神話から学ぶこと



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天の川
天の川


中秋の名月も去り、お月様がまたすこしずつ細くなってきます。
そんな月を見上げながら、ああ、ダイエットできててうらやましいなあ、などと不埒なことを思ったりしている今日この頃ですが、さて、お月様が細くなって来ると、夜空を綺麗に彩るのが天(あま)の川です。

天の川というのは、実は銀河系そのものが地球から見えている姿なのですが、昔の人は、夜空に浮かぶこの銀河を、川にたとえて、天の川と呼んだわけです。

織り姫星と、彦星(ひこぼし)が、毎年7月7日に天の川を渡って逢瀬を楽しむというお話は有名ですが、この伝説は、実は東南アジア全域に広く普及しているお話なのだそうです。
西洋では天の川は「Milky Way」で、乳からミルクがほとばしっている姿に例えられていますが、一方、孫悟空の登場する西遊記では、この天の川の管理人が猪八戒とされています。
いずれも川や液体に例えられているのが天の川というわけです。

おもしろいことに、日本神話は、この天の川のことを、「天の浮橋(あめのうきはし)」と呼んでいるようです。
つまり、天の川を「川」ではなく、天空にかかる「橋」としているわけです。
これは実におもしろいことです。
たしかにそう言われてみれば、天の川は、天空の川や、乳のほとばしりなどというよりも、天空に架かる大橋だと見立てた方が、かなりリアリティがあります。


以下のお話は、あくまでも古事記から私自身が感じたこと、学んだことです。
神話に登場するのは、神様ですので、その神様のお名前など、本当は略したりしてはならず、文字もカタカナなどを使わずに全部記紀にある文字で正確に書かなければならないものとされています。

ただ、そうなると、話の展開がわかりにくくなることから、以下の文ではカタカナで略した表記をさせていただきました。
本来ならこれはご不敬にあたることですが、わかりやすさのために、あえてそのような形で表記させていただきます。

日本神話では、最初に登場する神様がアメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)で、ここから様々な神様が登場するのですが、そのあとに最初の男女神として登場するのがイザナキノミコト(伊邪那岐命)、イザナミノミコト(伊邪那美命)のお二柱の神様です。

古事記によると、このお二柱の神様が、天の大橋(天の川)にお二人が並んでお立ちになり、はるか下方で混沌としている世界の中に、天の沼矛(アメノヌボコ)を刺して、コオロコオロとかき混ぜた、とあります。
おもしろいことに、わざわざそこに「コオロ、コオロ」とかき混ぜたとわざわざ擬音まで付して書いているわけです。

これまたあくまでも私の想像ですが、どうして「コオロコオロ」なのかというと、これがその話の続きで、矛(ホコ)を引き揚げたときに、矛の先端からしずくがポタリと垂れる。
そのしずくが中空で固まって、そこにオノコロジマ(淤能碁呂島)です。

で、この「オノコロジマ」がいったいどこにあったのか。
古来、その場所についてはいろいろな説があって、なかには「ここがそのオノコロジマです」とばかり、自凝島神社(おのころじまじんじゃ)や、自凝神社(おのころじんじゃ)などが建てられたりもしています。
あくまで諸説あります。

ただ、私が思うには、この「オノコロシマ」というのは、おそらくは、地球なのではないか。
そんなふうに思っています。
なぜなら、あえて「コオロ、コオロ」と「かきまぜて」いるわけです。
かき混ぜる矛の先端は、円形にまわっていて、そして落ちる「しずく」は球体です。
さらに、「オノコロ」は、「おのずから転がる」ですから、自転しているとすると、これはまさに地球そのもの、そして天の沼矛がぐるぐるとかき回した矛の先端の軌道は、まさに地球の軌道なのかもしれません。

こうなるとさらに面白いのが、なんと日本神話は、ガリレオが地動説を唱えるより、千年以上も前に、すでに地動説を採っていた、地球が自転していることを日本の古代人は知っていた、ということになります。
なんだかとっても感動的です。

さて、このオノコロ島を作った、イザナキノミコト、イザナミノミコトの二柱の神様は、お二人でこの地球に降り立ちます。
そして、お二人でそこに大きな柱をお建てになり、その柱を真ん中にして大きな御殿(八尋殿)を建てられました。

そして、ここからが面白いのですが、男性神のイザナキノミコトの方から、女性神のイザナミノミコトに、「あなたの身体はどのようにできているのですか」とお尋ねになります。
するとイザナミノミコトは、「我成り成りて成り合わぬところあり」という。
それを聞いたイザナキノミコトも、「我成り成りて成り余るところあり」と答えるわけです。

前にも書きましたが、これは実に不思議な問答なのです。
と申しますのは、神様が「我、成り成りて」とおっしゃられているのです。
「成り成りて」というのは、完全に完璧に成長した、という意味ですから、イザナミノミコトもイザナキノミコトも「完全に完璧に成長した」、つまり心も体も、完全に大人になった、完全無欠の大人の神様として成長した、と言っているわけです。

ところが、完全に完璧に成長したら、イザナミノミコトには、合わないところ(足りないところ)が一カ所あり、イザナキノミコトの方には、余っているところができちゃった。
なので「余ったところで足りないところを挿し塞いで国を生もう」となるのですが、まさにここに古代日本人の知恵があるのです。

というのはつまり、イザナキノミコトもイザナミノミコトも神様です。
それも日本の最高神であらせられるアマテラスの親にあたるというすごい神様です。
その神様さえも、「完全に完璧に成長」してから、やっと「余ったところで足りないところを挿し塞ぐ」わけです。
これは、「教え」なんですね。
つまり、少年少女でも、好きな人ができたりすることはあるけれど、神様でさえ、ちゃんと勉強し、心も体も鍛えて、立派な大人になってから結婚しているわけです。
ましてや親のスネをかじっている半人前の状態で、エッチなど何事か!心を入れ替えて、ちゃんと勉強しなさい!!というわけです。

こういう「教え」が、実は日本神話にはたくさん出てきます。
そしてそれが、日本人の日本人的価値観の源泉になっている。
神話を、まるで与太話のようにいう人がいますが、人が生きて行くには、そこに「価値観」という名の物差しは絶対に必要なもので、何をもって正となし、何をもって間違っていると判断するかというのは、実は、成文法によるものではなくて、もっと根源的な道徳観や倫理観に基づくものであるわけです。
そして神話は、その道徳観や倫理観といった価値観を、実に豊かに、わかりやすく教えてくれているわけです。

戦前は、日本史の授業では、最初に日本神話を教わりました。
これまた前にも書きましたが、オノコロ島がどこにあったかさえ、はっきりとわからないような確たるもののない「神話」を、あえて歴史の授業の最初に学んだことには、理由があります。
それは、日本の歴史を通底する価値観を、まず学んだのです。

昭和天皇は終戦の詔勅の最後のところで、「總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」と国民に語りかけられました。
我が国2700年の歴史の中で、天皇が国民全部に向けて玉音(天皇のお声のことを玉音といいます)を発せられたのは、これが我が国の歴史上、初めてのことです。終戦の詔勅は、それだけたいへんな出来事です。

そして上のお言葉は、口語訳すれば、「総力を将来の建設に傾け、道義を厚く重んじ、日本人としての志(こころざし)と操(みさお)を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚して、世界の流れに遅れを取らないようにしなさい」とおっしゃられているわけです。
この道義心、志操心の精髄にあるのが、日本古来からのまさに神話の時代から綿々と連なる日本人としての価値観そのものであり、その心が、神話にすべて語られているわけです。

そういうことを、歴史の授業の最初に習う。
それは、歴史を単に「事実を調べる」、つまり歴史を単なる警察の鑑識課の科学捜査のようなものにするのではなく、歴史から学ぶこと、私たちの祖先が、さまざまな事件や事象に際して、どのように判断し、どのように行動してきたのか、そしてそのときの価値観の根源とは何であったのかを、しっかりと学ぶ、そのための指針を最初に学んだ、ということです。

というわけで、イザナミノミコト、イザナキノミコトに戻りますが、お二柱の神々は、こうして余っているところと足りないところを合わせることに合意し、(あくまでも合意です。どっかの国が建国神話で虎女を強姦したとかいうのとは、国の出発点が違います)イザナキノミコトが、
「しからば私と貴女とで、この天の御柱を、貴女は右から、私は左からぐるりと回り、そこで出会いましょう」と声をかけます。

そしてお二柱の神がそのようにして天の御柱をまわり、二人が出会ったところで、まずイザナミノミコトが「あなにやし、えをとこを(まあ、素敵な男性だこと)」と声をかけます。
これを受けてイザナキノミコトが、「あなにやし、えをとめを(おぉ、素敵な乙女だ)」と答えるわけです。
ただ、このときに、イザナキノミコトは、「女人(をみな)先立ち言へるは良さず(女性から先に声をかけたのは良くないのでは・・・」とポツリとつぶやくわけです。

二人は結ばれて、子が産まれました。
けれど産まれた子は、残念ながら蛭子(ヒルコ)であったため、二柱の神は、その子を葦(アシ)の船に乗せて、流してしまいます。

二柱の神は、深く悩み傷つき、一緒に天の神様のところに相談に行きます。
そしてそこで、「はじめに女性から声をかけたのがよろしくない。もういちどやり直しなさい」とアドバイスをもらうわけです。

そしてオノコロ島にもどった二神は、同じようにして天の御柱を回り、こんどは男性のイザナキノミコトから、「貴女は本当に美しい」と声をかけ、ふたたび交わります。
そうして産まれたのが淡路島で、だから「男はつらいよ」のフーテンの寅さんは、その口上の中で、
「ものの始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島、泥棒の始まりが石川の五衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂長範、ね!」と、こうやるわけです。

ついでにこの口上の続きを述べると、「 巨根(でかいの)の手本が道鏡なら、覗きの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん出歯亀さん。ウサギを呼んでも花札にならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと来りゃァ吉原のカブ。
憎まれっ子世にはばかって、日光結構東照宮、産で死んだが三島のお千、お千ばかりが女じゃないよ、 四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便、驚き桃の木さんしょの木、ブリキにタヌキに蓄音機、 弱ったことには成田山、ほんに不動の金縛り、
捨てる神ありゃ拾わぬ神、月にスッポン、提灯じゃ釣(つり)がねえ、買った買ったさァ買った、カッタコト音がするのは若い夫婦のタンスの環だよぅ・・・」と続きます。

というわけで、イザナキノミコト、イザナミノミコトですが、このお二柱の神様は、こうして元気な赤ちゃんを産み、次いで四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と、次々と子を産んで行きます。
島が八つあるので、これが「大八島(おおやしま)」、日本のことです。
まあ、すごい多産系ですが、ここで産まれた本州のことは「大倭豊秋津島(おおやまととよのあきつしま)」と書いています。これが、本州が「秋津島」と呼ばれる由来です。

教えはここにもあります。
イザナキノミコト、イザナミノミコトのお二柱の神は、愛によって互いに結ばれるのですが、女性神から先に声をかけるという条理に反した振る舞いによって、蛭子(ヒルコ)を産んでしまうわけです。
そして、やりなおして今度は男性神から声をかけることで、元気な赤ちゃんを産んでいるのですが、これは、愛だけではだめですよ、物事には、条理というものが大切なのですよ、という教えになっているわけです。

そしてさらにいえば、お二柱の神は、ヒルコが産まれたときに、悩んで天ツ神のところに相談に行っています。
これは、二人の愛だけで何事も解決しようとするのではなく、困ったことがあったら、ちゃんと相談できる相手を持ちなさい、という教えでもあるわけです。
愛だけ、二人の世界だけではなく、何かあったら、ちゃんと年長者に相談する、あるいは相談できる環境をちゃんと保持しておくことの大切さを、ここでも教えてくださっているわけです。

要するに、ここまでの物語で、イザナミノミコト、イザナキノミコトの二柱の神は、愛と条理と相談できる人という三つのことをしっかりと教えてくださっているわけです。
そして、この女性から声をかけるという不条理が、後々にもう一度大きな影響をもった物語へと続きます。

それが、この世とあの世のお話です。

イザナキノミコト、イザナミノミコトの「キ」と「ミ」は、それぞれ古代の大和言葉で、「キ」が男、「ミ」が女をあらわします。
つまり、イザナキノミコトは「いざなう男」、イザナミノミコトは「いざなう女」と読むことができます。

ついでにもうしあげると、イザナミノミコト、イザナキノミコトのお二柱の神々は、トヨクモノカミ(豊雲野神)の次の代にお生まれになられた神様なのですが、このとき産まれた男女のペアの神様は五組あったとされています。
この五組の男女神の中で、最後にお生まれになられたのが、イザナキノミコト、イザナミノミコトなのですが、この五組の神様、五組というところに、なにやらこだわりがありそうです。

そうです。五大陸です。
五大陸というのは、ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、南極の各大陸なのですが、このうち、無人の南極大陸を除いて日本を入れる。
なぜなら、男女神がご先祖となっているわけです。そこに人が住んでなきゃならない。
そうすると、五大陸は、ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、日本となるわけです。
はるか太古の昔、まだ世界地図さえなかった時代に、日本の古代人たちは、世界が五大陸によって構成されていると知っていたのかもしれません。

さて、この世とあの世ですが、イザナキノミコト、イザナミノミコトの二柱の神々は、その後もたくさんの神々を産みます。
けれど、最後に火の神である、ホノカグツチノカミ(火迦具土神)を産んだときに、陰部を火傷し、そのために病気になって死んでしまうのです。

けれど、イザナキノミコトは、どうしても亡き妻に逢いたい。どうしても忘れられない。
そこでイザナキノミコトは、黄泉(よみ)の国にいる妻イザナミノミコトのもとを尋ねて行くわけです。

こういう未練がましさは、ある意味男性の特徴です。
だいたい、日頃「女房なんてなあ」と強がりを言っていながら、世の多くの男性は、女房が先に死ぬと、ものの数ヶ月で、たいてい後を追うようにして死んでしまう。
ところが女性の方は、先に旦那が死んでも、結構長生きするものです。

というわけで、イザナキノミコトは、黄泉の国へと旅するわけですが、この黄泉の国というのは、どうやら「夜見」あるいは「闇(やみ)」からきた言葉のようです。
その黄泉の国に大きな御殿があって、その扉のところに到着したイザナキノミコトは、イザナミノミコトを呼び出し、「愛(いと)しき我(あ)がなに妹(も)の命(みこと)、吾(あ)と汝(な)と作れる国、いまだ作りをへずあれば、還(かえ)りまさね」と声をかけるわけです。

口語訳すると「わが愛する妻よ、私とおまえで作った国は、まだ作り終えてはいない。もう一度帰ってきておくれ」
ところが、イザナミノミコトは、このときすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまったあとでした。
つまり、もうすでに黄泉の国の住人になってしまっていたわけです。
「けれど、愛しい旦那がせっかくきてくれたのだから、黄泉の国の神様に相談してみましょう。その間、私の姿を決して見ないでくださいね」

このように「見ないでね」と言われると見たくなるのが男というもので、ついつい御殿の中にいるイザナミノミコトを覗いてしまうわけです。
すると、黄泉の国の神となられたイザナミノミコトの姿は、恐ろしい姿に。
イザナキノミコトは、思わず逃げ出してしまいます。

すると。
「よくも私に恥をかかせたわね!」と、イザナミノミコトは、黄泉の国の魔物たちに命じて、イザナキノミコトを追わせます。
迫って来る魔物たち、逃げるイザナキノミコト。
イザナキノミコトは、魔物たちにブドウの実やタケノコを投げつけます。
すると魔物たちは、それを食べはじめた。

あせったイザナミノミコトは、今度は自分の体から生まれた八種類の魔物たちで魔軍を編成して、イザナキノミコトをおいかけさせます。
イザナキノミコトは、腰の長剣を抜き放って、それらを追い払いつつ、なおも逃げる。

ようやく黄泉の国の出口にあたる黄泉(よも)つ比良坂にたどり着いたイザナキノミコトは、そこに成っていた桃の実を三つとって、魔軍たちに投げつけます。
すると桃の霊力に阻まれた魔軍たちは、全員退却していく。

イザナキノミコトは、ここで魔軍を追い払ってくれた桃の実に、「私をたすけたように、この国の国民を苦悩から救ってもらいたい」と頼み、桃の実に「意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)」という名を与えます。
実は、この「桃の実」が霊力をもっていて、魔物を追い払うという神話から生まれたのが、桃太郎の伝説で、桃太郎は、桃(オホカムヅミノミコト)から産まれて、鬼退治をするわけです。

さて、ここからがポイントです。
ようやく黄泉の比良坂を越えたイザナキノミコトは、千人がかりで曳くほどの巨大な岩で、この坂にある黄泉の国への出入り口を塞(ふさ)ぎました。
その岩をはさんで、イザナキノミコトとイザナミノミコトが、対峙します。

ミ「愛しき我が夫のイザナキノミコトよ。あなたが私にこのような仕打ちをするのなら、私はあなたの国の人間を一日千人、くびり殺しましょう」
キ「愛する妻、イザナミノミコトよ。おまえがそうするのなら、私は一日千五百人の産屋(うぶや)を立てよう」

イザナキノミコトとイザナミノミコトの二柱の神は、女性の側から声をかけてはいけないという条理を学び、淡路島をはじめとしたたくさんの子をもうけました。
けれど、別れの時、ふたたび女性のイザナミノミコトの方から声をかけているわけです。

そしてイザナミノミコトがお別れに際して、最後に発した言葉は、「愛(いと)しき我(あ)がなせの命(みこと)」でした。
イザナミノミコトは、死んでなお、夫のイザナキノミコトを愛していたのです。
愛していたからこそ、黄泉の国の神に頼んで、生き返らせてもらおうとまでしたのです。

恥ずかしさに怒ったイザナミノミコトは、魔神たちにイザナキノミコトを追わせました。
もしイザナキノミコトがつかまっていたら。そこまでイザナミノミコトは、怒りました。
けれど、そうまでして怒りながら、なおも夫を愛している、その女心のいじましさ。
女神の愛は、命がけ。
女性の愛はそこまで深いものだと、神話は教えてくれているように思います。

そしてこれは私のあくまで想像だけれど、夫に「愛(いと)しき我(あ)がなせの命(みこと)」と呼びかけた、そのときのイザナミノミコトのお姿は、きっと神々しい本来のお美しいお姿になられていたに違いない。そんな気がしました。
なぜなら、イザナミノミコトは、その後、まさに黄泉の国を司る女神様になられているからです。

そして、黄泉の国の神であり、「愛(いと)しき我(あ)がなせの命(みこと)」と呼びかけたイザナミノミコトに、イザナキノミコトは、産屋(うぶや)を毎日千五百建てると述べました。
ここで、イザナキノミコトが、千五百の子をもうけるというのではなく、「産屋を建てる」と言ったことは、注意が必要です。

男は、辛い別れを経験しても、愛する人にもう二度と逢えないという悲しみを経験しても、それでも建設をし続けなければならないというのです。
人々のために、お国のために、働き続けなければならない。
それが、男というものだし、別れた女性神との、命をかけた約束であり、死者との約束なのです。
死者との約束というのは、守らなくちゃならない。

靖国に祀られている英霊は、お国のために命をかけて戦ってくださった英霊たちです。
彼らを靖国に祀るというのは、我が国の、国家としての死者との約束です。
そういう約束は、絶対に守らなければ成らない。

どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、たとえそれが愛する人と永遠の別れという哀しみであったとしても、仕事をちゃんとする。
守るべき約束は、命がけで守る。
それが男というものだし、お国の約束事だと、神話は教えてくれているのだと思います。

ギリシャ神話のオルフェウスは竪琴の名手で、死んでしまった恋人のエウリディケを迎えに死者の国に彼女を迎えに行きました。
死の神である冥王ハーデスの前にでて、彼は竪琴を弾き、その美しい音色でエウリディケを連れ帰ることを許可してもらうのだけれど、そのときの条件が、「オルフェウスが地上までは決して振り向いてはいけない」とうものでした。

けれど、見てはいけないと言われると、見たくなるのが男です。
彼は、振り返ってエウリディケの姿を見ようとしてしまうのです。
ところが、それはハーデスとの約束を破ったことになる。
エウリディケは、再び冥界に引き戻されてしまいます。

ひとり地上に戻ったオルフェウスは、恋人を想い続けて竪琴を奏で続けます。
そしてたまたま酒の神デュオニソスのお祭りに行き当たったのですが、そこで酔ったニンフ(天女)たちから、言い寄られるのですが、オルフェウスは、まったく興味を示さない。
それでオルフェウスは、逆恨みしたニンフたちに、手足を引き裂かれて殺され、頭と竪琴をヘブロス川に投げ込まれてしまいます。

黄泉の国にまで、愛する人を追って行く。そこまではイザナミノミコト、イザナキノミコトの物語とたいへんよく似ていますが、イザナキノミコト、イザナミノミコトの物語が様々な教えを持っているのに対し、ギリシャ神話のオルフェウスは、ただ恋に溺れるだけで、なんら生産性がありません。

もしかすると元は同じ神話からきているのかもしれないけれど、はっきりいえるのは、日本神話を記紀として残そうとした人たちは、歴史を教えであり、学びの場として捉えていたのではないかということです。

歴史には、二つの側面があります。
ひとつは「調べる歴史」、もうひとつは「学ぶ歴史」です。

前者は、たとえば犯罪事件が起こったときの警察の鑑識課や刑事さんたちみたいなものです。
事実関係を史料によって調べ尽くし、真実に迫ろうとする。
後者は、そうした事件から何かを学ぼうとする姿勢です。

犯罪事件も過去の出来事です。これまた歴史です。
犯人逮捕のために事実関係を調べること、これはもちろん大事です。
けれど私たちにとっては、そこから何を学ぶか、自分たちが被害に遭わないために、何をしたらよいかを考えかつ行動する。事件から得た教訓を新しい未来を拓くための手がかりにすることこそ大事です。
すくなくとも、私たち一般人にとってこうした「学ぶ歴史」は、ある意味「調べる歴史」よりも、はるかに重要かつ重大な意味を持っています。
日本神話は、その意味で、私たちに歴史から「学ぶ」ということを、教えてくださっている史書なのです。

そしてそのことが、たいへん大きな意味を持った、良い社会の構築にとっても役にたったということは、日本という神話の国が、2700年という世界最長の歴史を持つ不倒の国家としていまなお続いていることが、見事にこれを証明しています。

※神々のお振る舞いは、人智をはるかに越えたところにあります。
ですので以上の解釈は、あくまで私が人として感じたことを書いたものです。
決して遊び心などではなく、真剣に考え書いていますが、ただ、それがご不敬にあたるという点は、申し訳なく、また心苦しく思っています。
ただ、ひとりでも多くの方が、神話に接し、神話から何かを学ぶということに関心をもっていただければと思い、あえて、文章にした次第です。
ご不敬の点は、深くお詫び申し上げます。
      ねず

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コメント

ねこ

孫に伝えたい
古事記にかんしては、漫画程度の知識しか有りませんでした。孫、および孫友にしっかり口伝でも伝えます。
私は、日本を貶めようとする連中が絶対に許せない。
まして、虚言だけで
皇紀2763年でしたっけ、今年は。
うろ覚えで恥ずかしいです。

ラベンダー

もりのり様へ
もりのり様
ヲシテ文献のご紹介ありがとうございました。
検索しましたところ、チャンネル桜の動画
http://youtu.be/Dm8zldpBVDU
池田 満 先生のお話を聴かせていただきました。

ねずさんの縄文時代のお話と同じなので驚きました


私も、古事記による神話は何となく引っかかるところがありましたので、疑問を感じていました。

ヲシテから学べば、納得できるかもしれません。

これから少しずつ学んでいきますので、今後ともよろしくお願い致します(^-^)/

No title
神話をオリンピックの開会式で表現してほしいなぁ

皇国の住人

No title
ねず様

本題からそれてしまうのですが・・

「總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」

先帝陛下のお言葉、終戦の詔勅は今も確かに生きておりますね。

私は、小さい頃、先帝陛下にお会いしたことがございます。
と、申しましても、地元においでになられた陛下に一目お会い
しようと家族総出で沿道に立って待っていたに過ぎませんが、
お乗りになった御料車の窓越しにお会いすることが出来ました。
今でも、はっきりと覚えております。

そして、東日本大震災では、今上天皇がまたしてもお言葉を発せられました。
あの表情を忘れることは、生涯ないでしょう。

私は、今、本当に日本人でよかったと、あらためて思っております。

ひろし

ねずさん、更新ありがとうございます。
日本の神話はすばらしいですね。 論語や伝習録ばかり読んでいるのは駄目ですね。
もう一度、無心に古事記を読み直いたいと想います。難解ですが本居宣長の古事記伝をよみます。 日本人の生きる道が示されていると想います。

団塊の世代の後輩

No title
人は人で有るがゆえに未完成な存在です、しかしケダモノ人よりは上等な存在であるはずです。我が国には本物の威厳を保つ尊き方々がおられ、民人を暖かく見守っておられます。よって利己主義よりも公に奉仕することが美徳であることが人々の幸福感につながるのです。そうしたことに感謝しつつ、そうした美徳を破壊しようとするケダモノ人らの行動に対抗するべく、心身を鍛えるのです。正義は力をもって守りましょう!!

桜子

No title
「群青ー知覧特攻基地より」「今日われ生きてあり」の二冊、慟哭にも似た感情が込みあげ、読み進めることができませんでしたが、やっと読み終えました。

今までにずい分と多くの戦記本を読んできましたが、私は戦記を読むにあたって可哀そうにと思って読んだ事はありません。
なぜなら、彼等全ての英霊の皆さんは日本人としての誇りを持って国家、家族の為に殉じたのです。

英霊の皆さんが持っておられた誇りの崇高さを思ったら、ただ単にかわいそうなどと悲哀的な目で見る事は出来ません。
彼らの人間として、また、日本人としての崇高なまでの精神力、その素晴らしい崇高な心を感じ、そこに自分を重ね彼等の思いを感じたい、そういう思いで読んでいます。
哀れみの気持ちで読んでほしいと思っている英霊の皆さんは一人としていないでしょう。

こうして本になり、また活字により名前が世に出、生きていた証が記されているのは散華された多くの英霊の皆さんの数から言ってほんのわずかです。
こうして本にされ、活字にされ、生きてきた証が皆さんの目に触れ、記憶として残される、そういう意味においてこの方達はお幸せかも知れません。

後のほとんどの英霊の皆さんは、このような言い方をして失礼とは思いますが、名も無き戦士です。
日本人として誇りを持って戦われた英霊の皆さん、一人一人にも生きていたら人生のドラマがあったはずです。
その全てを捨て逝かれたのです。
大切なのは、その命の上に生かされている事を我々日本国民は決っして忘れてはならないのです。

また、あの時代を生きた英霊の皆さんの遺書、辞世の句などを読んでいると、英霊の皆さんに限ったことではありませんが、全ての先人の教養の深さに感銘します。
現代を生きる我々日本人と同じ日本人なのかと思われるほどです。
ひとえに教育の賜物です。

それに引きかえ、戦後、日教組教育において誇りも何も失わされてしまった日本人、そして繁栄と比例して日本人が失った物の大きさを考えたら、今の繁栄など砂上の楼閣。
心を伴わない繁栄などありえないという事です。
薄っぺらい世の中になってしまいました。
心を伴わない繁栄なんて無きに等しい、まるで砂上の楼閣です。
いい見本がお隣にあるのに、、、、。

戦後、日教組教育、その他反日勢力により嘘の歴史、自虐意識を植えつけられてしまった日本人、誇りを持てなくなってしまった日本人。
誇りを持とうにも持ちようがありません。
要は現日本の元凶は人間を育てる上での教育の失敗、これに尽きる思います。

なぜなら、どの様に世の中が変化しようが、人間としての基礎が出来ていたら、このような日本にはなってなかったそう思います。
今から結婚、子育てをしていかれる若い方に言いたいのですが、自分さえよければいい、そしてしていい事、悪い事の区別もつかない子供達が増え、世の中乱れに乱れています。
将来自分の子供がそうなってほしいですか?ほしくないでしょう。

すぐ、こうなったのも、ああなったのも世の中のせいだ、人のせいだと言う人がいますが、その世の中に生きているのは我々です、その世の中を作って行ってるのも我々国民です。
我々一人一人のせいでもあるのです。

こうしてねずさん始め多くのブローガーの皆さんがお教え下さっています。
人、世の中に責任転嫁するのではなく、気がついたら変える努力をしていく、重要です。
これからを生きる若い方は日本を背負っていかれるのです。
人間を作る基礎、「教育」を真剣に考え直す時が来てるのでは?

お彼岸の中日です、あぜ道には彼岸花が満開です。
ご先祖様、英霊の皆様の冥福をお祈りします。




もりのり

以前もコメントしましたが、古事記と日本書紀の原書である「ヲシテ文献」があるのですから、おどろおどろしい記紀の話を持ち出すのは、日本を貶める事になると思います。
こちらのブログは人々に対して、大変な影響力をお持ちなのですから、日本の真の歴史は「ヲシテ文献」の中にあるということを、きちんと認識していただきたいと思います。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
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