背中の静ちゃん 大石清兵長

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靖国神社の紅葉


はじめに、二つの手紙をご紹介します。

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【大野沢威徳からの手紙(万世基地にて)】

大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。
そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。
おとどけいたします。

伍長どのは、静恵ちやんの作った人形(特攻人形)を大へんだいじにしておられました。
いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。

ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時、人形が怖がると可哀そうと言って、おんぶでもするように背中に吊っておられました。

飛行機にのるため走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。

伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでしょう。
「同行二人」・・・仏さまのことばで、そう言います。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。
いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだったのでしょう。

けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの「仏さま」になって、いつも見ていてくださることゝ思います。

伍長どのは勇かんに敵の空母に体当りされました。
静恵ちやんも、立派な兄さんに負けないよう、元気を出して勉強してください。

さようなら。
========

【大石清伍長の遺書】
なつかしい静(しぃ)ちやん!
おわかれの時がきました。
兄ちやんはいよいよ出げきします。

この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散っています。
思いがけない父母の死で、幼ない静(しぃ)ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。

兄ちやんのかたみとして、静ちやんの名で預けていた郵便通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上るときにつかって下さい。
時計と軍刀も送ります。
これも木下のおじさんたのんで、売つてお金にかえなさい。

兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまわっています。
さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。

泣くなよ静ちやん。
がんばれ!
=======

この二つの手紙は、神坂次郎(こうさかじろう)著「今日われ生きてあり(新潮文庫)」の中で、「背中の静ちゃん」として収録されている手紙です。
有名なものなので、ご存知の方も多いかと思います。
ブログ用に口語体に編集して掲載させていただきました。

原文はネットでも読むことができます。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/120915.html

神坂次郎氏が、時代小説家であったこと、そして出撃した特攻隊員の中に「大石清」という名前がなかったことなどから、このお話が世に出た当時、このお話が「単なる創作だ」という論がかなり出回りました。
それだけ印象的な手紙だったのでしょう。

本文には妹の静恵さんが和歌山の木下という伯父のもとに引き取られたとあり、巻末には木下美代子(和歌山)という名前が取材先として書かれています。
おそらくこの方が大石兄妹の縁者であろうと考えられます。
大石という姓にしても、遺族がなんらかの理由で実名を伏せるよう要望したとすれば、名簿から探し当てることはできません。

ただ私は、ここで紹介された手紙を誰が書いたのかということよりも、
1 戦時中、大なり小なりこのような事例はあったであろう
2 特攻隊に限らず、戦地で立派に戦われた幾百万の日本の兵士たち全員に、たいせつな家族や友や恋人がいたこと、
3 そのひとりひとりが、生きた人間であり、同じ日本人であったということ
が大切なことと思います。

彼らは、彼らにとって「大切な人」が、未来の日本で立派に生きられるよう、戦い散っていかれたのです。
そして戦時中、自分の死を前にした兵隊さんたちが、何よりも大切にしたこと。それは、自分の命ではなくて、家族や弟や妹や、恋人など、自分が大切に思う人の命だったということ。
そのことを私たちは忘れてはならないと思うのです。
なぜなら、その大切な人こそ、他の誰でもない、いまを生きている私たち日本人だからです。

私が以前勤めていた会社にも、在日Koreanがいました。
日本名(通名)を名乗っているから、最初はKoreanとはわかりませんでした。
ただ、「妙に風を吹かせる」ということと、やたらに権威主義的な振る舞いが目立つという感じがあり、そして業務上の深い話になると、微妙なところで日本語が通じないので、おかしいなとは感じていました。

普通に遊んでいる分には、いいのです。
同じ人間です。
しかも考え方や行動パターンや、発想が普通の日本人とぜんぜん違う。
それを「おもしろい」と感じる人も多くいました。
また、背が高く、いわゆる色男で、普通にいる日本人と身体から発するオーラのようなもの(雰囲気)もまるで違う、異質さがあるために、学校や職場においても、よく目立ち、たいへんによくモテていました。

ところが、ここ一番というときになると、日本語をしゃべっているのに、言葉の意味や、その心が通じない。
いっけんやさしげでありながら、深く付き合うとその根っこに酷薄な残虐性を持っている。
あとでそれがKoreanだとわかり、おもわず納得しました。

日本人と、Koreanの大きな違い。
それは、相手に対する思いやりの心が持てるかどうかなのではないかという気がします。

そしてその思いやりの心が、あまりに美しく気高かったが故に、戦後の世界には、日本と戦争をするととんでもないことになる、という意識が芽生え、だから日本は先進諸国で唯一、戦後67年間の長期にわたって、戦争のない、平和を堅持し続けることができたのです。

言い換えれば、戦後の日本の平和は、この大石清兵長の手紙に象徴される思いやりの心をもった若者達が、立派に戦ってくださったおかげで、築かれたのだと言い切ることができようと思います。

昭和20(1945)年3月13日深夜から14日未明にかけて、グアムを出発した274機の米軍B29の大編隊が大阪の町を襲いました。
世に言う「大阪大空襲」です。

約2千メートルの低空から、深夜の一般家屋をねらったこの空襲は、大阪の町に大火災をもたらしました。
そして、一般の民間人3,987名の死者と678名の行方不明者を出すと言う大惨事を招きました。

九州の任地で、この報に接した大石清伍長は、請願休暇をもらい、一昼夜をかけて大阪駅にたどりつきました。
大阪駅のプラットホームからみた大阪の街は、まるで焼けこげたトタン板を投げ出したような扁平になっていました。
見渡す限りの焼け野原です。
どこを見ても瓦礫の山でした。
その瓦礫の中に、男とも女とも区別がつかない黒こげの死体が、何百と散乱していました。

大石清伍長は、焼け落ちた電線や塀の倒れた上を踏み越え、松坂屋の残骸を目じるしに歩きだしたそうです。
心の中で、ずっと「生きていてくれよ、父ちゃん母ちゃん、静(しい)ちゃん」と叫び続けていました。
「静(しい)ちゃん」というのは、彼の妹の静恵さんのことです。

松坂屋の裏手にあった彼の家の附近は、あとかたもなくなっていました。
どこがどの家やら分らないほど焼けくずれ、飛散した瓦や壁土に半ば埋もれた町会の防空壕だけが、暗い空洞をみせていました。

近所や隣組の人たちの姿も見えません。
探し疲れた清は、その夜、壕のなかで眠りました。

大石清兵長は、やむなく隊に帰還しました。
その大石兵長のもとに、3月25日、一枚の郵便が届けられました。
和歌山県の新宮にある母の実家を継いでいる、伯父からのものでした。

母と妹は無事とのことでした。
大空襲の前夜、父のすすめで天王寺から電車に乗せられ、東和歌山駅から鉄道で新宮に疎開していたのです。
まさに危機一髪でした。

けれど父は、亡くなっていました。
国民学校(いまの小学校)の教師をしていた父は、空襲の夜、学校に宿直していて、殉職したのです。

大石兵長は、その日の日記に次のように書きました。
〜〜〜〜〜〜
あゝ訓導としての使命を果せし立派なる父の死。
ありし日の父の温顔を思ひうかべなば、万感、胸にこみあげ涙とめ難し。
〜〜〜〜〜〜

3月28日、沖縄に米軍が上陸を開始しました。
大石兵長のいる基地からも、沖縄に向けて振武特攻隊が出撃しました。
その日の午後、特攻の編成発表ありました。
大石兵長も特攻要員を拝命しました。

翌3月29日に沖縄に向けて出撃した特攻機の戦果発表がありました。
轟沈 戦艦  1
   巡洋艦 3
   駆逐艦 6
撃破 戦艦若くは巡洋艦 9

昭和20年4月1日、その日、桜の花は満開となり、空は雲ひとつない青空が広がりました。
そしてその日、大石兵長のもとに、新宮の伯父から電報がありました。

「母、重態 父の死の衝撃と旅の疲れが原因」

大石兵長は、鎌本軍曹殿の厚情を得て、区隊長殿から休暇をいただき、その日の15時、新宮の母の実家に向いました。
出発のとき、軍曹殿が「これ、みんなからだ」と見舞金をくれました。
大石兵長の日記には、「この温情、死すとも忘るべからず。父を失ひたる病床の母、幼なき妹、暗澹たる思ひ。車中にて涙流るゝ」と書かれています。

このときの第六航空軍本部への鎌本軍曹の書状です。
〜〜〜〜〜〜〜
一、ト号隊員ノ遺族ニ関スル相談。

〔相談〕
隊員大石清伍長ノ父ハ 国民学校訓導ナルモ先日殉職シ(四十四歳)、
家ニハ 重病ノ母(四十四歳)、妹(十一歳)一人ナリ
家産ナク 父ノ収入ニテ生活シアリタリ
家族ノ生活ヲ保証スル方法ナキヤ
〜〜〜〜〜〜〜

釜本軍曹は、特攻隊として旅立つことが決まっている大石清兵長に代わり、軍の本部に「家族の生活の保証を相談してくれていたのです。

昭和20(1945)年4月8日午後7時、大石伍長は隊に戻りました。
父が亡くなり、母も後を追うように、亡くなっていました。
彼は、父母の遺骨と遺品を、丹鶴城近くの桜の見える墓地に納骨してきました。

納骨のとき伯父が言いました。
「(妹の)米子は、小(こま)い頃からお城の花が好きじやった」
大石兵長は、ただただありがたく、頭を下げることしかできませんでした。

母の実家に帰るとき、清は、伯父に航空ウイスキーとタバコを持参しました。
叔母にはドロップと落下傘のマフラーを渡しました。
妹の静恵には、チョコレートと乾パンを手みやげにしました。

別れ際、妹の静(しい)ちゃんのことを、伯父に「くれぐれもよろしく」とたのみました。
隊に戻るため新宮駅で別れるとき、妹の静恵は、泣いていました。
伯父夫婦も泣いていました。
せめてあと数日、妹の傍に居てあげたかった、それがいつわらざる、大石兵長の気持ちでした。

4月22日の午後、特攻攻撃に関する授業がありました。
九七戦を爆装して燃料タンクを装着すると、速度が150km/hに落ちる。
その低速で、敵戦闘機網をかいくぐり、猛烈に対空攻撃をしかけてくる敵艦隊めがけて突入するというものです。
ほとんど無理といっていいくらいの作戦です。
出撃すれば、帰れない。
自分の命は、ながくてもあと1ヶ月あるかないかです。

思いを整理するために、妹に写真、伯父夫婦に手荷物などを小包にして送りました。
荷造りしていると、鎌本軍曹はじめ隊員のみんなが、これも入れろよと、航空糧食や煙草その他を渡してくれました。
その中には、隊のみんなで書いてくれた、妹への激励文もありました。
清は、隊のみんなとの、集合写真を同包しました。

【妹への手紙】
〜〜〜〜〜〜〜〜
静(しぃ)ちやん お便りありがとう。
何べんも何べんも読みました。

お送りしたお金、こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。
神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買って、つかって下さい。

兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、
これからも静(しず)ちやんのサイフが空っぽにならないよう、毎月おくります。
では元気で。
おじさん、おばさんによろしく。

兄ちやんより
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昭和20(1945)年5月14日、福田助教殿が、沖縄洋上で敵艦船に突入し、壮烈な最後を遂げられます。
練成飛行隊では担任の先生でした。
当時の助教授殿の、明るい笑顔と勇姿が頭をよぎります。

「捨身殉国斃而後不已」
捨て身の殉国、倒れて後に已(や)まん」
ただただ感無量です。

5月20日、清は最後の日記をしたためました。
〜〜〜〜〜〜
いよいよ出発だ。
苦楽をともにした整備隊員たちとも別れを告げ、今日、俺は機上の人となる。
整備隊員の見送る中を飛び立ち、上空で翼を振り、機首を鹿児島に向ける。
高度3000メートル。はるか機上から、亡き父母の霊に、幼き妹に別離を告げる。
〜〜〜〜〜〜

「兄ちやんは征きます。
 泣くなよ静ぃちやん。
 がんばれ!」

この言葉は、私たち現代人に向けられた言葉でもあるのではないでしょうか。
私たちが「思いやりの心を取り戻すとき」、それはいつなのでしょうか。



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【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~


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コメント

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また、今を生きる我々の「さようなら」は、また会えるの「さようなら」です。
しかし、彼等の「さようなら」は永久の「さようなら」なのです、、、。

どの本も読んでいて思うことですが、あの時代の若者は、全てに感謝の気持ちを持たれていること、そして利他の精神を持たれています。
それは取りも直さず教育のおかげでした。

現代の若者全てとは言いませんが、当時の若者と全然違う気がします。
いくら世の中が変わっても、変わってはならない物があります。
人間としての心、日本人としての心、変わってはいけないのです。

日本人の心が廃るという事は、日本の文化が廃るという事です。
文化が廃るという事は日本が廃るという事です。

そういう意味において中山恭子先生御夫婦が仰られるように、教育、文化を取り戻す。
日本国として当たり前の事です。

また、どの戦記物の本を読んでも、この時代を生きた先人の心が、どれほどの日本人の琴線に響いているのだろうと、ふと思う時があります。
教育の再生、待たれます。

terag3

英霊たちの奮闘あればこその日本
<戦後日本の平和は、大石清兵長の手紙に象徴される、余りにも気高く美しい思いやりの心を持った若者たちが立派に闘って下さったお陰である>・・・正にその通りです。

神風特攻隊については、命令した指揮官が悪いだとか、出撃したら二度と生還できないと言うのは作戦などと言えないなどとの批判が当時の兵隊からも出ていたと言います。

しかしそれは視野の狭い判断だと思います。

戦争は中途半端な考え方では絶対に失敗します。それはシナ軍の戦闘を見れば一目瞭然でしょう。
彼らは、やばくなると指揮官自ら戦列を離れ、兵隊たちには逃げないように足枷をかけて陣地に縛り付け、戦列から逃れようとする兵隊はこれを見張っている味方の兵隊に撃たれて殺されるのです。

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このような将兵の遺書と言うものは世界でも余り聞いたことが無い話ではないでしょうか?もしそのような例が有るならば是非、教えて頂きたい思っています。

ひろし

ねずさん、更新ありがとうございます。
昨日期日前投票に行きました。良く考えた結果、比例は中山恭子先生、大阪選挙区は、首相を応援するために地元の自民党候補者にしました。 今年も含めて今後5~6年は日本にとってあらゆる意味でターニングポイントになると想います。 確固とした志と見識がある方々が政治家として存在しなければ、日本国は持たないと想ったからです。 この時期に安倍首相をの長期安定政権が衆、参議院供に出来つつあるのは、天の采配ではないでしょうか。この時期にしっかり基礎固めをして、真の日本人の霊性を発揮できる様にならなければならないと想います。 義の為なら身を捨てる事惜しまない勇気、弱者をいたわり、もののあわれを感じる事の出来る繊細な心、そして世界で最も優秀な頭脳。 これは日本人が本来持っている民族性です。これを子々孫々に伝え遺す事が今を生きる私達の役目ではないでしょうか。 私もとるに足らない者ですか自分の立場で頑張ります。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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