というのは、縄文時代というのは、いまから1万7000年ほど前から始まるのですが、それ以前の石器時代と縄文時代が何が違うのかというと、これはみなさまご存知の通り、縄文土器が使われるようになったことがあげられます。
では、土器が何に使われるかといえば、あたりまえのことですが、食事や煮炊きです。
歴史教科書によっては、縄文時代は狩猟採取生活とのみ説明していて、石器時代との区別が曖昧なものが多いのですが、ただの狩猟採取の生活と、採ってきた肉や野菜や果物を食器を使って煮炊きするようになるということは、まるで状態が異なります。
つまり、魚や貝や肉を採って食べるというだけの狩猟採取生活そのものから、土器を用いて煮炊きする、つまり「調理して食べる」ようになったというところが、実は石器時代から縄文時代への大変化です。
いってみれば、石器時時代から縄文時代への変化は、「食の大革命」であったともいえるわけです。
では、縄文から弥生への変化は何かといえば、これはこのブログで再三、お伝えしている通り、人々が武器を持つ持つようになった。
これまた学校の教科書では、稲作が渡来して、狩猟採取生活から農業生活にはいったように書いていますが、狩猟採取という不安定な食生活の時代から、稲作がはじまって生活が安定し、豊かになったのなら、食器はより贅沢になるのが普通です。けれど弥生時代の土器は、どうみても縄文式土器より装飾性に乏しく貧相です。
しかも縄文時代の遺跡からはまったく発掘されない対人用の大型武器が、弥生時代の遺跡からは続々と発見されています。
喧嘩なんてしたことのない子が、突然何らかの理由で武装しはじめた・・とまあ、そんな話は、また別の稿に譲るとして、そんな中で、実際に発見された縄文時代の加工食品が、あります。
山形県高畠町にある押出(おんだし)遺跡から出土した「クッキー」です。
発見は昭和46(1971)年のことです。
遺跡はいまから5800年前のものであることが確認されました。
ということは、先日ご紹介した縄文の女神よりも、さらに1000年古い遺跡です。
その遺跡から、39棟の家屋跡と大量の縄文式土器、石器、木や石の道具、そしてなんと、炭化した「クッキー」が発見されたのです。
押出遺跡のクッキー
(山形県うきたむ風土記の丘考古資料館所蔵)

このクッキーは、、クリやクルミを砕いて粉末状にし、水にさらしてアクを抜き、それを団子状にまるめて練って、熱を加えて作ったものです。
ものすごく手のこんだもので、山形では同じ製法で再現した「縄文クッキーが」観光土産でも売られています。
これが、実に美味い。
日本人は、5800年もの大昔に、こんなに美味いものを食べていたのか!とあらためて感動します。
そもそも木の実というのは、採った木の実を、木の実の形状のままで保存したら、中の実がどんどん痩せて行ってしまうのです。
ですから、すりつぶして粉末にし、乾燥させて保管するわけです。
ところがドングリなどは、すりつぶしても、そのまま食べも、苦み(アク)強いので美味しくありません。
そこで、乾燥させる前に、水に浸してアクを抜くわけです。
アクが抜けたら乾燥させて、粉末として保存する。
その粉末に、こんどは水を加えて練って、焼く。
おいしいクッキーの出来上がりです。
できたてのホヤホヤは、とっても良い香りがするし、とってもおいしです。
加工することで、ある程度保存できますから、夫の狩りのときの携帯食にも使えます。
夫が食べる保存したクッキーは、冷(さ)めて、多少味が落ちるかもしれません。
では、焼きたては、誰が食べたのでしょう。
お母さんたちが、手間暇かけてクッキーを焼く。
その横で、子供達が大喜びで、焼きたてクッキーに手を伸ばしていたかもしれません。
なんだか縄文時代の集落のそんな光景が、まるで目に浮かぶようです。
さて稲作は、かつては日本には朝鮮半島から渡来したなどという「トンデモ説」が宣伝されていたものですが、実は佐賀県の菜畑遺跡(なばたけいせき)で、2500年前の大規模な灌漑水田跡が発見されたことで、朝鮮半島渡来説は、完全にひっくり返ってしまいました。
なぜなら朝鮮半島で発見されている稲作灌漑農業の水田跡は、朝鮮半島南部の2000年前頃のものしかないのです。
そして同じ頃、同じ場所に、なんと日本式の土器や古墳が出土しています。
ということは、朝鮮半島には日本から文化文明が渡ったのであって、その逆は年代的にもあり得ないことが考古学的に確認さています。
さらに稲そのものの栽培は、いまから約8000年前から6000年前の縄文時代早期〜前期の証拠がみつかっています。
岡山県の朝寝鼻(あさねばな)貝塚や彦崎貝塚で見つかった大量なイネのプラントオパールがそれです。
要するにその頃には、稲作は日本ですでに始まっていた、ということで、さらにこの遺物が8000年前のものであるとすると、朝鮮半島渡来説どころか、支那からの渡来説自体も、怪しくなってきます。
とまあ、このお話をし出すと、お菓子の本題からそれてしまいますので、また稿をあらためたいと思います。
さて、日本国内で米が作られるようになると、その米を発芽させて「もやし」のような状態にし、そこからでんぷんを採取して、水飴(みずあめ)にするという技法が開発されます。
いまでは甘味料に砂糖を使いますが、日本人が一般的に砂糖を使うようになったのは、江戸時代以降のことで、それまでは、こうして作る水飴が、日本の代表的甘味料でした。
この水飴、なんと日本書紀にも登場します。
「初代天皇の神武天皇が戦勝を祈願して水無飴(水飴)を奉納した」と書かれているのです。
もしかしたら、神武天皇も甘党だったのかしらん?などと、私などはついつい不埒なことを考えてしまいます(笑)。
日本のお菓子には、神様もいます。
いかにも八百万の多神教の国らしなあと感じるのですが、その神様は「田道間守(たじまもり)」といって、お菓子の縁起の神社に祀られています。
田道間守は第11代垂仁天皇の時代(紀元前70年頃)に生きていた方で、垂仁天皇の病を治すため、不老不死の菓子を求めて「常世の国(とこよのくに)」まで旅だち、艱難辛苦の末、9年後に日本に帰国されました。
けれど、このときすでに垂仁天皇は亡くなってしまわれているわけです。
嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の御陵に詣でて、帰国が遅れたことをお詫びし、約束を果たしたことを報告されました。
そして持ち帰った菓子を墓前に捧げ、その場で何日も絶食して、殉死を遂げられました。
ちなみに「常世の国」というのは、いまでいうブータンやチベットのあたりです。
そんな遠くまで、いまから2700年も前に、はるばる日本人はでかけていっていたのかぁ、などと感心してはいけません。
もっとずっと古い時代の魏志倭人伝には、日本人は南米まで出かけていたようなことが書いてある。
さて、時代が下って奈良時代になると、734年の「淡路国正税帳(正倉院所蔵)」に、お餅のお菓子(大豆餅、小豆餅など)や、せんべい、あんこ餅などが登場します。
平安時代になると、あの「源氏物語」に、「椿もち」なんてのが出て来ます。
鎌倉時代になると、臨済宗の開祖の栄西禅師が、唐から茶を持ち帰り、やがてこれが「茶の湯」となって全国に流行するのですが、苦いお茶の「あたり」として、甘いお菓子が大流行しました。
芋ようかんなどが登場したのが、この時代です。
そうして江戸時代。
平和な社会の中で、庶民文化が花開いた江戸時代には、まさに職人芸としての和菓子が大ブレイクしました。
なかでも京都の「京菓子」と、江戸の「上菓子」は、宿命のライバルといわれ、さまざまな種類の和菓子が誕生していきました。
そしてこの時代に織り込まれたのが、和菓子の繊細な季節感です。
たとえば、「きんとん」です。
お正月には「きんとん」は、白と緑のきんとんを配します。
これは雪の下から新芽が萌え出る様子を表わしたものです。
これが梅の頃になると、赤と白の梅の花となり、11月には、茶色に白い粉糖が振りかけられて「初霜」となります。
中味はおなじ「きんとん」ですが、その見せ方を変えることで、味わいだけでなく、見た目にも風情をもたらしているわけです。
そういえば江戸時代、幕府も、お菓子の行事をおこなっていました。
それが毎年6月16日の「嘉祥の日」で、全、お目見え以上の武士(直参旗本)が江戸城大広間に集められ、将軍から和菓子をいただくわけです。
この行事は、平安中期の承和年間に国内に疫病が蔓延したときに、仁明天皇が年号を嘉祥と改め、その元年(848年)の6月16日に、16個の菓子や餅を神前に供えて、疾病よけと健康招福を祈ったという故事に倣ったものです。
だから6月16日は、いまでも「和菓子の日」です。
10月から11月にかけてでは、毎年、明治神宮で、和菓子の奉献会が催されます。
この日は、全国から銘菓が奉献されるだけでなく、平安時代の衣装を身にまとった和菓子職人さんが、神前で直接菓子をこしらえて、奉献します。
お菓子を食べたり楽しんだりするだけでなく、お菓子そのものに感謝する。
そのための行事です。
こういうところが、実に日本的だなあと思います。
さて、おしまいに、近年のお話をします。
平成14(2002)年のことです。
参議院議員の中山恭子先生が、拉致被害者の救出に北朝鮮に行かれました。
恭子先生は手みやげにと、ハンドバックの中に、横田早紀江さん(拉致被害者横田めぐみさんの母)が書いた「めぐみ」という本に加えて、二段重ねのお重に入れた和菓子を持参されました。
北朝鮮に到着した恭子先生は、被害者のみなさんをお待ちするために空港の待ち合いの、ずいぶんと広い部屋に通されました。
そこには、北朝鮮の警護員たちが、ずらりと立ち並んでいます。
警護員といえば聞こえはいいですが、要するに北朝鮮の秘密警察の、もっとひらたくいえば殺し屋さんたちです。
場は、一触即発のような張りつめた空気がピンと漂っています。
どうみても、歓迎ムードとはほど遠い。
いまにも銃撃戦が始まりそうな雰囲気と言ったら、その雰囲気がおわかりいただけるでしょうか。
そこで恭子先生、いつものあのおっとりとした様子で、持参した和菓子のお重の風呂敷包みを解いたのだそうです。
「何を持ち出すのか!」
あたりに緊張がはしります。
するとその風呂敷包みから、漆塗りの黒い重箱が現れる。
「すわっ、拳銃を取り出すのか!」と、あたりには、ますます緊張が走ります。
恭子先生がそっとフタを開けます。
するとそこには、いかにもおいしそうな和菓子のきれいな生菓子が。。。
先生は、その和菓子を、警護員の人たちに、「どうぞ」とお勧めしました。
はじめは警戒していた警護員さんたちだったのですが、恭子先生の悪意のない素直な笑顔に誘われて、まずリーダー格の人が、ひとつをつまんで口に入れました。
なにせ、日本の名店の和菓子です。見た目も美しければ、味も超一流です。
甘いおいしさが、そのリーダーさんのお口いっぱいにひろがったことでしょう。
いかつい北の警護員リーダーさんの目に、いかにも嬉しそうな、えもいわれぬ表情が浮かび上がります。
そのあとは・・・ご想像におまかせします。
恭子先生は、無事拉致被害者を救出し、日本に帰られました。
その恭子先生のもとに、北朝鮮の方がやってこられたそうです。
彼らは言いました。
「二度と和菓子を持ってこないでください!」
訓練を受けた北の警護員たちをさえ、その頑(かたくな)な心を一瞬で溶かしてしまった和菓子。
和菓子には、そんな不思議さがあります。
そういえば、和菓子に合うのはやっぱり緑茶ですね。
なんとなく不思議に思うのですが、ケーキやカステラなどの洋菓子は、テレビを観ながら食べても美味しいけれど、和菓子はテレビがついていると、なんとなくせっかくの和菓子の味がもったいないような気がします。
和菓子の味の持つ繊細さや見目の美しさは、テレビを見ながらではない、なにかしらの「味わい」があるからなのかもしれません。
それにしても、見目うるわしく繊細で、食べておいしく、季節感さえもある日本の職人芸の和菓子。
たまには、しぶ~いお茶で、おいしい和菓子など、おひとついかが?

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コメント
マジカルアイ
和菓子を問わず、日本料理というものは、一皿で日本の四季を表現し、地域により郷土の違いを表現できるすばらしいものだと思います。
昨日のすすきとセイタカアワダチソウの話のように、世間では後から入ってきた洋菓子に席巻されていますが、その洋菓子やパンの世界では今や日本人の職人さんたちが、世界のコンクールを総なめにされておられます。やはり日本人の学び取る力と技術力はあらゆる分野で世界一なんですね。
日本人を誇りに思います。
2013/10/22 URL 編集
NHK BS
毎週火曜 午後7時30分~8時
10月22日(火)
午後7時30分~午後8時00分
「幻の殿様スイーツ~島根 松江の和菓子~」
今回は、京都や金沢とならぶ日本有数の菓子どころ、島根県松江市の「和菓子」。茶人でもあった松江藩の殿様が愛した菓子が、今も町を代表する甘味として人々に親しまれている。番組は、殿様がまつられている神社に献上する、新作の和菓子作りに密着。老舗菓子店の職人たちは、殿様が愛した幻の菓子をよみがえらせるべく製作を開始。“時雨もち”という言葉のみを手がかりに、新たなイッピンを生み出していく。
【リポーター】田中美里,【語り】平野義和
番組HP以下
http://www4.nhk.or.jp/ippin/
2013/10/21 URL 編集
hehehe
フィリピン家族の還付金
奥様がフィリピン人だと税金が5年分戻ります!
http://www.hoshusokuhou.com/archives/33307336.html
2013/10/21 URL 編集
にっぽんじん
かって、日本社会党委員長が毛沢東主席に先の戦争を謝罪した際に、毛主席は「中国共産党が勝利出来たのは日本軍のお陰であった。謝罪する必要はない」と言っています。
日中国交正常化の際にも田中角栄首相に同じことを言っています。毛沢東主席は日本軍に感謝しているのです。
韓国はどうでしょうか。大東亜戦争時には日本に統治され、日本人としてアメリカと闘っていました。戦争がなければ今も日本の統治が続いたかも知れません。戦争があったから独立できたのです。
韓国は戦争を起こしたA級戦犯達に感謝しなければいけません。「あなたがたのお陰で独立できました」と。
安倍首相には摺主席と朴大統領に呼びかけて欲しいものです。「一緒に参拝しませんか」と。
2013/10/21 URL 編集
junn
http://melma.com/backnumber_100557_5704327/
◆石井望・長崎純心大学准教授が中国・台湾の歴史的根拠を徹底論駁![2012/12/9]
http://melma.com/backnumber_100557_5716181/
◆石井望・長崎純心大准教授がまたもや中国の主張を覆す記述を明らかに![2013/1/22]
http://melma.com/backnumber_100557_5744138/
2013/10/21 URL 編集
博多のおばぁ
2013/10/21 URL 編集
ポッポ
甘さの方向が洋菓子ですと、どうしてもクリームに頼るような気がします。和菓子ですと、これが小豆になるのかも知れませんが、日本人に向いていると思います。
それともう一つ、栃餅は昔からのお菓子の形を残していると思います。
民主党の予算委員会の質問を聞いていますと、病気の予防を重視しているようなことを言います。(先日も肺炎のワクチンの接種についていました。)
今年の春先に森雅子大臣は女性の健康を守るため、女性手帳の導入を図ろうとしたところ民主党の猛反対で取りやめになりました。
その前に民主党の主導によって導入された子宮頸がんワクチンは、4月から定期接種が始まりましたが副作用による患者が多数発生したため、6月には摂取は中止されました。今後は、多数の患者さんの痛みをいつまでに取り除くことができるのかが、課題になるでしょう。
諸外国は12歳から摂取をしているからと、何も考えずに同じことを進めたら、数百人の副作用の患者を作ってしまった。これが20歳か18歳頃からであったら、同じ結果にはならなかったと思います。
こんなことなら、女性手帳を実施していた方が、女性が子供を欲しくなったときや妊娠したときには役に立っていたでしょう。
2013/10/21 URL 編集
book
菅野 瑞治也 (著)
内容紹介
驚くべき事にドイツでは今日でも、真剣を用いた決闘が学生の間で行われている。
ドイツ留学時学生結社に誘われ、そこで決闘を経験した著者。ゲルマンエリートを作り出す決闘文化の実態を本邦初公開。
「真剣による決闘で人間としての勇気と誇りを
自他共に証明しようという気概を今日も失わないドイツ!
かたや、数センチの刃物すら"危ない“と、遠ざけようとする現代日本!
その差に溜息が出た」
甲野善紀(武術研究者)
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ドイツ著名人決闘経験者
・ ゲーテ ( 1749年 ~ 1832年 )
・ マルクス
・ ニーチェ
・ 宰相ビスマルク ( 1年半の間に25回 )
・ 皇帝ヴェルヘルム2世
・ 詩人ハイネ
・ 医師、博物学者 シーボルト ( 江戸末期来日。 7年間日本に滞在 )
・ シューマン
・ シューベルト
・ ワーグナー
・ ダイムラー・ベンツ社創業者 ダイムラー
・ 車両技師 ポルシェ
・ アルツハイマー病発見者 アルツハイマー
http://ameblo.jp/adamutorope/entry-11645256913.html
2013/10/21 URL 編集
-
2013/10/21 URL 編集
みかん
こんな女性が我が国の総理大臣の奥様だったら・・
と願わずにはおれません。
2013/10/21 URL 編集
団塊の世代の後輩
2013/10/21 URL 編集
越智富雄
しかし、近藤勇に困った問題が起きます。幕府の呼びかけに応じ、浪士組として上京する時のことです。「京は都だから、大福などという下賤なものは置いてないかもしれぬ。どうしたものか?」
しかし、上京してみて、近藤は安心します。「京都には、京菓子(和菓子)というものがある!大いに助かった!」と地元に手紙を出しています。
何か、微笑ましい感じがしますね。
酒も、余りたしなまなかったようで、「酒の上で新選組が暴れた」という場面には、余り関わっていなかったようです。
今、私が思うことは、上の者が余り高潔だと、下の者が「疲れる」ということです。窮屈ですよね。
ヒトラーも、余りに「高潔」過ぎた。妻帯せず、贅沢にふけらず、給料すら返納していたのですから!ドイツ国民は窮屈だったと思いますよ!
ヒトラーも、酒はたしなまなかった。飲めなかったわけではありません。体調管理のため、アルコールをやめた。肉もほとんど食べなかった。菜食だったのです。
専属の料理人も、腕の振るいようがない!ヒトラーの食べるものと言えば、甘いスポンジケーキのような、女子供の食べるようなものばかり!
ちなみに、この料理人の婦人は、後にナチスのユダヤ人法に引っかかり、収容所送りが妥当とされたのですが、ヒトラーは彼女を擁護しました。このご婦人の家族を国外退去とし、安全に送り届けたのです。
ヒトラーは、ユダヤ人絶滅など、考えていなかったのです。
近藤勇の京菓子(和菓子)好きの話題から、脱線してしまいました。
今日のお話は「和菓子のお話」ですが、日本人は、洋菓子もすごい!
幕末と言えば坂本龍馬、坂本龍馬と言えば海援隊、ですが、海援隊はカステラの製造に苦心したと聞きます。
そのカステラも、日本人が改良に改良を重ねた現在のカステラ製造を、本国のカステラ職人が学びに来ているそうです。
日本人は、すごい!
日本人は、物事の完成、発展、大成する能力に優れている!
21世紀は、日本人がリーダーになる時代。がんばりましょう!でも、上に述べたように、上の者が、余り高潔だと、下の者が窮屈になります。ほどほどにくだけて、遊び心を忘れずに。
大将は器を大きく、懐を広く、深く。日本人一人一人が大将です。
海援隊(武田鉄矢さんの)の歌にあるではないですか、「あんたが大将!」と。
「お山の大将」ではいけませんよ。本物の大将になりましょう!
2013/10/21 URL 編集
junn
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/449.html
2013/10/21 URL 編集
junn
http://hitorigoto-kokoro.blogspot.jp/2013/10/blog-post_21.html
2013/10/21 URL 編集