当時のカンボジアは、20年もの内戦が続き、全土に1千万発ものChina製の地雷が埋められていました。
日本の宇野宗佑外務大臣の努力で、カンボジアの停戦に関する国際会議が日本で開かれ、カンボジアに停戦と和平、そして国民の意思を尊重した総選挙が実施されることになったのが、平成2(1990)年のことです。
日本で、他国の戦闘行為をめぐる国際会議が開催されたのは、実は、これが戦後初のことです。
これは日本が、世界で初めて国際社会から独立国として承認されたことを意味し、その功績によって宇野宗佑氏は、内閣総理大臣に就任しています。
ところが、指3本事件という軽薄な下ネタで、彼は世間の笑いものにされ、わずか2週間で総理の職を辞しています。
カンボジアの平和に、世界でもっとも大きな功績を持った宇野氏は、そのカンボジアの内紛に乗じて粗悪品の地雷を売って金儲けをしている中共政府からみたら、大敵でした。
失脚はそのための報復工作だったとも言われています。
このあたりの事情については、当ブログの過去記事、
≪アンコール遺跡とカンボジア≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-691.htmlに詳しいので、そちらをご参照ください。
実は、地雷というのは、とてつもなく原始的で、人類史上もっとも劣悪な人道上許せない最低最悪の卑劣な武器と言われています。
どういうことかというと、地雷には、人を殺すだけの威力がない。
殺さずに、腕や足を吹っ飛ばすして、大怪我を負わせるのです。
実は、戦場においては、一瞬で死んでくれた方が、周囲の者にとっても、本人にとっても楽です。
葬式と埋葬だけで済むからです。
大怪我は違います。
怪我をした本人が痛い辛い思いをするだけでなく、その怪我人を助けるために、周りの多くの人々に負担がかかります。
怪我人が生きている以上、周囲が面倒を見続けなければならないからです。
とりわけ地雷で手足が吹き飛ばされた場合など、復員してからも辛い人生が待ちうけています。
ですから地雷は、戦闘に勝つため、というよりも、むしろ敵の国力や戦力を削ぎ、疲弊させるために用いられます。
もちろん、そうでない場合もあります。軍事施設などへの侵入を防ぐためなどです。
ただカンボジアの地雷は、国中いたるところに埋められ、非戦闘員である老若男女の市民の手足を奪ったのです。
すくなくとも、地雷の用い方として、これは最低最悪のアコギな使い方です。
そういう非人道的な武器を、日本の悪口を言い続けているどこぞの国は、カンボジアに1000万発も売り、これをカンボジアの国中に埋めたのです。
そのカンボジアに、ようやく日本の宇野宗佑氏の努力で、平成4(1992)年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)ができ、20年続いた内戦に終止符が打たれ、停戦合意が成立し、総選挙を実施する事になったのです。
カンボジアは、China産の、撃てば暴発の危険があるChina製の機関銃やら地雷を使って、武力で国家を統一するのではなく、民主的な公正な選挙によって、平和な国家を取り戻そうということになったのです。
けれど選挙を実現するためには、国中いたるところに埋められている地雷の撤去をしなければならない。
なぜならそれをしなければ、選挙民が安心して投票所に行くことができないからです。
そのため、日本の自衛隊がカンボジアに出向くことになりました。
これは戦後初めての自衛隊の海外派遣です。
なぜ日本なのか。
日本には、かつて日本中に焼夷弾が降り注ぎました。
その不発弾処理の経験から、日本の自衛隊は世界で最も優れた爆弾処理技術を持っていたからです。
この自衛隊派遣に対し、日本の左翼は、
「平和憲法を守れ!自衛隊の海外派兵を許すな!」
と盛んにデモや宣伝をしました。
けれどこれはおかしな話です。
日ごろ人命尊重だの人命重視だの人の命は地球よりも重いなどと言っている左翼が、カンボジアの人々の苦しみや生命の危険に対しては、無視して良いという。
一方で世界市民とかいいながら、一方では手前勝手な理屈しか振り回さない。
私には、左翼は身勝手にしか見えません。
こうしてカンボジアに、戦後初の自衛隊海外派遣が行われたわけですが、同時に日本は、国連のボランティア機構を通じて、日本国内からも志願者を募りました。
カンボジア国内で、これからカンボジアで行われようとする公正な「選挙」について、それがどういうもので、いつ、どこで行われるものなのかを、あくまで中立の立場で説いて回るスタッフが必要だったからです。
そして、その中の一人が、中田厚仁さんだったわけです。
中田さんは、大阪の出身です。
大阪大学法学部に入り、国際法を専攻し、卒業後、カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が平成4年に募集を開始した国際連合ボランティア(UNV)に採用されました。
彼は、7月にカンボジアへ渡ると、最も危険なコンポトム州の巡回要員に、自ら志願しました。
当時のカンボジアには、まだ政府がありません。
戦っている内乱グループは、細かな派閥に分かれていて、武装解除に応じないグループもまだ数多くいました。
なかでもコンポトム州というのは、地雷の埋蔵量、武装ゲリラ数とも、最低最悪の環境にある州だったのです。
けれど、そういう地域だからこそ、行かなければならない。カンボジアの人々の平和を心から願う中田さんは、コンボトム州の村々を懸命に回ったのです。
コンボトム州には、道すら十分にはありません。
途中で、川にぶつかればカヌーを使い、カヌーが使えないところでは、泥水のような濁った川を泳いだりして村々を回ります。
なかには2時間以上も泳いで、ようやくたどり着いた村もあったそうです。
そこで彼は、選挙の必要性などについて、必死に、真剣に説いて回りました。
武装した護衛などいません。
数人のチームは、全員が丸腰です。
そして時間をかけて、みんなが納得するまで話し、説きます。
実は、こうした手法は、日本人が古代から続けてきた、まさに日本的方法といえます。
平成5(1993)年4月8日のことです。
中田さんのもとに、国連ボランティアの人たちの安全を守るための会議に出席するようにとの連絡がはいりました。
彼は、会議出席のために、車で移動を開始しました。
その途中、中田さんの乗った車がChina共産党の影響を受けた「ポルポト派」の兵士に囲まれたのです。
中田さんは、後頭部に銃を突きつけられました。
脅され、脅迫されました。
そして、左後頭部から左目にかけて、ズドンと貫通傷を負わされました。
瀕死の重傷の中で、中田さんがボランティアの本部に向けて無線で伝えらた最後の言葉が、「I'm dying.(死んでいきます)」です。
中田厚仁さんが亡くなった翌月の5月23日、カンボジアで総選挙が行われました。
カンボジア全体での、この選挙の投票率は、90%でした。
すごい数字でした。
選挙は大成功でした。
では、中田さんが担当していた、最も危険だったコンボトム州の投票率はどの位だったでしょうか。
99.99%です。
考えられないような高投票率でした。
開票作業をしていた投票箱の中から、いくつも手紙が出てきたそうです。
投票用紙に混じった手紙です。
ほんとうは、投票箱には投票用紙以外のものを入れることは、禁止されているのです。
だから人々は、選挙の立会人に見つからないように苦心して、手紙を入れたのだそうです。
その一枚、一枚のすべての手紙が、中田さんの死を悼み、彼の温かい人柄を慕い、彼の誠実な活動に感謝の気持ちを述べ、中田さんの日本にいるご家族に感謝の思いを伝える内容の手紙だったそうです。
中田さんが殺害された場所は、事件当時は、無人の地でした。
総選挙が終わり、カンボジアが新たな一歩を踏み出したとき、付近の村々から、たくさんの人が、この地に集まってきました。
彼らは、平成7(1995)年、そこに新しい村を作りました。
村の公式名は「ナカタアツヒト・コミューン」です。
村人達は、親しみを込めて「アツ村」と呼んでいます。
その村で、村人たちが作詞作曲した村歌です。
~~~~~~~~~~~
題名【アツヒト村の歴史】
♪新たに発展したアツヒトの村
地方にある田舎の村である
森の中に生まれた新しい村
みんなの手によって作られた
♪93年の出来事を思い出せ
地域一帯は地雷でおおわれていた
旅人はとても恐れた
そこには山賊もひそんでいた
♪4月8日のこと
おば おじ 祖母 祖父はある事件のことを聞いた
道の途中でいつも恐怖におびえていた
銃撃(じゅうげき)の音を耳にして
♪その時アツヒトは殺された
痛々しく苦しんでいた
学校の前にあるクロラッニュの記の近くで
その事件は歴史に刻まれた
♪彼は死んだが
彼の名前は生き続けている
石碑に刻まれている
学校の中庭にその石碑が置かれている
クメール人に語り続けている
♪新しいコンクリートの家が作られた
種々の樹木を植える
カンボジアの発展のために
それが彼の願いである
♪クメール人よ 記憶にとどめよ
これは心の平和である
彼に学び 従えよ
わたしたちの幸福は彼の力によるのだ
~~~~~~~~~~~
信じることのために、たったひとりでも命をかけて行動する。
そこにあるのは、力による支配と隷属の関係ではありません。
民衆のひとりひとりが互いの尊厳をわきまえながら、納得できるまで話し合いをし、納得してみんなで行動する。
それが日本人の古代から延々と続く日本的考え方だし、行動です。
不思議なことですが、それだけおおきな貢献をし、命を亡くされた中田厚仁さんについて、メディアはあまり報道しません。
日本国政府も、国葬をしていません。
教科書にも載っていません。
Chinaへの配慮があったから、なのだそうです。
なぜなら、中田さんの事件を掘り下げると、中共によるカンボジアへの武器供与、地雷の敷設、中田さんを殺害した中共系ゲリラの活動などに触れざるを得ない。
だから事実上、単なる殺人事件として報じられ、それ以上には、何の報道もされていないし、政府も外交上の理由から動かない。
いったい、どこの国のマスコミなのでしょう。
いったい、どこの国の政府なのでしょう。
亡くなられた中田さんは、次の言葉を残されています。
~~~~~~~~~~
だけれども僕はやる。
この世の中に、
誰かがやらなければならない事があるとき、
僕は、
その誰かになりたい。
~~~~~~~~~~
中田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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コメント
takechiyo1949
中田青年が凶弾に倒れた時、私は43歳でした。
26年前…事件は鮮明に憶えています。
その頃…自分は何をしていたのだろう…記憶を辿っても、子育て中のことしか思い出せません。
今の若い方々は知らないかも知れません。
我国では無く、他国の人々が正当な選挙を行えるようにと、危険に立ち向かった若者がいたのです。
---------------------------
だけれども僕はやる。
この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕はその誰かになりたい。
---------------------------
時事問題で、何でも彼でも、今にも「世界が終わる」レベルで大騒ぎする方々が大勢います。
いくら騒いでも共感できません。
「愛」が感じられないからです。
愛の反対語は「無関心」ですが、無関心では忘れてしまいます。
中田青年を偲び忘れないために…語り継ぎます。
合掌
2019/06/23 URL 編集
さくら子
誇り高い日本人の姿を、まるで無かったかの如く封印してしまう。
今の日本のマスコミに存在価値を見出せません。
日本の崇高な精神伝統を継承させるべく、
是非次の世代には伝えてゆきたいです。
教科書にも記載して頂きたいと思います。
2013/08/11 URL 編集
一有権者
脱原発を声高に主張しデモ参加する人達は自宅へ帰れば照明をつけ風呂へ入り冷蔵庫でキンキンに冷やしたビールを飲んでいるだろう。そのような人達に脱原発を叫ぶ資格は無いと考えるがいかがでしょうか。?電力の安定供給と低価格化は日本企業の雇用と生産力を守るのですからよく考えるべきです。
そもそも原発事故は震災後の民主党菅政権の無能無策と東電の災害への対策を怠った怠慢にあると思います。これは技術力の問題ではなく明らかに菅政権と東電による人災なのです。菅直人は責任逃れをし東電に一切の責任を擦り付けました。
もちろん東電の対応は納得できるものではありません。しかしもう一方の責任を負うべき民主党と菅直人はまるで何事もなかったように政治家を続けている事は実に腹立たしい。
さて中田厚仁さんのように他国の為に一生懸命尽くされている人物は戦前からいるのに何故か日本の教育では取り上げる事は非常に少なく、また皆さんが思っていらっしゃるようにメディアで報道される事は少ないか事実を曲解されかねないような報道だったりする。
これは放送法違反にはならないのかと素朴に疑問を感じる。いずれ現在の日本のメディアは信用するに至らぬ事だけは確かのようですから報道の裏に何があるのか私達日本国民はよく考える必要が有ります。
2013/07/01 URL 編集
六稜健児
されば、何故福島第1のみがやられ、他はやられなかったかを考えるのが第一番の仕事の筈です。明らかに東電と監督官庁のミスであり、何故その様な事が起ったかが問われるべきでしょう。然るに民主党政府の対応は唯福島第1に対する東電の責任を声高に追及するだけで、根本的な問題に対処する姿勢は見えませんでした。その元凶は菅直人です。昔の日本の武士なら、当然切腹して国民に詫びるでしょう。併し現実には、切腹どころか大きな顔をして都議選挙の応援に出ています。正に恥を知らない、日本人の風上には置けぬ人間です。菅も菅なら、民主党も民主党。大多数の日本人に愛想をつかされない前に、自浄して出直せよ。
2013/07/01 URL 編集
梅子
ねずさんが紹介して下さった動画も素晴らしいですが、以下の動画もおすすめです。
信念を持って働いていた中田さんが見れます。彼の笑顔は本当に素敵です。
YOUTUBE カンボジア 内戦の地に命を捧げた、中田厚仁
https://www.youtube.com/watch?v=6ieZ6G2eUvs&list=PLqHdtCV2Fx8InInd4iV4GPdolOasHqtC8&index=15
2013/07/01 URL 編集
ポッポ
しかし、田中さんがそんなに危険なところに入り込んで、一生懸命に活動されていたことも、現地の方から感謝されていたことも、知りませんでした。
ただ、田中さんの御父君がその意志を継いで活動されたことに、子供への愛情を感じたことを覚えています。
ところで、今度の参議院選挙では、幾つものテーマはありますが、その内の日本の電力エネルギーについて、自民党だけが原子炉は動いていても発電をしていない原子力の活用を考えています。しかし、維新を含めてその他の政党は、原子力発電を止めることしか考えていないようです。
全国区の中山恭子氏には支持をしますが、地方区は考え中です。
2013/06/30 URL 編集
名無しさん@ニュース2ちゃん
2013/06/30 URL 編集
大日本帝国万歳!
2013/06/30 URL 編集
共通一次世代
すみません、上記の自分のコメントで、「佐藤雅久参院議員」と書いているのは「佐藤正久参院議員」の間違いです。大変申し訳ありません。
2013/06/30 URL 編集
アジア
サヨクとアカは古今東西どこでも腐っていますねぇ。
この件は歪みきった戦後反日体制が嫌というほど凝縮されていますね。
2013/06/30 URL 編集
Pin
紐で区切って、赤いドクロマークの旗の付いたあの作業区です。
ですから、ちょっと人通りの無い、悲しみの染み込んだ赤い土の田舎道に入ると本当に通行が怖いものです。
カンボジアの内戦が終了して本当に良かったですが、残念なのはそんなカンボジアが国民レベルでは違っていても政府が親中国な皮肉です。
早く日本のアジア構想が実ることを祈ります。
2013/06/30 URL 編集
斉藤一
世界にはちゃんと誠意が通じる人々もいれば、恩をあだで返す人々もいます。
道徳の教科書に載せたい話です。
2013/06/30 URL 編集
びり
一体、どこの国の政府でしょう?
確かに、この一言に尽きますね。
今回の中田さんも、同じく他の国の事にも関わらず、人生を賭けたダショー西岡さんも、ここで知りました。学校やテレビでは全く知る事が出来ませんでした。見返りを求めず他人の為に命を掛けた人の事に、何を恥じる必要があるのでしょう?もっと幼い頃にこの事を知っていれば日本と、その国民性に自信と誇りが持てたのに、、、自国に誇りを持つのは、決して他国を貶めたり、侵略、征服する事では無い!と強く感じます。
2013/06/30 URL 編集
共通一次世代
しかし、そのカンボジアが、いまや日本の若い子たちが親しみを感じて、「また行きたい」と思うような国になった。そのひとつに中田さんが貢献しているのだと改めて感じました。
中田さんの現地での活動は、自衛隊がイラク派遣など様々な海外派遣活動において「覚悟」と共に、現地の人達と如何に心を通い合わせるかに尽心してきたことを思い出させます。
イラク派遣についても、自民党の佐藤雅久参院議員は、自衛隊だけでなく外務省との協力、連携もあってこその成果をよく口にされています。
佐藤議員は毎年、イラクで銃弾に倒れた奥大使のお墓参りをされています。亡くなられる前年、イラクでの自衛隊活動を無事に終えるための下準備を頑張ってくれていたのがまさしく奥大使だったからです。またキャプテン翼の給水車プロジェクトを進めた当時の現地駐在員、井端氏など、蔭の功労者も沢山いたわけです。
文民警察官としてカンボジアPKO活動に参加されて、中田さんと同じく銃弾に倒れた高田警部補も、日本国からの応援部隊の一人として頑張っていらした。
自衛隊を含めた日本国としての支援活動は、国連とも連携した当然のことながら至極真っ当なまた貢献度の高い支援活動だったと思います。
先般、辛坊治郎のヨット沈没で海上自衛隊の救出活動が行われましたが、その折に「自己責任」論が出て来ました。
2004年に起こったイラク3邦人人質事件の時のことが引き合いに出され、辛坊自身が言及したことも有り
ネットでも喧々諤々議論されるところがありました。
しかし、その「自己責任」を議論の土台に上げる前に既に、「ではあの時、イラク人質事件の助かった3人はどうして世間の批判にさらされたのか」ということが棚上げというか、無視されたまま議論されているのに気が付きました。
私などは辛坊の中川昭一さんに対する許しがたい暴言にへの怒りからあの救出劇を見ていましたが、「自己責任」論からのみ見る人は、だいたい「自衛隊反対」の側の人達が主として取り上げているのです。
そこには、何か「そもそも論」が隠蔽され、論点ずらし的な議論が為されているので、私から見れば、そんな議論が何になるのだろうかと思った次第でした。
辛坊に対しては、もう既に雑誌などでベラベラと色々喋ってるようで・・。もうテレビで見たくはありませんし、もうどうでもいいのですが。
カンボジアも、国家というものがなければ、国家がまともにならなければ、国民は幸せになれない。それを思い知らせてくれるもののひとつが「選挙」というものだと今回に記事を読んでいても分かります。
そしてその「国家」を否定し、その「国家を守るもの」を否定する人たちが、他国に支援に行っても結果的にその国はいい方向へは進まないのでは・・。よく言われる「与えるだけではなく自立させる支援活動」が為されているのか、そんな疑問も感じます。
イラク、サマワでの自衛隊の懸命の活動を否定するかのように起こった「イラク日本人人質事件」。あの時の3人やその周囲が何故批判されていたか・・。
「国家」というものを形成する手助けを「覚悟」を持ってしてきた中田さん、高田さんらの貢献は素晴らしかったと改めて思います。
良い記事を読ませていただき本当に有難うございました。
2013/06/30 URL 編集
団塊の世代の後輩
2013/06/30 URL 編集