話を聞く人、聞かない人

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子供たち(明治半ば頃_着色写真)


日本語というのは、考えてみると実によくできた言語であるように思います。
ちゃんと相手の言うことを聞くように、言語そのものができている。

どういうことかというと、たとえば例は古いですが、セーラームーンというアニメがあって、主人公の少女が最後に悪漢をやっつけるときに、
「月に代わって〜、おしおきよ♡♪」
と言うわけです。

これは実に日本的な表現で、これが諸外国の言語のように、「S+V+C」とか「S+V+O」というカタチですと、
「私は、します。おしおきを。月に代わって」
となるわけです。
(S=主語、V=述語、C=補語、O=目的語)
主語のあとにいきなり述語がくるわけですから、セーラームーンなら否応無く「おしおきする」わけです。
となれば、相手はすぐに逃げるか反撃しなきゃならない。
攻撃か防御か素早い対応が求められるわけです。
そこでは、「なんのためか」、「どうしてなのか」などという理由は後回しになります。

ところが日本語ですと、そもそも主語(S)がない。
相手にしてみれば、誰に「おしおき」されるのかが、まずわからない。
「えっ?!、誰におしおきされるの?」と思っていると、「月に代わって」というのです。
ということは、相手は「俺が、私が」成敗するというのではなくて、あくまでも「何ものかに代わって」、あるいは何か公的なものの「代理人」としておしおきする、といっています。

しかも、「月に代わって」のうしろに「〜〜」という「間」があって、何をされるのかなあと思っていると、「おしおきよ」と続くわけです。
相手は「おしおき」されたくないわけですから、話を全部聞いた後から、ようやく「攻撃か防御か」を決めることになります。
けれど、もしかすると話は「おしおき、しないわよ」と続くかもしれない。
とにかく最後まで話を聞かないと、相手が何を言いたいのかわからない。
これが日本語の特徴です。

こういった話は、かつて英語の習い初めの授業のときなどで、日本語が「いかに遅れている言語なのか」、「日本人がいかにおバカな民族なのか」の説明とともに、学校の授業などで教師から説明を受けた方もおおいかと思います。
私も、そのなかのひとりです。
中学一年生の一学期の始め頃のことでしたから、もういまから半世紀ほども前のことですが、いまだにはっきりと覚えていることからすると、よほど印象深かったのかもしれません。

けれど、こうした、何をしたいのか、何をいいたいのかが、話を最後まで聞かないとわからないという日本語の特徴は、常に相手の話を「ちゃんと聞く」、「しっかり聞く」という態度をはぐくみます。
また、主語を省くということは、「俺が、私が」ではなくて、常に「みんなとともに」、「みんなの考えで」という姿勢をもたらします。
ここに、古来から日本人の中に自然に備わった徳義があります。

結論が最後に来る日本語では、あたりまえのことですが、相手の話を最後までちゃんと聞かなければならなくなります。
ということは、まずは相手の言い分をちゃんと聞くという姿勢が日本人には自然と備わるわけで、その態度や精神は、これまたおのずと互いに相手を認め合い、意見や話をちゃんと聞くという相互共和の精神を育んでもいるわけです。

いきなり「殺すぞ!」と言われれば、相手は恐怖し、即時抗戦体制をひかなければならなくなりますが、「みんなのために、君が何々をしないようなら、殺すぞ」ということならば、では「それをするようにします」で、問題が解決してしまうわけです。

要するに縄文時代から脈々と続く、相互理解や協調、互いに助け合う互助、争いよりも対話を優先する文化というのは、実は、日本人にとっては、日本語の生成の歴史とおなじくらい古くからあった精神文化であり、社会文化であったということです。

日本人が日本語を、いまの構文のようなカタチで話すようになったのが、いったいいつ頃のことなのか、はっきりしたことは、わかりません。
はっきり証明されているのは、青森県の大平山元1遺跡から出土した世界最古の土器が、いまから1万6500年前のものであること。
土器があるということは、土器を作る間、作る人は「食」を得るための活動ができませんから、当然に、誰か他の人が土器を作る人のために、食事の手配をしてくれていたわけで、すなわち、村落的であれなんであれ、そこに一定の社会的分業が成立していたこと、集落が営まれ、共同体が成立していたこと、共同体である以上、そこに言語があったことなどが、証明されるわけです。
つまり、日本では、遅くとも1万6500年前には、言語があったということになります。

もちろん、その頃の言語が、はたしていまと同じ語順の言語であったかどうかまではわかりません。
わかりませんが、日本が島国であり、言語上の大転換に相当する事件の証明がない以上、そのまま日本語が進化したと考えるのが自然です。
そして、遅くとも、古事記、日本書紀の時代、あるいは万葉仮名の時代には、語順はいまと同じ語順になっています。

つまり、相手の話をちゃんと聞く文化は、日本においては、相当古くから熟成されてきた文化であるといえると思うのです。
そして相手の話をちゃんと聞くということは、やはり争いよりも話し合いと協調を大切にするという文化が、日本古来の文化的特徴であろうということも、同時に想起させるわけです。

そしてもうひとつはっきりといえることは、語順が外国語圏のような「S+V+C」であれ、日本語的「C+V」であれ、そのどちらが優れているとか、遅れているとかいうことにはならない、ということです。

それぞれの文化には、それぞれの特徴があり、それぞれに良さも悪さもあるように思います。
ただ、私たちは日本人です。
日本人の父祖を持ち、日本人として生まれ、日本人として生き、日本人として、未来の子供たちの幸せを築く責任と使命を持って生まれてきているのだろうと思います。

「パブロフの犬」という、有名な実験があります。
パブロフ博士が、犬にエサを与えるときに必ずベルを鳴らすようにしたところ、エサを与えなくても、ベルが鳴ると犬がよだれをたらすようになった、という実験です。
「条件反射」の喩えとして有名なものですが、「ベルが鳴ると反応する」、「おしおきよ」と言われて反応する。
まるで条件反射です。
そこに主体性はありません。
ただ、刺激を受けて反応しているだけです。
そこに、自分がどれだけの責任を負うのかという準備はありません。

私たちは犬ではありません。
周囲に何が起ころうと、たとえベルが鳴ろうと、反応する前に自己責任として判断し、しっかりと自分で責任を負う。
日本語は、実は、単に条件反射を誘うのではなく、相手の話を最後までよく聞きながら、自分の頭でしっかりと考えて、自分で責任をとるだけの言動を選択することを促す、そういう言語的特徴がある言語であるといえるのではないかと思います。

そして主語が省かれることによって、それが常に共同体としての人々の輪の中において、正しい選択といえるものかどうか。
そこを大切にする文化が、日本語の中にはしっかりと育まれているといえるのではないでしょうか。

この違いを、私は個人的にですが、
「支配する言語文化」
「共同する言語文化」
と名付けています。

相手の都合にかかわりなく、命令し、強制し、支配する。
そのためには、なにをやらせるのか、その命令が大事です。
ですから言語も、命令し、支配し、言うことを一方的にきかせるように発展する。

これに対し日本の言語文化は、「共同する言語文化」です。
相手の話を最後までよく聞き、自分の頭で考え、行動する。
相手もこちらの話を最後までよく聞き、相手の頭で考え、行動する。
そこにあるのは、条件反射ではなく、互いに主体的に判断し、行動する冷静さです。

西洋では、かなり古くから、タイプライターが発達しました。
そしてその変形として、英文ワープロも開発され、早くから広く普及しました。

日本語で書ける文章が、誰でも活字にできるようになったのは、このワープロが普及しはじめてからのことですが、そうしたら、なんといきなり、日本語では顔文字なるものができてしまいました。
この顔文字というのは、ある意味、実におもしろいもので、たとえば、

「怒ってるぞ〜〜(*^o^*)b」
と書くのと、
「怒ってるぞ〜〜(`´メ)」
とでは、意味合いがまるで異なります。
前者は、怒ってるというのは冗談ですが、後者ではかなりお怒りのようです。

同じよろこぶでも、
「うれしい〜〜ヽ(・∀・)ノ♪」と
「うれしい〜〜(*゚ε´*)プゥ.」
では、だいぶ感情が違いそうです。
なんといまや日本語顔文字は、2万種以上もあるのだとか。

英語圏の人たちも、最近では、この顔文字を多少使うようになってきたようですが、
  :-)  =笑顔
 :-0  =驚き
 :-(  =怒り
なのだそうで、はじめ意味がわからず、どうみたらいいのかと思ったら、横から見ると顔になっているのだそうです。

日本語における顔文字の発達は、もともと日本人が書き物の文字について、とくに漢字などを脳の中で言語ではなく、絵としてとらえ、筆字の世界では、まさに文字そのものが絵画として扱われてきた歴史などもあり、それが活字の世界に応用され、自然発生的に生まれて広く普及したもののようですが、最近ではこれに絵文字なども加わり、さらに一層、言葉によるコミュニケーションが広がってきています。
こういうところにも、複雑な人の心をたいせつにする文化が、日本にはある、ということができようかと思います。

日本には、人類が失ってはならない、たしかな文化があります。
その文化を、たいせつに育んで行く。
それは、これから先の未来の日本、国際交流がますます深まる時代の日本において、ますます重要度を増してくるものになろうと思います。

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コメント

松さん

実に美し言葉!
ABC…あいうえお…など、理屈は分かりますけどね。
日本語の手習いと言えば、やっぱりこれでしょう。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず

大口を開けて怒鳴る?
そのような発音は有りません。
書いてよし!
読んでよし!
詠ってよし!
「らしさ」満載の七五調ですね。
実に美し言葉だと思います。

小妹

No title
ねずさんの「日本には人類が失ってはならないたしかな文化があります」に同感します。
日本人の使命といえるかもしれません。

・言語・非言語コミュニケーションの割合に
言語による相違はないと大学の心理学の授業で教わりました。(意思表出方法の違いがある)
 言語コミュニケーション‥約7%
 非言語コミュニケーション‥約93% 
また、一瞬の表情や声色、態度仕草など「場の空気を読む」ことは
日本人だけでなく、どの言語圏の人も行っています。

・日本語と同様、英語にも微妙な語感や
表現の与えるイメージの違いがあり、
どんな言葉を使用するかにその人の教養が現れます。

・躾や日本語による言語的思考力や情操教育と
英語教育とはまた別の問題です。
教育レベルが高いと全ての力が高くなりますので
全体的にレベルアップできる働きかけが大切です。
(早期英語教育反対を唱える方が、お子さんを
インターナショナルスクールに通わせていることもあります)

余談ですがドイツ語も、日本語と同様に
文の最後のほうに意味を決定する重要な語句が来る言語です。
忍耐強い民族性のあらわれなのかもしれません。

-

No title
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、現在のコンピュータの操作体系(グラフィックユーザーインターフェイス)は英語の語順とは逆で、日本語の語順に一致しています。
例えば、コンピュータ上で何かをコピーするとき、「コピーの対象を選んでから、次にコピーする」という順になりますが、これは「〜を〜する」という日本語の順と同じです。
ウィンドウシステムではこの順が自然で理にかなっているのです。(逆だと非常に使いにくい)
Macが登場したとき、英語の「〜する、〜を」の順で使おうとした米国人が、まずはじめにコピーメニューを選んでも何も起こらず、「このコンピュータは壊れている」と怒った、という笑い話もあるくらいです。
現在では、日本語と同じ「〜を〜する」の順序が、世界中で一般的に使われているということですね。
コンピュータを使うことで、本文に書かれているような日本人の思考に、すでに世界はなじんで来ているとも言えるのではないかと思います。

愛信

モスクワ大騒擾で逮捕者400人(フォト・ビデオ)
モスクワ大騒擾で逮捕者400人(フォト・ビデオ)
http://youtu.be/YT4HLZX1vAA
(動画)

 移民による殺人事件が発生、これに怒るロシア人の暴動が発生して
いる。 安倍政権(もはや国境や人種の区別は消えていると主張)では
日本国内の労働力不足を理由に、リーマン・ショクで円満帰国(補助金
の支給)させた日系外国人労働者2万5000人を再入国させて雇用す
る。 随行する家族や養育費用(特殊学校)などの諸問題はここに掲載
したニュースと関連して日本人社会の安心・安全を危うくする事が明ら
かである。 消費増税8%に、更にこの様な無駄な福利費が増える。
詳細は
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

おれんじ

No title
私も、幼児期からの英語教育で大切な心が失われてしまうのではないかと非常に危惧しております。

英語と言うのは論理性や分析、議論には長けた言語ですが、日本語のようなたおやかさ奥深さ、良い意味での曖昧さが不足しております。

また英語圏におりますと、言葉以外の非言語コミュニケーション(身振り手振りや顔の表情、体の動き、声のトーンなど)を察する力が非常に弱く、言葉の内容のみに重点をおいて相手とコミュニケーションすることが大半です。そのため微妙な感覚や感情すらも全て言葉で発せねばならず、日本人にとってはとても苦痛で狭い箱に入れられたような気持になります。

さらに英語は詭弁を弄するにはうってつけの言語ではないかと思います。法律が発達したのもそのせいではないかと思います。日本語は平和な言語、平和な心を作る言語ではないかと誇りい思っております。

terag3

日本の文化を大切に守っていきましょう
このたびのお話のなかで、もっとも私の心に響いたのは以下の、お言葉でした。

<日本には、人類が失ってはならない、たしかな文化があります。その文化を、たいせつに育んで行く。それは、これから先の未来の日本、国際交流がますます深まる時代の日本において、ますます重要度を増してくるものになろうと思います。>

実は先日12日(土)に、渋谷の青山ウイメンズプラザにおいて、「今こそ正しい歴史を知ろう」講演会が行われ「日本から見たアメリカ」という演題で、元防衛大学校教授、平間洋一先生のお話が有りました。

その中で、<一国の人々を抹殺しようとするならば、まず、その記憶を消す。書物を消す。その文化を消す。誰かに新しい書物を書かせ、文化を作らせ、歴史を作らせる。人々はやがて自分の国の過去も現在も忘れ始める。>
>ミラン・カズンズ(チェコの歴史学者)<

・・・という内容にこのたびの、ねずさんの、お話がぴったりと当てはまり全くその通りだと痛感した次第です。

日本の古き良き伝統、文化を、しっかりと守っていきましょう。



ポッポ

No title
日本語は、冷静に議論する場合には、とても適した言語だと思います。
しかし、喧嘩をする場合には、適当な言語だと思えません。
だからと言って、英語より優れているとか、劣っているとかの問題ではなく、言語の適正だと思います。



本年11月30日に、日本の日韓議員連盟と韓国の韓日議連が合同総会を東京で開催するようです。
合同総会では、北朝鮮の核問題、東京電力福島第一原子力発電所事故、15年の日韓国交正常化50周年行事、18年の韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪と20年の東京五輪開催に向けた協力などを議題とするようですが、その前に、韓国の国連総会第3委員会の発言に対する、抗議を行っていただきたい。
いわゆる従軍慰安婦と自称する売春婦の金福童は、14歳(1939年)の時から8年間慰安婦を強いられたと主張しますが、慰安婦は17歳以上しか募集されていませんでした。また、8年後の1947年は、戦争がもう終わっていますからこれも間違いです。さらに、「朝鮮戦争当時、日本軍に無残に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。」とまで言いました。しかし、朝鮮戦争当時の日本には、軍隊がなかったのです。
彼女は「私が証拠だ!」と言っていますが、これは「大嘘つきの証拠」です。
こんな嘘つきを証人として、国際会議で日本を侮辱するような国と、合同会議を開催してどのように実のある結果を導き出すのでしょうか?
間違っても、日本国民の税金を韓国につぎ込み、バックマージンを期待することは許されません。
これまで、韓国に日本国民の税金を貢いだあげく、バックマージンを得ていた政治家の風評がありました。
安倍内閣にこのようなことは、ないと信じたいのですが、念のために韓国に日本国民の税金を渡さないでいただきたいと思います。(国民の税金が動かなければ、嫌な風評を聞くこともないでしす。)
もちろん、韓国が日本からの製品を購入し、しっかりと支払われれば、海外協力として許されることだと思います。

桜子

No title
先ほど送ったコメントですが、>他文化を学べる機会は、小学校、中学校、大学とあります<

高校が抜けていました。
失礼しました。

三等兵

No title
むかしにくらべて日本人の話すスピードがどんどん早くなりました。
漫才ブームの影響もあったように思います。ビートたけしや洋七、紳助など相当に早口だったです。
久米宏のニュース番組もかなり早口でした。
ある教養人に言わせれば、あれはゲスのしゃべりだそうです。
たしかに落ち着いた教養のある日本人は必ず落ち着いてゆっくり話します。
内容もさることながら、しゃべり方も子供のころから教える必要があるんでしょうね。

越智富雄

日本語は、原・地球語
私などは、日本語の元となった言語こそ、地球の原始の言葉だったのではないかと思います。
これは、私のオカルト的言語観でも何でもなく、日本語はふところが広く、そしてまた深いと思うからです。
私の通った高校は、数年ごとにアメリカの留学生を受け入れており(交換留学生というやつです)、その留学生の挨拶を聞いた時のことです。
「ワタシ、キマシタ、ニイハマ、キノウ。」母国語の語順のままで単語だけ日本語を並べただけ。でも十分通じます(「ニイハマ)とは「新居浜」、私はここに住んでおります)。
漢文にしても、これは純然たる外国語です。これを返り点をつけるという方法で、難なく読み下すようになってしまいました。一説によると、聖徳太子の発案とか。真偽のほどはともかく、日本人て頭いいですね!
この漢文力こそ、維新の原動力となり、日本の近代化を推し進めたと聞いております。
どなたかがおっしゃっておられましたが、確かに、話し言葉としては多くの情報を伝えることは難しい。でも、書き言葉となると、事情が変わってきます。日本語ほど情報量の多い言語はない、と言えるでしょう!漢字、ひらがな、カタカナを駆使し、英数字が紛れ込んでいても、何の違和感もない。外来語や派生語、何でもござれ。略語や当てこすりの言葉でも、なんとなく類推出来る。こんな書き言葉は世界に類を見ません!日本語の大いに誇るべき点と感じております。字面(じづら)を追わなくても、パッと見て内容が分かり、重要なポイントがすぐつかめます。ホントに便利ですね!
日本語の源流がどこで発生したか、どこまで探究されているか私は知りません。一説によると、釈尊(仏教の開祖)が話していた言葉は日本語と共通点があったとか。自分のことを「ワ」と言っていたらしい。
余談ですが、私が大学の学生寮にいた時、飲みつけない酒を飲んで暴れてしまいました。布団をかぶせられ、五、六人が押さえつけようとしてもそれをはねのけてしまい、寮の廊下を走り回っていたらしいです。「らしい」というのは、その時私自身は、古代インドの出家者の姿で川のほとりで座禅を組んでいました。ところが、私の修行を邪魔する者がおり、其の者たちに抱えられて川の中に放り込まれたり、水責めのような拷問を受けていた、という記憶しかありません。その時に、「俺は負けんぞ!俺は負けん!」と言っていたように思ったのですが…。現実の所行とはえらい違いですね!翌日、聞いたところでは、「越智さんは『ワ、サイ!ワ、サイ!』とか言っていましたよ。あれってどういう意味ですか?」との事。その時は適当に返事しておきました。「ワッショイ」といってたんじゃないの~とか言って。
「ワ」とは「俺は」、「サイ」とは「負けない」ということでしょうか?そんな言葉は本当にあるのでしょか?日本語に似ているような、似ていないような…。
こんな夢遊病者の意見は置いといて、本論に戻ります。
世界の言語は日本語の源流として始まり、世界の終着駅として日本にやって来る。そんな気がするのです。日本語は、ますます豊かになる、というわけです。
ですから、日本語は本家、世界の言葉は分家です。
日本語の発音は特殊です。本家だからです。こんな特殊で素晴らしい母国語を話す我々日本人は幸せなのです。分家の言葉は、気楽に学んでいこうではありませんか!
(以上、最近、外国語習得に目覚めたトミーによる、強引なこじつけでした)

桜子

No title
私もkurosu yuuko様と同じ考えです。
日本語もおぼつかない内にほとんどの幼稚園が幼児教育と称し、早期に英語教育を行っているのが現状です。
それを否定しているのではありません。

私は教育において、子供が育つ時期、その時期、時期に応じた教育のあり方が必要ではないかと思っています。
我々は日本国に生まれた日本人です。
まず、日本の歴史、文化を学び、日本人としての基礎が出来た上で、諸外国の言語、文化を学ぶことが大切です。
なぜなら、違いが分かってこそ相手の歴史、文化がより鮮明に分かるのではないでしょうか。

他文化を学べる機会は、小学校、中学校、大学とあります。
今本当に幼児教育が求められているのは「躾」です。
戦後教育(日教組)において、人間として日本人として一番大切な基礎が欠落し、現日本に至っています。

全ては教育から始まります、そして子供の成長は待った無しです。
家庭においても、学校においても考え直す時期が来ています。

ふじけん

いつもながらいい記事でした子供のころ悪さをすると、叩かれるよ!と叱られてました 私も父になり同様に叱ると 嫁さんから、私(嫁さん)に叩かれるからやめなさい…という意味に取られ上手く説明できず、往生しました 今回の記事で良く理解できました 次は上手く説明できるかも(^_^ゞ
子供のころ悪さをすると、叩かれるよ!と叱られてました
私も父になり同様に叱ると
嫁さんから、私(嫁さん)に叩かれるからやめなさい…という意味に取られ上手く説明できず、往生しました
今回の記事で良く理解できました
次は上手く説明できるかも(^_^ゞ

詠み人知らず

No title
英語の顔文字のほうが先じゃなかったかな?
IDという雑誌ののタイトルは、初期のころ顔文字になってたはず

kurosu yuuko

No title
最近、幼稚園でも英語教育が熱心です。小さいうちは母国語だけで育つ方が情緒が安定すると言います。言語が脳を育てるのに、まるで質の違う言語を熱心に小さな子供に教えるのはどうかと思います

noname

No title
おっしゃる通りだと思います

言語ってのは一長一短でどの言語が優れているとは言えないのもおっしゃる通りで
ある面で優れていれば、それがまた別の面では欠点にもなる
緊急時に有用な言語もあれば、平時に有用な言語もあるでしょう
学問に優れている言語もあれば、娯楽に優れている言語もある
そんな風に、状況によって優劣は変わると思います

もし言語に優劣があるとするならば、それは悠久の時が証明することで、いくら理屈で考えてもわからないでしょう

話し言葉では、英語と比較した場合、日本語は同じ時間で伝えられる情報量は少ないと思います
吹き替えの映画やカバー曲の歌詞を見ている限り、たぶん半分くらいでしょう
これを劣っているとも言えますが、おかげで気が長くて、言わなくても他人の言いたい事を察してくれる人達が誕生したんですから、住んでる身としてはありがたいことなのかなとも思いますね

たぶん、もともと議論には向いていない言語なんですよ
だからケンカや口論もやりにくい
それでいいんだと俺は思います

はっちょもん

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私の子供の頃には集落で「子供仲間」という組織があり、氏神の年中行事を務めていました。
神社の拝殿で大将が上座に、車座になって年少の子供から順番に発言をするのですが、
「○○さんにいじめられた」と訴えるのです。
むやみにいじめをしていると「おしおき」されるのでけっこう仲良く遊べられました。

最近は少子化で子供仲間はなくなっています。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
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