=======
書店さんでのご注文情報は→コチラ
=======「セイタカアワダチソウ」は、穂先に毒々しい山吹色の花を付けます。
高さは1~2.5メートルほどで、よく肥えた土地だと4メートル近い背丈になることもあります。
そしてあたり一面に群生します。
この「セイタカアワダチソウ」が日本にはいってきたのは、実は戦後のことで、原産地は北米です。
戦後、米軍が持ちこんだ輸入物資にまぎれ込んで日本にやってきました。
「セイタカアワダチソウ」にしてみれば、痩せて乾いた北米大陸の大地で、自分たちが繁殖するためには、他の植物を駆逐し、自分たちだけでも生き残ろうと進化したのは、それはそれでやむを得なかったといえます。
その「セイタカアワダチソウ」が日本にやってきました。
日本は高温多湿です。土壌も肥えています。
「セイタカアワダチソウ」にしてみれば、まさに我が世の春を迎えたようなもので、よく成育し、まさに猛威をふるって日本の古来からある植物たちを駆逐していったわけです。
いまから50年ほど前、この「セイタカアワダチソウ」の強烈な繁殖力に脅威を感じた一部の植物学者さんたちが、この「セイタカアワダチソウ」によって、日本古来の植物体系がまるごと崩れてしまうことを危惧し、さかんに警鐘を発しました。
国にも訴えました。
ところが、政府はまるで動かない。
困ったその植物学者さんたちは、苦肉の策として、未来の子供たちにその意を託そうと、なんと当時少年たちに絶大な人気のあった少年マガジンや少年サンデーの巻頭のカラーページで、「セイタカアワダチソウ」の脅威を紹介し、子供たちに未来を託そうとしました。昭和40年代なかばのことです。
けれど、少年たちに何ができるわけでもありません。
国のお偉いさんになる「できの良い子」は、そもそもマンガ本なんて読まなかったのかもしれません。
日本は良くない国だ。日本なんてオクレタ国だ。日本なんかなくなったほうがいい、などと教わって育った少年少女たちは、大人になっても、なにもその対策をとろうとしませんでした。
結果として国も地方公共団体もまったく動かず、「セイタカアワダチソウ」は、まさに日本列島全域を占領していったのです。
ちょうどバブルの頃、日本列島の秋の景色は、昔の景色から一変したものとなりました。
野山や河川敷には「セイタカアワダチソウ」があふれ、秋を彩ったススキやコスモスやナデシコたちは、ほんの片隅に追いやられ、細々と行きながらえている。そんな状況になりました。
「セイタカアワダチソウ」は、密生して大繁殖します。
それだけでなく、地下50センチくらいまで深々と丈夫な根を張ります。
そして、そこから毒素を吐きます。
毒素は他の植物を枯らし、冒頭に書きましたように、土の中にいるモグラやミミズなど、土地を豊かにしてくれる動物や昆虫たちまでも殺してしまいます。
おかげでセイタカアワダチソウが繁殖したところでは、日本古来の草花だけでなく、モグラやミミズまでいなくなってしまいました。
そしてセイタカアワダチソウは、先端の密集した黄色い花から、大量の種子を四方八方に飛ばしました。
季節がかわって、ようやくセイタカアワダチソウの地上部分が枯れたと思っても、奴らは、地下の根茎から新らしい芽を湯水のように出しながら越冬しました。
そして翌年になると、その地下茎の芽から続々と発芽し、空き地を我が物顔に占拠しました。
そこから飛んで行った種子で、さらに近隣に領土を広げました。
「セイタカアワダチソウ」には、郷に入って郷に従おうとか、他の草花との共生を図ろうなどという意思が、カケラもありません。
自分たちだけが生き残れれば、それで良いのです。
そのために、他の植物がどうなろうと、知ったことではない。
それは、かつて北米に800万人いたインデアンを駆逐してしまった白人文明にも似ていますし、あるいは戦後日本を席巻した反日プロパガンタにも似ているかもしれません。
「秋の七草」といいえば、昔は、萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、尾花(おばな=ススキ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)などを言ったものです。
どれも中間色系のやさしい風情のある花であり、他の植物と仲良く共生してくれていました。
けれど、いつのまにか日本全国の空き地という空き地は、「セイタカアワダチソウ」一色となり、あの毒々しい原色系の黄色い花が席巻してしまいました。
近年までは、秋の七草は、ホームセンターにでも行かなければ、見かけることさえなくなろうとしていたのです。
なでしこ

国は何もしない。
地方の行政も動かない。
野山は「セイタカアワダチソウ」一色に染まって行く。
ところが、実は、私たちの知らないところで、この外来種の「セイタカアワダチソウ」に、戦いを挑んでいた日本古来の植物がありました。
それが「ススキ」です。
ススキ

ススキは日本の古来種です。
日本人は、このススキの穂を家畜用の飼料にし、また、ススキの茎は、とっても丈夫なので屋根に用いたりと、まさに日本人とススキは仲良く暮らし、共生してきました。
昔の民家は、屋根が草で葺(ふ)かれたものですが、草葺き屋根に使われる植物は藁(わら)か、ススキでした。
ススキは、茅(かや、萱)とも呼ばれ、そのススキで葺かれた屋根が茅葺(かやぶき)屋根です。
弥生時代の遺跡、たとえば登呂遺跡などにある竪穴式住居で用いられていた屋根などは、まさにその茅葺き屋根でした。
登呂遺跡の茅葺き屋根の住居(復元)

茅葺(かやぶき)屋根は、ススキの茎を冬場に収穫し、春まで十分乾燥させ、屋根材として用います。
なぜ冬に収穫するかというと、茎に水分が多い状態で屋根に使うとすぐに腐ってしまうからです。
ですから冬になってススキが枯れてから収穫し、春まで乾かして用いました。
この屋根の葺き替え作業には、ものすごくたくさんのススキを使います。
しかも作業はとてもたいへんです。
ですから屋根葺き作業は、村の大人達が共同で作業しました。
この茅葺き屋根というのは、実におもしろいと思うのですが、家の中でカマドや囲炉裏(いろり)を焚くと、その煙で燻(いぶ)されことで耐久性が高まり、しかも虫がつきにくくなります。
まさに生活の知恵です。
そんなことが、いまから少なくとも5000年くらい前から、日本では一般的に行われ、それがつい最近まで続いていたわけです。
ススキは、漢字で書くと「芒(すすき)」、「薄(すすき)」です。
「茅(かや)」とか、「尾花(おばな)」ともいいます。
名前が多いということは、それだけススキが日本人の生活に密着していたことをあらわします。
しかも、もともとススキはイネ科の植物です。
日本は天壌無窮の神勅による稲穂の国と呼ばれ、日本のもとの国名も「豊葦原の瑞穂の国」です。
この瑞穂(みずほ)というのが、稲のことです。
いまでも東京の雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂で編んだミミズク細工が民芸品として売られていたりします。
さて、そのススキは、株が大きくなるのに、けっこう時間がかかります。
ある意味、育ちが遅いのです。
けれど、その分、しっかりとした根(株)を作ります。
そしてススキは、実は、日本の植物生育の中で、最後に繁殖するという性質を持っています。
たとえば、空き地があるとします。
最初の年は、ただの空き地です。
翌年になると、そこに背の低い草花が繁殖を始めます。
そして何年が経つと、空き地が草でぼうぼうになります。
そうして、その空き地が背丈の高い草で、草ぼうぼう状態になった頃、ようやくススキが繁殖を始めます。
そして数年経つと、その空き地は、ススキでいっぱいになる。
ススキは根が深くて群生するので、何年か経つと、地面が湿気を多く持つようになります。
地味が肥えるのです。
そして、地中深くまで地味を肥やし、土地がそうなることによって、そこに今度は樹木が育ちはじめます。
つまり、ススキは、木の成育の前に書かせない植物でもあるわけです。
ススキが群生を始めて何年が経つと、アカマツなどの樹木が生えます。
ススキは、植物生育の最終段階で群生し、地味を肥やして、次の世代の樹木を育ててくれるという性質を持っているのです。
こうして、原野は草原となり、やがて森になって行きます。
森ができると、そこには動物達も住めるようになります。
そんなススキを収穫するために、全国どこの村でも、村の脇に、ススキを繁殖させるススキ畑を持っていました。
これが「茅場(かやば=萱場)」です。
東京証券取引所は、東京都中央区茅場町にあります。
なぜもとの茅場だったところに、日本経済の中心となる東京証券取引所があるのかというと、そこが昔はススキ畑=茅場(かやば)だったことに由来します。
ススキは、荒れ地を開墾し、そこに樹木を育てます。
育った樹木は、何百年もかけて大木に育ちます。
明治のはじめ超がつく貧乏国だった日本は、100年後には世界経済の牽引役となる日本に育つようにと願いをこめて、東京の茅場に、証券取引所をつくりました。
そしてほんとうに東京証券取引所は、世界に冠たる証券取引所に成長してくれました。
そのススキが、戦後、絶滅の危機に晒されたのです。
原因は、「セイタカワダチソウ」です。
ススキの群生地は、いつのまにか「セイタカワダチソウ」にとって変わられ、ススキは、ほんのわずか、「セイタカワダチソウ」が繁殖している片隅に、ようやくちょっとだけ生き残っている、というところまで追いつめられていました。
ところが近年になって、不思議なことがおこりはじめました。
なるほど「セイタカワダチソウ」は、我が物顔に繁殖したのです。
ところが彼らが根から出す毒素が地中に溜まり、こんどは彼ら自身を滅ぼしはじめたのです。
地中深くにあったススキの根は、セイタカワダチソウの出す毒素を体内に取り込みました。
そして毒素を体内で中和し、セイタカワダチソウたちが自滅をはじめたとき、再び地上に芽を出し始めたのです。
そしてススキは生長し、セイタカワダチソウが荒した土地にふたたび栄養を与え、毒素までも中和し、他の日本古来の植物も生育できるように、土地を改良しはじめたのです。
ススキの群生によって、野原にモグラやミミズも、戻って来ました。
スズムシなどの秋の昆虫も帰って来ました。
そして、秋の風物詩の、おみなえしや、なでしこ、コスモスなども帰って来てくれたのです。

自己中で排他的な「セイタカワダチソウ」に覆われていた野山が、ふたたびススキやなでしこなどが共生する、もとの野山に戻りつつあります。
ここまで来るのに、まる68年もかかりました。
けれど確実に、ススキは、日本の野山を取り戻しつつあります。
いま、かつてセイタカワダチソウが大群生していた河川敷や空き地、野山などに、たくさんのススキやコスモスが群生しています。
もとからある日本の草花が、友を呼び、様々な美しい花を野原に咲かせてくれているのです。
いまもまだ、セイタカワダチソウはいます。
けれど、いつのまにかセイタカワダチソウは、ススキやコスモスと共生する日本型の植物に変化しつつあります。
不思議なことです。
========
日本には本来、建国の昔から貴き伝統があり、有難き国風がある。
ロシアの真似も、英国の真似も、アメリカの真似も、すべてそれらは、この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬのである。
その昔、儒教仏教もこれが国風化したときに、はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑み、欧米舶来の新思想もまた、これを国風化して日本開展の一資料たらしむる覚悟がなければならぬのである。
========
この文は、以前ご紹介した
戦前の特高序文にある文章です。
ここに書かれている通り、日本は古来、外国から様々な文化を取り入れ、それを国風化することで、日本という国のカタチを築いてきました。
けれどそれは、日本人だけではなく、もしかするとススキとセイタカアワダチソウのように、日本の植物も、同じように外来生物を取り込み、最後には共生化させてしまってきていたのかもしれません。
そう考えると、なんだか日本て、とてつもなくすごい!って思えます。
いまこれをお読みのあなたが、もし、セイタカアワダチソウの群生する中に、ほんの少々のススキを見かけたら、遠くからでも、ぜひ心の中で、「がんばれよ、ありがとう」と声をかけてあげてください。
ススキは、私たち日本人の仲間なのですから。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。
=======
書店さんでのご注文情報は→コチラ
=======秋の七草
【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

拡散しよう!日本!ねずブロへのカンパのお誘い
ねずブロで感動したら・・・・
よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目 普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com
コメント
-
2013/11/29 編集
やじ
横浜線の長津田→鴨居という所です。
気づけば、セイタカアワダチソウよりもススキの方が元気よく茂っているではありませんか。
ススキが茂っている所では、セイタカアワダチソウの黄色が茶色に近く、元気がない。背も低い。今にも消え入りそうに弱々しいのです。観察して行くと、セイタカアワダチソウのみの場所もあり、そこでは、背も高く、活き活きと鮮やかな黄色の花を咲かせています。
でもその中に、小さなススキが少し生えている所もありました。
いずれはそこも、ススキにとって代わられるのかと思うと、とても嬉しくなりました。
セイタカアワダチソウの猛威は何となくですが、刷り込まれており、とても淋しく思っておりましたが、ねず先生のお話を読ませていただき、実際に目にし、とても未来への希望が湧いてまいりました。
いつも貴重なお話をありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
2013/10/24 URL 編集
日本人に生まれて良かった。
2013/10/22 URL 編集
桜子
やはり、思っていた通りでした(笑)
仕事に行く途中電車のガード下をくぐるのですが、則の部分にやはりセイタカアワダチソウが我がもの顔で蔓延って、その片隅にわずかながらですが、ススキの穂がしなやかに風になびいていました。
何時も気にも留めなかったのですが、今日は違いました。
皆さんと同じで、おもわず「頑張って!」と心のなかで叫びました。
と、同時に何ともススキが哀れに見えてきました。
セイタカアワダチソウ、引き抜くにも根が深く、あまりにも蔓延りすぎましたね。
しかし、これ以上蔓延らせてはなりません。
農薬をまいて枯らす方法もあるでしょう、しかし、それでは繊細なススキも枯れてしまいます。
繊細なだけにダメージが大きいと思います。
一人一人の知恵で、我々の手で、根気よく引き抜くほかありませんね。
それにしてもセイタカアワダチソウ、日本名まで付けてあげたのにですね、、、。
2013/10/20 URL 編集
名無し
その語りは日本人の心の奥に響き自分の弱い気持ちに励ましの言葉を送られたような気分になれます。
これからも我々大和民族に励ましの言葉を送って下さい。
2013/10/20 URL 編集
-
でも大きくなってからマンションが建ち、原っぱはなくなってしまった。
町の発展は喜ぶべきことかもしれないけど少しさびしくもありますね。
2013/10/20 URL 編集
団塊の世代の後輩
2013/10/20 URL 編集
terag3
それにしても今まで、ススキを、ただの観賞用の植物としてだけ見ていた私は、その浅はかさと言うか、無学ぶりを思い知らされました。
そんなに偉かったのですね!今度、見かけたら「がんばれよ、ありがとう」と心の中で声を掛け、手を合わせることにします。
本当に良いお話を有難うございました。
2013/10/20 URL 編集
ねこちん
モノレールから良く見えます。モノレールを利用する方は、覗いてみてください。
浜松町駅に向かって左下です。
2013/10/20 URL 編集
日本に日本人として生まれてよかった
2013/10/20 URL 編集
はっちょもん
河川の堤防は国交省が刈り取ってありましたが国道沿いは放置状態です。
工作放棄地の農場は地権者にお願いし、それ以外の地域を一斉活動で除草しました。
集落の境界から他地域は見事に黄色く染まっています。
福井県の名田庄地域に茅葺き屋根の葺き替え技術伝承保存グループが活動しています。
耕作放棄地で茅の栽培もすすめているようです。
日本の行政は縦割り制度になっていますので、セイタカアワダチソウの除草推奨は環境課からの広報ですが、国交省の管轄地はほとんど除草が出来ていません。
バラバラでは駆逐出来ないでしょう。
2013/10/20 URL 編集
越智富雄
秋になると、近くの空き地はセイタカアワダチソウの大群生。見ていて、あまり気持ちのいい光景ではありませんでした。
ところが数年前から、一面ススキの大群生に様変わりしました。ススキを見ると、なぜか心がなごみます。
昨年、義兄の13回忌法要のため、新居浜から今治までの道中、道端にはススキが連なって生えています。ところどころ、セイタカアワダチソウが顔をのぞかせます。
私は、ねずさんのお話の受け売りで、ススキとセイタカアワダチソウのせめぎ合いのことを申しました。車の運転席から姉は、「本当~?ススキって偉いね~。がんばってもらわないと。ススキ~、がんばれ、がんばれ!」と手を振っていました。ねずさんのお話に感動していたようです。
義兄の未亡人である姉は、原発絶対反対論者で、原発再開などには耳を貸しません。左翼的知識人の話にひきつけられるようです。
でも、このススキの話と、ニホンミツバチの話は、興味を持ってくれました。
地道に、話し続けるしかありません。
ねずさんのご本も、薦めてみます。
2013/10/20 URL 編集