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7月25日の深夜に起きたのが、昨日記事にある廊坊事件です。
そしてこの事件は、翌26日には鎮圧されているのですが、その同じ26日に起きたのが、今日お話しする「広安門事件(こうあんもんじけん)」です。
76年前の今日、起きた事件です。
昭和12(1937)年7月26日、この日、北京にいた日本人居留民の保護のために、日本陸軍の支那駐屯歩兵第二連隊第二大隊(約千名)が、26台のトラックに分乗して、北京城内の日本兵営に向かって移動していました。
このときも、廊坊事件同様、事前に松井特務機関長が、部隊が北京城の広安門を通過することについて、国民党の政務委員会に連絡し、秦徳純市長の承諾を得ていました。
それは、国民党軍との無用の衝突を防ぐための日本陸軍の配慮でした。
すこし余計なことを書くと、本来ならば、日本は国際条約である北京議定書に基づいて駐屯しているのですから、支那側に通告する義務さえ、本来はありません。
当時の支那は、国民党政府、共産党政府の他に、各地で軍閥が割拠している状況であり、統一した政府自体が存在していないのです。
そういう、いわば無政府状態の荒廃地に、居留民保護のために軍を派遣しているのですから、日本軍は日本軍の都合で行動すれば良く、それに対して文句を言って来る軍閥があれば、それはいってみれば非公式な愚連隊やヤクザ者と同じなのですから、火力にものを言わせて蹴散らせば良いのです。
それが国際社会の常識です。
実際そのために、米英などは、支那に駐留している自国民1名につき、1名の軍を派遣しています。
そして言う事を聞かなければ、徹底して攻撃できるだけの備えを常にしています。
それだけ当時の支那は治安が悪かったし、もっというなら、異教徒である有色人種(支那人)は、何人殺しても罪にも問われない、というのが西欧人の基本的考え方でした。
これに対し、日本の派遣部隊は、日本人居留民6名につき、軍人が1名の割合です。
あきらかに欧米と比べて軍の派遣要員数が少ないことにくわえ、同じ有色人種に対して、常に公明正大であるべきという姿勢から、支那人たちに対して非道を働くものさえ、まったくありませんでした。
そういう情況にありましたから、本来なら、いちいち相手の了解などとりつける必要はないのだけれど、それでも、日本は支那人との無用な争いを避ける意味から、単に北京城内に入るために、門を通貨するということだけのためにも、ちゃんと事前に了解をとりつけていたのです。
そして日本軍は、午後6時頃、広安門前に到着しました。
ところが、門を警備していた国民党軍は、城門を閉鎖したままです。
連絡の不徹底は、国民党軍にはよくあることだったため、大隊顧問の桜井少佐が事情を説明して開門の交渉をし、その結果、午後7時半頃になって、やっと城門が開門されたのです。
ところが、大隊が門を通過し始め、部隊の3分の2が通過したとき、突然、門が閉ざされました。
そして部隊が城門の内と外に分断された状態で、いきなり国民党軍は、手榴弾と機関銃を猛射して、日本側に攻撃を加えてきたのです。
敵は、城壁の上から、至近距離で攻撃してきます。
何もしないでいれば、日本側は全滅してしまう、危険な情況です。
撃たれた日本側兵士が、バタバタと斃れます。
やむなく日本側は応戦しました。
すると国民党軍は、兵力を増強して大隊を包囲し、日本側に対して殲滅戦を挑んできたのです。
この包囲戦に対する感覚も、日本人と支那人ではまるで感覚が異なります。
これは毛沢東が、実際に日本軍の南京戦を例にとって述べていることですが、「日本軍は敵を包囲しても、敵がそこで降参すれば、まるごとその兵たちを逃がしてやっている。こんなことをしているから、何度でも敵は武装をし直して襲って来るのだ。包囲したら、たとえ敵が降参しても皆殺しにする。それが戦いというものだ。」
それが、毛沢東の考え方だったし、支那人の古来変わらぬ戦争に対するものの考え方です。
日本側は多数の死傷者を出しながらも、至近距離、しかも塀の上から狙って来る敵を相手に、よく持ちこたえました。
これも、情況を考えればたいへんなことです。
よく持ちこたえる事ができたものだと思います。
普通なら、とっくに全滅している。
こうして最初の発砲から約2時間が経過したとき、旅団からの日本軍救援隊が到着しました。
そして敵に対して、一時的な停戦を呼びかけ、
1 国民党軍は、いったん離れた場所に集結する
2 日本軍のうち、城内にいる者たちは、城内公使館区域に向かう。
3 城外に残されたものは豊台の日本軍旅団に帰投する
という案がまとめられ、ようやく午後10時過ぎに停戦が整ったのです。
この戦いにおける日本軍の死傷者は19名(戦死2名)で、同行していた軍属や新聞記者も負傷しています。
では、前日の廊坊事件、この日の広安門事件がなぜ起こったのか。
このことは書き出すと長くなるので、以下、ポイントだけを述べたいと思います。
まず気付いていただきたいのは、何故か戦後の支那に汚染された我が国の近代史観では、「支那事変から大東亜戦争に続く日本帝国主義による支那侵略との長く激しい戦い」などとされ、その支那事変の勃発は、そもそもが盧溝橋事件にさかのぼる・・・つまり盧溝橋事件が支那事変(最近の左翼史観では日中戦争と言うそうですが)の引き金であったとされているようです。
そしてなぜか、廊坊事件や、この広安門事件、通州事件、上海事変などは無視隠蔽され、なんだかイメージ的には、盧溝橋で侵略の牙をむき出しにした日本が、そのまま南京に進出して、あたかも30万人の虐殺したかのように宣伝されています。
ですが、これらはすべて、ただの宣伝です。
事件を時系列で並べてみると、よくわかります。
まず昭和11年当時、蒋介石率いる支那国民党の標語は、「安内攘外(あんないじょうがい)」というものでした。これは「先に国内の敵を片付けてから外敵を撃とう」というもので、この考え方に基づいて、国民党は徹底的な共産党狩りをしていたのです。
この共産党狩りは、徹底したもので、共産党員とわかれば、即時死刑、他の共産党員の居場所を知っていると思われたら、ありとあらゆる種類の中国式拷問が課せられるという酷いものでした。
このため支那共産党は、もはや延安の本拠を失ったら、それで完全に壊滅というところまで追いつめられてしまいます。
支那共産党は、この延安まで落ち延びたことを「長征」などと言って気取っていますが、なんのことはない、ただ、逃げ落ちただけのことです。
ところが、ここまで追いつめられた共産党ですが、なぜか資金力と武力は、豊富にありました。
なぜかというと、この前年に、ソ連のコミンテルンが「人民戦線戦術」を決定し、アジア諸国の共産主義化促進のために、まずは支那国内に、大きな共産党勢力を育てることを決定していたのです。
ですから、ソ連から一定の経済的軍事的支援を得続けている支那共産党は、支那国内の共産党組織が壊滅的打撃を受ければ、逆に党の資金力に余剰が出るという情況にあったわけです。
そして共産党は、昭和11年12月に、西安事件で、蒋介石を共産党側に寝返らせることに成功します。
つまり、この時点で、それまでの支那国民党の「安内攘外」戦略は終焉し、国民党は「攘夷安内」戦略に転換していたわけです。
そうして国民党内には、幹部将校たちに次々と共産党の息のかかったスパイ工作員たちが就任していきました。
そして、その上で起こったのが、昭和12年7月7日の盧溝橋事件だったわけです。
つまり、共産党の指揮に従って、国民党と日本軍を戦わせる。
その第一歩の事件が、まさに盧溝橋事件となりました。
ところが、現場の日本の将校があまりに立派であったがために、せっかく銃弾を撃ち込むまでした事件なのに、現地ではわずか4日目に、停戦協定が締結されて、事件が解決してしまいます。
そこで、もっと日本を挑発するためにと、起こされたのが、廊坊事件であり、広安門事件であったわけです。
ここまですれば、日本も怒って開戦に踏み切るだろう。
そう思って事件をしかけたのですが、日本は動じません。
あくまで平和を願い、民衆の暮らしの安泰を図ろうとするのです。
そこまでするなら、では、日本側がこれ以上ないほど怒るようにしようということで、起きたのが、実は通州事件となるわけです。
ところが通州事件で、日本側は223名の日本人居留民が、およそ世界史上、これ以上の残虐な行為はないであろうと思われるほどの恥辱と残酷な仕打ちを受けながら、それでも支那との和平を希望し、国をあげて、それまでの支那が要望して来た全ての要求を飲むという、船津調停案を支那側に通告しました(船津工作)。
日本人居留民が223名も斬殺されるという被害を受けながらも、それでもなお、支那の要求を丸呑みし、日本がそれまでに支那にもっていた権益のほぼすべてを放棄してまでも、和平の道を探ろうとしたのです。
そして、その和平工作が、いよいよ整うとなった昭和12年8月9日、大山中尉虐殺事件が起こります。
つまり、和平交渉そのものを潰す目的で、別な重大事件を、支那共産党は計画し、ひき起こしたのです。
これは、支那共産党の毎度同じパターン化した行動です。
今年1月に、安倍総理がインドネシアのジャカルタを訪問し、ジャカルタでインドネシア国軍から紅白の典礼服で迎え入れられ、いよいよ18日に、インドネシアと日本との国交を完全に樹立させうるだけの歴史に残る素晴らしいスピーチをしようとしたとき、その前日にアルジェリアで邦人拘束事件が起き、安倍総理は急きょ帰国するという事態になりました。
国家間の関係史において、偶然に起こることというのは、自然災害以外には絶対にありません。
すべては事前に準備され、周到に用意されて事件は起こります。
いまどき911の事件が、偶発的だなどと思う人は、おそらく誰もいないはずです。
共産党というのは、世界を共産党支配下に置くために、対外的にも対内的にも常に闘争を行い、権力を持った者は、自分以外を全て敵とみなすという、20世紀が生んだ世界史上最大かつ最悪の悪の枢軸思想です。
そしていまだ日本も台湾も世界も、いまだその思想に汚染されたままでいます。
その日本を取り戻す。
それは、世界が本当意味での人類の福祉を取り戻すことにも繋がることです。

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広安門事件(1937年) 中国のだまし討ち
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コメント
愛信
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQIU5L6K50YP01.html
アベノミックス第3の矢の援護射撃インフレ・ターゲット2%に快進撃の安倍内閣、第3の矢の
評価は失業率の低下で確認される。 移民促進ではないのだ、的違いの感も否めない、TPPは見合わせた方が良い。
【経済・政治の掲示板】最新版
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2013/07/26 URL 編集
一有権者
日教組による自虐史観教育を止めさせしっかりした事実に基ずく教育を行っていかなくては特亜のいいように振り回され、必要の無い謝罪と賠償を幾度となく繰り返させられるはめになるでしょう。まず教育の場において副読本等による戦前からの日本人による国際貢献や技術開発の功績を教え子供達に日本人としての誇りと自然に国を愛する気持ちを持ってもらう事が大切です。
これはどこの国でも大なり小なり行っている事でしょうから、反日日本人の自虐史観と売国的主張や特亜国からの干渉に配慮する必要は全く有りません。
私も含め授業において近現代史は飛ばされまともな授業を受けなかったり、教科書の内容が左翼の思想に染まったもので受けていれば昨今のような混沌とした社会を招かざる終えなくなるのも当然のことかもしれません。
そして日本国の国益と日本人の安全を守る為には特亜への日本人的寛容さはもう通用しない事を肝に銘じ西欧諸国のように徹底した冷徹さと冷静さを持って断固たる対応と措置をとるしか日本国と私達日本人を守る手だてはないとも感じます。
また若干本日のテーマからずれますが一部の他ブログにおいては韓国が仮想敵国を北朝鮮から日本に変更したのではないかという話がありますね。
何故か?北へ対峙するのであれば陸軍を維持あるいは増加させるところを陸軍ではなく海軍の増強を図っているのが懸念されるとのこと。北朝鮮海軍は韓国海軍にだいぶ劣るらしいですが日本への対応であれば韓国海軍の増強は説明がつくとのこと。
朴大統領の国際社会における反日発言は度を越していると思いますが、私達に補遺国民は隣にこの様な国があるという事を努々忘れるべきではありません。
出来るだけこのような国とは支援や技術供与を廃止し距離を置き国交断絶も視野に入れた外交政策を取るべきであろうと考えます。
2013/07/26 URL 編集
垣内耕一郎
この当時、ソ連コミンテルンのスパイは日本の近衛文麿の側近や歴代最悪の外務大臣、内田康哉の側近がそうでしたし、近衛内閣のブレイン集団の昭和研究会がコミンテルンの巣窟でした。アメリカではフランクリン・ルーズベルトの側近や要職(アメリカ共産党員)にスパイが浸透し、ホワイトハウスが『レッドハウス』状態でした。そして当時世界最強の帝国陸海軍を擁する我が国と大国に成長したアメリカを同士討ちさせたのです。
結局、日本もアメリカも、スターリンの手の平の上で踊らされていたのです。第2次大戦はスターリンの一人勝ちだったのです。
スパイはプロパガンダで大衆を先導したり、焚きつけるデマゴーグです。こういう『ネズミ』をちゃんと駆除しないから昨今のような意味不明な自虐史観なるものでやいやい言わなければならないのです。
日本を目覚めさせるには、それを邪魔する環境は改善しなければならないと思います。
2013/07/26 URL 編集
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2013/07/26 編集
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自分以外を全て敵とみなす、ということがよくわかる日本共産党のブログです。
トヨタの名前を使っていますが、中身は共産党のプロパガンダそのものです。
2013/07/26 URL 編集