う時は、平時の理屈は通用しないのです。
戦うべき時は戦う。中途半端はしない。
国家も個人も、それが身を守る唯一の方法、というのが、人類の歴史だし、現代の国際社会でもなお続く現実です。
世界政府とか、民族や国境を越えて人類がひとつになって平和な世界を築くというのは理想です。
けれど、世界のGDPは、日本を含むわずか5カ国で、世界全体のGDPの50%を担っています。
日本人が世界市民となるということは、世界の人々の所得が平準化するということです。
つまり、日本人はいまの豊かな生活を全て捨て去って、世界の貧しい国々と同程度の貧しい生活環境になる、ということです。
要するに、世界市民を主張する人々というのは、日本人に貧乏になれと言っているに等しいし、日本の再軍備に反対する人たちは、日本人がただ虐殺され、強姦され、財産を奪われることを、むしろ歓迎すると言っているに等しいのです。
国家が国境を失なったとき、その国の人々がどのような目に遭わされるのか。
その現実は、戦前戦後を通じて、枚挙にいとまがありません。
私たちは日本人です。
秩序を守り、約束を守り、人を殺したり、奪ったりすることはいけないことと信じ、互いに助け合って勤勉に生きることを是とする国民です。
その日本を護るのは、「極めて遺憾」などといった平時の政治用語でもなければ、憲法九条でもない。
戦う意思と戦力を持った、具体的な力の行使しかない。
それが現実です。
そして正義は、力の裏付けがなければ、正義であるがゆえに、かえって酷い眼に遭わされてしまう。
それが世界の現実です。
私は、日本こそ、常に世界最高の強い国であり続けなければならない国である、と思っています。
それともうひとつ、大切なことを書き加えておかなければなりません。
パルチザンに尼港が囲まれ、ロシア人、ユダヤ人が虐殺された後、なぜ日本は「遺憾の意」を表する程度にとどめ、その時点で武力攻撃もしくは迎撃態勢に入らなかったのでしょうか。
ここに戦前の歴史を解く重大な鍵があります。
どういうことかというと、日本は、領事(外務省所轄)も、軍も、あくまでも治安維持のために現地に派遣されており、侵略する意思も武力にものを言わせて現地での収奪行為をする意思も、毛筋一本ほども持ち合わせていなかった、ということです。
世界のボーダレス化が進み、世界中のメディアのみならず、民間人までもが現地の様子をリアルタイムに近いカタチで世界中に動画配信できる今と異なり、20世紀のはじめ頃には、まだまだ情報通信網も未発達でした。
つまり武力を持つものは、ある意味、あらゆる暴行、略奪をほしいままにすることができた時代でもあったわけです。
けれど日本は、そういうことができた時代にあっても、極力武力を用いることを避け、現地の人たちとの対話を重ね、善政をひき、教育を施し、誰もが安心して生活できる状態を築こうと努力していたのです。
20世紀の半ば以前の世界の歴史において、まさに神様のようなそんな徳の高い軍をもち、行動していたのは、はっきりと申上げて、世界の歴史の中で日本だけといっても過言ではありません。
そして根っこのところにその誇りと意識があるからこそ、たとえ相手がパルチザンであろうと、「話せばわかる」という姿勢を貫こうとしたのです。
そのどこが、どう「侵略軍」だったのか。
わけのわからないデタラメを書いた教科書の執筆者には、是非、教えていただきたいものです。
尼港事件で犠牲者となられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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コメント
Orange
それによると「通州事件で犠牲になったのは300人程度であり、全然大した事件じゃない」との事でしたが、全く許し難い意見だと思います。一つの居留地の善良な民間人がほぼ皆殺しにされたというのに、何という言い草でしょうか。
しかし、このような書き込みを平気でするような人間がはびこっているのが今の日本の現状です。こういう状態を何とか打開していくことが必要だと感じます。
2013/05/26 URL 編集
おっくん
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1386.html
もうめちゃくちゃです
報道では声明文読み上げのとこしか扱ってないけど
質疑応答のとこ見てください
2013/05/25 URL 編集
英語で韓国紹介
2013/05/24 URL 編集
一有権者
覚醒した皆様におかれましては政府、関係省庁へ日韓通貨スワップの延長はしないようにご意見の投稿等おこない行動する事が私達の安全を守る事に繋がると信じております。ついでに韓国との国交断絶要求も考えたほうが良いのかもしれませんね。
嘘吐き韓国にいつまでも日本の税金を垂れ流してなるものですか。
使うならば日本の安全保障のために使って欲しい。
日本は中国や韓国のような国と付き合うべきではなく、親日国へ手厚く支援し相互安全保障条約等を結び特亜国を除いた国際社会を作るべきです。
その為にもしっかりした教育が必要です。日本国内に巣食う反日組織は潰すべきです。
2013/05/24 URL 編集
ポッポ
子供に尼港事件を教えても、理解できないと考えられたのかもしれませんが、おかげで日本は海外で侵略を繰り返す、悪い民族との印象しか持てませんでした。
そして今、外国との関係を考えるとき、中国や韓国は反日運動をしているが、ロシアは反日運動をしていないから外交交渉が成り立つという、国会議員やマスコミ人がいます。
彼等は、日ソ中立条約を破られたことや尼港事件のことを知らないのか、大したことではなかったと思っているのか、どちらか分かりませんが、本当は、日本が反ロシア教育をしても不思議ではないのです。また、近接する外国とは、断行する必要はありませんが、算盤を片手に持って、利害を考えて交渉をすべきものだと思います。日本の近接諸国には、何を与えても感謝されることはありません。
ところで、本日行われる予定であった橋下大阪市長と元慰安婦との面会は中止にされました。
中止の理由は、二人とも会いたくないとのことで、政治利用されるのを防ぐためだそうですが、彼女たちの支援団体は「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」とのことですから、おそらく日本の反日団体が橋下氏の日頃の論法を予想して、一時退却をしたのでしょう。。
橋下氏には、中山成彰氏の予算委員会での説明通りであることを確認するため、彼女たちの出自を追求していただきたかったのですが残念でした。
彼女たちは、日本人を相手にすれば必ず詫びるとの謝った認識しかありませんので、もし面会して、橋下氏から予想外の反応をされた場合には、大声で泣きわめくばかりで、理性的な日本人の手には負えないものだったかもしれません。
大きな声で叫べば、嘘でも本当にできると考えるのは、互いに民族が異なり言葉が通じない場合には、有効な手立てかもしれませんが、日本人にはあまり得意とされる方法ではないと思います。
2013/05/24 URL 編集
にっぽんじん
先の大戦もアメリカにおける日本に対する偏向報道が原因です。正義を指導する宣教師までが悪魔に心を売っていました。誤った世論を形成するための偏向報道が戦争を引き起こします。
クウェートで起きたナイラ事件を覚えているでしょうか。イラクがクウェートを侵攻した際に、アメリカに軍事介入を急がせるために作られたクウェート政府による贋情報事件です。
アメリカ議会でクウェート人少女ナイラに嘘の証言をさせ、偽造写真によってイラク軍の残虐行為をアメリカ市民に訴えたのです。戦争後、ナイラは駐米クウェート大使の娘であったことが判明しました。
今の日本は戦前の状況に似ています。中韓の日本を誹謗するプロパガンダで日米韓の距離を離れさせようとしています。日米のマスコミ報道に騙されないように注視する必要があります。
そのためには、正しい情報を常に世界の市民に伝えていかなければなりません。多くのマスコミは正しい歴史から目をそらします。特にアメリカに住む日本人は、友人知人に歴史の真実を伝えて欲しいと思います。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ausRSDUxKr4
http://www.youtube.com/watch?v=9bOw0uhgfrY
http://www.youtube.com/watch?v=fl2jUJWHsCQ&feature=player_detailpage
2013/05/24 URL 編集
桜子
これは過去の事件としてではなく、今の日本の現実に於いて起こりうる可能性を秘めた事件です。
我が身、そして家族を守る女性として多くの方がこの真実を知っていただきたいですね。
戦後教育(日教組)に於いて、日本人としてのプライドも何も骨抜きにされ、日本人のお人好しに拍車がかかり、世界市民などと、それがあたかも平和に繫がると信じ込んでいる、というか信じ込まされているお花畑の日本人が大半なのでは?
「人類皆兄弟」「世界市民」どの言葉も、まず国家が存在し得て初めて言える言葉です。
どうも言葉だけのイメージ、そしてその言葉に踊らされ、その言葉の裏にある物も見ず「うん、うん、そうだ、そうだ、やっぱり仲良くしないといけない、そうしないと平和は守れない」などと真剣に思っていている日本人がいるのも確かですし、憲法改正、九条改正に異論を唱える人がいるのも現実、困ったものです。
勿論、世界の中で生きていく上において、あらゆる国々とお付き合いをして行かなければなりません。
仕方なくお付き合いして行かなければならない国もあるでしょう。
その最たる国が、日本の隣に存在しています。
悲しいと言うか、もう哀れにさえ思うのですが、人間としてのモラル、国家としてのモラルさえ無きに等しい(無いと言っても過言ではありません)国がこの世界に存在しているのです。
そういう世界の現実を見据え、日本国としての守りを強護にした上で、日本人としての誇りを持って付き合いをして行かなければならないと思います。
要は付き合いの仕方の問題です。
相手が理不尽な言動、行動をとった時には頑として物を言う、国家として当たり前の事です。
「遺憾に思う」「世界市民」「人類皆兄弟」その様な言葉が現実に通用していたら地球上に争い事は起きませんし、起こってもいません。
ねずさんが言われるように世界はファンタジーではありません、現実で動いています。
そしてその現実は腹黒いのです。
日本のようなお人好し国家は、世界広しとはいえ日本だけではないでしょうか。
国家の責任に於いて真実を教える、つまり教育の改正、必至です。
国=国民です。
国に責任があるというおであるならば、その責任は我々国民にもあるという事です。
自国を変える、それにはまず我々が変わらなければなりません、それが大前提だと思います。
こうして勉強できるのも、ねずさんを始め、日本国を憂い、真実を発信下さるブロガーの皆さんがいるからです、感謝です。
話は変わりますが、先日のニュースで>2013年5月20日、韓国紙「中央日報」が第二次世界大戦の際、米国が日本の広島と長崎に原爆を投下したのは、「日本への神の懲罰だ」とする記事を掲載し、日本の反発を招いた。在韓国日本大使館は22日、同紙に抗議を申し入れた。環球時報(電子版)・環球網が伝えた。とのニュースを目にしました。
このニュースを目にした途端、唖然とし、もう何をどの様に言ってよいのか、その言葉さえ見つかりませんでした。
なぜなら私の父も被爆者の一人でしたから、、、。
被爆者でなくとも、これに怒らない国民はいないと思います。
悔しい、情けない、愚か、その様なありきたりの言葉では言い表せません。
この様な国家が国家として存在する、信じられない世界ですがこれも現実です。
「一致団結のお願い」でコメントされた方のスワップ延長問題ですが、延長では無く終わりに向け私もできる限りの事をさせていただきます。
スワップも日本のお金、つまり我々国民の血税が使われるのです。
そんな事言われなくとも解かっている、と言うのであれば日本国民としてどうするべきかと、いうのも解かられると思います。
また、これを認めたら世界の笑い者です、日本を侮辱しまくりの国に援助、「日本は馬鹿か?」と言う声が聞こえて来そうです。
つまり、言って解からない国であるなら、目には目、歯には歯、致し方ないと思います。
2013/05/24 URL 編集
越智富雄
思えば、私の屈折した人生は、ここからスタートしました。
親元を離れて、物の見方も、徐々に変化し始めました(詳細は省きます)。
今にして思えば、講義内容は反日左翼思想でした。憲法学の教科書は悪名高い宮沢俊義(売国奴・曲学阿世の学者と言われている)の本でした。「南京大虐殺は本当だった」とか、「昭和天皇は侍女に夜のお供をさせることがあった」とか、講義内容に全く関係ない、何の脈絡も無くしゃべる教授がいました。ドイツ語の教授は、ヒトラー政権の時の留学生で、食事の席に呼ばれ、ヒトラーを遠目に見たそうですが、悪魔そのものだったというのです。講義後、研究室にその教授を訪ねて再度、ヒトラーのことを聞いた時も、「あいつは、悪魔そのものだ!」の一点張り。「先生は、悪魔を知っているんですか?」と聞くと、「ヒトラーだ!あいつは、悪魔以外の何者でもない!」との返事。話になりません。私は、早々に研究室を後にしました。
ヒトラーは、反日とは関係ありませんが、反ナチも、自虐史観の一環で、反日左翼思想のお友達ですね。
私は、その頃、「前世想起体験」をしてしまい(錯覚か?)、罪刑法定主義とか馬鹿馬鹿しくなり、というか、価値観が崩壊して、8年間休学の末、除籍処分となってしまいました。また当時、コンビニの店長をしており、学生に戻れなくなってしまっていました。聖徳太子の研究を始めたのも、この頃でした。体調を崩したのもこの頃でした。この後、「都落ち」を体験しました(都と言っても、たかだか八王子でしたが。八王子の方、ごめんなさい)。紆余曲折があったのです。
本当に、ねずさんのブログに出会えて良かった!これからも、こちらのブログで学ばせて頂きます!
あ、ちなみに、私は共通一次試験第一世代で、そのおかげで、東大の二次試験を受けることが出来ましたが、東大に受かる学力は全くありませんでした。お騒がせ致しまして、誠に申し訳ありませんでした!
2013/05/24 URL 編集
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http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/?no=5072
[一部抜粋]
日韓通貨スワップとは、韓国が通貨危機になった際、700億ドル分までなら日本円と交換できるという、意味のわからない協定だ。
日本側にとってメリットが全くない経済支援的側面の強いものであったため、かねてより協定の破棄を求める声があがっていた。
そんな中、李明博元大統領の天皇侮辱発言などがあり日韓関係が大幅に悪化。
すると、野田政権の唯一の良策と言われる日韓通貨スワップの見直しが昨年10月に行われ、限度額を30億ドルに引き下げた。
そして自民党政権になった今、協定の延長を行わず、規定通り7月に日韓通貨スワップは終了する。
>自民党政権になり、韓国に対して強硬な姿勢を見せるようになった日本。従来のような関係は終わった。
>日韓通貨スワップが完全に破棄される7月に、韓国側から何かしらの呼びかけがあることは間違いないだろう。
[中略]
韓国側から呼びかけがあっても、絶対に応じてはならない!
韓国から要請が来る前に、日本が先手を打って「拡大措置の延長を打ち切る」と通告することが一番良い!
官邸などへのメールは、内容などより数が重要!
2~3行で良いから、「日韓通貨スワップ」を延長せずに終わらせるように訴えよう!
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首相官邸・ご意見募集
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
各府省への政策に関する意見・要望
(外務省、財務省、内閣官房、内閣府、金融庁など)
http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
自民党に対するご意見・ご質問
http://www.jimin.jp/voice/
■参考例文1…に続く■■■■■■■■■■■■■■■
2013/05/24 URL 編集
無名さん
を掘り起こし掲載して下さっていることを感謝しています。
2013/05/24 URL 編集
顕如
日本人は、卑劣な敵への情けが味方に仇なすこと肝に銘ずるべきである。
2013/05/24 URL 編集