志士

■ねずマガ有料版のお申込はココをクリック
■ねずさんの本の新刊案内はココをクリック

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

大塩平八郎
大塩平八郎2-1


大塩平八郎の乱というのは、江戸時代の天保8(1837)年に起こった事件です。
旗本が出兵した戦いとしては島原の乱以来、なんと200年ぶりの大騒動となった事件です。

この乱は、時期的には、よく江戸の時代劇の人情ものなどで描かれる文化文政時代のすこし後の時代での出来事です。
ペリーが浦賀にやってくるのが、この乱の16年後、明治維新が31年後です。

大塩平八郎は、大坂の東町奉行所の与力だった人です。
江戸の町奉行は、遠山の金さんの北町奉行と、大岡越前守で有名な南町奉行所で、南北2つの奉行所が月ごとに臨番していましたが、これが大坂では「東町奉行所」と「西町奉行所」が交替で勤務に就いていました。

東西の奉行所には、それぞれ30人の与力、50人の同心がいましたが、その多くはいまでいう税務署みたいな徴税の方の仕事をしていて、いわゆる定町廻りと呼ばれる犯罪担当、つまりいまでいうところの警察官に相当する人は、時期によっても異なりますが、だいたい1〜2名の与力と、3〜6名の同心がこれにあたっていました。
大坂町奉行の管轄エリアは、摂津・河内・和泉・播磨の4カ国に及びましたから、逆にいうとどれだけ当時の治安が良かったかということでもあろうかと思います。

=======

書店さんでのご注文情報はコチラ

=======


ちなみに、いま、与力も同心も「〜名」と書きましたが、本当は与力は「騎」、同心は「人」と数えます。
ですから、たとえば「与力3騎、同心5人」などと読んだわけです。
要するに与力は、馬に乗れる分だけ身分が高かったわけです。

ただ、そうは言っても、大坂町奉行の与力は、江戸の与力と比べると、俸禄はかなり低くて、蔵米30石取りといいますから、だいたい今の相場にして、500万円くらいの年収です。
ただし、騎馬武者である以上、その年収で、戦のときに同行させる足軽ひとりを常時雇っていなければなりませんし、その他、家人を2名ほど、つまり家族以外に2名を養わなければなりませんから、本人の取り分でいったなら、だいたい年収100万円くらいの生活です。
それで家族を養い、子を養ったわけですから、商業都市大坂の街中にあっては、収入という面においては、一般の町民よりも、むしろ所得は低かったというのが実際のところです。

そういう苦しい生活をしながらも、大塩平八郎は、隠居して家督を養子の格之助ったあと、奉行所に対して民衆の救援を提言したときに、これを拒否され、やむなく自分の家にあった代々の蔵書五万冊を全て売却して、民衆の救済資金に充てたりしているのですから、実にたいしたものです。

ちなみに、どうしてこのとき大塩平八郎が、自分の家の蔵書まで処分して民衆の救済に充てたかと言うと、ここには凶作による飢饉と、将軍家の相続の問題が絡んでいます。

大塩平八郎が乱を起こしたのは天保8年のことですが、実はその4年前から、全国的な冷夏による凶作が続いていました。
時を同じくして、50年続いた11代将軍徳川家斉の治政にかわって、徳川家慶が12代将軍に就任します。

ここですこし説明が必要です。
家斉の治政というのは、いわゆる化政時代と呼ばれた、文化文政の時代で、家斉がわりと派手好みな将軍でもあったことから、まさに江戸文化、町民文化が花咲いた時代となりました。
おかげで、安藤広重とか歌舞伎とか、歌麿、北斎など、まさに江戸時代を代表する庶民文化がおおいに発展したわけですが、ところが本来徳川政権というのは、農本主義政権です。
その農本主義政権が、貨幣経済主義に走ったわけですから、農家が疲弊してしまったのです。

どういうことかというと、貨幣経済は、一産業より、二次産業、三次産業を発展させます。
なぜなら、農本主義のもとでは、農家も、武家も、農作物が育った分しか収入がありませんが、都会人は、生産さえた農作物を右から左に動かすだけで、大金が転がり込んでくるわけです。

こうなると、相対的に農家や武家の家計はきびしくなるわけで、貧富の差も激しくなる。
そういうことに、神様もお怒りになったのでしょうか。
まさに天譴(てんけん)というのでしょうか、文政4(1821)年3月には蔵王山が大噴火を起こし、その噴煙が全国を覆って冷夏を招き、農作物を大凶作にしてしまったのです。

さらに文政7(1824)年には、大洪水、翌文政8年は大凶作、翌天保9年には仙台藩で大飢饉が起こり約20万人が餓死するという事態まで起こり、文政13(1830)年には、再び蔵王山が大噴火したわけです。
噴煙が日本中の空を覆い、貨幣経済によって疲弊した農村部は、肝心の農作物そのものが採れなくなるという事態になり、全国的に大飢饉に襲われる。

そして時代は文政から天保年間へと変わるのだけれど、天保4年から5年にかけてと、天保7年から8年夏にかけて、ふたたび冷夏による大凶作が襲い、都市部でも、餓死者が出るほどの厳しい世の中となっていたわけです。

そんななかにあって、大坂町奉行所では、天保4〜5年の飢饉のときには、大阪西町奉行が陽明学者でもある大塩平八郎を顧問として厚遇し、平八郎の意見を取り入れてお蔵米の供出などをして、大坂の市民の飢饉を救ったりするだけれど、天保7年のときには、平八郎はすでに隠居、大坂町奉行も、幕府中央から派遣された、水野忠邦の実弟、跡部良弼(あとべよしすけ)が、町奉行に就任しています。

その跡部良弼が赴任中に、将軍の交代劇と飢饉という二つの出来事が同時に起きたわけです。
跡部にしてみれば、飢えに苦しむ大坂の民衆よりも、一日も早く、そんな大坂を離れて、中央政界に復帰したい。

跡部は天保7年に東町奉行に就任したのですが、大坂市中や近在の米の値段が暴騰するのをしり目に、「将軍交代の準備米」という名目で、せっせと米を買付け、江戸に回していたわけです。
これには江戸の幕府は大喜びです。
なにせ凶作で米がない。
そこに大坂から、大量の米が送られて来るわけです。
「なるほど、跡部はよくやっている」てなことになる。

一方、大坂の米商人たちも、跡部の行動はありがたい。
米がなかなか手に入らず、いくら高値になっても、言い値で米を買い漁ってくれるわけです。
これには大坂商人も、大儲けができる。

江戸の幕府も喜び、大坂の商人たちも喜ぶ。
これで天下晴れて万々歳となれば良いのですが、世の中というのは、富も食い物も、一つのパイの奪い合いです。
一部の人たちが富を独占すれば、他の多くの人たちが、たいへんなことになる。

ただでさえ続く凶作で米が不足しているのです。
そんななかで、米の大量買付が行われればどうなるか。
米は不足し、値段は吊り上がる。あたりまえのことです。
民衆は、飢えてシネといわんばかりの状態に陥ってしまう。

大塩平八郎は、民のためにこそ武士はあるという哲学を生涯実践した人です。
いまでこそ隠居の身ではあるものの、元をたどせば、大阪町奉行所目付役筆頭与力、地方役与力筆頭、盗賊役筆頭与力・唐物取締役筆頭与力・諸御用調役という、ものすごい経歴の持ち主です。
そしてそのすべてが、大塩平八郎の誠実な生き方によってもたらされたものです。

隠居して現役を引退したあとも、平八郎は市中で陽明学を教える私塾を経営しており、生徒たちからもたいへんに慕われています。
実績もある。家柄も正しい。人柄はまじめ一筋。時にカタスギルきらいはあるけれど、その誠実さは誰もが認める人格者です。
そしてその人格者の前には、飢えた両親のもとから通って来る、お腹を空かせたかわいい生徒達がいる。

大塩平八郎は、天保4年の飢饉を救った経験をもとに、天保8年の飢饉について、その具体的「飢饉救済策」を起案し、それを何度も町奉行である跡部に献言しました。

ところが跡部の関心は、中央への復帰です。
まさにいまこそ大量の米を江戸に送り、新将軍のもとで新たなポストをと虎視眈々と狙って運動しているわけです。
欲が絡んでいますから、大坂の田舎与力の、しかも隠居した平八郎の意見書など、そもそもまるで聞く耳を持ちません。
大塩平八郎は、「与力の隠居ふぜいが身分をわきまえない事をしつこく言うのならのなら、お前を牢屋にぶち込むぞ」とまで言われてしまいます。

多くの立派な武士がいたなかで、こうした跡部のような自己中人間がいたという事実は、たいへんにかなしい現実です。
この跡部良弼は、大塩平八郎の乱という大乱をひき起こしながらも、その後、順調に出世し、最後は若年寄まで出世して、70歳の天寿をまっとうしています。

人の世の矛盾といってしまえばそれまでですが、ただ唯一の救いは、さすがの若年寄(いまで言ったら、大会社の常務取締役くらいのポスト)職も、器量にあわないことがたちまちバレてわずか7日で免職になっていることかもしれません。

日本人は、たいへん職務に誠実な人種です。
組織の中にあって、自らの分をわきまえ、たとえば営業部や製造部に所属していれば、現場第一、営業ならお客様第一、製造部なら職務の製造第一で、普段から頭の中は仕事そのものに8割9割占領されています。

ところが、本社スタッフなどによくわるパターンですが、権力と出世欲に取り憑かれた人というのは、頭の中が、権力や出世や、社内の人間関係や上司との人間関係だけが頭の中の8割9割を占めています。
現場のことや仕事のことには、1〜2割くらいしか関心がない。
ある意味、全精力をそちらに傾けていますから、出世もするし人間関係も上手かもしれません。
そういことが仕事と思っていますから、仕事そのものはまるでダメ、だから現場に出してもまるで使いものにならないというケースは、どこの会社組織でも、よくみかけることです。

さて、大塩平八郎の建言書あっても、江戸送りの米の買付を止めない跡部奉行のおかげで、その間にも大坂の米の値段は、6〜7倍にも跳ね上がってしまいました。
いまなら、お米はだいたい5kgが2〜3千円で買えますが、これが同じ5kgが2〜3ヶ月で2万円に跳ね上がったと考えてみてください。

庶民の生活がいかに圧迫されることになったか。
道端で物乞いをしても、この飢饉では物を恵んでくれる人もなく、餓死する人は大阪で一冬で5千人に達したといいます。

それでも市民たちは、必死にその日その日の食料を得るために、五合・一升というわずかな米を、どこからかやっとの思いで手に入れるのですが、それは闇米だ、規則違反だ、と目明かしや岡っ引きたちが、没収してしまうものだから、庶民はますます生活が苦しくなる。

そんななかにあって、甲斐一国騒動、三河加茂一揆など、全国各地で、一揆や打ち壊しの騒動がひき起こされたというウワサが大坂にも伝わってきます。
いわゆる農村地帯で起こる一揆と、大坂のような大都市で起きる一揆では、大違いです。
万一大坂一揆などが起これば、大坂の町は、たちまち火の海になりかねない。

大塩平八郎は、「このままでは、大坂でも一揆や騒動が起こる」と、重ねて跡部奉行に訴えるのですが、やはり跡部はいっこうに耳を傾けません。
そりゃあそうです。
跡部奉行が会う町人は、大坂の豪商たちです。
みんなお金にも生活にも余裕があるし、豪商たちにとっては、跡部は言い値の高値で米を買い取ってくれる良い商売相手です。
まさに儲けを運んできてくれる神様みたいな存在なのであって、民の苦渋など、跡部の耳に入れません。

つまり、実際に苦しい生活の塾生たちを見ている隠居した大塩平八郎と、大金持ちの豪商たちとつるんでいる跡部奉行とでは、同じ飢饉でも、見えている現実が180度違うのです。

奸吏糾弾の事件後、また再び与力たちは不正に走り、四ヶ所の役人たちものさばり出し、しかも今回は町奉行までもが、飢饉の救済もせず江戸の水野のほうばかり向いている。もう、これ以上は無理だ。待っていられない。

大塩平八郎は、翌天保八年(1837年)の正月、有名な『檄文』を作成します。
この時代の、これがまたおもしろいところですが、こうした文書が、あっという間に版画の手法で筆字のまま印刷され、一定の流通ルートに乗って、大量にバラまかれたりするわけです。

その檄文です。
いつものように、現代語訳してみます。

==========
大塩平八郎・檄文(口語)の冒頭

天から下された村々の貧しき農民にまで、この檄文を贈る。
天下の民が生前に困窮するようではその国は滅びる。
政治に当る器でない小人どもに国を治めさせば災害が並び起る。
このことは昔の聖人が深く天下後世の君臣に教戒したことである。
(中略)
この頃米価はますます値上がりしている。
大坂の奉行・諸役人は庶民に対するいつくしみを忘れ、勝手な政治をしている。
その上わがままな命令を何度も出し、市内の悪徳高利貸しや大商人だけを大切にしている。
私たちは、もう堪忍袋の緒が切れた。
天下のため、罪が一族縁者におよぶ事もかえりみず、有志と相談し、庶民を苦しめている諸役人を攻め討ち、おごりたかぶる悪徳町人や金持ちを成敗する。
生活に困っている者は、大坂で騒動が起こったと聞いたなら、いくら遠くても、一刻もはやく大坂へ駆けつけてくれ。
その者たちの貯えていた金銀や隠しておいた米を皆に配分する。
(以下略)
===========

大塩平八郎は、2月18日に、書き溜めた数々の書類を木箱にいれ、直接幕府に届くよう江戸向けの飛脚に託すと、翌2月19日朝8時に、大阪の町で決起しました。

この乱は、裏切り者の事前の密告によって、決起の日時から、その計画の詳細まで、事前に奉行所に洩れてしまいます。
奉行所では、奉行所の手勢に加えて、大坂に屋敷を置く諸藩にまで呼びかけて、平八郎たちの決起と同時にこれを鎮圧すべく、待ち構えます。

当然、奉行の跡部良弼も、馬上で手勢を率いて、事件現場に待機する。
決起と同時に、事が露見したことを知った大塩平八郎は、やむなく大砲をぶっ放します。
この音に驚いた跡部は、びっくりして落馬してしまうという情けない姿を晒しています。

乱れた奉行所の手勢に対し、大塩平八郎らは果敢に闘い、結果、事件は、大坂の町の5分の1が破壊されるという大惨事となりました。
けれど、乱は鎮圧され、大塩平八郎は、乱の約一ヶ月後、市中に潜伏しているところを発見され、役人に囲まれる中、養子の格之助と共に短刀で自害し、火薬で自らの五体を爆破して散っています。
享年45歳でした。

しかし、大塩平八郎の純真な思いは、その『檄文』によって、人ずてに全国にひろがり、文に刺激された国学者・生田万(いくたよろず)が、遠く越後(新潟)・柏崎で発起したり、大塩門弟と名乗る人物が摂津・能勢で兵を挙げたりといった事件が各地で起きるようになります。

徳川幕府にとっては、大塩平八郎は、たいへんな反逆人です。
幕府は、事件後必死になってあることないこと平八郎の悪い噂を流し続けました。
けれど大坂市中の町民も、農民も、そのような中傷はガンと跳ね除け、「自分たちのために自身を犠牲にしてくれた大恩人」という気持ちを強く持ち、平八郎の『檄文』をひそかに隠し持って、永く手習いの手本にしたと言います。

そして「檄文」を通じた平八郎の心は、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山らに受け継がれ、その炎は、明治維新へと受け継がれる。

☆檄文の全文をご覧になりたい方は、↓にあります。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/jpn/oshio/geki.html

日本社会は、古来、天皇のもとに君臣が一体となって、民のしあわせこそ国の幸せとしてきた国です。
けれど、やはりその時代時代で、権力を嵩にきて自己の利を貪り、民の幸せよりも自己の都合や自身の栄達を優先する馬鹿者が、世の中にはいたというのも事実です。
そういう馬鹿者は、もちろん今の世の中にもいます。

なるほど大塩平八郎は、死んでしまいましたし、一時的には、跡部が良い思いをする時代になったかもしれません。
けれど、八百万の神々のお計らいというのは、到底人智には計り知れないものがあります。
長い目でみれば、跡部どころが、そういう馬鹿者を政権中枢に入れた間違いが、結果として幕府そのものを滅ぼし、明治新政府の登場となったし、大塩平八郎の檄文は、全国の志士達の心を奮い立たせました。

人の死というものには、2つあります。
肉体の死と、精神の死です。
精神の死というは、人々から忘れ去られる死です。
大塩平八郎の肉体は滅びました。
けれど、大塩平八郎の精神は、多くの人々に受け継がれ、幕末の一大政権交代劇へと発展した。
つまり、彼は結果として、「国を動かした」ことになります。

肉体の生死のみが生死ではない。
精神は生き続けるのだという、これが日本人の生き方のひとつの典型であろうと思います。

慰安婦問題や、竹島、尖閣問題等、周辺国からの圧力が気になりますが、最大の敵は本能寺にあり。
日本国内に巣食う自己中の売国屋たちを、一日もはやく駆逐できる世の中にしたいものです。
戦いは、すでにはじまっています。

そしていま、戦おうと立ち上がった人たちは、個の利益のために、それをやろうとしている人は、実は誰もいない。
みんな、国想う心から立ち上がっています。
古来、それを「志士」といいます。
いま、これをお読みの皆様が、まさに「志士」です。


※この記事は、2008年12月の記事を再編集したものです。

人気ブログランキング
 ↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。

=======

書店さんでのご注文情報はコチラ

=======


嫌日家から親日家へ


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
日本の心を伝える会 日心会
拡散しよう!日本!


ねずブロへのカンパのお誘い
ねずブロで感動したら・・・・
よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目  普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

 

No title
ねずさんのおっしゃるとおりです。
大塩平八郎と救民の旗印、全国の同心した志士たちによる大音声の大塩門弟の名乗り呼ばわりは義務教育段階ですら全国の児童が知るところで、昔は道徳でも大塩平八郎の事績が授業されていたように思います。一方で跡部良弼なるどうしようもない卑小な鼠賊のことはお恥ずかしながら毫も耳にしたことはありませんでした。おそらくは世の大半の人々もそうではないでしょうか。このあまりに大きすぎる懸隔がそのまま両者の人としてのあり方そのものと見受けることができるように思いますのもあながちに穿ちすぎた見方でしょうか。

愛信

比例代表訴訟:最高裁、昨年の衆院比例は「合憲」
比例代表訴訟:最高裁、昨年の衆院比例は「合憲」
http://senkyo.mainichi.jp/news/20131102k0000m040049000c.html

比例は判例に則って「合憲」の判決、小選挙区は20に判決が出ます。

詳細は
【新党勝手連の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/ktr.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

反日サヨク敗走

反日コリアンを許すな!

【ヤフー意識調査】■天皇陛下に手紙を渡した山本太郎氏の行為をどう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/10267/result

合計:447,868票 実施期間:2013年10月31日~2013年11月10日

支持する → 49,383票
11.0%

支持しない → 373,043票
83.3%

どちらともいえない → 25,422票
5.7%

団塊の世代の後輩

No title
ただただ偉大なる先人に合掌するしかありません。その無念さを次の世代が払う、正義に生きた偉人の遺志を引き継ごう・・姑息な売国奴どもは滅ぶべし!!!

junn

No title
恐るべし!近親婚の国

http://ryotaroneko.ti-da.net/e3614730.html

kuma

情けない現代人
お疲れ様です。
大塩平八郎の檄文の最初の下りは現代の世相にそのままあてはまりますね。
国を治める器量も気概もない政治屋風情と目先の利益しか考えない商人どもが世の中を動かしているのです。
さらに在日というとんでもない毒物が支配層に加わり、庶民は泣きの涙で暮らしています。
とどめの一発は来年の消費税大幅アップです。
自ら行動を起こした大塩平八郎に比べ現代人のなんと情けないことか(もちろん自分も含め)、このまま搾取され続けて一生を終えるのでしょうね。

ポッポ

No title
江戸時代というのは、本当に治安がよかったのだと思います。
わずか5名程度で、天下の台所である大阪の町民が、安心して暮らせたのですから、素晴らしいとしか言えないです。

それに較べると、現代の治安の悪さは酷いものです。
大都市圏の強盗、窃盗から万引きは数知れず、地方のお寺の仏像までが盗まれ、外国へ持って行かれます。



ところで、朝鮮進駐軍は知っていましたが、朝鮮国連軍は知りませんでした。

概要は、朝鮮国連軍とは、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定の発効を受けて、朝鮮戦争で韓国を支援するために派遣された16カ国の軍隊を指し、派遣は国連安全保障理事会の決議に基づくものです。指揮権は米国に付与され「国連軍」と呼ばれているが、国連憲章42条、43条に基づく正規の国連軍ではなく、実態は多国籍軍に近いものです。
また、国連軍地位協定は、日本政府が国内で様々な便宜を図ることを受けて協定で、具体的には(1)国有財産の使用料を徴収しない、(2)国連軍の公務に関する損害賠償請求権の放棄、(3)国連軍の軍人、軍属による日本国内での犯罪について、公務中である場合と被害者が被害者が国連軍関係者である場合には日本は1次裁判権を有しない等です。
国連軍撤退が完了した後90日以内に日本から撤退しなければならないとのことです。

現在は、2007年11月1日以降、国連軍後方司令部が横田飛行場に設置され司令部用員として4名が常駐しているほか、各国大使館に駐在武官の兼務を含めて23人の連絡将校団が常駐し、3~4が月に1回程度の頻度で情報交換のための非公式会合を行っているようです。
同協定では、国連軍後方司令部は朝鮮半島から国連軍が撤退するまで有効で、
国連軍撤退が完了した後90日以内に日本から撤退しなければならないとのことです。

国連軍は朝鮮戦争の際に編成されたのが唯一のものです。そのとき北朝鮮と共同で闘った中国が、現在常任理事国となっているのには皮肉かと思います。
なにしろ、日本は未だに敵国条項が残っているのですから・・・・・



参議院議員の山本太郎氏は、10月31日に皇居で開催された園遊会において、天皇陛下に私文書を手交したとのことです。

政治家が天皇に私文書を渡すと言うことは、時候の挨拶以外はともかくとして、政治に関わることが記されていた場合はどう扱われると考えているのでしょうか? 事実を知って欲しい。では、知った後にどうして欲しいのでしょうか? これは、発言または行動を伴う何かを、して欲しいことに繋がります。
昭和天皇は、靖国神社参拝をされていたとき、これを国会で社会党に取り上げられたことがありました。天皇陛下が靖国神社を参拝されなくなったのは、その翌年からです。

天皇陛下は憲法によって、政治に関わることを禁じられています。
山本太郎氏は国会議員ですから、こんなことは知っているはずです。また、議員になる前に知らなかった場合でも、当選後、2ヶ月もあれば憲法を一回位は読んでいるでしょうし、日本国民は、中学で憲法を習っています。知らない、または知る気がなかったのなら、国会議員になどなってはならなかったと思います。

あ太郎

No title
選挙に行かない馬鹿都民が大勢いたおかげで、一人変な国会議員を生み出してしまったね。

大塩平八郎のような「己の命と引きかえ」という気概があったわけでなし。

博多のオバァ

お偉いさん
 ( つぅ~る と かぁ~めがすぅ~べぇ~ったぁ~)と わらべうた に あります(すべる…滑るではなく…統べる!)伊勢 出雲 統べる 10月は何かがあると 思ってました 良くも悪くも 個人も社会も 炙りだされました いよいよ その時近し 村上博士の(日本人特殊遺伝子スイッチオン!)です 最近のTVは(お詫び申し上げます)と 某有名人や立派な企業トップばかり 映像とは恐ろしいものでその人心を  瞬時に 垣間みせます( おごり たかぶり これ お偉いさん) と言うのだそうです (偉いぶってると天の計らいであっというまに ひっくり返る地に落ちる)?!… 他人事ではありません 同すれば 同じと見なされ裁かれる これは原因→結果の法則(当然です)  …  天皇陛下皇后様は下々の見えない所でひたすらに誠のお心で祈り実践なさってる事はお姿にあり 自然と頭をさげずにいられません心より感謝なのです お健やかで頂きたいと思います

twitter

内田樹 ‏@levinassien
ラジオで僕も入試改革について否定的なコメントをしました。
「人物本位」ということは「査定者の価値観をどれだけ内面化しているか」を競わせて「イエスマン」度に基づいて格付けするということに他なりません。

とにかく「しっぽを振るのがうまいやつ」が出世する仕組みにしたいんでしょうね。


教育制度改革のモデルはシンガポールです。
具体的には、早期のコース分けによる教育の効率化と反体制的な子供には教育機会を与えないこと。

政府から「反政府的な人物ではない」という証明を得ないと大学に入学できないシンガポールの教育制度が彼らの理想なのでしょう。

非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

スポンサードリンク

カレンダー

08 | 2020/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

電話  080-4358-3739

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク