8月9日ソ連軍侵攻



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ソ連T34戦車


昭和20年8月9日、ソ連が突如として日ソ不可侵条約を破棄して日本に襲いかかりました。
この当時のことについて、よく聞かれる戦後左翼のデタラメな話のひとつに、「軍隊はソ連軍がやって来ると、日本人の市民をほったらかして逃げた」という、とんでもない侮辱です。

よくもまあ、そこまで自国民を貶めて平気でいられるものだと思いますが、実際のところがどうであったのか、当時北満にいた高崎弥生さんという方が、「実録 遥かなる回想」という本を書いておいでなので、今日はこの本の中から、実際にあったことをご紹介しようと思います。

当時高崎さんは、牡丹江省にあった「関東軍石頭予備士官学校」の学生でした。
もともとは満鉄勤務(本社勤務ですからエリートです)だったのですが、軍隊に招集され、どうせ軍隊にいるなら、お国のためにもっと貢献しようと、上司の推薦もあって予備士官候補生となっていたのです。
訓練は、学科、教練とも、シゴキともいえるほど、すさまじいものだったそうです。
その石頭予備士官学校には、3600名の生徒がいました。

ちなみに「関東軍」というのは、東京や埼玉、千葉の関東地方とはなんの関係もない名称です。
日本が支那から租借した遼東半島のあたりが、その昔、支那で関東州と呼ばれていたことから、この地方の守備隊として関東軍の名前がついています。

さて、昭和20(1945)年8月9日の夜明け前、石頭予備士官学校に、けたたましく非常呼集のラッパが鳴り響きました。
校庭に全員整列し、校長から、
「本日未明、ソ連軍来襲、目下交戦中」の非常事態が伝達されたそうです。

そしてすぐに、生徒たちは2組に分けられ、歩兵砲機関銃隊1600名が荒木連隊長の指揮下に、残りの1600名が校長の小松大佐のもとに従い、東京(とんきん)城に布陣しています。

対する敵のソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊です。
ソ連軍は2つ分かれ、第一極東戦線は、メレンコフ元帥が直接率いました。
この軍は、歩兵4師団、十二個狙撃師団、戦車二個師団、十五個国境守備隊、大隊砲3500門、ロケット砲430門、戦車約1000両、他に空挺部隊などを持つ、ソ連最強軍団です。

以下、「実録 遥かなる回想」から引用します。

===========
ついに候補生にも出撃命令が下った。
いまこそ祖国のために一命を捧げる時が来たのだ。
かねて覚悟はしていたとはいえ、悲壮な思いが、ひしと胸に迫り、完全武装を急ぐ手が震えた。

一瞬、故郷の父や母の顔が瞼をかすめた。
「長い間お世話になりました。国のため、先立つ不孝をお許しください」
おそらくこれが今生の別れとなろう。こみあげる熱い思いをぐっとこらえ、私はひそかにわかれを告げた。

「悠久の大義に生きるを本文とすべし・・・」
死ぬことだけを教えられた日々・・・今こそ祖国のために一命を捧げるのだ。

東京(とんきん)城方面へ行軍中、避難の在留邦人達がトラックに満載され、
「お願いしま~す」
「頑張ってくださ~い」、悲痛な声で叫びながら、祈るようなまなざしで次々と通り過ぎて行った。
軍隊を唯一の頼みに、すがりつかんばかりの必死の叫びに、胸をしめつけられるような、全身に激しい闘志と責務に奮い立った。

夜を徹して駆け足行軍が続き、翌未明、「隘路口(あいろくち)」到着。
敵戦車を迎え撃つべく、一文字山峡に布陣。

正午ごろ、山麓の川辺で大休止となり、石頭出発依頼、満足に食っていなかった私達は、やっと米にありつき、久しぶりにハンゴウ炊きをしながら、熱くてたまらず、一緒に水浴びをしていた。

そこへ突如、山陰から飛来したソ連機が攻撃してきた。
爆弾が落下、大地を揺るがす轟音とともに砂塵が吹きあがった。
いましも湯気のあげるハンゴウに敵弾が命中。
川面に機銃掃射のしぶきがあがり、静かだった山峡はたちまち戦場と化した。

軍服をまとう暇もなく、慌てて身を伏せた。
重機関銃の傍らにいた私は、対空射撃の命令とともに、素裸のまま機関銃発射の握把をとった。

真っ先に狙われる重機関銃。
しかも初陣に素っ裸とは・・・。
死ぬにも死ねない気持ちが先に立ち、不思議と怖さはなかった。

乏しい弾薬とみて、おもいきり低空へ降下してきた敵機から、乗りだすような敵兵めがけて、夢中で発射。
小癪な!撃たれる前に撃ち落とせ!
体内の血が逆流し、炎のような闘志が全身に煮えたぎった。
敵弾よ、それまでは当たるな!
必死に祈りながら、ただもう懸命に撃ち続けた。

武器弾薬欠乏と思いこんでか、思いもよらぬ対空射撃に驚いた敵機が山蔭にかくれた隙に、ただちに部隊は出発。
この戦闘で、青木中尉他、多数の死傷者が出た。
~~~~~~~~~~~~

まさに、その場にいた人でなければ書けない緊迫感が伝わってきます。
当時の関東軍は、必要な武器弾薬兵器を南方戦線にことごとく送っていて、いわば案山子(かかし)軍団状態です。
そのなかで、わずかに残った重機関銃です。
弾薬も、僅かです。

この戦闘の直前まで、日本は満洲のインフラ整備のために、ダムや道路、鉄道線路の敷設をしていました。
つまり、歩兵銃を含め、当時の満洲に残った関東軍に残されていたのは、不十分な武器、弾薬以外と、民生用の工事用ダイナマイトだけでした。

一方、ソ連軍は158万の大軍というだけでなく、十分すぎるほどの完全装備をで侵攻してきました。
ここまで入念に準備したのは、互角の装備では、日露戦争や、ノモンハンなどでソ連側が日本軍にコテンパンにやられていたからです。

東京(とんきん)城方面に向けられたソ連軍は、航空部隊や戦車部隊を含めて約50万の大軍です。
これを、歩兵銃の弾もろくにない、重機関銃の弾薬さえも欠乏している石頭予備士官学校の生徒たち3600名が迎え撃ったのです。

続けて引用します。

=========
事態は急変した。
敵が近くまで迫ってきたのだ。

支給された爆薬は、ランドセルくらいの大きさで、中にはダイナマイトがびっしり詰まり、30cmくらいの導火線がついていた。
いわゆる「急造爆雷」である。

その先にマッチ棒を3本、木綿糸でしっかりとくくりつけた。
敵戦車が接近したら、マッチ棒をすって点火させてから、爆薬を抱えたまま全力疾走で突っ込む作戦である。
点火後、3~4秒で爆発する。
これを「対戦車肉迫攻撃」といい、略して「肉攻」と呼んだ。

敵は明朝になれば必ず攻めてくる。
来ればどうなるかは、もう誰もがわかっていることだ。
あと数十時間の生命である。

蛸壺のなかに寝転んで暮れゆく空を見上げていると、なぜか故郷のこと、母のこと、兄弟のこと、幼いころのこと等が次々思い出されてくる。

8月13日、代馬溝陣地を突破したソ連重戦車が、ついに磨刀石にその姿を現した。
地面を揺るがせながら、道路を一列になってゆっくりと我が陣地内に侵入してきた。

この道路の両側には、草や小枝で擬装した蛸壺の中に「急造爆雷」を抱いた候補生が潜んでいた。
戦車が近づくと、次々と「先にゆくぞ」と叫んで、敵戦車に突入して行った。

戦車には自動小銃を構えた歩兵が随伴していて、蛸壺を見つけたら、中に潜む肉攻手を狙い撃ちするので、飛び込むまでにやられる者もあれば、同時に爆薬が炸裂し、敵もろとも吹き飛ぶ壮絶凄惨な戦闘が始まった。

味方の重機関銃も猛然と射撃を開始し、小型迫撃砲も一斉に発射された。

この重機関銃陣地をつぶそうと、敵の戦車砲、機関銃が集中砲火を浴びせてくる。
後方の高台に布陣をしている友軍砲兵が援護射撃を開始し、榴散弾(りゅうさんだん、弾の中に多数の散弾がつめてあり、炸裂して人馬を殺傷する)を浴びせかける。

敵は炎上する戦車を道路下に突き落として、次々と進撃してくる。
蛸壺の中では、爆薬を抱えた数百名の候補生が息を殺して潜んでいる。
やがて、肉攻壕の土が、ボコボコと戦車の地響きで崩れ始める。
耳を聾するキャタピラの音、重油の焼け焦げる匂いが胸をつく。

敵の随伴歩兵がトラックから降りて、自動小銃を構えて、戦車の周りに見え隠れして続々と向かってくる。
ソ連兵の自動小銃が肉攻壕を狙えば、肉攻手は、即座に自爆だ。

重機関銃隊が、銃の偽装の小枝をそっと払った。
たちまり味方の重機関銃がうなった。榴弾筒部隊も発射した。
二十数名のソ連兵がぶっ倒れた。

ひるんだ敵の歩兵が戦車から退いて行った。
肉攻手が爆弾を抱えて踊り出た。

ひとりの肉攻候補生が、蛸壺を飛び出すと、爆雷を道路に置いて伏せた。
ソ連戦車は急ブレーキをかけて爆雷の3M手前で停まった。
候補生は、ほふく前進して爆雷を戦車の下に押し入れようとした。

戦車の直前で、爆雷は轟音を発し、半身は高さ20Mまでも白煙とともに砕きあがり、鮮血を撒き散らしながらぐるぐると回転して、またもとの位置に落下した。

東満洲の軍都、牡丹江の防衛最前線として磨刀石に布陣した石頭予備士官学校候補生の、ソ連戦車体当たり戦法は、こうして開始された。

またひとり、小さな体で四角い爆薬の包みをかかえて飛び出していく。
一瞬、ものすごい閃光がひらめき、白焔が戦車をつつむ。
そして、またひとり・・・

突然、戦車の砲頭の下から吐き出す紅蓮の火炎に巻き込まれ、すさまじい轟音とともに自爆した。

肉攻陣地があることを察知したのか、敵戦車はしばらく全身を躊躇(ちゅうちょ)したが、こんどは火炎放射機で周囲の肉攻壕を焼き払いながら、その上に乗っかってグルグルと回転しはじめ、敵の歩兵も散開して肉攻壕に、自動小銃をを撃ち込んで進んでくる。

味方の重機関銃が銃身も裂けんばかりに撃った。
的戦車の砲身や機銃が、一斉に味方の重機関銃小隊に集中した。
第一分隊の銃手、即死。

重戦車の巨砲が向きを変え、味方の陣地に向かって水平射撃の位置に砲身を構えた。
五体を揺るがすような炸裂が山野をゆるがした。
体は壕に叩きつけられ、舞い上がった土砂で半分ほど埋まった。

陣地における指揮連絡はまったく寸断され、日が暮れて、生き残った者同士が、負傷者をかばいながら引き揚げてくるが、集合場所さえ定まらない乱戦となった。

川上哲次候補生は、手記にてこのように報告している。
「道路上に、3~40両の敵戦車が轟音をあげてあらわれた。まるで動く岩のようであった。」

またひとりの肉攻手が、爆薬をかかえておどりでた。
戦車はとまらない。
肉攻手の姿が一瞬見えなくなった。
次の瞬間、肉攻手は、戦車のキャタピラに腕を挟まれ、逆さ宙づりになった。
おもわず息をのむ。

そのとき爆薬が炸裂した。
ピカッ、グワーン!

閃光が走り、ものすごい煙に包まれ、敵戦車は立ち往生した。
恐ろしくなったのであろう。ソ連兵は戦車から飛び出し、逃げ出した。
勇敢な肉攻手が2~3名、壕から飛び出し、敵の戦車に躍りあがり、掩蓋(えんがい)から中にはいる。
戦車の砲塔が、ぐるりと後ろを向いた。

ズドーン!

すぐそばまできていた後続の戦車めがけて、ぶっ放したのである。

「やった!」と壕の中では歓声があがった。
続いて戦車めがけて一発! そしてまた一発!
分捕り戦車は猛然と火を吐いた。

痛快極まるとはこのことか。
たちまち5~6両の敵戦車を粉砕してしまったのである。
後続の敵戦車群は大混乱となり、後退した。

そのときの勇士は、鈴木秀美候補生、一之瀬候補生、和泉伍長の3名である。
鈴木候補生は、敵戦車の構造をよく知らず発砲の折、砲座で顔面を強打し、大腿部も負傷していた。
彼は、戦車から外に出て、中隊長や戦友に向かい、
「自分は負傷してこれ以上戦えない。速射砲の分隊長として、砲と運命を共にする責任がありながら、砲は射撃不能となった。自分はここで砲とともに自爆する。天皇陛下万歳!」
そう叫ぶと、10キロの爆弾を抱きしめ、壮絶な爆死を遂げた。

猪俣大隊長は、戦車砲撃の直撃を受け、一片の肉も留めぬ壮烈な戦死を遂げられた。

代わって大隊の指揮は、梅津眞吾中尉がとられ、敵戦車に果敢な奇襲攻撃をかけられたが、ついに陣地は敵戦車に蹂躙され、死傷者続出の事態となった。

梅津中尉は、もはや組織的な戦闘は不能と判断し、生存者を集めて、後方の山中に入り、脱出した。

8月15日、掖河(えきか)の本体にたどり着いたときは、磨刀石出撃時に750名いた猪俣大隊の候補生は、わずかに105名になっていた。
=======

先日、慰問袋の記事を書かせていただきました。

慰問袋を囲んで


内地にいる子供達が慰問袋を送ってくれる。
その子供たちに、兵隊さんひとりひとりがお礼と感謝の手紙を書く。
そうして絶対に「守らなくちゃ」と決意を新たにする。
子供たちの笑顔と未来を守るために、武器がなければダイナマイトを抱えて、敵の戦車に飛び込む。

日本の兵隊さんたちが、なぜ強かったのか。
それは、他の国々の兵士たちのように、ただ上司の命令だから戦ったのではなく、ひとりひとりが国を守る、銃後の同胞を護りぬくという固い決意と責任感があったからです。

戦陣訓には、「戦場においては勇怯の差なんてのは、小さなものにすぎない」と書かれています。
勇気ある者と怯(おび)えがちな者の違いなど、戦場では関係ないというのです。
それよりも大切なことは何かといえば、「責任感」であると書かれています。
「責任を重んずる者こそが、戦場ではもっとも勇気ある者となる」
それが現実です。

日本軍の中にも、日頃強がっていながら、いざ敵弾が飛んで来ると「アイゴー」と叫んで銃さえ放り出して逃げてしまう者達がいました。
そういう者達は、弱者の前では勇猛果敢ですが、相手が強いとみるや、態度が急変します。
反対に、日頃おとなしくても、いざというときにダイナマイトを抱いてでも戦い抜くというのは、そこに責任感があるからです。

北満州では、こういう戦いが現実に行われました。
戦い、散っていかれた方々は、では何のための責任感で散っていかれたのかといえば、後世を生きる私たちの命を守るためです。
そしてそのおかげで、いまの私たちの命があります。
それを民間人を放り出して逃げたとか、よくも言えたものです。
こういうのを鬼畜の外道といわずして、何を持って鬼畜外道というのでしょうか。

もうすぐ8月15日です。
私た日本人は、亡くなられて英霊となられた父祖への感謝の心を、取り戻す必要があろうと思います。
それが、日本を取り戻す第一歩なのだと、私は思います。

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コメント

H.M.

こんばんは。
16日深夜の「News Japan」で、満蒙開拓団について放送していましたよ。
内容は・・・・・相変わらずのフジテレビクオリティでした。

「中高生程度の年齢の少年たちを零下30度の満州に連れてきて、軍事教練させた」→まるで日本人をも“強制連行”していたかのごとく、そんな言い方。
「関東軍は既に満州におらず」→まるで日本軍が卑怯にも敵前逃亡したかのごとく思わせる言い方。

・・・こんな感じで旧日本軍を貶め侮辱しようとする意図が見え見えでした(途中でハラワタが煮えくり返ってトイレに入ってしまいましたが)。

何千人もの日本人女性が強姦と虐殺の憂き目にあったことなどは、相変わらずスルーです。日ソ不可侵条約の存在もスルー。

こういう番組の作り方が、果たして公平と言えるのでしょうかね?うんざりです。

jun

毎日のようにねずさんのブログを読ませて頂いております。

いつもはROMっているのですが、上の桜子さんやterag3 さんのコメントを読み、そういえばと思いコメントさせて頂きます。

私の祖母は祖父が逓信局の仕事をしていたので、ハルピンに赴任したそうです。当時はそれなりに裕福な暮らしをしていたらしく、「ワンポ」と読ぶ下男もいたとのことです。街中に運河が張り巡らされていて、水運が発展していたとのこと。

いよいよ戦局が怪しくなってきた昭和19年末から20年年初にかけて、生まれたばかりの私の父を背負い父の姉(3歳)の手を引きながら、関釜連絡船で下関まで戻ったとのことです。
連絡船の中では魚雷にやられないか運任せだったらしいです。

下関に戻る際には、綿入のどてらや丹前を山のように持って帰ってきたとのことです。(それで終戦以降はそれなりに暮らせましたとさ)
祖母は亡くなる前にもう一度ハルピンに行きたいねーと懐かしんでいたことが思い出されます。

祖父も露助に捕まることなく終戦後帰国できたとのことです。

その祖母も10数年前に亡くなり、当時は興味本位でしか戦時中の暮らしを聞いていなかったので、今となってはもっと聞いておけばよかったと非常に後悔しています。

時間が経つほどこのような戦時中の貴重な話が聞けなくなっていくので、もっと情報収集に励むべきだと考えさせられました。

昔昔・・

ソビエトは怖いんだよ
私の祖母はもう35年前に亡くなりましたが 戦争中を生き抜いた人でした。
戦時中のことは あまり話しませんでしたが 私達姉妹が小学生くらいになった
くらいには TVのニュースを見る度に「ソビエトは怖いんだよ」と
繰り返し言っていたのを覚えています。

いつのまにか他の国にすり替わっているようですが
ソ連の怖さは変わりません。

稚内方面に知人友人が住んでおりますが 地域柄 ソ連の人たちが
出入りします。全国版には ほとんど載りませんが
ソ連の人たちによる 窃盗が後を絶たない。
韓国支 那と変わらず「そこに置いてあるから 悪いんだ」と
言う始末。仲良くやってますよーはマスゴミの策略です。
おまけにビザ無し交流は すべて北海道の税金で行われている。
戦争他北海道や日本の歴史に関することなど いっっっさい教えることは無し。
何やってんだよ 返せどロボーです。

住んでいる町には自衛隊がありますが 普段とは変わってヘリが連帯を
組んだりして飛ぶときは 何か騒動があった時と言われてます。
他にも自衛隊がある地域に住んでいる友人知人は
「あんな戦闘機見たこと無い」って言うのが 出てきたときは
マスゴミが騒がなくても 物騒なことが起きてるのでわかると言っていました。

なんとかしてくれ!船も漁船なのか なんなのか わからないのが
支 那 ロシア がウロウロしていることがあるんです。
怖いです。

お猪口

姿は同じ人間でも
>お人好しの日本、というより、約束事は律儀に守るのが日本です、それが当たり前ですから。
しかし、特亜、それにロシアはそうではありません。
約束事はあって無きに等しいのです。


正直で約束を守りズルをしない、大人しく報復をしない日本人相手なら、裏を読んで疑い警戒する必要もなく、安心して堂々とズルして約束を破れる。この世で強く生き残るには卑怯で凶暴でずる賢く、自分さえよければ構わないと割り切れるほうが楽でしょう。
対して、この世の現実はそうだと分かっていても、そのようには生きられないのが日本人。
どちらが人間として幸せでしょうか?
それ以前に、弱い存在と見るや(恐らく嬉々として)罪悪感を持たず、当然のこととして鬼畜の所業を行った特亜人とロシア人は、果たして人間だったのでしょうか?

愛信

「新型無人探査機」名称募集!!
「新型無人探査機」名称募集!!
http://www.jamstec.go.jp/j/jamstec_news/rov_naming2013/

 東北地方太平洋沖大地震と大津波を人工的に起した痕跡、即ち付近の海底に半径数10Kmの
窪地、核爆発の窪地があり、そこには大量なセシウムの存在が確認されている。
 「新型無人探査機」はこのような人工災害や自然災害の痕跡を調査するための無人探査機。
 同類の海底掘削船の地球号を管理していたのが国土交通省、(公明党冬柴大臣は死亡していま
す。) また福島第一原発を保有する東京電力株式会社を支配していたのが創価学会で有ったこ
となどから、無人探査機が核テロの様々な証拠を発見するでしょう。 是非いい名前を付けてあ
げましょう。

【関連情報】
【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
証拠記事を集めた簡約版はこちらをカッチとね

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

一都民 (愛読者)

親が共産党支持者
私はアカハタ、朝日を子供の頃読み、なにか違う感覚がありました。親と意見の違いがありましたが、親子ゆえ それ以上はありませんでした。最近の中国、南北朝鮮の行い、言い草を聞くと、怒りがこみ上げます。あと 年のせいでしょうか、民族性なる言葉にそうなんだ!と思うこの頃です。日本人が最悪の民族みたいな中国、朝鮮の言い方に嫌悪を抱きます。多かだか70年前後でそんなに変わるのか?? 逆に、最近の大陸、半島人の行動はまさしく悪魔ですな!
脱亜入欧が明治維新後 導入され、ロシア、シナ、朝鮮から距離を置いた先人に感謝し、尊敬します。

桜子

私の先のコメント中に>日本は放っておいても敗戦の・・・・の部分ですが、その部分の訂正をさせていただきます。

>日本は力及ばず、末期的状況にありました。

ポッポ

日本のポツダム宣言受け入れが進んでいることを知っていたソ連は、日本からのソ連に対する和平調停の仲介を捨て置き、戦争の終結が目前であることが明白なときに、日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告し、日本が降伏してからも攻撃を開始する。
この国にに取って、国際条約は都合で守るだけのものです。
日本は、ソ連がドイツに攻められて苦しいときにも、日ソ中立条約を守りました。日本がこの条約を守らなかった場合、ソ連はモスクワをドイツに占領されていたことは間違いないのですが、日本は約束を守ったことはソ連から見れば阿呆でしょう。しかし、日本は約束を守る国でした。
ソ連は、信用できない国だと思います。

20年以上前だったと思うのですが、「満州棄民」との表題でソ連の満州侵攻時の日本軍のふがいなさと、そこでの日本人の苦労を取り上げた週刊誌がありました。また、NHKは1995年のテレビドラマ「大地の子」でこれを取り上げました。
前者の日本軍は極めて臆病で、後者は弱かったような印象が残っています。
テレビドラマは、日本と中国で放送するとの触れ込みでしたが、中国では放送されることはなかったです。このドラマの中で、共産党と国民党の戦争(共産党軍に国民党軍が負けて食料もなくなっていた場面が放送された。)が少しだけ描かれており、それが珍しく現実を現していたように思います。


インターネットバンキングの不正送金事件で、全国の警察が1~7月に貸与した29人のうち25人は中国人だったそうです。
また、送金先口座に振り込まれた金を引き出す不正送金先の589口座のうち、437口座も中国人名義で解説されており、日本に留学中の学生らが、知人などに口座を売却したり、一時帰国時に貸し出したりしていたそうです。
不正送金者と金を引き出した者は、すべて確保して強制帰国させ、二度と来日させてはいけないと思います。
なお、中国は戸籍が確立していないため、本人の写真、指紋とDNA情報をを確実に保存しておかないと、再度、来日する恐れがあります。


アメリカの調査機関が発表した結果です。
日本に対する印象が、「非常に悪い」と「良くない」を合わせると、韓国人で77パーセント、中国人で90パーセントが日本に対して「良くない」との回答で、また、「過去の軍事行動に対する日本の謝罪は不十分」だとする回答は、韓国で98パーセント、中国で78パーセントだそうです。
韓国と中国は、国家で反日教育をしているのですから、当然の結果です。
しかし、他国では日本への好印象が8割を超えており、謝罪に関しても他のアジア諸国では「不十分」との意見は少数派でした。
アジアでは、韓国人と中国人だけが「日本嫌い」です。しかし、これに北朝鮮も入れてあげ、日本はその他の国家と付き合えば良いと言うことです。

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承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

junn

過去繰り返された〇〇〇〇により遺伝子損傷が著しく、あんな風になってしまった韓国人
http://000hime.blog74.fc2.com/?mode=m&no=399


恐るべし!〇〇婚の国
http://ryotaroneko.ti-da.net/e3614730.html


〇〇人はゲノムに致命的欠陥があるのだそうです
http://mizunamayuneko.blog.fc2.com/blog-entry-501.html

terag3

昭和20年8月9日私たち家族は、ハイラルにいた。
昭和20年8月9日私たち家族は、ソ満国境のすぐ近くにあるハイラルにいました。父親が満州中央銀行のハイラル支店長でしたが、ソ連軍の動向が怪しくなり、8月1日に急きょ、父親は支店長の身分のまま臨時招集され応召、入隊時は2等兵だったが、1週間で上等兵に昇進。

そして運命の8月9日、ソ連軍の侵攻により我々家族は父親と水杯で別れを告げ、日本へ引き揚げるための逃避行を開始。
父親は銀行の財産を関東軍陣地へ護送するため馬車で出発、以後生死不明となって終戦後15~16年経て、政府から死亡宣告を受けました。

関東軍陣地へ護送した後の情報は一切なく、噂によると関東軍陣地へ護送した後、下山してくるときに、ソ連軍と遭遇して機銃掃射を浴び一緒に同行していた仲間とともにやられたと聞きましたが、このたびのお話で関東軍とソ連軍の戦いの状況を初めて知りました。

我々家族は33歳の母親と、祖母に私たち兄妹3人の5人家族で途中、新京(長春)の銀行宿舎に一時的に滞在しましたが、1年後に大連の先に有る「コロ島」から、旧海軍の駆逐艦「宵月」という引き揚げ船に乗ることが出来、祖国日本の博多湾に上陸できました。

途中、一時的に滞在した新京(長春)の銀行宿舎では、中共の八路軍と国民党軍の市街戦にも巻き込まれ、銃弾が部屋の中に飛び込んできたり、裏庭で手榴弾が炸裂したり、頭を低くして窓越しに見ていた路上では、シナ兵が撃たれて倒れる場面にも遭遇したり、夜になって市街戦が納まる頃には周辺で隠れているシナ兵たちが、我々の民家に押し入ってきて女を探して強姦すると言う状況も有りました。

母親は丸刈りにして胸には、さらしを巻いて顔に墨を塗って男装していましたが、夜間、シナ兵が侵入してくると隣家と協同して押し入れに穴をあけてそこから逃げると言う工面をして何とか、凌ぐことが出来ました。

水杯で別れる時に、父親から母親に対して、1丁のピストルと実弾ひと箱を手渡され、もし敵に遭遇して逃げ切れぬ時は、これで一家そろって自決しなさいと言われていましたが、1年間何とか自決しないで引き揚げることが出来ました。本当に幸運でした。

そのような次第で、昭和20年8月9日と言うのは私ども家族にとっては一生涯忘れられない日になっています。

当時の関東軍の状況をこのたびのお話で知ることが出来ましたこと、本当に有難うございました。





電光石火

晴れつつある深い霧
私も日本人ですから、ソ連軍の不可侵条約を一方的に破棄した侵攻や、米国の二発の原爆と日本の主要都市に対する空爆を遺憾に思っています。しかし、残念ながら無条件降伏を受け入れてしまった…戦争は勝てば官軍の世界ですからね。最近になって国際政治学者の藤井厳喜先生や史実を世界に発信する会の茂木弘道先生等が、歴史認識を転換する極めて重要な講演を行っております。そして、新しい歴史教科書をつくる会の杉原誠四郎先生は、日本の外務省は戦前から極めて無能であり、怠慢だったと指摘されております。終戦直後からかかった深い霧が晴れつつあるのではないでしょうか。私は米国に数年間滞在経験があります。米国民も日本が絶対悪(先の大戦に関して)と洗脳に近い教育を受けております。さもなければ、二発の原爆と大空襲に対する正当化が出来なくなりますからね。米国には、テキサス親父として有名なトニー・マラーノ先生の様な卑怯を嫌う正義感の強い片方が多いのも事実です。 ねずさん先生の仰る通りに靖国神社に参拝しましょう。遠方の片方は、近隣の護国神社に参拝しましょう。

桜子

昨日コメントさせていただくはずでしたが、今日になってしまい申し訳ございません。

68年前、8月9日の長崎、19歳の父は爆心地から1.5キロの三菱兵器工場で被爆しました、ほぼ真上です。
その父も3年前、84歳で永眠しました。
父が残した手記が手元にあります。
被爆当日から帰郷するまでが記されています。

私は覚醒する前まではご多分にもれずお花畑の一人で、ただかわいそうにとの感覚でしかみていなかったのですが、覚醒し真実が見えてきた時、何故?どうして?の疑問が湧いてきました。

今までは、気にすることもなく父の手記を読んでいたのですが、父の手記の中に気になる部分を見つけました。
それは、原爆投下の5~6日前のこと、数機のぐラマンが機銃掃射その後、多くのビラを撒いていったそれにはカタカナで「ニッポンヨイクニ、ツヨイクニ、7ガツ、8ガツハイのクニ」と書いてあった、そのビラは上官によって破り捨てられたとのことです。

ニューメキシコ州アラモコードで原爆が完成したのが7月16日。
ポツダム会談は7月17日~8月2日。
ポツダム宣言が日本に勧告されたのが7月26日。
重巡洋艦インディアナポリスが原爆を輸送、テニアン島に着いたのが7月26日
原爆投下が8月6日、9日です。
ソ連の満州進攻が8月9日。

以上のことを父の手記中のビラに照らし合わせた時、何かが繫がってみえてきました。
ここで少し気になるのが「七ガツ、8ガツハイのクニ」と書かれていることです、もしかしたら7月中にも投下するつもりだったのかも知れませんね。
だからビラに7ガツという文言が入っていたのですね。
しかし、上記からすると7月中の投下は時間的に難しかったと思います。
結果、8月6日、9日となったのでしょう。


「原爆は対日戦争早期終結のために使用された」というのは左翼のプロパガンダにすぎません。
今もおそらく日本人の多くが信じていることでしょう。
恥ずかしながら、私もその一人でした。
そして、原爆投下の責任は政府、天皇にあると嘯く左翼の見事なまでもの責任転嫁。
戦後教育により、ほとんどの国民が今も信じているのではないでしょうか。

果たしてそうでしょうか?事実は違います。
当時政府は終戦に向け和平工作をしています。

それもポツダム会談に参加、虎視眈々と火事場ドロボーを狙うソビエトに和平工作を願い出ています。
ここにも日本の諜報活動のまずさが露呈されています。

当時日本とソビエトは「日ソ不可侵条約」を締結していました。
お人好しの日本、というより、約束事は律儀に守るのが日本です、それが当たり前ですから。

しかし、特亜、それにロシアはそうではありません。
約束事はあって無きに等しいのです。
それが歴史であろうと、国際的条約であろうと、今でも彼等のご都合主義でどうにでも変えられるのです。

日本から和平工作を依頼され、ソビエトは腹の底で笑っていたことでしょう。
なぜなら、日本の先を知っていたからです。

そして、終戦間際、日ソ不可侵条約を破り、8月9日満州に進攻、そして終戦日を過ぎた8月18日、ソビエトは北海道をも占領の意図を持ち、占守島に進攻してきました。
占守島を護る陸軍部隊との間で壮烈な戦いが行われました。
原爆の話が少し逸れてしまいました。

日本は放っておいても敗戦は確実な末期的状況にありました。
連合国はそれを知らないはずはありません、ならば何故に大量殺戮の原子爆弾を使う必要があったのでしょうか?
連合軍、そしてアメリカは戦後の世界の構図をすでに考えていたのです。
それはソ連との冷戦です.

そのソ連に力を誇示する意味でも、どうしても原爆の完成、そして実験をする必要があった、そう考えるのが妥当かと思います。
そしてもっと読んでいくと、あのポツダム宣言ですが、私には連合国、アメリカのアリバイ工作の感も拭いきれません。

なぜなら、先も言ったように「原爆投下は対日戦争早期解決の為に使われた」後でどうとでも言い逃れができるのです。
真珠湾攻撃の時とだぶります。

当時の時代背景をみても、もしあの時日本が自衛の戦いに立ち上がらなかったら亜細亜すべてが、西欧諸国の植民地と化していたでしょう。
そして大きな犠牲を払いましたが、大東亜戦争により亜細亜諸国は独立を果たしました。
ゆえに、亜細亜諸国から感謝の念を持たれているのです。
事実ですから調べれば分かります。


ねずさんが言われる様に、歴史にもしをつけるならば、もしあの時日本が立ち上がらなければ、日本はソビエトか西欧諸国の植民地と化し、そしてすでに何百年に及び植民地化されていた他の亜細亜諸国の独立は永遠にこなかった、そう思います。

要は、自分達の事は棚に上げ、(どこかの国といっしょです)敗戦国となってしまった日本に、東京裁判において、全て日本に責任を負わせただけの話です。
何のことは無い、勝者の報復の茶番劇に過ぎなかったということです。
インドのパール判事が一人、事実を述べています。
これも調べれば分かります。
また、これにより特亜から言われ無き因縁をつけられる結果となってしまい、戦後教育、反日勢力の絶好の材料になり、現在に至っています。

東京裁判、そして戦後教育(日教組)により今だその呪縛から開放されず、自虐意識の中にいてどうして日本人としての誇りがもてましょう。
自虐意識の中で物事を見ても真実は見えてきません。
ある一部分だけを見るのではなく、マクロ的にあの時代をみたら、全てが見えてくると思います。

以前の私でしたら、ある一部分しか見ていませんでした。
ねずさん始め、愛国ブログをお書き下さる皆さんのおかげで、物事をマクロ的に見るようになり、まさに目から鱗です。

はっきり言って日本のお花畑思考は世界では通用しない、これも現実です。
要はどの時代においても世界は腹黒いということです。
そういう意味において、世界情勢が緊迫する中、(日本とて例外ではありません)GHQがたった4、5日で創り上げた、平和憲法なるまやかしの憲法(憲法9条含む)に70年近くも拝み奉り、しがみ続けている日本、それこそが異常では?

律儀すぎて、その挙句にGHQの押し付け憲法に縛られ、自分と自分で首を絞めているのが今の日本です。

ねずさんが言われるように、悲しいかな平和は軍事バランス、力によって保たれています、これが現実です。

真の歴史を学び、自虐意識を捨て、日本を取り巻く状況に目を向けるべきではないでしょうか。
そうしないと日本の未来は無い、決して過言では無いと思います。


余談ですが、テニアン島に原爆を輸送した重巡洋艦インディアナポリスですが、輸送の帰りに日本の潜水艦伊58の攻撃により沈没しています。
もし、これが輸送途中でしたら、世界の歴史は変わっていたでしょうか。
日本にとっては不運としか言いようがありません。

原爆犠牲者、そして全ての英霊の皆様の冥福をお祈りします。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

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